見もの・読みもの日記

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普通の人々の選択/ポピュリズムとは何か(水島治郎)

2017-01-10 22:53:11 | 読んだもの(書籍)
〇水島治郎『ポピュリズムとは何か:民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書) 中央公論新社 2016.12

 近年、世界各地でポピュリズム(大衆迎合主義)と呼ばれる政党や政治運動が躍進している。本書は、ポピュリズムを理論的に位置づけたうえで、ヨーロッパとラテンアメリカを中心に、各国におけるポピュリズム成立の背景、展開と特徴などを分析したものである。はじめ本書のタイトルを見たときは、理論的な分析が主なのだろうと思ったが、読んでみると、具体例の記述のボリュームが多くて面白かった。

 まず南北アメリカ。19世紀末のアメリカ合衆国に現れた人民党(People's Party)は、短い期間で消えてしまったが、ポピュリズムすなわち、「普通の人々に依拠してエリート支配に対抗する政治運動」の起源というべき存在で注目に値する。20世紀には、ラテンアメリカをポピュリズムが席巻する。寡頭支配層の権力独占に抗し、主に中間層出身のリーダーが民衆を大規模に動員して改革を訴えた。アルゼンチンのファン・ペロンと妻のエヴァ(エビータ)の例が詳しく語られている。

 続いてヨーロッパ。まずフランスの国民戦線、オーストリアの自由党、ベルギーのVB(フラームス・ブロック)を取り上げる。これらは、もともと極右系の老舗政党だったが、近年は、デモクラシーを受容することによって幅広い支持を受けるポピュリズム政党への脱皮に成功した。既成政党批判と移民排除(反イスラム)が重要なテーマになっている。

 「反イスラム」という点で注目されるのが、デンマークとオランダである。両国のポピュリズム政党は、歴史的に極右勢力との結びつきを持たず、むしろ「リベラル」な価値を重視するがゆえに、自由や人権、男女同権などの西欧的価値を共有しないイスラムへの批判を展開している。極右とは一線を画す、啓蒙主義的排外主義とでも呼ぶべき主張である。

 スイスは国民投票が制度化されており、デモクラシーの理想を体現した国というイメージが普及している。しかし近年は、その国民投票を梃(てこ)ととしてポピュリズム政党が躍進している。国民投票は、人民の主権を発露する場である一方、議会では到底多数派の支持を得られないような急進的な政策を通してしまうという点で、諸刃の剣なのである。

 イギリスでは国民投票でEU離脱が決まった。離脱キャンペーンの中心となったイギリス独立党の躍進の背景には、イギリス社会の分断と「置き去りにされた人々」(中高年の労働者層)の出現が指摘されている。既成政党が高学歴の中間層にターゲットを置き、政党政治が中道化していく中で、見捨てられた労働者層の共感を集めたのがイギリス独立党だった。

 そして、2016年アメリカの大統領選挙。トランプの勝利をもたらしたのは、中西部から北東部にかけてのラストベルト(錆びついた地域)と呼ばれる旧工業地帯の白人労働者層であったと言われており、イギリスの「置き去りにされた人々」と大きな親近性がある。

 (日本の橋下徹と「維新」に少し触れたあと)最後にフランスとドイツの近況について。マリーヌ・ルペンを党首とするフランスの国民戦線は、党の現代化に成功し、三大政党の一角を占めるに至っている。ドイツは、小党乱立を防ぐ選挙制度や反民主的政党の禁止など、従来、ポピュリズム政党の躍進が困難だったが、AfD(ドイツのための選択肢)は、一定の成功を収めつつあり、今後、ドイツにとって厄介な存在となる可能性がある。

 正直にいうと、私は諸外国の政治状況には全く疎くて、フランスの国民戦線が支持を拡大、などというニュースを見ると、どうしてまた極右政党が?とあやしんでいた。本書を読んで、かつての極右政党が、すっかり面目を改めているということが得心できた。極右とは全くかかわりのない「リベラル」な排外主義という主張があることは、内藤正典さんの『となりのイスラム』で読んで、へえ~と思っていたが、本書によって、だいぶその中身が分かった。

 そもそも「右」とか「左」という分類は、もう世界規模で崩壊しているのだな。どの国・地域でもポピュリズム躍進の背景にあるのは、エリートと普通の人々の分断・対峙である。普通の人々(労働者層)は、政治・文化エリートが主導するグローバリズムに違和感を持ち、移民受け入れが引き起こす財政負担や雇用不安を忌避し、伝統的な価値観に固執している。しかし、イギリスにしろアメリカにしろ、そうした普通の人々が下した判断を「無知」「無責任」と非難し、侮辱するだけでは、分断は深まるばかりで何も変わらない。

 日本でも社会の分断が進行していると思う。そして、明日の生活の心配をしなくてよいという点で、私はたぶんエリート層に属するだろう。そういう自分が、もっと厳しい現実に向き合っている「普通の人々」と、どんな言葉で語り合うことができるのかをいろいろ考えさせられた。
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