かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

「爆買い効果」の裏側で・・・

2015-09-20 21:07:18 | 日記

北海道観光振興機構(札幌)というところで、増える中国人観光客に日本の習慣を正しく理解して道内旅行を楽しんでもらおうと、旅のマナーを中国語で解説した冊子を初めて作成しました。

多くの道内観光業者が、日中両国の習慣の違いから生じるトラブルを減らそうと、機構が発行した4千部に期待していますが・・・

 

 冊子「北海道旅行常識」はB6判でカラー12ページ。宿泊や飲食、買い物などの場面別に、やってはいけないことなどをイラストと文章で紹介しています。

バイキングの事例のほか「飲食店で食べかすを床に落とさない」「ホテルの部屋から消耗品以外の備品を持ち帰らない」「大浴場で泳いだり騒いだりしない」「使用後のトイレットペーパーを、トイレに流しゴミ箱に捨てない」「店で会計待ちの列に割り込まない」「会計前に商品の包みを開けない」などの18例を「〇×方式」で示しています。「〇印」は3例だけだそうです。

 

ところが、一部の観光業者や中国系旅行者から「・・・ばかにしていないか?」と言ったクレームが出ているようです。

とは言うものの 機構には道内130施設から1万8千部の増刷要望があり、マナー周知の必要性を重視する観光施設は少なくないと見て、一部表現を変えて11月に2万部を増刷し配布する予定とのことです。

 

以下は、先日訪れた「観光地ホテル」の送迎バス運転手さんの話しです。

公共交通機関で訪れる予約客を、定点3ヶ所を定時に巡回して送迎するのですが・・・

中国のお客は、先ず時間を守らない、その日のうちに来れば良い、という感覚

で予定の時間に現れない。やむなく次の定点へ巡回せざるを得ない。

結果あとからタクシーでホテルへ到着した中国人客は「送迎バスが居なかったのだから、タクシー代を出せ!!」とホテルに要求するのだそうです。送迎バスの運転手さんは「神経が疲れ、胃が痛く夜も眠れなくなった」と嘆いていました。

その他、冊子に書かれているような「驚きの行為」は普通のことのようです。

利用された部屋は、まるで「乞食小屋」のように荒らされ、汚され、備品は持ち去られるありさまとのこと。(すべてのお客が、では無いようですが)

 

この国のGDPの数値にまで影響を与えつつある「中国系観光客の“爆買い”」も、わが国の観光客が辟易し、現場で働く末端の人々に大きな負担となっていることをじゅうぶんに認識し、対策を講じねばなりません。


異色の絵と「蠣崎波響」 

2015-09-06 09:17:53 | 日記

  

夷酋列像 」を紹介する展覧会が9月5日、北海道博物館(札幌市厚別区)で開幕しました。

江戸期も後半、10代将軍・徳川家治、11代家斉の時代です。

蝦夷地松前藩に「蠣崎波響(かきざきはきょう)」という家老が居りました。

12代藩主の五男に生まれ、のち家老職の「蠣崎家」の養子になります。

幼いころから「画才」があり、長じて師につき学びました。

 

幕府が蝦夷地を直轄領にした時期があって、そのあいだ松前藩は「陸奥国伊達郡梁川藩」に移封されました。

石高も少なく、物なりも貧しい梁川から、もとの松前藩に戻れるよう、家老「蠣崎波響」は苦労しました。その当時さかんに絵を描きあげ、金銭に変えたり、時の幕府老中に嘆願の賂いとして贈ったりしたようです。

寛政元年(1789年)の『クナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)』で、松前藩に協力したアイヌの酋長を描いたのが『蝦酋列像』12点です。

寛政3年この絵を携えて上洛、評判になり「光格天皇」の天覧に御され、波響の名は一躍高まることになります。

この絵は、長らく行方不明でしたが、1984年にフランスのブザンソン美術考古学博物館で1点を除く11点と序文2点が発見されました。

 

今回の展覧会は、3年前の「函館近代美術館」での展覧会に次ぐ催しで、模写1点を含む12点や、その他関連品が展示されています。

 

蝦夷地の松前藩と言えば、原住の「アイヌ民族」を搾取、虐げたことで悪名を残しています(幕府直轄領になったのも、反乱蜂起が多発して、統治の不手際が咎められた)

そんな松前藩で、ただ一人後世に名を残すことになった『蠣崎波響』は、【夷酋列像】の絵と共に燦然と輝いているのです。


誰も言わないようですが・・・

2015-08-28 20:19:07 | 日記

 

大阪の高槻市で起きた、「男女中学生・殺人遺棄事件」はなんともやりきれない出来事です。犯人として逮捕された男には憤りを覚えます(間違いなく犯人ならば)

 

この国で殺人事件とその被害者数は、年々減っているのだそうです。

統計が取られ始めた頃の昭和30年(1955年)の2,119人をピークにして、平成元年(1989年)は767人、平成24年(2012年)には383人にまで減っています。

数字的には確かにそうかもしれませんが、わたし達の感覚では逆に増えて居るように感じます。幼児、少年少女、婦女子への残虐的な事件が大きく報道される所為でしょうか。

とりわけ最近は、若年婦女子が深夜、未明の路上で襲われ、被害に遭うケースが多く見受けられます。

 

おのれの欲望から事件を起こす加害者には、当然ながら怒りを覚えるのですが・・・

このたびの高槻市で災難に遭った被害者の冥福を祈りつつも『少年少女がなぜ深夜、未明まで街なかを徘徊しているのか?』『家族はそんな子供の行動をなぜ黙認しているのか?』『危険に対する配慮、心構えは?』などの思いが頭に浮かんできます。

いつもそうですが、事件を起こす犯人への怒りや、憎しみだけが報道されます。今回の高槻市事件でも、だれもが「被害者への同情と哀惜を言います。

彼らの思慮分別の欠如」を語る人は居りません。

世間や周りの人々を、疑いの目で見ながら過ごす日々の生活は、なんとも味気無いことですが、「安全神話」が崩れつつあるこの国で、せめて「もしかしたら?」と、『思慮分別』のある行動をとって欲しいものと、強く思う昨今なのです。

 


 70年目の暑い夏の日  2015年8月15日

2015-08-15 10:17:43 | 日記

あれこれと話題になっていたこの国の首相の「戦後70年談話」でした。

昨夕に発表された談話は、一応の評価はされたようですが、なにか「空々しく」世論を気にして本意でなく、仕方なく「綴り方」をしたような感があります。

 

毎年8月15日の、夏の暑い日を迎えると、鮮やかに想いだします。

遠い親類に、肩身狭く暮らした疎開先から、母親に手を引かれて汗を流しながら田舎道をトボトボと歩き、一日掛かりで自宅に帰ってきたことを・・・・

 

近所の家々に人影も無く、台所から流れていたドブ溝は、カラカラに干上がって、そこに無数の「敗戦を告げる赤いビラ」が散らばっていたのです。

 

我が家は幸いなことに、父親も長男も徴兵年齢から外れていたため戦地へ行くことはありませんでした。

ですが、戦後10年あまりの都市部の生活は困難を極めました。

 

今考えると両親はどのような方法で大勢の子供たちを養ってくれたのか・・・今の世の物の豊かな生活からは想像もつかない苦労があったことでしょう。

 

「無駄な、馬鹿な戦争」だったと呪いながら、明治生まれの両親のしたたかさ、強さをあらためてかみしめ感謝しながら・・・・・、

きょう、8月15日の暑い日差しを顔に受けてみたりするのです。

 


北海道新幹線開通の光と影

2015-08-11 15:55:22 | 日記・エッセイ・コラム

 

お盆休みに入って、列車での帰省客でどちらの主要駅も、混雑を極めているようですが・・・・

新幹線の導入により、取り残される地域の嘆きについては、ここでしばしば書いて来ました。

 

来年(2016年)3月、いよいよ北海道新幹線が、部分開通(新青森駅~新函館・北斗駅間)の運びとなりました。すでに新車両も導入され、目下試験運転に余念がありません。

観光地「函館」は通らないものの、函館市を中心にして全道が盛り上がっています。将来的には「新函館・北斗駅」から札幌まで、さらに札幌駅から旭川までの計画が了承されています。

 

 

「新幹線開通」の喜びの裏で、あいかわらず過疎地域の交通手段である「地方路線」の廃止が決まり、また廃止予定が地域に通告されつつあります。

江差追分で知られる「江差」へのアクセスだった「江差線(木古内~江差間)」は。2014年5月に廃止され「バス運行」で地元自治体と折り合いがついて実行されています。

 

 

さらに、新幹線開通で「盲腸」のようになった「函館駅」と「木古内駅(新函館・北斗駅)」は、列車を走らせるものの、在来江差線のうち「五稜郭駅~当間駅」間が、第三セクターの「道南漁火鉄道」に移管されることになっています。

 

 

いまのところ新幹線とは直接関係が無いような、内陸の鉄道路線も何路線かが風前の灯となっています。

日高本線は、2015年1月に台風による高波で 、線路脇の土壁や土台が大きく削られ、いまだに部分運行を余儀なくされています。JR北海道はその補修に57億円と1年有余の日数がかかると言っています。補修しても、今後「費用対効果」は見込めず、どうやら「路線廃止」の方向が本音のようです。

 

 

さらに「留萌線(深川~増毛間)」が、利用客減で、経営が成り立たず廃止路線としたい意向とのこと。手始めに(留萌~増毛間)から廃止しようとの魂胆です。「増毛駅」と言えば、あの高倉健主演の「駅・STATION」の舞台となった、小さな漁村のある町です。

過疎で、自家用車が普及しているとは言え、公共交通手段の廃止はさらなる限界集落化するのはまちがいありません。

 

と言ったように「北海道新幹線」開通に沸く北の地ですが、一方では地方に何の恩恵も無く、新幹線開通のための、なにがしかの費用負担を強いられ、あげくの果てに「利用路線」が廃止されるのです。

 

ものごとには、何時でも「裏と表」「光と影」がつきものですが、全国てきに「置き去りにされる地方」の悲しみは、これからもますます大きくなって行くことは間違いありません。