感じている部分を。
前の記事にも少し書きました。「こういう風に動かしたいな」という「感覚」があります。以前からいろいろなことをやっています。それが全て「走ること」につながっていくといいなと思っています。しかし、「目に見えた成果」が分かりにくい部分がある。例えば「バランス系」でT字や片足支持などをやる。さらには「体幹バランス補強」として「手足の同調」と「身体の中心から動かす」「軸の感覚」を意識した練習を入れます。これは「やっているだけ」になりがち。手を伸ばした時に「身体のラインがまっすぐになるかどうか」が重要ですが、ひじが曲がっていたり、足を真っすぐに伸ばせなかったり。これでは「なんとなくやっている」だけで本来的な「練習の目的」を果たせません。
実際の練習では「細かい部分」にこだわっています。正確性を重視。もちろん、それを支えるのは選手が「きちんとやる」という考え方を持っているかどうか。さらには「どのような意味があるのか」を理解する姿勢があるか。この部分が重要だと思っています。どれだけ「組み立て」を考えて説明書を作成しても、実施する側が「とりあえず積めばいいんでしょう?」という感覚で「形だけ」やっていたら「完成するもの」は全く別物になります。
私は料理をしないので例えが適切かどうか分かりませんが。「同じ材料」がある。その「材料」を調理して「料理」を作っていく。美味しいものができるかもしれないし、全く食べられないものができるかもしれない。これは「調理の仕方」に大きな影響を受けます。以前は「調理する」というのは「指導者」がやるものだという感覚がありました。「選手」に対して「正しい指導」ができれば選手は「速くなる」という感覚。これは「間違い」ではないと思っています。
しかし、最近は「料理」をするのは「選手自身」だという感覚が強くあります。私自身は「レシピ」を作って提供する。そのレシピの「美味しく作るためのワンポイントアドバイス」をするのが今の私の役割ではないか。以前は「きちんと料理をしないと」というのを伝え続けていました。「材料」は目の前にあるのだからそれをきちんと「調理」すれば「美味しくなる」という考えだったのかなと。
この1か月間、選手の様子を見ていて気づく。こちらが距離を置きながら見ていても「美味しい料理を作りたい」と思う選手は「調理方法」をしっかりと吟味しているのです。「作りなさい」と言われてから「レシピ」に従って「作るだけ」ではなく、「どうすればこの食材を美味しくできるか」とか「食欲がわく形に切れるか」などを考えて「工夫」します。それが最後に「料理」として出てくる。
「同じ材料」だから「美味しい料理」になるわけではない。それを調理する「選手自身」が「美味しい料理を作りたい」と思って「創意工夫」をするかどうかだと思います。
「足を上げる」という動作。「とりあえず上げる」のか。「股関節が詰まるようにしたら結果的に足が上がる」のか。同じ「足を上げる」という動作であっても「使い方」や「意識するポイント」がわかるかどうか。それを分かろうとするかどうか。この部分は大きいと思います。
私は「レシピ」を作る。「身体の中心から動かす」「腸腰筋を使って引き揚げる」という「動き」をするためにどのような「順番」でどのような「材料」を配置するのか。やりたい動きに向けて「何をするのか」を考えておく。実際にそれを「選手がどうするか」だと思います。走るメニューを増やせば「速くなる」とは思いません。どのような「組み立て」があって「順番」が存在するのか。1つの順番が違えば「完成品」は全く別のものになる。
中には「塩」と「砂糖」を間違えて「レシピ」を作る人もいます。きちんと「レシピ」を作っても調理する人が間違えることもあります。最後の味付けの部分で失敗するとすべてが台無しになることもある。そういう視点で「競技の指導」を考えると「自分が何をするべきか」が見えてきます。私が「料理する」わけではない。選手自身が「美味しい料理を作りたい」と思って何をするのかだと思っています。
中学時代に競技力がある選手がいたとしても「レシピ」が違えば上手くいきません。同時に「調理する」部分が違えば「全く違う味」になります。そう考えると今やっていることは楽しいなと思っています。「強制的に練習をさせる」という気持ちは全くありません。威圧的に練習をさせることもありません。何人かは見ていると「調理する」ことが「楽しい」んだろうなと感じます。
これまでいろいろな形で「競技指導」をしてきました。今、自分のスタンスが「確立」しつつあるのかなと思います。「競技」について厳しい指導はほぼしません。「取り組みの姿勢」については半端なく厳しくやります。ここは今も昔も変わらないかもしれませんが。
面白いことに「表情」が違います。真剣な表情なのは変わりませんが「自分の身体について知ろう」という部分であったり、「次はこうしてみよう」という意識が歩いている姿にも感じられる部分があります。この流れが本物になれば随分違う結果になるのかなと思っています。「やらされる」のではなく「自分が調理する」という感覚の中で活動ができれば「変わっていく自分」に対してワクワクする部分が出てくるのだと思っています。
とりあえず「レシピ」づくりをしっかりとやりたいと思います。その中で「何を伝えるのか」です。技術的なことだけやっておけばいいという気はサラサラありません。そこだけを求めて「指導してほしい」と言われるのであればちょっとやりたくないなという感じがあります。一時的な変化ではなく「本質的な変化」を生み出すために何をするのか。ここが重要だと思っています。
何の話かよくわかりません(笑)。思いつくままに書きました。