goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
【はてなブログサービスへ移行準備中】

大河ドラマの同時代/狩野派の中の人(板橋区立美術館)

2025-09-04 21:58:50 | 行ったもの(美術館・見仏)

板橋区立美術館 館蔵品展『狩野派の中の人 絵師たちのエピソード』(2025年8月23日~9月28日)

 江戸狩野派には、最も格式の高い奥絵師、それらを補佐する表絵師、さらに町狩野と呼ばれる人々など、膨大な数の絵師が属していた。本展は、絵師の人柄が伝わるエピソードやそれぞれの関係性の紹介とあわせて作品を展観する。

 むかしは狩野派なんて似たり寄ったりでつまらない絵師の集団だと思っていた。それが、こういう展覧会のタイトルを聞いて、わくわくと足を運んでしまうようになったのは、かなりのところ、同館のおかげである。今回、1階ホールに過去の狩野派展のポスターがずらりと展示してあるのだが、どれもちょっとテンションがおかしい。「これであなたも狩野派通」とか「狩野派SAIKO!」とか(笑)、参観者を狩野派ファンに引きずり込んでやろうという意気込みが明白すぎる。

 館蔵展なので、だいたい記憶にある作品が多かったが、絵師のエピソードは知らないことが多くて面白かった。狩野典信(みちのぶ)は、徳川家治に重用され、新たに拝領した木挽町の屋敷は田沼意次邸の隣だった(以後、時代を遡って、尚信の家系を木挽町狩野家と呼ぶ)。Wikiによれば、田沼意次の旧邸を分与されたもので、典信と意次は互いに裏門から往来し、意次の密議は常に典信の屋敷で計られたとも伝わるそうだ。ほお~そんな話を聞くと、巨大な『大黒図』が意次のイメージに見えてこなくもない。

 典信には『田沼意次領内遠望図』(牧之原市・相良史料館寄託)や『徳川家基像』(徳川記念財団像)の作品もあるのだな。狩野派の中の人というより大河ドラマ『べらぼう』の中の人という感じで親しみが湧いた。

 典信の息子・惟信(これのぶ)も同様に将軍・家治、老中・田沼意次に厚遇された。妻は田沼意知の妾の妹と伝わるという。展示されていた作品『四季花鳥図屏風』は、さまざまな手本を組み合わせて鳥の楽園を描いたもの。

これって徽宗の『桃鳩図』ですかね?!

これは若冲?!

 お腹の弱かった養信(おさのぶ)、いつも手ぬぐいを被っていた章信(あきのぶ)も覚えた。

 時代を遡って、岡倉天心が探幽を「画壇の家康」と呼んだという話はおもしろい。探幽の『富士山図屏風』は、山並みの平たい山頂が雲の上に出ている様子が見事。あんな風景を実際にどこかで見ることができたのだろうか。長い稜線を広げた富士山は、北斎の絵を思わせた。

 三兄弟(探幽・尚信・安信)の末弟・安信は、画技が劣るので、他では食えないだろうと考えて、敢えて宗家を継がせたと紹介されていた。ひどい…。まあ評価にはいろいろあるそうだ。狩野常信『四季花鳥図屏風』は、平凡な花鳥図に振りかけられた金砂が、薄暗がりの中で驚くほど効果的な輝きを放っていた。さらに遡って、狩野派の楚・正信の『蓮池蟹図』も出ていたが、かなり性格が面倒臭そうで、勝手に東邪・黄薬師をイメージしていた。

 展示室内は全点撮影可。実は、展示室外の過去の図録を販売しているコーナーに、大文字屋の”かぼちゃ”市兵衛さんの小さなポップがあって「みんな、べらぼう見てくれてるかな?」と添えてあったのがむちゃくちゃ可愛くて、写真を撮りたかったのだが、気が弱くて、お願いできなかった。ちょっと後悔。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年8月展覧会拾遺(2)

2025-09-01 22:11:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展「江戸☆大奥」(2025年7月19日~9月21日) 

 娯楽小説や芝居、ドラマなどで描かれてきた想像の世界とは異なる、知られざる大奥の真実を、遺された歴史資料やゆかりの品を通してご覧いただきます――というのが、公式のうたい文句だが、最初の展示室(いつもと逆回り)には、NHKドラマ10の男女逆転版『大奥』の衣装を展示。展示室の奥には実物大の橋の入口のセット、スクリーンには江戸城が映るので、大手門橋のイメージか(でもこれ、春の『蔦屋重三郎』展の日本橋の使いまわしだと思う)。続く見ものは、楊洲周延『千代田の大奥』のほぼ全面展示。私は町田市立国際版画美術館の『楊洲周延』展で見て、大奥って女子校みたいで意外と楽しそう、と思った作品である。

 御台所や側室など、実在した女性たちに関係する多数出ていた。私はずっと徳川将軍家に関心が薄かったのだが。ドラマ『大奥』大河『べらぼう』のおかげで、将軍〇〇と言われると、少しイメージを結べるようになった。将軍家定、家茂に仕えた御年寄・瀧山の名前もドラマ『大奥』で覚えたのだが、埼玉県川口市の錫杖寺に墓所があり、身のまわりの品(個人蔵)に加えて、日記も残っていることを初めて知った。あと、大奥で演じられた女歌舞伎衣装は、豪華絢爛で力強く、カッコよかった。

静嘉堂文庫美術館 絵画入門『よくわかる神仏と人物のフシギ』(2025年7月5日~9月23日)

 古美術のなかの神さま、仏さま、そして人の姿に注目し、神仏と人物が表されるときの約束事や背景にあるストーリーをやさしく紹介する。案内役は『聖徳太子絵伝』の聖徳太子くんと『霊照女図』(室町時代)の霊照女ちゃん。鹿さんが~、カエルさんは~、みないな文体の解説は、現代の若者には親しみやすいのかな。作品は狩野派多めに感じた。

永青文庫 夏季展『書斎を彩る名品たちー文房四宝の美-』(2025年7月5日~8月31日)

 書や画をしたためる際に不可欠な筆・墨・硯・紙を、中国では「文房四宝」と呼ぶ。本展は、幼少期から漢籍に親しみ、中国の陶磁器や仏像に関心を広げた細川護立の蒐集品から、文具の数々を展観する。驚いたのは、堂々とした硯の数々。おそらく本場の文人とタメを張れるコレクションである。墨もすごいし、筆もすごい。和臭をあまり感じさせないところがよかった。江戸~明治の煙草盆・煙草入れのミニ特集も面白かった。

松岡美術館 開館50周年記念『おいでよ!松岡動物園』(2025年6月17日~10月13日)

 館蔵品から動物をモティーフとした古今東西、様々な方法で象られた作品を展示する。やはり陶磁器展示室の「世界の動物さんたち大集合」がいちばん楽しかった。中国・唐時代の三彩馬・三彩駱駝はこの部屋の常連だが、写実的な体型の、土色のラクダが視界に入って、西アジアか地中海地方の作品だろうかと思って近づいたら「灰陶加彩駱駝、中国北魏時代」とあって驚いた。

 ほかにもイランの『青釉銀化象』やギリシア・ミケーネ出土の『牡牛』、中国の青花には、動物とも妖怪とも分からない奇怪な生物が描かれていたりして楽しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涼を求めて幽霊画/2025幽霊画展(全生庵)

2025-08-29 23:20:56 | 行ったもの(美術館・見仏)

全生庵 『谷中圓朝まつり 幽霊画展』(2023年8月1日~8月31日)

 今年も谷中の全生庵に幽霊画展を見に行ってきた。展示作品は、毎年おなじみのものも、入れ替わるものもある。毎年見ているのに、新しい発見をすることもある。高橋月庵『海上幽霊図』は、嵐の海の上に巨大な黒い影がぼんやり浮かんでいて、幽霊というより妖怪だなと思っていたのだが、よく見ると波間に多数の遭難者なのか、その亡霊なのか、形の定かでない人影が漂っていた。渡辺省亭『幽女図』、鏑木清方『幽霊図』など、顔を見せない女性の幽霊(?)は、恐ろしくも魅力的。鰭崎英朋『蚊帳の前の幽霊』は、いつもながら美人さんだと思う。

 飯島光峨『幽霊図』は、性別も分からないほど痩せこけて、薄い髪をざんばらにし、お歯黒をつけた歯をむき出しにする、凄まじい女性の幽霊なのだが、見ていると、死期の近づいた母親を思い出した。老いの醜怪さを画家は残酷に描いているが、特に他人への恨みや妄執はなさそうで、どこか懐かしさを感じなくもない。

 谷文一『燭台と幽霊』は、光と闇のあわいにふっと半身だけ浮かび出てきた幽霊の姿。左半身と胸から下は、まだ異世界に残したままの風情で、骨だけのような右手を燭台の下に添える。中村芳中枕元の幽霊』は、うまく言えないが、まがまがしくて怖い。西洋の妖怪みたいな感じ。高橋由一の『幽冥無実之図』は、和装の女性の背後に洋装の男性がぼんやり描かれているのだが、何か意味を込めた幽霊画なのだろうか?

 なお、怖い浮世絵でおなじみ、小幡(こはだ)小平次の説明に『復讐奇談安積沼』が取り上げられていたが、これが山東京伝の作だと初めて認識する。京伝先生、黄表紙や洒落本だけでなく、読本(伝奇小説)も手掛けていらしたのか!

 最期に参観受付で、さりげなく髑髏をプリントしたTシャツの紺を購入。昨年、紺が売り切れていて白を購入したので、1年越しで二色揃った。と思ったら、新色のグレーも出ていたので、また来年も買いに来よう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本中世に根づく/唐絵(根津美術館)

2025-08-28 22:23:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『唐絵:中国絵画と日本中世の水墨画』(2025年7月19日~8月24日)

 日中間の交流は中世に入ると再び盛んとなり、院体画や水墨画の名品が日本にもたらされた。「唐絵」と呼ばれたこれらの作品は、足利将軍家をはじめとする武家の間で尊ばれ、やがてそれらに倣った和製の唐絵も多数制作されることとなる。館蔵コレクションの中から、中国画や日本中世の水墨画といった唐絵の名品をまとめて紹介する。

 冒頭には「『唐絵』の源流」と題して、伝・李安忠筆『鶉図』、伝・銭選筆『梨花小禽図』など華やかな作品が並んでいた。馬麟筆・理宗賛『夕陽山水図』も。理宗の文字はあまり巧くないなあと思う。伝・夏珪筆『風雨山水図』は、遠景の山も、傘を差した人物が渡ろうとする近景の橋も、ぼんやり墨がにじむような筆遣いで、雨中の景色なんだなあと納得する。牧谿筆『漁村夕照図』もそうだが、日本人好みの水墨山水は、たいがい空気が湿潤である。

 次いで「明時代の『唐絵』」は数は少ないが、知らない作品も多くて面白かった。伝・夏永筆『楼閣山水図』が好き。中国絵画はここまで(13件)で、以下は、日本で描かれた「唐絵」が、いくつかのセクションに分かれて並ぶ。伝・狩野元信筆『四季花鳥図屏風』は、とにかく愛らしい。鳥たちのにぎやかな囀りが聞こえてくるし、墨画淡彩なのに色も見えてくる。『林檎鼠図』の解説だったか、元信は小田原に工房を持っていたとあったのが気になったのでメモしておく。小田原を訪れたこともあると考えられるのが、雪村周継。作品は『龍虎図屏風』1件のみだったが、大作でうれしかった。ねばりつくような波頭、トボけた龍の顔、風にしなる竹など、巧いのか下手なのか、よく分からないが、とにかく魅力的なのが雪村。

 関東の水墨画にも、写生風景画っぽい仲安真康の『富嶽図』や、中国画を模倣した祥啓の『人馬図』(元時代の馬図が原図と想定)など、実はおもしろい作品が多数あることが分かった。

 展示室6は「涼みの一服」。竹花入「銘:唐よし」は今季のテーマに合わせたのかもしれないが、太い竹を、豪快に鉈で斜めにぶった切って、花入れにしたもの。武将・蒲生氏郷の作のというのが、いかにもそれらしい。

 1階のミュージアムショップを覗いたら『中国絵画・中世絵画』という新刊のコレクション図録が出ていたので、もしや、と思って確認したら、中国絵画は板倉聖哲先生が執筆されていた。実は展示室のキャプションに「〇〇作と言われているが、画風を検討すると、△△時期の◇◇の系統に近い」みたいな、プロ中のプロを感じさせる解説が複数あって、へえ~勉強になる、と思っていたのである。もちろん図録は買って帰った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年8月展覧会拾遺

2025-08-27 22:14:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

 毎日、暑いのでぐったりしている。職場は涼しいのだけれど、帰宅すると、もう何もする気力が起こらない感じ。気がつけば8月も終わるので、あれこれ行ったものから。

文化学園服飾博物館 戦後80年企画『衣服が語る戦争』(2025年7月16日~9月20日)

 戦勝への期待の中で作られた着物、物資不足の節約生活の中で着られたもんぺや国民服、同時期の欧米のドレスやファッション誌を展示し、戦争が衣服や人々の生活に及ぼした影響を考える。いわゆる「戦争柄」の着物も出ていた。私が「戦争柄」の存在を知ったのは、2007年刊行・乾淑子さんの『図説・着物柄にみる戦争』である。そして、すっかり忘れていたが、2015年にも同館で『衣服が語る戦争』を見ている。戦争柄の着物は、主に子供に、特に晴着として用いられたと思っていたが、大人用の襦袢もあって驚いた。ポップなTシャツみたいだと思った。今回は、昭和初期に被服協会が調査のために収集した、中国やモンゴルなどアジア各地の民族衣装が展示されていたのも興味深かった。2階ロビーには、戦時中の文化服装学院の教師と生徒の回想が紹介されていたが、1945年5月24日未明の山の手大空襲で校舎を焼失しているのだな。

半蔵門ミュージアム 特集展示『ほとけに随侍するもの』(2025年4月23日~8月31日)

 脇侍や眷属(部下・仲間)など、主尊に随侍するものをテーマとして、彫像・絵画を展示する。福島県会津の如法寺に伝来した応現身像のうち、同館所蔵1躯(やや大きい)と早稲田大学會津八一記念博物館所蔵6躯(30センチくらい、フィギュアっぽくてかわいい)を展示。童女身は顔がお面のように取れていて不思議だったが、玉眼を嵌めるためと気づいて納得した。絵画『弁才天十五童子像』の童子には、ひとりずつ名前があり、酒泉童子は酒壺を持ち、飯櫃童子は飯櫃(めしびつ)を持っている!

大倉集古館 特別展『藍と紅のものがたり』(2025年7月29日~9月23日)

 古来より、日本の色彩文化において欠かせないものが、植物のアイとベニバナから生まれる藍色と紅色である。本展では、ふたつの色と染料技術の歴史、そこから生まれた衣装や衣服を紹介し、その魅力を見つめなおす。1階展示室は「紅」、2階展示室は「藍」を特集する。ベニバナは3世紀に中国から日本に伝来した。襦袢や合着に使われた「紅板締め」は、むかし京都文化博物館の常設展で見た記憶があった。紅花染めの広がりの例として、八百屋お七が取り上げられているのも面白かった。私は黄八丈のイメージだけど、豊国(国貞)の浮世絵では、赤い着物を着ているのだな。藍染めは正倉院宝物にも例があるが、普及したのは江戸時代。藍の濃淡によって複雑な絵柄を表現するものもあるけれど、私は青海波とか市松模様とかのパターン模様が「粋」で大好き。

サントリー美術館 『まだまだざわつく日本美術』(2025年7月2日~8月24日)

 2021年に開催した展覧会『ざわつく日本美術』の第2弾。前回展で、うわっ!と思った『袋法師絵巻』が冒頭に取り上げられていて苦笑してしまった。このほか「ぎゅうぎゅうする」は、あれもこれもの「〇〇尽くし」を集める。「おりおりする」は卓上に屏風の模型が用意されていて、好きなように折ったり広げたりして鑑賞することができる。長年、屏風にこだわってきた同館らしい試みだと思った。「らぶらぶする」は様々な恋愛模様を絵画化した作品を紹介。男装の麗人が帝に寵愛されてしまう『新蔵人物語絵巻』いいよねー。「ぱたぱたする」は手箱や重箱んのデザインを展開図で楽しむ。「ちくちくする」は津軽こぎん刺し。「しゅうしゅうする」は「蒐集する」でコレクターの紹介。彫刻家の朝倉文夫が和ガラスコレクターだったとは知らなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郷土のむかしむかし/世界遺産縄文(東北歴史博物館)

2025-08-05 23:15:28 | 行ったもの(美術館・見仏)

東北歴史博物館 夏季特別展『世界遺産縄文』(2025年7月12日~9月15日)

 金曜に仕事で仙台に出張したので、自費で1泊付け加えて、この展覧会を見てきた。チラシの謳い文句は「遮光器土偶が見ていた世界」。2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の出土品や、東北の縄文文化圏の象徴である「遮光器土偶」、さらに「国宝土偶」などを通して、世界に認められた縄文文化と1万年以上も続いた持続可能な社会とはどのようなものであったのか、「北の縄文人」のすがた、暮らしを紹介する。

 私は、近年、縄文時代に関心を向けているが、その一方、「縄文」を語る本や展覧会には警戒してしまう。ときどき、縄文時代をパラダイスみたいに捉えた誇大妄想に出会うからである。しかし、幸い、本展にはそうした要素は感じられなかった。

 はじめにガイダンスルームで「北海道・北東北の縄文遺跡群」の多様な風景の映像を見ることができる。深い森の奥、明るい草原、海の幸にめぐまれた海岸、一面雪に覆われた厳しい冬景色…。「北海道・北東北」と総称されてはいても、それぞれ異なる環境条件下に展開した文化の一群であることが分かる。

 それは発掘された遺物についても同様で、土器に特徴があるもの、祭祀跡に特徴があるもの、動物の骨が出土するもの、貝塚があるものなど、さまざまである。縄文時代に漆塗り土器があったことは、以前どこかの展覧会で見て知っていたが、今回それが亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)という名前としっかり結びついた。

 そして、この亀ヶ岡遺跡からは片足を欠損した遮光器土偶も出土している。北方の民族が雪中で使用する遮光器(スノーゴーグル)をつけたような土偶は、主に東北地方で発見されている。

これがその遮光器土偶(亀ヶ岡土偶)だったと思う。かわいい。

こちらは藤株遺跡(秋田県北秋田市)出土、東北大学大学院文学研究科所蔵と書いてあった。

遮光器土偶は完全形で出土することは極めて稀らしいが、1体だけ欠損のないものがあり、お!と思って近づいたら、東博の所蔵だった。東京でまた会いに行くことにしよう。

 動物をかたどった土製品は、サルやイノシシ、シャチもあったが、やっぱりクマが気になった。青森県弘前市のクマ形土製品は、首筋にツキノワグマを思わせる模様が描かれているとのこと。国宝の「合掌土偶」(是川縄文館、青森県八戸市)や「縄文の女神」(山形県立博物館)の複製も見ることができた。なお、「合掌土偶」を出土した風張遺跡、「縄文の女神」を出土した山形県舟形町西ノ前遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」に含まれてはいない。縄文といえば、関東の人間にはなじみ深い「火焔型土器」は、それっぽいものが1点出ていただけだった。全体としては、日常を地道に生きる東北の人々の祖先を感じさせて、とてもよかった。

 このあと、博物館前から路線バスで仙石線の多賀城駅に向かい、松島海岸に出て、久しぶりに瑞巌寺と五大堂を拝観したが、猛暑の外歩きが耐え難く、早めに観光を切り上げて東京に戻った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復元・多賀城南門を訪ねる

2025-08-03 22:57:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

 金曜は仕事で仙台出張だったので、自費で1泊付け足して、土曜日は東北歴史博物館を訪ねた。前回と同じで、開館時間の少し前に国府多賀城駅に着いたので、まず多賀城碑(壺の碑)と多賀城政庁跡を見てきた。

 前回というのは2023年、FaOI(ファンタジー・オン・アイス)2023宮城公演のついでに寄ったのである。当時、多賀城創建から1300年を迎える2024年の完成を目指して南門(楼門)復元が行われていたので、どうなったのか、工事の成果を確かめに来た。

 完成した南門には、駐車場とガイダンス施設の横から正面に出られるのだが、そこを通りすぎるとアプローチがなくて、ぐるりと北側に回ってしまった。壺の碑の覆屋越しに、南門の北側が「見える。

 門を潜り抜けて、南側に出たところ。ちょうど、大きなゴールデンレトリバーを連れたご夫婦が南側から門を潜っていった。

楼門の左右には、土を突き固めた築地塀が復元されていた。奈良の古いお寺で見かけるもの。

瓦当は簡略化されているが重圏文っぽい(難波宮で使われた文様)。これは典拠があるか不明。

 ガイダンス施設に展示されていた説明によれば、この南門は、8世紀中頃(政庁II期)を念頭に復元されたものだという。東北歴史博物館の常設展には、I期とIII期の軒瓦が展示されていたが、どちらも蓮華文だった。

多賀城政庁の時代区分は以下のとおり。

・第1期:養老・神亀頃~8世紀中頃
・第2期:8世紀中頃~宝亀11年(780)→伊治公呰麻呂事件による火災
・第3期:宝亀11年(780)~貞観11年(869)→貞観地震による被災
・第4期:貞観11年(869)~11世紀

第3期政庁は、貞観地震と津波で被災したが、大地震の翌年には陸奥国修理府が置かれ、大宰府にいた新羅国の瓦職人が、多賀城を再建するための瓦づくりに従事したという。→(参考)多賀城陸奥国総社宮コラム

東北の歴史、知らないことが多いのだけど、少しずつ学んでいきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年7月展覧会拾遺

2025-07-30 22:37:17 | 行ったもの(美術館・見仏)

太田記念美術館 『鰭崎英朋』(2025年5月31日~7月21日)

 月岡芳年の孫弟子であり、明治末から昭和にかけて、小説の単行本や雑誌の口絵に美しい女性たちを描いた鰭崎英朋(1880-1968)の作品を展示する。木版画、石版画、オフセット印刷など、さまざまな印刷技術も見どころ。私のブログにこのひとの名前が登場するのは、2016年の全生庵の幽霊画展が最初で、2020年に弥生美術館の展示を見て、しっかり覚えた。展示作品は、明治の小説や雑誌の口絵や表紙がほとんど。作者名は泉鏡花や柳川春葉、後藤宙外など、読んではいないけど文学史で習ったので、なんとなく懐かしい感じがする。そして英朋の描く女性の、苦しそうに寄せた眉根、自然とため息が漏れそうな口元は、文句なく色っぽい。

府中市美術館 『橋口五葉のデザイン世界』(2025年5月25日~7月13日)

 装幀を出発点として五葉の全仕事を展観し、装飾や美術という枠組みを超えた橋口五葉の豊饒なデザインの世界を紹介する。私は、2011年に千葉市美術館で見た『橋口五葉展』の印象が強烈で、自我を感じさせる女性像(よし悪しでなく、鰭崎英朋の美人画とは対極)と耶馬渓の記憶が記憶に残っていた。今回は、展示スペースの半分以上を装幀作品の紹介が占める。特に第1章『吾輩ハ猫デアル』は、下絵等の資料も多く、五葉が心血を注いだことが分かって圧巻だった。英語版や袖珍版の装幀も全て五葉なのだな。『虞美人草』も『門』『それから』も、別にこの装幀で読んだわけではないのに、やっぱり五葉の装幀がぴったり来る。『黄薔薇』『孔雀と印度女』等の絵画も見ることができたが、多くは鹿児島市立美術館が所蔵していた。五葉が鹿児島出身で、黒田清輝の遠縁にあたることは初めて知った。

千葉市美術館 企画展・開館30周年記念『日本美術とあゆむー若冲・蕭白から新版画まで』(2025年5月30日~7月21日)

 ちょうどこの時期、仕事が忙しくて、レポートを書き逃してしまったが、とにかく素晴らしい展覧会だった。特に冒頭の「江戸絵画とあゆむ」のセクションでは、主な作品に入手方法(〇〇年度購入)の説明が付いているのだが、蕭白の『獅子虎図屏風』が1993年度、若冲の『鸚鵡図』が1995年度、『雷神図』が1999年度購入などの注記を見ると、よくぞ買っておいてくれました!と拝みたくなる。「ラヴィッツコレクション」(人類学者ロバート・ラヴィッツ氏が収集した絵本コレクション)「谷信一コレクション」(東博に勤務していた美術史家)「嬉遊会コレクション」(千葉県内の美術愛好家による収集、関東文人画の優品あり)など、コレクション紹介も面白かった。

 30年間の展覧会のポスターがずらり並んだコーナーは懐かしくて気分が上ったし、ロビーに流れていた、歴代館長のインタビュービデオも面白かった。辻惟雄先生、小林忠先生の話を聞けて、得をした気分。さきほど、千葉市美術館のYoutubeチャンネルに長尺版があるのを見つけた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年7月関西旅行:藤田美術館、大阪歴史博物館など

2025-07-27 23:54:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

藤田美術館 『酔』(2025年7月1日~9月30日)『雨』(2025年6月1日~8月31日)『鳥』(2025年5月1日~7月31日)

 「酔」には菱川師宣筆『大江山酒吞童子絵巻』あり。全体にパステルカラー系の色合い。鬼たちも頼光一行も、あまり強そうでない。『饕餮禽獣文兕觥(とうてつきんじゅうもんじこう)』という古代中国の青銅器の酒器が出ていて、学芸員の方が「これから直接飲んだわけではありません」と説明していたが、そりゃそうだろと思った。「雨」に出ていた『伊賀青蛙形手焙』(初公開)は可愛かった。「鳥」に出ていた『ゴブラン色糸毛織山水人物図』には、画面上部に端午の節句の薬玉みたいに植物を束ねて丸くしたものが描かれていて、興味深かった。

大阪歴史博物館 特別展『正倉院 THE SHOW-感じる。いま、ここにある奇跡-』(2025年6月14日~8月24日)

 正倉院とその宝物の奇跡を、これまでとは異なる新しいアプローチで「感じる」「楽しむ」展示イベント。正倉院宝物実物の展示はないという情報だったので、見なくてもいいやと思っていたが、大阪に来たついでに寄ってみた。最初の展示室はシアター形式で、正倉院宝物の高精細な3D映像が大画面に流れるのを床に座って鑑賞する。最近よく聞く「没入型ミュージアム」としてはよくできていると思った。しかし正倉院宝物の愛らしさと華やかさは、奈良時代というより唐代文化の追体験である。あとは『蘭奢待』の破片から再現した香り体験コーナーあり。ほぼシナモンだと思った。

東大寺ミュージアム 特集展示『東大寺の仮面』(2025年7月13日~10月30日)『知足院の地蔵菩薩と追善』(7月13日~9月4日)

 2日目は奈良へ。奈良博『世界探検の旅』が始まっているかと思ったら翌週からだったので、ふだん省略しがちな興福寺国宝館や東大寺ミュージアムをゆっくり参観した。東大寺の塔頭・知足院は、名前は知っているが、訪ねたことはないかもしれない。奈良八重桜の原木があるそうだ。知足院伝来の地蔵菩薩立像は、鎌倉時代の学僧・貞慶が春日大社の神様のお告げを受けて作ったものと言われ、霊験あらたかなことで有名だという。鼻筋の通った理知的な表情のお地蔵様で、赤・青・緑の彩色の美しい蓮華から細い放射光が広がるタイプの光背を付けている。左足を少し踏み出しているように思った。

奈良国立博物館・仏像館 『珠玉の仏たち』(2025年7月1日~9月28日)

 初めて見たわけではないのだが『破損仏像残欠コレクション』に見入ってしまった。もとは個人収集のコレクションで、昭和50年代に奈良博へ寄贈されたが、伝承には不明なことが多いという、全500点以上のうち、100点ほどを紹介している。手や足のほんの一部のみの残欠なのに、その美しさに魅了された。

龍谷ミュージアム 特集展示『TANGO!海の京都・山の京都の仏教美術』(2025年7月12日~ 8月17日)

 同館は、改修工事中の京都府立丹後郷土資料館の館蔵品・寄託品の中から約80件を保管しており、その中から、丹後西部を中心とする約40件の仏教美術品を展観する。私が知っていたのは、西国第28番観音札所の成相寺と、丹後国一宮・籠神社くらいで、あとは、どこ?というのを地図で確かめながら眺めた。京丹後市の縁城寺には元代の十王図や、珍しい俱生神像の画幅(南北朝時代)が伝わるのだな。石造の狛犬(鎌倉~江戸まで)が5対来ていたのは楽しかった。ポスターになっているのは、宮津市・上世屋自治会のもの。私は表情なら京丹後市・高森神社、全体のフォルムなら宮津市・畑自治会の狛犬が気に入った。

京都国立博物館 修理完了記念・特集展示・重要文化財『釈迦堂縁起』(2025年7月8日~8月24日)ほか

 京博は常設展示の期間こそ、積極的に行きたいと思っている。今期、2階は室町時代の社寺縁起絵巻を大特集。まず『真如堂縁起』『桑実寺縁起』『金山天王寺縁起』を1巻ずつ展示。金山天王寺は、平安京北郊にあった聖徳太子ゆかりの天台宗寺院だというが、この建立に際して、近江で瓦を焼くと、カラスが運搬を助けてくれた。これが地名の烏丸通りの由来だという。ええ?!と思って調べたら、全く知られていない伝説のようである。

 さて、『釈迦堂縁起』は狩野元信の制作で、室町時代の社寺縁起絵のなかでも特に優れた名品として知られる。修理完了を記念して全6巻を一挙公開。後発の社寺縁起絵巻に影響を与えたと、はっきり分かるところもあって面白かった。

 1階の仏像展示室には京都・成相寺の菩薩半跏像が来ていた。『新収品展』(2025年7月8日~8月24日)で印象に残ったのは、狩野探幽筆『八尾狐図』。家光が夢に見たもので、紅葉山の東照宮から出現したという。家康、タヌキではなくキツネなのか?!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年7月関西旅行:日本美術の鉱脈展(大阪中之島美術館)

2025-07-24 22:51:09 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪中之島美術館 『日本美術の鉱脈展:未来の国宝を探せ!』(2025年6月21日~8月31日)

 縄文から近現代まで、日本美術のいまだ知られざる鉱脈を掘り起こし、美しい宝石として今後の日本美術史に定着していくことを目標とする展覧会。山下裕二先生の監修である。

 冒頭は蕭白の『柳下鬼女図屏風』で、蘆雪、若冲など「奇想の画家」の作品が並ぶ。いきなり伝・岩佐又兵衛筆『妖怪退治図屏風』があって、しかも撮影可なのに歓喜。この展覧会、けっこう写真の撮れるものが多かった。若冲は『乗興舟』も(今年はすでに3回くらい見ているが、何度も見ても好き)。

 次のコーナーには、なんだかカラフルで巨大な屏風(八曲一双)があってびっくりしながら近づいたら、若冲『釈迦十六羅漢図屏風』のデジタル推定復元作品だという。昭和8年(1933)に府立大阪博物場(戦前、大阪にあった総合文化施設)に展示されたが、その後、行方不明となり、戦火で焼失したと考えられている作品である。図録に掲載された1枚のモノクロ写真をもとに、2022年から2024年にかけて、TOPPAN株式会社の木下悠氏の主導で復元が行われた。最終的にはデジタル復元だが、実際に絵具を調合してみるなどアナログの技術も大いに活用されたという。いわゆる「升目描き」の手法を用いているのだが、復元された「今出来」の状態を見ると、升目のタイルらしさが際立つ。紙の上にタイル画を再現したかったのかなあ、と改めて思った。

若冲といえば、白い象さん。

この豚鼻の茶色い動物は何だろう? 気に入ってしまった。

 次室に入ると、金地に墨画の二曲屏風が2つ。おお!先ごろ発見された応挙と若冲の競作屏風である。応挙(右)が『梅鯉図屏風』、若冲(左)が『竹鶏図屏風』。それぞれの作者を尊重してか、本展図録では「一双」の扱いにはなっていない。応挙と若冲の競作ということで、もの珍しさからの関心を集めていたが、実は作品としてとてもいいと思う。それぞれ全力で描いていて(若冲のニワトリの羽色の豊かさ=墨画なのに、とか)しかも互いを邪魔してないのだ。いったい注文主は誰なのか、二人を前に並べて注文したのか、など、いろいろ想像力を刺激された。応挙の落款に「天明」という文字が見えたので、そうか、江戸では蔦重が活躍している頃(まさに大河ドラマと同時進行の時代)、京都ではこんな作品が制作されていたんだな、としみじみ感慨に耽る。本作品の制作事情については、図録にもいろいろ考察が載っていて面白かった。

 続いて室町水墨画。山下先生の「推し」である式部輝忠、雪村などの作品が並ぶ。もうひとり、霊彩の『寒山図』は展示替えで見られなかったが、図録で確認すると、五島美術館で見たことがあるものだと思う。

 素朴画と禅画には「つきしま」と「かるかや」。『つきしま(築島物語絵巻)』が全面展開に加えて、長谷川巴龍筆『洛中洛外図屏風』(山下先生お気に入りのゆるい洛中洛外図)を久しぶりに見ることができて歓喜。歴史画は、菊池容斎の『呂后斬戚夫人図』と『阿房宮』が見たかったなあ。所蔵元の静嘉堂文庫ではあまり展示される機会がないので。

 ここで順路は中間地点というか、窓のある開放的なロビー(?)に到達する。この空間に展示されていたのが、加藤智大による『鉄茶室徹亭』(てってい、と読むのかしら)と山口晃による『携行折畳式喫茶室』。山口さんの作品には笑ったけど、鴨長明の方丈とか松浦武四郎の一畳敷とか、先達がたくさんいそうな気がする。

 幕末から近代へ。狩野一信の『五百羅漢図』、工芸の宮川香山、安藤禄山、生人形の安本亀八など、ああ、山下先生が推してきた作家たちだ、と何度も納得した。笠木次郎吉も嬉しかったが、図録の巻頭文によると、山下先生が笠木次郎吉を意識したのは、2018年、横浜市歴博の『神奈川の記憶』展であるとのこと。これは私は見ていないのだ。そして牧島如鳩『魚籃観音像』の前で、私は手を合わせて涙を流しそうになった。山下先生がこの作品に出会ったのは、2009年、三鷹市美術ギャラリーの『牧島如鳩展』だという。ええ、私と同じじゃないか!この作品は、小名浜漁業組合の所蔵だったが、いろいろあって(図録に詳細あり)足利市民文化財団に移管された結果、2011年の東日本大震災で被災せずに済んだ。私は美術ファンとして作品の無事を喜ぶ。しかし観音は、むしろ津波に流されてしまいたかったんじゃないかなと思って、描かれた観音の顔をつくづく眺めた。

 最後は縄文土器と現代美術を一緒に。会田誠『電信柱、カラス、その他』は、縦3メートルを超える巨大な屏風で、一見、抒情的な筆致なのだが、よく見ると、このぼんやりした空の下に広がる地獄図が想像できて身震いする作品。慌てて、可愛い縄文土器の印象をよく目に焼き付けて、会場を離れた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする