尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

桃の花見と和歌山弁

2005-04-04 09:45:07 | Weblog
今度の水曜日に実家、和歌山に帰り、七ヶ月になったばかりの陽平と一緒に
桃の花見にいきます。桜よりもちょっと濃い目のピンクが一面にひろがって
それはきれいなもんなんです。みなさんも機会があれが一度、和歌山へ。
「めんそーれ」と出迎えてくれます。んなことはない。

和歌山の方言、けっこう笑えます。私も帰れば和歌山弁。極めつけなのが
謙遜?するときの表現。よく使う「これ、つまらないものですが」的な意味に
近くてなんにでも使える言葉に「くさったもの」があります。
例 お中元なんかで「これ、うちの近くでとれたくさったもんですが」と
使用しますが、なんにでも使えるからややこしい。
お正月に嫁と帰ったとき、うちの母が
「くさったおせちで良かったら食べるかえ?」
(腐ったもの食わすなーっ)
「くさった毛布でよかったら寝るとき使う?」
(生地が腐るんかーっ)
「よく、こんなくさった男をもらってくれて」
(人間、腐っとるんかーっ)
ちなみに「あいつはくさったやっちゃ(奴や)という
時は本当に腐ってます。」

これ、実話です。結婚すると、こーゆーギャップが楽しいですよね。
これから結婚する人は是非、和歌山の人間を選びましょう。
念の為に。腐った、と、くさった、はイントネーションが違いますので
和歌山の人間は腐ったものを間違えて食べてしまう事はございません。
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気功家か?治療家か?

2005-04-02 10:40:24 | Weblog
まだあんまり、ここのページは知られてないと思うので。

今のうちに思いきったことを書かせてもらおうかなあ、と考えています。
もし、見る人が増えてきたら、「ほのぼの」したものに切り変える、として(笑)

もう結構前のことですが、「有名な気功の先生の治療も受けたんですが」
というお客さんが来られたことがあります。数十分の治療で八千円くらい
の料金、だったかな?別に値段はいくらでもいいんですよ。良くなれば。
ただ、良くもなっていないのに堂々としてちゃいかんわね、と僕なんかは
思ってしまうんですわ。それだと「あの~なにも変わってないんですけど?」
「いえ、私は気功師としてちゃんと気を送りました。送った分はお金をもらいます」
ってことになるわけ?お客さんとしては「気を送って欲しい」わけじゃなく
「治して欲しい」わけで。たしかに治らない人もいるだろうしすぐには治らない、
て人もいるんだろうし、それは理解してるんだけれども。
治療家の看板掲げるなら、結果にこだわった上での誠意は欲しいよね、と
僕なんかは自分の首をしめるようなことを感じてしまうんです。

つまり、ですね。気を送る人なのか、人を治す人なのか、ってことです。

あ、誤解のないように言っておきますと、僕は気功の効果を否定していませんからね。
逆に気かなにかはわかりませんが、そのようなエネルギー抜きに生命はなりたたない、
と思っていますから。要は、気が出せるからお金をもらって当たり前、じゃないでしょ?
ってことをね、言いたかったわけなんです。気をだせなくったって治せる人がいるなら
その人もまたすごいわけなんですから。

これからは、治療家の意識も問われる時代になると思います、本当に。
つまり、当たり前のことを要求される時代、ってことですよね。看板どおりの
人なのか、って言う、、、。

それでは、また。
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