く~にゃん雑記帳

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<ふるさとミュージアム山城> 企画展「京都発掘だより2014」

2014年10月03日 | 考古・歴史

【由里1号墳から赤い顔料を塗られた石棺や2体の人骨】

 京都府木津川市の府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)で企画展「京都発掘だより2014」が開かれている(13日まで)。京都府埋蔵文化財調査研究センター(向日市)との共同企画で、前年度に府内で行われた発掘調査の成果を出土した遺物や写真パネルなどで紹介している。

  

 古墳時代前期~中期の由里1・2号墳(与謝野町)のうち1号墳からは中年の男性とみられる2体の人骨が見つかった(写真㊧)。石棺や人骨の一部には赤色顔料が塗られていた。2号墳からは舟形の木棺の中から鉄剣が見つかった。また、石田谷遺跡(同)から大量に出土した弥生時代中期~後期の土器(写真㊨)の中には内側に赤い顔料が塗られたり穴が開けられた土器もあった。まつりや儀礼に用いられたのではないかとみられている。

 4世紀に造られた御毛通2号墳(八幡市)の周溝内からは家形や鶏形の埴輪がまとまって出土した(下の写真㊧)。ただ古墳時代前期に多い円筒埴輪はほとんど含まれていなかった。鶏形は頭部の一端を尖らせてくちばしをかたどっており、京都府内でこれまでに出土した鶏形埴輪としては最も古いという。

 

 方広寺旧境内(京都市)では大仏殿跡の東側を調査した結果、一辺4m、深さ1mの穴が4カ所見つかった。方広寺は豊臣秀吉が東大寺大仏殿に倣って創建した寺院だが、完成翌年1596年の慶長伏見地震で大仏が倒壊し、秀頼が後を継いで完成させた。発掘調査で大仏殿の基壇が秀頼の時期に一回り大きくなっていることが分かった。

 秀吉が築いた御土居跡(同)の調査では、北野天満宮境内の雨水を外に排出する石組み排水溝の取水口が見つかった。また調査によって土塁の規模と構築方法が明らかになった。浄瑠璃庭園(木津川市)では国宝の阿弥陀如来坐像9体を安置する本堂東側の調査で池の州浜遺構(上の写真㊨)が出土し、平安時代末頃、大規模な庭園の整備が行われたことが明らかになった。

 今里遺跡(八幡市)では土葬や火葬の土坑、石組み火葬炉など平安後期から近世に至る多数の埋葬遺構を確認した。平安後期には土葬が主体だったが、室町後期には全て火葬になっており、さらに15世紀を中心に1人を1基の土坑で火葬し埋めていたのが、16世紀後半には火葬専用の石組み炉で火葬していたことが分かった。土葬から火葬への変遷を示す貴重な発掘成果といえる。

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