昨日、これから整体で開業される予定の方が来て下さって、3時間くらい話し込んでしまいました。
やっぱり「これから」って人とお会いするととっても楽しいですね~。帰るときはこっちまでイキイキしてしまいました。
いろんなお話があったんですが、「いろいろな技術があるのでそれをどう自分に取り入れていくか。どれを自分に取り入れていくか」という主旨の話のときに、僕はこんな考えを言ったんです。
自分の中で「核・柱」というものを立ててそれに合うものを選んでいけばいいんじゃないか、と。
たとえば、最近読んだ本のなかにこういうフレーズがあったんです。
「体はあなたの味方です」と。
この考えを柱にするなら、体をいじめるような技術ははぶいていけばいい。代わりに体を信じて体に味方になってもらえるような技術を選んで取り入れていけばいい、てことになります。
僕がこの業界に入るにあたって大きな影響を受けたのは「操体法」です。技術としては使っていませんが(使えよっ。苦笑)。これは、痛い方から楽な方へ(今のやり方は気持ちいい方へ)逃げていく動きで痛みを取っていこうとします。それが「自然の法則」だからです。痛いときに痛いことをして痛みを取ろうとする動物は自然界にいませんよね。
この業界に入って主に勉強したのは、オステオパシーです。今はほとんど使っていませんが(だから使え、ってば。爆)。そのなかの「ストレイン・カウンターストレイン」という技術は、縮んでいる筋肉は、もっと縮めてあげれば、縮む必要性がなくなり、自然と縮んだ筋肉は解放される、ということを利用して痛みを取っていきます。
まったく別個の技術なのですが、僕のなかでは(柱としては)あまり矛盾してないんです。
歪むのはある部分がほかよりも縮んでしまって、縮んだ方向に体が傾いている状態だと見えるからです。
体が歪んでいるとします。それは「正すべき状態」と見るのではなくて、体が歪んでいることを今は体が選択しているんだ、と考えてあげるんです。痛みや違和感があってそこから逃げるためにその歪みになっているんだ、と。じゃあ、その姿勢自体がすでに痛みを和らげる体の知恵なんだ、と。
その歪んだ姿勢から、正しい姿勢へ矯「正」することをいきなり目指すんじゃなくて、歪んだ姿勢をもっと歪ませてあげたら、歪む必要性がなくなって歪みから解放される、と見ることもできるんですね。だって、体は歪むことで痛みや違和感から解放されようとしてるんですから。体の知恵を信じるなら思う存分歪ませてあげて、痛みを取ってあげたら、痛みがなくなって、歪む必要がなくなって、体は正しい位置に戻ってくる、と。
あくまでストーリーとして描いてるだけで、実際にはそのような施術体系をとってるわけじゃないんですが。
体の知恵を信じる、体は自分の味方である、体は自分に悪いことはしない、と思えればこういう方向性の施術体系もでてきてくるわけです。
その方向で進むなら、「歪んだものイコール悪。歪みは『悪』だから矯『正』すべき」という治療体系を選ばなければいい。
だから、自分がどういう「核・柱」を持つか、それが定まってきたら選ぶ技術がぶれなくなるよ、と。
彼がどう成長していくのか、とっても楽しみです~。
今日も素敵な出会いをありがとう。
やっぱり「これから」って人とお会いするととっても楽しいですね~。帰るときはこっちまでイキイキしてしまいました。
いろんなお話があったんですが、「いろいろな技術があるのでそれをどう自分に取り入れていくか。どれを自分に取り入れていくか」という主旨の話のときに、僕はこんな考えを言ったんです。
自分の中で「核・柱」というものを立ててそれに合うものを選んでいけばいいんじゃないか、と。
たとえば、最近読んだ本のなかにこういうフレーズがあったんです。
「体はあなたの味方です」と。
この考えを柱にするなら、体をいじめるような技術ははぶいていけばいい。代わりに体を信じて体に味方になってもらえるような技術を選んで取り入れていけばいい、てことになります。
僕がこの業界に入るにあたって大きな影響を受けたのは「操体法」です。技術としては使っていませんが(使えよっ。苦笑)。これは、痛い方から楽な方へ(今のやり方は気持ちいい方へ)逃げていく動きで痛みを取っていこうとします。それが「自然の法則」だからです。痛いときに痛いことをして痛みを取ろうとする動物は自然界にいませんよね。
この業界に入って主に勉強したのは、オステオパシーです。今はほとんど使っていませんが(だから使え、ってば。爆)。そのなかの「ストレイン・カウンターストレイン」という技術は、縮んでいる筋肉は、もっと縮めてあげれば、縮む必要性がなくなり、自然と縮んだ筋肉は解放される、ということを利用して痛みを取っていきます。
まったく別個の技術なのですが、僕のなかでは(柱としては)あまり矛盾してないんです。
歪むのはある部分がほかよりも縮んでしまって、縮んだ方向に体が傾いている状態だと見えるからです。
体が歪んでいるとします。それは「正すべき状態」と見るのではなくて、体が歪んでいることを今は体が選択しているんだ、と考えてあげるんです。痛みや違和感があってそこから逃げるためにその歪みになっているんだ、と。じゃあ、その姿勢自体がすでに痛みを和らげる体の知恵なんだ、と。
その歪んだ姿勢から、正しい姿勢へ矯「正」することをいきなり目指すんじゃなくて、歪んだ姿勢をもっと歪ませてあげたら、歪む必要性がなくなって歪みから解放される、と見ることもできるんですね。だって、体は歪むことで痛みや違和感から解放されようとしてるんですから。体の知恵を信じるなら思う存分歪ませてあげて、痛みを取ってあげたら、痛みがなくなって、歪む必要がなくなって、体は正しい位置に戻ってくる、と。
あくまでストーリーとして描いてるだけで、実際にはそのような施術体系をとってるわけじゃないんですが。
体の知恵を信じる、体は自分の味方である、体は自分に悪いことはしない、と思えればこういう方向性の施術体系もでてきてくるわけです。
その方向で進むなら、「歪んだものイコール悪。歪みは『悪』だから矯『正』すべき」という治療体系を選ばなければいい。
だから、自分がどういう「核・柱」を持つか、それが定まってきたら選ぶ技術がぶれなくなるよ、と。
彼がどう成長していくのか、とっても楽しみです~。
今日も素敵な出会いをありがとう。