ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

平和な和子の自分史

2012年07月01日 09時41分30秒 | ブログ

 6月29日(金)、夫がリハビリを休むというので、ぽっかり時間が出来てしまいました。何をしようかなと思うとやることが一杯。年金者組合の方から自分史を書いてほしいと頼まれたことを思い出しました。いざ自分史を書こうと思うとなかなか書けないものである。いざ出陣!

 1946年(昭和21年)11月に、安城市(旧桜井町)で生まれ、兄、姉、弟2人の5人兄弟の真ん中でした。安城市周辺は日本のデンマークといわれ、田園風景が広がり、近くの小川や田畑でタニシやドジョウを捕まえて、自然に恵まれた環境で育ちました。     

父は当時電気屋を営んでいました。戦後の復興で電気屋は儲かったのか、私が小学2年のときに、名古屋の広小路通りに面し、千種駅の近くに引っ越しました。1階の一部を電気工事器具の名古屋支店として父は仕事をしていました。2階が住まいでした。突然の都会の暮らしで、小中学生はおとなしく、目立たない子どもでした。

 中学生になると少しづつ勉強もするようになって、成績もよくなりました。高校、短大も公立に進み、大学では、ワンダーフォーゲル部に所属し、登山や街道歩きに夢中でした。

 短大卒業とともに、私立保育園に就職するが、子どもが定員以上もいて、ひどい条件の保育園でしたので、他の保育士とともに私立保育園の組合に入り、組合活動を行っていました。そんな中、みなと勤労者山岳会にも入り、山仲間といろんな山を登っている中、夫と知り合いました。夫は、組合活動で首切りにあい、解雇撤回闘争をしていて、労働組合で働いていました。

両親に反対されたが、1971年に結婚し、長男が生まれて、すぐに喘息になり、当時父と母が佐屋町に住んでいましたので、少しでも空気のよい環境で育てたいと1974年に佐屋町に引越ししました。

1975年次男、1977年長女が誕生して、産休明け保育のみなと共同保育所に7年勤務。1986年ニット会社の事務員として7年働き、1991年に佐屋町会議員として立候補。初当選は一日だけの選挙で無投票当選でした。

 初めての議会は「アトピーの子どもたちの給食について」「一人暮らしの高齢者対策」だったように記憶しています。地域の皆さんに支えられて、子ども、高齢者、女性の声を議会に届けるために、何とか議員としてがんばることが出来ました。下村議員が県会議員に立候補され、やめられてから大変でした。合併の是非を問う住民投票条例制定運動、善太新田町の舟券売り場の撤回させた運動など取り組みました。佐屋町議員として14年。

 

 2005年愛西市会議員となり、共産党議員8人で1年。4人で4年の議員生活はそれぞれ個性のある議員が力を発揮し、多面的な要求を取り上げてきました。週1で「赤旗読者ニュース」、4回の議会ごとに議会報告「愛西民報」を発行続け、年一度「市民アンケート」を行い、市民の声を聞いて議会で取り上げる活動を行ってきました。2010私を支えてきてくれた夫の病気を理由に19年間の議員生活に幕を下ろしました。

 夫もまだ自分のことは自分でしてくれていますので、いままでできなかったこと。やりたかったことをやっています。そういう意味では一番幸せな時期かもしれません!

 しかし、民主党が政権をとり、昨年の311東日本大震災後。日本の社会は大きく揺れ動いています。そして今、55のこどもの日に原発がゼロになったばかりなのに、またおおい原発を稼動しようとしています。原発再稼動反対、消費税増税反対の大きなうねりが国民の中で巻き上がろうとしています。私は子や孫に放射能汚染はさせてはならないと命の続く限りがんばらなければならないと強く決意しているところです。

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ふる里を愛するレシピ

2012年07月01日 09時31分44秒 | 食・レシピ

P1010564   6月28日(木)、午前中、「ふるさとレシピ」講座に参加。山田管理栄養士の指導の下、愛西市の特産物であるレンコンづくしのメニューを5人グループで5品(「鮭とレンコンの炊き込みご飯」「レンコンの蒲焼」「レンコンの真砂和え」「レンコンの磯辺焼き」「蓮根ドーナツ」)を作りました。やはり主婦のベテランばかりで、手際よく次々にレンコン料理が出来上がりました。レンコンは時期的には単価が一番高い時期で、手に入れるのも苦労されたということでした。冬の一番安い時期にもう一度挑戦することにします。

 弥富市の友人から、「新聞に宮本さんが着物で写っているよ」って携帯がありました。午後一緒に行くことにしました。20年前ニットの会社で働いていた友人で、中川区からも一緒に来てくれました。ちょうどひばりとともに人生を生きてきた年齢で、彼女にカラオケを教わりました。特にひばりの「おまえに惚れた」がとても上手で、流し目で、「おまえに惚れた!」と指を指されると女性でも惚れ惚れしたものです。そんな彼女たちが私に言うには「宮本さんは100まで生きるよきっと」ですって。「自分のことは自分にやって人に迷惑かけなければ、100歳まで生きてもいいね。柴田トヨさんみたいな生き方をしたい」と話しました。2時間もしっかり話し込んでしまいました。

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