〇澁谷由里『〈軍〉の中国史』(講談社現代新書) 講談社 2017.1
なんとなく不思議な内容だなあと思いながら最後まで読み、「あとがき」を読んで腑に落ちた。著者は、もともと「中国の軍閥」というテーマで書いてもらえませんか?という依頼を受けたのに対し、「軍閥」の根源を求めて古代・中世にさかのぼるうち、「軍事をきりくちにした中国通史」のような趣きになったという。まさにその言葉どおりの内容だった。
近代(民国)以前がだいたい半分の分量を占め、記述は紀元前の古代王朝・周から始まる。周代は武器をみずから持参して兵役につくのが原則であり、貴族だけの義務であった。ああ、宮崎市定の『中国史』(岩波文庫)にもそんなことが書いてあったな、と思い出す。春秋時代になると、平民による常備軍が編成され、漢代には、「かね」を収めて兵役に代える制度が整備された。古代中国社会においては、収穫物をねらう外敵(非定住民)の侵入を防ぐ必要がある一方、あまり多くの民を徴発すると耕作者が不足して生産力が下がってしまうというジレンマがあった。これ、面白い。
魏の曹操は、一般民とは別に「兵戸」を編成した。以後、各王朝で「兵農一致」か「兵農分離」かという模索が続く。また皇帝が全軍を掌握するか、兵権を地方に分散するかも悩みの種だった。前者は皇帝の権力を最大化するが、国庫の財政的負担も大きい。後者は地方司令官が反乱の拠点となりやすい。しかし、全軍を皇帝が統制するには、あの広い領土の隅々まで軍糧の輸送網をつくらなかればならないわけで、前近代には絶対無理な感じがする。さらに、遼、元(モンゴル)、清などの遊牧王朝、その間に挟まる明の統治体制についても、それぞれ簡便な記述がある。
そして清末には、白蓮教徒の乱や太平天国の乱を経て、曽国藩・李鴻章らによる郷勇(郷土防衛軍)の組織、軍の近代化が始まる。日清戦争~変法運動~義和団事件~辛亥革命というドラマチックな流れは大好きなのだが、普通の通史と特に変わりがなく、「軍の中国史」という視点が物足りないと感じた。
李鴻章の私兵と権力を継承した袁世凱は「軍閥」の嚆矢ということになっている。「閥」の字は、元来「功績」(官僚が功績を書いた柱を自宅の門前に建てたことから)の意味でしかなかったが、時代を下るにつれて「権勢をたのんで特殊な地位を占める人または集団」の意味になり、日本では大正時代初期から政治批判のスローガンとなる。実は、日本で先に山県有朋ら軍事元老集団を指すことばとして成立し、のちに中国の地方権力に対しても使われるようになったらしい。意外だ。中国でこのことばを「政治に干渉する軍人」の意味で最初に使ったのは陳独秀であるという。
民主共和制を否定し、反動的な専横をおこなった袁世凱は、悪者扱いされることが多いが、著者の見立てによれば、民国初期の政治体制は「実力のない孫文たちがいきおいにまかせてつくりあげた砂上の楼閣」であり、袁世凱が国家の求心力の回復に乗り出さざるを得なかったという。これは辛辣だが、非常に面白い。「空洞化している政治を軍事がのみこむかたちでしか国家運営ができなかった」とも言われているが、中国のどの時代も、混乱期や新しい王朝の抬頭期はそうだと思う。軍事的な優位を手にした者が次の王朝を開き、戦争が不要になると、軍事体制は強固な官僚体制に組み替えられていくのだ。
袁世凱没後は、安徽派の段祺瑞、直隷派の馮国璋、奉天派の張作霖と、その他の勢力もからんで、めまぐるしい権力闘争が繰り返される。むかし見た中国ドラマ『走向共和』で覚えた人名が、理解の助けになったが、詳しくは知らないことが多く、共和制否定論者で一時的に宣統帝の復位を宣言してしまう張勲とか、兵士を大事にしたクリスチャン・ゼネラル馮玉祥とか、多彩な登場人物が面白かった。そして、死の直前の孫文は、コミンテルンやソ連と接触し、共産党との合作に踏み切ったが、最後まで「国共合作と『軍閥』連合とをはかりにかけて」おり、「むしろ後者に重きをおいていたように思われる」と著者は述べる。近代中国史は、まだまだ現在の「公式見解」を疑ってみる余地があるのだな。
そして毛沢東が登場し、共産党の軍(人民解放軍)が現在に至ることを紹介して本書は終わる。中国は、私兵が国軍のかわりを果たしてきた歴史が長く、それゆえ兵士は統率者の「人治」に頼る伝統がある。われわれ日本人は、中国の軍隊を「中国という国家の軍隊」だと思っているが「そのようなものはじつは出現したことがないのである」という、読者を煙に巻いたような結論には苦笑するしかなかった。
なお、「軍閥」割拠期の時代と人物については、浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズが、そのうち絶好の入門書になるだろうと思っていたら、「あとがき」で著者が『中原の虹』以降の歴史考証を担当していることが述べられていた。知らなかったけど、納得である。
なんとなく不思議な内容だなあと思いながら最後まで読み、「あとがき」を読んで腑に落ちた。著者は、もともと「中国の軍閥」というテーマで書いてもらえませんか?という依頼を受けたのに対し、「軍閥」の根源を求めて古代・中世にさかのぼるうち、「軍事をきりくちにした中国通史」のような趣きになったという。まさにその言葉どおりの内容だった。
近代(民国)以前がだいたい半分の分量を占め、記述は紀元前の古代王朝・周から始まる。周代は武器をみずから持参して兵役につくのが原則であり、貴族だけの義務であった。ああ、宮崎市定の『中国史』(岩波文庫)にもそんなことが書いてあったな、と思い出す。春秋時代になると、平民による常備軍が編成され、漢代には、「かね」を収めて兵役に代える制度が整備された。古代中国社会においては、収穫物をねらう外敵(非定住民)の侵入を防ぐ必要がある一方、あまり多くの民を徴発すると耕作者が不足して生産力が下がってしまうというジレンマがあった。これ、面白い。
魏の曹操は、一般民とは別に「兵戸」を編成した。以後、各王朝で「兵農一致」か「兵農分離」かという模索が続く。また皇帝が全軍を掌握するか、兵権を地方に分散するかも悩みの種だった。前者は皇帝の権力を最大化するが、国庫の財政的負担も大きい。後者は地方司令官が反乱の拠点となりやすい。しかし、全軍を皇帝が統制するには、あの広い領土の隅々まで軍糧の輸送網をつくらなかればならないわけで、前近代には絶対無理な感じがする。さらに、遼、元(モンゴル)、清などの遊牧王朝、その間に挟まる明の統治体制についても、それぞれ簡便な記述がある。
そして清末には、白蓮教徒の乱や太平天国の乱を経て、曽国藩・李鴻章らによる郷勇(郷土防衛軍)の組織、軍の近代化が始まる。日清戦争~変法運動~義和団事件~辛亥革命というドラマチックな流れは大好きなのだが、普通の通史と特に変わりがなく、「軍の中国史」という視点が物足りないと感じた。
李鴻章の私兵と権力を継承した袁世凱は「軍閥」の嚆矢ということになっている。「閥」の字は、元来「功績」(官僚が功績を書いた柱を自宅の門前に建てたことから)の意味でしかなかったが、時代を下るにつれて「権勢をたのんで特殊な地位を占める人または集団」の意味になり、日本では大正時代初期から政治批判のスローガンとなる。実は、日本で先に山県有朋ら軍事元老集団を指すことばとして成立し、のちに中国の地方権力に対しても使われるようになったらしい。意外だ。中国でこのことばを「政治に干渉する軍人」の意味で最初に使ったのは陳独秀であるという。
民主共和制を否定し、反動的な専横をおこなった袁世凱は、悪者扱いされることが多いが、著者の見立てによれば、民国初期の政治体制は「実力のない孫文たちがいきおいにまかせてつくりあげた砂上の楼閣」であり、袁世凱が国家の求心力の回復に乗り出さざるを得なかったという。これは辛辣だが、非常に面白い。「空洞化している政治を軍事がのみこむかたちでしか国家運営ができなかった」とも言われているが、中国のどの時代も、混乱期や新しい王朝の抬頭期はそうだと思う。軍事的な優位を手にした者が次の王朝を開き、戦争が不要になると、軍事体制は強固な官僚体制に組み替えられていくのだ。
袁世凱没後は、安徽派の段祺瑞、直隷派の馮国璋、奉天派の張作霖と、その他の勢力もからんで、めまぐるしい権力闘争が繰り返される。むかし見た中国ドラマ『走向共和』で覚えた人名が、理解の助けになったが、詳しくは知らないことが多く、共和制否定論者で一時的に宣統帝の復位を宣言してしまう張勲とか、兵士を大事にしたクリスチャン・ゼネラル馮玉祥とか、多彩な登場人物が面白かった。そして、死の直前の孫文は、コミンテルンやソ連と接触し、共産党との合作に踏み切ったが、最後まで「国共合作と『軍閥』連合とをはかりにかけて」おり、「むしろ後者に重きをおいていたように思われる」と著者は述べる。近代中国史は、まだまだ現在の「公式見解」を疑ってみる余地があるのだな。
そして毛沢東が登場し、共産党の軍(人民解放軍)が現在に至ることを紹介して本書は終わる。中国は、私兵が国軍のかわりを果たしてきた歴史が長く、それゆえ兵士は統率者の「人治」に頼る伝統がある。われわれ日本人は、中国の軍隊を「中国という国家の軍隊」だと思っているが「そのようなものはじつは出現したことがないのである」という、読者を煙に巻いたような結論には苦笑するしかなかった。
なお、「軍閥」割拠期の時代と人物については、浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズが、そのうち絶好の入門書になるだろうと思っていたら、「あとがき」で著者が『中原の虹』以降の歴史考証を担当していることが述べられていた。知らなかったけど、納得である。
勉強になります。