先回、北海道新幹線の工事が「新函館駅(仮称)」から始まったと書きました。
それより前、函館で蠣崎波響の作品「夷酋列像」展が開かれていることも書きました。
展示作品の見事さに感嘆しつつ、会場隣の「五稜郭・函館奉行所」を見物してきました。
函館奉行所は、幕末の幕府の対外重要政策の一つとして、函館山山麓に建てられていましたが、元治元年(1864年)現在地に五稜郭が造られそこへ移転新築されました。
<o:p></o:p>戊辰戦争で負け続けた脱走兵がここに立てこもり、「蝦夷共
和国」としての独立を旗印に、官軍と熾烈な戦いを繰り広げましたが、明治2年(1869年)官軍の勝利で「函館戦争」は終結しました。<o:p></o:p>
その2年後の明治4年(1871年)、函館奉行所は閉鎖解体されました。
函館市民他の熱意により、復元計画が持ち上がり、平成18年(2006年)に工事が始まり、平成22年(2010年)復元工事完了、同7月29日一般公開にこぎつけました。明治初期の解体から実に140年ぶりに姿を現したのです。
現存する多くの資料と奉行所跡地発掘遺物などを丹念に調べ、全国の匠の技術を結集して、4年の歳月と28億円あまりの費用をかけて復元されたのです。
それから2年、いまでは「五稜郭」の景観とともに「函館奉行所」は立派な観光施設となり、函館の経済に寄与しています。
五稜郭と函館奉行所の主役は、なんと言って元新撰組副長「土方歳三」です。
毎年、土方が戦死したとされる5月11日前後に「土方歳三コンテスト」が催され、土方歳三に扮して戦闘場面を演じます。
今年は25回目の開催で、17歳の女子高生が優勝したそうです。
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明治期以降に開拓された「北の国」は、それ以前の和人の文化がほとんどありません。
わずかに「松前藩」を中心にした道南地方にそれらしきものが残っています。
いまでは函館が歴史回顧の中心地となり、「五稜郭と函館奉行所」は重要な位置を占めることになっているのです。<o:p></o:p>