〇板橋区立美術館 館蔵品展『狩野派の中の人 絵師たちのエピソード』(2025年8月23日~9月28日)
江戸狩野派には、最も格式の高い奥絵師、それらを補佐する表絵師、さらに町狩野と呼ばれる人々など、膨大な数の絵師が属していた。本展は、絵師の人柄が伝わるエピソードやそれぞれの関係性の紹介とあわせて作品を展観する。
むかしは狩野派なんて似たり寄ったりでつまらない絵師の集団だと思っていた。それが、こういう展覧会のタイトルを聞いて、わくわくと足を運んでしまうようになったのは、かなりのところ、同館のおかげである。今回、1階ホールに過去の狩野派展のポスターがずらりと展示してあるのだが、どれもちょっとテンションがおかしい。「これであなたも狩野派通」とか「狩野派SAIKO!」とか(笑)、参観者を狩野派ファンに引きずり込んでやろうという意気込みが明白すぎる。
館蔵展なので、だいたい記憶にある作品が多かったが、絵師のエピソードは知らないことが多くて面白かった。狩野典信(みちのぶ)は、徳川家治に重用され、新たに拝領した木挽町の屋敷は田沼意次邸の隣だった(以後、時代を遡って、尚信の家系を木挽町狩野家と呼ぶ)。Wikiによれば、田沼意次の旧邸を分与されたもので、典信と意次は互いに裏門から往来し、意次の密議は常に典信の屋敷で計られたとも伝わるそうだ。ほお~そんな話を聞くと、巨大な『大黒図』が意次のイメージに見えてこなくもない。
典信には『田沼意次領内遠望図』(牧之原市・相良史料館寄託)や『徳川家基像』(徳川記念財団像)の作品もあるのだな。狩野派の中の人というより大河ドラマ『べらぼう』の中の人という感じで親しみが湧いた。
典信の息子・惟信(これのぶ)も同様に将軍・家治、老中・田沼意次に厚遇された。妻は田沼意知の妾の妹と伝わるという。展示されていた作品『四季花鳥図屏風』は、さまざまな手本を組み合わせて鳥の楽園を描いたもの。
これって徽宗の『桃鳩図』ですかね?!
これは若冲?!
お腹の弱かった養信(おさのぶ)、いつも手ぬぐいを被っていた章信(あきのぶ)も覚えた。
時代を遡って、岡倉天心が探幽を「画壇の家康」と呼んだという話はおもしろい。探幽の『富士山図屏風』は、山並みの平たい山頂が雲の上に出ている様子が見事。あんな風景を実際にどこかで見ることができたのだろうか。長い稜線を広げた富士山は、北斎の絵を思わせた。
三兄弟(探幽・尚信・安信)の末弟・安信は、画技が劣るので、他では食えないだろうと考えて、敢えて宗家を継がせたと紹介されていた。ひどい…。まあ評価にはいろいろあるそうだ。狩野常信『四季花鳥図屏風』は、平凡な花鳥図に振りかけられた金砂が、薄暗がりの中で驚くほど効果的な輝きを放っていた。さらに遡って、狩野派の楚・正信の『蓮池蟹図』も出ていたが、かなり性格が面倒臭そうで、勝手に東邪・黄薬師をイメージしていた。
展示室内は全点撮影可。実は、展示室外の過去の図録を販売しているコーナーに、大文字屋の”かぼちゃ”市兵衛さんの小さなポップがあって「みんな、べらぼう見てくれてるかな?」と添えてあったのがむちゃくちゃ可愛くて、写真を撮りたかったのだが、気が弱くて、お願いできなかった。ちょっと後悔。