色々と考えることがあります。私のような指導者は批判を受けることも多いと思います。こうやってblogを書いていれば「揚げ足を取られる」ということもあるでしょう。表現的にどうなのかと指摘される部分も出て来る可能性はあります。まー慣れてきてはいますが(笑)。
今、強く思っていること。それは「必要とされるなら力を貸す」という部分。以前から書いていますが、色々な場面でアドバイスを求められることがあります。他校の選手であってもです。他の指導者がそのように求められるのかどうかは分かりません。私自身のキャラクターというのもあるかもしれませんが、合宿などで関わった選手は学校に関係なく話しかけてくれます。
まーこれは書く必要がないのですが思い出したから書いておきます。県選手権の時に他校の卒業生にたまたま会いました。本人から「先生に合宿の時に傘を借りたんですがまだ返していません」と言われました。完全に忘れていました。どうも練習終了後に雨が降ってきたので私が傘を貸したようです。それも2本(笑)。返すのを忘れていたので、今でも時々使っています!という衝撃的告白(笑)。返せよ(笑)。まーそれでも当時困っていた選手の助けになったのであればそれでも良いのかなとは思っています。誰かの役に立っているのですから。
ここ最近強く思うのですが、私が誰かに手を差し伸べることで実は救われる人がいるんだと思います。親しい指導者が「一灯照隅」というのをよく言います。自分の存在が世界全体を照らさなくても良い。隅っこを照らす灯になればそこで困ってる人の助けになるのだからという意味だそうです。もしも、私の存在で誰か困っている人の助けになるならそれは全力でやらないといけないんだと思っています。なぜなら私自身がそういう行動が好きだからです。誰かのために役立てるならどんな労力も惜しまない。それはずっと思っています。正しいかどうかは分かりませんし、批判も受けるでしょう。それでも私が正しいと思っているのであればいいんじゃないかと。
この辺りにすごく不安要素がありました。こういう関わり方を誰かとすると、私ではなく相手があれこれ言われるんではないかという気持ちがあったからです。私が悪く言われるのは慣れています。私のようなスタンスの人間を全ての人が受け入れてくれるとは思わないからです。が、私が何かすることでその対象となる人達が迷惑だと感じるのか?実は周りがあれこれ言うだけではないのか?みんなが幸せになるならそれは周りは関係ないのだという気がしました。これは先日上述の親しい指導者と夜に二人でアホみたいに語っていた時に言われたことです。それで背中を押された気がします。私の存在で誰かが救われるなら、見返りを求めることなくやっぱりやるべきなんではないかと。求められていないのに図々しく出て行くのはどうかと思います。しかし、私の指導や考え方が誰かの役に立つのであれば色々なことができるんだと思います。
なんか吹っ切れました。関係ない大人は子供たちが傷つくというのを意識せず「評論家」のようにあれこれ言います。無責任な発言は誰でもできます。違うんじゃないかって思います。私が誰かの役に立つならそれはやっぱりやるべきなんだと思います。もちろん、やりすぎるのは避けなければいけません。私が批判されるのではなく周りの人が批判されることになり、多大な迷惑をかけることになりますから。そこは冷静に判断しながら生きていきたいと思います。
目の前で困っている人がいる。そこに手を差し伸べて立ち上がる元気を与える。それが本当にダメなことなんでしょうか?分かりません。それが大学生でも高校生でも中学生でも関係ないと思います。もちろん、筋は通さないといけません。批判だけ受けるにはしんどいですから。これまで私が学んできたことをしっかりと伝えていきたい。それは指導に関しても同様かなと。日曜日に他校の指導者と話をしました。「今度、選手を連れて行くから、ショートスプリントについて教えてよ」と言ってもらいました。私よりもずっと年上です。そんな方にそうやって言っていただけるのはありがたいなと思っています。
私は偉いわけでもなんでもありません。陸上競技が大好きなおっさんです。それでも多くのことを学んできました。経験論や教科書通りの指導に依存する気はありません。目の前の選手のために何ができるのかだと考えて日頃から生きています。それに共感してもらえたらきっと世の中は変わってくると信じています。このスタイル、どれだけの人に受け入れられるか分かりません。それでも信じて進みます。
私に出会ってくれた多くの人に感謝して生きたいと思います。何らかの形で恩返しをしていきたいと思います。本当にありがたいなと思っています。
何の話か分かりませんが、ひとまず書いておきます。私は自分が信じる道をブレずに進んでいきたいと思います!見ていてください!!
今、強く思っていること。それは「必要とされるなら力を貸す」という部分。以前から書いていますが、色々な場面でアドバイスを求められることがあります。他校の選手であってもです。他の指導者がそのように求められるのかどうかは分かりません。私自身のキャラクターというのもあるかもしれませんが、合宿などで関わった選手は学校に関係なく話しかけてくれます。
まーこれは書く必要がないのですが思い出したから書いておきます。県選手権の時に他校の卒業生にたまたま会いました。本人から「先生に合宿の時に傘を借りたんですがまだ返していません」と言われました。完全に忘れていました。どうも練習終了後に雨が降ってきたので私が傘を貸したようです。それも2本(笑)。返すのを忘れていたので、今でも時々使っています!という衝撃的告白(笑)。返せよ(笑)。まーそれでも当時困っていた選手の助けになったのであればそれでも良いのかなとは思っています。誰かの役に立っているのですから。
ここ最近強く思うのですが、私が誰かに手を差し伸べることで実は救われる人がいるんだと思います。親しい指導者が「一灯照隅」というのをよく言います。自分の存在が世界全体を照らさなくても良い。隅っこを照らす灯になればそこで困ってる人の助けになるのだからという意味だそうです。もしも、私の存在で誰か困っている人の助けになるならそれは全力でやらないといけないんだと思っています。なぜなら私自身がそういう行動が好きだからです。誰かのために役立てるならどんな労力も惜しまない。それはずっと思っています。正しいかどうかは分かりませんし、批判も受けるでしょう。それでも私が正しいと思っているのであればいいんじゃないかと。
この辺りにすごく不安要素がありました。こういう関わり方を誰かとすると、私ではなく相手があれこれ言われるんではないかという気持ちがあったからです。私が悪く言われるのは慣れています。私のようなスタンスの人間を全ての人が受け入れてくれるとは思わないからです。が、私が何かすることでその対象となる人達が迷惑だと感じるのか?実は周りがあれこれ言うだけではないのか?みんなが幸せになるならそれは周りは関係ないのだという気がしました。これは先日上述の親しい指導者と夜に二人でアホみたいに語っていた時に言われたことです。それで背中を押された気がします。私の存在で誰かが救われるなら、見返りを求めることなくやっぱりやるべきなんではないかと。求められていないのに図々しく出て行くのはどうかと思います。しかし、私の指導や考え方が誰かの役に立つのであれば色々なことができるんだと思います。
なんか吹っ切れました。関係ない大人は子供たちが傷つくというのを意識せず「評論家」のようにあれこれ言います。無責任な発言は誰でもできます。違うんじゃないかって思います。私が誰かの役に立つならそれはやっぱりやるべきなんだと思います。もちろん、やりすぎるのは避けなければいけません。私が批判されるのではなく周りの人が批判されることになり、多大な迷惑をかけることになりますから。そこは冷静に判断しながら生きていきたいと思います。
目の前で困っている人がいる。そこに手を差し伸べて立ち上がる元気を与える。それが本当にダメなことなんでしょうか?分かりません。それが大学生でも高校生でも中学生でも関係ないと思います。もちろん、筋は通さないといけません。批判だけ受けるにはしんどいですから。これまで私が学んできたことをしっかりと伝えていきたい。それは指導に関しても同様かなと。日曜日に他校の指導者と話をしました。「今度、選手を連れて行くから、ショートスプリントについて教えてよ」と言ってもらいました。私よりもずっと年上です。そんな方にそうやって言っていただけるのはありがたいなと思っています。
私は偉いわけでもなんでもありません。陸上競技が大好きなおっさんです。それでも多くのことを学んできました。経験論や教科書通りの指導に依存する気はありません。目の前の選手のために何ができるのかだと考えて日頃から生きています。それに共感してもらえたらきっと世の中は変わってくると信じています。このスタイル、どれだけの人に受け入れられるか分かりません。それでも信じて進みます。
私に出会ってくれた多くの人に感謝して生きたいと思います。何らかの形で恩返しをしていきたいと思います。本当にありがたいなと思っています。
何の話か分かりませんが、ひとまず書いておきます。私は自分が信じる道をブレずに進んでいきたいと思います!見ていてください!!