先日、肩が慢性的に痛いという方とおしゃべりをしていて。
「なぜ痛くなったのか、思い当たる節はないか?」という質問をさせていただいたときのお話。
あればわかりやすいのですが、なければお客様が口にされるのはたいてい、
「私、どこに行っても歪んでるって言われるんで、それが原因かしら」という説。
でも、こういうふうに指摘してあげるとビックリされるんです・・・
「歪んでるときって、痛くないでしょ?」って(笑)
同じ意味ちがいますよ^^「順番が違う」んです。ちょっと書いてみますね。
どこかが痛い人って、少なからず歪んでます。
↓
痛い人は、歪んでいる。
↓
痛みの要因として、歪みがあげられる。
こういうところの先生がそう思うのも納得です。
同時にお客様から見たら
歪んでいる私は、どこかが痛いことが多い。
↓
歪みは、痛みの要因だ。
と納得されている。
でも。
このお客様のように無意識に歪んでいるときって、実は痛くなかったりするんです(僕ら民間療法で扱えるレベルの痛みであれば)。
痛みを感じたときって自然と歪んできて、痛みが少なくなります(治った、とは言いませんが)
さっきの言葉に補足すると
「どこかが痛い人って、少なからず歪んでいます。でも、歪んでいるときは痛くないことが多い(痛みが少ない)」みたいなんです。
無意識に歪んでいるときって身体が痛みの緩和するポジションを選んでくれてることなんだ、という理解も可能だと思うんです。
つまり、
痛い→歪んでくれる→痛みが少なくなる。
「歪むから痛い」とは別の解釈として
「痛いから歪む」(僕はこれを「庇う」と表現しています)という見方もあるんじゃないか、と。
順番がまったく違う、んです。
それは
「歪み」が痛みの原因なのか、
「歪み」は痛みの結果なのか、
ていうくらい逆のことを指しています。
もし仮に痛みが先で歪みがあとだとしたら、その現象は「不正」と書くような状態なのか、という話です^^
そして!
痛みの緩和する方向に姿勢が変わっていく身体の知恵に
「対抗する形」でテクニックを施していくのって
果たしてどうなんだろ?って。
そんな話をお客様とよくしています^^
かいつう館は、メールでもご予約いただけますが、ネット予約もできないことはありません(^^)
「なぜ痛くなったのか、思い当たる節はないか?」という質問をさせていただいたときのお話。
あればわかりやすいのですが、なければお客様が口にされるのはたいてい、
「私、どこに行っても歪んでるって言われるんで、それが原因かしら」という説。
でも、こういうふうに指摘してあげるとビックリされるんです・・・
「歪んでるときって、痛くないでしょ?」って(笑)
同じ意味ちがいますよ^^「順番が違う」んです。ちょっと書いてみますね。
どこかが痛い人って、少なからず歪んでます。
↓
痛い人は、歪んでいる。
↓
痛みの要因として、歪みがあげられる。
こういうところの先生がそう思うのも納得です。
同時にお客様から見たら
歪んでいる私は、どこかが痛いことが多い。
↓
歪みは、痛みの要因だ。
と納得されている。
でも。
このお客様のように無意識に歪んでいるときって、実は痛くなかったりするんです(僕ら民間療法で扱えるレベルの痛みであれば)。
痛みを感じたときって自然と歪んできて、痛みが少なくなります(治った、とは言いませんが)
さっきの言葉に補足すると
「どこかが痛い人って、少なからず歪んでいます。でも、歪んでいるときは痛くないことが多い(痛みが少ない)」みたいなんです。
無意識に歪んでいるときって身体が痛みの緩和するポジションを選んでくれてることなんだ、という理解も可能だと思うんです。
つまり、
痛い→歪んでくれる→痛みが少なくなる。
「歪むから痛い」とは別の解釈として
「痛いから歪む」(僕はこれを「庇う」と表現しています)という見方もあるんじゃないか、と。
順番がまったく違う、んです。
それは
「歪み」が痛みの原因なのか、
「歪み」は痛みの結果なのか、
ていうくらい逆のことを指しています。
もし仮に痛みが先で歪みがあとだとしたら、その現象は「不正」と書くような状態なのか、という話です^^
そして!
痛みの緩和する方向に姿勢が変わっていく身体の知恵に
「対抗する形」でテクニックを施していくのって
果たしてどうなんだろ?って。
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