かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

低音の魅力・・・フランク永井さん逝く

2008-11-02 17:35:00 | インポート

例年よりも暖かい気温が続いてノンビリしていましたが、気がつけば暦は11月のそれとなりました。
さすがに木々の葉も落ち、冬囲い作業もピッチを上げねばなりません。

氷雨の合間をかいくぐっての作業途中、ふと見たNetニュースの中で「フランク永井さん」の逝去が報じられていました。

長いあいだ闘病生活を送り、忘れ去られた人ではありましたが、私たちの年代の青春期に「甘酸っぱい夢とそこはかとないロマン」を与えてくれた歌手ではありました。

昭和32年と言えば、戦後の混乱がまだいくらか尾を引いていた時代で、景気も低迷していたころでした。
大学卒の初任給が13000円、高卒のそれが8000円ほど・・・そんな時代です。

駐留軍のキャンプなどでジャズなどを歌っていたフランク永井さんが、「東京午前三時」「夜霧の第二国道」で歌謡界にデビューしたのがこの年です。
「有楽町で逢いましょう」が爆発的ヒットとなり、一躍スターダムに伸し上がりました。
――この曲は「有楽町そごう」のキャンペーンソングともなりました――

持ち前の低音で醸し出す氏の歌唱は、地方の若者たちを大都会へ誘い出す大きな要素にもなった・・・と、いまにして想うのです。

昭和35年に歌った松尾和子とのジュエット曲 「東京ナイトクラブ」はいまでもカラオケで、おじさん達が女性とホンワカムードになりきる名曲として歌い継がれているのです。

昭和34年の「夜霧に消えたチャ子」(第一回レコ大の歌唱賞受賞)
昭和40年の「妻を恋うる唄」
昭和52年の「おまえに」
などなど、人々に口ずさまれた名曲は数かぎりがありません。

あたらしい時代と世相が、氏の頭上を通り過ぎていくようになった昭和60年、自らの命を絶つ事態になりました。一命は取り留めたものの、以来人々から忘れ去れてきょうに至りました。

一世を風靡した歌い手が、ふたたび世に出ること無く寂しく去って逝くという報道を読んだこの日・・・・

氏の「ロマンあふれた低音の魅力」に酔いしれた同世代の一人として、哀悼の詞も見つかりません。