見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

宋代が生んだ朱子学/儒教が支えた明治維新(小島毅)

2017-11-30 23:19:12 | 読んだもの(書籍)
〇小島毅『儒教が支えた明治維新』 晶文社 2017.11

 私は『論語』が好きで、中国史も日本史もひととおり学んできたつもりだったが、あーなるほど、こういう歴史の見方があるのかあと教えられるところが多くて面白かった。内容は、著者がこの10年間に発表した文章や講演のアンソロジーで構成されている。タイトルに直接かかわる「明治維新」(近代日本)と儒教を論じたのは第1章。その前段として、近世における儒教の受容についても論じる。江戸時代初期の好学大名たちは、朱子学の道徳修治論を信条とし、忠義の対象を殿様個人から組織へ、さらに公共へと変えていくことで、武士の文明開化を図った。その後裔に「朱子学的な能吏」大久保利通、伊藤博文がいる。

 一方、靖国神社である。靖国の祭神をさす「英霊」という言葉は藤田東湖の詩に由来し、その先には文天祥の詩があり、英霊の正体は朱子学でいう「気」であると考えられる。また、靖国神社を擁護する論者は、しばしば「わが国には、過去を水に流す、死者をムチ打たず、という文化がある」という。確かに江戸時代までの日本には「怨親平等」という考え方があった。これは仏教の教理に基づく。ところが明治以降は、忠臣と逆臣を強く区別するようになる。逆臣の代表は、平清盛、足利尊氏、足利義満。これは、尊王攘夷を強調し「死者にムチ打つ」思想である朱子学の影響である。皇軍の将兵を顕彰するためにつくられた靖国神社の教義は朱子学に由来する。

 これは非常に納得のいく話だった。横道だけど、井伊直弼が日本の秦檜であり、吉田松蔭は岳飛に似ているという見立てはいいなあ。明治末年、松蔭神社は栄え、直弼の墓のある豪徳寺はさびれていたそうだ。全共闘は陽明学で、彼らが敵とみなしたのが朱子学的官僚制であるというのも分かる(ただし陽明学も基本的に朱子学の一分流)。

 次に「朱子学」について。はじめ、朱子学は渡来僧や留学僧によってもたらされ、五山文化の一要素として受容された。朱子学が禅僧でなく儒者に担われるようになったのは江戸時代からである。朱子学を学んだ者の中から、伊藤仁斎、荻生徂徠、中江藤樹らが独自の門流を立てる。この章では、日本文学研究からも中国文学研究からも見捨てられた五山文学の価値について論じた一篇や、夢窓疎石についての論が面白かった。夢窓疎石が和歌を好んだのは初耳であったが、調べたら吉川幸次郎が何か書いているらしい。気を付けておこう。

 最後の「東アジアのなかの日本」では、「漢委奴国王印」の金印、豊臣秀吉の朝鮮出兵、五山僧の活躍など、多様なテーマの小論を集める。最近の教科書では「大和朝廷」を使わず「ヤマト政権」を使うとか、「大化の改新」について、中大兄皇子や中臣鎌足の活躍がどれだけ真実か、疑問視されているなど、歴史の新しい常識に驚く。

 「中華の歴史認識」は、本書の中では唯一、真正面から中国を論じたもので、はじめ、やや異質な感じがした。しかし、近現代日本に影響を与えた儒学すなわち朱子学を生んだ「宋代」が、中国史にあってどういう時代かを理解するには、やっぱりこの一篇がなければならないのだ、ということで納得した。

 この一篇には、いろいろ示唆的な記述があったので書き留めておく。唐において重要なのは「律令」よりも「礼」であったこと。「中華」とは、六朝時代、黄河流域から南方へ移住した人々が、領域概念とは別の民族的・文化的概念として使い始めたものであること。唐は正史として北朝系の『北斉書』『北周書』『隋書』と南朝系の『梁書』『陳書』を編纂して双方を並列させたこと。一方、宋の士大夫は、北方異民族(遼・金・元・西夏)に対して、強い尊王攘夷思想を発展させたこと。宋の国力は対立諸王朝より劣勢であったにもかかわらず、優越的な中華意識を持ち続けた。それゆえ、現在でも中国史という枠組みは、宋を中心に考える。でも、これは決して自明の事実ではないことに、あらためて気づいた。

 なお「あとがき」によれば、著者は「さる米国人」が、儒教は「近代社会にそぐわない封建的な思想」という趣旨の本を書いて人気になったことを嘆かわしく思い、本書の出版を思い立ったとのことだ。まあ「さる米国人」の本は1年も立てば忘れられてしまうだろう。また、本書所収の文章・講演の一部は、科研費研究(俗称にんぷろ)の期間中のものであるとのこと。書籍や展覧会など、その多くの成果を享受した者として、懐かしいなあと思ったら、「研究費の使用および事務局の運営において、多くのトラブルに見舞われ(略)事後評価はBになり」という衝撃の事実がさらりと書かれていた。
コメント

本屋と骨董とカフェの街/65歳からの京都歩き(永江朗)

2017-11-27 21:24:34 | 読んだもの(書籍)
〇永江朗『65歳からの京都歩き』 京阪神エルマガジン社 2017.11

 京都駅八条口のふたば書房で、同じ著者の『ときどき、京都人』(2017.9)と一緒に見つけて、どちらを買おうか少し迷った上、2冊とも買って帰ってきた。『ときどき、京都人』は朝日新聞デジタルの連載記事がもとになっているが、本書は書下ろしのようだ。あちらは「だ・である」調だったが、こちらは「です・ます」調で、文体も少しのんびりした雰囲気。

 京都は歩く街だとか、ベンチに座ってみると風景が変わるとか、別の本と同じ話も書かれているが、おすすめスポットやお店の名前が具体的で、地図や写真が豊富なのが本書の特色である。長年、編集・ライター業に携わり、出版文化産業の事情に明るい(Wiki)著者ならではの記事は、おすすめの本屋と古本屋の紹介である。京都駅構内のおすすめとして名前があがっているのは、ザ・キューブ地下の三省堂書店と近鉄側のふたば書房。ふたば書房については「ビジネス書の新刊がポイントを押さえた品ぞろえ」というツボを押さえたコメントつき。

 四条河原町付近では、やっぱりジュンク堂京都店がいちばん好き。河原町通に数年前に開店(復活)した丸善京都本店も行ってみたことがある。著者のおすすめは御所南エリアだそうだ。御池ゼスト(地下街)にも、ふたば書房があるのか。「人文書と文芸書の品ぞろえが面白い」と聞くと、一度行ってみたい。寺町通の三月書房は、著者いわく「京都でいちばん有名な本屋」で、私も京都在住の友人に連れられて訪ねたことがあるが、今は「誠光社」のほうが有名かも。ブックカフェもたくさんある。「月と六ペンス」「アイタルガボン」「かもがわカフェ」…全部はここに転記できないので、本書の地図のコピーを持って歩いてみたい。現存する最古の書店は、慶長年間創業の永田文昌堂だそうだ。もう一軒、やはり江戸時代初期から続く法蔵館書店とともに、仏教書を専門に扱っており、西本願寺・東本願寺エリアにある。

 古本屋では、まず本能寺前の竹苞書楼、寛永年間の創業。今の店舗も江戸時代のもので、閉店後や定休日のたたずまいも風情があるという。大書堂、尚学堂書店、芸艸堂などの名前があがっている。宝さがしのつもりで、掛け軸とか買ってみるのもいいかもしれない。著者は古典籍専門の藝林堂で、興福寺のお経の断簡とビルマの貝多羅経の断簡を購入したことがあるそうだ。茶室の床に掛けるのか。いいなあ。

 骨董街の案内もある。はじめから掘り出し物を見つけようと意気込まないで、のんびり歩いて、目にとまったものを買ってみるのがいいのだろうなあ。弘法市や天神市は有名だけど、3月、6月、10月に「京都大アンティークフェア」(京都アンティークフェアか?)が竹田のパルスプラザで開催されているというのは初めて知った。こういう催しに行ってみたいと思いながら、まだ東京でも実現していない。

 建築散歩、民芸散歩、歴史散歩にも気になる案内があるが、お店関係では、寺町通界隈の一保堂茶舗。大きな暖簾の下がった外観は、私が高校生の頃から京都ガイドブックの定番だったが、秋から春までは焦茶色の暖簾、初夏から9月までは白、夕方のわずかな時間だけ赤と緑のレトロなネオンサインが見られるという情報が気になる。茶葉を揉まずに炒る「いり番茶」を試してみたい。近くに栁桜園茶舗という店があるので、このあたりを歩くとほうじ茶の香りがするという。一保堂茶舗から少し北に行くと、進々堂の本社工場があって、パンを焼く香りがするという。南に下がると鳩居堂のあたりはお香の香りがするので、寺町通は「香りの路」とも呼ばれているなんて、初めて聞いたけど、とても素敵だ。やっぱり1年か2年でいいから京都に住んでみて、こういうディティールを味わってみたい。
コメント

命こそあれ/流罪の日本史(渡邊大門)

2017-11-26 22:53:35 | 読んだもの(書籍)
〇渡邊大門『流罪の日本史』(ちくま新書) 筑摩書房 2017.11

 構成は「流罪とな何か(古代~院政期)」「鎌倉時代」「南北朝・室町時代」「戦国時代」「江戸時代(明治初期を含む)」の5部構成になっていて、だいたい時代順に流罪の変容をたどる。ただ、通史というほど網羅的ではなくて、各時代でいくつかの流罪事件に焦点をあて、詳述するスタイルである。事件のチョイスは、著者の好みと関心が基本になっているように思う。

 まあそういうわけで、気楽につきあえばいいのだが、冒頭にいきなり「日本史上初の流罪は近親相姦」という小見出しがあって、おやおやと思ったら、允恭紀にある軽大娘皇女(伊予国へ流罪)のことだった。これを「日本史上初」で取り上げるのか?と冒頭からつまずいてしまった。記紀の記述により「不吉なことに羹(あつもの)の汁が凍ってしまった」「むろん、羹が凍るなど(略)史実とは認めがたいところである」と、しゃあしゃあと書いてあって、なんだろうこの人?と不思議に思った。

 その後も、崇徳院について諸説を紹介したあとに「実際に天狗になったとは考えられず」とあって爆笑した。あやしげな伝承・風説を豊富に紹介しながら、わざわざ「科学的な根拠は見出しにくい」とか「いずれも信じがたい」という注記を施していくスタイルは最後まで一貫していた。

 読み終わって、もう一度「はじめに」を開いてみたら「本書は流罪の法的根拠や手続きを解説し、主として鎌倉時代以降の流罪のシステムや実態について触れたもの」で、中世における流罪の実態はあまり知られていないので、これを中心に述べると宣言されている。確かに、信頼できる史料がそれなりに残っている時代の記述は、まあまあ安心して読めるものだった(無理に専門外の古代~中古に手を出さなければいいのに)。

 登場する人物をざっとあげていくと、軽大娘皇女、石上乙麻呂、淳仁天皇、崇徳天皇、源頼朝、俊寛、後鳥羽・土御門・順徳上皇、親鸞、日蓮、京極為兼、後醍醐天皇、上杉重能・畠山直宗、佐々木導誉・秀綱、高倉永藤、世阿弥、赤松性準・範顕、浅野長政・大野治長・土方雄久、大友吉統、真田昌幸(九度山)、猪熊事件、有馬晴信(岡本大八事件)、前田茂勝、宇喜多秀家。こうしてみると、流刑地で一生を終えた者と、カムバックした者が混じっている。最大の逆転劇を演じたのは、やっぱり頼朝だろう。

 上記には、私が「流罪人」とてあまり認識していなかった人物も含まれる。世阿弥は義教の勘気を蒙って佐渡に流されているのか。そして許されて帰京したかどうかは「判然としない」なのか。知らなかった。鎌倉以前は、いちおう法にのっとって刑罰が執行されているが、義教やその後の秀吉は、個人的な好悪や権力の誇示で流罪を活用しており、始末が悪い。

 宇喜多秀家が八丈島に流されたというのも、最近うすうす知った程度なので、詳しいことが分かって面白かった。それなりに消息が伝わっているんだな。秀家の妻の実家である加賀藩前田家が代々仕送りを続け、なんと明治元年になっても加賀藩が八丈島の宇喜多氏に米を送っていることが確認できるのだそうだ。これは「日本スゴイ」エピソードに認定してもいいんじゃない? 明治3年、ついに宇喜多一族75名が本土帰還を許され、加賀藩が身元引受人となる。本郷の法真寺、板橋の東光寺を経て最後は散り散りになったが、東京になじめず、八丈島に戻った人々もいるというのが、よくできた小説のようだと思った。
コメント

神保町で蘭州ラーメン

2017-11-25 22:40:44 | 食べたもの(銘菓・名産)
蘭州ラーメンを食べてきた。今年8月に神保町にオープンした「馬子禄(マーズールー)」である。

実は私の職場のすぐ近くなのだが、開店以来、連日行列ができているとかで、昼休みに食べに行くのはムリと思ってあきらめていた。そろそろ落ち着いたようなので、休日に出かけてみた。昼時で、7~8人の列はできていたが、5分程度で中に入れた。



緑色は「清真」料理のしるし。



ラー油、香菜の量は選ぶことができる。最初なので「ふつう」にしてみたけど、ラー油は少なめでいいかも。この辛さは、蘭州の味というより、中国人一般の好みに合わせていると思う。逆に香菜はもっとほしい。



蘭州にはじめて行ったのは20年くらい前。まさか東京で、こんなに気軽に本場の蘭州ラーメンが食べられるようになるとは思わなかった。人の交流が進むと、美味しいもの、珍しいものが、どんどん入ってくるのは単純にうれしい。

ああ、でもいつかまた蘭州に行きたいなあ。
コメント

めんどくさい自由の国/宗教国家アメリカのふしぎな論理(森本あんり)

2017-11-24 22:57:39 | 読んだもの(書籍)
〇森本あんり『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ)(NHK出版新書) NHK出版 2017.11

 『反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体』の森本あんり先生の新刊である。経済学者・中谷巌氏が主宰する「不識塾」でビジネスパーソン向けに行われた講演を中心に、その他の講演・雑誌記事をもとに構成されている。全体は「です・ます」調で統一されており、平易だが、内容は深い。

 本書は、宗教に注目することで、アメリカの現在を深層から把握する試みである。2016年の大統領選挙で、大方の予想を覆してトランプ新政権が誕生し、世界を驚かせた。トランプの父親は、伝統的なプロテスタント倫理にしたがって子供を育て上げており、「一生懸命に働けば必ず報われる」というのが信念だった。トランプには、奇妙に禁欲的な側面があり、飲酒や喫煙をせず、刺激はコーヒーすら飲まず、カジノ経営で儲けるけど自分はギャンブルに手を出さないのだそうだ。一般の報道では伝えらえない姿で、非常に興味深く思った。

 聖書が語る神と人間の関係は、「契約」モデルで理解することができる。カルヴィニズムでは、神は人間の不服従にもかかわらず一方的に恵みを与えてくれる「片務契約(カベナント)」的存在だったが、アメリカで土着化したピューリタリズムでは、人間の義務は神に従うことであり、神の義務は人間に恵みを与えることという「双務契約(コントラクト)」的理解が一般化する。さらに進むと「正しい者ならば、神の祝福を受ける」が逆転して「神の祝福を受けているならば、正しい者だ」になる。これは最近、日本の社会(ネット上)でも時折見かける論理で、何を馬鹿なことを言うのだろうと呆れていたが、世界的に見て特殊例ではないのだな。

 幸福(成功)を得た人々は、自分の幸福は偶然ではなく、正当な根拠があると考えたがる。一方、不幸な人々は、不幸の原因が自分の行いにあることを認めたがらず、原因を外部に求めようとする。著者によれば、アメリカ人は「負け」を神学的に理解できない人々なのだという。ううむ、これは厄介である。本来、多くの宗教には、現世の不幸を説明する論理が備わっている。少なくとも私が宗教に惹かれるのは、そうした論理を必要とするときだ。しかし、篤い信仰を持つアメリカ人は、無限の「富と成功」を求めて前進することしかできないのだ。

 次に「富と成功」という勝ち組の福音と「平等」がどう結びついているかを考える。アメリカは1776年に政教分離を定めた「世俗国家」として独立する。日本人は、これによって非宗教的な近代国家が誕生したと考えがちだが、「政教分離」の本当の目的は「各人が自由に、自分の信ずる宗教を実践するための制度」であると著者は考える。

 細かくいうと、アメリカ人の信仰にはチャーチ型とセクト型がある。国家や政府を神の道具とみなし、積極的な社会建設を求めるのがチャーチ型、地上の権力は必要悪と考えるのがセクト型である。セクト型の反権威・反権力志向は、反知性主義と容易に結びつく。反知性主義とは、知性そのものへの反発でなく、知性と権力の固定的な結びつきに反発するものなのだ。反進化論も、進化論という科学に反発しているのではなく、科学を「政府という権力が一般家庭に押しつけてくること」に対する反発なのだという。ああ、これは眼からウロコだった。信仰や家庭教育など、プライベートな領域に政府が踏み込むことを徹底的に拒絶する。アメリカって、素敵だけどめんどくさい国だなあ。

 さらにトランプ政権について考える。トランプは、大統領選に勝つことによって、自分が最強の男であることを証明したかっただけであって、それ以上の目的や使命は何もない、という考察は非常に納得できた。既成の権威に反発する反知性主義が政権の中枢部に侵入した結果、反発は国際社会に向かう可能性がある。トランプを支持する宗教的右派の考え方によると、アメリカは神の特別な恵みによって建国された特別な国であるから、他国と協調して余計な負担を背負い込むべきではないのだそうだ。どこかで聞いたような主張である。

 次にポピュリズムについて。ポピュリズムは善悪二元論に陥りやすく、民主主義の正統性を蝕んでいく。この章では、イギリスとアメリカの違いが面白かった。イギリス人はプライバシーの尊重を求め、アメリカ人は選択の自由を求める。アメリカでサンドイッチを注文するのに、何から何まで選ばせるのには、そんな背景はあったのか。

 最後に著者は、トランプ現象に象徴されるポピュリズムに侵されないために「正統」を担う気概を持て、と説く。そして、アメリカの神学者ラインホルド・二ーバーの祈りの言葉を引く。「神よ、変えるべきものを変える勇気を/変えることのできないものを受け入れる静謐さを/その二つを区別する賢さを、わたしに与えてください」。これは、言葉は少し違うけれど、中島岳志さんの『「リベラル保守」宣言』にも引用された章句であることを思い出した。「リベラル保守」という用語が気になって、最近、自分の感想を読み直したばかりだったので。
コメント

2017年11月@西国大旅行:新・桃山展(九州国立博物館)

2017-11-23 23:17:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
 土曜日、関西空港を発って、夜9時ごろ福岡空港着。博多の街はまだ賑やかである。南福岡のビジネスホテルに投宿。この「西国大旅行」を計画したとき、関空→福岡、福岡→羽田の飛行機は、リーズナブルな値段で確保できたのだが、さて福岡のホテルを探そうと思ったら全然ない。実は、K-POPアイドルグループのコンサートとぶつかっていたのである。最初は久留米か唐津に泊まることも考えたが、幸運にも南福岡に1部屋、空きを見つけて予約することができた。

九州国立博物館 特別展『新・桃山展-大航海時代の日本美術』(2017年10月14日~11月26日)

 日曜は朝から大宰府へ。どうしても来たかった展覧会である。本展が焦点を当てるのは、倭寇の船で来日したポルトガル人が鉄砲を伝えた1543年(または1542年)から、徳川幕府がキリスト教を禁じ、貿易統制を布いて「鎖国」を完成させた1639年までの約百年間。「文化交流」という視点からこの激動の時代の美術を改めて見つめなおすものだという。開館直後の博物館に入ると、3階の特別展会場に通じるエスカレーターの前に長い列ができている。人が多いので、人数を区切って、少しずつエスカレーターに乗せている様子。なんと!東京の運慶展、京都の国宝展だけでなく、新・桃山展にもこんなにお客が殺到していたとは。

 会場に入ると、まずは中世の名残り。京都・妙智院の『策彦帰朝図』は、最後の遣明使の正使をつとめた策彦周良が帰国のはなむけに贈られた送別図である。当時、日本が中国の皇帝に献上した品物には、屏風や扇などの美術品があった。そうか、狩野派の屏風は輸出品でもあったのか。遣明使の通訳をつとめた中国人・鄭沢が元信に宛てた書状の写しが伝わっており、社交辞令であるにせよ、「狩野四郎二郎先生」(この名前、中国人から見てどうなんだ?)の画才を称賛している。一方、日本に入ってきたものといえば、鉄砲とキリスト教。あまり見たことのない『洛外名所図屏風』6曲1双が出ていて、清水寺の境内で裃姿の武士が鉄砲を撃つ場面が描かれている。隣りの武士は弓に矢をつがえている。鉄砲と矢の競射なのだろうか? 屏風は太田記念美術館所蔵。
 
 キリスト教関係は、神戸市立美術館の絵画『サビエル像』『都の南蛮寺図扇面』、京都・春光院の『銅鐘 IHS紋章入』など網羅的。天正遣欧使節関係の資料も豊富だった。『イエズス会史』によれば、遣欧使節は「安土城図屏風」をローマ教皇に献上しており、この作者は狩野永徳だという。元信の屏風は明の皇帝へ、永徳の屏風はローマ教皇へか。つくづく狩野派スゴイ~。と思っていたら、永徳の豪壮な『檜図屏風』と長谷川等伯の『松林図屏風』が90度の角度で隣り合って一部屋に! 今年は『松林図屏風』を見るの何度目だろう、と苦笑する。

 「桃山」は天下人の座が、信長、秀吉、家康とリレーされた時代でもある。秀吉は世界帝国を目指し、朝鮮に出兵した。『名護屋城図屏風』6曲1隻は、名護屋城を描いた貴重な資料。淡彩で、ひなびた城下の様子も細やかに描かれている。狩野光信筆の原本を模写したものと考えられているそうだ。家康は朝鮮との国交を回復するとともに「鎖国」による交易を確立した。徳川幕府の初期も、屏風は重要な輸出品で、家康がメキシコ、イギリス、カンボジアの国王に屏風を贈ったことが、金地院崇伝の『異国日記』に記されている。九博所蔵の『朱印船交趾渡航図巻』(17~18世紀)には、ベトナムのホイアンの長官(唐人風の姿)の前に日本の武士が進み出て貢物を並べており、その中に畳んだ屏風が描かれている。

 フィナーレは南蛮美術の名品オンパレード。サントリー美術館の『泰西王侯騎馬図屏風』、久しぶりに見た。これは王侯より、三白眼の馬がカッコいい。イエズス会のセミナリヨで西洋絵画の手ほどきを受けた日本人画家が描いたと考えられているそうだ。大和文華館の『婦女弾琴図』、神戸市立博物館の『四都市・世界図屏風』。なんと永青文庫の『洋人奏楽図屏風』6曲1双も(男女の顔立ちにあまり差がないところが彦根屏風っぽい)! これだけでも感涙ものだが、図録を見ると別の期には、また別の名品が出ていたようだ。えー悔しい。三の丸尚蔵館の『二十八都市・万国絵図屏風』が見たかったなあ。東大総合図書館所蔵の『救世主像』(イエスが塩顔のイケメン)は見ることができたが、京大総合博物館の『マリア十五玄義図』は見られなかった。

 このほか、オランダ船デ・リーフ号の船尾に飾られていたという『エラスムス像』(これはやっぱり人文学者デジデリウス・エラスムスの像なのか?)、秀吉夫人の北政所が用いていたという『聖マリア像刺繍壁掛』、南蛮鉄(東南アジア産の鉄)でつくった刀など、興味深いもの多数あり。

 そして、最後の最後に登場するのが、うわさの『大洪水図屏風』である。これをおろそかに見ては本展に来た意味がない。私は、途中で混雑に疲れてきたので、先にこの最後のセクションを見て、元気を取り戻してから中盤に戻った。現在、メキシコのソウマヤ美術館に所蔵されているが、17世紀末~18世紀前半にマカオで製作されたと推定されている。6曲1双で、日本の屏風に比べて、各扇がややスリムな感じがするが、びっくりするくらい日本の「屏風」そのものである。装飾文様を型押しした、不定形の金雲が四方を取り囲み、ノアの洪水の物語が描かれている。左端には船の建造、中央には船に乗り込む動物たち、右上に荒波に浮かぶ船、そして右下は洪水が引いて船を下りたところかな? 私は屏風の形態以上に、絵巻物などの「異時同図法」が使われていることを興味深く思った。

 箱船に乗り込む動物たちの中には、つがいの鳳凰や青いぶちの獅子がいる。解説ビデオを見るまで気づかなかったけど、船をつくる人々の足場は青竹を組んでいる。裏面は七宝つなぎに雀をあしらったような文様で、展示ケースの隅に小さな鏡を置いて、ちゃんと裏側も見せる工夫がされていた。

 同じ頃、マカオでは、中国式の屏風に油彩画を嵌め込んだものも作られていた。また、ソウマヤ美術館には、現在のエクアドルで製作されたという『ローマ皇帝図屏風』(18世紀末)も所蔵されている。直接の関係はないが、どことなく『泰西王侯騎馬図屏風』を思わせるのが面白い。世界はいつもつながっている、という思いを新たにした。

 このあと、文化交流展示室(常設展)を見て、大宰府天満宮にお参りして、福岡空港から東京に戻った。充実の大旅行はこれにて完了。
コメント

2017年11月@西国大旅行:和歌山県立博物館、近代美術館

2017-11-22 23:34:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
和歌山県立博物館 特別展『道成寺と日高川-道成寺縁起と流域の宗教文化-』(2017年10月14日~11月26日)

 午前中に和歌山-道成寺を往復したあと、午後は県立博物館へ。チケットを買おうとして、この週末は「関西文化の日」にあたるため、入館無料だと知る。ここの特別展は、縦長の2つの展示室を使って行われることが多いが、今回は入ってすぐの広い部屋が第1展示室になっていた。中央に立つのは、道成寺本堂本尊の千手観音菩薩立像(奈良時代)で、天井の高い空間に長身が映える。周囲の壁には、道成寺のさまざまな仏像の写真が、等身大のバナーで展示されている。午前中に見てきたばかりの宝仏殿本尊の千手観音と日光・月光菩薩、釈迦如来と両脇侍像など。自分が道成寺に戻ってきたような、不思議な感覚を味わった。

 順番どおり見ていこうと思い、展示ケースに向き合うと、意外なことに仏像でも絵巻でもなく、大きな銅鐸が冒頭に出ていた。宝暦12年(1762)道成寺南方の鐘巻(地名)から出土した弥生時代後期(1~3世紀)の銅鐸である。本体のまわりを囲む平たい「鰭(ひれ)」があり、その上に円盤を並べたような「双耳帯」あるいは「飾耳」がいくつも飛び出ていて華やかである。道成寺縁起との連想で「釣鐘」を思い出す上に、鰭(ひれ)の文様が三角つなぎの鱗文ではないか。これは蛇だ。釣鐘に巻きつく蛇の物語が、弥生時代から用意されていたようで、とても不思議な気持ちになった。地名に由来する「鐘巻銅鐸」という名前も不思議なめぐりあわせだ。

 展示パネルの解説によると、道成寺は箱谷古墳群(6世紀頃?)のある尾根の先端に位置するという。午前中、本堂の裏にまわって眺めた裏山の風景を思い出す。勾玉、ガラス玉、土器、鉄刀などの出土品を興味深く眺める。奈良・平安の道成寺の隆盛を伝えるのは、もちろん仏像である。本尊はいいなあ。千手観音だけど頭上面がなくて、つるっとした頭巾を被ったような姿をしている。太い脇手が脇腹ではなく肩から流れ落ちるように付いていて、肘の曲げ方にきれいな抑揚がある。後ろ姿も美しい。仏手や光背の一部など、部材の断片が多数保存されていることは、寺を守ってきた人々の信仰の深さを感じさせた。摩滅して本来の姿を失いかけた、小さな迦楼羅立像や六牙の象2躯も伝わっていた。

 写真展示も多数あったが、秘仏・千手観音はグレーのシルエットに加工してあり、「秘仏のため画像の公開に配慮を施しています」という注記に笑ってしまった。あと、色紙を貼り継いだ『千手千眼陀羅尼経』の美しさには息を呑んだ。道成寺にあった梵鐘が京都・洛北の妙満寺にあるというのは覚えておこう。

 第2室は「日高川流域の熊野信仰」をテーマとする。文書類多数。道成寺周辺には熊野への参詣路が通っており、王子社が設けられていたのだな。切目金剛童子とか、仏法の守護神であると同時に荒ぶる神の面影が透けて見えて怖い。熊野神を勧請した下阿田木(しもあたぎ)神社の男神坐像(写真展示)は熊野速玉神社の家津御子大神坐像に似ている、という解説があり、ふっと振り返ったら、その家津御子大神坐像が出陳されていてびっくりした。

 第2室の後半から第3室にかけては「道成寺縁起」がテーマ。道成寺蔵の『縁起』(室町時代)は上巻・下巻ともばっちり広げてあった。安珍の身なりは山伏風。清姫はムチムチと白い手足が逞しく、怒りと執念によって鼻が伸びて獣めいた顔になり、さらに上半身だけが蛇に変わったところは、蛇体そのものよりも生々しくて恐ろしい。足利義昭がこの絵巻を見て「天下無双之縁起」と称賛したというのは、何を考えていたのだか。画風が南都絵師・芝琳賢に似ているという指摘も面白かった。ほかにも絵巻や絵解き図の諸本が展示されていたが、私は、写真のみ参考展示されていた根津美術館の『賢覚草紙』(室町時代)が好きだ。大蛇の描き方が大胆でかわいい。シン・ゴジラの鎌田くんっぽい。

 読み応えのある図録も購入でき、大満足の展覧会だった。

和歌山県立近代美術館 『コレクション展2017-秋』+特集展示『NANGA 俗を去り自ら娯しむ』(2017年9月20日~12月17日)+特別展『アメリカへ渡った二人 国吉康雄と石垣栄太郎』(2017年10月7日~12月24日)

 和歌山の県立博物館には、これまで何度か来たことがあるが、隣りの近代美術館はいつも素通りして一度も入ったことがなかった。この日は時間があったので、コレクション展に続けて「NANGA(南画)」展を見ようと思って寄った。普通にイメージする南画(文人画)の祇園南海とか野呂介石とか富岡鉄斎のほか、近代日本画の今村紫紅、小野竹喬、土田麦僊などもあって楽しめた。

 特別展はあまり気乗りがしなかったのだが、「関西文化の日」で無料ということもあって入ってみた。そうしたら鈍器で頭を殴られたような、予想外の重たい衝撃を受けてしまった。国吉康雄(1889-1953、岡山出身)と石垣栄太郎(1893-1958、和歌山出身)は、移民として渡米し、戦前のアメリカで活動した。どちらの作品も、単に美しいのではない、時代と社会を告発する、不敵で不逞な魅力に満ちている。二人の作品は、間違いなく20世紀アメリカ美術の一部だと思うのだけど、アメリカという「国家」はなかなかそのことを認めなかった。芸術と国家・国籍、あるいは移民芸術というものについて、いろいろなことを考えさせられた。いつか太地町にあるという石垣栄太郎の記念館(太地町立石垣記念館)に行ってみたい。

 まだ時間に余裕があったので、美術館の2階にあるブックカフェ「Bring Book Store」でひと休み。こんなところにこんな洒落たカフェがあったのか! 軽い食事もできるじゃないか。知らなかった。



 そして和歌山から関西空港へ。夜の飛行機で福岡に移動するのである。つづく。
コメント

2017年11月@西国大旅行:道成寺で秘仏拝観

2017-11-21 00:25:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
 週末旅行の発端は、九州国立博物館の『新・桃山展』がどうしても見たいと思ったことだった。1泊2日で、ついでに寄れるところは?と考えたのだが、福岡周辺にめぼしい候補がない。ふと思いついて調べたら、羽田(空路)→関空→和歌山(県立博物館)→関空(空路)→福岡→泊。翌日、九博→福岡(空路)→羽田という週末ツアーが可能と分かった。これで行こうと思っていたら、直前の金曜日に休暇が取れそうな雰囲気になってきた。そこで土曜日の羽田→関空をキャンセルし(手数料1,000円という良心的LCC)、金曜は京都で国宝展観覧後、和歌山で1泊した。さて、土曜日。

天音山道成寺(和歌山県日高郡)

 和歌山を訪ねたのは、県立博物館の『道成寺と日高川』展が目的で、本当は展示を見てから現地に行きたかったのだが、時間の関係で、道成寺を先にした。朝、和歌山から紀勢本線で1時間ほどの道成寺に向かう。前日はさわやかな秋晴れだったのだが、この日は冷たい雨。夏物の布靴を履いていたので、足元がびしょ濡れになってしまい、草鞋で旅をした昔の人の苦労を思いやる。道成寺に到着したのは朝の9時半頃で、雨の境内にはまだ参拝客の姿がほとんどなかった。

 現在、本尊千手観音が県立博物館に出陳中のため、秘仏の北向観音が南側に遷されて公開中と聞いてきたが、その本堂はあとにして、境内の隅の「拝観受付」の看板が出ている建物に行ってみる。宝仏殿である。ご朱印をいただき、拝観したい旨を告げると、お坊さんが奥に入って行って、収蔵庫の照明を付けてくれた。ひろびろした四角形の部屋の三辺にさまざまな仏像が並んでいる。右側には、ちもっさりした感じの持国天(奈良時代)、顔が横に平たい十一面観音(平安時代)、地天女に支えられた兜跋毘沙門天(平安時代)、兜のいかめしい多聞天(平安時代)など。よく由来の分からないガンダーラ仏(?)なども混じる。

 正面の三尊は、釈迦如来坐像を中尊に、左右に文殊菩薩(剣と巻物を持つ)と普賢菩薩(蓮華を持つ)の立像。慶派を思わせる堂々とした体躯、脇侍は髪を高く結い上げた宋風。これって釈迦三尊か?という疑問は口に出さない。左側には、広目天(平安時代)、増長天(奈良時代)、創建の伝説に登場する宮子姫(髪長姫)の小さな像は近代ものらしかった。中央には、日光・月光菩薩を従えた千手観音像。9世紀の作だというが、スラっとした長身で健康的な力がみなぎり、新しさを感じる。豪華な天蓋つき。こちらが宝仏殿の本尊だという。

 宝仏殿にはもう一部屋、ふかふかの絨毯を敷いた大きな広間がある。以前、訪ねたときは、ここで道成寺縁起の絵解きを聞いたことを思い出した。奥に横長の厨子があって、安珍像と清姫像をお祀りしている。安珍は僧侶というより山伏姿で、清姫は白い被衣をかぶっている。

 もうひとつ宝仏殿の見どころは、「道成寺縁起」をテーマにした各種芸能(能、歌舞伎、文楽、舞踊など)の舞台写真と絵画が所狭しと並んでいること。特に玉三郎とか六代目歌右衛門とか名優の艶姿は、歌舞伎好きにはたまらないだろうと思う。個人的な見どころは、歌舞伎座で使われていた大道具の鐘が寄贈されて展示されていたこと。横溝正史『獄門島』を思い出さずにいられないが、一見して芝居用と分かる、けばけばしい緑色に塗られていた。これではトリックに使えない。

 ゆっくり宝仏殿を見終わって、念のため受付で「本堂も拝観できますか?」とお尋ねしたら「はい、10時からです」とのお返事。このとき、9時55分くらいだったので、山門の下で雨を避けながら、しばらく待つ。10時近くなると、宝仏殿から鍵を持ったお坊さんが歩いてきて、本堂を開扉して灯りをともしてくれた。「どうぞ」と促されて、堂内に入る。



 須弥壇の中央には大きな仏像の半身(腹から胸あたり)。残念ながら顔のあたりは紫の垂れ幕(中央を少し絞っている)で隠されている。扁平な印象の胴。胸元で合掌する腕は逞しく太いが、脇手は不釣り合いに細い。ふだんはこの位置に本尊千手観音がいらして、背中合わせに秘仏の千手観音(北向観音)がおいでになる。あとで本堂の裏にまわってみたら「33年に一度、春33日間だけ公開されます。前回は平成17年(2005)でしたので、次は平成50年(2038)になります」旨の説明板が設置されていた。実は、私は2005年にも拝観に来ている(※記事)。そのときはご尊顔も拝しているのだが、よく覚えていない。なお、本堂の裏には念仏堂があって、五劫思惟阿弥陀如来像(江戸時代)がひっそりお祀りされていた。

 10時に本堂が開いた頃から、団体客が到着して、少し境内が賑やかになった。雨も小降りになり、短い商店街を通り抜けて帰る途中、むかし、少し離れた蛇塚を見に行ったことなどを少しずつ思い出した。実は、今回の特別公開は秘仏の「撮影可」だそうで、SNSなどに写真が流れているが、私は「堂内撮影禁止」だと思って撮ってこなかった。代わりに、参道の「お食事処あんちん」の看板が可愛かったので載せておく。



 長くなってしまったので、和歌山県立博物館の『道成寺と日高川』レポートは次回に続く。
コメント

金剛寺の大日如来にお別れ/国宝(京都国立博物館). 第4期

2017-11-20 20:50:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 開館120周年記念 特別展覧会『国宝』(2017年10月3日~11月26日)(第4期:11月14日~11月26日)

 国宝展第4期に行ってきた。これで第1期第2期第3期とあわせて、コンプリートになった。直前までそんな予定はなかったのだが、第4期の見どころとして「清凉寺の十六羅漢図が揃う」と聞いて心が動いた上に、「大日如来坐像は国宝終了後、金剛寺本堂に戻る」と知って、最後にもう一度、見ておきたくなった。今年は夏休みを全く取らなかったので、まだ年末までにあと2日、休暇の権利を有している。そこで急遽、金曜に休みを取って、この秋4回目の京都に向かうことにした。

 京都駅で昼食を済ませて、13:30頃、京博着。相変わらず混雑しているが、待ち時間なしで中に入れた。もはやエレベーターで3階に誘導はせず「お好きな階からどうぞ」と案内していた。確か第1期では使用不可だったエントランス側の階段も使えるようになっていて、運営を柔軟に見直したのはいいことだと思う。今期は3階から見ることにする。

【3階】

・書跡:冒頭に佐理の『詩懐紙』(香川県立ミュージアム)が出ていて、わわ!とテンションが上がる。佐理の若い頃の手跡として唯一のもので、しかも自作の詩というのが慕わしい。第4期は、和様の書を代表する三跡(小野道風、藤原佐理、藤原行成)が勢ぞろいなのだ。道風の『三体白氏詩巻』、行成の『白氏詩巻』を見ながら、ほんとに平安貴族は白居易が好きだなあと思う。法性寺殿・忠通さまの『書状案』は、下書きなので、肩の力を抜いて書いているところがよい。男性的な筆致。かしこまる表現として「死罪死罪」と書くのが中国っぽい。『後鳥羽天皇宸翰御手印置文』は死の直前の手跡だが、法性寺流の影響が色濃いとのこと。私の好みでは、第4期が書跡のベストだった。

・考古:あまり変化なし。第3期はあまりの混雑に辟易してよく見られなかった大きな銅鏡(福岡県糸島市・平原方形周溝墓出土)などをあらためてじっくり見る。

【2階】

・仏画:西大寺の『十二天像』が閻魔天と火天から帝釈天と火天に入れ替え。帝釈天は、マンガのような目つきの白象に乗る。新顔は東博の『孔雀明王像』(平安時代)。解説によると、明王の衣は白と決まっているのに、儀軌を無視して色彩を追求しているのだそうだ。確かに彩色自体を楽しむような華やかさ。特に裙と蓮華座のピンク色がきれい。

・肖像画:神護寺三像をあらためて楽しむ。展示室内では、どうしても人の頭ごしになって全身が見えないが、3階あるいは階段の踊り場から見下ろすと、肖像の足もとまで見ることができる。称名寺・金沢文庫の『金沢貞顕像』『北条実時像』が来ていて、がんばれ東国代表!みたいな気分になった。また、京都・東福寺の『無準師範像』と鎌倉・建長寺の『蘭渓道隆像』の師弟像が並んでいたのも感慨深かった。

・中世絵画:あまり変化なし。左側面は「近世絵画」の分類になっていて、永徳の『花鳥図襖』が松栄の『瀟湘八景図襖』に代わっていた。松栄の作品にも国宝があるんだ、と失礼にも初めて認識した。

・近世絵画:右に応挙の『雪松図屏風』、中央に光琳の『燕子花図屏風』。左は屏風でなく、与謝蕪村の『夜色楼台図』。光琳は百年ぶりの里帰りということで第4期の目玉になっているが、根津美術館で見るとき(室内の照明が暗い)のほうが映える気がした。志野茶碗『卯花墻』はそのまま。

・中国絵画:京都・清凉寺の『十六羅漢像』16幅(北宋時代)が右に1-8尊者、左に9-16尊者。ただし第十六尊者にあたる画幅には「尊者大迦葉」という短冊が付いている。東博の中国絵画の部屋で、何度か数点は見たことがあるが、16幅揃いは記憶にない。個性的だが奇矯すぎない、実在感のある僧侶の姿が描かれている。ただし侍者の姿はかなりあやしい。中央・右寄りには京都・清浄華院の『阿弥陀三尊像』3幅(北宋時代)。おぼろげな舟形光背を有する不思議な図像。そして、中央・左寄りに仁和寺の『孔雀明王像』(北宋時代)を見たときは驚いた。この作品、1月から東博で始まる特別展『仁和寺と御室派のみほとけ』にも出品予定で、私は毎日、楽しみにチラシを眺めていたからである。たけだけしいドヤ顔の孔雀、やや線の細い、肉感的で気品ある明王像。火球のように真っ赤な光背と、青と緑の孔雀の羽根がつくるコントラスト。私の考える「宋代仏画」のど真ん中ストライクみたいな画像である。仏画の部屋の国風『孔雀明王像』と比較すると、中国文化と日本文化の違いまで考えが広がって面白い。

【1階】

・陶磁:第3期と同じ『油滴天目』が出ていたが、今期は特別な通路なし。中国絵画に出ていた『宮女図』と『秋野牧牛図』がこの部屋に移動。『徽宗文集序』はそのまま。どうもこの部屋のコンセプトはよく分からなかった。

・絵巻物:第3期に見られなかった『源氏物語絵巻』(柏木→竹河に入れ替え)と『寝覚物語絵巻』をじっくり見る。『山水屏風』をここに展示するのは奇妙だが、確かに物語がありそうで、画風にも同時代の絵巻物(吉備大臣入唐絵巻とか)との親近性を感じる。平家納経の『分別功徳品第十七』の扉絵の美しさには息を呑んだが、奥書に「左衛門少将平盛国」の署名を見つけて、さらに動揺する(平家クラスタなので)。第3期の『法師功徳品』は清盛の署名だったし。ほんとにありがとう。

・染織:変化なし。

・金工:鎧は日御碕神社の『白糸縅鎧』(鎌倉時代)になっていた。兜には大きな鍬形をつける。

・漆工:あまり変化なしだが、第3期によく見られなかった鶴岡八幡宮の『籬菊(まがきにきく)螺鈿蒔絵硯箱』をあらためて見る。頼朝が後白河法皇から賜り、鶴岡八幡宮に奉納したものだというから、これも何百年ぶりかの里帰りである。

・彫刻:変化なしだが、問題は金剛寺の大日如来坐像と不動明王坐像である。この2躯は、2014年秋に平成知新館がオープンしたときから、1階彫刻展示室の最も目立つ位置にお座りになっていた。以後3年間の間に10回、いや20回近くお目にかかっていると思う。今やあって当たり前の光景になっていたのに、国宝展の第4期に入る頃、突然、京博の公式ツイッターが「『大日如来坐像』(国宝、金剛寺)の平成知新館での展示は「国宝」展期間中のみ!どうぞお見逃しなく!*展覧会終了後は金剛寺の本堂に戻ります」とつぶやき始めた。いやびっくりした! あの大日如来坐像がいない平成知新館なんて、どう想像すればいいのか。今回はあらゆる角度から大日如来を眺めつくした。特に2階の廊下や階段上など、やや高い位置から見下ろすアングルは二度とないものと思ってよく記憶に収めた。これだけ博物館で見慣れた仏像は、かつて奈良博に6年間展示されていた唐招提寺の薬師如来像と双璧ではないかと思う(私の知る限り)。ということは、奈良博で展示されている降三世明王坐像もお帰りになるのだろうか。この秋、最後にもう一度、よく見ておけばよかった。

 3躯がお帰りになったら、きっと河内長野の金剛寺に会いに行こう。博物館に展示されている間の仏像は魂抜き(あるいは御霊抜き)されているはずなので、本来のお寺に戻ったら、あらためて拝みに詣でたいと思う。
コメント

東京国立博物館パスポート終了

2017-11-17 00:14:27 | 日常生活
先日、奈良博の正倉院展に行ったことで、東京国立博物館「パスポート」の特別展観覧の権利を全て使い切ってしまった。これからどうしたらよいか、途方にくれている。



この制度を友人に教えてもらったのは、もうずいぶん前のことだ。東博パスポートは東京・京都・奈良・九州の国立博物館の常設展にいつでも入れて、特別展は6回まで(同じ特別展は各1回)見ることができる。京博と奈良博にもパスポート制度があって、こちらは特別展6回のうち、東京・九州は合わせて2回まで、という制限がある。むかしはどこのパスポートも3,000円だったが、いつの頃からか東博は4,000円になり、京博・奈良博は3,000円と差をつけるようになった。

私は国立博物館の特別展に年6回以上は行くので、だいたい東博と京博または奈良博の2種類のパスポートを、時期をずらしながら購入して常備していた。パスポートを使い始めた頃(20年くらい前?)特別展の料金は1,000円程度で、3回行けば元が取れると考えていたが、気がついたら、最近の特別展は1,500円とか1,600円がふつうである。パスポートは割安すぎると誰かが気づいてしまったのだろうか。

それなら、制度は変えずに値上げだけしてくれればよかったのに、と思う。いよいよパスポートが切れてしまったので(常設展には有効)新しい優待制度を調べ始めたのだが、悩みは深まるばかりである。

とりあえず、東博の「メンバーズプレミアムパス」(5,000円)かなあ。 国立博物館4館の平常展無料+東博の特別展観覧券4枚だという。えええ、東博だけ? 京博は国立博物館4館が平常展無料の「国立博物館メンバーズパス」(2,000円)のみで、特別展にはこれといった優待制度がない(超プレミアム版はある)。奈良博は「奈良博プレミアムカード」(5,000円)という新制度ができ、有効期間内(1年間)の特別展を各2回まで無料で観覧できるという。来年度の特別展の企画次第では、これが意外とお得かもしれない…と思っている。

私がパスポートを常用していて、割引優待以上にありがたかったのは、チケット購入が不要で、時間の節約になったことだ。だから「団体料金を適用」なんて制度は、どこが嬉しいのか分からない。もっとも今後、オンラインチケットが当たり前になれば、チケット購入の手間は軽減されると思っている。
コメント (1)