現役時代の初期、神田美土代町交差点のビルに会社があった。
月1の診療所通いの際、その懐かしい町名の表示板を見つけた。
今も一部に町名が残されているが、他は町名変更で内神田なんていうそっけない地名になっている。
江戸開府400年(2003年)の記念事業の一環として、千代田区が江戸地図と現代を併記した町名由来表示板を立てたそうだ。
現役の頃、町名や地名の由来なんて興味なかったが、リタイアすると、ブラタモリの影響か、やたら気になりだした。
江戸時代、この界隈は身分の高い武士たちの屋敷が建ち並んでいたという。
五代将軍徳川綱吉の側近柳沢吉保や後の老中や若年寄の屋敷もあったそうだ。
なんだか大奥の時代を思い起こしてしまう。
美土代町も神田も、かつて、この界隈に伊勢神宮に捧げる稲(初穂)を育てるための水田「みとしろ」があったという故事から、明治の初めにつけられた町名だ。
なんだか当時にタイムスリップしたようで「へえ、そうなんだ」と感心してしまった。
月1の診療所通いの際、その懐かしい町名の表示板を見つけた。
今も一部に町名が残されているが、他は町名変更で内神田なんていうそっけない地名になっている。
江戸開府400年(2003年)の記念事業の一環として、千代田区が江戸地図と現代を併記した町名由来表示板を立てたそうだ。
現役の頃、町名や地名の由来なんて興味なかったが、リタイアすると、ブラタモリの影響か、やたら気になりだした。
江戸時代、この界隈は身分の高い武士たちの屋敷が建ち並んでいたという。
五代将軍徳川綱吉の側近柳沢吉保や後の老中や若年寄の屋敷もあったそうだ。
なんだか大奥の時代を思い起こしてしまう。
美土代町も神田も、かつて、この界隈に伊勢神宮に捧げる稲(初穂)を育てるための水田「みとしろ」があったという故事から、明治の初めにつけられた町名だ。
なんだか当時にタイムスリップしたようで「へえ、そうなんだ」と感心してしまった。