見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

日本美術ベストワン/京都アート探訪(美術手帖)

2008-05-31 23:11:41 | 読んだもの(書籍)
○美術手帖 2008年6月号「京都アート探訪」

 雑誌『美術手帖』はよく立ち読みするのだが、あまり買ったことはない。今月号は大好きな京都の特集、綴じ込みMAPも使えそうだったので、買ってしまった。なんといっても読みどころは、山下裕二セレクション「日本美術BEST1」だろう。分野別に、いったい何が選ばれているか、以下にネタバレで紹介してみよう(詳しい解説と写真図版は雑誌でお楽しみを)。

①障壁画BEST1:妙心寺天球院方丈 狩野山楽・山雪
 のっけから知らない作品、と思ったら、一般公開されていないのだそうだ。山雪といえば、先日、京都国立博物館の『暁斎(Kyosai)』を見にいって、平常展の『雪汀水禽図屏風』に衝撃を受けた、あの山雪である。山下先生の解説によれば、狩野派でいちばんのインテリ、知的で、計算しつくした画面構成が得意で、同時に、どこか鬱屈したエネルギーをため込んでいるという。分かる分かる。探幽率いる江戸狩野に「置き去り」にされた京狩野(山楽・山雪)、これから注目したい。

②仏画BEST1:東福寺『大涅槃図』明兆
 3/14~16の涅槃会に東福寺に行くと見られる。猫の横顔が少しヘン。

③水墨画BEST1:京都国立博物館『天橋立図』雪舟
 雪舟展で見ていると思うのだけど、実はあまり印象がない。京博の平常展で出してくれないかなあ。ゆっくり見たい。

④絵巻BEST1:高山寺『将軍塚絵巻』
 サントリー美術館の『鳥獣戯画』展で見たときは、心の中で大笑いした。好きだなあ、この「暴走族的な筆の速さ」!

⑤琳派BEST1:建仁寺『風神雷神図屏風』俵屋宗達
 文句なし。私も、光琳より宗達のほうが好きだ。光琳は柳刃包丁でスーッとトリミングする感じ、宗達は鉈でぶった切る感じというのも、分かる分かる。でも世の中には、野蛮な「絵屋のオヤジ」宗達より、オーデコロンの香りただよう上品な光琳のほうが好き、という美術ファンもいるんだろうな。

⑥仏像BEST1:西住寺 宝誌和尚立像
 おお! これはナイス・セレクション。京博に時々出ている、顔の下からもうひとつの顔が覗いている仏像である。「修学旅行生にガツンと見せたい仏像」って、いいなあ。確かに、奈良の大仏や清水の舞台より、こっちだろう。感受性の鋭い子は悪夢にうなされそうだが。

⑦仏像+建築BEST1:教王護国寺(東寺)講堂 立体曼荼羅
 このへんは山下先生、意外とフツーの選び方。「いつもガランとしているから、東寺も応援しなきゃね」とおっしゃるけど、いいよ~修学旅行生は清水寺とか金閣寺に行ってもらえば。

⑧建築BEST1:西本願寺 飛雲閣
 飛雲閣は、存在は知っているが、まだ残念ながら実際に見たことはない。アラーキーが写真集を出していましたね。
 
⑨庭園BEST1:慈照寺(銀閣寺)銀沙灘と向月台
 銀閣寺は多くの人が行っているはずなのに、この砂で描いた抽象芸術には、けっこう気づいていないんじゃないか。驚いたことに、いつ頃作られたものなのか、よく分かっていないのだそうだ。江戸時代の絵画には、ほぼ同じようなものが描かれているというが、江戸時代のいつ頃なんだろう? いったい誰が? 「名前を残さないただの寺男が、あるとき突然やっちゃったみたいな」という想像が面白い。

⑩茶室BEST1:妙喜庵 待庵
⑪茶碗BEST1:楽美術館『黒楽茶碗(勾当)』長次郎
 この2つはセットで考えたい、と筆者。妙喜庵は東福寺の末寺で、そこに茶室待庵があるのだそうだ。もしかすると私は特別拝観で入っているかも知れないが、茶室はまだ知識不足で味わえていない。茶碗は、楽茶碗を選んでくれてありがとう!

 山下裕二先生は、ほしよりこ氏との「京都アートデート」にも登場。並河靖之七宝記念館、河井寛次郎記念館を訪ねている。どちらも知らなかった美術館で、今すぐ京都に飛んでいきたくなってしまった。ほしよりこ氏がイラストで紹介している河井寛次郎作の木彫のイヌ型脇息、ほしい。並河の七宝作品、アップの写真で紹介されているのは1点だけ(藤草花文花瓶)だが、その繊細な美しさは息を呑むよう。

ほし:「これから、明治の工芸は来るよ!」なんていったら、女の子が「知らなかった!」と(笑)
山下:むふふ。でも、それでグッとくる人は、ちょっといないと思うな~(笑)

という会話のオチに爆笑してしまった。いやいや。私はグッときますけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌード≠裸体/刺青とヌードの美術史(宮下規久朗)

2008-05-29 23:52:14 | 読んだもの(書籍)
○宮下規久朗『刺青とヌードの美術史:江戸から近代へ』(NHKブックス) 日本放送出版協会 2008.4

 近代日本における裸体芸術の成立を、その前史である幕末の裸体表現との比較を踏まえて考察した1冊。西洋では、中世以降、ありのままの裸体(ネイキッド)に対する強いタブーが存在する一方、ヌード(芸術として見られることを意識し、理想化された人体)は、美の規範と考えられてきた。逆に日本は習俗としての裸があふれており、あえて裸体を鑑賞するという発想は希薄だった。

 とはいいながら、江戸以前の日本美術に裸体表現が全くなかったわけではない。1つ目は仏像・神像。2つ目は風俗としての裸体。久隅守景の『夕顔棚納涼図』に描かれた半裸で涼む親子三人の情景を、米沢嘉圃氏は「日本のヌードの最高傑作」と評したという。なるほど。そうかもしれない。3つ目は浮世絵。ただし、日本人の美意識は、女性のプロポーションよりも、肌の白さや肌理など触覚的な美を重視した。春画では、贅沢な衣服や髪型の方が重要だった。近代以前、暗い家屋の中では「官能は今よりもずっと触覚によって刺激された」という指摘は興味深い。谷崎の『陰影礼讃』にも、日本女性の肉体のおぼつかなさに言及した部分があるのだそうだ。むかし読んだのに覚えていない。

 4つ目は死体や解剖図。丸山応挙の『人物正写図巻』(天理図書館蔵)は、老若男女の裸体をほぼ等身大で精緻に描き、手足や性器など身体パーツの拡大図も年齢別に並んでいるという。一切の理想化を排した、冷徹なリアリズムには、西洋のヌードとは異なるすごさがある。この画巻、私は奈良県立美術館の『応挙と蘆雪』展で見たはずだ。でも、こんな危ない場面ではなかったな(→ほぼ日新聞)。

 応挙のリアリズムの系譜を引くのが、幕末から明治に見世物として人気を博した生(いき)人形である。生人形! 2006年に熊本市現代美術館で行われた『生人形と江戸の欲望』展、見たかったんだけど、見のがしたのだ。その後、東博で何体か見たけれど、また大々的な展覧会はないかなあ。挿し絵の図版を食い入るように眺めてしまった。

 やがて西洋のヌードが入り込むと、明治初期の洋画や石版画、横浜写真には、折衷的で奇妙な裸体表現が登場する。黒田清輝の八面六臂の活躍とともに、次第に西洋的なヌードが広まり、定着する。しかし、黒田は明治33年(1900)の『智感情』を最後に、以後は着衣の人物しか描かなくなってしまったそうだ。不思議だなあ。大正期以降は、萬鉄五郎や小出楢重による「日本女性のヌード」の追求が行われた。このあたり、私の知らない作品が百花繚乱で、小さな白黒図版を見ているだけでも楽しい。

 蛇足だが、中村不折の男性ヌード群像『建国剏業』(1907年)は、日本神話に取材したものだが、恐れ多くも皇祖皇宗を「蛮族の如く」描いたことで、皇室の尊厳を冒涜したという非難を浴びたという。不折の発想も周囲の反応も、面白すぎ(→画像あり:森下泰輔『国GHQ皇』より)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出発は日本橋から/江戸の醍醐味(荒俣宏)

2008-05-28 23:58:27 | 読んだもの(書籍)
○荒俣宏『江戸の醍醐味:日本橋・人形町から縁起めぐり』 光文社 2008.5

 中央区日本橋にあるロイヤルパークホテル発行の雑誌『ROYAL PARK HOTEL』1997年7月号~2008年4月号に連載された街歩きコラム。ロイヤルパークホテルなんて知らないなあと思って、サイトを検索してみたら、今年、開業20周年だそうだ。老舗の多い同地域では、まだまだ新参者だろう。その新参者が、こういう企画を実施することに意味があると思う。

 本書は「経済と流通」「交通と建築」「名物と老舗」「工芸と生活」「祭りと遊び」の5つの章に分かれ、日本橋・人形町界隈を中心に、東は木場・亀戸、西(北)は神田・湯島まで足を伸ばす。東京下町生まれの私には、懐かしい場所ばかりだ。「かきがらちょう」も「れいがんじま」も「えいたいばし」も、私は文字より先に、親戚のおじさん・おばさんの会話で、耳から覚えた地名なのである。

 いちばん興味深く読んだのは、食にかかわる老舗探訪。榮太樓の「梅ぼ志飴」(高価な有平糖を庶民化したもの)や円形の「金鍔」は、創業者の細田安兵衛が発明したものだそうだ。安兵衛は、河鍋暁斎の自信作『枯木寒鴉図』を破格の百円で購入(先日、京博で見た)。「そんな名画とともにお菓子を味わえる」という記述からすると、この作品も、ふだん榮太樓本店の喫茶室で見られるのかしら。行ってみたい。

 霊岸島(新川)の梅花亭の「銅鑼焼き」も食べてみたい。親子丼の「玉ひで」は、上司に連れて行ってもらって覚えたお店である。なつかしい。醤油の「ヤマサ」マークの由来が、「キ」を寝かした「サ」であることや、「ちくま味噌」が信州の千曲とは無関係で、伊勢国乳熊郷によることは、初めて知った。

 築地本願寺が伊東忠太の「ふしぎ建築」であることはあまりにも有名だが、忠太は湯島聖堂と神田神社の設計にも関わっている。どちらも、関東大震災で焼失した後、鉄筋コンクリートで復興された。多くの反対もあったが「木造建築以上に木造らしいイメージ」が実現されている。そして、空襲で焼野原と化した神田の台地にあっても神田神社は焼け残り、人々に戦後復興の希望を与えたという。見た目の奇抜さばかりが強調されがちな伊東忠太の建築観を考える上で興味深い。先日の木下直之先生の講演(明治初年、博覧会会場として使われた当時の姿そのままの湯島聖堂)も思い出された。

 いずれも、ちょっと調べれば分かる程度の知識なのかもしれないが、「何でも面白がる」著者の興奮が読む者に伝染するようで、楽しい本である。写真多数。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵で見る明治/聖徳記念絵画館

2008-05-27 00:04:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
○明治神宮外苑 聖徳記念絵画館

http://www.meijijingugaien.jp/art-culture/seitoku-gallery/

 神宮の森に位置する絵画館は、一見、堅固な要塞のような建物である。中に入ったことのある人は少ないに違いない。私も最近まで、公開されている施設なのかどうか知らなかったくらいだ。一度入ってみようと思い始めて、先週、たまたま上記のサイトを見たら、”壁画6作品を修復の為、取り外します”というお知らせが上がっていた。5/29に取り外される3作品は10月中旬まで戻ってこない。そうと分かると、急に見ておきたくなった。

 日曜の午後、入場券を買って、人影のない入口をくぐり、大理石に囲まれた、広壮なエントランスホールに息を呑む。この建築だけで、一見の価値があると思う。左右には、日本画40点、洋画40点を備えた画廊が連なる。明治天皇の生誕から崩御、大喪までを年代順に描いたものだ。前半生は日本画、後半生は洋画で構成されている。

■Z旗:明治時代年表「明治神宮外苑聖徳記念絵画館壁画集」(個人サイト、全画像あり)
http://meiji.z-flag.jp/seitoku/index.html

 解説板には、1点ずつ、画題・時・ところ・描かれた人物の絵解き、そして奉納者と作者が記されている。奉納者は、有力華族のほか、海軍省・東京府・日本勧業銀行などの団体もある。おおよそ奉納者にゆかりの深い画題が選ばれており、『江戸開城談判』は侯爵・西郷吉之助と伯爵・勝精の奉納だったり、『京浜鉄道開業式行幸』は鉄道省の奉納だったりする。これは、はじめに80の画題を選んで、奉納者に割り振り、奉納者は、好みの画家に発注したのだろうか。奉納者は重なっていない(と思う)が、ひとりで複数の作品を描いた画家は何人かいる。

 最近、幕末・明治の画家に興味を持っているので、見覚えのある名前を見つけると嬉しかった。日本画では、小堀靹音の『二条城太政宮代行幸』『東京御着輦』が好きだ。引きのアングルで人物を小さく捉えた構図に品がある。前田青邨の『大嘗祭』は、神殿の屋根を大きく描き、登場人物はほとんど顔を見せないという特異な歴史画である。山口蓬春の『岩倉大使欧米派遣』は、小さな艀(はしけ)に乗って岸を離れる木戸・岩倉・大久保が一寸法師のように可愛らしい。絵本のような青い海が印象的である。錦絵に描かれた明治とは、ずいぶんイメージが異なることに驚く。

 洋画は、なかなか知った画家の名前を見つけられなかった。松岡壽、五姓田芳柳くらいか。暗い画面が多い中で、異彩を放っているのは小杉未醒の『帝国議会開院式』。軍艦の砲台をアップで描いた中村不折の『日露役日本海海戦』もかなり斬新である。

 藤島武二が『東京帝国大学行幸』と題して描いた東大の正門は、現在の姿そのままである。ほかの作品も、当時の建物や風景を、かなり正確に写していると思っていいだろう。だとすると、京都御所紫辰殿の壁には中国の聖人が描かれていたとか、福済寺の大伽藍(原爆投下で消失)が描かれた長崎市の図とか、いろいろ面白い発見がある。

 写真も映画もまだ大衆化していない当時、絵画は、情報の伝達と記録に必須のメディアだった。画家たちもその使命を強く自覚していたのではないかと思う。そんな時代に思いを馳せながら楽しみたい。また、同時代の画家で、ここに作品のない者を数えあげてみるのも一興である(黒田清輝とか)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うるわしニッポン/KAZARI(サントリー美術館)

2008-05-26 00:33:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
○サントリー美術館 『KAZARI-日本美の情熱-』

http://www.suntory.co.jp/sma/

 そういえば、サントリー美術館で新しい企画展が始まる頃だった、と思って、サイトをチェックに行った。そうしたら、TOPに上がっている画像が、岩佐又兵衛の『浄瑠璃物語絵巻』(MOA美術館蔵)で、ぎゃっとなってしまった。これは混まないうちに見に行かなければ、と思って、開催2日目、さっそく見てきた。

 本展は、日本文化にあらわれた様々な「かざり」の世界を、絵画、工芸、芸能などから紹介したもの。会場に入ると、いきなり縄文土器と鉢合わせする。なるほど「かざる」情熱みなぎる造型である。けれど私は、すぐ先にあるはずの『浄瑠璃物語絵巻』が気になってしかたない。すばやく次に進んで、絵巻らしきものを探す。あった。だが、拍子抜けだったのは、展示ケースの前に誰もいなかったこと。

 やっぱり「鳥獣戯画」とか「河鍋暁斎」とか、ネームバリューのある固有名詞でないと、人って集まらないものなのかなあ。この『浄瑠璃物語絵巻』は、展示品中のイチ押しだと思うんだけど、みんな立ち止まらないなあ~。ちなみに、会期前半(~6/23)が巻四、後半(6/25~)が巻五の展示である。私がかつてMOA美術館で見たのは、本展のチラシ等にも使われている場面(御曹司が寝所の浄瑠璃姫を口説いているところ)で、これは巻四の白眉であるが、今日は違う箇所が開けてあった。ちょっと残念。でも、執拗なまでに描き込まれた障壁画が延々と続き、虚構と現実が溶け合う奇妙な感覚を味わうなら、展示箇所が最上。御曹司の着物の柄(猿と鴛鴦)にも注目したい。また、姫君の寝所に向かって歩む御曹司のつま先(極彩色の中で白足袋が目立つ)は、能楽師の所作のようだと思った。近世演劇研究家の広末保氏はこの絵巻を「絢爛たる野卑」と評されたそうだ。言い得て妙。

 もうひとつ見落とせないのが『春日龍珠箱』。見たことあるな、と思って、このブログを検索したら、2006年春に東京国立博物館の『新指定国宝・重要文化財』で見ていた。今回は、箱の四面が見られる展示スタイルになっているので、ぜひぐるりと四方をまわって見てほしい。春日五所の神々が描かれているが、角の生えた牡鹿にまたがった女房装束の女神は、『鹿男あおによし』の堀田イトちゃんを髣髴とさせる!

 「場をかざる」のセクションでは、中世の「唐物かざり」を復元。違い棚に飾られた唐物(磁器、漆器など)、元代絵画の三幅対(個人蔵)の前には、銅製の花立・香炉・蝋燭立の三具足(滋賀・聖衆来迎寺蔵)を合わせる。コラボレーションの効果で、ひとつひとつの道具が、生き生きとした表情を見せているように思う。近世の宴席をイメージして、緋毛氈の上に並んだうつわ類も同じだ。

 企画者の目配りにびっくりしたのは、階段ホールに飾られた平田一式飾。これって、どのくらい認知度があるのだろう。私は、むかし木下直之先生の公開セミナーで、スライドを見せてもらったことがある。仏具、陶器、金物、茶器などの日用品を素材に造る「見立て」人形のこと。アルチンボルドのマニエリスム絵画みたいだ。会場では、製作工程のビデオを見ることもできる。毎年、島根県出雲市の平田天満宮に奉納されており、近年は、自転車の部品やスポーツ用品など、近代工業製品をパーツにした一式飾も造られているそうだ(→平成19年度の作品)。

 このほか、甲冑、陣羽織、小袖、打掛、煙草入れなど、堪能したつもりだったが、買って帰った図録を見て唸ってしまった。会場には無かった優品の図版が、やたらと載っているのだ。特に屏風!! 実は、展示替リストをよく見ると、会期中全て「空白」となっているものがある。この展覧会は、京都・広島への巡回が予定されており、巡回会場でしか公開されない作品が、けっこう多いのだ。ずるい! とりあえず、私は、小沢華嶽筆『ちょうちょう踊り絵巻』が出る会期後半に、もう一回行きたい思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座談会・出版文化と納本制度について考える(国会図書館)

2008-05-24 23:44:50 | 行ったもの2(講演・公演)
○国会図書館 座談会『出版文化と納本制度について考える』

http://www.ndl.go.jp/jp/service/event/nouhon60.html

 国会図書館の開館60周年と、納本制度による資料収集も60周年を記念して行われた公開座談会。パネリストは、佐野眞一氏(ノンフィクション作家)、菊池明郎氏(株式会社筑摩書房代表取締役社長)、田屋裕之(国立国会図書館収集書誌部長)。

 座談会は、”国会図書館が納本制度によって資料を収集していることを、皆さん、ご存知ですか?”というスタンスで始まった。うーん、分かってないな、国会図書館。このイベントは、納本制度について周知と理解を図ることが目的のひとつであるにちがいない。しかし、そもそも、こんな座談会を聞きにくるのは、関連業界の人間が大半だと思う。にもかかわらず、司会者は、”納本制度をよく知らない一般人”の立場から、パネリストの知見を分かりやすく引き出すことに努めていた。その結果は、私のような”すれっからし”の聴衆には、フラストレーションの残る座談会であった。

 刺激的な話題の糸口は、いくつかあった。菊池明郎氏によれば、近年、出版物の総売上高は大きく減少している。にもかかわらず、出版点数は年々増加して、今や8万点。新刊を取次に渡せば、一時的な入金があるので、出版社は、次々新刊を出さざるを得ない。しかし、新刊の返品率は5割近く、結局、負のスパイラルに落ちていく。一方、ドイツでは、図書館が国民の「読書教育」に積極的な役割を果たしている。フランクフルトの図書館では、子どもたちに10ユーロを渡して、図書館に置く本を買ってこさせる試みをしており、その棚の本は非常に人気があるとか。これは面白い! ドイツの出版売上高が、少しずつだが伸びているのは、図書館の努力の賜物なのではないか、という。佐野眞一氏も、日本の青少年が、図書館の使い方に関する教育をきちんと受けていない結果、インターネットの情報を平気で剽窃するような大学生が生まれていることを憂慮していた。

 菊池氏、佐野氏に比べると、国立国会図書館の田屋裕之氏の発言に、私はたびたび”官僚臭”を感じてしまった。納本制度は出版物を文化財として守るものです→しかし、現実には100%納本されているわけではありません→国会図書館に納本しないと、せっかくの文化財が後世に伝わりませんよ、というのは正論である。でも、国会図書館に納本されない出版物は、後世に伝わらないものなの? そんなに国会図書館は特権的なもの? 日本の納本制度は、始まってたかだか60年。本が後世に「伝わる」「伝わらない」なんて、100年から200年経って初めて口にできる言葉である。制度の評価は、まだこれからの話だろう。

 もちろん、客観的な評価とは別に、信念はあっていい。でも「制度があるのだから、利用していただければと思う次第です」という田屋氏の言いぶりでは、信念があるんだかないんだか、サッパリ分からなかった、一方、これだけ網羅的に資料を集めていけば、収蔵スペースが足りなくなりますよね?という質問には、10年くらいは大丈夫、と前置きし、「そのあとは皆様の理解を求めながら、考えていかなければ」と、優等生の回答。口先だけで勇ましいことをいうのがいいとは思わないが、あー国会図書館って、金持ちケンカせず、だなあ。厳しい予算と使命感の板ばさみで苦労をしている図書館員が聞いたら、憤慨も忘れて呆然としそうだ。

 今日の座談会では、実作者の佐野氏と出版社の菊池氏から、図書館への期待が繰り返し述べられたことが印象的だった。前述の利用者教育もそうであるし、図書館の資料購入費の減少が、個人全集など良心的な出版物のマーケットを狭めてしまい、出版社の経営を不安定にしているという指摘もあった。

 最近の図書館員は、絶えず「利用者(サービス)」の視点で、自分の仕事を省みることを要求されている。それは確かに重要なことだが、「利用者」の便宜に偏り過ぎて、「著作者」の存在基盤を掘り崩すことになっては元も子もない。バランスのとれた出版文化を守り育てることも、図書館の使命であると感じた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浄土庭園も見どころ/曼荼羅展(金沢文庫)

2008-05-23 19:10:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立金沢文庫 特別展『曼荼羅(まんだら)~つどうほとけたち~』

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm

 曼荼羅とは、密教経典の記述に従ってほとけを配置し、ほとけの世界を可視的にしたもの。金沢文庫に隣接する称名寺は真言律宗のお寺であるから、当然、曼荼羅とは縁が深い。本展は、金沢文庫に伝わる密教図像集や関連文書と、近隣寺院に伝わる各種の曼荼羅を展示するもの。一時期、神奈川県民だった私には、旧知の寺院の名が多かった。

 1階には、同じ京急沿線の弘明寺から、鉈彫りの十一面観音がおいでになっていた。童子のような、平べったい顔。作為なく、ちょっと首をかしげたような感じが愛らしい。周りの展示ケースは暗幕で目隠しされていたが、照明の消えたケースの中に、ここ金沢文庫(称名寺)で見慣れた宋風の十一面観音が蔵されていたのに、ちょっとびっくり。

 2階が曼荼羅展。ほとけの姿を並べた金剛界・胎蔵界の「両界曼荼羅」のほか、「三昧耶曼荼羅」(さまやまんだら、諸仏の姿を法輪や金剛杵などのシンボルで表したもの)、「種字曼荼羅」(諸仏の姿を梵字一字で表したもの)などがあることを知った。さらに「別尊曼荼羅」というのは、大日如来以外の一尊を抽出し、中心に据えたもの。私は「仏画」と呼んでいたが、密教的には一尊でも「曼荼羅」なのだな。逗子の神武寺の『大威徳明王図』を久しぶりに見た。黒ずんでおどろおどろしい鎌倉時代の古本と、明快な色彩の江戸時代の摸本がある。

 めずらしかったのは、象頭人身がいっぱい集合した『歓喜天曼荼羅』(南北朝時代→つくづく変な時代!!)。『五秘密菩薩』(鎌倉時代)は、金剛薩埵を中央に、4人いや4尊が、記念写真よろしく寄り添ったもの。変な構図だと思ったが、タネ本(密教の図像抄)のとおりなのである。この2件と『両界曼荼羅』(鎌倉時代)の計3件は、神奈川県立近代美術館からの出陳。何故に近代美術館が?不思議だ…。

 もうひとつ驚いたのは、称名寺の庭園の池に架かっていた反橋(太鼓橋)が撤去されていたこと。記憶をたどると、むかしはこの橋、開園時間内なら渡れたと思う。いつの頃からか老朽化して渡れなくなり、目を楽しませるため、朱塗りの派手な姿になった。それが、何があったのか、スポンと無くなっていたのだ。代わりに、山門側から池の中央に向かって、平たい桟橋が突き出しているが、向こう岸には届いていない。橋による分断がなくなった池は、急にひろびろして、浄土庭園の面影がよみがえった気もする。新緑に映える黄菖蒲が美しかった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新雑誌創刊!/思想地図 Vol.1:特集・日本

2008-05-22 20:48:47 | 読んだもの(書籍)
○東浩紀、北田暁大編『思想地図』Vol.1:特集・日本(NHKブックス別巻) 日本放送出版協会 2008.4

 読書生活を振り返ってみると、「今、この新書(選書)が熱い!」と思うことがある。逆に「一時期の勢いがなくなったなあ」と思うものもある。2008年の今、いちばん熱いのはNHKブックスではないだろうか。私個人は、この1年余りの間に、山田俊治著『大衆新聞がつくる明治の「日本」』、松本典昭著『パトロンたちのルネッサンス』、斎藤希史著『漢文脈と近代日本』、東浩紀&北田暁大著『東京から考える』の4冊を読んだ。読んでいないけど、アントニオ・ネグリの『未来派左翼』をはじめ、読みたいなあ~と思って、書店で手に取る確率が、最近、非常に高い。

 そんなNHKブックスが、不思議な試みを始めた。Webに上がっている「『思想地図』(仮題)論文公募のお知らせ」というファイルに言う。「NHK出版では、批評家の東浩紀氏と社会学者の北田暁大氏の共編で、若手論客の論文・批評を収載する思想誌『思想地図』(仮題)を、NHKブックスの別巻として2008年春に創刊いたします」。つまり、NHKブックス(図書)の別巻であって、同時に思想誌(雑誌)なのだという。創刊号(Vol.1)を見ると、版型や造本はNHKブックスと同型、分量はやや厚め。カバーデザインはガラリと異なる。

 冒頭には、2008年1月22日に東京工業大学で行われた創刊記念シンポジウム(参加者:東浩紀、萱野稔人、北田暁大、白井聡、中島岳志)が抄録(たぶん)されている。これを補うようなかたちで、後日(2008年2月13日)行われた鼎談(東浩紀、萱野稔人、北田暁大)が併載されているのも興味深い。このほか、ナショナリズム、右翼、宗教、戦後民主主義、共和制、サブカルチャー(アニメ、マンガ、ライトノベル)などにかかわる論考十数本を掲載する。今、「硬軟とりまぜた」と書こうかと思ったが、そもそも「硬・軟」という見立て自体が、旧世代カルチャー的な気がしてやめた。

 一見して気づくことは、執筆者の年齢が非常に若いことだ。今号参加者の平均年齢は35、6歳だという。しかし「編集後記」は「そもそも30代後半の論客が若いと見なされること、それそのものがまちがっている」「若い才能は存在しないのではない。それを発見しない出版界が怠惰なだけなのだ」と挑発する。同時に、筆者(A=東浩紀氏さん)は、本誌が「世代的」であることを自覚しつつ、「そのうえで筆者が期待しているのは、そのような『世代』感覚が、掲載論文によって内側から食い破られることである」と語る。いいな。その意気やよし。あと、特集は「日本」だが、東アジア(韓国、中国、台湾)への関心が高いことにも注目である。

 気になるのは、創刊号をひっくり返してみても、刊行(予定)頻度がよく分からないこと。まあ、いいか。近年、インターネットの普及と進歩によって、「雑誌」というメディアの価値は、大きく変貌してしまった。速報性を重視する科学技術分野では、印刷媒体の「雑誌」を作らない、という選択をした出版社・学会も多いように思う。かつては、洋の東西、分野(人文/自然科学)を問わず、雑誌は、学術・思想コミュニティの構築に、必須のメディアであった。本誌には、明治・大正期の雑誌創刊者の意気と志に通ずるものがあるように思われて興味深い。もっとも、歴史に名を残した雑誌でも、意外と短期間で終刊しているのだけど。

 印刷出版を介した人文知コミュニティの創造という点では、長谷川一さんの著書『出版と知のメディア論』(みすず書房、2003)を思い出したりもした。ともかく、今後を見守りたい雑誌である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初音ミクの歌う曽根崎心中

2008-05-21 23:28:08 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ニコニコ動画:初音ミク+鏡音リンの『曽根崎心中』

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3081358

 このブログを始めた頃は、読書よりも、ネット上の面白いものを探してまわるのが、最たる暇つぶしだった。最近はまた、本を読むほうが楽しくなっているが、久しぶりに見つけた、ネットの上の面白いもの。

 いちおう説明しておくと、「初音ミク」というのはVOCALOID(ボーカロイド=リアルな人の歌声を合成できるソフト、音声合成エンジン)の一種である。メロディと歌詞を入力することで人の声を元にした歌声を合成することができる。クリプトン・フューチャー・メディア社は、音声ライブラリ・データに声優を起用し、アニメ風のイメージキャラクターを用意することで、絶大な人気を博した。これが「初音ミク」であり、「鏡音リン・レン」(男女の双子?)である。

 上記の動画は、2人の女性ボーカロイドに『曽根崎心中』のクライマックスを歌わせたもの。「ボカロに歌わせて面白いテーマを探していたら、人形浄瑠璃に出会いました。中でも近松門左衛門の曾根崎心中が面白かったので、曲をつけてみました」という作者のコメントがついている。4/23に投稿されて、5/21現在、再生回数は67,000を超え(まだ行きそう)、マイリスト入りも4,100を超えた。文楽ファンとして、また、古典の力を信じる者として、ちょっと誇らしくて嬉しい。

 300年を経て、こんなトリビュートを受けるとは、近松門左衛門もびっくりであろう。何しろ、措辞(ことばのつかいかた)がカッコいい。「この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜」は、荻生徂徠先生も絶賛したと伝える名文である。ただ、あれっ?と思うのは、原文から、けっこう大胆な「つまみ食い」をしていること。これじゃ意味通じないよ~と思う箇所がいくつか、ある。

 ちなみに動画の作者が参照しているのは、近松の原文らしい。現行の文楽公演で用いられている床本とは、微妙に詞章が異なる。以前、公演プログラムのおまけの床本と、古典文学大系か何かを見比べて、違いに気づいたことがある。それにしても、曲に雰囲気がよく出ているので、文楽の舞台が目に浮かぶようで、なつかしかった。故・吉田玉男さんに聞かせたかったなあ。

 さて、今日からブログ生活は5年目に突入した。「読んだもの」は1年に100冊ペースをキープしている。この調子なら、1年後には500冊に達しているはず。まだまだ「千夜千冊」には及びもないが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

背広の男/落日燃ゆ(城山三郎)

2008-05-20 22:09:28 | 読んだもの(書籍)
○城山三郎『落日燃ゆ』(新潮文庫) 新潮社 1986.11

 何度も繰り返すが、高校時代に日本史を習わなかった私は、近代史を大の苦手としてきた。近年になって、この時代に関する回想録や評伝――松本重治の『上海時代』『近衛時代』や、保阪正康の『東條英機と天皇の時代』などを読み、元総理、外交官の、広田弘毅の名前もようやく覚えた。「協和外交」を主張し、軍部の圧力に粘り強く抗し、戦争防止につとめた政治家だと認識している。

 だから、たまたま書店で本書を手に取って、裏表紙の「東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官」という解説が目に入ったときは、え?と驚いてしまった。そうなのだ。靖国問題について、B・C級戦犯はともかく、A級戦犯の合祀には問題がある、とか分かったように論じながら、実はそのA級戦犯って誰と誰?何をした人?ということを、私は全く把握していなかったのである、恥ずかしながら。今回、Wikipediaの「A級戦犯」の項を読み直して、処刑された7人と、合祀された14人(獄中死者を含む)の顔ぶれをよく頭に入れた。やっぱり、広田弘毅がこの中にいるのは違和感がある。

 東京裁判の不当性を軽々しく言い立てる最近の風潮に、私は同調したくない。異議申し立ての背後に「力の論理」が感じられるからだ。でも、それにしても本書を読んでいると、ひどい裁判だったんだなあ、と思う。検事団は、日本の歴史や政治構造についての予備知識に欠けた。そのため、彼らの国の体制から類推して、「共同謀議があったはずだ」「軍人は文民の統制下で動くはずだ」という思い込みに左右された。また、広田が、国粋主義団体として著名な玄洋社の幹部の娘を妻にしていたことが、検事団の心証に影響を与えたという説もある(本書によれば、この頃、既に玄洋社は政治活動を止めて修養団体になっていたという)。

 広田の妻・静子は、裁判の最中に自害した。獄中にある夫の覚悟を察知し、少しでもその負担を軽くしようとしたと言われる。けれども、広田が獄中から家族に宛てた手紙は、最後まで「シヅコドノ」で結ばれていた。著者は、淡々とその事実を記すのみだが、胸に残るエピソードである。

 本作は昭和49年(1974)に書き下ろされた。冒頭には、戦犯7人の遺骨が納められた伊豆の興亜観音に、昭和34年(1959)、「七士の碑」が建てられることになり、ゆかりの人々が集まって盛大な建立式が行われたこと、にもかかわらず、広田の遺族は一人も姿を見せなかったことが記されている。広田には、せめて死後くらい「ひとりだけ別の人生があるべきであった」と、著者は遺族の気持ちを慮って書いている。けれども、その後、1978年には、靖国神社がA級戦犯14人を「昭和殉難者」として合祀(79年4月判明)。広田の遺族の気持ちは如何ばかりだったろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする