再び故郷仙台の話。
仙台名産の一つ、支倉焼が支倉常長にちなんでつけられたのは知ってたけど、林子平のことは、歴史上の人物程度。
秋保温泉行きの県庁前のバス停前。見慣れぬ銅像があったので、近寄って見ると林子平。
お恥ずかしいことだが、そんなに仙台と深いゆかりのある人物とは思いもしてなかった。
あわてて調べたら、「三国通覧図説」なるものを著わし、それが、のちにペリー提督との日米交渉の領土問題で、小笠原諸島の日本領有権を示す根拠になったというのだ。それも、日本で発禁になっていたため、ドイツ語・フランス語訳だったというのも情けない。北方領土・尖閣諸島にそんな翻訳本はないのか。(ちょっと飛躍し過ぎ)
晩年蟄居させられた彼は、「親も無し 妻無し子無し 版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と詠って、号を「六無斎」としたという。う~ん、故郷のこと知らなさすぎだ。
ついでにトリビア。ハヤシライスの考案者は、彼の子孫(実は子平の姉の子孫)だという。ほんとかね。
仙台名産の一つ、支倉焼が支倉常長にちなんでつけられたのは知ってたけど、林子平のことは、歴史上の人物程度。
秋保温泉行きの県庁前のバス停前。見慣れぬ銅像があったので、近寄って見ると林子平。
お恥ずかしいことだが、そんなに仙台と深いゆかりのある人物とは思いもしてなかった。
あわてて調べたら、「三国通覧図説」なるものを著わし、それが、のちにペリー提督との日米交渉の領土問題で、小笠原諸島の日本領有権を示す根拠になったというのだ。それも、日本で発禁になっていたため、ドイツ語・フランス語訳だったというのも情けない。北方領土・尖閣諸島にそんな翻訳本はないのか。(ちょっと飛躍し過ぎ)
晩年蟄居させられた彼は、「親も無し 妻無し子無し 版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と詠って、号を「六無斎」としたという。う~ん、故郷のこと知らなさすぎだ。
ついでにトリビア。ハヤシライスの考案者は、彼の子孫(実は子平の姉の子孫)だという。ほんとかね。