く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK>中公新書 「ショパン・コンクール 最高峰の舞台を読み解く」

2016年12月01日 | BOOK

【青柳いづみこ著、中央公論新社発行】

 5年に1回ショパンの故郷ポーランドのワルシャワで開かれる「ショパン国際ピアノコンクール」。ポリーニ、アルゲリッチ、ブーニン……。優勝者には錚々たる名ピアニストが名を連ねる。ただ日本人は内田光子の第2位(第8回=1970年)が過去最高。直近の2015年の第17回では小林愛実が10人のファイナリストに残ったが、残念ながら入賞(6位以内)を果たせなかった。著者はピアニスト兼文筆家で、日本ショパン協会の理事も務める。第17回コンクールでは春の予備予選から秋の3週間にわたる本大会まで、現地で世界中から集まった若きピアニストたちの熱演に耳を傾けた。本書はその観戦記。

       

 著者がこのコンクールに興味を持ち本書執筆のきっかけにもなったのが2010年第16回大会での〝予備予選追加招集事件〟。この年は書類・DVD審査でいったん予備予選参加者が応募者のほぼ半数に当たる160人に絞られた。ところが実力者が含まれていないというある審査員の抗議で、その人物を含め55人が追加された。審査員たちの言い訳は「DVDの画質・音質が良くなかった」。そして激戦を制し優勝したのはこともあろうにその実力者、ユリアンナ・アヴデーエワ(ロシア)だった。女性としてはアルゲリッチ以来2人目という快挙。スポーツのような客観的な勝敗の基準がない音楽の審査の難しさを象徴する出来事だった。

 第17回は下馬評の高かった韓国のチョ・ソンジンが優勝した。15歳の若さで「浜松国際ピアノコンクール」を制した実力者。日本での知名度も高い。ところが結果発表の数日後に明らかになった審査員の採点表が物議を醸した。ある審査員がチョに対し10点満点で最下位の1点しかつけていなかった(他の審査員は10点2人、9点12人、8点1人、6点1人)。しかもこの審査員は第3次予選(セミファイナル)でもチョに対し唯一人次のファイナルには進めないという「NO」の裁定を下していた。ファイナルの1位と2位の合計得点の差は僅か5点。不当に低い点数をつける審査員が複数いたら、どう転んでいたか分からなかった。

 ファイナリスト10人はオーケストラとの協演でショパンのピアノ協奏曲第1番か第2番を弾く。第2番を選んだのは2位のシャルル・リシャール=アムラン(カナダ)だけ。そのリハーサルのとき、第1楽章を通したところでオーケストラの部分練習が始まったという。著者は「コンテスタントにとって貴重なリハーサルの時間をオーケストラの練習に使うとは、権威あるコンクールの場で起きることだろうか」と疑問を呈す。そして本番は「オーケストラに気を使うあまりソロのときの伸びやかさをやや欠く演奏になった」。もしアムランがみんなと同じ第1番を選んでいたら……。

 入賞にいま一歩届かなかった小林愛実については「ラウンドごとに進化した姿をみせ、ファイナルの協奏曲では、小さな身体でオーケストラを包みこむような演奏を聴かせてくれた。ツボにはまったときのアイミ・コバヤシのすごさを見る思いだった」。昨年秋、著者は横山幸雄(1990年の第12回に3位)とコンクールを振り返った。そこで2人は「楽譜に忠実」であるのは必要だが日本人はもっと自分の解釈に積極的に関わる努力も必要、手が小さいことを悟られないような奏法や選曲を工夫する必要もある――などで意見が一致したそうだ。「あとがき」の書き出しがおもしろい。「よく仲間うちで冗談に、もしショパンがショパン・コンクールに出場していたとしても絶対に一次予選で落ちるね……と言い合うことがある」

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