【42代鏡里から61代北勝海まで、1987年の「横綱会」のときに製作?】
奈良県葛城市当麻にある「葛城市相撲館〝けはや座〟」。相撲の始祖といわれる当麻蹶速(たいまのけはや)を顕彰するため1990年にオープンした。これまで何度も訪ねたが、そのたびつい見入ってしまうものがある。17人もの歴代横綱の手形が押された1枚の掛け軸。大相撲ファンにとってはまさに垂涎の的に違いない。その右側にはそれぞれの手形に対応するように横綱の写真と経歴、成績などが掲げられている。
大相撲の世界には年に1回、元横綱の親方と現横綱が一堂に会して親睦を深める「横綱会」がある。歴史は古く60年ほど前の1953年から始まった。1年を締めくくる九州場所の直前に福岡市のホテルや料亭で開かれる。この手形の掛け軸には北勝海や朝潮の手形も含まれ、北勝海の横綱昇進が1987年、朝潮が亡くなったのが翌年の88年のため、87年の「横綱会」のときに製作されたのではないか、と推測されている。
手形は6段にわたって右から左に3人ずつ押されている。最上段右側の42代横綱鏡里から、最下段左側の61代北勝海(八角親方、現日本相撲協会理事長)まで。最上段には栃錦と若乃花の手形も。2段目には朝潮、柏戸、大鵬、3段目には27代木村庄之助(在位1977年11場所~1990年11月場所)の書「平常心」を挟んで栃ノ海と佐田の山、4段目には北の富士、琴桜、輪島、5段目には北の湖、若乃花(2代目)、三重ノ海、そして最下段には千代の富士、隆の里、北勝海。2013年以降、昭和を代表する名横綱の大鵬や北の湖、千代の富士が相次いで亡くなった。この掛け軸に手形を押した元横綱17人のうち存命中は7人にすぎない。
「横綱会」自体もこのところ中止に追い込まれる年が増えている。2011年は隆の里(鳴戸親方)の急逝で中止となり、15年は北の湖理事長の体調不良で中止に(その直後に逝去)。そして今年16年も2年連続中止になった。表向きの理由には夏の千代の富士の逝去が挙げられるが、話はそう単純でもないようだ。一番の問題は元横綱の親方が全部で5人と少なくなってしまったこと。しかもそのメンバーの中では八角理事長と貴乃花親方の主流・反主流派の確執が激しい。おまけに現役の横綱は全員モンゴル勢――。1年後「横綱会」は果たして再開されるのだろうか。