右側がとにかく辛い、という女性。
右の背中、腰、お尻、膝にかけて。
仰向けで寝ていただいたときに、体が左に腰を突き出す感じで逆Cの字になってました。
「無意識に」歪んだ形になっちゃってるんですよね。
その方は過去に接骨院で体の歪みを直さないとダメ、といわれかなり強引な力でぐいぐいされてたんだそうです。
しかし、痛いだけで終われば余計に悪くなった気がした、とおっしゃっておられました。
本当に「歪み」は矯正すべき悪いものなんでしょうか?
ためしにこのお客さんの足をもってまっすぐに揃えたところ「痛いっ」と叫ばれました。
理屈の上では歪みのない状態に近づけば近づくほど楽になりそうなものです。
今度は右足を開き、楽な位置を探してみます。
すると、膝から下がベッドに落ちるくらい(実際に僕が手を添える形で膝から下をベッドから垂らしました)が一番楽なようです。
「他に苦しいとこはないですか?」とお聞きすると、「腕が辛い」とのこと。
僕の手はもうふさがっていたので、「ご自分で腕が一番楽な位置を探してください」とお願いしました。
あれこれ動かされたところ、右手も大の字のようにベッドからはみ出すようにするのが一番楽だ、とのこと。
逆Cの字をもっともっと強調した姿勢になりました。
その姿勢でしばらく待って感想をお聞きすると
「すごく楽。今まで感じたことがないくらいに楽です。深いリラックス感があります」。
やがて
「体の右側が無くなったかのようです、、、気持ちよさはありますが、な~んにも感じません」と本当に気持ちよさそう。
できるなら僕が代わりたいくらいのうっとり感です。
でころあいを見て手も足もベッドに戻すと、、、今度は「無意識に」まっすぐな形になっています。
ね。
体は歪みを自分で治す方向性をちゃんとわかってるんです。
体が歪むこと自体は「悪」でもなんでもない。
むしろ、自然治癒力の一面なんじゃないか、とも思えてきます。
歪んでいるなら、もっと歪めてあげる。
そのなかで気持ちよさを探す←なぜ、歪んで「いられるか」というとそれがそもそも気持ちいいからです
気持ちよさを最大限味わえるポジションを探したら、とことん気持ちよさを味わう。
気持ちよさが減ってきたら、元の位置に戻る。
と、この方みたいに、今度は「いわゆる」良い位置に近づいてきます。
体はなにかが原因で故障を感じたら、そこから治る位置に体を持っていこうとします。
それが歪みのひとつ。
だから、歪むのは体の叡智ともいえる。
その体の声を信じるなら、歪んだ方向のなかでもっと気持ちいい歪み方をしてあげる、という方法もあるんです。
これに対して、「歪みは悪だ。あってはならない。体の声なんて、、、」と歪みを精査し、まっすぐな良い位置にもっていこうとする「矯正」もあります。
どちらでも、たぶん、体は良い「位置」には来るんだろうとは思います。
僕は、頭で考える「体のこと」よりも、「体そのもの」の叡智には、いまだ敵わない、と思っているので「悪だから正す」のではなく「体の声だとしたら、この症状、歪みにはどんな意味があるんだろうか?」と考えて整体を組み立てて行きたいと思っています。
長くなっちゃいましたね。
読んでくださって、今日もありがとう。
4月3日曜日から5火曜日までお休みをいただきます。
右の背中、腰、お尻、膝にかけて。
仰向けで寝ていただいたときに、体が左に腰を突き出す感じで逆Cの字になってました。
「無意識に」歪んだ形になっちゃってるんですよね。
その方は過去に接骨院で体の歪みを直さないとダメ、といわれかなり強引な力でぐいぐいされてたんだそうです。
しかし、痛いだけで終われば余計に悪くなった気がした、とおっしゃっておられました。
本当に「歪み」は矯正すべき悪いものなんでしょうか?
ためしにこのお客さんの足をもってまっすぐに揃えたところ「痛いっ」と叫ばれました。
理屈の上では歪みのない状態に近づけば近づくほど楽になりそうなものです。
今度は右足を開き、楽な位置を探してみます。
すると、膝から下がベッドに落ちるくらい(実際に僕が手を添える形で膝から下をベッドから垂らしました)が一番楽なようです。
「他に苦しいとこはないですか?」とお聞きすると、「腕が辛い」とのこと。
僕の手はもうふさがっていたので、「ご自分で腕が一番楽な位置を探してください」とお願いしました。
あれこれ動かされたところ、右手も大の字のようにベッドからはみ出すようにするのが一番楽だ、とのこと。
逆Cの字をもっともっと強調した姿勢になりました。
その姿勢でしばらく待って感想をお聞きすると
「すごく楽。今まで感じたことがないくらいに楽です。深いリラックス感があります」。
やがて
「体の右側が無くなったかのようです、、、気持ちよさはありますが、な~んにも感じません」と本当に気持ちよさそう。
できるなら僕が代わりたいくらいのうっとり感です。
でころあいを見て手も足もベッドに戻すと、、、今度は「無意識に」まっすぐな形になっています。
ね。
体は歪みを自分で治す方向性をちゃんとわかってるんです。
体が歪むこと自体は「悪」でもなんでもない。
むしろ、自然治癒力の一面なんじゃないか、とも思えてきます。
歪んでいるなら、もっと歪めてあげる。
そのなかで気持ちよさを探す←なぜ、歪んで「いられるか」というとそれがそもそも気持ちいいからです
気持ちよさを最大限味わえるポジションを探したら、とことん気持ちよさを味わう。
気持ちよさが減ってきたら、元の位置に戻る。
と、この方みたいに、今度は「いわゆる」良い位置に近づいてきます。
体はなにかが原因で故障を感じたら、そこから治る位置に体を持っていこうとします。
それが歪みのひとつ。
だから、歪むのは体の叡智ともいえる。
その体の声を信じるなら、歪んだ方向のなかでもっと気持ちいい歪み方をしてあげる、という方法もあるんです。
これに対して、「歪みは悪だ。あってはならない。体の声なんて、、、」と歪みを精査し、まっすぐな良い位置にもっていこうとする「矯正」もあります。
どちらでも、たぶん、体は良い「位置」には来るんだろうとは思います。
僕は、頭で考える「体のこと」よりも、「体そのもの」の叡智には、いまだ敵わない、と思っているので「悪だから正す」のではなく「体の声だとしたら、この症状、歪みにはどんな意味があるんだろうか?」と考えて整体を組み立てて行きたいと思っています。
長くなっちゃいましたね。
読んでくださって、今日もありがとう。
4月3日曜日から5火曜日までお休みをいただきます。
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