kazuフォトローグ

「徒然なる日常」を写真で語ります。

用の美 細川護煕展 その2

2012年05月31日 | 焼物
日本橋・壺中居(とちゅうきょ)での細川護煕展(6月2日まで)。
茶碗、水指等、茶陶の重厚さに魅せられる一方、
実際に茶花を活けた花入れのマッチングにも、目を見張らせられた。
流派は分からないが、楚々とした風情は花入れの個性を引き立てる。
信楽焼の逸品である。



日本橋 美國屋の鰻丼

2012年05月31日 | グルメ
久しぶりに日本橋に出かけた。
相方が「昼食は吉野鮨本店か美國屋の鰻」という。
「ん~」(昼に鮨や鰻はないだろう)と返事を渋る。
こちらは蕎麦を食べたいのに…
で、最初に覗いたのが、吉野鮨本店。
普通オフィス街だったら、店の前にランチメニューが出ているのだが、
何もない。「ん~」と渋る。
で、「蕎麦はどお?」というと、今度は相方が渋る。

結局は、鰻になった。
しかし、店の前に立つと、鰻重2,900円。
以前来た時は、こんなに高くなかったぞ。
一瞬尻ごみしたが、救いの手はあるものだ。
限定20食、鰻丼2,000円(肝吸い・新香付)。
高齢者にはこのくらいの量が良いのだ。

美國屋のHPによれば、米は宮城のササニシキ・栃木のコシヒカリの玄米を毎日ブレンドして自家精米。
その糠で、漬物を作っているという。
ふっくら、じゅわーと、味が口中に広がる鰻もさることながら、
程よい硬さのごはんがタレにからむ。
みごとなコラボだ。

真上からの写真のため、丼が小さく見える。
HPでは、それをみごとにフラージュする角度から撮っていた。
見習わなくっちゃ。

1・2階の椅子席は一杯だったが、3階の座敷は誰もいない。
店の人は「みなさん座るのを敬遠されるようです」
おかげで、普段ならあわただしいオフィス街のランチをゆっくり味わうことができた。

細川護煕作 黒茶碗 110万5千円!(売却済)

2012年05月29日 | 焼物
日本橋高島屋前の古美術・陶芸ギャラリー「壺中居(こちゅうきょ)」に、今や有名陶芸家となった元首相・細川護煕さんの作品展を観に行った。
この骨董店、白洲正子が、小林秀雄や青山二郎と出会い、目利きとして苛められ育てられたところだという。

細川さん、60才で政界を引退し、陶芸、書に打ち込んだ。それから14年。
当初、30万円だった抹茶茶碗が今や100万円である。
しかも、初日に売却済み。ファンなのか、将来の値上がりを見越しているのか。

一昨年の作品展で、ご本人にお会いして、二、三、言葉をかけたが、気さくに応対してくれた。
今回は、初日だったためか、素敵な奥様とご一緒だった。

茶陶を始め、皿、湯飲み、ぐい吞み、花入れ、陶仏等…
それも、楽・唐津・信楽・伊賀・志野と多彩である。

招待はがきに掲載されていた白茶碗を見たかったのだが、即座に買い手がついて、撤去されたという。
持ち主にとっては、みんなに触られるが嫌だったのだろう。
だが、図録の表紙になっているものが、会場にないのは、展示会として、それを見たいと思う訪問者を落胆させるのではないか。

で、この黒茶碗、個人的には好きだが、茶が飲みにくそうだ。

樹木を這う

2012年05月28日 | 植物
不安定な天気である。
テニスコートに出かけようとしたら、
突然空が暗くなり、地面にたたきつけるような雨が落ちてきた。

尾瀬では落雷があり、一人亡くなったという。
人には厄介なものだが、植物にとっては恵みの雨だ。
この蔦も、樹木にしがみつくように広がっていく。

語源は、壁や木に伝わって延びていくから「つた」
それは分かるが、なぜ漢字が草冠に鳥なのか。

アンネ・フランクの形見(アンネのバラ)って何だ?

2012年05月25日 | 
一昨日、相方が、高井戸の図書館に行った時のこと。
隣りの中学校構内に咲く、バラの花に目をとめた。
しばらく見ていたら、通りすがりの人が
「これ、アンネのバラっていうんだよ」と教えてくれたという。

なんだか曰くありげな名前なので、調べてみた。
なんと、もとはアンネの父、オットー・フランク氏から送られたものだ。
30数年前、高井戸中学の授業で「アンネの日記と生涯」を題材にした時の感想文集を、
オランダの「アンネ・フランク財団に」送ったところ、
その返礼として、3株が送られてきたという。

5月22日~26日まで、午前中一般公開。
花探し爺は、さっそくカメラを持ってMTBで出かけた。

一応、前知識は持っていたのだが、花が咲き終えるまで4度も色を変えるということを目にすると、
この品種のすごさを感じざるを得ない。

ツボミの時は赤、花が開いて、赤からオレンジ、黄色、さらにピンク、最後は再び花びらの縁が赤くなる。
一枝に一輪ではなく、たくさんの花をつけるため、七変化ならぬ四変化が同時に見られるのだ。

もとをたどったら、ベルギーの園芸家が「アンネの日記」を読んで感動し、
彼女の精神的成長の変化を、一つのバラに託そうと品種改良を重ねたものだという。
完成後、Souvenir d'Anne Frannk(アンネの形見)と名付け、寄贈。

日本には、プロテスタント系教会・聖イエス会の合唱団が、1971年、イスラエルを訪れた際、
偶然オットー氏と出会い、翌年、会の創始者・大槻氏に苗木が送られたそうだ。

高井戸中学では、財団に感想文を送る一方、大槻氏の庭に「アンネのバラ」があることを知り、
苗木の株分けを申し込んだところ、その経緯を知ったオットー氏から直接贈られることになったという。

都立農業試験場(立川市)で、根付くまで育ててもらった苗木は、
1976年6月12日、アンネの誕生日に移植され、挿木などで、今は約100株まで増えた。

1980年、91歳で亡くなったオットー氏の言葉
「アンネ達の悲劇的な死をを同情するだけではなく、平和を作り出すために何かをする人になって下さい」
バラが、そのメッセージを伝えていることに、心を打たれる。

終戦ほぼ一か月前、生を得た自分が、母から「平和を作る人になるように」と名づけられたことの重さを、
改めて痛感させられた。



そんなにじっと見ないで…

2012年05月22日 | アート
晴れていたら、神代植物公園・バラ園を見に行くはずだった。
あいにくの雨。あきらめた。

近隣の家々のバラも雨にうたれてしょぼくれている。

で、まだ花を咲かせていないバラ園にある裸婦像の後ろ姿である。
なまめかしい。

先日、NHKTV「日曜美術館」で、佐藤忠良さんの再放送を見た。
取材をしていたノンフィクション作家の柳田邦男さんが、
「屋外に置かれた彫刻は、光によって、見る角度によって、違う表情を見せるんですよ」
という言葉に、触発された。

ところが、この彫刻、後ろに制作年と名前が刻まれているのに、公園事務所に聞いても、
作者がどんな人か分からない。 
1961.Y.BUSSHIとあるから、分かりそうなものだが、ネットで調べても、出てこない。
都立公園なのだから、設置する際、都庁広場に並ぶ、佐藤忠良、船越保武、朝倉響子のブロンズ彫刻のように、銘板をつけるべきではないか。

ま、都庁はバブル時に建設され、こちらの公園はその30年前に開園、
都の予算も多くなく、無名の彫刻家の作品を購入したのかもしれない。

でも、バックシャンである。正面はどうだったかは覚えていない。
今度、行った時、改めて見て見よう。

リングにはならなかったけど…

2012年05月21日 | データ
金環蝕に日本国中が夢中になった朝だった。
それも、これだけ列島の広範囲で見られるのは、932年(平安時代末期)ぶりだという。
1080年、平清盛が亡くなる1年前。
イエス・キリストが十字架上で召天する時(紀元後28年)、皆既日蝕になったと言われる。
清盛の場合は、そうはならなかった!?

よくまあ、そんな文献が残っているものと驚くが、1143年前(平安時代前期)、
昨年の東日本大震災と同様の貞観地震(869年)が、東北地方を襲った記録も残っている。

今回の金環蝕では、日本で何事も起こっていない。
しかし、大震災の3年前、貞観地震と同様の地震がくる可能性を指摘した学者がいたものの、
あり得ないと無視されたことは記憶に新しい。

話が脇にそれた。金環蝕である。

杉並のもぐらさんのはからいで、日蝕眼鏡を分けていただいた。
その眼鏡で、相方と、交互にくっきり太陽のリングを見ることができた。感謝!

小さな穴のあいたビスケットを太陽にかざすと、
ピンホールと同じ効果がある、と聞いて、試みた。
本当に、いくつも三日月のような形の太陽が白壁に映った。

驚いたのは、それを写そうと、壁を見たら、
私の掛けていたシルバー眼鏡の片隅から、太陽光が壁に射し込み、
凸レンズの働き?で、欠けた太陽が壁に投影していたのだ。

私自身では撮れないため、相方にカメラを託した。
時間が経つうち、リングになった状態は逃した。
しかし、面白い写真が撮れた。

減光フィルターが手に入れば、直接、金環蝕が撮れたのに、残念。

昨日、イタリア北部で地震があり、日本では、鹿児島・桜島が噴火し、
20O6年以降、最多の降灰になったという。
金環蝕現象とは結びつけたくはないが…







ちょっと気が早いですが…

2012年05月21日 | 
まだ季節が早いけど、ガクアジサイが満開だった。
温室で育てたのだろう。
妖艶な花の姿に目にとまった。

世紀の天体ショー。
金環蝕は残念ながら見ることができないかもしれない。

佐藤正明という一こま政治風刺漫画家が、民主党の二つの太陽のマークを金環蝕に見立て、「再び出てくるんでしょうな」「さあどうでしょう?」とあった。

金環蝕は、時が過ぎれば、太陽は、再びいつものように光を放つが、さて民主党は…

神代植物公園の昼下がり

2012年05月19日 | 公園
神代植物公園を訪れたら、いつも昼食をとるのは芝生広場である。
みんな思い思いの場所を取り、持参の弁当を広げる。
だが、今回は時間が遅かったため、子ども達は昼食を終えて、遊びモードに入っている。
多分、小学生と思うが、ウイークデーなのに、学校はどうなっているのだろう。
保護者も引率の先生もいない。

子どもを育てたことがないので、今の学校のカリキュラムが分からない。
この女の子たちは、静かなものだが、男子は、広場を、わがもの顔で走り回る。これには、閉口した。

私たちが食事をしている前を、ほこりを舞いあげながら、全力疾走するのである。
さすが、腹にすえかねて、「食事している人たちの前を走るな!」といっても、「はい」とすまなそうな表情をしたのはひとりだけ。
「子どもたちの公共の場の教育は、どーなっているのだ」と、落ち着かない昼食になってしまった。
今度来た時には、別の場所にしよう。