中国大会のことを。
今回の最初の山場は4継でした。ここで本気でインターハイを狙いたい。47秒5を出せればインターハイに届くという話をずっとしていました。私が以前インターハイに4継で出場した時は48秒2で5位、48秒1で4位でした。当時とは状況が異なりますが。tokushoの時は春先から49秒2、hoshoの時は48秒1で走っていました。これくらい春から走れれば間違いなく届くなという印象を持っていました。
この4月にレースに出た時、50秒0でした。ここは衝撃的な話です。全く走れていない。バトンが詰まっていたのはあるのですがそれでも50秒かかるというのは想像できない話でした。そこから47秒5を目指すというのは想像できない。それでもインターハイを狙うならやらないといけない。バトンに関しては徹底していました。が、中国合宿後に見てみると詰まる感じが強くなっていました。スピードに乗らずにバトンを渡す感じ。これでは絶対に戦えません。
このタイミングで1年生が入ってくる。2人しかいませんが1人は中学校の時に12秒52で走っている。この子を1走に投入することに。上級生でも対応できると思っていましたがロングスプリントとの兼ね合いもあるので別でやることにしました。とはいえ、1年生はこれまでほとんど練習をしていませんから大きな戦力になるかどうは未知数。ほとんど走らせていませんが足が痛くなるので無理はさせられない。支部大会でやっと49秒に入ったというレベルのリレーでした。かなり厳しい。
その状態で中国で47秒5を目指す。走力的には可能なレベルまで来ていました。客観的に見て充分達成できるかなと。県総体でやっと48秒2まで来た。これが春先に出ていないと行けないタイムだったのですが。とにかく間に合うかどうか。前の記事にも書きましたが4月末の織田記念で全く勝負にならなかったので調整を度外視して強化をすることに。間に合わない部分を無理矢理でも間に合わせるために突貫工事のような状態で。
中国大会前はかなり上がってきていると感じていました。バトンも安定。他の学校よりは間違いなく質の高いバトンができていました。それでも中国地区のレベルが間違いなく上がっています。うちには「スーパーエース」はいません。他校には12秒0で走るエースが何人もいます。そこの差を埋めるためにはなんとか誤魔化さないといけない。「力勝負」では勝てないのでバトンで誤魔化しながらという感じだったと思います。
中国大会の予選、動きは悪くない。が、アンカーが若干の力みが見られました。元々力むと上に抜ける走りになる。3走まではある程度来ましたがアンカーの力の発揮ができずに48秒32。ここの部分をどうするか。話をしながらどう修正するか。流れ的にはかなり厳しかったと思います。予選から47秒台に入っておいてそこから記録を上げていければ可能性があるかなと思っていたので。48秒32から0.8秒上げるというのは流石の高校生でも厳しい。この日の全てを準決勝のアップに注ぎました。
アップの段階ではかなり行けそうな雰囲気になっていました。アンカーも本来の力に近付いている。このプレッシャーの中で勝負を分けるアンカーを走るというのは大変なことだと思います。昨年は50秒でしか走っていないチームで中国大会でいきなり上を目指す。ここは難しいのかもしれません。現実味が湧かないのかもしれない。事前のランキングでは7位くらいだったと思います。が、まだ力的には10番目くらいだと認識していました。その中で選手達を鼓舞しながら「47秒5」を目指す。それができなければ勝負はできませんから。
1日目の最後の準決勝。一番アウトレーンでした。カーブが緩い方が走りやすいと思っています。前半から積極的なレースができました。バトンは全体的に少し詰まり気味。が、ロスは最小限。アンカーに渡った時には3着くらいだったか。そこから粘ってはくれましたが結果的には47秒91。大幅チームベストですが着順では入れず組の5着。プラスの2番目です。あとは神頼みするしかない状況。2組目も接戦。4着が47秒89。この時点でインターハイへの道が閉ざされました。
たった0.02秒ですが大きな差です。取り返しのつかない0.02秒。バトンが詰まり気味でなかったというのはいつも通り「たられば」です。無意味。結局「力不足」でしかありませんでした。なんとか47秒台が出せましたがエースがいない中で戦ってきた結果だと思います。最低でも12秒0で走れる選手が1人。できれば平均値をそこに上げられないと。
結局、インターハイに進んだチームは47秒56でした。予想通り。うちが弱かったのが原因です。ひいては私がきちんとした指導ができなかったのが原因。力を上げ切ることができなかった。指導者として失格レベルだと思います。2秒以上伸びたという評価は意味がないと思います。「結果を残す」と選手に話してきたのに結果このレベルまでしか伸びなかった全ては私の責任だと思っています。取り返しのつかない話。
わがままを言って指導させてもらっていたのにこの結果。選手が涙を流していました。その姿を見て「何をしてきたのか」という思いが強くありました。4継で本気で狙ってインターハイに行けなかったのはhoshoで8位になった時のみ。あの時は3走が走っている時に足を痛めました。これも言い訳でしかない。今回は元々優れた走力があった選手達ばかりです。力を引き出せなかった。間に合わなかったというのは自己弁護でしかない。引責辞任も考えるべきだと真剣に考えています。それくらいの取り返しのつかないことをした。インターハイを狙ってやっているのにインターハイに届かなかったというのは謝罪しても許される話ではありません。
行けたら良いなではなくて「インターハイに行く」という部分で狙っていました。本当はインターハイで戦うことを目指してやらないといけない。が、インターハイに行くことが目標になってしまっている。このレベルで偉そうにblogにあれこれ書いているというのは厚顔無恥だと思いますね。
それでもここで終わりではない。翌日からまたレースがある。気持ちを奮い立たせて取り組まないといけないと思っていました。選手には「全てを私の責任」という話だ消しました。選手はよく走ったと思います。チームベストです。2年生3人、1年生1人のチーム。次があると言われるかもしれません。が、大切なのは「今」です。来年のインターハイのためには行っておかなければいけなかった。
上手くまとまりません。悔しさというよりは力不足を感じています。勝つために何をするか。本当に考えないといけない部分だと思います。記録しておきます。責任は全て私だと思っています。選手はよく走ってくれました。