見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2019年9月関西旅行:樹のちから(大和文華館)

2019-09-23 21:44:33 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 『樹のちから-東洋美術における樹木の表現-』(2019年8月27日~9月29日)

 三連休は関西旅行を計画していたところ、大型台風接近のニュースが流れてきた。迷ったが、どうしても見たい展覧会があったので決行することにした。土曜日は、まず大和文華館へ。樹木のモチーフに着目し、中国、朝鮮半島、日本における多彩な樹木表現を展観する。展示品は画軸・画冊など37件で、全て同館の所蔵品。華やかさや物珍しさはないが、好きな作品ばかりで癒された。

 入口には、日本・中国・朝鮮を代表して、浦上玉堂筆『 澗泉松声図』、程𨗉筆『山水図』、鄭敾筆『冠岳夕嵐図』が並ぶ。どれも小画面だが魅力的。玉堂は擦筆の墨色がきれいで奥行のある風景。程𨗉は画面いっぱいにふわふわと浮かぶ白っぽい山水。鄭敾は青と緑の淡彩を用いて、近代のスケッチ画みたい。

 前半は墨画ないし淡彩の山水画の名品が並ぶ。まず嬉しかったのは張宏筆『越中真景図冊』が8図全部開いてる! 私は第4図の画面を斜めに横切る長い橋の図と、第8図の大河を下る帆船の図が好き。どちらも上方から対象に肉薄していて、ドローンみたいな視点だ。楊晋筆『山水図冊』も12図全部開いていた。青と緑の淡彩がきれい。五代・北宋から清に至る12人の画家の画風に倣って描いたもので、全て「倣〇〇」という題がついている。私は、きれいな色を丁寧に塗った第9図が好きで「倣趙松雪」って誰だろう?と思ったら、趙松雪=趙孟頫(もうふ)だった。方士庶筆『山水図冊』も全12図。贅沢だな~。この不思議なモノクロームの山水図は本当に好き。ほとんどの画面は、家や橋など人工物があっても人の姿がないのだが、「一線天」という雲の上に浮かぶ一本道では、空に駆け上がっていくような人々の姿が描かれる。どこまでも幻想的。

 伝・周文筆『山水図屏風』六曲一双(室町時代)は、え?こんなの持っていたっけ?とあらためて驚く。展示ケースが浅いせいか、細部をしみじみ眺めることができて面白かった。

 後半には明代の著色画。「場面を彩る樹」という着眼点だが、まあそう言えば、たいがいの風俗図には樹の表現があるだろうな。『文姫帰漢図巻』は第1~6図、『仕女図巻』は全図開いていた。やっぱり図巻や図冊は(時々は)1つの作品を隅から隅まで見せてもらえると嬉しい。『仕女図』(伝・仇英筆)は、仇英没後に流行した「仇英美人」で、瓜実顔に細い目が特徴。先日、上原究一先生が指摘していた万暦後半の通俗本の挿絵の特徴と一致するのではないかしら。

 高其佩の指頭画『閑屋秋思図』も好き。ネットで調べると面白い画像がたくさん出てくるのだが、日本にはあまり所蔵されていないのかなあ。もっと見たい。意外に(?)よかったのが近世日本の画家たちの作品で、呉春筆『春林書屋図』、山本梅逸筆『高士観瀑図』、岡田半江筆『秋渓訪友図』どれもよかった。

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桃山の美意識/黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部(サントリー美術館)

2019-09-14 23:56:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 サントリー芸術財団50周年『黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部-美濃の茶陶』(2019年9月4日~11月10日)

 近来まれに見るくらいストレートな展覧会タイトルである。入口のバナーには「しびれるぜ、桃山」というキャッチコピーが躍っていて、こっちが展覧会のタイトルかと思ったが違った。

 黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部は、それぞれ桃山時代に美濃で想像された「茶陶」のジャンル。しかし、これらが美濃(岐阜県)で焼かれたと分かるのは昭和初期で、それ以前は瀬戸(愛知)の産と考えられていたそうだ。実は中部地方の地理は苦手なので、会場の地図パネルを見なら、あらためて「美濃」(土岐市、多治見市、可児市など)の位置を頭に入れようとつとめた。

 第1章「美濃における茶陶創造」では「姿を借りる」「描く」「歪む」などのキーワードで桃山の古陶を紹介。「描く」は志野を中心に黄瀬戸もあり。「歪む」は当然、織部や瀬戸黒が多くなる。私は「描く」に分類されたものに魅了された。『志野織部傘鷺文向付』は温もりある薄茶色の雲形の皿に、鉄釉(?)で傘と鷺と柳を描いたもの。とぼけた顔の鷺がかわいい。手前の外縁の縦縞が橋桁に見えることから、「傘・鷺・橋」で「かささぎのはし」を表したものではないかという解説に笑ってしまった。「志野織部のうつわに時折みられる謎めいたデザインの中に、他にも同じ要領で判じ絵風に読み解けるものがあるかもしれない」という指摘には、目からウロコが落ちる思いだった。『志野織部箕笠文向付』は「みかさのやま」ではないかという。楽しい。

 志野のうつわに描かれた絵はどれもいい。果樹や草花が多かったが、私は『志野山水文鉢』の切り立った山と手前の空間(たぶん水面)に浮かぶ釣舟の図が好き。雑誌『芸術新潮』の「ゆるかわアート」特集でうたわれた「われわれは偉そうではない」「われわれはゴージャスでもない」「テクニックのうまいへたは問わない」に通じるものがある。かわいくはないかもしれないが、ゆるい。おおらかにゆるい。

 それに比べると織部はアクが強すぎてあまり好きではないのだが、緑釉と淡紅の片身替わりの「鳴海織部」という一群の作品が、単に表面の装飾を変えるだけでなく、全く違う土で成形したものを接ぎ合わせてできていると知って、感心してしまった。『織部州浜形手鉢』は、かなり大ぶりの鳴海織部で、山の字のような州浜形をし、半円を描く太い帯状の把手がついている。赤土部分には子どもの悪戯書のような花とゆるい幾何学模様。白土部分には、今流れたばかりのよう緑釉がかかる。これは360度全方向から鑑賞できる展示ケースに入っていて、見る角度によってどんどん表情が変わるのが贅沢で楽しい。織部には珍しい花入(寸づまりの徳利みたいに口が細い)や『織部南蛮人燭台』も見た。

 第2章「昭和の美濃焼復興」では、まず美濃古陶の研究に取り組んだ陶芸家、荒川豊蔵と加藤唐九郎の作品を展示する。荒川豊蔵は美濃焼の発見者でもあり、そのきっかけとなった『志野竹の子文筒茶碗』(これも素朴で好き)が展示されていた。この茶碗の高台内に付着していた土を見て、瀬戸のものではないようだ、と疑問を持ち、その後、岐阜県で本作の同手の陶片を発見して、志野が美濃で焼かれたことが実証された。その後、黄瀬戸や瀬戸黒の陶片も見つかるようになった。これを契機に、一種の美濃焼ブームが起こる。特に中京の茶人・森川如春庵は美濃焼の研究に熱中した。

 最後のセクションでは、近代数寄者が所蔵した美濃焼の名品が大集合。すぐ分かったのは、五島慶太の『鼠志野茶碗(銘:峯紅葉)』(五島美術館)。『志野茶碗(銘:夜明)』(MIHO MUSEUM)はわずかに焼け焦げたような色合いが絶妙。松永耳庵が懇願して在世中だけ手に入れていたものだそうだ。『黄瀬戸大根文輪花鉢』は、名前のとおり洗面器みたいな大ぶりの鉢で、底面に元気よく葉を広げた大根が描かれている。なぜか現蔵は相国寺だが、益田鈍翁旧蔵だそうだ。

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戦争画、そのほか/小早川秋聲(加島美術)

2019-09-04 22:52:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

加島美術 『小早川秋聲-無限のひろがりと寂けさと』(2019年8月31日~9月16日)

 日曜日、テレビをつけたら日曜美術館で『鳥取県・日野町/日南町へ 小早川秋聲のふるさとを行く旅』が流れていて、少し前にこのひとの絵がSNSに流れてきたことを思い出した。そうだ、東京で展覧会が始まるんだった、と思い出して、さっそく行ってきた。会場の加島美術には、一度だけ行ったことがある。私は「見るだけ」の人なので、コレクターのお客様が集うギャラリーに行くと場違いも甚だしいのだが、そうも行っていられない。

 今回、加島美術では40点の作品を展示。前後期で展示替えがあるので、一回で見られるのは30点程度か。小早川秋聲(1885-1974)は大正から昭和中期に活躍した日本画家で、従軍画家として戦争画を多く描いた。私がSNSで見たのも、彼の代表作の戦争画『國之楯』だった。日曜美術館(途中から見た)でも、兵士の日常を描いた多くの絵葉書が紹介されていたので、戦争画ばかり残した画家のイメージを持って、展覧会の会場に行った。

 そうしたら、1階ギャラリーの入口に飾ってあった作品は、全く違った。あれ?これは小早川じゃないのか?と疑って確かめたら、やっぱり彼の作品だった。そのあと、ギャラリーの中へ観客を導く数枚の作品も、明るく牧歌的な、あるいは平明で爽やかな色調の風景画などだった。そして、油断して振り返った瞬間に、ギャラリーの一番奥の、舞台のような空間に飾られた代表作『國之楯』が目に入る。

 大きな作品だ。暗闇に横たわる、ほぼ等身大の軍服の兵士。手袋をはめた両手を胸の前で組み、腰には日本刀を横たえる。頭部は寄せ書された日の丸で覆われている。兵士は肌を一切見せず、没個性の木偶のようでもある。頭部にはまるで仏菩薩のような円光がかすかに見える。高貴で荘厳でもあり、グロテスクでもあって、相反する感情がいろいろ湧き上がってくる。

 ただ会場では、この作品に行く前に左隣の壁に掛けられていた『日本刀』から私はしばらく目が離せなかった。軍服の男が、少し崩した胡坐をかいて、鞘を払った日本刀を眺めている。近代兵士の機能と効率重視の軍装(したがってあまり美しくない)姿でと、無駄な力の抜けた体勢と日本刀の角度の美しさの対比に惚れ惚れしてしまった。

 展示は2階に続き、仏画、歴史画、水墨山水、巴里のサーカス団、青空に鯉のぼりなど、多様な題材、多様な技法で描いた作品が現れる。屏風画『薫風』は、梅の木の根元に座る白い髭の老人を描く。ウェブサイトに掲載された画像を見ると六曲一双の右隻で、左隻には鶴が描かれている。鶴と梅を愛した文人・林和靖だろうか。梅の木は、幹をまだらにしている白い苔のようなものが花よりも目立つ。華やかで個性的で、高い絵具をずいぶん贅沢に使っているように思う。そして、いろいろな作品を見たが、どんな題材を描いても品があるのがいいなと思った。

 展覧会で売っていた画集『秋聲之譜』(米子プリント社、2000年)を買ってきたが、今回の展示図録ではないので『薫風』のように図版が掲載されていないものもあるのは残念。鳥取県日野郡の日南町美術館は、地元ゆかりの画家として小早川秋聲の作品を集めているという。頭の下がる活動だなあ。ぜひいつか、一度行ってみたい。加島美術の後期にも都合をつけて行く予定。

※9/8補記 後期展示も見てきた。『薫風』は左隻に変わっていた。梅の木の下に首を低くして立つ鶴。これはこれで綺麗だが、なんだか寂しくて物足りない。頭の中で先週見た右隻を想像して組み合わせると、落ち着く感じがした。ギャラリーの方が「(左右並べるには)展示室の広さが足りなくて」とおっしゃっていた。「個人蔵なんですか?」と聞いたら「そうですね」とのこと。なかなか見られない作品を見ることができて幸運だった。

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総合展示「先史・古代」リニューアル(国立歴史民俗博物館)

2019-08-30 21:29:35 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立歴史民俗博物館 総合展示・第1展示室「先史・古代」(2019年3月19日リニューアルオープン)

 特集展示『もののけの夏』を見に行ったついでに、今年3月にリニューアルした「先史・古代」の展示室をようやく見てきた。以前の展示がどのようなものであったか、よく覚えていないのだが、とにかく新しい展示は面白かった。

 総合展示のエントランスホールもあわせてリニューアルされ、楽しく華やかになった。日本の歴史を彩るさまざまなキャラクターが出迎えてくれる。歴博ファンならおなじみ、コノエさん(男性)とサンジョーさん(女性)の姿もある(洛中洛外図屏風・歴博甲本から)。

 「先史・古代」の入口には大きな象。約4万年前の南関東に生息していたナウマンゾウである。ちょっと北海道博物館を思い出した。調べたら、ナウマンゾウの化石は、明治時代に横須賀で発見されたほか、浜名湖畔、野尻湖畔、東京各地、北海道湧別町、千葉県印旛村でも見つかっているそうだ。

 3万7千年前に日本列島に人類が出現する。この時期を「最終氷期」(約11万〜1万2千年前)と呼ぶのだな。私が子供の頃の教科書には、なかった言葉だと思う。人々は移動性が高い狩猟採集の生活を営んでいた。ということで、まるで明治期の活人形みたいにリアルな人形でその様子を再現。落とし穴に落ちた獲物を狙っているところ。身にまとっているのは獣のなめし皮だが、身体にフィットして動きやすそうな衣服に仕立てている。

  この二人は、朴葉(?)に包んだ鶏肉や木の実を蒸し焼きにして調理中。杭州名物「乞食鶏」みたいだ。隣のモニタには、当時の調理方法を再現した実験の映像が流れていて、美味しそうだった。

 縄文時代には、環境の違いに応じて、各地に多様な生活様式や社会、精神文化が形成された。近年の『縄文』展や『国宝』展で話題をさらった火炎土器や国宝「土偶」のよくできたレプリカが集合している。東博の『縄文』展で見た「縄文ポシェット」(樹皮を編んだ小さい籠)や、歴博の『URUSHIふしぎ物語』展を思い出す漆製品(のレプリカ)もあった。

 紀元前10世紀ごろに九州北部で始まった水田稲作は、ゆっくりと日本列島各地に広がっていく。「縄文時代」の次は「弥生時代」というのが、私の習った日本の歴史だったが、ここでは「縄文」以降に「北海道(続縄文)」「弥生時代(本州東部/本州西部)」「南島」という3つないし4つの道があったことをきちんと示す。一時期、北海道に住んで、本州と異なる時代区分に驚いた経験がある者としては、とても満足である。

 続いて「倭」の登場と「日本」への成長(古墳時代、飛鳥時代)は、東アジア世界との交流を強く意識しながら構成されている。九州国立博物館の文化交流展示を思い出す感じで、私はとても好き。正倉院文書の複製(クラウドファンディングで資金調達したものか?)や、『日本の素朴絵』展にも出ていた墨書人面土器のレプリカもあって、古代の人々を身近に感じることができる。「沖ノ島」のコーナーには祭場の実物大模型があったが、あれもどこかの特別展で使ったものだったかしら?違うかな。

 また次回も新たな発見があるに違いない。再訪を楽しみにしている。

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リアル?虚構?/三国志(東京国立博物館)

2019-08-26 00:22:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 日中文化交流協定締結40周年記念特別展『三国志』(2019年7月9日~9月16日)

 「本展は『リアル三国志』を合言葉に、漢から三国の時代の文物を最新の成果によって読み解きます」という宣言を読んで、すごく期待していたのだが、結局「リアル」と「虚構」のどっちつかずの印象が残った。展示作品リストに掲載されている文物は160点余り。全て中国各地の博物館の所蔵品である。1箇所や2箇所でなくて非常に多くの博物館、省級以上と思われるところだけでも、上海、内蒙古、天津、山東、甘粛省、雲南省、遼寧省、武漢、南京など中国全土に及び、かなり力の入った企画であることは分かる。

 ただ、やはり日本人の(だけではないかも)観客の「親しみやすさ」を重視したのか、展示は明清代の壁画や図巻や塑像によって「伝説のなかの三国志」を提示するところから始まる。写真は河南省・新郷市の関羽像(明、15~16世紀)。「16世紀以降顕著となる武神としての神格表現はまだ認められない」という。神格表現が顕著でない段階で、何のためにこんな「美関羽」を造像したのだろう。不思議だ。

 あと展示室の要所要所には、横山光輝のマンガ『三国志』の原画や、NHKの人形劇『三国志』で使われた川本喜八郎の人形も飾られていた。写真は曹丕なのだが、なぜ海老柄のエプロンみたいなものを付けているのだろう。

 私は横山光輝のマンガもNHK人形劇も素通りして今日に至っているので、これらを見ても、う~ん何だか余計なものを、という感想しか持たなかった。

 印象に残った展示品は、まず「弩」。時代は違うけど、ちょうど「長安十二時辰」を見終わったばかりだったので。呉の出土品(弓は復元)である。

 鉤鑲(こうじょう)。盾の一種で、戟に対して効果を発揮したが、戟が主要な武器でなくなる南北朝以降、姿を消す。曹丕は一対の鉤鑲を両手で扱う武芸を学んだと解説にあり、そんな描写あったかしら?と最近見た中国の古装劇を思い出している。

 私は曹操・曹丕びいきなので、2008年から2009年にかけて発掘された曹操高陵(西高穴二号墓、河南省安陽市)に関する展示はたいへん興味深く見た。白磁の罐(貯蔵用の器)の美しさよ。白磁の誕生は6世紀後半(隋代)と言われているが、突発的にこうした器が生まれてもおかしくないという。奇跡のようなものだろうなあ。

 そしてこれが、曹操墓の決め手となった石牌。「魏武王常所用挌虎大戟」と刻まれているのだ。いや~まさか日本にいながらにして、これを拝めるとは!!

 図録には河南省文物局外事処の陳彦堂氏による解説「曹操高陵の考古発見と研究」が収録されており、それによれば、副葬品の修復作業は現在も続けられているそうである。将来的にはさらなる発見があるかもしれないというのが嬉しい。あと斜め読みしているだけだが、中国社会科学院考古研究所の朱岩石氏の「近年における三国時代考古学の新発見」も興味深い。三国時代の考古学の発見はこれからも続くだろうとのこと。長生きして見守らなければ。

 ひとつ言っておくと、司馬氏への言及がほぼなかったことは大いに不満。最後は「晋平呉天下太平」の文字のある磚(南京市博物館)でうまく幕を閉じていたけれど、司馬氏関係の考古文物をもう少し見たかった(単独で日本で見られる機会はないだろうと思うので)。

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2019年夏@東京展覧会拾遺:円山応挙(藝大)、原三渓(横浜)ほか

2019-08-25 21:32:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

※この「展覧会拾遺」のカテゴリーは5月以来、書いていなかった。とりあえず、「書いていない」ことを覚えている展覧会だけ記録しておく。最近行ったものから。

国立歴史民俗博物館 特集展示『もののけの夏―江戸文化の中の幽霊・妖怪―』(2019年7月30日~9月8日)

 中世絵巻物の模写本、玩具絵、歌舞伎、盛り場(見世物や寄席)、武者絵、世相風刺画など江戸文化の中の妖怪を紹介する。 会場入口のディスプレイで、歴博所蔵の狩野洞雲益信筆『百鬼夜行図』の全体画像を右から左へスクロール式で流しており、絵巻物鑑賞そのままのようで楽しい。真珠庵本と同じく最後に太陽らしきものが登場するのだが、その直前に、真珠庵本にはいない、ヘンな火の鳥のようなものが飛んでいる。妖怪絵といえば国芳か芳年と思ってたが、豊国もいいと見直した。化け猫の絵がよかった。一緒に見てきた総合展示「先史・古代」リニューアルの話題は別稿で。

東京藝大大学美術館 『円山応挙から近代京都画壇へ』(2019年8月3日~9月29日)

 あーまた円山応挙をやるのか、くらいに思っていたら、なかなか大変な展覧会だった。まず兵庫県香美町の応挙寺こと大乗寺の襖絵の主要なものが再現展示される。東京と京都で半分ずつだが、広くて天井も高い会場の中央に金地に墨画の応挙筆『松に孔雀図』8面が悠然と飾られたところは見栄えがしてとてもよかった。隣りに応挙っぽい孔雀の彩色画があったが、なんかヘンと思ったら芦雪の作品だった。この展覧会、応挙に連なる円山派・四条派の画家の作品がたくさん出ているだけでなく、近代の竹内栖鳳、山元春挙、上村松園までその水脈をたどる構成になっている。ああ、「奇想」もいいけど、やっぱり円山四条派は居心地がいいなあ、と感じてしまった。

根津美術館 企画展『優しいほとけ・怖いほとけ』(2019年7月25日~8月25日)

 飛鳥時代から江戸時代に至る仏教絵画・彫刻の優品約35件を展示し、ほとけの表情を「おごそか」「やさしい」「きびしい」「おそろしい」に分類してその意味を考える。銅造観音菩薩立像(飛鳥時代と奈良時代)、増長天立像(平安時代)、愛染明王坐像(江戸時代)など、立体もの(全て同館コレクション)が珍しく多かった。愛染明王は、左(向かって右)第三手の持ちものによって、何を目的とする祈祷に使われたかが分かるのだそうだ。拳にしておくと何でも使えるというのも合理的で面白かった。

横浜美術館 横浜美術館開館30周年記念、生誕150年・没後80年記念企画展『原三溪の美術 伝説の大コレクション』(2019年7月13日〜9月1日)

 横浜において生糸貿易や製糸業などで財をなし、三渓園に名前を残す実業家・原三溪(富太郎、1868-1939)の文化人としての業績を「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」の四つの面から探りながら、三溪旧蔵の美術品や茶道具約150件を過去最大規模で展観する。始まって早々に見に行ったのだが、ちょっとガッカリした。展示室の環境がよくないのだ。せっかく国宝・重文級の書画が集まっているのに、展示ケースのガラスが反射して見えにくかったり、平台のケースに天井の照明が映っていたりする。横浜で開催することに意味があるのは分かるのだけど、別の会場を選んだほうがよかったのではないか。

日本民藝館 特別展『食の器』(2019年6月25日~9月1日)

 特別展といっても、特にいつもの展示との違いが分からなかったが、大展示室は柳宗悦が実際に使用していた器を中心に構成しているとのことだった。日常の使用品とコレクションの間に差がないのが面白い。特集のうち「朝鮮の膳」は、一時期、本気で欲しいと思っていたもの。でも最近は椅子とテーブル生活に慣れて探すことをやめてしまった。「諸国の土瓶」は個性豊かで面白かったが、そういえば土瓶も、家でも職場でも使わなくなってしまったなあ。

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2019夏休み旅行:いのりの世界のどうぶつえん(奈良国立博物館)ほか

2019-08-19 00:25:15 | 行ったもの(美術館・見仏)

奈良国立博物館 わくわくびじゅつギャラリー『いのりの世界のどうぶつえん』(2019年7月13日~9月8日)+特集陳列『法徳寺の仏像-近代を旅した仏たち-』(2019年7月13日~9月8日)+名品展

 『いのりの世界のどうぶつえん』は、夏休み企画の子供向け展示だろうとあなどっていたら、展示品がすごいと聞いて、慌てて見に来た。確かに鎌倉時代の『普賢十羅刹女像』(和装の羅刹女)や『春日鹿曼荼羅』など重文クラスがふつうに出ている。平安時代の『一字金輪曼荼羅』はよく見ると画面が獅子だらけで笑ってしまった。

 立体では、鹿形埴輪(浜松市博物館)を初めて見た。文殊菩薩騎獅像(文化庁、平安時代)は、やさしいわんこ顔の獅子で、高知・竹林寺の獅子を思い出した。いつも奈良博の常設展(仏像館)で会うのを楽しみにしている、頭上に動物を載せた十二神将立像(東大寺、平安時代)も出ていて、一部の像はお腹にも動物が表現されていることに初めて気づいた。牛頭天王坐像(松尾神社、平安時代)は、右手に鉾を執り、片足を下ろして岩座に座る。右手には鉾。ほぼ同じ大きさの顔を前後左右の四面持つ尊像である。頭上には>牛の首(細面で馬っぽい)を戴く。

 摩利支天坐像(大阪・高槻市立しろあと歴史館、江戸時代)もめずらしくて面白かった。まるまるした7頭のイノシシの上に座る尊像。しかしイノシシが全て頭を外側に向けて円陣を組んでいるので、これ動き出したらどうなるんだろう?と余計なことを考えてしまう。

 最後に『辟邪絵』の「栴檀乾闥婆」「神虫」「毘沙門天」と『沙門地獄草紙』の「沸屎地獄」。ゆるふわの「どうぶつえん」と思わせて、こんなものを出す根性がすごい。いちおう周囲を囲って別室にしてあったのは、怖い絵を見たくなければ見ないですむよう配慮したのだろうか。

 『法徳寺の仏像』の法徳寺は、奈良市十輪院町に位置する融通念仏宗の寺院だが、本展で紹介するのは、近年ここに寄進された約30躯の仏像で、「かつてひとりの実業家が収集した仏像」とだけ説明されている。飛鳥時代の銅造観音菩薩立像、興福寺千体仏と呼ばれる木造菩薩立像20躯など。平安時代の地蔵菩薩立像は、若々しくおだやかな美形。これも興福寺伝来だという。

 仏像以外は見る機会の少ない名品展も充実していた。絵画では、西大寺の『十二天像』(伊舎那天・日天・月天)を見ることができて満足。と思ったら、8/20-9/23の名品展は「東アジアの宗教絵画」の特集で、マニ教絵画3点(個人蔵)が出ることを把握してしまった。加えて陸信忠に高麗仏画。これは見に行かなければ…。

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2019夏休み旅行:なら燈花会、東大寺ほか

2019-08-18 22:57:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別企画展『福徳円満を求めて-中国 元・明時代の華やかな工芸-』(2019年7月12日~8月18日)

 MIHOミュージアムのあとは、京都を素通りして奈良へ急ぎ、大和文華館に寄り道。鮮やかな色彩と多種多様な文様に溢れた中国元・明時代の陶磁器・漆器・染織を展示する。神話や戯曲を題材にした人物文が多くて面白かった。最後に、意匠からも技巧からも明清の工芸にしか見えない箪笥があって、江戸時代の『鎌倉彫手箪笥』だというのに驚いた。

 そろそろ夕方、奈良へ出て、ホテルにチェックインし、夕食も済ませて散歩に出る。奈良国立博物館の前庭にたくさんの鹿が寝そべって休んでいる。「鹿だまり」と呼ばれてSNSでも話題になっているもの。初めて見た。

 そして、もう少し暗くなると、鹿たちは起き上がって、三々五々グループになって、大仏前の交差点を渡って、春日野のほうへ消えていく。交差点がカオスになっていて面白かった。

 交差点を斜めに渡った浮雲園地から奈良春日野国際フォーラムあたりが「なら燈花会」の本部会場。南に下って、浮見堂に行ってみる。このあたり、何年ぶりだろう? いつも来てみようと思いながら足が向かずにいた。

 浮見堂から人の流れに従って、猿沢池方面へ向かう。全く歩いた記憶のない道(こんなに奈良に来ているのに)で、暗闇の中できょろきょろしていたら「江戸三」「四季亭」の灯りが見えた。ああ、大人になったらこういう高級旅館に泊まろうと思っていたのに、一向にその機会がないなあ…。

 翌朝(8/13)は東大寺へ。朝の涼しいうちに境内を歩こうと思ったのだが、ぜんぜん涼しくない。久しぶりに大仏殿を拝観する。昨日、MIHOミュージアムで『紫香楽宮と甲賀の神仏』を見てきたので、いろいろ感慨深いものがある。とにかく大仏が造立できてよかったね、と聖武天皇に呼びかける。大仏殿では、8/15の万灯供養会に向けて灯籠の奉納受付けが行われていて、サンプルとして「奈良花子」「平成二郎」と並んで「大佛次郎」という灯籠があったのは笑ってしまった。

 二月堂、三月堂、戒壇院を参拝。戒壇院はあまりいかないのだが、2日前に筑紫戒壇院に行ったので、あわせて参拝してきた。ここの四天王像は大好きな仏像だが、忘れられているようで気がかりである。二月堂の南東、斜面の上にある飯道神社も見つけて参拝した。看板には「飯道神社(いいみちじんじゃ)」とルビが振ってあった。

 最後に東大寺ミュージアムへ。日光菩薩・月光菩薩が、三月堂の不空羂索観音像の脇ではなく、ここにいることには相変わらず慣れない。昨年秋のリニューアルから、聖武天皇の「大仏建立の詔」が映像で紹介されるようになっているのだが、紫香楽宮で建立するつもりだったんでしょ?と心の中でツッコミながら鑑賞する。

 続きの奈良博は別稿で。

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2019夏休み旅行:紫香楽宮と甲賀の神仏(MIHOミュージアム)

2019-08-18 17:48:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

MIHOミュージアム 2019年夏期特別展II『紫香楽宮と甲賀の神仏-紫香楽宮・甲賀寺と甲賀の造形-』(2019年7月27日~9月1日)

 8世紀半ば、聖武天皇によって甲賀の地に離宮として営まれ(一時は都となる)、大仏の造像も発願されたが、短期のうちに放棄されるなど、謎の多い紫香楽宮(信楽宮)。本展では、近年の発掘調査の成果と、甲賀の地に伝わった豊かな宗教文化を紹介する。前半が主に考古遺物、後半が仏像・神像など美術工芸品中心だった。

 はじめに紫香楽宮造営に先立つ聖武天皇の行動が地図上に表現されていて、このひとは面白いなあと思ってしみじみ眺めた。天平12年(740)に藤原広嗣の乱が起きると、平城京を抜け出して伊勢行幸に出立し、伊賀、伊勢、不破から琵琶湖の東岸・南岸をまわって1ヶ月余り、ようやく恭仁京に落ち着く。恭仁京の造営と並行して紫香楽宮の造営も進め、かと思うと難波京に移り、4年半にわたる遷都の繰り返しの末、結局、平城京に戻ってくる。ちょっと呆れるが、東アジアの伝統にのっとった古代の帝王らしい振舞いだとも言える。宮城の場所を決めるのは、帝王の大事な仕事なのだから。

 その紫香楽宮跡はMIHOミュージアムから東へ8kmくらいの距離にあり、「内裏野(だいりの)」と呼ばれていた地区が宮跡と考えられていたが、北部(新名神高速道路の北側)の宮町地区で2000年に長大な建物の遺構が見つかり、紫香楽宮の中心部であったことが確定した。

 出土文物の中では一番印象的だったのは、北黄瀬遺跡(内裏野地区の北西、宮町地区の南西)で発見された巨大な井戸枠。一辺2メートルを超える板材(上下2段)を四角形に組み、鉄釘で留めている。あまりに立派なので、復元品?と思ったらホンモノだった。しかも屋根と洗い場が設けられていたとか、地下水を堰き止めて水位を保つ工夫がされていたとか、驚くことばかりだった。鍛冶屋敷遺跡(内裏野地区の北東)出土の梵鐘内型は、一部から全体を「復元」したものらしかったが、高さ180cm、直径130cm以上あり、東大寺の梵鐘に次ぐ規模だという。周辺からは、ほかにも鋳型片や銅塊・鉄塊が出土しており、最新設備の官営工房があったことをうかがわせる。こういう当時の技術水準をうかがわせる出土品は、正倉院文物などの美術工芸品とは、また別のワクワク感があってよい。

 文化史的に超重要な遺物としては「なにはづに/あさかやま」の歌木簡をたぶん初めて見た。1997年に宮町遺跡で出土した「なにはづに」木簡の裏面に「あさかやま」の歌が書かれていることが10年後の再調査で明らかになり、2008年に発表されたもの。展示では「なにはづに」が見えるように置かれていた。途中が切れて2文字ほど欠落した木簡なのだが、これが「なにはづに」の和歌だと分かった研究者はえらいなあ。まして裏側は「あさかや」「るやま」(全て万葉仮名)しか残っていないのに。なお「歌一首」と墨書された土器片もあった。

 紫香楽宮の中心部が宮町地区にあったとして、内裏野地区は何だったのか。礎石の配置から寺院跡であったことは明らかだが、近江国分寺とみるか甲賀寺とみるか。近江国分寺と甲賀寺はどのような関係になるかなど、まだ課題が残されているそうだ。以上は、ミュージアムショップで販売されていた20頁ほどの冊子『天平の都と大仏建立-紫香楽宮と甲賀寺- 改訂版』(200円?)を参考にした。編集発行元の甲賀市教育委員会さん、いいお仕事をされているなあ。感服。

 さて聖武天皇は紫香楽宮で大仏造立の詔を発し、甲賀寺に大仏の「体骨柱」を立てたことが記録に残されている。また紫香楽宮が放棄されたあとも甲賀寺には官営の造仏工房があったと考えられており、その伝統が近江の神仏像に影響したというのが本展後半のメッセージである。

 石山寺の『塑像金剛蔵王立像心木』は前回どこで見たのだったか。異形すぎる仏像(心木だけだし)だが、とても好きなもの。櫟野寺からは吊り目でキリっとした顔立ちの観音さま2躯、立て衿の地蔵菩薩立像などがいらしていた。堂々と量感のある薬師如来立像(平安時代)は甲賀市の阿弥陀寺から。昨年、櫟野寺のご開帳に行ったとき、足を伸ばしたが、ご住職不在で拝観できなかったお寺だ、と思い出した。粟東市の金勝寺の木造毘沙門天立像は、派手さはないが静かな迫力がにじみ出る巨像。金勝寺からは、地蔵菩薩立像、僧形八幡神坐像、多数の神像も来ていた。金勝寺の名前はずっと気になっているのだが、公共交通の便がよくないので、なかなか訪ねる決心がつかない。

 甲賀市・飯道寺(はんどうじ)の木造十一面観音立像は、たおやかで優美・繊細。12世紀の作だが平安初期の古像をモデルにしたのではないかという推測されている。飯道寺は飯道神社の神宮寺で、飯道神は東大寺別当実忠によって東大寺に勧請されたともいわれる。奈良と近江の結びつきは深いとあらためて感じた。

おまけ:館内でもらえる「聖武天皇 人生スゴロク」(どうしても大仏を造りたかった!)。ときどき笑っていいのか困るコマもある。ゴールは「752年、大仏法要」。

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2019夏休み旅行:観世音寺、大宰府都府楼跡

2019-08-17 01:18:01 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇九州国立博物館~太宰府天満宮~観世音寺~戒壇院~大宰府都府楼跡

 九州国立博物館では『室町将軍』に加え、久しぶりに常設展示(文化交流展示室)をゆっくり見た。寄贈の名品紹介の展示で、坂本五郎氏(1923-2016、古美術商「不言堂」の創設者、奈良博の青銅器コレクションの寄贈者)旧蔵コレクションに驚かされた。特に私が気に入ったのは葛飾北斎『日新除魔図』で、晩年の北斎が日課として獅子あるいは獅子舞を描き続けたもの。やんちゃな獅子と獅子舞がかわいい。館蔵名品展『更紗 生命の花咲く布』(2019年7月30日~10月20日)は意外なコレクションだった。

 いくつかの展示物に『新元号記念特別企画「令和」』(2019年4月23日~12月22日足利将軍)と称する企画も行われていて、『万葉集』巻五(江戸時代の版本)が出ているのはいいとして、当時の官人の服装を再現した写真に「60代の大伴旅人」というキャプションをつけられても、それがどうしたという感想しか湧かなかった。

 帰りに大宰府天満宮に寄って御朱印をいただく。ここまではいつもの九博コース。今回は時間があるので、西鉄大宰府駅前からバスに乗って、観世音寺と都府楼跡にも寄っていくことにする。自分のブログを調べたら、2004年の夏に訪ねた記録しかなかった。えええ、本当かな。だとすれば、九州国立博物館ができるより、さらに前の話だ。

 観世音寺のバス停に下りたときは、きれいに整備された参道と駐車場が記憶に残っていなくてとまどった。しかし参道の先の講堂(本堂)、鐘楼、宝蔵などは記憶のとおりだった。宝蔵の仏像は大好きなものばかり。しぶい顔の木造大黒天立像(走り大黒)や、地天女と動きのある二鬼が気になる木造兜跋毘沙門天立像もよいが、なんといっても木造聖観音坐像、木造馬頭観音立像、木造不空羂索観音立像の巨像の並びが素晴らしい。途方もなく巨大で、しかも美的に破綻していないところに唐代のセンスを感じて、視聴中の中国ドラマ『長安十二時辰』を思い出していた。しかし宝蔵の中、あまり空調が効いていなかったが、文化財保存上は大丈夫なのだろうか。

 観世音寺の西の門を出ると戒壇院。天平勝宝5年(753)に来日した鑑真が太宰府を訪れ、この地で初の授戒を行ったことから開山は鑑真。今年は中国・揚州にも行ったし、鑑真とのご縁がまだ続いているようだ。現在は臨済宗の寺院なので、本堂の正面に「生死事大」の板(はん)が掛けてあった。「住職不在のため御朱印はここからお持ち下さい」というメッセージを添えた箱があって、白封筒と先客の残した硬貨が入っていた。幸いにも最後の御朱印をいただくことができた。

 さらに少し歩いて都府楼跡へ。炎天下で耐えられないかと思ったら、意外とよく風が通って、街の中より涼しかった。広々した緑地の真ん中の石碑「都督府古址」の写真を撮る。大宰府の唐名であるが、ほんとに中国風だなあと思って微笑ましく思う。なお、調べたらこの石碑は、明治4年、貴重な文化遺跡の荒廃を案じた乙金村(現在の大野城市乙金)の大庄屋高原善七郎が自費で建立したものだという。えらい!

 これで大宰府滞在を切り上げ、夜、福岡空港から大阪(伊丹)へ飛ぶ。伊丹空港は、ほとんど使ったことがなかったのだが、今年初めて使ってみて、その便利さが分かった。江坂泊。

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