昨夜遅く、元会社の仲間から電話があった。
退社して以降、まったく連絡していなかっただけに、気になった。
案の定、いい知らせではなかった。
45年前の入社時、ずっと面倒をみてくれた恩師・創業者の訃報である。
編集・取材などの仕事を、一から教えられた。
随分怒鳴られ、嫌味も言われ、訛りを口真似された。
悔しかったが、なにくそと耐えた。
はじめて一人で農家を取材した時、
節くれだった手のひらにのせた麦の穂の写真を
「いいね」と言ってくれた。
やる気が出た。
あれからもう半世紀近く経った。
6月1日の通夜は、目黒の五百羅漢寺・羅漢会館。
案内図がわかりにくかった。
交差点で、年配の女性に道を尋ねると「私も行きますから、一緒にどうぞ」
見ず知らずの方の誘いだったが、道がわからないのでタクシーに同乗させてもらった。
それが、まさか五百羅漢寺の方だったとは…
偶然とはいえ、こんなことがあるのだ。
丁重にお礼を述べた。
後で調べたら、開山元禄8年(1695)の由緒ある禅寺だった。
かつて五代将軍綱吉・八代将軍吉宗の援助を受け繁栄したという。
あのチベット旅行記を記した河口慧海が住職だったというのも驚きだった。
故人には、退職してからお会いすることはなかったが、通夜に出席できてよかった。
訃報をくれた、元会社の仲間に感謝である。
退社して以降、まったく連絡していなかっただけに、気になった。
案の定、いい知らせではなかった。
45年前の入社時、ずっと面倒をみてくれた恩師・創業者の訃報である。
編集・取材などの仕事を、一から教えられた。
随分怒鳴られ、嫌味も言われ、訛りを口真似された。
悔しかったが、なにくそと耐えた。
はじめて一人で農家を取材した時、
節くれだった手のひらにのせた麦の穂の写真を
「いいね」と言ってくれた。
やる気が出た。
あれからもう半世紀近く経った。
6月1日の通夜は、目黒の五百羅漢寺・羅漢会館。
案内図がわかりにくかった。
交差点で、年配の女性に道を尋ねると「私も行きますから、一緒にどうぞ」
見ず知らずの方の誘いだったが、道がわからないのでタクシーに同乗させてもらった。
それが、まさか五百羅漢寺の方だったとは…
偶然とはいえ、こんなことがあるのだ。
丁重にお礼を述べた。
後で調べたら、開山元禄8年(1695)の由緒ある禅寺だった。
かつて五代将軍綱吉・八代将軍吉宗の援助を受け繁栄したという。
あのチベット旅行記を記した河口慧海が住職だったというのも驚きだった。
故人には、退職してからお会いすることはなかったが、通夜に出席できてよかった。
訃報をくれた、元会社の仲間に感謝である。
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