く~にゃん雑記帳

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<橿考研付属博物館> 特別陳列「長福寺(生駒市)の古瓦」展

2016年03月04日 | 考古・歴史

【重文・本堂に鎌倉時代の瓦、内陣の柱には来迎図などの彩色仏画】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で特別陳列「長福寺の古瓦」展が開かれている(3月21日まで)。長福寺は近鉄生駒駅の北方にある真言律宗の寺院。寺伝によると奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開創した。本堂は国指定の重要文化財だが、柱の沈下や内部の破損などに伴って4年前から解体修理中。その過程でこれまで不明だった長福寺の実態が徐々に明らかになってきた。

    

 本堂は寺伝などから鎌倉時代の13世紀前半に建立され、同後半に改築されて現在の規模になったとみられる。これを裏付けるように13世紀前半の鬼瓦1枚(上の写真㊨)が伝わる。その鬼瓦は興福寺北円堂、新薬師寺本堂の鬼瓦と同じ笵(はん、=型)で作られたもの。また13世紀後半の鬼瓦5枚はいずれも手作りだが、軒丸瓦や軒平瓦は元興寺極楽坊などの同笵瓦だった。

  

 同じ笵で製作された瓦が長福寺や大和の諸寺院で用いられた背景について、奈良県文化財保存事務所は「中世大和の瓦作りが東大寺、興福寺の復興に始まって、次第に中小寺院の復興へ移行していったことを物語る」と指摘する。本堂は以前に解体2回を含め計6回修理が行われているが、明治時代の解体修理前まで使用されていた旧大棟鬼瓦には「延宝六年」「西京尻枝住人瓦大工北岡五良右衛門」と箆(へら)書きされていた(上の写真)。延宝6年は江戸前期の1678年、西京(西ノ京)は法隆寺の瓦大工として活躍した橘氏以来の瓦生産地。

   

 本堂内部の柱や天井、壁には彩色が施されているが、剥落に加え煤で黒く覆われて肉眼ではよく観察できない状態だった。このため赤外線写真を基に輪郭線を描き起こし、さらに蛍光X線分析などで色料調査を行って復元図を製作中。内陣の柱には上から弥勒来迎図、菩薩2体、迦陵頻伽(かりょうびんが、極楽浄土にすみ美声で法を説くという想像上の鳥)が描かれ、内陣小壁板には三千仏、内陣を巡る長押(なげし)には宝相華文や条帯文、天井にも花などが描かれている。会場には色鮮やかな迦陵頻伽の復元図や大日如来の復元途中の試作品などを展示しており、今後も順次復元図作りを進めていく。(上の写真は㊧弥勒来迎図の赤外線写真、㊨金剛索菩薩)

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