見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

若冲ファン必携/雑誌・芸術新潮「オールアバウト若冲」

2015-04-27 22:55:32 | 読んだもの(書籍)
○雑誌『芸術新潮』2015年4月号「祝!生誕300年大特集・オールアバウト若冲」 新潮社 2015.4

 もう次の号が出ている状態でいまさらなのだが、やっぱり書いておこうと思う。伊藤若冲生誕300年を期しての特集号。考えてみると、芸術新潮が若冲を正面切って取り上げるのは初めてじゃないかと思う。少なくとも、この10年くらいの間では。表紙は、サントリー美術館で公開中の『象と鯨図屏風』(MIHOミュージアム)から白象の部分で、さわやかモノトーン(アクセントにターコイズブルー)でまとめている。

 ところがまあ、中を開けると濃い。しばらく『動植綵絵』の局所拡大図(絹本の目がはっきり見えるくらいの)が続く。ニワトリの頭部、梅と月、白いオウム、雪の中の小禽。妥協のない技、豪奢の極み、緊張感の連続は、満漢全席の趣きである。特に、今まであまり感銘を受けたことのなかった「梅と月」(梅花皓月図)は拡大図を見て、ものすごく感銘を受けた。闇に溶け込むように輪郭線だけで描かれた蕾と花びら。蕾の薄皮が割れる瞬間にだけ、輝く純白の花びらが覗いている。咲きこぼれる梅花は、黄色の雄蕊の中に青(ターコイズブルー)が散らされている。必ず五本あるところを見ると萼(がく)なのかな? この配色の美しさ。

 それから『紅葉小禽図』は、リアルなようで「紅葉の向きが全て同じ」という装飾的な絵空事(琳派みたいだ)の空間で、裏彩色の技法によって、1枚1枚の色調に変化をもたせている。しかし1枚だけ「裏彩色を用いていない」紅葉があり、それが枝を離れて宙を舞う1枚だけの紅葉という凝りよう。特殊な墨色の肌裏紙を入れることで成り立っている『紫陽花双鶏図』に一般的な生成り色の仮裏を入れると印象が一変してしまうなど、『動植綵絵』の秘密が徹底的に解き明かされていて面白い。語り手は、三の丸尚蔵館の太田彩さんとMIHO MUSEUMの辻邦雄館長。

 格調高い名品『乗興舟』が縮小サイズながら全編収録されているのも嬉しい。国文学の池澤一郎先生が解説をつけているが、これは江戸の漢詩文趣味が分からないと、鑑賞できたことにならないだろうなあ。忘れてならない若冲の墨絵については、小林忠先生が楽しそうに語っている。ということで、若冲ファンなら、必ず買っておきたい1冊。

 あと既読の『かわいい仏像 たのしい地獄絵』が紹介されていたのも嬉しく、泉屋博古館で開催中の小川千甕展は、記事を読んで、ぜひ見に行こうと思った。
コメント

新生活・約1か月

2015-04-26 18:13:07 | 日常生活
本日、ようやくブロードバンド開通。これで携帯電話のデータ使用量の警告を気にしなくて済む。

4月は意外な寒さに遭って、風邪を引いてしまったが、だいたいよくなった。



週末、千葉に行ったら、藤が咲いていた。そうだなあ、この時期の花といえば、ツツジと花だったなあ、としみじみ。でも今年はライラックは見られないんだな、たぶん。
コメント

ハチと西郷さん/いぬ・犬・イヌ(松濤美術館)

2015-04-22 21:33:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○渋谷区立松濤美術館 『人間の最も忠実なる友・人間の最も古くからの友 いぬ・犬・イヌ』展(2015年4月7日~5月24日)

 「人間の最良の友」と称され、最も人に親しまれてる動物、イヌにちなんだ作品を集めた展覧会。ちょうど名古屋市美術館では『いつだって猫展』(2015年4月29日~5月10日)を開催中だという。私は動物としては「イヌ派」だが、美術作品としては、猫のほうが面白いし、人気が集まるんじゃないかと思っていた。

 しかし犬展もなかなか面白かった。冒頭には犬形の埴輪が2件。なるほど、犬と日本人のつきあいは古墳時代に遡るのだな。一方、猫は、経典などの書物をネズミから守るため、中国から輸入されたと解説にあった。それからしばらくは、犬のいる風俗画や人物画(近世~近代)が並ぶ。犬追物図屏風のような例外を除いて、犬は添え物。狩野芳崖の『毛利鏻姫(れいひめ)像』は以前、府中美術館で見たもので、嬉しかった。赤い着物のお姫様に横抱きにされた狆(襟巻に巻かれている?)が、見る者に正面顔を向けている。森田曠平の『渡来図』は、渦巻き状に尾を巻いた洋犬が南蛮人の足元に見える。

 可愛い仔犬を、脇役ではなく主題とした絵画も。宗達、応挙。やっぱり私は蘆雪の仔犬が好きだ。『降雪狗児図』(阪急文化財団)は、日本画にはめずらしい厚塗り感のある色彩。黒っぽい背景(わずかに雪がちらつく)に、ふかふかの白い仔犬(少しピンクがかって見える)が座っている。その前には、背中を向けた黒犬(背中と足と尻尾の先が白い)。蘆雪独特の、斜めに姿勢を崩した座り方だ。なんだか、絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」を思い出す。そして、白犬の表情の優しさは、あの名作絵本以上に微笑ましい。この絵が見られて、よかった!(4/26まで)

 上の階の第二展示室は、さらに「犬」を大きく描いた絵画・彫刻が揃っていて、ちょっと笑ってしまった。江戸時代に洋犬を描いた作品ってこんなに多いのか。パンダ並みの珍獣だったんだろうなあ。奥の小部屋では「有名なイヌたち」の小特集。そうか、渋谷といえばハチ公だから松濤美術館で犬展を企画したのか、ということにようやく気づく。ハチ公は美術館のすぐ近くに住んでいたそうだ。それから、犬を連れた西郷隆盛の肖像もいくつかあった。巧いと思えないが、色彩鮮やかで不思議な魅力のある作品は、床次正精の作品だった。軍服姿の西郷の前に黒っぽい犬が座っている。ほかの西郷の肖像2点は白と黒の二匹の犬を連れていた。

 質素な生活を旨としたを西郷が、犬にだけは目がなかったこと、愛犬の名前が「ツン」であったことは、この展覧会の図録で読んだので、書き留めておこう。
コメント

はじめて見る明治の美術/ダブル・インパクト(東京藝術大学大学美術館)

2015-04-21 22:40:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京藝術大学大学美術館 ボストン美術館×東京藝術大学『ダブル・インパクト 明治ニッポンの美』(2015年4月4日~5月17日)

 明治の美術は大好きなので、たぶん面白い展覧会だろうと思っていたら、予想以上に面白かった。黒船来航から近代国家成立までのおよそ半世紀を、東京藝術大学と米国ボストン美術館のコレクションから、絵画、工芸、写真等でふりかえるというのが基本コンセプトである。黒船来航が1853(嘉永6)年。歴史イベントでいうと、日露戦争の勝利が1904(明治37)年。その間、わずか50年の多事多端にあらためて驚く。西洋文明は日本に大きな「衝撃」を与えたが、西洋にとっても日本の美術や工芸との出会いは「衝撃」だった。本展は、両者が受けた影響「ダブル・インパクト」を並行的に紹介する。会場内には、異人のベティさんと大工の源さんというキャラが登場し、掛け合いのセリフで分かりやすく観客を案内する。

 プロローグの「黒船が来た!」のセクションから、なんだか見たことのない錦絵が並んでいた。黒船来航を蒙古襲来(元寇)に見立てて描いた、河鍋暁斎の『蒙古賊船退治之図』と歌川芳虎の『蒙古賊舟退治之図』。どちらもボストン美術館の所蔵品だ。日本国内にはあまり残っていない作品なのだろうか。いや今の日本人がこういう旧弊で排外的な作品を好まないから、展覧会に出ないのかも知れない。黒船来航を契機に、すばやく西洋文明の摂取に乗り出した賢い日本、というストーリーに魅せられているから。しかし絵画としては、劇画チックな表現がとても面白い作品である。

 高橋由一『花魁』など、藝大コレクションとしておなじみの明治の美術もあるが、なんだこれは!と驚く作品も多い。特に工芸。鈴木長吉(嘉幸)の金属製の水晶置物は、逆巻く水流(見え隠れする龍の姿)が大きな水晶の玉を持ち上げている。造形の激しい躍動感と冷え冷えした金属(銀メッキ?)の触感がクール。水晶には会場の風景が逆さに映っていた。作者不詳の小品『半諾迦尊者(はんだかそんじゃ)蒔絵置物』もよかったなあ。小さな鉢の中から天に上ろうとする龍。気品と動きのある尊者の表情もよい。

 龍といえば、高石重義の『竜自在』。笑った。全長2メートル近いバケモノである。金属製の支柱で整形して、カッコよく展示してあったが、あの支柱がないと、くたっと寝てしまうのかなあ。柴田是真の『野菜涅槃図蒔絵盆』は、やっぱり若冲に触発されているか、それとも、わりと一般的な発想だったのだろうか。旭玉山の人体骨格は象牙製で、リカちゃん人形くらいの大きさ。玉山は、医師の松本順に依頼されたのをきっかけに、東校(東大医学部の前身)で人体骨格を学んだという。いかにも明治という時代らしいエピソードだ。展示用の(?)椅子が付属しているのが面白い。図録では、いろいろなポーズを取っている。(制作者、遊んでるだろw)

 絵画では、河鍋暁斎の『地獄太夫』がボストンから来ていて嬉しかった。福神と宝物模様の打掛けを着た地獄太夫の傍らで、骸骨が三味線を弾き、坊主(一休和尚)が浮かれている。

 前半を見終わって、地階の第二会場へ。「西洋美術の手習い」と「日本美術の創造」と題して、本格的な美術作品が多数。ボストン美術館からお目見えの橋本雅邦『雪景山水図』、木村立嶽(知らない画家だった)『嶽間望月図』など、うわーこんな作品があったのか、と驚き、胸が高鳴る。小林永濯の『道真天拝山祈祷の図』は久しぶりだ。同じ画家の『七福神』は布袋さんの太腿の肉付きが注目ポイント。これは、昨年、古本市で買った『芸術新潮』1994年3月号で見たのだったかしら。そして、岡倉天心先生登場。その弟子、横山大観や下村観山の作品もよかった。ボストン美術館の日本美術コレクション、あらためて、すごいわ!

 と、私がこのあたりでうろうろしていたときであった。数人の男女の集団がすっと入ってきて、迷わずお目当ての作品の前に行って、小声で何か話していた。輪の中心にいらっしゃるのは山下裕二先生! 実は、展覧会会場に入るとき、すれちがいに一人で出て行かれる山下先生をお見かけしたのである。何かの所用で戻っていらっしゃったとのか、と思ったら、山下先生の解説を熱心に聞いている背の高い男性が、井浦新さんであるのに気がついた。えええ!! 周りにも何人か気づいている人がいて「日曜美術館の…」とささやいていたが、みんな大人なので、静かに見守っていた。ああ、びっくりした。

 最後の展示室には、日清・日露戦争を描いた戦争錦絵、明治天皇の肖像などが登場する。異彩を放つのは、竹内久一が制作した『神武天皇立像』。これは藝大の所蔵品だが、見たことあるだろうか。とにかく巨大なのだ。顔立ちは明治天皇の御真影をもとにしたといい、確かに似ている。そのため、こう言っては悪いが、あまり神々しさを感じない。大きいだけが取り柄のようにも思える。

 帰りに陳列館で『保存修復彫刻研究室研究報告発表展』(2015年4月15日~4月19日)も見て来た。古い仏像や文化財を愛する私には、頭の下がる教育研究活動である。
コメント

ある家族の物語/映画・唐山大地震

2015-04-20 00:33:57 | 見たもの(Webサイト・TV)
○馮小剛(フォン・シャオガン)監督『唐山大地震』(土浦セントラルシネマ)

 見たかった映画をようやく見ることができた。映画は、1976年、中国河北省唐山市で起きた大地震を題材に、ある家族の別れと再会(再生)を描く。2008年の四川大地震もエピソードに取り入れられている。中国では2010年に公開され、興行収入が歴代1位となるヒットを記録した。翌年、日本でも封切られるはずだったが、2011年3月11日、東日本大震災の発生。ああ、これは当分公開延期になっても仕方ないなと感じた。

 驚いたのは、まさに当日、天井の崩落で死者を出した九段会館では、この映画の試写会が行われる予定だったという事実だ。このことに触れた報道は少なかったし、私もずいぶん後になって知った。たぶん「エキサイトレビュー」のとみさわ昭仁氏の記事(2011/3/16)を読んで知ったのではないかと思う。それから4年間、ぜったいこの映画は見なければならないと思い続けてきた。

 この春、ようやく念願がかなった。主人公は、1976年の中国に暮らす四人家族。方大強(ファン・ダーチアン)と李元妮(リー・ユェンニー)の若夫婦には、姉の登(ドン)と弟の達(ダー)という幼い双子がいた。7月28日、一帯を襲った大地震によって、家族の幸福は引き裂かれてしまう。妻をかばって命を落とした夫。瓦礫の下に埋まった姉弟のどちらかしか助けられないと迫られて「弟」を選んだ母。命は助かったが、片腕を失った達(ダー)。死体置場で息を吹き返したものの、母や弟とはぐれ、新しい養父母に引き取られることになった登(ドン)。

 大地震のスペクタクルな映像はよく出来ている。命を根こそぎ薙ぎ倒す、容赦のない暴力的な描写だ。これは確かに東日本大震災をリアルに経験した直後に観るのはつらいな、と思った。しかし、この映画の見どころは、むしろ地震のあとの長い長い時の経過の描き方である。

 中国の社会そのものが大きく変わっていく時代だった。1976年9月9日(唐山大地震から1ヶ月半だ)毛沢東死去。映画にはあまり描かれていなかったけど、四人組の逮捕、裁判、そして、改革開放の80年代が始まる。息子を育てながら働く母親が、工場をリストラされて仕立て屋の個人商店を始めるのも、そんな社会背景があるのだろう。彼女が、大学くらい出なければ嫁の来手がないと言って、必死で息子を勉強させようとするのも。

 若い世代はもっと自由だ。達(ダー)はハンデキャップをものともせず、商売に成功して、故郷に戻ってくる。母親に新しい家を買おうとするが、母親は頑なに引っ越しを受け入れない。夫と娘(の霊魂)が戻ってこられなくなってしまう、というのだ。毎年、お盆(だと思う)には紙銭を燃やしながら、あなたたちの戻ってくる家は、……だよ、と語りかけ続けてきた母親。ふと、論語の「いますが如くす」という一節を思い出した。死者は、どこか遠い天国にいるのではなくて、すぐ近くにいて、ときどき帰ってくる。だから生きる者の「場所」はとても大切なのだ。生きる者の都合だけで、死者の記憶の残る「場所(家)」を変えるわけにはいかない。たぶんこの感覚は、ある年代以上の日本人にも共感されるのではないかと思う。

 若い世代は場所にとらわれず、必死に生きる。登(ドン)は養父母のもとを出て、杭州(たぶん)の大学で医学を学ぶ。恋をして妊娠するが、中絶を望む恋人と別れ、未婚の母となる。のちに外国人の夫を得て、娘を連れてカナダに移住する。2008年、四川大地震が起きる。達(ダー)は救援物資を持って、登(ドン)は医療技術を役立てようと「唐山救援隊」に参加し、姉弟は32年ぶりの再会を果たす。未曾有の大災害が、引き裂かれた家族を再び引き合わせる。ただし「再会」の直接的な描写を避けているところは面白いし、好感が持てた。どう描いてもウソっぽいものな。

 映画は、弟が姉を母親に引き合わせるところがクライマックスである。二人は抑えきれない感情をぶつけあう。母親が「謝らなければ」と膝をついたものの、娘を責める言葉がほとばしり出てしまう。それから、母と娘は家族の写真を見せ合い、それぞれが過ごしてきた年月の幸福と不幸を語り合う。「対不起(ごめんなさい)」という普通の言葉が、いかにも重たく、感動的に耳に残る。長い歳月の中で、憎み合ったり許したりしながら生きていく人間を描くのは中国映画の得意とするところで、やっぱり面白い。そして、あの東日本大震災から4年というのは、日本人がこの映画を見るには、ちょうどよい頃合かもしれない(被災の記憶を背負って生きていく人々の長い人生を考えるためにも)とも思った。
コメント

趣味と仕事/見仏記:メディアミックス編(いとうせいこう、みうらじゅん)

2015-04-19 01:07:29 | 読んだもの(書籍)
○いとうせいこう、みうらじゅん『見仏記:メディアミックス編』 角川書店 2015.3

 かれこれ20年以上続いているという「見仏記」シリーズ。私は単行本から入り、今でも主に活字を追いかけている。『TV見仏記』→『新TV見仏記』(関西テレビ放送→京都チャンネル)は、旅先でたまたま見たことがあるくらいで縁がないが、最近は、寺院のご開帳や仏像関係の展覧会でレポーターやプレゼンターをつとめるなど、見仏コンビのメディアミックス的活躍ぶりは、認識していた。もしかすると若い世代では、活字より映像から「見仏記」ワールドに入ったファンのほうが多いのではないかとも思う。

 本書には、近畿・中国地方の12編の見仏エッセイが収められているが、その一部は『新TV見仏記』ロケの裏側を描いたもの。見仏コンビの両名以外に、多数のクルーが同行していて、昼食のメニューやスケジュールに気をつかっている。このスタイルで訪ねたのは、滋賀の石道寺、医王寺、菅山寺、高月観音の里歴史民俗資料館。兵庫の神積寺、随願寺、斑鳩寺、円教寺、弥勒寺。奈良の世尊寺、桜本坊、大日寺、金峯山寺、室生寺、壺坂寺、当麻寺。京都の東寺。また奈良の新薬師寺、福智院、五劫院、東大寺。やっぱり有名どころが多く、私も大半は行ったことのある寺院だ。

 それにしても二人とも仏像を語る言葉が老成してきたような気がする。相変わらずくだらない会話もしているのだが、仏像を前にしたとたん、時代や特徴、様式など、ツボを外さないコメントが出る。室生寺の弥勒堂で「すべての女性が幸せになりますように」と祈っていたみうらさんとか、金峯山寺の柱がさまざまな木材を使っていると聞いて「御堂が森ってことなんだ!」と叫ぶいとうさんとか、なかなか感動的だ。たぶんテレビ放送だと恥ずかしいが、こういうのは文章のほうが伝わる。

 みうらさんのスケッチもよい。赤後寺の千手観音像の図、ステキだ。金峯山寺の蔵王権現の図もいいし、室生寺の美仏(私の大好きな)釈迦如来を描いてくれているのも嬉しかった。円教寺の執事長から、帰り際に「うちになんて来てくれんやろな、と思てましたよ」と言われて恐縮したことが書かれていたが、古い読者としては可笑しいやら、びっくりするやら。

 さて、上記とへ別に、二人きりの見物の旅も収録されている。目的地は広島。福山の鞆の浦と尾道。ロケと違って、綿密な下調べやアポイントを取ってくれるスタッフもいないので、ほとんど行き当たりばったり。ところが、いろいろな幸運が重なって、「今日はお休み」の仏像を拝観させていただいたり、予定外のお寺に導かれたり。個人的には、こういう「予定外」の連続で、終わってみたら、なんとなく「幸運」ばかりだった、というような見仏旅のほうが好きだ。そういえば、鞆の浦は対潮楼しか見ていないし、尾道の寺めぐりはしたことがないなあ。今度行ってみたくなった。

 奈良ロケのあとに二人で寄った奈良国立博物館の醍醐寺展も収録。もはや仕事と趣味の境目が定かでないのは、幸せな生き方だなあ。そして、見仏界の「次世代」の動きに戸惑い始めた初老の見仏コンビであった。
コメント

知性をめぐる、さまざまな考察/日本の反知性主義(内田樹編)

2015-04-16 22:12:18 | 読んだもの(書籍)
○内田樹編『日本の反知性主義』 晶文社 2015.3

 集団的自衛権の行使容認、学校教育法の改定など「あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導くはずのこれらの政策に国民の40%以上が今でも『支持』を与えて」いるのは何故か。国民の知性が総体として不調になっているのではないか、という認識が、本書の出発点にある。先行する類似の研究に、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』(みすず書房、2003)という文献があることは、本書を媒介に初めて知った。しかし、内田氏が述べているように、アメリカ人の国民感情の底に伏流する反知性主義と、現代日本の反知性主義は「かなり異質なもののような気が」私もする。

 それはさておき、現代日本の反知性主義・反教養主義について考えようという共同研究の誘いに賛同し、白井聡、高橋源一郎、赤坂真理、平川克美、小田嶋隆、名越康文、想田和弘、仲野徹、鷲田清一の9名による、視点もスタイルもさまざまな寄稿によって成り立ったのが本書である。ただし「(日本の)反知性主義」の特徴や来歴を詳しく解説しているのは、冒頭の内田氏と次の白井聡氏くらいだ。反知性主義者について語っても、彼らがそれを読むとは思えないので、虚しいところがあるのは否めない。

 むしろ面白かったのは、寄稿者たちが考える「知性とは何か」という答えの豊かなバラエティである。内田樹氏は、カール・ポパーを引いて説く。個人がいかほど知性的であろうと念じても、人は知性的であることはできない、知性は「社会的あるいは公共的」なかたちでしか構築されない。しかしまた、同時代に多くの賛同者を得たというだけでは「社会的・公共的」であると言うことができない。未来の読者たちとの協働の営みを想像する頭脳の働きこそが知性であり、「時間の中でその真理性がしだいに熟してゆくような言明」を「知性的」と呼びたい。ここでは、歴史の中におのれを位置づける想像力が、知性と深く関わりづけられている。

 一方、高橋源一郎氏は、鶴見俊輔が小学生の息子に「自殺をしてもいいのか?」と聞かれて、「二つの場合にはしてもいい」と即答し、戦争に引き出されて敵を殺せと命じられたとき、それから、女を強姦したくなったとき、と答えたというエピソードを引いて、回答の「速さ」に瞠目する。どうして、こんなに速く答えられるのか。それは、鶴見が「どこかにある正しい回答」を探すのではなく、自分の身心を一種の「メートル原器」にしているからだ、と解説する(ここで鶴見の学んだ「プラグマティズム」が、アメリカで南北戦争の惨禍を背景に生まれた、という注釈が入る)。この世界には「深さ」よりも「速さ」を必要とする問題もある。そして(誰もついてこられないような)思考の「速さ」は、必然的にその人を「孤立」に追いやる。

 内田氏と高橋氏の「知性」の定義は、一見正反対のようにも見えるが、どちらも確実に「知性」の一面を抉っていると思う。また、名越康文氏は内田樹氏との対談で、実体験を踏まえて語る。33歳くらいになって、自分には圧倒的に知性が欠けていると気づき、猛然と読書を始めたこと。教養主義や知性主義は「みんな知っていることを俺だけ知らない」という焦燥感から発動するが、その焦燥感が訪れる時期は人によって異なり、高校生だったり、大学生だったり、30過ぎてからだったりする。それは「負けず嫌い」ではない。競争とは違う渇望状態。そして、知らないことを学ぼうとすると、なんとなく健康状態がよくなる。知識を獲得すると「いいこと」があるわけではなく、獲得したいなあと思うだけで心身の調子がよくなる。「初恋の感覚に近いかもしれない」という表現に微笑みながら共感した。

 映画監督の想田和弘氏は、「台本至上主義」がいかに反知性的かを語り、知性とは、到達した地点にしがみつくことなく、いつでも捨て去る勇気を持つことだと説く。作り上げては壊し、作り上げては壊していく不断の運動の中にしか知性は宿らない。いい言葉だ。鷲田清一氏は、知性とは、それを身につければ世界がよりクリアに見えてくるというものではなく、むしろ世界を理解する補助線あるいは参照軸が増すことで、世界の理解はますます複雑になるという。複雑さに堪えきれる耐性を身につけていることが「知性的」であるという意味なのだ。こうして並べていくと「知性的」であることは、しんどい、面倒くさいことばかりである。目に見える利得はあんまりない。それでも多くの人間は、知性に「恋をする」ように作られていたと思うのだけど、そこが不調になっているのは何故なのかなあ。

 ちょっと異色だったのは仲野徹氏の論考。生命科学の研究者である著者は、高度な研究機器の開発、インフラ整備、情報や知識の膨大化によって、科学研究における知性的な活動が著しく低下してきたと語る。薄々そうではないかと思っていたことが、現場の研究者の発言で裏付けられて、やっぱり、という感じだった。多くの実験がキット化されることで、原理が分かってなくても実験ができてしまう。ビッグデータの網羅的な解析が可能になると、研究は、考え抜いてピンポイントで釣り糸をたらす一本釣りでなく、ごそっと底引き網で獲っていくトロール漁業化する。そんな研究は面白くないが、やらねば競争に負けてしまうので、やらざるをえない。ううむ…。論文を一流雑誌に掲載するために必要なデータ量は、20~30年前の4~5倍になり、その分、論文執筆の機会(深く考える機会)が減っている。

 それから、データベースにキーワードを打ち込むと、膨大な参考文献がリストアップされるので、片っ端から読んでいく。「この便利さが、知性の平板化とでも呼ぶべき状態を引き起こしているような気がしてならない。」「かつて、文献情報というのは、経験的に身につけるにしても参考文献をたどるにしても、時系列的に、ある程度の歴史的経緯を伴いつつ、個人の中に蓄積されていくものであった。いわば進化を逆にたどるようなものであるから、意識せずとも、研究のおおきな流れや重要な分岐点が立体的に刻まれていった。そして暗黙知が形成されていった。」「しかし、すでに存在する情報を学ぶ、というのと、時系列をおいながら情報を獲得していくのとは相当に違う。」「フラットな検索は、結果として、ところどころ穴のあいたパッチワークのような知識構築になりかねない。」

 このあたり(自分自身が研究者ではなくて)研究支援とか研究者教育にかかわっている人には、ぜひ一読してほしいと思う。不便な昔に戻ればいいという問題ではなく、「便利さ」を知性の平板化に落ち込まないように使いこなしていくにはどうしたらよいのか、重要な課題である。
コメント

理想の身体/インドの仏(東京国立博物館)

2015-04-13 22:26:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・表慶館 特別展『コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』(2015年3月17日~5月17日)

 何も予習をせずに出かけたので、「コルカタ」というのが「カルカッタ市」のことであるというのを、さっきまで知らなかった。Wikiによれば「かつては英語圏では英語化された音でカルカッタ (Calcutta) と呼ばれた。(略)コルカタと言う呼称は現地の言葉であるベンガル語での呼称で、カルカッタにあたる発音とは無縁であった。2001年には正式にコルカタに変えられたが、世界では英語綴りがまだ使われている」そうだ。世界はどんどん変わっていく。

 本展では、コルカタのインド博物館が所蔵する仏教美術の優品によって、インド仏教美術のあけぼのから1000年を超える繁栄の様子をたどる。紀元前2世紀(釈迦の誕生以前)に始まり、マトゥラーとガンダーラで仏像が生まれ(1世紀頃)、土着の信仰を取り込んだ多様な尊格が生まれ、9~10世紀頃には密教が興盛する。実は「マトゥラー仏」「ガンダーラ仏」といい、「クシャーン朝」「グプタ朝」といっても、東アジアの歴史ほど、きちんと頭に入っていないので、あらためて時代を確認しながら見ていく。

 会場の冒頭には、時代順を無視して、5世紀の仏立像(グプタ朝、サールナート)。身体に密着した薄い衣、温もりを感じさせる茶色い砂岩。マトゥラー仏かな?と思ったが、マトゥラーでは身体に密着した衣に波紋状の襞を彫り出すのに対し、無紋とするのはサールナート仏の特徴だそうだ。広い額。弓形の眉。やや厚い唇。簡潔な中に、気品と精神性が表現されている。この展覧会でも随一の優品。

 古い本生譚や仏伝図に基づく浮彫りや彫刻を見て行くと、その文学的な想像力の豊かさに引き込まれる。それから、釈迦も神々も本当に美しい肉体をしている。痩せ過ぎず、太り過ぎず、過剰な筋肉を誇ることもない。理想の精神を可視化するには、こういう身体が必要と考えられていたのは重要なことだと思う。

 マトゥラー仏の典型だという仏坐像は、ほがらかで若々しく、みずみずしい姿をしている。脇侍も天女も、台座の下の供養人(?)も、顔いっぱいに笑みを浮かべ、何か話しかけたそうにこちらを見ている。一方、クシャーン朝の弥勒菩薩坐像は、ガンダーラ風の黒っぽい片岩に彫られている。立派な口髭をたくわえ、腹の弛みがリアル。長髪を複雑に結い上げ、厚い胸に装飾品を垂らす。富も教養も備えた中年男の色気が漂う。

 このへんまで、インドの仏像はやっぱり違うなあ、という印象だったが、密教仏のセクションに入ると、急に親しみが増す。日本の観音や文殊とは似ても似つかない姿(女性のように胸が大きかったり、腰高で脚が長かったり)なのだが、それでもやっぱり似ている。日本の仏像のルーツはここにあるという感じがした。

 カッコいいなあと思ったのは摩利支天像。四面八臂。正面から見える顔は三面で、向かって右はイノシシの顔である。摩利支天は陽炎を神格化したもので、太陽の前にあり姿を見ることができないという。急に『風林火山』の山本勘助が摩利支天を信仰していたこと、主君の武田信玄を日輪に譬えていたことを思い出してしまった(2007年の大河ドラマの話)。

 めったに使わない音声ガイドを借りたのは、「インド仏像大使」みうらじゅん&いとうせいこうのトークが聴きたかったから。言いたい放題のことを言っているようで、解説の急所は外していない。さすがの見仏コンビ。しかし、オリジナルグッズを楽しみに行ったのに「ロータス・ピローカバー」は品切れ(追加生産待ち)だった。

※参考:「諸説オッケー」で楽しもう 「インドの仏」展 みうらじゅんさん&いとうせいこうさんと巡る(日経新聞 2015/3/20)

 あとは恒例『博物館でお花見を』(2015年3月17日~4月12日)に注意しながら常設展示を見る。庭園開放は4月19日までだが、花は梢の先を除き、ほとんど残っていなかった。親と子のギャラリー『美術のくにの象めぐり』(2015年4月7日~5月17日)はインドの仏に合わせたのだろうか。それともサントリー美術館で公開中の伊藤若冲『象と鯨図屏風』に合わせた?
コメント

もふもふ、ちくちく/動物絵画の250年(府中市美術館)

2015-04-12 22:46:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
府中市美術館 企画展・春の江戸絵画まつり『動物絵画の250年』(2015年3月7日~年5月6日)

 恒例「春の江戸絵画まつり」には、毎年かかさず通っている。今年は出遅れたので、府中の桜並木の見ごろを逃してしまった。それと4月7日から後期に入ってしまったので、展示作品の半分を見逃してしまった。残念。

 同館では、2007年にも『動物絵画の100年』という展覧会を開いている。このときは、1751年から1850年、日本の「近世」の確立期であると同時に、雪崩を打つように、あわただしい「近代」に突入する直前の100年にフォーカスを絞っていた。今回は、より広汎に江戸の動物絵画を紹介する。中心はやはり江戸後期だが、例外的に鎌倉時代や南北朝時代の仏画も出品されていた。それから、取り上げられている絵師や作品が非常に多彩、多種多様で、私の知らないものが多かった。

 いちばん楽しかったのは「虎図」コレクションである。片山陽谷の『竹虎図屏風』に描かれた三匹の虎。黒と赤茶色の縞模様の毛皮の上を白い繊毛がびっしり覆っており、遠目には粉を吹いたような、霜が下りたような、あるいは発光しているような、不思議な姿をしている。解説に「昨今、愛らしい虎をもふもふと形容するが、これはちくちくだろう」とあった。そうかな。意外と柔らかい毛で、手触りはすべすべなんじゃないかと思う。それから、絵の中の虎が前足を交差させるポーズは、中国絵画に由来する伝統的なもので、前足を八の字に突っ張った立ち方(応挙などが描いている)は斬新だったという。面白い。それにしても、溶けてバターになりそうなふにゃふにゃした虎が多いなあ。国芳描く『豊干と虎』の虎は、円筒形の抱き枕みたいだ。

 初見で気に入ったのは、土方稲嶺『群鶴図』、黒田稲皐『群鯉図』。どちらも鳥取藩ゆかりの絵師。覚えておこう。建部凌岱(国文学史では建部綾足の名前で知られる)の『海錯図屏風』は、海の動物たちを墨画と淡彩で大きく描いた六曲一双の押絵貼屏風。若冲の『蔬菜図押絵貼屏風』の海産物版である。エイの顔やヒラメ(?)の裏側や真上から見たアンコウなど、着眼点がユニークで楽しい。稲葉弘通の『鶴図』も実に変な絵。こんな絵を描く絵師がいたこともびっくりだが、それを大事に伝えてきた鑑賞家の懐の深さがありがたい。

 斎藤秋圃の『雪中梅樹猿鹿図』は、睦まじい二匹の猿と一頭の鹿を童話的に描く。解説に「思わずメリークリスマスと言いたくなる」というのが、微笑ましかった。大笑いしたのは三浦樗良(この人も文学史で習った)の『双鹿図』。今は懐かしいゆるキャラ、地デジカを思い出してしまった。

 以下はおなじみの絵師たち。鍬形斎の『鳥獣略式』は可愛い! 近代の摺りを使って、たくさん展示してあって嬉しかった。てか、もっと見たい。全部欲しい。復刻本はないのかしら。個人的には蘆雪の動物画がとても好き。やんちゃな仔犬は、応挙の仔犬より愛おしい。グライダーのような鶴も好き。『捕鯨図』は、左下に鯨の巨体(目がある)の一部を、右上に銛を構えた漁師を描く。実際にこのとおりの構図を目にすることはできないと思うが、考えられたトリミングが斬新。

 国芳も若冲もよい作品が見られた。あと冷泉為恭の『五位鷺図』は前期出品で、図録で発見したのだが、愛らしくてほのぼのしたので、ここに書き留めておく。
コメント

新しい読者のために/私家本 椿説弓張月(平岩弓枝)

2015-04-11 22:21:29 | 読んだもの(書籍)
○平岩弓枝『私家本 椿説弓張月』 新潮社 2014.9

 昨年(2014年)秋、札幌の書店で見つけて、へえこんな本が出ていたんだ、と思って買ってしまった。平岩弓枝さんと言えば(私はあまり読んでいないが)江戸を舞台にした時代小説の第一人者。だが、それだけにとどまらず、「南総里見八犬伝」とか「西遊記」など、古典的な伝奇小説の語り直しに取り込んでいることは知っていたが、私の大好きな「椿説弓張月」に筆を染めていらしたとは。本書の注記によれば、雑誌「小説新潮」2012年12月号から2014年4月号まで連載されたという、最新の作品だ。

 私は小学生の頃、家にあった「少年少女世界文学全集」(完全揃いではなかった)に、たまたま「椿説弓張月」を載せた巻があって、いつの時代の話なのか、「琉球」や「伊豆大島」がどこにあるのかもよく分からないまま、何度も繰り返し読んだ。日本のようで日本らしくない、ファンタジー感がとても好きだった。

 それを、久しぶりにどうしても再読したくなったのは、2012年の大河ドラマ『平清盛』に影響されて、橋本治の『双調 平家物語』を読んだためで、このときは『全訳 鎮西八郎為朝外傳 椿説弓張月』(言海書房、2012)というのを探し当てて読んだ。これは、原作をかなり忠実に訳したものと思われ、馬琴らしさというか、近世の小説らしさがよく分かって、ありがたいものだった。

 それに比べると、本書は登場人物の性格や行動が、現代読者にも飲み込みやすいよう、いくぶん「まろやか」になっている感じがする。基本的な物語の骨格に変更はない。本州および伊豆大島を舞台とする物語と琉球の物語の順序を、一部入れ替えているかな?と思ったところがあるが、あまり自信がない。私の記憶違いかもしれない。

 最後はどうするのだろう、と思って読んでいったら、やっぱり原作どおり、崇徳院の白峯陵で自害する姿が見かけられて終わる。ただし、このときの為朝はすでに霊魂のような存在で、翌日には、かき消すように見えなくなり、人々は狐狸のいたずらかもしれないと噂し合ったことになっている。しかし、このラストシーンの感動は原作(全訳)のほうが強い。現代人の感覚ではとうてい理解できない主従の強い絆、保元の乱での一期一会を、命尽きるまで持ち続けるという武士の倫理は、馬琴の描く小説世界ではまだリアルだが、現代風味を加えた本書では、ちょっとそぐわない。あと、大怨霊となった崇徳院がなお為朝を愛しむという関係性も、あまり訴えてこない。

 それでも原作が日本文学史上でも指折りの傑作小説であることは確か。本書によって新しい読者が増えてくれたら嬉しい。表紙と各章の扉絵は蓬田やすひろ氏。品があって、冒険小説の期待感にあふれていている。
コメント