経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

1/21の日経

2014年01月21日 | 今日の日経

(今日の日経)
 投信は長期運用志向に。法人税率アジアも意識、減税先行を示唆、税収増が穴埋めも。中国7.7%成長、建設・設備投資の寄与度54%。内閣府の財政試算・基礎収支の改善の前提甘く。経済教室・欧州銀行同盟・庄司克宏。会社は血も肉もある・丸紅社長国分文也。

※法人減税の財源は隠している自然増収だろう。本コラムの読者なら改めて言うまでもない。知らないでいると好きに使われるということさ。
※ことよさしさん、コメントありがとう。自然増収と消費増税はデフレの効果の意味合いが異なる。1/19で「こなしてはいるが」としたのは、そのニュアンス。消費増税は、均衡している経済状態を壊して押し下げるのに対して、自然増収は、還元していれば成長につながったものを捨ててしまう感じだね。※KitaAlpsさんも、ありがとう。筆者のイメージはリスクの最小化ではなく、取りたいけれど取り切れないないという感じで、行動原理ではなく制約だと思っている。※望月夜さんにも、礼を言っておくよ。言われることは分かるが、マイナス金利を理由にすると、敵さんは法人減税で来る。筆者はこれでは救われんと思うね。himaginaryさんが1/15にリポートしていたように、金利に調整力がなければ、理論の土台が崩れもするし。

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リスク・不確実性最小化 (KitaAlps)
2014-01-22 09:47:58
>筆者のイメー ジはリスクの最小化ではなく、取りたいけれど取り切れないないという感じで、行動原理ではなく制約だと思ってい る。

 たぶん、理解にそれほど違いはないのではないかと思います。たしかに制約と考えることもできます。しかし、既存の「収益最大化原理」も環境の「制約」との相互作用下で働く部分を含めて考えられていると思います(つまり、リスク・不確実性最小化に「制約」との係わりを含めてはいけないという理由はありません)。

 また(リスクを)「取りたいけれど取り切れない」と考えるということは、収益最大化原理以外の要因が経済主体の行動に係わっていると考えておられると理解できます。とすれば、収益最大化以外の要因を考えるのが自然です(それは、リスク・不確実性最小化原理だと考えるわけです)。

 もちろん、リスク関連(の一部)を収益最大化の観点から整理し直すことも出来ます(そのようにお考えなのかもしれません)。例えば、設備投資で生産能力を増強しても売上の増加が見込めないなら、その状況での設備投資は高リスクです(これは「リスク」で理解する観点です)。しかし、これを、設備投資した結果、売上が上がらず投資資金を回収できないと考えれば、それは収益の低下ですから、収益最大化原理でこの状況を整理することも可能です。

 しかし、行動や判断の基準としての「リスク」は、そうした場面にとどまりません。

 リスクにまつわる要因が働く状況(リスクが取れない状況)としては、2つの側面があります。簡単に言えば、客観的側面と主観的側面です。

(1)客観的側面(環境変化、制約の変化)
 ここで客観的側面とは、環境変化にかかわります。
 例えば、バブル崩壊後の金融危機で信用危機が生じれば、企業は不意の支払い、あるいは金融機関からの借入の不調に備えて現金保有を増やそうとし、設備投資を抑制します。
 また、表向きはともかく、実質的にバランスシートが毀損され、内実は債務超過になっている企業は、倒産の危機下にありますから、設備投資よりも借入金の返済が優先されます。
 あるいは、経済が停滞し、市場の伸びが見込めないときは、生産能力を増強する設備投資を行っても売上の増加が見込めないと判断され、設備投資は抑制されます。

 これらは、まさに環境(環境の制約)が企業の判断を規定しています。まさに『リスクを取れない』状況です。しかし、判断する主体である企業の側から見れば、環境の変化に伴って(環境の変化を認識することにより)、収益最大化よりもリスクを最小化するという判断を優先するという判断基準の変化が生じているとも言えます。

 また、収益を最大化しようとしてもできないから、相対的にリスクを最小化するという判断が優先されると考えることもできますが、これは環境の変化に伴って収益最大化原理という行動基準の役割が後退して、リスク・不確実性を最小化する判断基準の役割のウエイトが高くなっていると考える方がシンプルです。
 もちろん、こうした変化は、(短観的なレベルですが)計測可能で、変化を把握することもできます。

(2)主観的側面(判断基準自体の変化)
 もう一つは主観的な判断基準の変化です。経済主体の判断基準が環境の変化を受けて、より強くリスクを重視するといった方向に変化することが観測されています。
 例えば、クー氏の本でも、複数箇所で、米国の大不況などでは、その影響で、それを経験した一世代まるまる、貯蓄性向が上昇したということが出てきます。あつものにこりてなますを吹くように、強烈な体験をすると、判断の基準自体がリスクを抑える方向に変化すると考えられます。
 こうした変化は、収益最大化に還元することは困難でしょう。

 このように、「リスクを取れない」には、収益見通しが低下する(客観的環境変化による要素(・・・これは様々な行動の「客観的リスクが上昇する問題」です)と、企業自身のリスク重視への変化(主観的変化による要素(・・・これはリスクを過大に評価する傾向へ主観的判断基準が変化する問題です)の2つが係わっていると考えます。

 「リスク・不確実性最小化原理」は、こうした客観的な側面(環境変化・制約の変化)と主観的な側面(判断基準の変化)の二つの側面を含んで考えています。二つの側面を含めて考える理由ですが、上で、短観的に計測可能だと書きましたが、単純に計測すれば、計測された結果は、この2つの側面の両方の影響を含んでいると考えられます。したがって、まとめて考えるのが、自然です。
 また、この概念は、金融分野から出てきた「リスク選好」概念と整合的ですから、理解しやすい概念だろうと思います(もっとも、厳密には定義が少し違うでしょうから、混乱を招く可能性はあります)。

 問題は、収益最大化原理のみで、こうしたメカニズムを適切に記述できるかということです。
 もっとも、そもそも、人が自分の行動を、メリットがデメリットを上回るかで判断して決めていると考えれば、おおむね説明が可能です。
 例えば、人が無償で他の人を助けるという行為でも、助ける側の人が内面的に深い満足を得られる(それがその人にとってのメリット)と考えれば理解可能です(・・・こう書いても結構反発される方がおられるのですが)。
 収益最大化原理は、それを金銭的メリットに限定して考えられている訳ですが、その限定を外して、メリットの対象となる範囲を広げれば、大方の人間行動を説明できます。しかし、それは経済学的には有用な原理でなくなる可能性があります。
 ですから、別にもう一つの原理を追加することで、より経済を理解しやすくしようと考えるわけです。
 また、収益最大化原理は、現実には、単独では、重い不況下での企業の行動を説明出来ていないと考えます。それが混乱をもたらしていると考えます(また、それを拡張しようという動きもないようです)。こうしたときには、新たな概念を追加することで、問題が整理しやすくなると考えます。
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