見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

おん祭徹底ガイド/雑誌・芸術新潮「春日大社 神の森と至宝と祭り」

2017-01-31 22:46:33 | 読んだもの(書籍)
○雑誌『芸術新潮』2017年2月号「春日大社 神の森と至宝と祭り」 新潮社 2017.2

 東京国立博物館の『春日大社 千年の至宝』展にあわせた特集で「至宝どっさりの春日大社展を見る前に!」というキャッチコピーが、さりげなく表紙にも入っている。であるが、むしろ冒頭からしばらく続く、春日野の風景写真に心がときめいて、購入してしまった。のどかな春日野(飛火野?)の丘陵で、草を食む鹿たち。苔むした石灯籠のアップ。摂末社のひとつ、一言主神社の前で振り返る白いドレスの女の子。いかにも「観光写真」なのだが、奈良の風景には幸せな空気が満ちている。宝庫(ほうこ)の扉と錠前をアップにした、朱一色のページもいいし、灯りに照らされて闇に浮かび上がる緋袴の巫女さん(おん祭の一場面)の表紙も素敵だ。

 私の奈良好きキャリアは長いが、東大寺や興福寺に比べると、春日大社に関心を持ったのは遅い。はじめて8月15日の中元万燈籠に行ったのが(東大寺の万灯供養会のついでだった)2009年で、以来、さまざまな季節に足を向けるようになった。しかし考えてみると、1月の若草山焼きも、12月の春日若宮おん祭も、むかしからあこがれているばかりで、まだ体験したことがない。3月には春日祭が今でも行われているのだな。知らなかったわあ。

 特におん祭については、写真と文章とマンガによる詳細なルポに刺激されて、ますます行ってみたくなった。夜の御旅所で奉納される神楽、猿楽(三番叟。三番三と書くのか)、細男(せいのお)、和舞(わまい)、舞楽「蘭陵王」など。見たい! 聞きたい! 「ヲーヲー」と表現されている神官による警蹕(けいひつ)の声は、東博でおん祭のビデオを見たとき、これだ!と思った。芝崎みゆきさんのマンガによれば、闇の中で神様のお渡りを待つ間、「携帯電話などもお切りください。もし鳴りましたならば×××」と「超怖い」脅かし方をされるそうである。それでこそ正しい祭礼。

 宝物については、絵巻『春日権現験記絵』に大量のページを投入(うれしい)。まず、発願者は西園寺公衡、絵は高階隆兼、詞書は鷹司基忠と3人の子、という成立事情に触れる。次に各巻に描かれた人物とストーリー。残念ながら20巻全部は紹介されていないが、巻19の雪の春日山など、いい場面をチョイスしている。春日明神の多彩な示現の姿、「気に入らないお経を燃やす」「童子姿で甘える」「嬉しくて踊る」などかわいい。時には女性に憑依し、嫣然と鴨居に腰かけて託宣を下したりもする。春日明神は「貞慶が好き、でも明恵はもっと好き」だったのか。貞慶は「ちょっと頑固で、しかも疑り深いところがある」、明恵は「学究肌の、とてもピュアな人でした」という説明が、親しみと愛情にあふれていて、誰が書いているのだろう?と思ったら、元奈良博学芸部長の西山厚さんだった。なるほど。

 後半には、大鎧と胴丸(国宝甲冑四兄弟)と、義経の形見という伝承のある籠手、太刀、箏、獅子・狛犬などが紹介されている。本書のアップ写真で細部にやどる美を味わってから、東博へ本物を見にいくほうがいいと思う。

 なお、私が春日大社に興味を持ったきっかけのひとつに、権宮司の岡本彰夫さんの著書『大和古物漫遊』『大和古物拾遺』がある。調べたら、平成27年(2015)6月末に退職されたそうだ。宇陀郡曽爾村のご実家に「大和古物」の資料館を構想中だというので、ぜひ実現してほしい。(※参考:個人ブログ tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

 本書の第二特集は、東京都美術館の『ティツィアーノとヴェネツィア派展』にちなんで「王たちの画家、画家たちの王 ティツィアーノを堪能する」。90歳近くまで長生きし、パトロンにも恵まれ、お金に困ったことのない順風満帆人生だったというような、どうでもいい情報を仕入れてしまったが、絵はステキなので見に行こうと思う。
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あおによし神鹿の社/春日大社 千年の至宝(東京国立博物館)

2017-01-30 23:36:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『春日大社 千年の至宝』(2017年1月17日~3月12日)

 約20年に一度の「式年造替」が平成28年(2016)に60回目を迎えた節目を記念して、奈良・春日大社の名宝の数々を、かつてない規模で展観する。

 展覧会の構成は、まず大型モニタで緑豊かな境内の映像を見せ、横を見ると愛らしい小鹿の映像。そして最初の展示室にいざなわれると「神鹿の杜」と題して、鹿、鹿、鹿…。金地の『鹿図屏風』六曲二双には、宗達ふうの鹿の群れ。細見美術館所蔵のラブリーな『春日神鹿御正体』も来ている。「鹿島立神影図」や「春日鹿曼荼羅」は各種あり。南北朝~室町時代の作が多いが、陽明文庫が所蔵する最古の『春日鹿曼荼羅』(鎌倉時代)も出ていた。白鹿ではなくて、普通の鹿の毛並みで描かれている。藤田美術館の『春日厨子』は、凛とした神鹿の人形を収め、白い狩衣の四人の神官が従う。鹿の頭上の天井には龍?

 絵巻『春日権現験記絵』(原本)が早くも登場。現在の展示は巻20で、春日の神が怒りを発し、春日山の木々が枯れ果てたが、神火が星のように飛んで社に入ったという場面である。ご神火は(たぶん)描かれていなくて、長大な画面の右端と左端に、何やら指さして噂しあう人々が描かれている。画面の中ほど、鳥居の下には、平和そうな鹿の群れが描かれているのも面白い。後期は巻12に入れ替わる。なお、絵巻の閲覧に使われたという「披見台」も出ていたが、「屏風のように立てて使用された」という説は初めて聞くもので、面白かった。閲覧を許された者以外が覗き見できないように、手元を隠したのだろうか。それとも風除け?

 そして、突然、狭い視界に春日大社御本殿(第二殿)がぬっと現れる。ほぼ実物大の復元だそうだ。左右の御間塀の壁画も見どころ。扉の前には、螺鈿の美しい八足案(机)と、その机の下に丸盆が二枚重ねて置かれていた。軒先には瑠璃灯篭の復元品が輝いている。原品(鎌倉時代)は展示ケースの中。

 続いて「平安の正倉院」と題して、さまざまな神宝類を紹介。12世紀(院政期)の品が多い。品のよい花鳥文を散らした平胡簶(やなぐい)は藤原頼長が使用したもの。『金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)』には、雀とブチねこ(なぜか大きさが同じくらい)で装飾されている、宋画に「捕雀猫図」という主題があるのだそうだ。

 次に「春日信仰をめぐる美的世界」には「春日宮曼荼羅」が多数。かつて根津美術館で見た『春日の風景』展の記憶が、少しずつよみがえってきた。最大画面を誇る、奈良・南市町自治会所蔵の「春日宮曼荼羅」は、多くの鹿が描かれていて楽しそう。若宮の神楽殿には、童形の若宮神が姿をのぞかせている(小さくて分かりにくいが、あとの方で拡大写真がある)。このセクションは第二会場に続き、仏画や彫刻の文殊菩薩像、地蔵菩薩像などもある。春日大社の第一殿から第四殿の神々は、釈迦、薬師、地蔵、十一面観音の化身とされ、若宮は文殊の化身とされたのだ。円成寺の十一面観音菩薩立像も来られていた。

 奈良博の『春日龍殊箱』も見ることができた。前期は外箱、後期は内箱だそうで、早めに行ってよかった。それから地味だが、伝・経覚筆『三社託宣』の書軸にも注目。いま売れている話題の新書『応仁の乱』に登場する興福寺僧の書跡である。こなれた達筆。

 「奉納された武具」には、鎌倉~南北朝時代の刀剣、大鎧と胴丸など。「神々に捧げる芸能」には、古い舞楽面や伎楽面が多数出ていて楽しい。「貴徳鯉口」など、あまり他所で見ないものもあった。「崑崙八仙」という曲、一度見てみたい。会場には春日若宮おん祭の超ダイジェストビデオも流れていたが、この祭礼もいつか体験してみたいものだ。最後は「春日大社の式年造替」で、文書資料に加えて、獅子・狛犬の四ペアが並んでいた。平成28年(2016)まで、御本殿の第一殿から第四殿の軒下に据えられていたものだ。第一殿のペアが最も古く(鎌倉時代)、それぞれ顔つきや姿態が異なるのが面白かった。

 なお、展示品の解説ボードに高い比率で「鹿」マークが添えられているので、途中で係員さんに聞いてみたら「あれは作品のどこか(絵や文字など)に鹿がいるという印です」「マークは4種類ありますが、絵の違いは意味がありません」とのこと。なんだ~。でも、マークのある作品(工芸品)で、どこに鹿がいるんだろう?とぐるり回ってみると、裏側にいたりするのは面白かった。

 たまたま直前に読んだ『スキタイと匈奴 遊牧の文明』によれば、スキタイの民は鹿を神聖視していて、その理由は、鹿の角が生え変わることにある(=再生を意味する)と書かれていた。鹿島から春日に鹿の信仰を伝えた人々も、同じことを感じていたのだろうか。
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古代の兵制から軍閥まで/〈軍〉の中国史(澁谷由里)

2017-01-29 21:40:56 | 読んだもの(書籍)
〇澁谷由里『〈軍〉の中国史』(講談社現代新書) 講談社 2017.1

 なんとなく不思議な内容だなあと思いながら最後まで読み、「あとがき」を読んで腑に落ちた。著者は、もともと「中国の軍閥」というテーマで書いてもらえませんか?という依頼を受けたのに対し、「軍閥」の根源を求めて古代・中世にさかのぼるうち、「軍事をきりくちにした中国通史」のような趣きになったという。まさにその言葉どおりの内容だった。

 近代(民国)以前がだいたい半分の分量を占め、記述は紀元前の古代王朝・周から始まる。周代は武器をみずから持参して兵役につくのが原則であり、貴族だけの義務であった。ああ、宮崎市定の『中国史』(岩波文庫)にもそんなことが書いてあったな、と思い出す。春秋時代になると、平民による常備軍が編成され、漢代には、「かね」を収めて兵役に代える制度が整備された。古代中国社会においては、収穫物をねらう外敵(非定住民)の侵入を防ぐ必要がある一方、あまり多くの民を徴発すると耕作者が不足して生産力が下がってしまうというジレンマがあった。これ、面白い。

 魏の曹操は、一般民とは別に「兵戸」を編成した。以後、各王朝で「兵農一致」か「兵農分離」かという模索が続く。また皇帝が全軍を掌握するか、兵権を地方に分散するかも悩みの種だった。前者は皇帝の権力を最大化するが、国庫の財政的負担も大きい。後者は地方司令官が反乱の拠点となりやすい。しかし、全軍を皇帝が統制するには、あの広い領土の隅々まで軍糧の輸送網をつくらなかればならないわけで、前近代には絶対無理な感じがする。さらに、遼、元(モンゴル)、清などの遊牧王朝、その間に挟まる明の統治体制についても、それぞれ簡便な記述がある。

 そして清末には、白蓮教徒の乱や太平天国の乱を経て、曽国藩・李鴻章らによる郷勇(郷土防衛軍)の組織、軍の近代化が始まる。日清戦争~変法運動~義和団事件~辛亥革命というドラマチックな流れは大好きなのだが、普通の通史と特に変わりがなく、「軍の中国史」という視点が物足りないと感じた。

 李鴻章の私兵と権力を継承した袁世凱は「軍閥」の嚆矢ということになっている。「閥」の字は、元来「功績」(官僚が功績を書いた柱を自宅の門前に建てたことから)の意味でしかなかったが、時代を下るにつれて「権勢をたのんで特殊な地位を占める人または集団」の意味になり、日本では大正時代初期から政治批判のスローガンとなる。実は、日本で先に山県有朋ら軍事元老集団を指すことばとして成立し、のちに中国の地方権力に対しても使われるようになったらしい。意外だ。中国でこのことばを「政治に干渉する軍人」の意味で最初に使ったのは陳独秀であるという。

 民主共和制を否定し、反動的な専横をおこなった袁世凱は、悪者扱いされることが多いが、著者の見立てによれば、民国初期の政治体制は「実力のない孫文たちがいきおいにまかせてつくりあげた砂上の楼閣」であり、袁世凱が国家の求心力の回復に乗り出さざるを得なかったという。これは辛辣だが、非常に面白い。「空洞化している政治を軍事がのみこむかたちでしか国家運営ができなかった」とも言われているが、中国のどの時代も、混乱期や新しい王朝の抬頭期はそうだと思う。軍事的な優位を手にした者が次の王朝を開き、戦争が不要になると、軍事体制は強固な官僚体制に組み替えられていくのだ。

 袁世凱没後は、安徽派の段祺瑞、直隷派の馮国璋、奉天派の張作霖と、その他の勢力もからんで、めまぐるしい権力闘争が繰り返される。むかし見た中国ドラマ『走向共和』で覚えた人名が、理解の助けになったが、詳しくは知らないことが多く、共和制否定論者で一時的に宣統帝の復位を宣言してしまう張勲とか、兵士を大事にしたクリスチャン・ゼネラル馮玉祥とか、多彩な登場人物が面白かった。そして、死の直前の孫文は、コミンテルンやソ連と接触し、共産党との合作に踏み切ったが、最後まで「国共合作と『軍閥』連合とをはかりにかけて」おり、「むしろ後者に重きをおいていたように思われる」と著者は述べる。近代中国史は、まだまだ現在の「公式見解」を疑ってみる余地があるのだな。

 そして毛沢東が登場し、共産党の軍(人民解放軍)が現在に至ることを紹介して本書は終わる。中国は、私兵が国軍のかわりを果たしてきた歴史が長く、それゆえ兵士は統率者の「人治」に頼る伝統がある。われわれ日本人は、中国の軍隊を「中国という国家の軍隊」だと思っているが「そのようなものはじつは出現したことがないのである」という、読者を煙に巻いたような結論には苦笑するしかなかった。

 なお、「軍閥」割拠期の時代と人物については、浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズが、そのうち絶好の入門書になるだろうと思っていたら、「あとがき」で著者が『中原の虹』以降の歴史考証を担当していることが述べられていた。知らなかったけど、納得である。
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東博で『安晩帖』「叭々鳥図」を見る

2017-01-27 23:50:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 アジアギャラリー(東洋館)8室(中国の書画)特集『董其昌とその時代-明末清初の連綿趣味-』(2017年1月2日~2月26日)

 正月早々に見てきたこの特集陳列(※記事)。会場で、京都・泉屋博屋館所蔵の『安晩帖』(八大山人/朱耷(しゅとう)筆)を見つけたときは、本当に声が出るほど驚いてしまった。展示替えがあるのかどうかが気になって、次の週末にも行ってみたのだが、同じ画面(山水画)が出ていたので、ずっとこのままかな、と諦めていた。

 そうしたら、今週(1/25)、トーハク広報室のTwitterアカウントから「泉屋博古館所蔵の『安晩帖』は、現在、鳥の場面が展示されています」というつぶやきが写真つきで流れてきた。「この作品はなんと、泉屋博古館外で初出品となったものです。展示は東洋館8室にて、1月29日(日)まで、貴重な機会をお見逃しなく!」と続く。さすが、国立博物館の権威があると、こんな奇跡が可能になるのか(違う?)。

 今日は幸い、東京で午後の仕事が終わったので、金曜の延長開館を利用して見てきた。展示室に入ると、まっすぐ『安晩帖』の入っている展示ケースに直行。先に見ていたお兄さんが、すっと気前よく場所を譲ってきれた。感謝。とうとう、自分の視界にホンモノの、あの片足立ちする鳥の絵があると思うと、何とも言えない感慨が込み上げてくる。

 うつむく鳥の肩というか背中のあたりは、じわっと墨がにじんでいる。風の中で羽毛をふくらませているように見えるけれど、一筋ずつ描いたのではなくて、紙の繊維に沿って自然に墨が広がるのを利用しているようだ。宗達や若冲が使う「たらしこみ」とはちょっと違う。こんなぼんやりした輪郭の子は、日本の水墨画にはあまりいないような気がする。そもそもこの子は何の鳥だろう?と思って調べたら「叭々鳥」だった。若冲が描くと、スピード狂みたいに三角形になって落下してくるあの鳥である。

 写真図版だとどうしても視点が正面に固定されるが、現物だと、離れてみたり近づいてみたりして、印象の差を楽しむことができる。右斜めからだと、鳥の後ろ姿を見ている感じ。左斜めに離れると、鳥の体がスリムにたよりなく見える。あと足元の岩の白黒のまだら具合とかすれ具合が好きになった。またいつか、再会できることを楽しみにしよう。

※参考:泉屋博古館 所蔵品紹介『安晩帖』

 まだ閉館まで余裕があったので、特別展『春日大社 千年の至宝』も見てしまおうと思って平成館にまわった。そうしたら「17時以降は賛助会員(?)の方のみに開館しています」「1月から3月まで、特別展は夜間開館しておりません」と言われて、受付で止められてしまった。いまホームページの利用案内を確認したら、確かに「2016年3月~12月までの特別展開催期間中の毎週金曜日は総合文化展、特別展とも20:00まで開館します」とある。2017年1月以降、つまり『春日大社』展については夜間開館をしていないのだ。しかし、全くしていないのではなくて、少なくとも今日は、けっこうな人数の来館者が、特別な受付をして中に入って行った。あれはどういう資格者だったんだろう? ちょっと解せない。
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騎馬遊牧民の興亡/スキタイと匈奴 遊牧の文明(林俊雄)

2017-01-24 23:40:54 | 読んだもの(書籍)
〇林俊雄『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(興亡の世界史)(講談社学術文庫) 講談社 2017.1

 2006年から2010年にかけてハードカバーで刊行された「興亡の世界史」が、いつの間にか文庫本になっていた。私は、このシリーズがけっこう好きで、数えてみると全21巻のうち7冊は読んでいるのだが、本書をスルーしてしまったのは、「遊牧の文明」にあまり関心がなかったせいだと思う。今回は、タイトルだけで心が動いて、すぐ購入してしまった。

 本書の前半は「スキタイ」を、後半は「匈奴」を扱う。スキタイは、名前の知られている騎馬遊牧民としては最も古い存在の一つであり、前8/前7世紀から前4世紀にかけて活動した。著者はこれを「草原の古墳時代」と呼ぶ。ちなみに中国は春秋戦国時代、西アジアはアッシリア帝国が滅んだすぐあとで、アケメネス朝ペルシアと同時代である。こんなに古い遊牧文明があったのかと認識をあらためる。実は「興亡の世界史」シリーズは、従来の「世界史もの」に比べて騎馬遊牧民を重視した構成になっているのだそうだ。「従来の歴史学では、騎馬遊牧民に関する叙述は、その重要性にもかかわらず、多くはなかった」と語られているが、確かに私も世界史の授業でスキタイについて学んだ記憶は全くない。

 はじめにスキタイが登場するのはカフカス(コーカサス)と黒海北方の草原地帯、西アジアであるが、よく似た文化が中央アジア北部からモンゴル・中国北部まで分布しているので、それらを含めて「広義のスキタイ」と呼ぶこともある。ヘロドトスの『歴史』は、黒海北岸のスキタイについて記述しているが、考古学的調査によれば、東方の内陸アジアに出現したスキタイのほうが早く、彼らが他の騎馬遊牧民に追われて、西アジアに移動してきたと考えられている。

 スキタイを他の文化と区別する特徴は「動物文様」「馬具」「武具」にある。動物文様については、本書は写真図版が豊富で(白黒だけど)分かりやすい。「草食獣の脚を前後から折りたたむ」などは「スキタイ以外の美術には見られない」のだそうだ。こういう特徴を知っていると、古代の美術を見ても面白いだろうな。時代による変化もあって、西部では、後期(前4世紀後半~)になるとギリシアの影響が顕著になり、グリフィンが登場する(鷲グリフィンと獅子グリフィンって初めて知った)。それから、北カフカスと黒海北岸のスキタイ古墳で発見されている石人も面白い。

 前4世紀、黒海北岸のスキタイは、東方から移動してきた新たな遊牧民の圧迫により衰えていく。一方、中国北方の草原地帯には匈奴が出現する。匈奴については『史記』『漢書』の記述が中心となり、張騫とか李陵とか霍去病とか、知っている名前が頻出するので、正直なところ、前半より格段に読みやすかった。しかし、これまでは中国の側から匈奴を見た歴史しか知らなかったので、本書のように、単于(匈奴の君主)の系譜を丁寧に追っていくような記述は初めてで、とても面白かった。初代頭曼単于、2代冒頓単于(最も有名)から、22代蒲奴単于まで、漏れなく記述されており、匈奴集団がひとつの国家であり王朝だったことを実感する。

 この時代、内陸アジアではさまざまな小国家の興亡があり、匈奴の中でも分裂や権力争いがあった。漢人と匈奴の関係は、絶対的な敵対ではなくて、匈奴が才能ある漢人をほしがるとか、逆に匈奴が漢の傭兵となるとか、食うに困った漢の貧民が匈奴の側に逃亡するとか、いろいろな交流があったようだ。そうやって文化は混ざり合ったんだろうな。また、武帝の西域経営がかなり高圧的だったことや、それでも漢との関係はまだよかったが、王莽の新は漢民族中心主義を強行したため、異民族との外交関係が険悪になったことは初めて知った。かの有名な王昭君には云(うん)という娘(単于の死後、再婚後の娘)がおり、云は漢との和親交渉に献身したが、長安に連行され、漢の復興を目指す軍隊によって、王莽とともに殺されてしまう。なんと、王昭君より悲劇的な女性ではないか。

 匈奴は南匈奴と北匈奴に分裂し、南匈奴は後漢に服属し、長城の内側に住むようになる。一方、北匈奴は後漢の記録から消えてしまう。そこで、この北匈奴の後裔が「フン族」ではないかという説が生まれた。むかし、高校の世界史でこの説を聞いたときは、大陸の東と西がちゃんとつながっているんだということを実感して、少し感動したことを覚えている。しかし、この説について、著者はさまざまな議論を紹介しながら、慎重な立場を取っている。

 中央アジアの本格的な考古学的調査は、まだ始まったばかりで、さまざまな可能性が残されているように思う。本書「考古学からみた匈奴時代」の章には、1978年、北アフガニスタンで見つかった六基の墓とおびただしい金製品のことが紹介されている。これは、昨年2016年、東博の『黄金のアフガニスタン』展に来ていたものだ、とすぐに思い当たった。「学術文庫版のあとがき」には、原著(2007年)刊行後の発掘調査の主な進展が記載されている。これらも、やがて、展示会などを通して、私たち一般市民の目に触れる機会があることを願っている。
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コーヒーにナポリタン/昭和喫茶のモーニング&ランチ(TATSUMI MOOK)

2017-01-23 22:14:21 | 読んだもの(書籍)
〇喫茶店文化研究会監修『昭和喫茶のモーニング&ランチ:東京編』(TATSUMI MOOK) 辰巳出版 2016.6

 いつの頃からか、喫茶店のモーニングというのが好物になった。厚めのトーストにコーヒー。バターとジャムはほしい。卵やサラダはついていてもいなくても可。なぜか関西方面に旅行に行くと、こういうモーニングを出してくれる喫茶店によく当たる。京都のイノダコーヒーとか小川珈琲とか、大阪の三番館とか。これらは、チェーン展開はしているけれど、地域に根づいた喫茶店で、旅の楽しみになっている。それに比べると、東京都心部は、チェーン店のカフェばかりが目に入る。

 と思っていたが、本書を見ると、東京にもまだまだ昔ながらの個性的な喫茶店が残っているようだ。第1章は「モーニング・セット」おすすめの14店、第2章は「ランチ」推しの14店、第3章は「昭和の純喫茶進化形」10店、第4章は「定食サービス」に特徴のある10店を紹介する。文庫と新書の中間くらいの小型ムック本だが、喫茶店の内装や店主の紹介は最小限にとどめ、思い切りよく料理をアップにした写真が多くて嬉しい。店の所在地は、銀座や新宿も混じっているけれど、浅草・上野・入谷・三ノ輪など東京の東部(下町)と、吉祥寺・国立・立川などの西部(中央線沿線)の両極端が多くて、納得できる。

 モーニングの14店に私が行ったことのあるお店は1軒もなし。まあ東京育ちなので、必然的にそうなる。銀座の老舗「トリコロール」本店のモーニングは、バランスよく品がよくて美味しそう。いつか食べにいける機会があるかなあ。浅草の「珈琲屋」は厚切りトーストのボリュームが魅力的で、本書の表紙にもなっている。

 喫茶店のランチといえば、やっぱりスパゲッティ・ナポリタンが定番。二番手がチキンライス入りオムライスで、トマトケチャップは昭和生まれの好物なのだな。私も大好き。ナポリタンは、どのお店の写真を見ても、あまり差があるように見えないのがいいところ。しかし、新橋の「POWA」は別格な感じがした。グルメ雑誌にもよく紹介されるというナポリタン、一度、食べてみたいが、お店の内装が大人向けすぎて、心理的なハードルが高そうである。

 「昭和の純喫茶進化形」「定食サービス」では、カレーやシチューに加えて、焼き魚にごはんと味噌汁、しょうが焼き定食などの変わりメニューを出す喫茶店が紹介されている。本郷三丁目の喫茶「ルオー」はカレーとコーヒーのお店。懐かしいなあ。また食べに行きたい。
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視聴中:『射雕英雄伝』(2017年版)、『趙氏孤児案』他

2017-01-22 23:00:00 | 見たもの(Webサイト・TV)
 この週末は、あまり体調がよくなかったので、二日間とも家に引きこもって、テレビやビデオを見ていた。

■『射雕英雄伝』全52集(2017年、浙江華策影視)

 1月9日から東方衛視で放送が始まった『射雕英雄伝』(2017年版)、なんとYouTubeにすぐ流れてくることが分かってしまった。断片的な情報だと、週末に4話ずつまとめて放送されているらしく、現在、第8話までUPされている。もちろん中文字幕版だが、何度もリメイクを見ているドラマなので、全く視聴に問題はない。

 私は2003年の李亜鵬版が好きすぎて、2008年の胡歌版はどうも気に入らなかった。2017年版の主役、郭靖(楊旭文)と黄蓉(李一桐)は「新人」と聞いていて不安だったが、悪くないと思う。楊康(陳星旭)はリメイクごとに雰囲気が変わるので、正解がよく分からない。モンゴルの描写は戦闘シーンに迫力があって、とても満足。だが、やっぱり梅超風は2003年版を超えるのは難しいなあ、などが序盤の感想である。このまま、本国の放送をリアルタイムに追いかけていきたい。

■『趙氏孤児案』全45集(2013年、中国中央電視台)

 昨年暮れから、GYAO!ストアで「天命の子~趙氏孤児」と題して配信されている。舞台は中国春秋時代の晋の国。趙朔とその一族は政敵の屠岸賈によって皆殺しにされたが、生まれたばかりの幼児だった趙武は、趙朔の食客・公孫杵臼と、友人・程嬰の機転によってただひとり生き残り、成人後、趙氏の再興を果たす。「史記」や「左伝」が伝える有名な物語で、元曲や京劇でも親しまれてきた。ドラマは、医者の程嬰(呉秀波)を主人公に、屠岸賈(孫淳)との腹の読み合い、頭脳戦が前半の見どころ。屠岸賈の造形が、愛妻家であり、刻苦勉励する能吏でもあり、単なる悪人でないところが魅力的だ。

 年末の配信が16話までだったので、続きが見たくてやきもきしていたら、ようやく17~30話がリリースされ、視聴継続中である。『射雕』と比べると、当たり前だが、画面も脚本も重厚である。さすが中国中央電視台制作(日本ならNHK)というところか。

 日本のドラマも見ている。今年の大河ドラマ『おんな城主直虎』は、第3話まで視聴中。のめり込むほどではないが、今のところ、女性大河にありがちなストレスはなく見ている。『精霊の守り人』第2シーズン(連続9回)も今週末から始まった。陰謀と魔術とアクション満載で、だいたい中華古装劇を見るような感覚で見ており、楽しい。あと、これらと全く異なるシリアスな現代劇をひとつだけ、NHKドラマ10『お母さん、娘をやめていいですか?』を見ている。なんだか結果的に、NHKのドラマばかり見ているようだ。
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菌(微生物)のおかげ/醤油・味噌・酢はすごい(小泉武夫)

2017-01-20 22:54:57 | 読んだもの(書籍)
〇小泉武夫『醤油・味噌・酢はすごい:三大発酵調味料と日本人』(中公新書) 中央公論新社 2016.11

 食文化に関する本は、時々読みたくなる。若い頃は全く興味がなかったジャンルで、あまり知識の蓄積がないので、1冊読むと、新しい知識がたくさん得られる。本書は、日本人の食文化の基層とつながりが深い「醤油」「味噌」「酢」の三つの調味料について述べる。便宜上、三つの章に分けているが、醸造学的あるいは発酵学的視野から見ると、三者は互いに関連が深い。共通するのは「麹菌」である。気候風土が適しているため、日本には麹菌が、地球上で最も旺盛かつ強健に分布棲息している。麹菌は日本の「国菌」であると語られているが、そんな呼び方があるのか。

 本書の記述は文理融合的で面白かった。第1章は「醤油」で、まずその歴史を概観する。「醤」という字は中国由来だが、古来、日本には「比之保(ひしほ)」ということばがあった。おそらく肉や野菜を塩に漬けて保存することが行われており、材料から染み出た水分(浸透圧の原理)が、味のついた液体となることが知られていたのだろう。奈良時代の木簡や文書には、さまざまな「醤」が記されており、大豆や小麦を漬け込んだ「穀醤」は、今日の醤油の原形と見られる。初めて「醤油」の二文字が現れるのは室町時代だが、鎌倉・室町の醤油はトロリとした「溜(たまり)」状であり、江戸初期から今日の醤油の造り方が行われるようになった。

 歴史の次に「醤油ができるまで」の理科学的な解説がある。醤油とは、大豆と小麦でつくった麹と食塩水を原料にして発酵させ、それを搾って熟成させたもの、という基本的な工程さえ、私は知らなかったので、どんな発酵微生物(麹菌、醤油酵母、醤油乳酸菌)がどのように働くかなど、非常に興味深かった。

 次に「味噌」。これもはじめは歴史で、『三代実録』に初めて「味噌」の文字が登場し(早い!)『宇津保物語』に「みそ」が登場するとか、平城京で「未噌」が売られていたことが正倉院文書から分かるとか、『和泉式部続集』の詞書に「みそを人かりやるとて」とあるとか、豊富な実例が引かれている。戦国武将たちは、豊富な蛋白質を含み、兵糧となる味噌の生産を奨励した。朝鮮出兵の際、伊達政宗が持ち込んだ仙台味噌の品質が優秀で名を上げたという話は初めて知った。江戸時代になると、その土地土地で愛される御当地味噌が発展していく。

 味噌は色(赤・白)や味(甘・辛)によって、材料の配合や発酵微生物の種類にバリエーションがある。主たる材料は大豆で、米と米麹を使うのが「米味噌」、麦と麦麹を使うのは「麦味噌」だが、東海地方には大豆のみでつくる「豆味噌」がある(八丁味噌はその一例)。これは日本古来の味噌ではなく、朝鮮半島から高麗人によってもたらされたと考えられている。たぶん人間は食いしん坊だから、食文化は自然と混淆するんだなあ。

 最後に「酢」。そういえば『万葉集』に「醤酢(ひしほす)」を詠んだ歌があった。酢といえば寿司だが、平安時代の『和名類聚抄』には「鮨」、『延喜式』には「鮓」の表記がある。「酢」は発酵した「熟酢(なれずし)」と見られるが、「鮨」の解釈は一定しない。寿司好きの日本人は、早く食べられる寿司を求めて、なれずし→押しずし→巻きずし、ちらしずしを生み出し、江戸末期に握りずしが普及する。すし種も美味を求めてずいぶん変わってきたことに気づかされた。

 酢はエチルアルコールに酢酸菌が作用したもの。穀物を分解してできた唐、または果実に含まれる唐分に酵母を加えて酒(エチルアルコール)をつくり、「飲ん兵衛な」酢酸菌を作用させて酢を作る。なるほど、酢にもいくつか種類があるが、鹿児島福山町の黒酢は、中国から伝わった古い製造法を用いている。壺酢とも呼ばれ、何万個(!)もの壺が山の斜面に並んでいるという。小さな写真が載っていたが、いつか風景を見に行きたい。

 醤油・味噌・酢、私はいずれも好きだが、ふだんあまり接する機会のない「溜り醤油」や「白味噌」も味わってみたくなった。そして、われわれの豊かな食生活が、菌(微生物)のおかげだということがよく分かった。
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弱者に寄り添う/宣教師ザビエルと被差別民(沖浦和光)

2017-01-18 22:17:34 | 読んだもの(書籍)
○沖浦和光『宣教師ザビエルと被差別民』(筑摩選書) 筑摩書房 2016.12

 話題の映画『沈黙』を見る前に!というPOPに惹かれて、つい購入してしまった。本書は、フランスシスコ・デ・ザビエルを主とするイエズス会宣教師たちの海外布教の足跡をたどった著作。日本だけでなく、インドやインドネシアも舞台となっており、いずれの地域でも、彼らが底辺層の民衆への布教に力を尽くしたことが語られている。ザビエル(1506-1552)は、バスク地方にあったナバラ王国に生まれた。ザビエルとともに「イエズス会」を結成するロヨラ(1491-1556)もこの地方の生まれで、二人ともバスク人だったというのは、初めて知った。

 サビエルたちが活躍する時代の少し前、14世紀の西ヨーロッパはイスラム勢力に包囲されていたが、15世紀末、イベリア半島のレコンキスタ(国土回復)が完成すると、形勢逆転して、大航海時代の幕開けとなる。15世紀末から16世紀にかけては、宗教改革の大激動期でもあった。ルター派、カルヴァン派などプロテスタント各派が果敢な闘争を展開する一方、カトリック教会の中からも、民族や国家という枠組を越え、万人に開かれた「神の国」を目指す「イエズス会」が結成される。このへんは、だいたい自分が理解していた歴史像のとおりだった。

 そして、未知の世界に福音を伝えるため、海外に進出した宣教師たちは「植民地経営の思想的な尖兵」であったという考え方がある。著者は(例外はあるにしても)そのように考えていたと告白しており、私自身も同じ認識を持っていた。しかし、本書を読んで、イエズス会=侵略の尖兵という、一見「いい話の裏を暴いた」ような通説が、宣教師たちの活動実態に即していないことを思い知らされた。

 ザビエルは、1542年5月にインドのゴアに到着すると、現地語を学び、漁民の間で布教を開始する。彼の書簡が伝えるところによれば、まず漁民たちの文化や風俗を理解し、子どもたちのために小さな学校をつくり、病人の救済にも取り組んだ。「彼らにキリスト教の福音を直接説くことは、結果としてはその次の課題であった」という。漁民たちは、ヒンドゥー教の「不殺生戒」を犯すことによって、アウト・カーストの賤民と見られていた。

 1546~47年にかけては、マルク諸島(インドネシア東部、ニューギニア寄り)に赴く。島々には、元来、古マレー系の人々が住んでいたが、16世紀になると、特産品の香料を求めて新マレー系が移り住み、インドやアラブ系の商人を通じてイスラム教が入ってきた。しかし、古マレー系の先住民はイスラム教を受け入れず、イスラム商人は先住民の「首狩り」の習俗を蔑視していた。ザビエルは、首狩り族と疫病の危険があるという忠告にもかかわらず、未開の島々に渡り、野営をしながら先住民の村々をまわって、病人を介護し、子どもたちを教育しながら、彼らに洗礼を授けた。

 このような、インドとインドネシアにおけるザビエルの活動実態を知ると、文明化した日本での布教など、さほどの困難ではなかったろうなという感想とともに、日本での布教が、地位や教養のある人々だけをターゲットにしたものであるはずがないよな、という推測が湧いてくる。

 マルク諸島からの帰途、ザビエルは、マラッカで鹿児島出身の海商アンジロー(ヤジロー)と出会う。ザビエルは、アンジローともう二人の日本人をゴアに連れ帰り、洗礼と教育を施した。そして、アンジローを案内人とし、1549年、ついに日本の鹿児島に上陸する。鹿児島、平戸、山口など布教の旅を続けながら日本語を学び、「40日間で神の十戒を説明できるくらいは覚えました」というのに感心した。一方的にキリスト教の教義を押し付けたのではなく、ちゃんと現地文化を理解しようとつとめていたのである。

 1551年、日本を離れたザビエルは、中国・広東の沖合の島で亡くなり、遺骸はマラッカを経て、いまインドのゴアに埋葬されている。そして、ザビエルの遺志を継いで日本にやってきた宣教師たちは、戦争孤児の施設をつくり、学校を建て、生活困窮者や重病人の救済活動を精力的に行った。私が教科書やドラマを通じて培ってきた宣教師のイメージは、有力大名に布教する姿ばかりだが、実は「漂泊の遊芸民や賤民層からの入信者も少なくなかった」という。琵琶法師のロレンソ了西(了斎)とか遊芸民のトビアスとか、名前を聞くだけで小説的な想像力を刺激される。

 また「癩者」も多かった。フランシスコ会は、日本の7か所に病院を設け、その多くは救癩のための施設だった。迫害時代に入っても、フランシスコ会は特に東北地方での布教に力を尽くしたという。こうした実態を知らずに、イエズス会=侵略の尖兵みたいな一面的な見方を振りかざすことは、今後、やめにしようと思った。そして、イエズス会宣教師を警戒する通説の出どころとしては、続いて日本にやってきた新教国オランダの影響が強いのではないかと考えた。
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若冲は別腹/とりづくし+伊藤若冲+泉涌寺(京都国立博物館)

2017-01-17 23:19:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
 大阪東洋陶磁美術館の汝窯水仙盆を見たあと、ただちに京都に向かったら、空間がねじれているかのような天気の違い…。コートの雪を払いながら、京都国立博物館の平成知新館に入る。

 

■平成知新館2F-1~2 新春特集陳列『とりづくし-干支を愛でる-』(2016年12月13日~2017年1月15日)

 3階は閉室中のため、展示は1、2階のみ。新春特集の「干支づくし」展示は、東博ではもう12年以上の歴史を持つが、京博では昨年始まったばかり。干支が一周するまで、当分楽しめそうだ。冒頭は斉白石の『大鶏小鶏図』。東博も斉白石の『雛鶏図』と『菊群鶏図』を出していたので、おや偶然?と思った。ほほえましいヒヨコとニワトリに和む。宋紫石の『牡丹双鶏図』は、記憶にない珍しいもの。白色レグホンみたいな鶏の夫婦が描かれている。華やかで楽しい『百鳥文様打掛』は、かつて特別展観『百獣の楽園』で見たことがある。

 雪舟の『四季花鳥図屏風』(京博所蔵)は、東京にいるとなかなか見る機会のないもので、こんな特集陳列で見てよいのかと驚いた。ぼんやり眺めているうち、右隻の身を反り返らせた松(細い枝先が画面の中央あたりに空から垂れている)と、左隻の左上から斜めに降下し、また上に向かうとする白梅のかたちが、光琳の『紅白梅図屏風』によく似ていることに気づいた。この絵は何度か見ているはずなのに、突然感じたことなので記しておく。

 京狩野六代目・狩野永敬の『四季花鳥図屏風』は、ちょっと狩野派と思えない。沈南蘋の影響を受けているとかで若冲にも似ている。長山孔寅という画家の『群鶏図屏風』も若冲もどきで、これは注文に応じて、意識的に斗米翁(若冲)を模倣したことが書き付けられている。そして仕切りの壁をまわると、次室から若冲特集である。

■平成知新館2F-3~5 特集陳列『生誕300年 伊藤若冲』(2016年12月13日~2017年1月15日)

 全28点という小規模展示(うち京博所蔵7点)だが、セレクションが素晴らしい。『墨竹図』とか『筍図』とか墨画の小品からして「私の見たかった若冲」にドンピシャ嵌る。『四季花鳥図押絵貼屏風』は、『芸術新潮』2016年5月号の特集「若冲・水墨ニューウェイヴ」で、学芸員の副士雄也さんが紹介していた作品。雑誌には小さな写真しか載っていなくて、よく分からん!とフラストレーションを感じたのだが、ついに実物を見ることができた。なるほど技量は未熟だ。顔だけ白くて体が真黒なニワトリとか何あれ。でも画面に顔を近づけて、墨の黒さ、筆さばきのスピードを味わうと「力技ともいうべき大胆さ」「ほとばしる情熱・エネルギー」が、だんだん愛おしくなってくる。この特集展示の担当は福士さんであったか、と気づく。

 このエネルギッシュな作品が40代半ば。50代の作品は『隠元豆双鶏図』など、温和で抑制された表現が見られる。若冲らしい面白味に欠けるので、あまり注目されてこなかったが、70代の軽妙洒脱な画風に移行していく重要な過渡期と考えられている。少ない作品数で、若冲の変化と進化がよく分かる展示構成である。

 人物画、山水画にも目配りが行き届いている。近年、見出された『六歌仙図押絵貼屏風』は初公開。しかし、幾何学図形のように簡略化されたフォルムの六歌仙が、ニワトリに見えてならない。特に小町。思わず笑ってしまう『蝦蟇河豚相撲図』は大好き。着色画は少なめだったが、初公開の『大根に鶏図』は晩年の作で、工芸品のような美しいニワトリなのに、無心に大根の葉をつまむ姿がリアルで面白かった。

 11メートルを超える画巻『乗興舟』は完全公開。漆黒の空、淡墨の川、その中間の墨色の山、という三色の帯が、それぞれ太くなったり細くなったりしながら続いていく姿に、気持ちよいリズムがある。出発点が伏水(伏見)口で、最後は霞に浮かぶ天満橋なのだが、漢文には「虹橋」という文字が見えて、やっぱり清明上河図を意識しているのかなと思った。羅漢さんのユートピアを描いたような『石峰寺図』も、なかなか見られないもの。『石燈籠図屏風』『百犬図』(※これは寄託品)『果蔬涅槃図』は「京博の若冲」を語る上で外せないもので、ちゃんと出してくれて嬉しかった。

 昨年は主な若冲展を全て見てまわったけど、「京都国立博物館だより」に書かれていた「若冲は別腹」に、すごく共感してしまった。そして、若冲イヤー2016年の掉尾を飾る素晴らしい展覧会を開催してくれた京博には感謝の言葉しかない。最終日に駆け込みだったので、雪で臨時閉館したらどうしようと気を揉んだけれど、見ることができて本当によかった。

■平成知新館1F-2,3,5 特集陳列『皇室の御寺 泉涌寺』(2016年12月13日~2017年2月5日)

 1階は、一部の展示室を使って本展を開催。京都市東山区の泉涌寺は、平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基は鎌倉時代の俊芿(しゅんじょう)法師で、入宋して多くの文物を持ち帰り、宋風の伽藍を目指した。彫刻は、塔頭・来迎院の三宝荒神坐像(四臂、秘仏)、楊貴妃観音と呼ばれる観音菩薩坐像、筋骨たくましい五体の護法神立像、宋や高麗の仏画に多い逆手の阿弥陀如来立像、いかにも宋風で人間的な月蓋長者像など、個性的なものが多くて見飽きない。その他、頂相、書画、工芸など豊富で面白かったが、出品リストしかないのは寂しい。せめてリーフレットくらい欲しかった。
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