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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2025年4月関西旅行:大和文華館、大阪市立美術館など

2025-05-02 21:26:01 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別展・没後50年『矢代幸雄と大和文華館-芸術を愛する喜び-』(2025年4月12日~5月25日)

 観劇と展覧会めぐりを目的にした2泊3日の関西旅行。初日は同館を訪ねた。本展は、初代館長・矢代幸雄(1890-1975)の没後50年を記念し、矢代が蒐集した初期のコレクションと関連する諸作品を展示し、その足跡をたどる。冒頭には伝・趙令穣筆『秋塘図』(北宋時代)。やさしい雰囲気の小品で、モノクロだと思ったら、夕靄(?)にかすかな赤みが差している。隣りの『饕餮文方盉』は、どこかで見たことがあると思ったら、根津美術館の所蔵だった。『源氏物語浮舟帖』(鎌倉時代)は、三人の女性が描かれ、うち一人の前に硯が置かれている。硯の蓋に点々とにじむ水玉模様は、匂宮の文を見て落涙する浮舟を描いているのではないかという解説が興味深かった。

 『秋塘図』と『源氏物語浮舟帖』は原三渓旧蔵。西洋美術を学んだ矢代(横浜生まれ)は原三渓との交流を通して、東洋美術への造詣を深めていく。近鉄社長の種田虎雄(おいた とらお)の知遇を得て、現・大和文華館の開館準備をまかされてからも、三渓ゆかりの美術品の蒐集に努めた。『寝覚物語絵巻』も『佐竹本三十六歌仙・小大君』も『婦女遊楽図屏風(松浦屏風)』も三渓旧蔵。三渓から松永耳庵に渡り、現在は福岡市美術館に入ってる『病草紙・肥満の女』や『地獄草紙・勘当の鬼』も来ていて、眼福だった。

大阪市立美術館 特別展・大阪・関西万博開催記念・大阪市立美術館リニューアル記念特別展『日本国宝展』(2025年4月26日~6月15日)

 2日目はここから。私は朝イチの日時指定券を買っていたが、チケットあり・なし合わせると100人以上が開館前から並んでいた。建物に沿って並ばせ、入場は大階段を上がって正面玄関からという方式だった。本展はタイトルどおり135件の国宝指定品を展示するもの(他に参考展示が20件くらい有り)。考古、工芸、書画、彫刻など、バランスよく揃っているが、展示替えが多いので、訪ねた時期によって、かなり印象が変わるのではないかと思う。

 私は、東博の『洛中洛外図屏風(舟木本)』を見ることができて嬉しかったが、会場が込み過ぎて、あまり近づけなかった。小品だが池大雅・与謝蕪村筆『十便十宜図』も気に入った。蕪村の『宜暁』(朝の光で白壁に波の模様が映るのを楽しむ)が粋でオシャレ。京博の『病草紙』もたくさん来ていた。『信貴山縁起絵巻・飛倉巻』は、スカッとしてよい。仏像は、薬師寺の聖観音菩薩立像が、あまりにも無作為にズドンと置かれていて、ホンモノ?と疑ってしまった。奈良博だったら、もうちょっと「映える」展示にするだろうと思ったが、これはこれでいいのかもしれない。

 海外からのお客さんも多かったが、中国系のグループが固まっていたのは、王義之『葬乱帖』(三の丸尚蔵館)の前。まあ唐代の模写なんだけどね。ガイドさんが中国音で読み上げるのに聞き耳を立ててしまった。

四天王寺・宝物館 春季名宝展『もふもふ!日本美術~どうぶつのかたち~』(2025年3月8日~5月6日)

 文楽公演の前に、大阪市美から徒歩で四天王寺に向かい、宝物館に寄り道。本展は、四天王寺の所蔵品の中から動物モチーフの美術工芸品を展示し、多彩な動物のかたちについて紹介する。書画や仏教美術に関しては、あまり珍しいものはなかったが、舞楽装束の中の動物は面白かった。『林歌』の袍には、金糸・銀糸・黄糸で30匹以上のネズミが刺繍されている。展示はされていなかったが、これに鼠甲(ねずみかぶと)という独特の被り物が付くらしい。

東寺・宝物館 東寺宝物館開館60周年記念・東寺名宝展『国宝 十二天屏風と灌頂』(2025年3月20日〜5月25日)

 最終日、奈良博の後、重い図録をかついで東寺に立ち寄る。東寺では、昭和32年(1957)に文化財総合調査が行われ、昭和38年(1963)に宝物館が完成、昭和40年(1965年)に開館した。今年は開館60周年を記念して、名宝展を春期と秋期の2期に分けて開催し、春期は、国宝十二天屏風と灌頂に関する記録を公開する。主な展示品は『国宝十二天屏風』(鎌倉時代)6幅と近代の『十二天屏風(版本)』。十二天屏風は蝶番を外して並べ替えることができるそうで、古本系(東寺)と新本系(仁和寺)の並べ方があるそうだ。また、古記録によれば、往古の灌頂会では十二天の面を付け扮装をしていたが、次第に屏風で代替するようになったというのも面白いと思った。

 夜叉神立像2躯は、巨大な千手観音像の足元にすっかり落ち着いたようだ。以前は食堂前の夜叉神堂に祀られていたことも、少しずつ忘れられていくのかもしれない。

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超未来への祈り/超国宝(奈良国立博物館)

2025-05-01 23:04:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

奈良国立博物館 開館130年記念特別展『超国宝-祈りのかがやき-』(2025年4月19日~6月15日)

 2泊3日の関西旅行で展覧会もいくつか回ってきたのだが、本展のクオリティと満足度はずば抜けていた。

 奈良国立博物館は明治28年(1895)4月29日に開館し、2025年に130周年を迎える。これを記念し、同館は「これまでで最大規模となる国宝展」を開催し、国宝約110件、重要文化財約20件を含む約140件の仏教・神道美術を展示する。「超国宝」というタイトルには、私たちの歴史・文化を代表する国民の宝という意味の「国宝」を超えて、先人たちから伝えられた祈りやこの国の文化を継承する人々の心もまた、かけがえのない宝であるという思いを込めたという。この説明には納得しつつも、今回「国宝」という名前をどこからか(上の方から)押し付けれたのではないか、と疑ってしまった。本質は「仏教・神道美術展」であり、副題の「祈りのかがやき」のほうが、企画の趣旨にマッチしていると思う。

 私は4月28日(月)に参観したのだが、直前の土日が激混みだったらしいので、朝8時10分くらいに到着した(開館は9時半)。そうしたら誰もいなくて、特別開館日だと思ったのは間違いだったかと慌てた。私は毎年、正倉院展にも並んでいるが、先頭を取ったのは初めてだと思う。

 やがてポツポツと人が来て並び始めた。この記事を読んでくれた人のために書いておくと、当日券を買うために並ぶと、購入後は、チケットありの待ち列の最後尾に再び並ばなければならない。できれば事前にチケットを購入しておくほうが時間の節約になると思う。

 この日は、たまに正倉院展で体験するような早め開館は無し。きっちり9時半に開館した。大きな荷物をロッカーに預け(館外ロッカーは無し)、2階の第1会場に入る。入口をくぐった瞬間、深いブルーの壁に三方を囲まれた百済観音と向き合ってしまう。百済観音に近づく参観者を左右で待ち構えているのは、法隆寺の四天王立像(広目天、多聞天)だったり、目の端に、さらに先のエリアの仏像も見えていて心が乱れるのだが、百済観音の威容に吸い付けられて足が動かない。あまりにも異形だが、とても美しい。百済観音は、子供用のプールみたいな、低い囲いのついた区画に展示されていて、思わず、中にお賽銭を投げ込みたくなった。後ろにまわって、光背を支える支柱が竹を模しており、基部には小さな山岳(須弥山)が表現されていることを知る。

 法隆寺の広目天、多聞天は、光背の制作者に関する刻銘が、大きな写真パネルで紹介されていた。本展は、仏像を作り、伝えてきた人々の記録を意識的に取り上げている印象を受けた。

 右側の順路に進むと、肩幅の広い、堂々とした地蔵菩薩立像。上品なピンクの展示台に、赤で縁取りした白い背板を立て、背後の壁は緑色。春の大和路をイメージしたような配色である。この地蔵菩薩像はどこの?と思って解説を読み、法隆寺大宝蔵院の、つまり大御輪寺旧蔵の地蔵菩薩だと思い出す。全身を覆う翻波式の衣文が力強い。

 東大寺の重源上人坐像には、いつもご苦労様です!という雰囲気でご挨拶。大安寺の多聞天や薬師寺の獅子吼菩薩も来ていた。大好きな天燈鬼・龍燈鬼はまわりをぐるぐる回って四方から眺める。明治の古写真に、天燈鬼・龍燈鬼と並んで写っている八雷神面(室町~江戸、元興寺)は初めて見たが、なかなかの珍品。いつも奈良博の仏像館においでの元興寺・薬師如来立像や、奈良博所蔵の薬師如来坐像(平安時代)も、特別展会場で見るとあらたまった感じがする。聖林寺からは十一面観音の光背残欠が木製の固定台とともに来ており、照明の加減か、強めに陰影がついて美しかった。

 仏像だけではなく、『信貴山縁起絵巻』の尼公巻(前日、大阪市美で飛倉巻も見た)や『天寿国繍帳』を見ることができたし、文書(アーカイブ)好きの私は、奈良博設置に先立つ奈良博覧会に関する資料が多数(当時の立札まで!)出ていたのも嬉しかった。

 西新館に移って最初の部屋は「釈迦を慕う」がテーマで、奈良博の至宝『刺繍釈迦如来説法図』や、東国代表みたいな深大寺の釈迦如来倚像など。室生寺の釈迦如来坐像は、白っぽい木肌が黄色の背景に引き立てられて、温かみを感じた。結跏趺坐した足首から垂れる衣の渦文の意外な華やかさに見とれた。

 続く展示室には円成寺の大日如来坐像。身体の薄さが若々しくて素敵。「華麗なる仏の世界」と題しつつ、『辟邪絵』と『病草紙』をがっつり展示してくれているのが嬉しい。岐阜・来振寺の『五大尊像』5幅は、あまり記憶にないもので珍しかった。

 西新館の後半の始まりは、神像と神宝関係。薬師寺の『吉祥天像』も期間限定で展示。同じ薬師寺の『板絵神像』(休ヶ岡八幡宮伝来)を見ることができたのも嬉しかった。

 混雑を避けて、写経や墨蹟の後に展示されていたのが石上神宮の『七支刀』。記憶に自信がないので調べたら、私は2013年の東博『大神社展』や2020年の『出雲と大和』でも見ているらしかった。意外と関西での展示のほうがないのかもしれない。ちなみに本展のグッズに「七支刀ぬいぐるみ」や「七支刀ペンケース」があると聞いていたのだが、すでに品切れ状態だった(ちょっと~)。

 『七支刀』を見たあと、狭い入口をくぐると最後の展示室に行きつく。クリーンルームのような、白一色の部屋の中央には、京都・宝菩提院願徳寺の菩薩半跏像。腰から下の衣は、湧き立つ雲のように華麗な衣文を描く。豊かな頬(やや四角張った顔立ち)、意志的な切れ長の目は、即天武后を思わせる。お寺では如意輪観音像と呼ばれているそうだが、この展示では弥勒菩薩に見立てられている。困難な時代において、理想世界を目指し、平和を祈る気持ちを「弥勒下生」の願いに重ねて展覧会を締める。最後のパネルの文章は、主任研究員の三田覚之さんの作らしい(図録にも収録)が、深く心に残るものだった。

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ここにも松平定信/書物ハンターの冒険(慶應義塾ミュージアム・コモンズ)

2025-04-21 22:37:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

慶應義塾ミュージアム・コモンズ センチュリー赤尾コレクション×斯道文庫『書物ハンターの冒険:小松茂美旧蔵資料探査録I』(2025年3月17日~ 5月16日)

 年度末でもないのに、この週末は自宅で持ち帰り仕事に忙殺されていた。それでも土曜日は、この展覧会を見るためにちょっとだけ外出した。慶應義塾が運営するこのミュージアム、基本は週末休館で、土曜の特別開館が会期中に2回しかないのである。

 本展は、2021年に慶應義塾に寄贈されたセンチュリー赤尾コレクションの調査成果を初めて紹介するもの。同コレクションの中核を成すのは、古筆学者・小松茂美(1925-2010)の約15,000冊におよぶ旧蔵書である。小松は、1988年、旺文社の創業者・赤尾好夫のコレクションを保存・管理する財団法人センチュリー文化財団の理事に就任、1990年、センチュリーミュージアムの館長となって、同館の運営ならびにコレクション拡充に尽力した。現在、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫は、小松の膨大な蔵書の再調査と目録化を進めており、本展では、その一端を紹介する。

 センチュリーミュージアム(2020年閉館)は、地味だが好きなミュージアムだった。古筆や古経の名品を見た記憶が残っているが、今回は「小松茂美旧蔵資料」が中心なので、もっと雑多で、ある意味、玄人好みの展示だった。冒頭には『三迹画像』(室町・江戸初期)。嵯峨天皇、空海、菅原道真を描いたものだというが、この3名をひとくくりにした図像は類例がないそうだ。束帯姿の道真は、橘逸勢ではないかという説もあり、そうであれば、「三筆」(嵯峨天皇、空海、逸勢)を描いた最初期の図像ということになる。画幅はこれのみで、あとは文字資料が続く。

 松平定信の旧蔵・自筆資料は、かなりまとまって入っているようだった。おもしろかったのは縦横とも10cm足らずの豆本。定信の自筆で、王朝時代の和歌や物語が筆写されている。解説によれば、定信作の豆本は160冊以上が現存しており、とりわけ隠居後の定信は、豆本歌書作りを楽しみとし、子供や孫たちに配っていたという。このひと、やっぱり面白い…。

 「書札礼」(手紙のマナー)に関する多種多様な資料が収集されているのは、小松コレクションの特色と言ってよいだろう。文体だけでなく、使用する紙の寸法や料紙の種類にも気を配らなければならない。現役ではないが、かつて要職にあった人物にどのくらい敬語を用いるかというのは、今でも悩むところ。朝鮮国王の国書と日本からの返書に関する資料や、京都島原の遊女の和歌を集めた遊女手鑑もあった。

 実用的な手紙の文例集『手本重宝記』は、微妙に異なる紙面を比較することで、何度も覆刻や修訂を施され、長期に渡って摺り続けられた様子がうかがえる。そうそう、版本って複製芸術なんだけど、ちょいちょい変化が加わるところが面白いんだよなあ。本文は同一なのに全丁にわたって版木が異なる(しかし版元は同じ)とか、内題・外題もない写本とか、目録作成者泣かせの資料も多いが、こういう資料の目録をとるのは楽しいだろうなあ…としみじみ思った。

 書法に関する資料も多いのだが、その1つ『学書宝鏡』に掲載されている、某SNSのマークのような図が紹介されていた。黒い丸の中に浮かび上がる白い鳥のようなもの。実は「筆の止め」を描いたものという種明かしに笑ってしまった。資料調査の場で、誰かが見つけて盛り上がったのかな、と想像した。

 入口の警備員(?)のおばさんに教えてもらったが、展示室内の係員に、アンケートを書きます、と申し出ると、立派なカラー図録冊子が無料で貰えて、図録を片手に展示を見ることができる。大変ありがたいシステムである。

 文献資料の並びの中に、なぜか如意輪観音像の掛仏が混じっていて不思議だったが、解説冊子によると、額裏面に小松茂美氏の極書があるらしい。別の展示室には、大きな仏像が3躯(大日如来坐像、菩薩立像、天部立像)と小さな金銅仏(唐時代)が複数出ていた。いずれもセンチュリーミュージアムにあったものだと思い、なつかしかった。

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懐の深いコレクター/1975甦る新橋松岡美術館(松岡美術館)

2025-04-17 22:56:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

松岡美術館 開館50周年記念『1975甦る新橋松岡美術館』(2025年2月25日〜2025年6月1日)

 1975年11月に新橋で開館した同館が、2025年に50周年をむかえることを記念し、3会期にわたり松岡コレクションを紹介する記念展の第一弾。1975年11月25日から1976年4月24日まで新橋で開催された「開館記念展」を再現する。同館が白金台に移転したのは2000年だそうで、私は現在の建物しか知らない。新橋の美術館は、創立者・松岡清次郎の持ちビルである松岡田村町ビル8階にあり、社員が輪番で宿直を命じられていたそうだ。そしてこのビルは今も現役で、入口に石像彫刻が飾られているみたいなので、今度訪ねてみよう。

 さて、1階の各展示室では、第1章「50年間いつも傍らに」を開催。1階は基本的に常設展示なので、素通りして2階に上がってしまったが、あとで覗いてみたら、開館以来の常設作品に「50周年記念ロゴマーク」が設置されていた。コレクションへの愛情が感じられて、うれしかった。

 展示室1は、古代エジプトの彩色木棺や神像を展示しており、第2章「日本にないものを求めて」が冠せられていた。創立者の松岡清次郎は美術館開設にあたり、「日本にないものをご覧いただきたい」という想いから、古代オリエントや古代ギリシア・ローマの遺物を精力的に蒐集し、公開したという。1975年といえば、私の中学生時代だが、確かにこういう美術品展示は、まだ珍しかったかなあと昔を振り返った。

 2階、展示室4の第3章「選ばれた名品たち」から、じっくり参観を開始。冒頭には『開館記念名品図録』表紙と巻頭のカラー図版となった13点(中国磁器11+日本2)が掲載順に展示されていたのだが、私はイランやギリシアのやきものに吸い寄せられて、逆まわりで見始めた。ギリシア(紀元前330-320年)の『赤絵式渦巻クラテル』は、実に堂々とした作りで惚れ惚れした。私はギリシアの赤絵式や黒絵式の陶器が大好きなのだ。制作地に「アプリア(南部イタリア)」とあるのが不思議だったが、南イタリアのギリシア植民都市で広く作られたアプリア式陶器の遺例であるようだ。これだけの優品は、国内に多くないのではないかと思ったが、MIHOミュージアムや東京富士美術館が類例を所蔵している。日本の美術館、なかなかすごい。

 中国磁器の名品『青花双鳳草虫図八角瓶』(元時代)と『青花龍唐草文天球瓶』には、開館記念展で使われた手書き文字の説明ボード(写?)が添えられていた。そうか~1975年頃の美術館って、こんな感じだったのかな。手書きだと文字が大きくて、老眼にはやさしい感じがした。

 そして第4章「日本画展-室町から現代-」は、伝・周文筆『竹林閑居図』『山水図』などがとてもよくて、こんな室町水墨画の名品も所蔵しているんだ、と認識を改めた。伝・俵屋宗達『源氏物語残闕:夕顔』は、以前、久保惣美術館で見た源氏物語絵の一種。渡辺崋山の『蓮池蜻蛉図』は淡彩の美しさが明清の瀟洒な淡彩墨画を思わせた。

 これで十分満足したと言いたいのだけど、あらためて公式ホームページを見たら、後期に出る池田輝方や池田蕉園の作品がまたとても魅力的だった。これは再訪せざるを得ないかもしれない。

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歴聖大儒像もあり/ライトアップ木島櫻谷II(泉屋博古館東京)

2025-04-14 23:32:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館 企画展『ライトアップ木島櫻谷II-おうこくの線をさがしに・併設四季連作屏風』(2024年3月16日~5月12日)

 昨年に続き「四季連作屏風」を全点公開し、木島櫻谷の絵画表現の特質をライトアップする展覧会シリーズの第2弾。エントランスホールにも展示ケースを並べ、たくさんの写生帖を展示していた。開いたページには人物画が多く、少ない描線で簡潔に対象の特徴を捉えたものが多かった。「クロッキーふうの」という解説に私は妙ななつかしさを感じてしまった。通っていた小学校では、朝の自習時間の課題のひとつにクロッキーがあり、私はこれが好きだったので。

 描かれた人物は、いかにも身のまわりにいそうな幼児や農婦もあるけれど、狩衣や水干、本格的な鎧姿の写生もあって(眼鏡をかけた男性が兜をかぶった図も)「〇〇君仮装」などと注記が付いている。なるほど歴史画を描くには、こうした写生によって、衣の皺の寄り方、崩れ方を学ぶのだな。

 秋野を駆ける騎馬武者を描いた『かりくら』双福は、堂々とした巨幅。馬上の武者は綾藺笠、射籠手、行縢(むかばき)という鎌倉時代の狩装束。左幅の武者は黒馬の手綱を強く引いて立ち止まり、右幅の武者は白馬の姿勢を低くしてひた走る。白く輝くススキの穂。2015~2016年に住友財団助成により修復されたそうで、そういえば、2019年の住友財団修復助成30年記念の展覧会にも出ていた。

 第3展示室は四季連作屏風。順路に従って『柳桜図』→『燕子花図』→『秋草図』→『菊花図』→『雪中梅花』の順に並んでいた。ん?昨年と配置が違う?と思ったら、やっぱり少し変えているみたい(昨年は『雪中梅花』→『柳桜図』だった)。『燕子花図』は、今年も頭の中で光琳の『燕子花図屏風』を思い出しながら眺めた。『秋草図』も琳派によくある画題だし、『雪中梅花』は応挙っぽいかな。『柳桜図』には、大覚寺展で見た襖絵を思い出した(狩野山楽筆かと思ったが『柳桜図』に作者名はついていなかったようだ)。なお、先行する類似作品があるから価値が下がるとは思わない。『菊花図』は、咲き誇る白菊の陰にちょぼちょぼと見え隠れする赤い菊の、金時にんじんみたいな色合いと、ぽってりした質感がとてもいい。『雪中梅花』の粘りつくような雪は、本州(関東以南?)の雪だなあと思った。

 第4展示室は特集展示『住友財団助成による文化財修復成果-文化財よ、永遠に2025』で、2件の作品が展示されている。1つめはケルン東洋美術館が所蔵する『十一面観音菩薩像』(南北朝時代)。2022年11月~2024年9月、半田九清堂により修復された。長谷寺式の十一面観音で、右手に錫杖、左手は肘を曲げて肩のあたりに、蓮花を挿した水瓶を捧げ持つ。頭上の十一面の顔立ちがどれもはっきり見えるのが珍しい。板のような光背には金色の十一面観音の梵字が点々と7つ。向かって右下には難陀龍王、左下は女神かと思ったら赤精童子(雨宝童子の別名)。海外在住の珍しい作品を見ることができて、ありがたかった。

 2つめは狩野山雪筆『歴聖大儒像』。というか「筑波大学附属図書館所蔵」の文字が先に目に入って、驚いてしまった。全6幅のうち、展示=修復の対象になった作品は「周子像」「程子像」「邵子像」の3幅。2019年5月~2022年3月、株式会社修護によって修復された。筑波大学附属図書館は、なぜか図書館なのに貴重な絵画作品を多数所蔵しており(湯島聖堂→師範学校→筑波大学の流れ)、近年、着々と修復・公開に取り組んでいるのは素晴らしいことだと思う。描かれた3人のおじさんは、いずれも福々しい顔をしていた。画中の賛に「金世濂書」とあるのは誰だろう?と思って調べたら、朝鮮通信使副使で、おお『海槎録』の著者で、林羅山が金世濂に『歴聖大儒像』への題賛を求めたのだという。

※(参考)令和4年度(2022)筑波大学附属図書館特別展『孔子を祀る 歴聖大儒像の世界』←行きたかったけど行けなかった展覧会。

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桜も見頃/博物館でお花見を(東京国立博物館)他

2025-04-12 23:31:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

 先週(4/5)お花見がてら、東京国立博物館を訪ねた。4月1日から、総合文化展(平常展)が「東博コレクション展」という名称に変わったそうだが、定着するかどうかは分からない。私は結局、どの美術館・博物館でも「常設展」を使ってしまう。本館11室(彫刻)が珍しく展示替えで閉室していた。

■東京国立博物館・本館 『博物館でお花見を』(2025年3月11日~4月6日) 

 庭園公開と同時に、仁阿弥道八の『色絵桜樹図透鉢』など桜モチーフの作品を各所に展示。住吉具慶筆『観桜図屛風』(江戸時代・17世紀)は、狩衣姿の貴族の若者たちが桜の下に集っている場面で、のんびりした雰囲気が可愛かった。しかし『伊勢物語』の惟喬親王と在原業平の図という解説を読むと、急に哀愁を感じてしまう。

■本館14室 特集『キリシタン関係遺品の保存と研究』(2025年3月25日~5月18日)

 16世紀以降、近世の日本でキリスト教を信仰したキリシタンにまつわる遺品には、さまざまな来歴のものがあり、東京国立博物館では、長崎奉行所の宗門蔵で保管されていた関連資料を収蔵している。この中には、イタリア人宣教師シドッチが携行したとみられる絵画『親指のマリア』も含まれる。聖母マリア像には数々のバリエーションがあるが、この青いベールに包まれた沈鬱なマリア像はかなり好き。母性の温かみをあまり感じないところが逆によい。

 禁教政策に利用された踏絵は20件近く展示されていた。絵柄はキリスト単独像だったり、聖母子像だったりするが、印象的だったのは、十字架から降ろされた息子イエスの身体をマリアが抱くピエタ像。信仰うんぬんを別にしても、普通に哀れを誘われる図で、これを踏ませるなんて鬼か畜生の所業じゃないかと思った。

 ■本館2室(国宝室) 『花下遊楽図屏風』(2025年3月18日~4月13日)

 狩野永徳の末弟・長信(1577-1654)筆。今からおよそ400年前の華やかなお花見の様子。右隻は桜の下の酒宴、左隻には歌舞伎踊、風流踊に興じる少年少女たちを描き、静と動の対比になっている。右隻の中央部分が関東大震災で焼失してしまったことは本当に残念だが、写真が残っていたのは不幸中の幸い。この時代の風俗図は独特のいかがわしさとエネルギーが感じられて本当に好き。

■東洋館8室(中国の絵画) 特集『梅花』(2025年3月18日~4月20日)

 元時代から近代にかけての墨梅と梅にまつわる絵画を展示。庭園は桜の盛りだったが、絵に描いてサマになる花は梅だなあとしみじみ思った。

■東洋館8室(中国の書跡) 特集『近代の書』(2025年3月18日~5月11日)

 清末(19世紀末)~中華民国時代の書跡を展示。呉昌碩、斉白石などの画家(芸術家)、楊守敬、羅振玉のような学者の書もあるが、圧倒的に多いのは政治家(官僚)なので、中国史一般好きには、いろいろ楽しい。康有為、梁啓超、左宗棠、曾国荃、鄭孝胥などの名前があった。たとえば日本で「近代の書」と言ったら、政治家の書は入るんだろうか?

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闇夜かお洒落か中国趣味か/エド・イン・ブラック(板橋区立美術館)

2025-04-09 22:30:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

板橋区立美術館 『エド・イン・ブラック:黒からみる江戸絵画』(2025年3月8日~4月13日)

 本展は、黒に焦点を当て、江戸絵画にみる黒の表現とともに、当時の文化や価値観なども紹介する。江戸時代の人々は「黒」に対して何を見出し、何を感じていたのか、様々なテーマから江戸絵画における「黒」を探究し、その魅力に迫る。江戸絵画展らしからぬ展覧会タイトルは、やっぱり「メン・イン・ブラック」のもじりですかね。

 はじめに、月や影、夜の暗闇などを描いた絵画を集める。これは「黒」の使い方としては、比較的分かりやすいものだ。大好きな蘆雪の「月」を描いた墨画が2件、『月夜山水図』(兵庫県立美術館)は、前景に黒々と浮かび上がる崖の上の松、そして大きな満月を背景に、中空にぼんやり松の木のシルエットが浮かんでいる。これは靄か霧に映る影なんだろうか。幻想的で不思議な光景。『月竹図』は細長い巻物状の料紙を縦に使って、まっすぐな笹竹と背景の月光を描く。墨江武禅『月下山水図』も好きな作品。白くアイシング(砂糖衣がけ)したお菓子のような岩や土坡が画面の奥まで並んでいて、雪景色にも見えるのだが、「月光による輝きを表しているのだろうか」という解説に納得した。

 蕪村『闇夜漁舟図』(逸翁美術館)は、夜の水辺に舟を浮かべて漁をする漁師と童子。風景をほぼ墨一色で描き、篝火に照らされた光の部分にだけ淡彩を使っているのが巧い。狩野了承『二十六夜待図』は薄墨を引いた画面の左上に小さなご来光、右下にはさらに小さな夜明けを待つ人々のシルエットが描かれる。森一鳳『星図』は、右に柄杓形の六星、左に台形の四星を描く。丸い金色の星は細い線でつながれいる。シンプルで美しいが制作意図が明らかでない不思議な作品だという。これ、斗宿(南斗六星)と箕宿かなあ。向きが違うようにも思うんだけど…。塩川文麟『夏夜花火図』は、火鉢(?)に線香花火を何本も立てて、一斉に火をつけて楽しんでいる。こんな楽しみ方もありなのか。小さく小さく枝分かれして飛び散る白っぽい金色の火花、硫黄の匂いがよみがえってくるような気がした。

 亜欧堂田善の銅版画『品川月夜図』は、海上に小さな月が昇っていて、波間に道を描くような月の光は、ムンクを思わせる。月岡芳年『牛若丸弁慶図』は酔って一気に描いたらしい席画。黒く塗られた部分はほとんどないのだが「月夜」だと理解できるのが面白い。

 後半では、夜や闇以外に黒が意味するものを考える。その答えのひとつが「中国趣味」。中国から、黒に白抜きの法帖(書の手本となる拓本)や版画が流入し、江戸時代中頃から、法帖ふうの版本や画譜が日本でも制作されるようになった。若冲の『乗興舟』や『玄圃瑤華』の存在はもちろん知っていたけど、そうか、あれは江戸の法帖ブームに由来するのか。鳥居清長には、法帖ふうの黒塗り&白抜き文字の背景に、敢えて日本の風景を彩色で描いた作品もある。

 浮世絵では、天明~寛政年間に「紅嫌い」(版画)「墨彩色」(肉筆画)と呼ばれる作風が流行した。「紅嫌い」は太田記念美術館の展示で覚えた用語である。完全な墨一色ではなく、淡い指し色を効果的に使っているところに魅力を感じる。「聖なるもの」や「この世ならぬもの」を墨一色で描く手法も面白いと思う。また、黒の化粧に着目し、浮世絵に描かれたモードだけでなく、結髪雛形やお歯黒道具の一式が展示されていたのも面白かった。

 最後は薄暗がりの展示室には、金地に繊細な秋草を描いた狩野了承『秋草図屏風』(六曲一双)がしつらえてあった。屏風の前の椅子に座ると、卓上にスイッチが置いてあって、照明の明るさと揺らぎの大小(?)を調整して、印象の変化を楽しむことができる。展示室を出たあとで壁のパネルの谷崎潤一郎『陰影礼讃』の一節を読むと、なるほどと納得した気持ちになった。

 あと、谷文晁『異国船図』は、例の法帖ふうの作りで、外国船の絵に長々と和文の賛を付けているのは松平定信で「この船の来ることを、夜夢を見ている間にも忘れないことが世の宝である」という内容が書かれているという。定信の時代には、そろそろ対外関係が騒がしくなっていたんだっけ?と思って、定信のwikiを読んでみたら、このひと、いろいろ面白いなあ。近年、定信の寛政の改革は田沼政権との連続面があったと見られていることも初めて知った。墓所は清澄白河の霊巌寺。近所なので、そのうち墓参に行ってこよう。

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文人の洋風画/かっこいい油絵(府中市美術館)

2025-04-08 22:52:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 春の江戸絵画まつり『司馬江漢と亜欧堂田善:かっこいい油絵』(2025年3月15日~5月11日)

 会場入口のパネルの冒頭に「近年、江戸時代の絵画の人気が高いと言われますが、ただ一つ取り残された感があるのが『洋風画』かもしれません」とあって、えっそうなの?と驚き、苦笑してしまった。私は「洋風画」が大好物なので。

 府中市美術館では、2001年に『司馬江漢の絵画 西洋との接触、葛藤と確信』展、2006年に『亜欧堂田善の時代』展を開催したが、近年の「春の江戸絵画まつり」ほど多くのお客様で賑わうこともなかったという。2001年は私がこのブログを書き始める前で、司馬江漢展は見ていないかなあ。2006年の『亜欧堂田善の時代』は、私が「春の江戸絵画まつり」のリピーターになった最初のきっかけである。ちゃんとタネは地に落ちて育っているのである。

 展示は、はじめに江戸時代のさまざまな絵画と「洋風画」を並べてみることから始まる。漢画、やまと絵、浮世絵、禅画、琳派、円山四条派など。そこに現れる秋田蘭画、小田野直武や佐竹義躬。彼らに洋風画法を教えたのは平賀源内と言われているのだな、ほほう。このほか、大久保一丘の静謐な少年像『伝大久保一岳像』(府中市美術館)や、田代忠国のキッチュな『三聖人図』(帰空庵コレクション)など、洋風画ファンには垂涎の名品が多数。展示替えがあるので、後期も来なくては、と思っている。

 そして、司馬江漢(1747-1818)登場。青年時代は鈴木晴信に学び、中国流に転身して宋紫石に学び、さらに平賀源内から西洋の画法を学ぶ。なので、なんだかいろんなタイプの作品が残っているのだ。ガラス製の釣花生けに盛られた色とりどりの花を描いた南頻派ふうの『生花図』もあれば、あっさりした淡彩の和装『美人図』もある。洋風画の典型みたいな『異国戦闘図』(個人蔵)もあり。『捕鯨図』(土浦市立博物館)は楽しいなあ。江漢は長崎県の生月島で捕鯨漁を見学し、詳細を挿絵つきで『江漢西游日記』に書き残していて、飾らない文体から、好奇心と素直な興奮が伝わってくる。

 本展の図録で江漢が「文人洋風画家」と呼ばれていたことは、とても腑に落ちた。江漢の絵は「下手」とか「稚拙」と評されることが多いそうだ。しかし江漢は、西洋画の描き方を学んでも、近代の基準でいう「上手」な絵を書こうなんて、たぶん思ってない。文人だから。『駒場路上より富岳を臨む図』は今年の正月に山種美術館の『HAPPYな日本美術』で見たものだけど、まさにHAPPYであれば、童心や好奇心が発動する絵画であれば、上手いも下手も関係ないのではないかと思う。

 後半は亜欧堂田善(1748-1822)。私は2006年の府中市美術館の企画展以来、このひとを追っているので、代表作はだいたい知っているつもりだったが、『観瀑図』(帰空庵コレクション)『山水図』(個人蔵、横に細長い小襖)の、滝や岩壁を抽象化した描き方は初めて見たかもしれない。このひとも、描かれた風景や人物に現実味がないのは、絵が「稚拙」だからなんだろうけど、別世界に連れていかれるような浮遊感が好きだ。

 ところで、江漢は平賀源内から洋風画を学ぶし、田善は白河藩主の松平定信に見出されるので、まさに今年の大河ドラマの同時代人なのである。でも洋風画家じゃマイナーすぎて、ドラマには登場しないかあと、しみじみ年表を眺めてしまった。

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文書も彫刻も/至高の宝蔵(神奈川県立金沢文庫)

2025-04-06 21:59:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 開館95周年記念特別展『至高の宝蔵-称名寺の国宝開帳-』(2025年3月28日~5月18日)

 称名寺の宝蔵の品々を開帳する特別展。「開館95周年」と聞いて、改めて調べてみたら、昭和天皇の即位に伴う御大典記念事業の一環で建てられた、鉄筋コンクリート造の施設が竣工したのが昭和4年(1929)12月。そして、昭和5年(1930)8月、図書館令に基づく県立図書館として開館した。ここが起点の年なのだな。その後、図書館から博物館に変わったのは、昭和30年(1955)のことである。展示企画についても調べてみたら、90周年には『東アジア仏教への扉』、80周年には『運慶-中世密教と鎌倉幕府-』が開催されていた。なつかしい。

 入口を入ってすぐの展示ケースには、金沢文庫の創建と蔵書に縁の深い北条実時・顕時・金沢貞顕・貞将の4人の肖像画が並んでいた(実時像のみ原本、他は複製)。2階の展示室で目に付いたのは、本展のポスターにもなっている『三千仏図』。軸木の墨書銘から、海岸尼寺の什物であったことが分かるという。過去・現在・未来を掌る阿弥陀・釈迦・弥勒の三仏のまわりをオレンジ色の衣の小さな三千仏が取り囲む。牡丹(宝相華?)の外枠も華やか。見たことあるなあと思ったのは、2018年の『御仏のおわす国』展で見たようだ。これとは別に、釈迦仏だけを中心にした『千仏図』も出ていた。称名寺には、釈迦と阿弥陀の2幅のみ伝わっているそうだ。千仏は衣の赤色が摩滅しているせいもあって、背景の青色が強く印象に残る。こうした三千仏図・千仏図は「仏名会」の際に掛けられた。

 仏名会とは三千の仏名を唱える法要だが、展示文書の中に「南無〇〇仏」という唱え事を書き留めたものがあって、梵徳仏とか華天仏とか遊戯仏とか、変わった名前が並んでいて興味深かった。文書(聖経)類は、どこに着目したらいいのか、よく分からないことも多いが、「孤本」「稀覯本」「現存最古の写本」などと書かれていると、とりあえず貴重なものであることは分かる。『華厳演義鈔会解記』だったと思うが、湛叡の名前入りの紙製の書皮(ブックカバー)が付属しており、書状を再利用してブックカバーにしていることも分かって面白かった。国宝『文選集注』も、もちろん出ていた。巻47の冒頭にあった曹子健は曹植だね。巻62の江文通(江淹)は知らなかった。

 彫刻は、清凉寺式の釈迦如来立像、慶派ふうの地蔵菩薩坐像など。不動明王二童子像は、あまり記憶にないものだが、とても気に入った。創建当時のものと見られる「迦楼羅光背」には、7体の迦楼羅の顔が浮かび上がっている。制吒迦・矜羯羅の二童子もかわいい。制吒迦童子は、本来。右手に何か得物を持っていたのだと思うが、カラの握りこぶしを突き出したようなポーズが元気いっぱいでよい。

 桜の季節に訪問したのは久しぶりのような気がする。参道の桜並木は刈り込まれていて可哀想だったが、浄土庭園の桜は、のびのび枝を広げていた。あと、遠景の山の中に咲いた白い霞のような花を見て、桜は山の樹だったことを思い出した。

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2025年3月展覧会拾遺

2025-04-02 23:42:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

荏原畠山美術館 開館記念展 II(破)『琳派から近代洋画へ-数寄者と芸術パトロン:即翁、酒井億尋』(2025年1月18日~3月16日)

 開館記念展の第二弾として琳派の歴史を彩る名品が勢ぞろいし、開館記念展Ⅰにつづき、即翁の甥で、荏原製作所社長を継いだ酒井億尋の近代洋画コレクションを紹介する。私は鈴木其一の『向日葵図』が久しぶりに見たかったので、後期を待って出かけた。向日葵は17世紀に日本にもたらされた植物で、絵画化された早い例には抱一の作品があるという。今、ヒマワリを絵に描くなら、花の中心部を茶色で塗ると思うのだが、其一の向日葵は花全体が黄色で、中央は少し緑がかっている。まっすぐな茎と合わせて、可憐で瑞々しい。

 抱一の『十二ヶ月花鳥図』も堪能した。茶器は光悦の赤楽茶碗『銘:雪峯』と『銘:李白』を見ることができた。前者はわりと厚手、赤楽というけどほぼ茶色に白い釉薬が流れている。大きな火割れに施された金粉漆繕い(金継ぎではないのだな)が稲妻のよう。後者は桶みたいにずん胴で、つるんとした造り。酒樽に見立てた命名だろう。

根津美術館 特別展『片桐石州の茶:武家の正統』(2025年2月22 日~3月30日)

 片桐石州(1605-1673)は大和国小泉藩第2代藩主であり、武家を中心に広まった茶道・石州流の祖。茶道史上に極めて重要な位置を占めながらも、これまで注目されることが少なかった石州と石州流の茶の湯を顕彰する。私は石州の名前はほとんど知らなかったので、小堀遠州や鳳林承章との交流の跡を見て、あの時代の人か、と納得する。そして松平不昧や井伊直弼も石州流の系譜に位置づけられている。展示室5は季節もので『百椿図』。展示室6の『春情の茶の湯』は、ほのかな春の兆しを感じさせる道具がどれもよかった。

目黒区立美術館 『中世の華・黄金テンペラ画-石原靖夫の復元模写:チェンニーノ・チェンニーニ「絵画術の書」を巡る旅』(2025年2月15日~3月23日)

 石原靖夫(1943ー)が1970年代に制作したシモーネ・マルティーニ『受胎告知』の復元模写と周辺資料を展示し、テンペラ画の技法と表現の魅力に迫る。特に金箔の黄金背景に、顔料を卵黄で練って描き上げていく「卵黄テンペラ」は14世紀から15世紀前半のイタリアで発展した“中世の華” というべきもの。ちょっと他で見たことのない展覧会で、とても面白かった。同館では、過去に石原を中心としたテンぺラ画のワークショップも開催しており、その受講生の作品も展示されていた。テンぺラ画は非常に手間のかかる技法で、その工芸的な不自由さがかえって魅力的である。

東京国立近代美術館 『美術館の春まつり』(2025年3月13日~4月6日)

 春なので「MOMATコレクション」展を見て来た。10室では恒例「美術館の春まつり」に合わせて、花を描いた作品を集めて展示する。川合玉堂『行く春』、菊池芳文『小雨ふる吉野』など、毎年おなじみの作品なのだが、必ずこの時期に見ることができるのは嬉しい。「明治の中ごろ~」の部屋に出ていた小林古径『極楽井』もよかった。小石川伝通院裏の宗慶寺にあった極楽井の水を描いたとさせ、佇む少女のひとりは、イエズス会の紋章「IHS」を象った模様の着物を着ている。小杉放菴(未醒)『羅摩物語』はインド風の豊満な肉体の女性たちが描かれており「ローマ?」と首を傾げたら、『ラーマーヤナ」の「ラーマ王」だった。こういう戦前のエキゾチック趣味には惹かれる。「風景の誕生」や「シュルレアリスム100年」などの個別テーマも興味深く、「『相手』がいる」と題された戦争絵画を毎年この時期に見直すのもよい経験になっている。

國學院大學博物館 企画展『江戸の本屋さん-板元と庶民文学の隆盛-』(2025年2月22日~4月20日)

 今年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を、今のところ期待どおり楽しんで見ている。そして各地の博物館で、江戸の出版文化をテーマにした展覧会が次々に開催されているのが嬉しくてたまらない。本展は、江戸戯作群の製作、出版、販売を担った本屋の活動を概観するとともに、甘露堂文庫(伊藤孝一旧蔵)と小柴文庫(小柴値一旧蔵)の江戸戯作コレクション蔵本を展示する。私はいちおう日本文学を学んだので、蔦重、須原屋くらいは知っていたが、鱗形屋孫兵衛とか鶴屋喜右衛門の名前に、おお!と目が輝いてしまうのは、全く大河ドラマの影響である。冒頭に「大本」「中本」「半紙本」などの版型が並べてあったのも楽しかった。

国立公文書館 令和7年春の特別展『書物がひらく泰平-江戸時代の出版文化-』(2025年3月20日〜5月11日)

 江戸時代の出版文化に着目し、近世文学作品を中心に、江戸時代に特徴的な版本の数々をご紹介する。ここでもやはり、須原屋や鱗形屋の刊記にしみじみ見入ってしまう。あと『江戸買物独案内』から書店の案内がパネル写真で紹介されていた。これは国立国会図書館のデジタルコレクションにあるはず、と思って見つけたものの、どのぺージを見ればいいのか分からない。初めからぺージを送っていたら「いろは順」の「ほ」の部(本屋)に出て来た。「書物問屋」を名乗る店と「書物/地本問屋」を名乗る店がある。「小伝馬町二丁目/書物問屋/新吉原細見板本/蔦屋重三郎」の記載もあるが、これは文政7年刊行なので後継者。そのままぺージを送って、銘茶所やら紙問屋やら煙草問屋やら、飽きずに眺めてしまった。

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