kazuフォトローグ

「徒然なる日常」を写真で語ります。

氷の華?

2016年06月28日 | 


ギボウシといえば、擬宝珠(ぎぼうしゅ)の転訛とは知っていたが、ほとんどが青紫の花である。
が、隣家に真っ白な花を見かけた。
それも、たっぷり梅雨時の粉糠雨に濡れている。
水滴に覆われ、まるで氷の華のように見えた。

9年前、リタイア後に何か役立つと思い、幻冬舎の講習会?に参加した時のことを思い出した。
素人の自費出版の手助けしてくれる部門の主催である。

文章を書き溜めると、人は誰かに読んでもらいたくなり、本にしたくなるらしい。
その時の講師が、後にベストセラーになったミステリー「氷の華」の作者だった。
自費出版をしたものが、幻冬舎の社長見城徹の目にとまり、編集者の熾烈な添削のあと出版されたらしい。

タイトル通り、寒気に身体が覆われるようなミステリーである。
話を聞いたら、読書の量が半端ではない。それに飽き足らず、自ら書きたくなったらしい。
当時、執筆に5年かかったという。すごいエネルギーである。
カメラ爺は3日も続かない、どころか、すぐ忘れてしまう。

ブログはいわば備忘録だ。





大きな志

2016年06月27日 | 


テニスクラブで、著名なクラシックギタリストのSさん夫婦と対戦した。
繊細な音を奏でる指使いと違って、アグレッシブなテニスである。
わが若いパートナーも、パワフルで、激しい打ち合いになった。
残念ながら4-6で負けたが、面白いゲームだった。

家に帰って、久しく触れていないギターをチューニングした。
コードは覚えているものの、指運びがぎこちない。
テニスも楽器も、ふだんの練習の積み重ねであることを痛感した。

もう何年も触っていないせいか、1弦が切れてしまった。
今度、月一の神田詣での際、カワセ楽器に行かなくては・・・

何年か前、フラメンコギターをやろうと始めたものの、ついご無沙汰。
ギターが部屋の飾りものになっていた。
せっかく、いつも弾けるように右爪の手入れをしていたのに、練習しなければ意味がない。
六十ならぬ七十の手習いである。

が、志を大きく持つのは年齢に関係ない。

立ち葵は、梅雨入りと共に咲き、梅雨明けと共に終わるので「梅雨葵」とも呼ばれるらしい。
花茎の頭頂部まで咲き続けて終わる、いさぎよいではないか。
同じアオイ科ながら一日花のフヨウとは違ってずっと咲き続けている。
志は、最後まで持ち続けろ、ということか。

久しぶりにお目見え、ワカケホンセイインコ

2016年06月24日 | 


電線に、雀ではない尾の長い鳥達が止まっていた。
ムクドリでもない、ヒヨドリでもない。
グリーンの色が鮮やかだ。
だいぶ前に見かけたワカケホンセイインコ。
ペットとして飼われていたものが、逃げ出して(あるいは放鳥して)野生化したものらしい。
東工大キャンバスに営巣していることは聞いているが、杉並にもあるのか。
鳴き声はやかましい。
が、写真をとっているうちにいなくなった。

ハイビスカス咲きました。

2016年06月22日 | 


タイトル、「6944の携帯百景」のコメントをまねてみました。

アブラムシの攻勢に、アリアースでシューして撃退。
今朝、みごとに咲いてくれました。
一日花なので、貴重な写真です。

鉢植えのため、沖縄のように地に張って、年中咲くというわけにはいきません。

夏至の月は十六夜

2016年06月21日 | 


月の出が遅かった(19:28)せいか、オレンジ色の月が高い空に浮かんでいた。
しかも、十六夜である。
夏至の夜の月が十六夜とは、なかなか風流ではないか。

日の出が4:25、日の入りが19:00。
昼の時間が1年のうちで最も長い日だ。

西洋占星術では、この日が蟹座の始まりだという。
カメラ爺の生まれた星座である。
あと10日で古希ともお別れ。
光陰矢の如し、早すぎる1年だ。

若い頃は時間のたつのが遅く、年をとると早く感じるという。
言い得て妙である。



どうしたもんじゃろの~

2016年06月19日 | アート


上野の森、国立西洋美術館の前庭。
ロダンの「考える人」の前で、像を見るでもなく、話をしている外人さんがいた。
これでは有名な彫刻も形なしである。

「考える人」も「トト姉ちゃん」を見ていたら、タイトルのような言葉をつぶやいているかもしれない。

石鹸のようなものがサボテンとはね。

2016年06月17日 | 


梅雨明けを思わせるような照りつける太陽の下、
サボテンの花が咲いた。
鮮やかな赤である。
まるでアスパラガスの穂先が花に化けたようだ。

で、なぜサボテンなんて名前がついたのか、気になった。
調べると、日本には16世紀後半、南蛮人によって持ち込まれたという。
彼らがウチワサボテンの茎から出る樹液をシャボン(石鹸)のように使っていたため、「石鹸のようなもの」を意味する「石鹸体(さぼんてい)」と呼ばれるようになったそうだ。

外国語だと思っていたら、そうじゃないんだね。
石鹸のようなものが語源とはねえ。知らなかった。


黒川紀章と三宅一生

2016年06月16日 | アート


東京・六本木にある国立新美術館。
奇抜なデザインで知られるが、オブジェにも見えるむきだしのコンクリート。
内部に階段・直通エレベーターがあり、上部のレストランに通じている。

まさに黒川紀章ならではのデザイン。それに匹敵するような三宅一生の「フライング・ソーサー」のレプリカが天井から吊るされている。
MIYAKE ISSEY展のエントランスである。
ちょっと覗いてみたくなったが、「ルノワール展」を観終わったあとでは、その元気がなくなってしまった。

京王井の頭線車内広告ジャック!

2016年06月15日 | 植物
先週、京王井の頭線に乗って、驚いた。
いつもは中つりや窓上広告なんて、別に気にも留めないのだが・・・

あのベストセラー小説「火花」ドラマ化の広告貸切電車。
が、残念ながらNETFLIXなるものを知らない。
スマホやPCで見られるらしい。

広告は見る人々の目を引きつければ、役割を果たしたようなものだが、
ドア横ポスター、ステッカーまで、これでもかと見せられると、改めて「火花」ってなんだっけ?
と思う。

終点渋谷駅で、降車終了後、居残って撮った。
次の乗車客が、広告に目を止めているのが分かる。

さて、この広告(掲載料=中つり・窓上で、取り付け作業料含め14日間440万円)で、どれだけの人がNETFLIXを見るようになるのだろうか。
調べたら、1か月無料お試し期間とあった。
でも、見る気にならないな。

ピンクなのに紫陽花

2016年06月13日 | 
1日中、しょぼしょぼ雨が降り続けた。
梅雨らしいと言えばそれまでだが、
だらだら過ごすのも、ストレスになる。

夕方、雨上がりのようにも見えたので、コンデジをぶら下げて外に出た。
目に入ったのがこの花。

我が家のアジサイは萼アジサイで、絵にならない。
アジサイの花の色は「リトマス試験紙と同じ」子供の頃にそう聞いた記憶がある。

とすれば、ここの土はアルカリ性か。
梅雨入りしたのに雨の降らない日々が続き、アジサイも元気がなかった。
いっぱい水分が補給され、ピンク色も鮮やかになった。

でも、これでは紫陽花の漢字がふさわしくない。
この漢字、平安時代、唐の詩人白居易がライラックと思われる花に名付けたのを、当時の日本の源順という学者が、アジサイと思い込んであてはめたことから広まったという。

だけど、いまさらライラックを紫陽花とはいえないよなあ…