見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

風薫る御仏の世界/興福寺国宝特別公開2017

2017-04-28 23:25:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
興福寺 『阿修羅 天平乾漆群像展(国宝特別公開2017/興福寺中金堂再建記念特別展)』

 奈良博の『快慶』展を見たあと、むしょうに東大寺の南大門(と金剛力士像)が見たくなって足を向けた。それから、春日大社にも寄ったが、お目当ての藤は、まだつぼみだった。てくてく歩いて、奈良博を過ぎ、興福寺に入った。

 現在、国宝館が耐震改修工事のため、2017年1月1日から12月31日まで1年間、休館になっている。そのため、旧山田寺本尊の銅造仏頭が、1月7日から12月まで東金堂に安置されたというニュースを見た。さらに、阿修羅をはじめとする天平乾漆群像は仮金堂で「展示」されていると聞いた(3月15日~6月18日と9月15日~11月19日)。また、ちょうど北円堂の特別開扉(4月22日~5月7日)も始まっていて、見どころ満載であった。

 仮金堂と東金堂の共通券を購入して、まず仮金堂に向かう。あまり入った記憶のないお堂だが、いま自分のブログを検索してみたら、興福寺『国宝特別公開2006』の記事が出てきた。仮金堂で四天王像を見たようだ。今年の仮金堂だが、中央には、堂々とした阿弥陀如来坐像。解説リーフレットに「明治以後は仮堂に客仏として安置」「その後、国宝館へ移され」とあるが、あまり記憶にない。このたび仮金堂の本尊として迎えられたのだそうだ。その前方に、小さな天燈鬼と龍燈鬼が並び、中央には華原磬。国宝館の展示と違って、それぞれが生きた役割を担っている。左右に八部衆像が四体ずつ。もちろんケースには入っていない。阿修羅は向かって左前列。胸までしかない五部浄像も一緒に並んでいることに感動する。その外側に十大弟子像(現存6体)が3体ずつ。

 後列の阿弥陀如来坐像の左右には、梵天象と帝釈天像。その外側に阿吽の金剛力士像がいるのだが、意外と小さいので、天平乾漆群像の影に隠れてしまっている。四隅の四天王像は、あまり記憶はないが魅力的だった。リーフレットによれば、仏師康慶の一門によって造像され、当初は南円堂に安置されていたという。興福寺には複数の四天王像があるが、これは重厚で無駄な動きがなく、なかなかいい。それにしても天平仏+鎌倉仏が有機的に構成され、贅沢きわまる空間であった。それなのに、入口から自然の風と光が流れ込んでいるのも素晴らしい。やっぱり、こういう自然とつながった空間でこそ、仏像は礼拝の対象として機能するのだと思う。

 次に東金堂へ。須弥壇の上はいつものとおりで、どこに仏頭が?と探したら、須弥壇の左隣にいらっしゃった。まあこれはこれでいいと思う。最後に北円堂。ここは別料金になる。見てきたばかりの快慶の仏像を思い出しながら、秋は東京においでになる、運慶の無著・世親像に「お待ちしてます」とご挨拶しておいた。
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耽美系とワイルド系/快慶 日本人を魅了した仏のかたち(奈良国立博物館)

2017-04-27 23:38:28 | 行ったもの(美術館・見仏)
奈良国立博物館 特別展『快慶 日本人を魅了した仏のかたち』(2017年4月8日~6月4日)

 快慶の代表的な作品を一堂に集め、わが国の仏教美術史上に残した偉大な足跡をたどるとともに、快慶作品の成立と密接に関わる絵画や、高僧たちとの交渉を伝える史料をあわせて展示し、いまだ多くの謎に包まれた快慶の実像に迫る特別展。日曜の朝、開館より30分ほど早く博物館に着いたら、短いけれど待ち列ができていたので、慌てて並ぶ。鑑賞に支障を感じるほどではないが、それなりに客は入っていた。

 会場入口には、京都・金剛院の金剛力士(仁王)像一対。それぞれ片手を振り上げ、逞しい筋肉で来場者を威嚇しているようだ。私は、運慶が武士好みの力強い作風であるのに対し、快慶といえば貴族的で美麗な如来や菩薩のイメージを最初に思い浮かべる。しかし実は快慶には、ギラギラと殺気を漂わす怪物みたいな仏像の一群があるのだ。この仁王像は筋肉質の肉体が、立体を積み上げるような感覚で表現されている。正面からは、腰をしぼった逆三角形が強調されているが、横から見ると、意外に腰回りが太いことも面白かった。

 京都・金剛院という名前は、すぐに思い出せなかったが、あとで同寺院の執金剛神立像と深沙大将立像を見て、舞鶴の「花の寺」だ!と思い出した。秘仏バスツアーで行ったところだ。執金剛神は、まあ仏像らしいが、深沙大将は、巻毛を逆立て、血走った目を見開き、歯をむき出して、神かケモノか分からない。腿には二匹の白象の顔を穿いてさえいる。

 会場に入ってすぐは、見慣れない金色の弥勒菩薩立像がいらした。米国ボストン美術館の所蔵だという。ああ、快慶の仏像(きれいな仏像)はアメリカ人好みだろうなあ、となんとなく感じる。その対面には、醍醐寺の弥勒菩薩坐像の写真パネルが飾られていた。実物は4/25からの展示と分かっていて、この週末に見に行ったのだが、ちょっと物足りなかったのは否めない。壁の展示ケースに、顔立ちの消えかかった貴人の肖像画があって、これはと思ったら『後白河法皇坐像』(妙法院)だった。壮年期の快慶は、後白河院と出会い、院ないし院の近臣であった信西一門との密接なかかわりの中で、造仏に起用された。ああ、醍醐寺の弥勒菩薩も後白河院の追善供養のためにつくられたのだったな。この春は、東のサントリー美術館の『絵巻マニア列伝』と西の奈良博の『快慶』展で、期せずして後白河院の遺徳(?)を偲ぶかたちになった。

 快慶の飛躍の舞台となったのは、焼き討ち後の東大寺再興である。重源上人像(浄土寺)は、いつ見ても何度見ても好きだ。その視線の先には、裸形の阿弥陀如来立像(浄土寺)。いつも仏像館に展示されているものだ。浄土寺の阿弥陀三尊像が写真パネルでの紹介なのは、仕方ないなと思った。高野山・金剛峯寺の孔雀明王坐像は、さりげなく隅のほうにいた。

 ワイルド系の仏像では、金剛峯寺の四天王立像(広目天、多聞天)が登場。いつも高野山の国宝館でうっとり見とれる四天王だ。筆と巻子を持っただけの広目天が、むちゃくちゃ武闘派の雰囲気で笑えた。金剛峯寺の執金剛神立像と深沙大将立像も、躍動感と異形感にあふれている。三重・新大仏寺の如来坐像(頭部のみ快慶作)は思わぬ巨大さに驚いた。重源が日本各地に営んだ東大寺別所のひとつ伊賀別所に由来するものだという。

 西新館に進んで最初の展示室には、東大寺の僧形八幡神坐像がいらっしゃった。ほかにも東大寺所蔵の快慶仏がまとめて並んでいたような気がするが、ほかの記憶が曖昧になるほど、僧形八幡神の印象が強い。生き人形のような生々しい迫真性がある。東大寺の西大門勅額は、なんと珍しいことに八体の天王像が、額から取り外されて展示されていた。作者に快慶をあてる新説が出され、大方の支持を得ているのだそうだ。本当かなあ。

 東国など諸国に伝来の像、結縁合力による造像、朝廷・門跡寺院の造像、長谷寺本尊の再興など、快慶仏の諸相を紹介し、最後に「安阿弥様(よう)」と呼ばれた三尺(90センチメートル)前後の来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像にたどりつく。法然をはじめとする浄土宗教団の僧侶たちとの親交から生まれたもので、生涯にわたって作り続けた。壮年期の作品は比較的シンプルで、晩年になるに従い、衣文線や襟のたるみなどの装飾性を増していく。ほんとだ! こんなふうに様式の変遷があるとは思ってもいなかった。

 会場の中ほどで、運慶と快慶を主人公にした短編アニメーションを上映していて、これがなかなかよかった。秋に東博でおこなわれる運慶展が楽しみになった。そして、東の東博で運慶展、西の奈良博で快慶展をやる意味に得心がいった。運慶、快慶の二人が造像にかかわった東大寺南大門の金剛力士像が見たくなって、奈良博を出たあと、急いで南大門まで行って、満足した。
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雲龍図だけではありません/海北友松(京都国立博物館)

2017-04-26 23:40:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 開館120周年記念特別展覧会『海北友松(かいほうゆうしょう)』(2017年4月11日~5月21日)

 海北友松(1533-1615)は、狩野永徳や長谷川等伯と並び称される桃山画壇の巨匠。近江浅井家の家臣の家に生まれたが、父の死をきっかけに禅門に入り、狩野派を学ぶ。浅井氏が滅亡し兄達も討ち死にしたのち、還俗して家門の再興を目指したが、晩年は画業に専念した。以上はWikiなどからの抜粋。私は「海北友松」の名前は知っていたが、特に注目したことはなかった。京博は開館120周年に地味な画家を取り上げるなあと思っていた。

 会場は平成知新館なので、名品ギャラリーは1階の彫刻を除いて全て休止になっていた。3階にあがると、いつもの陶磁・考古展示室は、壁際の展示ケースだけ残して、きれいに片づけられており、広々した印象である。展示ケースには、もちろん友松の作品が並んでいる。障壁画が多いこともあって、ゆったりした空間のつくりがとてもいい。3階は、友松が狩野派(元信説、永徳説あり)に支持して、絵を学びはじめた頃の作品が中心である。図録を見ると「画風の上で友松的な要素と狩野派的な要素が混在する無款の屏風絵がいくつか紹介され、友松初期作であるとの判断が下された」とある。ふうん、この判断は最近下されたものなのだろうか。

 私はこの「友松的な要素+狩野派的な要素」の初期作品群がけっこう好みだ。『菊慈童図屏風』(岡山・蓮台寺)は特に気に入った。1997年、大津市歴史博物館での『近江の巨匠-海北友松』展で初めて紹介され、話題になったものだという。『山水図屏風』は、四阿や庵が描かれているのに人の姿のない山奥の風景。「留守模様」を思わせる、という解説の表現が素敵だ。米国サンフランシスコ・アジア美術館が所蔵する『柏に猿図』は、まるまるもふもふした白と黒のテナガザルが描かれていて、かーわいいー!と叫びたくなる。

 2階へ。いよいよ本格的な活動が始まる。聚光院の『琴棋書画図襖』(謹厳で楽しげな理想の文人世界)、大中院の『山水図襖』(茫洋とした風景)、霊洞院の『唐人物図襖』(内面を感じさせる人物像)、『松竹梅図襖』(禅居庵)のうち「梅図」(簡潔で迷いのない墨線!)など、ヴァリエーション豊かで、どれも個性的で驚く。聚光院は大徳寺の塔頭、大中院は建仁寺の塔頭で、行ったことがあるはずなのだが、友松の作品は記憶にない。でも友松の作品が、京都の寺院(美術館でなく)に多く残っているということは、関東育ちの私から見て、縁の薄い画家だったのも仕方ないかなと思う。

 友松が67歳で制作に携わった建仁寺大方丈の障壁画は、さらに自由な境地が感じられる。まず、とてつもなくデカい『雲龍図』。恐ろしいが、どこか愛らしい。『竹林七賢図』を見て、ああこれ、友松の描く顔だ、と思い当たった。聖人君子らしくなく、かと言って奇妙キテレツでもない。まさしく凡庸な人間の顔なのだ。この顔は、最晩年まで友松作品を特徴づけていると思う。私が好きなのは『楼閣山水図屏風』(MOA)や『瀟湘八景図』(群馬県立美術館)などの、省略の多い墨画山水図の美しさ。『山水図屏風』(東博)はあまり見たことがない気がする。もっと出してほしい。

 (このへんから?)1階。「大和絵金碧屏風」とよばれる『網干図屏風』は、またガラリと作風が違う。後半に出品の『浜松図屏風』もすごい。光琳みたいというか、狩野山雪みたいというか。晩年まで、変化を続けた画家であるらしい。そして、本展の見もののひとつは、友松が得意とした「雲龍図」各種を集めた展示室。あごがしゃくれて、嫌な顔をした龍が多いなあ。この部屋は、ライトアップされた作品が、展示ケースのガラスに映り込んでしまっているのだが、そのため、実際より多くの龍が暗闇に潜んでいるように見える。絶対、ねらった展示方法だと思う。最晩年のゆるい墨画は、もう自分の楽しみのためだけに描いていたのかしら。

 なお、作品だけでなく、文献資料(書簡など)もところどころに展示されていた。妙心寺に納めた屏風の制作料を示す領収書(銀子一貫目並びに銀子二十枚)は、当時の物価が分かる貴重な資料である。
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木の聖性を感じる/木×仏像(大阪市立美術館)

2017-04-25 23:24:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
大阪市立美術館 特別展『木×仏像(きとぶつぞう)-飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年』(2017年4月8日~6月4日)

 仏像の素材となった木の種類、あるいは木材の用いられ方などに注目し、日本の木彫仏の魅力を再発見することを目的とした企画展。同館の1階を全て使った展示で、出品は55件(唐招提寺の薬師如来立像と伝獅子吼菩薩立像が入れ替わるだけで、他は展示替えなし)。

 導入部は時代順で、顔の小さい、まっすぐ突っ立ったような木造天王像から。現存稀な飛鳥時代の天王像だという。芸大美術館の所蔵だというが、知らなかった。立て襟のマント(?)がおしゃれ。その奥の、顔が大きく体躯が平べったい菩薩立像は、いつも東京国立博物館でお目にかかっているもの。おや、塑像も出ているんだ、と思ったら、その隣りに坐仏をかたどった塑像心木が並べられていた。唐招提寺の伝獅子吼菩薩立像、東大寺の試みの大仏など、奈良時代はおなじみの仏像が並ぶ。

 短い廊下の先に、次の展示室(平安時代)の一部が見えており、暗闇の中に浮かんでいたのが、宝誌和尚立像の姿。巧い演出だなあ~。京博で何度もお目にかかっているけど、展示ケースなしで、360度、あらゆる方向から眺めることができたのは初めてではないかと思う。今回の展示は、ほぼ全ての仏像を(展示ケース入りの場合でも)360度の方位から眺めることができて、平安時代の一木造りの仏像は、正面は芸術的に造り込んでいても、背面にまわるとズボッとしたシルエットで「木(樹)」そのものの面影を残している場合が多い。ちなみに宝誌和尚立像は、なぜか右の足元のあたりに丸い大きな穴が開いていて、不思議だった。側面から見たときの、外側の顔と内側の菩薩面の鼻や唇のラインが一直線に揃うところもすごい。あと、両手を覆うナタ模様(文身みたい)にも初めて気づいた。

 大阪・蓮花寺の地蔵菩薩立像は、顔や体を起伏の強い木目が覆っており、一種近寄りがたい雰囲気。解説によれば、長年の風喰による損傷なのだという。そんなこともあり得るのか。大阪・三津寺の地蔵菩薩立像は、衣文の彫り込みが少なく、肉厚でつるりとした雰囲気。当然だが、ご当地・大阪の仏像が多い気がした。大阪の古寺は、まだ回り切れていないので嬉しい。それから、どこかで見たような仏像と思ったら、櫟野寺の仏像も複数来ていた。

 展示室をめぐって、第1会場が終了。第2会場はホールの反対側の大展示室で、ざっと30躯くらいの仏像が奥まで並んでいる。こういう空間、大好きだ。入ってすぐは、大阪・河合寺の持国天と多聞天。隅々まで造形に緊張感があって破綻がないのは、寄木造ならではだと思う。多聞天が五鈷杵を振り上げ、構えているのが珍しい気がした。

 とか言っていたら、円空の秋葉権現像三体はずるい。なんだよ、この造形。長髪、長い衣、カラスのように尖ったくちばしの秋葉権現は、ヒツジみたいな顔をしたキツネの上に立っている。大阪・大門寺の蔵王権現立像が三躯ならんだ様子には、申し訳ないけど吹き出してしまった。ダンスのストップモーションみたいでかわいい。でも作り手の仏師にとっては「重心のバランスが重要」って、やっぱりそうなんだな。

 会場では、大雑把に素材が「広葉樹」か「針葉樹」かを表示したり、年輪の幅から「のびのび育った大樹」を想像してみたり、これまでにない仏像の楽しみ方が提示されていたが、個人的には十分消化し切れなかった。今後、もう少し素材である木のことが分かるようになりたいと思う。本展の図録はゆっくり読んで楽しみたい。仏像の正面だけでなく、背面の写真を収めたものが多くて貴重である。

 2階はコレクション展。絵巻物撰に『新蔵人物語絵巻』が出ていたのが収穫。ほかに奈良・平安の写経、近代絵画など。
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改装を惜しむ/ザ・コレクション(藤田美術館)

2017-04-24 22:35:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
藤田美術館 『ザ・コレクション』(2017年3月4日~6月11日/前期:3月4日~4月30日)

 先月、同館が中国美術の名品31点をニューヨークでのオークションに出品し、落札総額2億6千280万ドル(約301億円)を記録したことが、ひとしきりニュースになっていた。収益は施設の建替え等に充てられる予定と聞いて、蔵のような古めかしい展示棟を思い浮かべて、なるほどなあと納得していた。公式サイトのお知らせには「この度、藤田美術館は、施設の全面的な建替えに取り組むこと」になり、「2017年6月12日より休館し、2020年の開館を目指して、現在リニューアル計画を検討して」いると告知している。本展は、休館前のファイナル名品展ということになる。

 前後期で展示品がほぼ入れ替わるので、とりあえず4月中に一度行ってきた。たぶん初見で、妙に印象的だったのは金銅造弥勒菩薩交脚坐像。北魏時代のもの(台座に「大魏神亀元年」の銘)だというが、台座の上に一本足の怪鳥(恐竜みたい)が立っていて、その背中に鼓型の椅子を据えて、弥勒菩薩が腰かけている。菩薩像と鳥は時代や様式が違いので、後世に組み合わせたものか、というが、わけが分からなくて面白かった。

 王朝の香り高い寸松庵色紙と升色紙、十五番歌合の断簡もよかった。上畳本三十六歌仙切の『大伴家持像』は右手の袖を上げて、目の高さに手をかざしている。ん?猿丸太夫のポーズみたいだ。以上、二階。

 一階に降りる。『玄奘三蔵絵』は巻三、雪のベデル峠越えの場面だった。雪原に倒れる人と馬、それでも進む一行。怖い獣(黒豹?)もひそんでいる。『両部大経感得図』も大好きな絵画作品。展示ケースの奥行が薄目で、間近に見られて嬉しかった。「善無畏」図の背景には黒い鵜のような鳥が二羽。「龍猛」図には、よく見ると獅子と、角のまっすぐなガゼルみたいな動物がいる。

 『曜変天目茶碗』にはうっとりした。静嘉堂文庫のものより、かなり小さい感じがしたが、Wikiで見ると口径で1.6cm違うようだ。銀の覆輪のせいで、引き締まった印象に見えるのかもしれない。曜変の斑点も静嘉堂のものより小さく、華やかさに欠けるが、かえってそこがいい。あまり近づいて覗き込まず、少し離れて、青の発色がほんの一部分しか見えない位置で眺めるのが私の好みである。さらにひとまわり小さい『油滴小天目茶碗』もいいなあ。ぐいのみにしたい。金代の茶碗だという。快慶作の木造地蔵菩薩立像は美麗で、『快慶展』への期待が高まった。

 美術館の「中の人」らしい男性が、女性のお客さんを相手に「おかげさまで去年の10倍から30倍」と話していたのは、この展覧会の入場者数かな? 確かにいつもより人が多かった。どんなふうに改装するんですか?と聞かれて「まだ分かりません」みたいなことを話していたけど、この「蔵の中」の雰囲気がなくなっちゃうとしたら、ちょっと残念。最後に(展示品なしで)美術館内部の撮影会をやってくれないかなあ。私は大阪まで行けないけど、誰か写真を撮って記録を残しておいてほしい。
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宗教と気分/日本の右傾化(塚田穂高)

2017-04-21 23:51:51 | 読んだもの(書籍)
〇塚田穂高編著『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書) 筑摩書房 2017.3

 本当は一気に読める面白い本だが、引っ越しを挟んで読み終わるまで3週間もかかってしまい、印象が散漫になってしまった。「壊れる社会(ヘイトスピーチ、レイシズム)」「政治と市民」「国家と教育」「家族と女性」「言論と報道」「蠢動する宗教」の6部構成で、それぞれ数編ずつ、計21人が寄稿している。

 どれも面白かったが(一番最後に読んだということを差し引いても)宗教の右傾化に関する章が印象深かった。そもそも私は、右傾化という思想に全く共鳴できず、「日本スゴイ」に快感を覚えたり、文化や宗教の違う人々を排撃したりする人々は、何か私とは違う「宗教」を信奉しているとしか思えないので。本書には、戦前の国体論的な神道に流れをくむ神道政治連盟を取り上げた論考もあるが、むしろ、「右傾化」とは結びつかないはずの創価学会・公明党が、今や自民党に「内棲」化してしまった経緯(自民党からの恫喝が決定的な原因なのか)を論じたものや、統一教会=勝共連合や幸福の科学=幸福実現党などの新興宗教に関するものが面白かった。要するに信者たちは、何か自分の存在根拠となる集団がほしいのかな、と思う。そして、古い社会では宗教が果たしていた人と人の紐帯の役割が、民主主義の社会では政治にとって代わられているのかもしれない。でも、右傾化する宗教としない宗教(特に新興宗教)は何が違うんだろう?など、いろいろ考えさせられた。

 それから、強い危機感を感じたのは教育の問題である。1980年代後半以降、日本の教育がじわじわと侵食されてきたことがよく分かった。でも保守派は日本を強くし、国際社会における日本のプレゼンスを高めたいはずで、それなら親や教師のいうことを聞く子供を作っている場合じゃないと思うのに、彼らはそう考えないようだ。家族と女性についても同様である。私は強い個人、他人に過度に依存しない、したがって他人を攻撃したり搾取したりしない個人を育てることが、誰でも暮らしやすい社会をつくることにつながると思うのだけど、そう考えない人は多いのだな。まあ宗教としては、家族の形は神が創造したとか、家庭を守るのは女性とか、信じることは勝手だが、それを他人に押し付けることに政治が介入するのは、よろしくないと思う。

 安保法制とか共謀罪を考えることも重要だが、教育や家族など、より身近な問題で何が起きているかをまとめて振り返るには好適な論集だった。
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風にのる仙人/雪村(東京芸大大学美術館)

2017-04-20 22:52:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京芸大大学美術館 特別展『雪村-奇想の誕生-』(2017年3月28日~5月21日)

 この春、いちばん楽しみにしていた展覧会。戦国時代の画僧、雪村周継(せっそんしゅうけい)の主要作品約100件と関連作品約30件によって、雪村の「奇想」はどのようにして生まれたのか、その全貌に迫る。特設サイト(音が出ます!)によれば「15年ぶりの大回顧展」とあるが、2002年に千葉市美術館で開催された雪村展(山下裕二先生企画監修)を私は見に行った記憶がある。まだ、水墨画の世界におそるおそる首をつっこんだばかりの頃だったから、雪村(せっそん)の名前と作品も、ほとんどこのとき初対面だったと思う。

 しかし、雪村から室町水墨画に入った私は、とても幸運だった。こんなに自由で楽しい世界があっていいんだ!と思って、すぐに虜になってしまった。雪村は、常陸国部垂(茨城県常陸大宮市)生まれの佐竹氏だが、代表作は関西にあるものが多い気がする。旅行の折に、大和文華館の『呂洞賓図』や京都国立博物館の『琴高仙人・群仙図』を見ることができると、いつも得をした気分になる。

 本展は、やっぱり『呂洞賓図』(前期-4/23)が一押しのようだ。入口にはこの作品のデジタル複製があって、湯気だか煙だかがゆらゆら立ち上る動画が流れている。展示は、まず雪村の生涯を概観し、常陸の修行時代→小田原・鎌倉滞在時代の作品から紹介する。茨城・常陸太田市の正宗寺(うう、行きにくそうな立地)に伝わる『滝見観音図』の模写や、ミネアポリス美術館所蔵の『山水図』など、めずらしい作品を見ることができてうれしかった。京博の『夏冬山水図』二幅は繊細でじわじわ胸に迫る素敵な作品だったが、全く記憶になかった。自分のブログを検索したら、宮島新一先生が日経ビジネスオンライン『日本美術と道づれ』で好きな作品にあげていらっしゃるようだった。

 『琴高仙人・群仙図』は後期だが、『列子御風図』を見ることができて嬉しかった。ひゅるひゅると風を巻き上げて(私の造像)垂直に浮かび上がった列子は、長い触角の生えた昆虫のようだ。『竹林七賢酔舞図』の仙人たちもかわいい。みんな、私の好きな中国武侠ドラマの登場人物たちに見えてくる。いま金庸の『射雕英雄伝』2017年版をYouTubeで視聴中なこともあって、みんな老頑童や洪七公の仲間たちのような気がしてくる。いや、雪村が現代に生きていたら、ああいうドラマが大好きだっただろうなあと思う。大和文華館の『呂洞賓図』の独創性は言うまでもないが、雪村は、龍の頭上で腰を落とした呂洞賓の図(通期・個人蔵)やこの反転図(後期・個人蔵)も描いている。ほかにもバリエーションがあったかもしれないと思わせる。

 雪村が晩年を三春で過ごしたことは、あまり意識していなかった。晩年の作品は山水図が好き。笠間稲荷美術館所蔵の『金山寺図屏風』の緻密さ。一方、現し世とも幻想の世界とも分からないような『山水図屏風』(栃木県立博物館)など。湧いては消える雲と、大地(山)の区別がなくなって、大地もふわふわ漂っているのが雪村の山水世界なのである。

 後世の画家による雪村トリビュート作品がたくさん集められており、特に光琳が雪村を深く敬愛していたことがあらためて分かったのは収穫だった。確かに光琳が繰り返し描いた布袋さんは、雪村の布袋によく似ている。

 図録はどの作品の解説も詳しく、寄稿者も充実していて読み応えあり。この展覧会で、15年前の私のような雪村ファンが大量に生まれてくれたら嬉しい。グッズは「雪村出世飴」が下町らしくて楽しかった。鯉、龍、呂洞賓が各2個ずつだったが、個人的に、雪村といえば「馬」を入れてほしかったと思う。


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真言律宗の名宝、勢ぞろい/奈良 西大寺展(三井記念美術館)

2017-04-18 23:58:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展 創建1250年記念『奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝』(2017年4月15日~6月11日)

 西大寺の公式サイトを見ると、天平神護元年(765年)孝謙上皇が重祚して称徳天皇となり、金銅製の四天王像を鋳造されたのが西大寺のおこりと説明されている。よって、2017年は、ピタリ創建1250年ではないようだが、奈良の西大寺+真言律宗の諸寺院の名宝を集めて展観する企画である。わりと最近、真言律宗関係の展示があったような気がして調べたら、2016年に叡尊の弟子・忍性を主役とする展覧会が、奈良博と金沢文庫で開かれていた。私は、叡尊も忍性も好きなので、連続して真言律宗の展覧会が開かれるのは大変うれしい。

 最初の展示室は密教法具が中心。暗い空間に金色の法具が浮かび上がり、神々しい。ほとんどが西大寺の所蔵品だったが、小さな厨子入りの金銅製の愛染明王坐像は称名寺(金沢文庫)の所蔵とあった。しかし、あまり記憶にないものだった。西大寺の金銅透彫舎利容器(鎌倉時代)は、繊細な細工にためいきの出る逸品。ちょっと日本製とは思えない。六花形の屋根を持ち、円筒形の釣り灯籠のようなかたちをしている。

 西大寺の瓦と塼(せん)、茶室には大茶盛式の大茶碗に微笑んで、展示室4に進むと、仏像と肖像彫刻がたくさん! 西大寺に伝えられる興正菩薩(叡尊)坐像も来ておいでだった。八の字の垂れ眉毛が特徴だが、解説を読んで姿勢のよさにも気づいた。それから太い血管の浮き出た大きな手が、いかにも実務家である。そのほか西大寺からは、愛染明王坐像(善円作)、文殊菩薩坐像、善財童子立像、最勝老人立像などもいらしていて驚いた。獅子がいないのは残念だったが、三井記念博物館の展示ケースだと入らなかったかもしれない。

 仏画では、西大寺の『十二天像』(平安時代)から、目の大きい白象に乗った「帝釈天像」と羊に乗った「火天像」(前期)。東寺の十二天像と違って、やや素朴絵ふうで生命力にあふれていて、また別の魅力がある。宝山寺の『愛染明王像』は、宝瓶から少し浮き上がった円相の中に、赤を基調とした色鮮やかな愛染明王が浮かび上がっている。美しい。

 また舎利容器などの繊細な工芸品をはさんで、最後の部屋は、入った瞬間に「見たことのある仏像」の集団に目がとまった。「真言律宗一山の名宝」「忍性と東国の真言律宗」をテーマとした展示室で、奈良・百毫寺の太山王坐像(閻魔王)(大きい!)と司命・司録像、鎌倉・極楽寺の忍性菩薩像、称名寺の頭の大きい釈迦如来立像、十大弟子立像の一部などがいらしていた。後期には、浄瑠璃寺の吉祥天立像(!)や極楽寺の釈迦如来坐像など、秘仏もおいでになるようだ。そして図録を見ると、どうやら東京展には出陳されず、大阪展(あべのハルカス)か山口展(山口県立美術館)だけに出陳されるもののありそうなのが気になる。
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2017引っ越し完了

2017-04-17 22:31:43 | 日常生活
2年間暮らしたつくばの宿舎は、こんな部屋でした。





壁には、使えないヒーター(セントラルヒーティング)の名残。撤去するとお金がかかるから、そのままにしてると聞かされた。台所のガスレンジ横のガラス壁にはヒビが入っていたけど、それも気にするなと言われた。まあ、旧公務員宿舎なんてこんなもの。ただみたいな家賃だったので文句はない。



ドアを出ると、だいたい毎日、正面(北側)に筑波山が見えていたのに、宿舎退去の日は、天気が悪くて見えなかったのが心残り。そしてこの心境、和歌になるなあと思いながら、詠めないのが悔しい。
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コレクション自慢/絵巻マニア列伝(サントリー美術館)

2017-04-16 23:56:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 六本木開館10周年記念展『絵巻マニア列伝』(2017年3月29日~5月14日)

 東京に引っ越して、ようやくネットも開通。今週末は、気になっていた展覧会にも行ってみることができた。本展は「絵巻」を通じて、個性に満ちた「絵巻マニア」の人々に焦点をあてた企画。登場する「絵巻マニア」は、後白河院、花園院、後崇光院・後花園院父子、三条西実隆、足利将軍家、松平定信。まあ、なるほどの人選である。

 制作にかかわった作品の質の高さで群を抜くのが、冒頭の後白河院。『病草紙』断簡が複数出ていて有難かった。「不眠症の女」はサントリー美術館所蔵だったか。見た目は特に病気らしさもない女だが、同輩たちが無防備な寝顔をさらしている中で、ひとり体を起こしている「わびしさ」が表現されている。指先は数を数えているのかしら。個人蔵の「居眠りの男」は色彩あざやかで明るい画面。あと九博所蔵の「侏儒」が出ていた。

 『伴大納言絵巻』がデジタル複製、『年中行事絵巻』が伝・田中親美模写の京都市立芸術大学本だったのは仕方のないところ。東博の『後三年合戦絵巻』が出ていたのは嬉しかった。後白河院も後三年合戦を描く絵巻(承安本)を制作させており、蓮華王院→醍醐寺→仁和寺に所蔵されていた記録があるが、行方不明である。展示の貞和本は承安本の面影を伝える作例と考えられている。

 後白河院が上洛した源頼朝に、自慢の絵巻コレクションを見せようとしたが、頼朝が丁寧に遠慮したという話が『古今著聞集』に載っているというのは知らなかった。どうもこの二人の関係は面白い。一方、実朝は和歌や絵巻を愛好したことという。へえ、和歌はともかく、実朝が絵巻マニアだとは思っていなかった。『吾妻鏡』には、実朝が「小野小町一期盛衰事」を好んだ記事がある。ということで「九相図巻」(個人蔵)が展示されていたが、すさまじかった。首のくるっとひっくり返った犬のいるやつである。実朝の趣味、よく分からないなあ。

 花園院は、あまり絵巻マニアの印象がなかったが、父の伏見院ともども絵巻好きで、この父子の周辺で絵画制作に従事していたのが高階隆兼であると聞くと、なるほどと思う。三の丸尚蔵館本の『春日権現験記絵』などを展示。後崇光院と後花園院も父子で絵巻好きであったことが、日記や書簡から浮かび上がる。『彦火々出見尊絵巻』が「若狭国松永荘新八幡宮」にあるという記事は、後崇光院の『看聞日記』に見える。展示は複製だったが、『看聞日記』の当該箇所を見ることができて、ちょっとわくわくした。この父子は『玄奘三蔵絵』(藤田美術館)も興福寺大乗院(※『応仁の乱』に出てきた)から取り寄せて見ているのだな。

 『実隆公記』を残した三条西実隆も絵巻マニアで、『酒呑童子絵巻』など数々の制作にかかわった。2012年のサントリー美術館『お伽草子』展でも同様の指摘がされていたと思う。室町時代の絵巻は、絵も物語も稚拙で、そこが一種の魅力になっている感じもする。足利将軍家では、義教が後崇光院と後花園院の絵巻貸借サークルに加わっていた由。また、義尚は「天性の絵巻好き」と呼ばれている。私は、足利家=唐物愛好のイメージが強かったので、彼らの内心でどのように「棲み分け」ていたのか興味深い。

 最後の松平定信は、考証マニアであったことは確かだが(絵画+文学を楽しむような)絵巻マニアだったかどうかは疑問。しかし『蒙古襲来絵詞』が世に知られるようになったのは、新井白石の武器考証書に紹介されてからで、定信の求めにより、細川斉茲がこの絵巻を江戸に運んで以来だというのは面白い。伝統の始まりは、意外と新しかったりするものだ。最後に付け加えておくと、歴史上、女性の「絵巻マニア」はいなかったのだろうか。主な享受層は、むしろ女性だったのではないかと思うのだが。
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