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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

「料理する」と「レシピを作る」

2020-06-27 | 陸上競技

感じている部分を。

 

前の記事にも少し書きました。「こういう風に動かしたいな」という「感覚」があります。以前からいろいろなことをやっています。それが全て「走ること」につながっていくといいなと思っています。しかし、「目に見えた成果」が分かりにくい部分がある。例えば「バランス系」でT字や片足支持などをやる。さらには「体幹バランス補強」として「手足の同調」と「身体の中心から動かす」「軸の感覚」を意識した練習を入れます。これは「やっているだけ」になりがち。手を伸ばした時に「身体のラインがまっすぐになるかどうか」が重要ですが、ひじが曲がっていたり、足を真っすぐに伸ばせなかったり。これでは「なんとなくやっている」だけで本来的な「練習の目的」を果たせません。

 

実際の練習では「細かい部分」にこだわっています。正確性を重視。もちろん、それを支えるのは選手が「きちんとやる」という考え方を持っているかどうか。さらには「どのような意味があるのか」を理解する姿勢があるか。この部分が重要だと思っています。どれだけ「組み立て」を考えて説明書を作成しても、実施する側が「とりあえず積めばいいんでしょう?」という感覚で「形だけ」やっていたら「完成するもの」は全く別物になります。

 

私は料理をしないので例えが適切かどうか分かりませんが。「同じ材料」がある。その「材料」を調理して「料理」を作っていく。美味しいものができるかもしれないし、全く食べられないものができるかもしれない。これは「調理の仕方」に大きな影響を受けます。以前は「調理する」というのは「指導者」がやるものだという感覚がありました。「選手」に対して「正しい指導」ができれば選手は「速くなる」という感覚。これは「間違い」ではないと思っています。

 

しかし、最近は「料理」をするのは「選手自身」だという感覚が強くあります。私自身は「レシピ」を作って提供する。そのレシピの「美味しく作るためのワンポイントアドバイス」をするのが今の私の役割ではないか。以前は「きちんと料理をしないと」というのを伝え続けていました。「材料」は目の前にあるのだからそれをきちんと「調理」すれば「美味しくなる」という考えだったのかなと。

 

この1か月間、選手の様子を見ていて気づく。こちらが距離を置きながら見ていても「美味しい料理を作りたい」と思う選手は「調理方法」をしっかりと吟味しているのです。「作りなさい」と言われてから「レシピ」に従って「作るだけ」ではなく、「どうすればこの食材を美味しくできるか」とか「食欲がわく形に切れるか」などを考えて「工夫」します。それが最後に「料理」として出てくる。

 

「同じ材料」だから「美味しい料理」になるわけではない。それを調理する「選手自身」が「美味しい料理を作りたい」と思って「創意工夫」をするかどうかだと思います。

 

「足を上げる」という動作。「とりあえず上げる」のか。「股関節が詰まるようにしたら結果的に足が上がる」のか。同じ「足を上げる」という動作であっても「使い方」や「意識するポイント」がわかるかどうか。それを分かろうとするかどうか。この部分は大きいと思います。

 

私は「レシピ」を作る。「身体の中心から動かす」「腸腰筋を使って引き揚げる」という「動き」をするためにどのような「順番」でどのような「材料」を配置するのか。やりたい動きに向けて「何をするのか」を考えておく。実際にそれを「選手がどうするか」だと思います。走るメニューを増やせば「速くなる」とは思いません。どのような「組み立て」があって「順番」が存在するのか。1つの順番が違えば「完成品」は全く別のものになる。

 

中には「塩」と「砂糖」を間違えて「レシピ」を作る人もいます。きちんと「レシピ」を作っても調理する人が間違えることもあります。最後の味付けの部分で失敗するとすべてが台無しになることもある。そういう視点で「競技の指導」を考えると「自分が何をするべきか」が見えてきます。私が「料理する」わけではない。選手自身が「美味しい料理を作りたい」と思って何をするのかだと思っています。

 

中学時代に競技力がある選手がいたとしても「レシピ」が違えば上手くいきません。同時に「調理する」部分が違えば「全く違う味」になります。そう考えると今やっていることは楽しいなと思っています。「強制的に練習をさせる」という気持ちは全くありません。威圧的に練習をさせることもありません。何人かは見ていると「調理する」ことが「楽しい」んだろうなと感じます。

 

これまでいろいろな形で「競技指導」をしてきました。今、自分のスタンスが「確立」しつつあるのかなと思います。「競技」について厳しい指導はほぼしません。「取り組みの姿勢」については半端なく厳しくやります。ここは今も昔も変わらないかもしれませんが。

 

面白いことに「表情」が違います。真剣な表情なのは変わりませんが「自分の身体について知ろう」という部分であったり、「次はこうしてみよう」という意識が歩いている姿にも感じられる部分があります。この流れが本物になれば随分違う結果になるのかなと思っています。「やらされる」のではなく「自分が調理する」という感覚の中で活動ができれば「変わっていく自分」に対してワクワクする部分が出てくるのだと思っています。

 

とりあえず「レシピ」づくりをしっかりとやりたいと思います。その中で「何を伝えるのか」です。技術的なことだけやっておけばいいという気はサラサラありません。そこだけを求めて「指導してほしい」と言われるのであればちょっとやりたくないなという感じがあります。一時的な変化ではなく「本質的な変化」を生み出すために何をするのか。ここが重要だと思っています。

 

何の話かよくわかりません(笑)。思いつくままに書きました。

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動きの変化と意識の変化

2020-06-27 | 陸上競技

金曜日。この日の朝は前日についての指導からスタート。こういう部分は重要だと思っています。「なんとなくやりすごす」のではない。「基本的なこと」を押さえながら話を進めていく必要があります。

 

個別に面談をする。これまで「一方的な意見」を聞いて指導することもありました。が、この時に「考えられない行動」を取った者たちが徒党を組んで「事実を捻じ曲げる」ということが発生する。これは今後の指導では絶対に避けなければいけない。一人ずつ別々に話を聞いていきます。どのような状況だったのか、何が起きていたのか。かなりの時間とエネルギーを使いました。「伝わっていないな」と感じる部分も・・・。どうするかを考えていきたいと思います。

 

午後の練習、これは1時間と決めているのでそのまま。こちらからは特に声をかけずに練習に取り組ませました。私グランドに行く前に練習を始めていました。これは別にかまいません。やることは決まっているので。そこに対してどのように取り組むのか。

 

月曜日に行ったAメニューを。ドリル系は最小限で。股関節から動かす感覚をどのように作るのかを考えながらです。「見た目の動き」と「やりたいこと」が異なることがあります。「見た目の動き」は「それっぽい」感じになっていても「使いたいところ」に対する意識がきちんと向くかどうか。「同じような動き」では困ります。本当にやりたいこと、実際に走りに生かすためにという部分が最優先。そこは「やりたい動きの理解」ができなければいけないと思っています。

 

グランドは多少ゆるいなという感じがありました。これは仕方ないかなと。その中で「ハードルドリル」をやっていると「ん?」と感じる部分が。何人かの「切り替えのタイミング」がよくなっていました。これは何がよかったのかわかりません。きちんと「股関節から動かす」という部分ができたのか。感覚をつかめたのか。

 

一人、どうしても動きが遅れてしまう選手がいます。最後の1本で「股関節を詰める」という話をしました。最後の動きかなり改善されました。どうだったのかを確認すると「これまでは~で、今は~」と具体的に「動きの差」を説明できました。これだけで随分違うと思います。「頭で理解すること」と「身体で体現すること」は違います。少しずつかみ合っていく。実際、ここができれば「ハードルの抜き足」の動き自体も変わってきます。結局走りにつながる動きができるかどうかです。

 

その後、しばらく練習を遠目に。あえて「細かく見ない」ようにしました。「感覚が分かりかけている」と思ったので余計な情報を与えずにやらせたほうがいいかなと。近くで見ているとどうしても「もっと・・・」という部分が気になります。それは「チャンス」を逃すことになる。意図的に「見守る」ことで「分かりかけたこと」を自分自身の感覚に落とし込んでもらいたいなと思っています。

 

これまで「軸づくり」や「バランス系」をかなりやってきました。実際は目に見えない部分です。これができたから「速く走れるのかどうか」は別物だと思っています。しかし、「競技に対する意欲」と「身体感覚」がつながっていくと「どのようになっているか」を考えるようになります。これは非常に面白い。練習の中で「股関節」と「腸腰筋」に刺激を入れる動きを入れた後に「ランジ」などを入れて、ハードルドリルをする。これにより「どこを使うべきなのか」を感じ取れる選手が出てきます。

 

単純に「なんとなくやっている」という選手にとってはこれは「意味のない練習」になると思います。「股関節から動かす」ことが「とりあえず動かす」ことと外見的には一見変わらない部分があるからです。「形をまねる」だけであれば「やっている」ように見えます。が、本来やりたいこととは全く違う。ここをどのようにするのか。

 

あとで確認すると「台ドロップがうまくできた。腸腰筋を使って動かすと、足で動かすよりもスムーズに持ってこれた。ピタッとはまる感じがした。」ということでした。この感覚。「やりたいな」と思っていることが「実際に感じられる」というのは面白いなと思います。そういう感覚なので「進むな」と思える。そうなると楽しくなります。自分の身体感覚の変化に気づいてそれを「走ること」に落とし込めれば「変化」がある。それを本人がどのように感じるのか。

 

かなりの選手の動きがよくなったなという感じを受けています。時間はかかります。その場にいてメニューだけを提示して「やっておけ」というスタイルではありません。これまで見てきた指導者できちんと競技指導をされている方に「やっておけ」という方は皆無。関わり方に違いはありますがやはり「何をやろうとしているのか」を明確にしています。指導者は「記録測定係」ではありません。走っているときに「何秒」とタイムを読んで聞かせる係りではない。何をするために「グランドに立つ」のかが重要だと思っています。

 

良く進んでいました。「どうなのか?」と聞くと「10のうち8」とのこと・・・。なかなか合格点はもらえません。それくらい「もっと改善できる」という気持ちがあるのでしょう。それをこちらが引き出せるか。その「想い」にこたえられるか。重要なことだと思いますね。

 

なんとなく書いておきます。意識が変われば動きは間違いなく変わってきます。「青春ごっこ」に付き合う気はありません。どこを目指してやるのか。重要なことだと思います。

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