歪みを矯正する、ということを僕がしないひとつの理由僕は、歪んでいること自体を悪とは見ていないので、矯「正」しないんですが。今回は極端に書いてみます。極論にすると見えてくることもあるんです。僕ら民間療法の世界のなかには「身体...
一年前のブログにも、「歪み」について書いていました♪
身体の叡智の全貌がわからないので、憶測でしかものを書けないけれど。
施術しちゃう前に「歪んでいる『ちゃんとした』理由」を立ち止まって考えるくらいの「間」があってもいいんじゃないのかな、って思うんです。
歪む、歪んでる、だから痛いんだ、ゆがみは悪いんだ。ってよく言われるんだけど。実際は、、、
より痛くなる方向に歪むケースはなく、
より楽になる方向に歪むケースしか見当たらない。
もし、痛くなる方向に歪むことが治癒への近道であれば、治ろうとする身体は痛くなるように歪もうとするんじゃないんだろうか。
もし、楽になる方向に歪むことが治癒を遅らせるのであれば、治ろうとする身体はやっぱり痛くなる方向を選んでくるんじゃないだろうか。
わからない。
わからないけど、これだけ精緻につくられた身体において、
たかが腰痛ひとつで自然治癒力が混乱の極みに陥って、「間違った方向に歪む」ということがありうるんだろうか。
もし、いまある歪み方が「間違っていない」としたら、そこにはどんな意味があるんだろう?
僕は、人の身体をみながら、よくそういうことを考えるんです。
いつもありがとう。
そういう話しをコチラでよく書いてます。
明日はセミナーに参加してきますので、かいつう館はお休みをいただきます。