kazuフォトローグ

「徒然なる日常」を写真で語ります。

上野・寛永寺の甍

2018年06月24日 | 


なんの美術展を見に上野へ行ったのかは記憶にない。
が、途中、左側を見たら、瓦屋根が見えた。

寛永寺である。
調べたら、安藤広重が清水観音堂から見た円形の「月の松」を描いている。

そういえば、何年か前、その「月の松」が復元された観音堂に行ったことがある。
松の枝の向こうに不忍池の弁天堂が見える。
江戸時代の植木職人の粋を感じた。
上野恩賜公園は、様々な発見があるところである。

相方が、間違って何度かJRの回数券を買って、お得券を使いそびれていた。
使用期限が七夕まで。

上野に足を運ぶ理由ができた。
さてどんな催し物があるのか、調べなくては。


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戦乱の世の仏像

2017年06月08日 | 
会期末間近、日本橋室町の三井記念美術館で「奈良西大寺展」を観た。
地味な展覧会のせいか、混雑が気にならない観客数である。
が、老々カップル、若者カップルが、小声ながら、連れに訳知り顔で解説するのが気になった。
黙って鑑賞しろって。

奈良・東大寺は何度か取材で訪れてはいたが、西大寺については全く知識がなかった。
鎌倉時代の高僧、叡尊のことも知らなかった。

なんとか知識を得ようと、解説を読み続けていたら、疲れ果ててしまった。
なぜ、この時代、こんなに寺・仏像が作られたのか。

戦乱が続き、人々の心は疲弊し、仏に救いを求めたのだろうか。
穏やかな表情の菩薩像には、心が癒される。

なんてなことを思っていたら、会場の休息どころで寝入ってしまった。
心地いい休憩時間だった。
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門前の小僧

2017年04月16日 | 

調布市の深大寺参道。
まだ、枝垂桜が淡いピンクの花を咲かせている。

そば屋の店頭で、可愛らしい石像を見つけた。
竹ぼうきを片手に、まさしく門前の小僧習わぬ経を読む、の風情。

おりしも、本堂では護摩を焚き、読経に合わせて、リズミカルな太鼓の音が聞こえてくる。
これじゃ意味が分からなくても、自然に覚えてしまうんじゃないかな?

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わざわざ名所に出掛けなくても・・・黄葉

2016年12月02日 | 

小春日和の昼、近くのラーメン店「たかが」へ。
久しぶりの訪問、人気の味噌ラーメン。
完食したら、おなか一杯だ。
そのまま、帰宅する気になれず、人影のない覚蔵寺に立寄った。
境内のイチョウがみごとに黄葉している。

我が家の界隈は、ほとんどこの寺の地所と聞いた。
新築の分譲住宅も借地権らしい。
どのくらいの檀家がいるのかわからないが、借地権料だけでも、寺の維持はできそうだ。

神社と違って、参拝する人はいない。
ひとりイチョウの黄葉をめでるにはぜいたくな空間だ。

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お掃除地蔵さん

2015年04月02日 | 
調布市深大寺参道。
可愛らしいお地蔵さんを見つけた。
石の新しさから、最近茶屋の店頭に置かれたようだ。

お地蔵さんは、地獄の責苦から救済されることを願うためにつくられたそうだ。
とすれば、お掃除地蔵さんは、手を合わせれば、掃除する苦難から解放してあげるということなのか。

否、掃除は、掃き清めることに通じる。
解放されたいけど、これも修行のひとつと思えば…

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正月のやすらぎ

2014年01月11日 | 
松の内が過ぎて正月気分もすっかり抜けたと思ったら、世間ではまた3連休。
カメラ爺は、普段と変わらないから、休日の実感がない。

ところで、松の内っていつまでなんだ。
調べたら、本来は小正月の15日まで。
関東で松飾りを7日までにしたのは、江戸城下に寛文2年(1662)1月6日(旧歴)、大正月の7日までを松の内にせよ、と幕府から通達があったことからだそうだ。
関西はいまも小正月までを松の内にしている。
なるほど、15日にどんど焼きをするのは、本来の松の内終了の行事だったからなのだ。
近所の下高井戸八幡では、いまも茅の輪や初詣の幟が境内に並んでいる。

一方の覚蔵寺の境内は実に静かだ。
入口の竹林が心を和ませてくれる。
こちらの方がはなやかな正月飾りより風情があるような気がする。

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新宿鬼子母神?

2013年07月26日 | 
ニコンショールームのある西新宿のLタワー28F。
月1回、フォトサロンを訪れる。
エレベーダーホールから見下ろす左下の一角が気になっていた。
ビルの谷間に墓地があるのだ。
ズーミングすれば、概要はわかるのだが、シャッター押すのを躊躇してしまう。
調べたら、常泉院。
新宿鬼子母神とある。
あれ? 鬼子母神は入谷だけじゃないの?

それはさておき、こんなところにに墓地があることに驚いた。
ていうか、もともと寺のあった地域にビルが建ち並んだだけなのだ。
何も知らないよそ者が、とやかくいう筋合いのものではない。
しかし、違和感があるのは事実である。
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谷中七福神の一つ、大黒天、だって…

2013年07月05日 | 
谷中といえば、みそをつけて食べる葉しょうがくらいしか知らなかった。
江戸時代、上野と本郷の二つの台地の谷間だった谷中が特産地だったことから、
この名がついたという。
今や練馬大根同様、農地はなく、名前を残すのみだ。
その一角に、谷中七福神の一つ、大黒天をまつる護国院がある。

やたら寺が多いと思ったら、かつては上野公園全域が、
徳川家の菩提寺寛永寺の境内で、
谷中に、多くの子院が建てられたという。
寺町と言われるのも納得がいく。

七福神の御開帳は、毎年元旦から10日。
ご利益を求めて、たくさんの人々が参詣するそうだ。

だけど、なんで寺が七福神をまつるのか。
ヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁財)、仏教(布袋)、道教(福禄寿・寿老人)、
それに日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入り混じった日本特有の神仏習合の信仰。

牧師の家に生まれ育ったカメラ爺だが、毎年、神社仏閣に参詣する。
根は日本人の心と同じ、ということか。

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追悼…合掌

2013年06月01日 | 
昨夜遅く、元会社の仲間から電話があった。
退社して以降、まったく連絡していなかっただけに、気になった。

案の定、いい知らせではなかった。
45年前の入社時、ずっと面倒をみてくれた恩師・創業者の訃報である。

編集・取材などの仕事を、一から教えられた。
随分怒鳴られ、嫌味も言われ、訛りを口真似された。
悔しかったが、なにくそと耐えた。

はじめて一人で農家を取材した時、
節くれだった手のひらにのせた麦の穂の写真を
「いいね」と言ってくれた。
やる気が出た。
あれからもう半世紀近く経った。

6月1日の通夜は、目黒の五百羅漢寺・羅漢会館。
案内図がわかりにくかった。

交差点で、年配の女性に道を尋ねると「私も行きますから、一緒にどうぞ」
見ず知らずの方の誘いだったが、道がわからないのでタクシーに同乗させてもらった。
それが、まさか五百羅漢寺の方だったとは…
偶然とはいえ、こんなことがあるのだ。
丁重にお礼を述べた。

後で調べたら、開山元禄8年(1695)の由緒ある禅寺だった。
かつて五代将軍綱吉・八代将軍吉宗の援助を受け繁栄したという。
あのチベット旅行記を記した河口慧海が住職だったというのも驚きだった。

故人には、退職してからお会いすることはなかったが、通夜に出席できてよかった。
訃報をくれた、元会社の仲間に感謝である。







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ここは京都・老舗旅館の中庭か?

2013年04月26日 | 
こんなところに、こんな中庭があったのか…
東京新聞(4/23付)の朝刊を見なければ、来ることはなかっただろう。
4月初めから、深大寺客殿の1階ロビーに、
かつての深大寺境内の精密なジオラマが展示されているという。

深大寺のボランティアガイドに尋ねたら、
「なんですか、それ?」
しかし、親切に客殿まで同行してくれた。

入口に「法事または所用のある方以外は入場お断りします」とある。
「まずいんじゃないですか」と私。
「ジオラマ見るのも所用でしょ」とガイドさん。

いささか愛想のない寺の人が、案内してくれた。
新聞記事が書いているように、ジオラマは、木々や桜並木などにいたるまで、実に細かく再現されている。
それはそれでいいのだが、もっと驚いたのは、総ガラス張りのロビーから見た中庭だ。

鮮やかな新緑、茶室に導く待合と露地。
まるで、京都・老舗の宿のロビーにいるようだ。
茶道をたしなむ人たちでなくとも、一見の価値あり。
だけど、寺の受付のお坊さんと尼さんの愛想のなさはいただけないな。
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