とあるお客さんとの会話で。
「なぜ痛いんだと思います?なにかキッカケはなかったですか?」との問いかけに
「自分は姿勢が悪いから痛いんだと思う」という話があり、
たとえば、どういうときにそう思うんですか?とお聞きすると
「仰向けで寝ているのに、いつの間にかおかしな寝相になってる。目が覚めたときから痛みがあるんだけど、目が覚めたときの寝相がまっすぐじゃない」と答えてくれました。
なので、ちょっと頭でイメージしてもらいました。
仰向けで寝ました・・・
30分経っても同じ姿勢です・・
一時間経っても同じ姿勢です・・
身体が動きそうだから仰向けのその姿勢で、ちょっと固定しときましょう。
朝までずっといい姿勢で寝れて、楽ですよね~~~
「それ、かなりしんどそうですね」って笑ってくださいました(苦笑)。
寝ているとき、無意識のとき、そういうときに身体が「痛くなる方向へ」と選択していくとは僕は思いがたいのですが、いきなり説明だけしても話が見えないと思うので、まずはこんなふうにイメージしてもらいました^^
いい姿勢が悪いかどうかじゃなく(笑)いい姿勢で朝まで寝続けるという発想に驚いた一日でした。
いい姿勢はいい姿勢として良いとして(笑)、「痛いとき、いい姿勢がムリなとき」までそれを庇う姿勢を認めない、それさえ矯正対象だ、というのはどうなんでしょう?
歪んでいるから痛い、というスタンスはともすれば「痛いから庇っている」という姿勢さえも敵視しがちになりがちです。
僕は、歪んでいる→なんで?→痛みを庇うために。
という視点をもつことで、「歪みイコール悪」」なのではなく、「歪みは痛みを緩和してくれてる身体の知恵」なのではないか、と思うようになりました。
そう思えたら歪みから「どこを、なにを」庇っているのかが見えてくるので、そこに触れてあげてるだけで庇う必要性が薄れてきます。すると歪む必要性がなくなって・・・という方向に向かうんじゃないか。
体は歪んでくれてるんだ、庇ってくれてるんだ。歪むという身体の知恵を借りて施術を行っていこう。
そういう整体の方向性があってもいいんじゃないかと僕なんかは思っています^^
今日もありがとう。
「なぜ痛いんだと思います?なにかキッカケはなかったですか?」との問いかけに
「自分は姿勢が悪いから痛いんだと思う」という話があり、
たとえば、どういうときにそう思うんですか?とお聞きすると
「仰向けで寝ているのに、いつの間にかおかしな寝相になってる。目が覚めたときから痛みがあるんだけど、目が覚めたときの寝相がまっすぐじゃない」と答えてくれました。
なので、ちょっと頭でイメージしてもらいました。
仰向けで寝ました・・・
30分経っても同じ姿勢です・・
一時間経っても同じ姿勢です・・
身体が動きそうだから仰向けのその姿勢で、ちょっと固定しときましょう。
朝までずっといい姿勢で寝れて、楽ですよね~~~
「それ、かなりしんどそうですね」って笑ってくださいました(苦笑)。
寝ているとき、無意識のとき、そういうときに身体が「痛くなる方向へ」と選択していくとは僕は思いがたいのですが、いきなり説明だけしても話が見えないと思うので、まずはこんなふうにイメージしてもらいました^^
いい姿勢が悪いかどうかじゃなく(笑)いい姿勢で朝まで寝続けるという発想に驚いた一日でした。
いい姿勢はいい姿勢として良いとして(笑)、「痛いとき、いい姿勢がムリなとき」までそれを庇う姿勢を認めない、それさえ矯正対象だ、というのはどうなんでしょう?
歪んでいるから痛い、というスタンスはともすれば「痛いから庇っている」という姿勢さえも敵視しがちになりがちです。
僕は、歪んでいる→なんで?→痛みを庇うために。
という視点をもつことで、「歪みイコール悪」」なのではなく、「歪みは痛みを緩和してくれてる身体の知恵」なのではないか、と思うようになりました。
そう思えたら歪みから「どこを、なにを」庇っているのかが見えてくるので、そこに触れてあげてるだけで庇う必要性が薄れてきます。すると歪む必要性がなくなって・・・という方向に向かうんじゃないか。
体は歪んでくれてるんだ、庇ってくれてるんだ。歪むという身体の知恵を借りて施術を行っていこう。
そういう整体の方向性があってもいいんじゃないかと僕なんかは思っています^^
今日もありがとう。