見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

特集陳列・下絵ほか/東京国立博物館

2007-02-27 23:13:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特集陳列『下絵-悩める絵師たちの軌跡』

http://www.tnm.jp/

 ”悩める絵師たち”と聞いて、それは当然、芸術的な完成を目指す悩みのことだろうと思った。確かに、渡辺崋山の『于公高門図画稿』や『坪内老大人像画稿』には、よりよい作品を目指す、芸術家らしい苦心の跡が窺える。

 一方、注文主との関係で悩みぬいた絵師たちもいる。狩野晴川院養信(おさのぶ)は、天保9年に炎上した江戸城障壁画再建の総監督をつとめた。古画の復元に心を砕いた「西の丸・表・大広間」は、描いたり消したり(胡粉で塗りつぶしたり)、悩み尽くした下絵が残っている。「中奥・休息の間」と「大奥・対面所」は、事前の推敲こそ少ないが、施主である将軍の好みで、鳥を別の種類に書き換えたり、花の数を減らしたり、改変を命じられている。ご苦労なことだ。

 絵として面白かったのは、谷文晁筆『石山寺縁起』。原本は鎌倉時代の成立だが、失われた巻7、8の補作を、石山寺から依頼された松平定信が、谷文晁に描かせたのだそうだ。開いているのは、荒れ狂う海(?)と、岸辺に集まった人々の図で、文晁が『春日権現絵巻』や『伴大納言絵巻』の人物図を、いかに巧みに借用したかを示しているのだが、それ以上に、波濤の表現が圧巻!!

 住吉具慶の『平家物語図屏風下絵』は、線に豊かな表情があって、楽しい。大和絵って、きちんと清書すると、可愛げがなくなるんだよなあ。

 ほか、急ぎ足でまわった平常展の注目は、7室の「屏風と襖絵」。応挙の『梅図襖』は、心穏やかに眺めるのに最適。墨の濃淡を巧みに使い分けて、立体的に交差する梅の枝を描き、空間の奥行きを表現している。これと向き合うのが、岸駒(がんく)の『虎に波図屏風』。湧き上がる生命力に震える描線。大自然の呼吸がそのまま虎の姿に結晶したようなカッコよさである。ほれぼれする。「虎の岸駒」とか「岸駒の虎」とか言われて有名だったらしい。
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美は信仰にあり/静嘉堂文庫美術館

2007-02-26 22:28:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
○静嘉堂文庫美術館 『荘厳された神仏の姿-仏画・仏像・垂迹画』

http://www.seikado.or.jp/menu.htm

 まだ気づいている人は少ないみたいなので、急いで言っておこう。若冲ファン必見の作品が出ている。

 展示室に入ると、意外なほど華やいだ雰囲気が漂っている。壁に並ぶのは、厳粛な神仏の姿なのだが、テーマが「荘厳(かざり)」なので、輝く金銀と、匂い立つような色彩に埋め尽くされているのだ。中でも人目を引くのが『文殊菩薩像』『普賢菩薩像』の2幅(中国・元時代)である。縦2メートルを超える大幅。鮮やかな赤を主調に、ピンク、オレンジなど、暖色を多く用いていて、大輪の花が咲いたようだ。文殊は青獅子に、普賢は白象に座し、それぞれに従者が付く。

 反射的に、あ、若冲だ、と思った。相国寺の承天閣美術館が所蔵する『釈迦三尊図』の文殊と普賢(→画像はこちら)にそっくりだったのである。へえ~似てるよなあ、と思い、近寄って解説を読んでびっくり。本図は、釈迦如来図(現クリーブランド美術館蔵)を中尊として三幅対で東福寺に伝来し、若冲の釈迦三尊像は、これを原本として制作されたものだという。似ているのも道理。そうか、若冲もこの絵を見たのか~と思うと、それだけで嬉しいのは、ファン心理というもの。

 さて、展示室は、前半に中国・朝鮮の仏画、後半に日本の仏画と垂迹画が並んでいる。解説パネルによれば、両者を比較するポイントのひとつは「金泥と截金(きりがね)」だそうだ。中国・朝鮮の仏画はもっぱら金泥を用い、日本の仏画は截金を多用する。金泥は自由な濃淡によって、立体的な空間性の表現に向く。截金は、鮮やかな発色を持つが、文様的で現実感に乏しい。つまり、日本人は「絵の現実感よりも金の輝き」を好んだわけである。

 私は中国・朝鮮の仏画も好きだ。元~明代とされる『十王図』いいなあ。この日は『第六変成王』が掛かっていたが、陰惨な亡者のお裁き図なのに、明るい色調、画面の端まで描き込まれた群像が、印象派の絵を思わせる。朝鮮・高麗時代の『水月観音図』は、薄明のような画面に、寓意的なモノや人物がこまごまと描かれていて、童話的である。

 日本の仏画は、自然の風光の中に諸尊を配したものが面白い(特に、南北朝の作)。『千手観音二十八部衆像』は、画面中央を縦割りにする深い洞窟の壁が、観音が発する光によって金色に輝く。『弁財天図』は、海面に突き出した岩山に弁財天が座す。「現実」にはあり得ないけれど、「抽象」とは言い切れない、構成的で装飾的な自然表現。南北朝の仏画から「仏」を取り除くと、光琳に近くなるように思うのだけど、どうだろう。

 ほかに『紅紙金字仏説阿弥陀経』は、こういうものがあるんだなーとびっくり(元または高麗時代)。紺紙金字なら知ってるけど。巻頭の福々しい護法神像は、すごく見にくいので、お見逃しなく。『熊野曼荼羅』の金の馬(パネル解説が無かったら、絶対気づかない)、『春日宮曼荼羅』の山の樹木の表現が『春日権現絵巻』に似ていることなど、いろいろ発見あり。「紺丹緑紫」という言葉も覚えたので、メモしておこう。
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サーガの始まり/雷鳴(梁石日)

2007-02-25 22:49:07 | 読んだもの(書籍)
○梁石日(ヤン・ソギル)『雷鳴』(幻冬舎文庫) 幻冬舎 2007.12

 私にしては本当にめずらしく、小説を読みたい気分が続いている。たまたま書店で同じ作者の『血と骨』を見つけて、あ、ビートたけし主演で映画化されたとき、見たいと思って見逃した作品だ、と思った。手を伸ばそうとしたら、平積み台にあった本書の「名作『血と骨』の原点!」というオビが目にとまった。そうか、それなら、こっちから行こう、と思った次第。

 物語は海浜の村に下級両班(ヤンバン)の一人娘として生まれた李春玉(イ・チュノギ)の静かな少女時代から始まる。舞台は済州島。もともと島の暮らしは豊かでなく、本土の韓国人から差別を受けてきたが、日本の支配下に入り、最下層の人々は一層搾取されるようになった。

 一方で、何百年も続く封建道徳は、人々に非人間的な生活を強い続ける。18歳になった春玉は裕福な尹家に嫁ぐが、待っていたのは10歳の花婿だった。母親離れができない幼い夫。息子を溺愛する姑は春玉に辛く当たる。その姑も、かつては10歳以上若い夫のもとに嫁いできて一人息子を産んだ。今では夫はあちこちに若い妾を作って本妻のことを省みない。

 一人の島の男とのはかない恋を経て、春玉が婚家を捨て、島を捨てて、単身、日本に渡る決意をしたところで物語は終わる。こうして、家郷の抑圧を逃れるため、抑圧の大元である日本に渡るしか途のなかった人々は「在日コリアン」となったのだ。彼らのサーガ――1世紀に渡ってなお継続する長大な物語――は、幕を開けたばかりである。(引き続き、ではないかもしれないが)著者の他の作品を読み進んでみたい。

 このところ、韓国の近代史(特に日本との関係)については、私は主に評論や概説を読むことで、少し分かったつもりでいるのだが、文学作品によって、また認識が変わるものかどうか、注視してみたいと思う。
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文楽・摂州合邦辻/国立劇場

2007-02-24 22:26:15 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 2月文楽公演『摂州合邦辻』

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1047.html

 連日の国立劇場。昨日の舞楽に続いて、今日は文楽である。2月は比較的親しみやすい名作が並ぶのだが、プログラムを見て、行くなら『摂州合邦辻』とすぐに決めた。以前に一度見たことがあって、忘れ難い作品だったからだ。

 『摂州合邦辻』は安永2年(1773)初演、菅専助と若竹笛躬作。時代物に分類されるが、雰囲気は世話物っぽい。義理の息子の俊徳丸を恋慕する継母(といっても二十歳そこそこの設定)玉手御前と、その父母の葛藤が主題である。

 昔気質の父・合邦は、邪恋に狂った娘を、自らの手にかける。そのとき初めて、全ては俊徳丸と妾腹の兄の家督争いを避けるため、玉手御前が仕組んだ策略だったことが分かる。毒酒によって盲目・業病を患っていた俊徳丸に、寅の年月日寅の刻に生まれた女の生き血を飲めば本服すると告げ、玉手は自分の生命を捧げて果てる。

 こうして、外道に堕ちた女(ラ・トラビアータだな)と見えた玉手が、実は貞女賢母だったというオチで終わるのだが、それは表面上のこと。初めて見た文楽公演のプログラムに、確か森毅さんでなかったろうか、幼い頃にこの芝居を見て、子供心に「恋に狂う若く美しい母親」がどれだけ強烈な印象だったかを書いておられた。みんな、それが見たいから、この芝居を見るのである。尼にすることで、なんとか娘の命を助けようと思案する両親に向かって、せっかくの黒髪を切るなんてまっぴら、もっと美しく着飾って俊徳丸様の前に出たい、と駄々をこねる玉手の馬鹿っぷり。俊徳丸の許婚(いいなずけ)浅香姫とは、嫉妬のあまり、つかみ合いの大喧嘩をする(カルメンみたいだ)。

 文楽芝居には、強い女性キャラが多い。愛する男のためなら、死も不名誉も恐れず、結果として、封建社会の偽善と矛盾を厳しく問いただしている面がある。しかし、多くは「芯の強さ」として表現されるもので、玉手のような、ほとんど戦闘的な恋愛至上主義は、かなり異色だと思う。実は貞女だったというオチがつくことで、観客の大半は、とりあえずホッとするのだろうけど。その実、心のどこかに「女は怖い」あるいは「恋愛は怖い」というトラウマを留める芝居である。いや、これ誉めているつもりなのだが。

 ただし、文雀さんの遣う玉手御前は、しっとりした悲哀も感じられた(特に登場のシーン)。合邦役の文吾さんは、ご本人もいい具合に老けられて、適役。「合邦庵室の段」の切は、野澤錦糸の三味線と竹本住大夫の語りで、申し分なし。技の応酬に背筋がぞくぞくした。こんなにすごい曲だったっけ? ジャズセッションみたいに、おふたりならではのアドリブが入ってるのかなあ。
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舞楽公演・笑いの仮面劇/国立劇場

2007-02-23 11:51:35 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場第61回雅楽公演『舞楽 名曲と稀曲をたのしむ』 出演・宮内庁式部職楽部

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1039.html

 国立劇場の雅楽公演は、毎回チェックを入れているのだが、楽器演奏だけだと、ちょっと敷居が高そうな気がして二の足を踏む。今回は「舞」が付くので、面白そうだと思って見に行った。

 演目は『五常楽』と『胡徳楽』。前者は、唐太宗の作とされ、「序」「破」「急」の形式を伝える唯一のもの。明治以前は、初心者が一番はじめに習う曲であったというから、名曲の極めつけである。巻纓(けんえい)老懸(おいかけ)と呼ばれる武官姿の楽人が、袖をひるがえしながら、ゆったりと舞う。長い裾を引いた後ろ姿が、優雅な蜻蛉のようだ。はじめは単調だが、だんだん動きが早く大きくなり、最後は太鼓をアクセントに、勇壮な行進曲調になる。4人の舞人が一列に並び、後ろ向きに退場していくところまできて、あ、この曲を聴く(見る)のは初めてではない、と思い出した。

 次の『胡徳楽』は、プログラムの解説によれば、明治以降、ほとんど上演されなくなっていたものを、昭和41年、国立劇場の雅楽公演が始まったときに復活上演された「稀曲」だそうだ。いや、びっくり。雅楽の概念をくつがえすような曲目である。最初と最後に申し訳程度の「舞」が付くが、あとはほとんど、軽快なBGMに載せたパントマイムなのである。

 登場人物は「勧盃(けんぱい)」と呼ばれる主人役。紙製の「雑面」(安摩、蘇利古の面)を付ける。左右の纓を誇張した冠が、どことなく滑稽。そして4人の酔客たち。派手なストライプの頭巾を被り、天狗のような赤い面を付ける。最後に「腫面(はれめん)」を付け、瓶子と酒盞を抱えた「瓶子取」。この瓶子取が、酔客たちに酒を勧めながら、自分も盗み酒をするうち、だんだん酔っ払っていく。会場は笑いっぱなし。科白がない分、舞人のセンス次第で、狂言や歌舞伎のチャリ場よりも自由なアドリブが可能なのだと思う。笑いのツボが、かなりアナーキーで現代的だ。千鳥足で退場するとき、鉦鼓の楽人に激突したりするのだ。ちなみに今日の瓶子取役は多忠輝さんだった(演奏家としても著名)。

 私は、韓国の河回村(ハフェマウル)で見た仮面劇を思い出した。プログラムの解説によれば、『五常楽』は左舞(さまい)と呼ばれる中国大陸経由の楽。一方、『胡徳楽』は右舞(うまい)と呼ばれ、朝鮮半島経由の楽に分類されているそうだ。なるほど、直感と一致する。

 左舞と右舞では楽器編成が異なる。左舞は三管(笙、篳篥、龍笛)三鼓(鞨鼓、太鼓、鉦鼓)だが、右舞は二管(篳篥、高麗笛)と三鼓(三ノ鼓、太鼓、鉦鼓)で笙が入らない。笙のあるなしで、ずいぶん楽曲の印象が違うことを、今回、発見した。高麗笛(こまぶえ)は龍笛よりも少し音域が高いそうだ。チャルメラみたいな音を出していたのがそうかなあ。

 「左舞は旋律で舞い、右舞は拍子で舞う」というのも面白い表現である。原則として、左舞は赤系の装束、右舞は青系の装束というのも覚えておこうと思う。
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NHK「柳生十兵衛七番勝負~最後の闘い~」制作開始!

2007-02-21 22:44:27 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHKドラマホームページ:「柳生十兵衛七番勝負~最後の闘い~」制作開始!(2007/1/31)

http://www.nhk.or.jp/drama/html_news.html

 『柳生十兵衛七番勝負』は、2005年、2006年の春にNHKで放映された時代劇である。生まれてこのかた、時代劇なんて見たことのなかった私が、すっかりハマってしまった。昨年はハマリすぎて、奈良まで行って、柳生一族の墓所に詣でてきたくらいだ。

 視聴率はパッとしなかったようだけど、ネットでは、けっこう熱狂的なファンがついて、放送終了後も、第3シリーズはどうなるか、寛永御前試合か由比正雪の乱か、という話題で盛り上がり続けた。さて、先週、久しぶりに公式サイトのBBSを見たら、第3シリーズ制作開始を知らせる投稿あり! うれしー。設定は島原の乱から12年後。十兵衛は由比正雪の放つ刺客たちと闘いを繰り広げるという。史実では、十兵衛没年の翌年が由比正雪の乱なのだそうだ。このドラマのおかげで、江戸時代初期の重大事件年表がだいぶ頭に入ってきた。

 あーでもまた4月か。4月の社会人は何かと忙しいのである。ビデオ予約を忘れないようにしなくちゃ。実はいま、第2シリーズを昼時に再放送中らしい。さすがに見られないなあ。第3シリーズが終わったら、1~3まとめて再放送をのぞむ。
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行動描写の魅力/オリバー・ツイスト(ディケンズ)

2007-02-20 22:52:25 | 読んだもの(書籍)
○チャールズ・ディケンズ、中村能三訳『オリバー・ツイスト』上下(新潮文庫) 新潮社 1955.5

 めずらしく洋モノの小説が読みたくなった。何を読んでいいか見当がつかないので、長い時間、文庫本のコーナーをうろうろしていたら、本書が目についた。そうだ、ちょうど去年(2006年)の今頃、日本で映画が公開されていたのだが、行こう行こうと思って見逃してしまった。映画の公式サイトはまだ残っているが、この「About the Film」→「Introduction」の写真(19世紀ロンドンの街並み)が、新潮文庫のカバーにも使われている。煤に汚れた赤レンガ。黒光りする石畳。歩道を埋めた陰気な人々の列。無性に心ひかれるものがあって、読み始めた。

 名もない孤児のオリバー・ツイストは、救貧院で生まれ、養育院で育てられた。9歳のとき、葬儀屋に引き取られるが、生きるために逃げ出して、ロンドンに向かう。ユダヤ人フェイギンは、オリバーを少年窃盗団に加えようとするが、要領を飲み込めないオリバーは、初仕事の日に警察に捕まってしまう。窃盗の被害に遭った老紳士ブラウンロー氏は、オリバーに非のないことを知ると、彼を自分の家に置くことにした。

 しかし、フェイギンは、配下のナンシーを使ってオリバーを連れ戻す。ある晩、オリバーは押し込み強盗の手伝いを命じられ、銃で撃たれて置き去りにされる。その家の女主人メイリー夫人とローズは、オリバーの身の上話を聞いていたく同情する。ブラウンロー氏との再会。しかし、オリバーを悪の道に誘い込もうと執拗につけねらうフェイギン。オリバーを救おうとしたナンシーは、情人のサイクスに疑われ、殺されてしまう。そして、次第にオリバーの高貴な出生の秘密が明らかになる。

 いやー面白かった。私は、こういう「お話」が大好きなのだ。登場人物は類型でいいの(魅力的なら)。めんどくさい内面描写はなくていいの。とは言え、決して悪に染まらないオリバーの気高さは、ちょっと「ありえない」。一方で、いじめっ子や窃盗団の小ずるい少年たちも書いているのだから、当時、もっとリアリスティックな子どもの見かたもあったのだろうけど。まあ、オリバーは主人公と言うより、一種の狂言回しなんだろう。

 いちばんリアルな魅力を感じたのは、恋人の存在ゆえに、悪の世界を離れられないと観念しながら、真人間に戻りたいという希望に、心の揺れ動くナンシー(なんというか、演劇的、オペラ的なキャラクターである)。一時の感情の爆発から、そのナンシーを殺してしまう、ちんぴらのサイクスも、あえて内面に踏み込まず、表面上の行動描写で筆を留めているところに、かえって鬼気迫るものがある。

 本書が書かれたのが1838年(天保9年)。明治の小説家たちは、こういうものを読んで、たぶんその面白さに素直に興奮し、文学を志したんだなあ、と思う。

 それにしても、本書の日本語は、簡素で品があって、非常に気持ちよかった。変化の早い日本語文化にあって、昭和30年代の翻訳というのが、私の嗜好に(子どもの頃に食べた家庭料理の味みたいに)合うのか。それとも、19世紀イギリスの散文というのが、合うのだろうか。
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光琳の紅白梅図屏風ほか/MOA美術館(続)

2007-02-19 22:58:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○MOA美術館『所蔵名品展-国宝紅白梅図屏風-』

http://www.moaart.or.jp/

 第1室の「岩佐又兵衛と17世紀の風俗画」の続き。第2室の見ものは、なんと言っても古筆手鑑『翰墨城』である。やっぱり、小野道風・藤原佐理・藤原行成の「三蹟」が並んだところが秀逸。と思ったら、昨年6月、同館の所蔵書跡展でも、同じような感想を書いているので、以下省略。

 佐竹本三十六歌仙の『平兼盛像』もいい。学生時代のゼミ(国文学)で、よくこのひとの和歌が当たったなあ。いじいじと沈倫の身を嘆くような和歌が多かった。本図の兼盛は、イメージよりも恰幅のいい、堂々とした中年男である。けれど、うつむいた顎のあたりに笏(しゃく)を当て、沈思する体(てい)は和歌の詠みぶりそのまま。目線の下の広い空白がなんだか意味ありげである。

 第3室で、いよいよ光琳の『紅白梅図屏風』とご対面。”あれっ意外と小さいんだ”というのが、第一印象だった。私は、むかしこの屏風を実見したこともあり、図録や画集を見れば、もちろん寸法(各156.0cm×172.2cm)が書いてあるのだが、いつの間にか、この作品は、私の頭の中で、ものすごく巨大な屏風(お城の障壁画みたいな)に成長していたのだ。実際は、町屋のお座敷にふさわしいような、ちんまりと愛らしい屏風である。斬新かつ大胆に”過ぎる”ように思えた紅梅白梅の枝ぶりも、このサイズだと、それほど異様でも威圧的でもない。

 そのうち、私はある違和感に気づいた。知っている『紅白梅図』と何かが違う。実は、この二曲一双の屏風は、金地著色の絵画の周りに畳みたいな錦の縁(へり)が付いている。そして、さらに外側を金具が取り巻いている。つまり、紅梅白梅の図は、それぞれ厚い額縁におさまった2枚の色紙のような状態なのだ。

 ああ、前日のシンポジウムで、木下直之先生がおっしゃっていたのってこれだな、と実感した。例えばGoogleで「紅白梅図屏風」をイメージ検索すると、切手やら図書の表紙やらも含め、多数の画像がヒットする。その多くは、紅梅白梅図だけを上手にトリミングし(ご丁寧に左右の画像をくっつけ)て示しているのだ。ゴテゴテした表具を残している画像は非常に少ない。これは「芸術作品」に対して、当然払われるべき敬意なのかもしれない。けれど、その結果、我々は「複製」の詐術にはめられて、現実の「モノ」を見失うのである。

 やっぱり、ものぐさを決め込んでは駄目ですね。機会のある限り、足を運んで、お金を払って、自分の目で本物を見ようとしなければ。

 あとは、第6室の茶道具(茶碗、茶掛け)が興味深かった。梁偕の『寒山拾得図』は、自由で軽やかな線が洒脱。第8室の中国陶磁器は、磁州窯が多くて嬉しい。『翡翠釉白地鉄絵龍鳳文壺』はターコイズブルーの釉薬がめずらしかった。
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岩佐又兵衛と17世紀の風俗画/MOA美術館

2007-02-18 22:55:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○MOA美術館『所蔵名品展-国宝紅白梅図屏風-』

http://www.moaart.or.jp/

 熱海のMOA美術館では、毎年、この時期に光琳の国宝『紅白梅図屏風』を展示する。考えてみると、見に行ったのはずいぶん昔のことなので、今年あたり、久しぶりに行ってみたいな、と思っていた。

 他にどんな作品が出るのだろう、と思って、上記のサイトをチェックしてみたら、うわ!!私の好きな岩佐又兵衛の『山中常盤物語絵巻』『浄瑠璃物語絵巻』『堀江物語絵巻』が、一挙に見られるではないか。これは行かねば、と即断即決。『紅白梅図』は、すっかり頭の隅に追いやられた感じで、わくわくしながら出かけた。

 伝・岩佐又兵衛筆絵巻は、最初の展示室で待っていた。確かに3作品。ただし、それぞれ70~80センチ(1場面)しか開いていない。けち~。まあ、仕方ないか。『山中常盤』は、野盗が常盤御前の着物を剥ぎ取る場面である。大和絵であるから、人物や建物の輪郭は当然、墨で描かれているのだが、着物の輪郭やひだを見ると、墨の線の内側に金色の細い線が入っていて、これが人物を華やかに際立たせているようだ。解説プレートによれば、江戸時代初期、前代に盛んであった操り浄瑠璃を絵巻物語化することが、諸大名間で流行したのだそうだ。ふうーん。浄瑠璃の流行と絵巻の盛行は同時ではなくて、少し時間差があるのか。

 『浄瑠璃物語』は、御曹司(義経)が浄瑠璃姫の寝所に忍び込む場面。部屋の柱にくるくると巻きつけられた文錦(あやにしき)。幾重にも引き回された屏風。部屋を埋め尽くす富の表象(書物、掛け軸、陶磁器→青磁、華南三彩の緑釉モノあり)。過剰なまでにデコラティブで、眩暈がしそうに思ったのは、原本が少し波打っていて、直線が直線に見えないせいもある。それにしても、姫君のほつれ毛の繊細なしどけなさ。

 一転、『堀江物語』は、秋霧(?)たなびく枯れ野に身を潜めた大軍勢を描く。色彩の少ない白っぽい風景と、色とりどりの武具甲冑の対比が、西陣織か何かのようだ。画面左端にたたずむ地味な頭巾姿の男は何者? 『浄瑠璃』と『堀江』は、描写がやや類型的なので、又兵衛個人というより、工房の作品か、と言われているそうだ。でも魅力的である。

 同室には、江戸初期(17世紀)の絵画が多数展示されていた。私はこの時期の風俗画がとても好きだ。江戸盛期の絵画とはずいぶん違う。まだ本格的な「近世(モダン)」が到来していないため、描かれているのが、人間(近代人)とも人間でないともつかないところがある。西洋絵画でいうと(不案内だけど)北欧ルネサンスに通じるように思う。じっと身を縮めたような生硬なポーズにもかかわらず、控えめな人間の息づかいが伝わってくるのだ。

 伝・雲谷等顔の『花見鷹狩図屏風』はいいなあ。花見図では、思い思いのファッションで花の下に繰り出した女性たちが、愛らしい雛人形のように小さく描かれている。リボンのような細い帯、パッチワークのようなあでやかな着物。頭巾で覆面したり、麦わら帽子のような笠を被ったり。西洋のカーニバルのようだ。画面の左端では、駕籠掻き人足のむさくるしい男たちが休んでいる。月代を剃っていないのが面白い。

 長くなってしまったので、以下、明日に続く。
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公開シンポ・知の構造化と図書館・博物館・美術館・文書館

2007-02-17 23:15:41 | 行ったもの2(講演・公演)
○公開シンポジウム『知の構造化と図書館・博物館・美術館・文書館-連携に果たす大学の役割』

http://panflute.p.u-tokyo.ac.jp/~knowledge/

 図書館、博物館、美術館、文書館、それに大学。題名からして、こんな総花的なシンポジウムでは、発表者はあちらに気兼ねし、こちらに遠慮しで、実のある話を聞けるわけがない。そう考えるのが常道だろう。しかし、私はそう思わなかった。登壇者の顔ぶれから見て、これは面白い展開になるに違いない、と思って出かけ、そして期待どおりのスリリングな対話に魅せられた。

 人文科学の研究者は、図書館や博物館が所蔵する資料を利用して、研究活動を行っている。ところが、元来、同一の「古文書群」や「写真群」が、図書館、博物館、文書館など、館種の異なる機関に分有されている場合がある。それらの資料は所蔵館のディシプリンに従って整理され、提供されている(あるいは提供を制限されている)。この状態は、研究者にとって、非常に利用しにくい。

 デジタル技術は、館種間の壁を超える突破口になり得るのではないか、という論点がひとつ。それに対して、現状では、デジタル・アーカイブも、館種のディシプリンに捉われている、という反証もあがった。たとえば(これはデジタル・アーカイブではなく写真図録の例だが)江戸時代のある画家が描いた「絵馬」の場合、美術館は、純粋に「絵画」のみをアーカイブの対象と考える。これに対して博物館は額装を含めた「モノ」を対象と考える。古文書の場合、文書館のアーキビストや博物館の学芸員は、内容に踏み込んだ目録や解説データを提供しようとするが、図書館員は書誌データに留めるのが常である。

 デジタル・アーカイブの時代にあっても、図書館、博物館、美術館、文書館は「同床異夢」を見続けているのではないか。真に学術資源の共有を実現するには、図書館情報学、博物館学、文書管理学などの専門科目の上に、統合的な「デジタル・アーキビスト養成課程」を設け、人材を育成していく必要がある。まとめてしまえば、こんなところ。

 馬場先生によれば、政府主導でデジタル・データの標準化が進んでいるのは、台湾とイギリス。イギリスでは一定の基準を満たしたデジタル・アーカイブでなければ、政府が助成金を出さないのだという。日本は、標準化が立ち遅れ、目的の明確でないアーカイブにも金をばらまいた結果、数だけは多いが、一過性の利用で終わってしまったものがたくさん出来ているという。辛口な批評だが事実だろう。「デジタル・アーカイブ」という言葉が日本で生まれたということも、初めて知った。

 木下先生が、「図書館法」(昭和25年制定)と「博物館法」(昭和26年制定)を比較して、図書館法にあって博物館法にないのが「奉仕(サービス)」という用語、博物館法にあって図書館法にないのが「学術」という用語、と指摘されたときは、目からウロコが落ちた思いだった。もちろん、図書館学の根本先生が留保されたように、この「図書館」は、第一義的に公共図書館を意味している。とは言え、大学図書館や専門図書館を別個に意義づける法律はないのだそうである。日本の図書館員養成における”学術(≒専門性)の欠如”は、ここに淵源があったか、と思った。

 議論が白熱したところで、高句麗古墳壁画のデジタル・アーカイブ構築の事例報告をされた早乙女先生が「あのね」と控えめに割って入り、自分はデジタル・アーカイブをつくろうなんて思っていなかった、ただ、自分の欲しいものをいろいろ工夫して作ってみたら、周りの人たちが「それはデジタル・アーカイブだよ」というので、初めてそうと気がついた、と言われたのも、素朴に問題の本質を突いているようで、すごく面白かった。

 それに応じて、佐藤先生が発言された「デジタル・アーカイブ・アズ・プロダクトではなく、デジタル・アーカイブ・アズ・プロセス」という言葉も印象に残った。完成品としてのデジタル・アーカイブを考えるだけでなく、それを作る過程に「教育」や「研究」の可能性があるのではないか、という意味である。

 私は大学図書館に勤務して20年近くになる。けれども、先生たちが、我々の職業の可能性について、こんなに長時間、熱心に語るのを聞くのは、初めてのことだ。それだけでも嬉しかった。人文科学においても、ようやくデジタル技術を組み入れて、新しい「問い」の組み立てなおしが始まっていると感じた。今後、彼らに連携・伴走する仕事ができたらいいなあと思っている。
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