く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOk> スポーツ学の射程 「身体」のリアリティへ

2015年12月09日 | BOOK

【井上邦子・松浪稔・竹村匡弥・瀧元誠樹編著、黎明書房発行】

 収録しているのは主に大学に籍を置くスポーツ史や身体論、健康文化論などの研究者を中心とする18人による論考18編。「<競争>を問う」「<歴史>を紐解く」「<民俗>をみつめる」「<身体>を感じる」の4章構成で、既存の見方に捉われることなく独自の視点で「スポーツとは何か」という根源的な問題に切り込む。体育教育やスポーツに携わる人だけでなく、広くスポーツを愛する一般の人にとっても興味深い読み物になっている。

         

 第1編目の『スポーツにおける判定を考える』(筆者松本芳明)はスポーツ界全体で導入が進むビデオ判定について「生身の肉体の生き生きとした動きやダイナミックな流れといった人間のもつ豊かな内実の多くが捨象され……『モノとしての肉体』の動きのみによる判定ということにならざるをえなくなる」として疑問を投げかける。同時に体操やフィギュアスケートでの審判の分業制度の問題点も指摘する。

 『「無気力試合」を「問題」とする問題』(筆者鵤木千加子)は2012年ロンドン五輪のバドミントン女子ダブルスで中国などの4ペア8選手が意図的に負けたとして失格になった問題の背景を探る。当時、選手の倫理観や大会運営システムの問題がクローズアップされたが、筆者は国家間のメダル競争こそが根源にあると強調する。『体罰の起源を探る』(筆者松浪稔)は近代学校制度開始以降、学校での集団秩序の維持のために軍隊経験者の体操教師らによって体罰が持ち込まれたと指摘する。

 『戦時下のプロ野球』(著者玉置通夫)は戦時下にスポーツ大会が次々と休止する中、プロ野球の公式戦が終戦前年の1944年まで可能だった理由を推論する。筆者は用語の日本語化、軍需産業などに従事しながら試合を行うといった軍当局への迎合、親会社が鉄道や新聞社など国民生活を支える重要産業で当局が介入しにくかったことなどを挙げる。『生きる/動く,からだ』(筆者井上邦子)はモンゴルの伝統的な暮らしとスポーツ文化の関わりに触れ「モンゴルでは、生きることはからだを動かすことであり、からだを動かすことは生きることである」「牧畜の身体技法が相撲の技と一つながりになっている」と指摘する。

 他に『レースは過酷だったのか アムステルダム五輪女子800m走のメディア報道がつくった「歴史」』『集団体操時代の「変な体操」日本体操(やまとばたらき)とその周辺』『野見宿禰は河童なのか 「橘」と兵主の関係から探る』なども。

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