kazuフォトローグ

「徒然なる日常」を写真で語ります。

うす紅色のシクラメンほど・・・

2011年01月18日 | 
真冬の寒い部屋に、あたたかさを感じさせてくれるシクラメンが満開だ。
布施明「シクラメンのかほり」が大ヒットしたのは、35年も前のこと。
その香りはどんなものか、と近づいてみたら「・・・」
当たり前だ。もともとほとんど香りのない花なのだ。
歌っていた本人も、ずっと違和感を覚えていたという。
だいたい「かほり」なんて言葉はない。
この歌をきっかけに、1996年、筑波の中央農業総合センターで、品種改良された香りのあるシクラメンが開発されたそうだ。
「かほり」は作詞作曲・小椋佳の奥さんの「佳穂里(かほり)」さん。その奥さんをシクラメンにたとえた愛の賛歌が、この歌という説もある。
当時、布施明の新曲をせかされたため、めんどくさくなって、オクラ入りしていた曲を流用したと、小椋佳本人が語ったという。いずれにせよ大ヒットしたのだから、結果オーライだ!
でも、こんな愛の賛歌、とても、照れくさくて書けない。

梅一輪 一輪ほどの あたたかさ

2011年01月16日 | 
厳しい寒さの中、はやくも紅梅が咲き始めた。
温度計の指す数値は2℃である。
梅一輪 一輪ほどの あたたかさ には、ほど遠い。
桃栗3年、柿8年、梅は酸い酸い13年・・・そんなにかかるのか。
なにごとも時期が来なくてはできない、と言われるけど、梅の実がなるまで待てそうにない。

気になっていた茅の輪、人型の紙垂(しで)

2011年01月16日 | 神社
今年の正月、神社の茅の輪を見て、気になったので、シャッターを切った。
この輪をくぐり越え、罪や穢れを取り除いて、心身が清らかになるよう祈ると、願いがかなうという。
ここから先は聖域だが、人型の紙垂がなんだか不気味だった。
そんなことを考えていたら、高校の同期生、著名なジャズドラマーF氏の訃報が、同期会幹事から届いた。
授業の合間、ドラムのスティックを小刻みに叩いていたことを思い出す。
何十年も会っていないが、まさか新聞の訃報で出会うとは・・・

おいらの所為じゃないよ

2011年01月13日 | 神社
しばらくなりをひそめていた鳥インフルエンザ。
昨年11月、島根県安来市で再び発生。2万3000羽が殺生された。
なんとかならんものか。
でも、おいらには関係ないよ、とばかりに、このおんどりは、神社境内をわがもの顔に歩いている。

光る階段インスタレーション?

2011年01月13日 | 都市
最初に見た時、映画「未知との遭遇」のメロディを奏でる巨大UFOを思い出した。
別に歩いても構わないのだが、なぜか人は、光らない左右をゆく。
東京・赤坂サカスで見かけた。光る階段である。
赤坂サカス。2008年3月に出来た複合施設。
桜を咲かすという意味があるそうだが、周辺にたくさん坂があるので「坂S」。
極め付きは「akasaka Sacas」を、回文風にすると「saca saka saka」(坂・坂・坂)となる。
一体誰が考えたのだろう。

どれだけ人と人の橋渡しができるだろうか

2011年01月12日 | 都市
置物とダジャレが気になってレンズを向けた。
「手と手を合わせると、しわあせ」のレベルだけど、なんだかほのぼのとしてくる。
殺伐とした世の中だけど、人の心がばらばらにならぬよう、どれだけ橋渡しができるだろうか。

成人の日

2011年01月11日 | 都市
いつの間にか、一月十日が成人の日になってしまった。
銀座もそれに合わせて日の丸を掲げた。(そんなわけないか、これは正月の写真)
高齢化、人口減少の国。ジャパンシンドロームというのだそうだ。
生産年齢の減少と言われるが、就職難とはどういうことか。
新興衰退国、日本はその仲間入りをするようだ。
GDPが中国に抜かれ、世界3位になったが、2050年には7位との推計があるそうだ。
もう私は生きていないけど・・・

トロピカルなアロエの花

2011年01月09日 | 
何年も鉢植えのアロエを置いているが、花芽をつけたことがない。
ところが、近所に見事な花を咲かせている家を見つけた。
随分前、八丈島を訪れた時、植物園に群生していたアロエの花以来である。
いかにもトロピカル。原産がアフリカ、マダカスカルというのだから、当然かもしれない。
サボテンのような肉厚の葉は、万能薬。
アロエ石鹸、アロエヨーグルトぐらいしか知らないけど、品種は300種以上あるそうだから、素人療法はやらない方がいい。
写真は多分キダチアロエ。花言葉は、健康・信頼・迷信。なんだか脈絡がないな。

 アロエ見て 何から病 直そうか

苦しい時の神頼み・・・その2

2011年01月08日 | 行事
早くも松の内が終わった。
普通正月と言えば、注連飾りを焼く、15日の左義長(どんど焼き)までと思っていたのだが、何故7日なのか。
調べたら、ちゃんとわけがあるんですね。
もともとは15日までが松の内。やっぱり。
それを、寛文2年(1662)1月6日(旧暦)、江戸幕府(4代将軍徳川家綱)が、7日に飾り納めをせよ、と江戸城下に通達を発令、同時にどんど焼きも禁じたのだそうだ。
松の内短縮発令は、この時期、今の東京と同じく空気が乾燥していたため、火災予防の一環にしたという。なるほど。
その後、どんど焼きは復活したけど、時期は昔のまま残ったのですね。

ところで、写真の女性は、何を願ったのだろうか。素敵な彼と出会えるように・・・かな?
縁結びの八幡さん、だそうだから。