見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

今様オランダ風説書(6):ハーグ、マウリッツハイス美術館

2008-03-17 22:46:18 | ■オランダ風説書2008
 3/7(金)、ハーグ。午前中に、国立文書館と王立図書館の見学を手際よく終える。夜便で帰国のため、夕方までフリータイムだ。広場のカフェで昼食を取り、マウリッツハイツ美術館へ。オランダ屈指の絵画コレクションで知られる美術館だ。



 比較的こじんまりした建物は、17世紀に建てられたある伯爵の私邸だという。内装は当時の雰囲気を残していて、なんとなく作品のおさまりもいい。日本の書画が、畳・床の間・明かり障子のもとで鑑賞するものであるように、西洋の油彩画は、本来、こういう空間が似つかわしいのだなと思う。なお、この美術館、裏から見ると、浮き城のように池に張り出している。 

 一番人気はフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』である。うむうむ、ため息が出るような美少女だ。それも日本人好みの。美肌、幼い顔立ち、黒い瞳、ふっくらした唇。アムステルダム国立美術館の『牛乳を注ぐ女』も、同じ黄色と青の色彩を用いて描いた女性像だが、台所女中のがっしりした肉体といい(腕まくりしたひじの白さと、日焼けした手首から先が対照的)、質実な衣服の質感といい、心に沁みる作品ではあるけれど、あまり色気はない。その点、『真珠-』には、見る者をたじろがせるような官能性が溢れている(と思う)。何者なんだろう、この少女。服飾史家によれば「当時のオランダにはターバンを巻く習慣はなかった」そうだ(→『美の巨人たち』)。

 『真珠-』のそばにあったのが『デルフトの眺望』。西洋絵画に疎い私は、フェルメールって風景画も描いたんだなあ、なるほど、手前の女性は黄色と青の服を着ている、なんて、ちょっと微笑んで、終わりにしてしまった。フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1点であり、画家の故郷を描いたもので、プルーストが“この世で最も美しい絵画”と賞賛したということは、全て帰国後に知りました。もっとよく見てくればよかった…。

 私がいちばん楽しみにしていたのは『テュルプ博士の解剖学講義』である。1632年の作。ヨーロッパでは、14~15世紀のペストの流行と火器の使用が、外科医の威信を高めたことは、山本義隆氏の『一六世紀文化革命』に詳しい。臨床経験の重視は、次第にアカデミズムの世界にも浸透した。17世紀には、博士(Doctor)を名乗る医師が、このように解剖実習を講義するようになっていたことが興味深い。博士の手元を覗き込む見学者の複雑で多様な表情は、約1世紀の後、日本で初めて人体解剖を観察した山脇東洋らもこんなふうだったのかしら、と思わせる。

 なお、ネット上で探ってみると、この作品、医学の専門家から「解剖学的誤り」を指摘されている。所詮は美術作品なのだが、あまりにも”真に迫っている”がために、言わずにおれないのかもしれない。

■作品画像は「アートatドリアン」へリンク
http://art.pro.tok2.com/index.html

■『テュルプ博士の解剖学講義』はこちら:Salvastyle.com
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rembrandt_tulp.html

■マウリッツハイツ美術館(英語)
http://www.mauritshuis.nl/index.aspx?siteid=54
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今様オランダ風説書(5):アムステルダム、国立美術館~ゴッホ美術館

2008-03-16 22:55:17 | ■オランダ風説書2008
 国立美術館は、2階に上がると、いよいよ絵画である。レンブラントだけではない。ヴァン・ダイク、ルーベンス、フェルメールなど、有名どころの作品が並ぶ。にもかかわらず、日本と違って、他の観客を気にせず、ゆっくり見られるのが、本当にうれしい。初めて覚えた名前に、ピーテル・サーンレダム(Pieter Saenredam)がいる。17世紀オランダで流行したジャンルのひとつ、建築画(建物の外観や内部を描いた絵画)を得意としたという、不思議な画家である。

 やっぱりレンブラントはいいなあ。『夜警』に行き着く前に、私は『織物商組合の見本調査官たち』で、時間を忘れてハマった。ズルいよなあ、この劇的な構図。思わせぶりな表情。会場の解説プレート(英文)によれば、服装の微妙な差異(飾り襟の広さ、無帽か帽子をかぶっているか)、持ちもの、位置によって、登場人物の属性がきちんと書き分けられているそうだ。

 最後は『夜警』。噂には聞いていたけれど、その巨大さにびっくりする。大きな部屋の壁一面を占め、人物は等身大に近い。華やかな衣装、思わせぶりな表情、劇的な光の中に浮かび上がる群像。グランド・オペラの一場面のようだ。ふとヴェルディ『オテロ』の第1幕を思い出す。

 待ちくたびれていた同行人と合流。続いて、隣りのゴッホ美術館に向かう。本当を言うと、ゴッホの絵があまり好きではない。司馬遼太郎氏の『街道をゆく・オランダ紀行』に「ゴッホさんは疲れるね」(奥様の言葉)とあるのを読んで、思わずうなずいた。あの画面に漲る緊張感とエネルギーに、どうにもついていけないと感じてしまうのだ。けれど、不思議なもので、複製から感じていた過剰さ・毒々しさが、本物の作品では希薄だった。個性的な色彩、激しく身をよじるような筆の跡にもかかわらず、何かすがすがしい空気が漂っていた。

 印象に残ったのは「ジャガイモを食べる人たち」。プロレタリア絵画みたいな暗い色調、醜怪さを誇張した農民が描かれている。後年のゴッホらしい明るい色彩は微塵もないのだが、妙に惹きつけられるものがある。

 同美術館の新館では、イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイの特別展が開かれていた。知らない画家だなあ、と思っていたら、見たことのある作品に遭遇。井野瀬久美恵『大英帝国という経験』(興亡の世界史16)が、英国人の海への欲望を論ずる引合いとした『ローリーの少年時代』という絵画である。ついでに同シリーズ、羽田正『東インド会社とアジアの海』を読み直したら、平戸商館長のオランダ人と日本人女性の間に生まれ、オランダに渡った混血女性コルネリアの姿を描いた『ピーテル・クノルとその家族』という絵画が、アムステルダム国立美術館にある、と書いてある。うーん、記憶にない。それと気づかず、見逃したのなら、とても残念。

■作品画像は「アートatドリアン」へリンク
http://art.pro.tok2.com/index.html

■兵庫県立美術館『オランダ絵画の黄金時代:アムステルダム国立美術館展』(2005/10/25~2006/01/15)※関西では、こんなのやっていたんですね、知らなかった。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_0510/main.html

■ゴッホ美術館(公式サイトに日本語ページあり!)
http://www3.vangoghmuseum.nl/vgm/index.jsp?page=paginas.talen.ja

■映画『レンブラントの夜警』公式サイト
http://eiga.com/official/nightwatching/
ええ~タイムリーにこんな映画が封切り中とは、全然知らなかった。ピーター・グリーナウェイ監督作品。Yahoo!映画の感想を見ると「素晴らしい!」と「わかんない」が拮抗していて面白い。
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今様オランダ風説書(4):アムステルダム、国立美術館

2008-03-15 23:24:21 | ■オランダ風説書2008
 3/6(木)、アムステルダム。スケジュールどおり仕事が済み、午後2時頃で自由になった。遅い昼食のあと、国立美術館に向かう。私は内心、小躍りしたい気持ちだったが、日本からの同行人は、特に美術に興味はなさそうなので、同意してくれるかな?と、ちょっと心配する。しかし、出発前に彼の直属の上司も「『夜警』だけは見てきたほうがいい、と言っていた」そうで、一緒に行くことにする。

 そう、アムステルダムの国立美術館の見もの(呼びもの)といえば、何をおいてもレンブラントの『夜警』なのだ。しかし、まずは館内に入ろう。同行人とは、また出口で落ち合うことにして、さりげなくバラける。



 1885年に開館した国立美術館は、アムステルダム中央駅と同じ、ペトルス・カイパース(P.J.H. Cuypers)の設計。確かに、赤レンガの壁面を引き締める白い帯、灰色の屋根というデザインがそっくり(もっとも、この色づかいは街の至るところに見られる)。純粋にミュージアムのみの目的で建てられたヨーロッパ最初の建物だそうだ。新教国のオランダらしい。ちなみに、辰野金吾の東京駅がアムステルダム中央駅をモデルにしたという説は、現在、否定されているそうだ(→Wikipedia)。

 1階は、銀器、木工品、ドールハウスなどの工芸品が中心。私が心を奪われたのは、デルフト焼きの陳列である。白地に青い染付の、清楚で可憐な姿は、東洋の青花磁器に似ている。それもその筈、現在のデルフト焼きは、17世紀、東インド会社がもたらした中国や日本の磁器の強い影響を受けて成立したものなのだ。展示品の中には、中国磁器を巧妙に「真似た」作品がいくつも見られた。植物文様や山水風景は、よく出来ている。けれど人物表現は、どこか変。中国人の顔に見えない。かといって、西洋人の顔でもないところが、かなり珍妙である。先だって、京博の特別展『憧れのヨーロッパ陶磁』で、オランダには伊万里写や景徳鎮写があることを初めて知って、興味深く思ったのだが、実はこんなふうに、ごろごろ転がっているシロモノだったとは。

 もちろん、デルフト焼き特有の独創的な作品もある。いちばん驚いたのは、仏塔のミニチュアのような、2メートル近くもある巨大な磁器。各層の四方に筒状の突起が飛び出している。なんだか中国の明器(副葬品)みたいだなあ、と思った。用途が全く分からなかったのだが、下記↓のサイトを見つけて、やっと判明した。なんと、チューリップ専用の花瓶だという。えええ~何考えてるんだ、オランダ人!

■ツアコン・モバイル通信:オランダの伝統・デルフト陶器
http://www.nta.co.jp/ryoko/tourcon/2003/031105_2/index.html

 私は、このデルフト焼きコレクションに関するカタログを入手したくて、ミュージアムショップを一生懸命物色したが、めぼしい本やグッズはなかった。残念。陶磁器が絵画に匹敵する芸術品であるという認識がないのかなあ、オランダには。

■アムステルダム国立美術館(英語)(※音が出ます)
http://www.rijksmuseum.nl/index.jsp?lang=en
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今様オランダ風説書(3):図書館散歩つづき

2008-03-12 23:19:41 | ■オランダ風説書2008
 続いてライデン大学図書館(本館)を見学した。手荷物をロッカーに預け、「学生のような顔で、後についてきてください」という案内者に従うと、ノーチェックで館内に入れる。

 ライデン大学の歴史は古い。1575年(天正3年、織田信長が武田軍を破った長篠の戦いの年)の設立である。そして、図書館も同じ年に設置されたことが、英文Wikipediaに記述されている。当然、書庫の中は、東西の貴重書で埋まっているのだろう。同大学の場合、研究者や院生が使う学術研究書の収集・提供は、学部や研究所の図書館が担っている。本館の役割は、学生用の基本図書の提供と、貴重書の集中保管の2つであるという。

 開架図書へのアクセスは、上記のように大アマだが、書庫の本はそうはいかない。もちろんIDがなければ出してもらえない。そして、請求してから早くても1時間は待たされるという。ただし、ネットワークを通じて請求できるので、前日の晩に自宅から請求し、翌朝、カウンターで受け取ることもできる。貴重書の場合はもっと厳しくて、中1日はかかる。これは、貴重書の保管庫がきわめて安定した環境(温度・湿度)に保たれているため、閲覧室に持ち出す前に「馴らし」が必要であるそうだ(とりわけ、古写真の場合)。人間の高山病予防みたいなものだ。

 日本では、「院生以上」や「教員」には入庫資格を認めている大学が多いと思うが、オランダでは、そうではない。「図書館員は専門職ですから。強いんです」と案内者は言う。その一方、受益者負担(対価を支払えば、サービスを受ける資格がある)という考え方も徹底していて、一般市民であっても、登録料を払えば図書館のIDを獲得することができるし、貴重書も閲覧できる。ちなみに、古書を傷めないという理由で、持ち込みのデジカメによる撮影が推奨されているとも聞いた。

 この「受益者負担」の徹底には、さまざまな場面で出くわした。たとえば、ライデン市の公共図書館も、閲覧だけなら無料だが、貸出サービスを受けるには、登録料が必要だという(確か。子どもは全て無料)。さらに、新刊書やCD、DVDを借りるには別料金がかかる。事前情報として、王立図書館(Koninklijke Bibliotheek, KBと略す)のWebサイトを見ていたときも、Reading room passは無料だが、本を借りたり、オンラインデータベースを使ったり、特殊コレクションにアクセスできるKB-passは年15ユーロ(2,500円位?)とあって、ちょっと奇異な感じがしていた。

 外国の図書館といえば、つい、アメリカを「標準」として思い浮かべがちである。菅谷明子さんの『未来をつくる図書館』(岩波書店、2003)には、ニューヨーク市民である著者は、ニューヨーク公共図書館のWebサイトを通じて、高額な外部データベースを「無料で」利用できる、という記述があった。しかし「公共」や「フェアネス」の考え方には、いろいろな差異があるのだなあ、ということを考えさせられた。

↓公共図書館は”B”が目印。


 さて、図書館見学記録のみ、まとめておけば、翌日3/6はアムステルダムのIIAV(国際女性運動情報・資料センター)を視察。古い教会を再利用した書庫兼閲覧室がユニークである。最近は、宗教離れが進んでいるため、使われなくなった教会をコミュニティセンターなどに再利用するケースが多いのだそうだ。カトリック教国でもあるのかなあ。なんとなく、新教国のオランダならでは、という気がする。

 3/7はハーグの国立文書館と王立図書館を見学。デン・ハーグ中央駅を出るとすぐの好立地で、どちらもフレンドリーな雰囲気の新しい建築だった。パスポートを預けると館内に入れてくれる。両館をつなぐ渡り廊下に展示室があり、文書館・図書館共催で、息を呑むような貴重書展示が行われていた。まあ、本場だもんなあ。日本と比較してはいけないのかもしれないが。海の底のような薄暗いホールに、たくさんの展示ケースが、低木のように「林立」している(東博の法隆寺館みたいな感じ)。展示品は、各ケースに1点。ケースの脇のタッチパネルでは、当該資料の説明・画像(拡大、回転、スライドショー)・音声・動画などをあわせて楽しむことができる。展示室の壁全面をスクリーンに、文書館・図書館の紹介(感覚的・実験的で、芸術作品みたいな映像!)が流れ続けるのにも、うっとりする。

 王立図書館の開架閲覧室は、明るく、暖かな雰囲気で、気持ちがよかった。木製の書架に大きな絵が描いてあったり、わざとコーナーごとに異なるタイプのソファセットが置いてあったり、それから、なぜかチェスの駒を並べたテーブルがあった。本を読み飽きたら、利用者どうしで対戦したりするのかしら。私はこれまで、オランダの王立図書館を訪ねた話は、全く聞いたことがなかったが、機会のある方には、ぜひ一見をお薦めしたい図書館である。

↓手前のオレンジの旗が国立文書館、奥の”KB”が王立図書館。


 最後に、オランダといえば、私の大好きな中国歴史ミステリー”ディー判事シリーズ”のロバート・ファン・フーリックもライデン大学出身である。思い出したので付記しておこう。

 次は、美術館探訪記に続く予定。

■オランダ王立図書館(National Library of the Netherlands =Koninklijke Bibliotheek)(英語)
http://www.kb.nl/index-en.html

■オランダ国立文書館(The Nationaal Archief)(英語)
http://www.en.nationaalarchief.nl/default.asp
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今様オランダ風説書(2):ライデン、図書館散歩

2008-03-11 23:55:09 | ■オランダ風説書2008
 午後は、ライデン大学を見学。知人を介して、同大学に滞在中の日本人の方に案内をお願いしてあった。初対面の案内者とシーボルトハウスの前で落ち合い、日本・朝鮮研究センターの図書室を訪ねた。



 仏龕のようなアーチ型のガラス扉の左右には「韓国学研究所」「日本学研究所」という漢字(繁体字)の額が対聯のように掛かっている。実際には中国・朝鮮・日本の3カ国語の資料を扱っているのだそうだ。案内者がガラス戸の中を覗き込み、「あ、ちょうど良かった」という。カウンターにいる背の高い男性が、日本語専門の司書の方なので、話が早いというのだ。

 私は日本語で来意を告げた。実は、「かつて東京大学がライデン大学に寄贈したという不確かな記録の残っている図書」について、存在を確かめてみたいと思っていたのである。「いつ頃の話ですか?」と聞かれて「1960~70年代だと思います」と、ひとに聞いたままを答えると「僕が中学生か高校生の頃ですね」と苦笑された。「日本語の本は、まだ全てデータベースに入っていないので」と書名をたよりにカード目録を引いてくれた。私が「ゾク群書類従と…」と不用意に言いかけたら、「ショク群書類従ですね」とさりげなく訂正されてしまった(感心!)。

 東京大学は、大正12年(1923)関東大震災によって、蔵書の大半を失った。その後、国内外から寄せられた寄贈と援助によって、現在の総合図書館が再建されたことは、昨年秋の展示会『世界から贈られた図書を受け継いで』に詳しい。しかし、このとき、多数の篤志家から寄贈された図書には、重複するものも多かった。図書館は重複資料の一部を、他の図書館に周旋する措置を取ったらしい。私は「1960~70年頃の話」と聞かされていたが、これは全くの誤伝で、本には「To the University of Leiden Presented by Tokyo Imperial University, 1932」という寄贈票が貼ってあった。ちなみに、9年後の昭和16年(1941)には、オランダは日本に宣戦布告して交戦状態に入る。

 今回、私が確認したかった(そして達成された)41冊は「鴎外文庫」の一部である。1922年に没した森鴎外の蔵書約18,700冊は、遺族から東大に寄贈された。しかし、「続群書類従」「続々群書類従」などの基本図書は、既存の蔵書と重複したため、こうして海を渡ることになってしまったらしい。また「南葵文庫」の印のあるものも発見した。南葵文庫は、紀州徳川家藩主頼倫が麻布に開設した図書館で、永井荷風も通ったという。

 明治の初め、ヨーロッパの先進文化を日本に移植することに労を払った鴎外や荷風が、実際に手に触れた(かもしれない)書物が、縁あって、オランダの地に落ち着くというのも、ゆかしいことである。寄贈者の厚意を、と腹を立てる必要はないと思う。書物の生命は意外と長い。はじめの持ち主と縁が切れれば、次の持ち主へ渡るのは自然なことだ。図書館も、書物の終の棲家ではない。古書店主・橋口侯之介さんの『和本入門』や和田敦彦さんの『書物の日米関係』などを思い合せて、感慨にふけった。
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今様オランダ風説書(1):到着~ライデン、シーボルトの記憶

2008-03-10 23:08:18 | ■オランダ風説書2008
 3月4日の昼過ぎ、成田を発って、アムステルダムまで13時間。久々の長旅だなあと思っていたが、トラブルもなく、平穏に到着した。雪交じりの冷たい風に震えながら、アムステルダム駅前のホテルに落ち着く。鰻の寝床のように奥の深い建築は、かつて東インド会社の倉庫だったという。

 翌朝、鉄道で、最初の視察地ライデンへ向かった。古い大学町だと思っていたら、全く近代的な駅のたたずまいに拍子抜けした。それでも、しばらく歩いていくと、運河堤に風車が見えてきたり、次第に趣きある旧市街に到達した。案内をしてくれる方との約束は午後からなので、午前中はフリータイムである。観光名所のひとつである、ライデン大学植物園に入る。大通りに面した建物(大学本部らしい)は工事中だったが、足場の下をくぐって奥に進むと、植物園は開園していた。ここでは、シーボルトが日本から持ち帰った約500種の植物のうち、13種15本が今でも栽培されている。

 日本からの連れが、建築用の足場に覆われた壁面に、縦書の文字が大書してあるのを見つけた。「何か書いてありますよ、日本語ですよ」という。「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな 菅原道真」とある。無邪気に首をひねる彼には、全く意味が分からないらしい。

 もちろんこれは、平安時代の文人政治家、菅原道真が、配流の地、大宰府で、京のみやこを思い出して詠んだ和歌である。一方、この植物園に縁の深いシーボルトは、1828年、長崎に妻子を残して帰国する際、ご禁制の日本地図を持ち出したことが見つかり、国外追放・再渡航禁止の処分を受けてしまう。彼が再び日本の地を踏んだのは、1859年のことだった。その間、30年。シーボルトは、遥かユーラシア大陸の東の果てを思い続けたことだろう。なんとも壮大な「東風(こち)」になぞらえたものだ、と思って、この植物園の壁にこの和歌を記した人物の機智と思いやりに感心した。面倒くさいので、同行人には教えてやらない。

 植物園の中には、熱帯植物の茂る巨大なグラスハウスあり、古風なオランジェリー(温室)あり(外壁では日本産の木瓜が満開)、日本庭園あり(河畔の柳?が借景)と楽しめる。隣接する天文台のドームも、歴史ある大学らしい風景である。チューリップにはまだ早いが、私の大好きなクリスマスローズが地面にあふれ返り、品のいい芳香が鼻孔をくすぐる。

 それから、シーボルトハウスを見学。シーボルト旧居跡に、彼が日本から持ち帰った800点余りのコレクションを展示した博物館である。これがすごい。噂には聞いていたが、これほどのバラエティに富んだコレクションとは!! 19世紀の「博物学」という言葉の持つ、底知れない豊かさと貪欲さを実感させてくれる。剥製、植物標本、印刷物、金物、食器、玩具、模型、着物、装身具...とにかく何でもアリなのだ。そして、敢えて知的な整理や分類を加えず、その「ひっくり返したおもちゃ箱」的な魅力を正面に据えた展示方法は、冒険的である(いや、実は細かな計算があるのかしら)。

 無邪気な同行人も「うわ~すげえな」と驚いた様子。が、1点1点詳しく見ようとするほどの関心はないらしく、展示ケースの前を早足に通り過ぎていく。ええ~もうちょっとゆっくり見ようよ~と思ったが、何せ今回は観光が目的ではない。地図や錦絵の版元とか、1つ1つ確かめたかったのだが、泣いて諦めることにした。あとで期待を込めて所蔵品カタログを物色したが、満足できるものがなかったのは残念。

 数あるコレクション品の中で、印象深かったのは、日本犬のサクラの剥製。シーボルトが日本から連れ帰り、このライデンの町で飼われていたという。ガラス玉で表現されたやさしい黒目が、小さな歴史を語っているようだった。

■ツアコンモバイル通信:ライデンのシーボルト(菅原道真歌の壁書の写真あり)
http://www.nta.co.jp/ryoko/tourcon/2003/030519_1/

■シーボルト・ハウス(公式サイト)
http://www.sieboldhuis.org/
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