く~にゃん雑記帳

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<橿原考古研・付属博物館> 特別陳列「十二支の考古学―申(さる)」

2015年12月26日 | 考古・歴史

【最古の猿の墨画は長屋王邸跡から出土、皿の外面に5匹の猿】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で、新年の干支に関する出土品や考古資料を紹介する年末年始恒例の特別陳列「十二支の考古学」が開かれている。来年は十干十二支で「丙申(ひのえさる)」に当たる。猿と人のつながりは古く、西日本の縄文時代後晩期の遺跡からはニホンザルの骨が多く出土している。猿は食料のほか骨角器として様々な道具や装身具などに利用されていた。

 

 平城京の長屋王邸跡の井戸(奈良時代前半)から出土した土師器の皿には5匹の猿が描かれている(上の写真)。1匹は全身が描かれ、それ以外は顔だけ。その描写や筆遣いから、専門の絵師が本格的な絵を描く前に下書きしたものと推測されている。猿が描かれた土器は意外に少ない。この皿は唐招提寺金堂の梵天像の台座に描かれた墨画より30~40年古く、国内最古の猿の墨画といわれる。正倉院に伝わる「纈屏風(ろうけちのびょうぶ)」にも樹上に猿が描かれている。

 ただ猿を表現したものとしてはもっと古い土製品や埴輪などがある。青森県の十面沢(とつらざわ)遺跡からは縄文晩期の猿の形を模した土製品が出土した。兵庫県灘区で出土した弥生時代の桜ケ丘1号銅鐸には弓矢を構えた人物の横に犬や鹿とともに猿が刻まれている。奈良県天理市の小墓(おばか)古墳や茨城県の大日塚古墳からは背中に小猿を背負ったような痕跡が残る猿の埴輪が出土した。

 

 猿は信仰の対象にもなっている。比叡山の麓に鎮座する日吉大社の「日吉山王曼荼羅」には神の使いとして御幣を持つ猿が描かれ、今も神猿舎では2匹の猿が飼われている。滋賀県長浜市の鶏足寺にはユーモラスな表情の木彫りの猿の神像「日吉大宮像」が伝わる。民間では庚申信仰の広まりとともに各地に青面金剛像を祀る庚申堂が建てられた。奈良市の奈良町では家々の軒先に青面金剛の使いの猿をかたどった「身代わり申」が魔除けとして吊るされている。会場には吉備姫王墓(明日香村)などに置かれている大きな「猿石」の複製品5体も展示中。1月17日まで。

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