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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

お役所ネットワーク管理者の悲哀/ITmedia

2004-07-27 00:12:10 | 見たもの(Webサイト・TV)
○「松本市、かくBlasterと戦えり」(ITmediaエンタープライズ 204.7.23)

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0407/23/news084.html

 久しぶりにWeb上の記事。一読して他人事とは思えなかった...

 実は私もネットワーク管理者の仕事を2年ほどやっていたことがある。この松本市の宮尾さんのケースと同じで、技術のバックグラウンドもないのに、無責任な役所の人事異動の結果、そこに座らされてしまったのである。
 
☆「PCが1人に1台配られるということは、さまざまな人がPCを利用するということ」「操作に不慣れなためささいなことでも周りの人に聞くのではなく、情報政策課に電話してくる人がいた」

 全くそのとおり。さらに言えば、ネットワークにつながったPCは他人を攻撃する凶器にもなり得る。同僚とはよく「免許もなしに公道に出るのはやめてもらいたいっ」と言い合っていたが、過激な比喩を使えば、物の分別もつかない子供に実弾を装着した銃を配るようなものである。

☆「ウイルス対策ソフトは導入されていたが、更新状況までは把握できていなかった」「公用パソコンの持ち帰りについても、特に対策はなされていなかった」「最大の反省点として、『何よりセキュリティパッチが確実に適用できていなかったこと』を挙げる」

 ふむふむ、このへんは、うちらはがんばっていたな。セキュリティパッチは必ず当てさせて、作業完了を申告させていたし、ときどき無断チェックも入れてたし。「職場のパソコンを持ち帰って家で仕事したい」というおじさんの要求を絶対ダメ!と突っぱねるのは一苦労だったが、やっぱりあれは正しかったわけだ。

☆「もともと役所には定期的な異動があるため、専門性を持った人材の確保が難しい」

 これは役所では最大のネックである。でも、一方では、代替要員がいなくて動きたくても動けないため、もっと幅広い専門知識や高次の技術を習得できない悩みを抱えている職員もいる。

☆「1人1台体制によって管理対象が増え、仕事が増加したにもかかわらず、職員の数はそのまま」「役所に限った話ではないだろうが、セキュリティはどうしても目に見えないため、後回しになりがち」

 ほんとにねえ。セキュリティを守る仕事って、何かを作り出す仕事ではなく、「何もない」のが最上の状態だから、へとへとになるまで頑張っても「仕事あったの?」と言われてしまうんですよね。

 専門家には笑われるだろうけど、今日もどこかで頑張っている、素人ネットワーク管理者の皆様のために合掌。どうぞ一日無事でありますように。

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差別の闇/野中広務

2004-07-26 22:39:52 | 読んだもの(書籍)
○魚住昭『野中広務:差別と権力』講談社 2004.6

 これはスキャンダルではないのだろうか? 日曜日、久しぶりに実家に帰り、新聞を広げた。短い書評欄が本書を取り上げていて、巻末のエピソードが、ほぼそのまま引用されていた。

 2003年9月、政界引退を決めた野中広務は、最後の自民党総務会の席上、政調会長の麻生太郎に向かって「あなたは『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。私は絶対に許さん!」と厳しく噛み付いた。総務会の空気は凍りつき、麻生は否定せず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

 本書が刊行されたことにも、大新聞の紙面が引用したことにも、麻生が異議を申し立てないということは、これは事実なのだろう。これが事実なら、麻生太郎は、政治センスも人権センスもゼロの政治家ではないか。この発言に比べたら、山拓の女性スキャンダルなんてかわいいものだし、菅直人や小泉首相の年金未払いも大した汚点ではない。

 それなのに、どうしてこのスッパ抜きが麻生太郎という政治家にとって、致命的ダメージにならないのか? 情けない、腹立たしいことだけど、それは我々日本人の多くが、差別の構図を内心で許容してしまっているからなのだろうか?

 野中広務は被差別出身者であることを隠してこなかったという。しかし、この評伝が月刊誌に掲載された直後は、「君がのことを書いたことで私の家族がどれほど辛い思いをしているか知ってるのか」と涙を浮かべて著者を叱責したともいう。

 私は本書を(正確には本書の書評を)読むまで、野中の出自について全く知らなかった。読後感は複雑である。差別との戦い方はさまざまであると思う。政治家として、別の選択肢もあったように思われる。しかし、それは言うだけならたやすいことかも知れない。

 1999年、数々の議論と反対を押し切り、国旗・国歌法案を成立させたのが、差別の闇を知る野中の意思であったということには、何か暗澹とした現実の重みを感じてしまう。

 そういえば、「毒まんじゅう」騒ぎのとき、野中氏の自宅の玄関にまんじゅうを置いて反応をうかがっていた若い記者がいて、いくら何でもはしゃぎ過ぎじゃないかと思った。彼ら、屈託のない若いマスコミ関係者には、差別の闇の深さなんて分かるのだろうかね。

※私の読んだ朝日新聞の書評はこちら。http://book.asahi.com/
 たぶん1週間遅れで掲載されるようだ。

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少年は成長する/ハリー・ポッター第3巻

2004-07-26 00:43:49 | 読んだもの(書籍)
○J.K.ローリング『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』静山社 2001.7

 やれやれ、やっと追いついた。何に? ――映画にである。

 今夏公開中の映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の宣伝は、これまでの2作品に比べて、格段に魅力的な匂いを漂わせていた。主役の3人組は子供から成長期の顔になっていたし、脇を固める俳優陣も名優揃いだとか、漏れ聞こえてくるストーリーも面白そうで、これは見たいな...と思い続けてきたのだ。

 しかし、やっぱり、まず原作を読みたい。よけいな予備知識なしに活字をたどる楽しみを失いたくない。というわけで、律儀に第1巻からスタートし、ようやくこの第3巻に追いついたわけだ。

 私は自分の判断が正しかったと思う。この作品は「読むべきもの」だ。訳者が巻末に書いているように、ハリー・ポッター・シリーズは第1巻から「子供の本としては長すぎる」と言われたらしい。とりわけこの第3巻は、終盤に過去の出来事をめぐる長い説明が続く。

 「しかしイギリスやアメリカの子供たちは、その長い説明を難なくクリアして、第3巻が一番面白いという。これまで大人は子供の理解力や判断力を過少評価してきたのではないかと思う。」

 そう、子供の読む力を過少評価してはならない。だが、一方で、私は思う――かなり多くの子供たち、大人たちは、さきに映画を見てしまうんだろうな、と。もったいない! この第3巻は、確実に活字で読んだほうがいい。映像を受け流すだけでなくて、主体的に「解読」にかかわったほうがいい。

 本編では、主人公のめざましい成長とともに、さまざまな人間の複雑な心理がハリーの目に映るようになってくる。善と悪は、これまでのように分かりやすい姿で現れない。悪に見えたものが善であったり、善と思われたものが悪であったり。また、ハリーは自分自身の中にみじめな弱さや、父親の仇敵を殺したいという凶暴な憎悪を認めなければならない。

 第3巻の面白さは「謎解き」の要素において際立つ。ハリーが見た黒犬は本当に死の予兆なのか。アズカバンの脱獄囚シリウス・ブラックとは何者であるか。なにゆえハリーのいるホグワーツを目指すのか。新任教師ルーピン先生(いいなあ、この先生!)の秘密とは? そして、ハリーはどうやって絶対絶命のブラックを救うのか?

 もちろん普通のミステリーだったら、人間が動物に変身したり、時間をさかのぼるなんて答えはNGである。しかし、ハリーの世界ではそれも有りで、かつ作者が常に周到な伏線を引いているので、我々は難なくその面白さに取り込まれてしまう。

 そして、児童文学にとって最大の謎解きは、主人公が「自分は何者であるのか」という問いに一定の答えを出すことだと思う。この点、ハリーの答えはまだ半分しか出ていない。自分の守護霊(パトローナス)が何者であるかを知ることは、重要な一歩だと思うが、まだ、彼の両親の死の真実も、全てが明らかになったとは言えない。本編では逃がしてしまったペディグリューなど、気になる新しい伏線も張られている。

 ハリーの探求と冒険は続く。うれしい。映画はどうしようかな...機会があったら見ると思うけれどね。
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だめんず・うぉ~か~(7)

2004-07-25 22:57:21 | 読んだもの(書籍)
○倉田真由美『だめんず・うぉ~か~(7)』扶桑社 2004.7

 1、2巻を暇つぶしに買って以来、全巻ではないけど、ときどき読んでいる。もう7巻目だが、ネタにあまり新味はないように思った。結局、ウソつき、暴力、金銭目当てなど、「ダメ男」って、ある種のパターンの中にしかないものなのかなあ。

 作者のくらたまさんは、この巻では福島瑞穂と対談をしたり、自称ナンパ師との対談で厳しく男性をたしなめたり、まじめな発言が多くなっている気がする。発言の中味は同感できることばかりで正しいんだけど、あんまり作者がエラくなると、作品がおもしろくなくなるので、そこが心配。

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アメリカの民話/ディズニーの魔法

2004-07-21 14:09:07 | 読んだもの(書籍)
○有馬哲夫『ディズニーの魔法』(新潮新書)2003.11

 私は子供の頃、ディズニーの長編アニメがあまり好きではなかった(好きだったのは、むしろ動物ものなどの実写ドラマだった)。だから「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」など、ウォルト・ディズニー時代の長編アニメをあまり記憶に残していない。これらは、むしろ「読んだもの」として、ずっと強い印象を今日に残している。

 まして最近の「リトル・マーメイド」や「美女と野獣」になると、見ようとも思わなかった。かくして今回初めて、ディズニー版のストーリーの改変ぶりを知って、かなり呆れてしまった。

 うーん。そこまでやるのか、という感じである。「リトル・マーメイド」のアリエルは、明るく屈託のないヤンキー娘で、積極的に王子を誘い、最後には愛を成就させる。何も失わず、願ったものは全て手に入れてしまう。

 「美女と野獣」はフェミニズムの寓話である。ハンサムで男らしく村娘の憧れの的--しかし一種のセクシストであるガストンを敵役に副え、ベルは改悛したセクシストである野獣を夫に選ぶ。

 著者の言うように、それぞれの時代は、それぞれの時代のメディアによる「民話」を必要とする。「民話」は語り手と受け手の希望--つまり、語りの場に応じて改変され、語り継がれていくものだと思うから、ディズニーのやったことが特に悪辣だとは思わない。

 でも、それにしても、この改変は薄っぺらな気がする。こんなものを与えられて育つ子供たちは、ファーストフードが世界一のご馳走だと思わされるようなもので、かわいそうだと思うんだが、そもそも親の世代が、本物の文学を読む喜びを知らないのでは、どうしようもないか。
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夢の名残/四天王

2004-07-19 12:13:33 | 読んだもの(書籍)
○『神仏のかたち(2)四天王:仏敵から世界を護る最強の守護神』(Gakken Mook)学研 2004.5

 四天王に始まり四天王に終わった、今回の見仏旅行の興奮がさめやらないので、こんな本を開いて、夢の余韻に浸っている。

 うんうん、やっぱり四天王はいい。十二神将とか二十八部衆もおもしろいけど、ちょっとイメージが分散されすぎるというか、想像が放恣に流れすぎるきらいがある。

 帝釈天のように1人でスーパーパワーを表現するのも難しい。結局、抽象になってしまって面白みにかける。

 四天王の4という数は、それぞれが個性を有し、かつチームとしての強力なパワーを表現するには、ちょうどいいのではないかと思う。

 それにしても、各寺院の四天王を見比べるには、こうして写真集に頼るしかない。実物を並べて見るのことのできる「日本の四天王」みたいな展覧会が、いつかできないものかなあ。

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西南見仏旅行:3日目/南河内

2004-07-18 11:41:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
○道明天満宮→道明寺→野中寺→葛井寺→辛国神社→当麻寺

■道明寺

 南河内の道明寺、野中寺、葛井寺は、それぞれ、毎月18日に仏様の特別拝観を行っている。今回の旅行は、山口の周防国分寺展を見に行くために計画されたものだが、ちょうど帰路が18日に重なるということで、大阪に1泊し、これらのお寺をまわることになった。

 寺社はいずれも再訪である。私はこの周辺の、ポコポコと古墳が点在するのんびりした風景が好きで、1年に1回くらいの割で訪れている。

 道明寺は、とりわけのんびりした感じだ。拝観券売り場には、中年の女性が座っていて、隣に座っているお年を召したおばあちゃんを時々気遣いながら、てきぱきとお客をさばいていた。三々五々拝観客の訪れる本堂は、勝手にご覧くださいというようにほったらかしである。

 18日にお厨子の開くご本尊は、平安中期の十一面観音(国宝)である。いちおう「檀像風」に分類されているが、私はもう少し国風の匂いを感じる。檀像には中性的なイメージがあるのだけど、もっと女性的な感じで、尼寺にふさわしい(写真は、十一面観音のイメージを写した、道明寺の庭の石仏)。

 そのほか、本堂の仏像の中に、仁王だか四天王の一体だか、剣を水平に突き出して構えたものがあった。尼寺の用心棒のようで、ちょっと可笑しかった。

 なお、お寺ではお土産に「道明寺糒(ほしいい)」を売っていて、「巴里万博出品」と書かれたレトロな包装が泣かせる。次回は買ってきて、桜餅でも作ってみることにしよう。

■野中寺

 野中寺では白鳳期の弥勒菩薩像を拝観。ここは拝観客一組ずつ、ご案内が着いて、お客がいなくなると、お厨子はもちろん、座敷の雨戸も閉めてしまうという徹底ぶりである。なんとなく気ぜわしいのが残念。

■葛井寺

 葛井寺は西国三十三ヶ所の第五番札所で、現役感のあるお寺だ。商店街もあるし、境内に露店も出ていた。ご本尊の千手観音は天平時代の乾漆像である。千本の手を丹念に重ねた上に、さまざまは法具を持った少し太い腕を突き出させている。千手観音の原初的なスタイルである。しかし、現在のお堂では、お厨子の扉が細々と開くだけなので、圧倒的な迫力を持つ全体像を把握できないのが非常に残念である。

■当麻寺

 最後は当麻寺へ。近鉄・当麻寺駅からまっすぐ伸びた、日陰のない参道を歩く。一昨年であったか、12月半ばに来たことがあって、吹き下ろしの寒風に泣きそうになった記憶があるのだが、今回は炎天下である。門前に着いたところで耐え切れず、茶店の氷宇治金時で水分と糖分を補給した。

 当麻寺の拝観もあわただしい。本堂(曼荼羅堂)のほかに、金堂と講堂があるのだが、これを女性1人が、かけもちで案内してくださる。お堂に拝観客だけを残すわけには行かないらしく、「次は金堂に移ってください」「次は本堂へ」と急き立てられるのだ。

 金堂の四天王(白鳳時代)は、知る人ぞ知る、名品である。私が当麻寺に来るときは、この四天王に会いにくるようなものだ。あまり類例が見あたらないので説明しにくいが、ちょっと無頼(ぶらい)の顔つきをしている。あまり仏国土の住人という感じではなく、黒澤映画にでも出てきそうである。この旅行は四天王で始まり四天王でシメることになったな、と思うと満足であった。

 最後に西南院という塔頭寺院を初めて拝観したが、仏様の安置されているお堂は、ガラスが邪魔になって中がよく見えないのが残念だった。(07/25記)
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西南見仏旅行:2日目/大宰府

2004-07-17 02:24:23 | 行ったもの(美術館・見仏)
○九州歴史資料館→大宰府(宝物館)→観世音寺→戒壇院→玄の墓→都府楼跡→国分寺瓦窯跡→筑前国分寺→国分尼寺跡

 



■九州歴史資料館

 西鉄大宰府駅で自転車を借り、住宅地のはずれにある九州歴史資料館に向かう。9:30開館のところ、9:00過ぎに到着してしまったので、しばらく外で待っていたら、親切な館員の方が、少し早めに開けてくれた。

 この資料館は、福岡県の施設らしいが、なぜか無料で開放されている。古代の瓦、土器、鏡、埴輪、近隣の寺から預かったらしい仏像など、なかなかの名品揃いで、見応えがあるのだが、訪れる人はあまり多くない。ちょっと残念である。

 すぐ隣には、平成17年度開館予定の九州国立博物館(仮称)がもう姿を現しているはずだが、丘陵地の陰になるのか、見えなかった。

■大宰府天満宮

 それから、大宰府天満宮に参詣。小さな文化財(橋のたもとの志賀社など)をチェックし、宝物館を流す。昼時になってしまったので、参道の茶店に入り、梅が枝餅と抹茶のセットを賞味。

■観世音寺

 初めて観世音寺を訪れたのは冬だったと思う。体育館のようにだだっぴろい宝物殿に、暖房がなかったことが、妙に記憶に残っていたが、案の定、夏も冷房は入っていなかった。

 ここは、なんといっても、巨大な馬頭観世音と不空羂索観音の印象が強烈である。渋い表情をした痩身長躯の大黒天も忘れがたい。ほかの仏像が立派すぎるもので、隅に押しやられている感のある四天王も実はなかなかいい。怒りの表現に品があって、周防国分寺の四天王にも通じる。持っている武器が刀剣でなく、仏教の法具なのが典雅である。

 さらに、毘沙門天の単立像がものすごくいい。足元の小さな地天女と二匹の邪鬼が、ポーズも表情も演劇的で、いろいろな想像を掻き立てられる。主役の毘沙門天は、よく見ると不自然な体のひねりかたをしているのだが、不思議と誇張が目立たない。

 そのあと、人家の軒先にある玄の墓に立ち寄り、都府楼跡を遠目に眺めるなどして、サイクリングを続ける。路はだらだら坂である。自転車を漕いでいると向かい風が気持ちいいが、日差しが肌を刺すように痛い。

■筑前国分寺、国分尼寺跡

 筑前国分寺は大宰府から少し離れたところにある。私は大宰府は再訪になるが、同行者から、今回のサイクリングコースの提案を聞いたとき、自分は国分寺には行っていないと思い込んでいた。

 ところが、国分寺址が近づいて周囲の風景を見たとき、突如、「私はここに来たことがある!」ということを思い出した。道路より一段高い草地にある礎石に這い登りながら、同じ場所に同じように苦労して登った記憶がよみがえった。

 前回は古代の国分寺址を見て通り過ぎただけだったが、実はその隣に、今も国分寺の名前を伝えるお寺が残っている。今回初めて、こちらにも参詣した。平安後期の大きな薬師如来を拝観させていただける。

 国文尼寺址のほうは、案内板に「礎石が1つだけ残っている」とあったので、どこにあるのだろうと田んぼを覗き込んでいたら、近くで農作業をしていたおじさんが「道路の向こうに移されているよ」と教えてくれた。ありがとうございます。

■福岡市美術館

http://www.fukuoka-art-museum.jp/

 それから、博多に戻り、福岡市美術館を訪ねた。ここも同行者の希望によるもので、私は「来たことがない」と思って着いて来たのだが、大濠公園の風景を見たとたん「来たことがある!」と叫んでしまった。出張で初めて博多に来たとき、仕事のあと、九州大学の方にこの美術館を案内してもらい、美術館のカフェでお茶をご馳走になったのである。

 そのとき短時間で案内していただいたのは、一般受けする近代絵画や工芸品の部屋が中心だったので、古美術好きの私は、やや後ろ髪をひかれる思いだったことを思い出す。今回はもちろん古美術を主に堪能した。東光院仏教美術室は充実しているが、狭い空間にちょっと詰め込みすぎの感もある。

 このあと、福岡市博物館(夏は夜7:30まで開館中)に未練を残しながら、博多を後にする。今夜の宿泊先は大阪だ。(07/24記)
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西南見仏旅行:1日目/山口

2004-07-16 22:43:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
○山口県立美術館『平成大修理完成記念 周防国分寺展-歴史と美術-』

山口県立美術館 http://www.pref.yamaguchi.jp/kenbi/
周防国分寺 http://www5.ocn.ne.jp/~suoukoku/





 久しぶりに遠出をすることになった。朝いちばん、6時の「のぞみ」で東京を発つ。

 防府にある周防国分寺を訪ねたのは2年前のことだ。同寺の拝観は予約制である。私は当日か前日に電話を入れて、運よく住職の奥様に1対1でご案内いただいた。

 巨大な金堂は改修中だった。代わりに、屋根の低い持仏堂に案内され、細長い次の間を開けていただくと、ど迫力の四天王像をはじめ、古風で端正な仏像が、狭い空間に文字どおり、ひしめきあっていた。さらに壁際のパネルでは、絵画・文書・工芸な用ど豊富な寺宝が紹介されていて、私は驚愕した。

 金堂の修理がいかに困難な事業だったかは、展覧会図録に寄稿されたご住職の文章に詳しい。もちろん国や県の多額の補助なしにはできない事業だが、何割かの経費は寺も負担しなければならない。元来、檀家を持たない国分寺の経営は苦しい。これだけの寺宝を有していても、京都や鎌倉などと違って、観光収入も当てにならないという。

 平成16年に大規模な展覧会が予定されているということも、このとき、住職の奥様から伺った。「さあ、どれだけお客さんがいらっしゃるものか...でも、展覧会のあと、仏様を本堂に搬入する費用を美術館が負担してくれるだけでも大助かりなんです」と奥様はあくまで控えめでいらした。

 さて、早いものであれから2年。再会した仏像はいずれも以前に増してすばらしかった。(何せ、前回は狭い仮住まいに押し込められて持ち物も光背も外されていたが、今回は、体育館のような広い空間にスター然として君臨していた!)

 特筆すべきは、この地元の至宝を、”正当に”売り出そうとする美術館の意気込みである。ロゴもいいし、ポスターデザインもいい。”販促”グッズの数々も楽しい(写真は館報を使ったペーパークラフト。その後ろは「四天王おみくじ」。私は「毘沙門天(小吉)」で、恋愛は「美術館デートで発展あり」でした)。このほか、四天王が選べる4種類の入場券、四天王の人気投票、ジャッキー(邪鬼)のスタンプラリーなど。

 都会の美術館がここまでやったらあざといけど、地方に関しては、関心の掘り起こし策として、許す。

 それに、展示図録の解説はしっかりしていたし、周防国分寺だけでなく、周辺(県央部)の寺院から集めてきた関連の文物、特に仏像は名品揃いで見応えがあった。当日、展示解説をしていた若い男性の学芸員の方も熱心かつ控えめで好感が持てた。

 山口県立博物館、今後に注目である。

 この日は、ほかにサビエル記念聖堂、瑠璃光寺五重塔、洞春寺、八坂神社、龍福寺(大内氏館址)などを拝観。博多に出て宿泊。(07/20記)


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アナーキズム in ニッポン?

2004-07-15 00:08:24 | 読んだもの(書籍)
○浅羽通明『アナーキズム:名著でたどる日本思想入門』(ちくま新書)2004.5

 6月7日にUPした『ナショナリズム』の姉妹編である。一緒に購入したのだが、こちらはしばらく読まずに投げ出していた。

 この数年、「ナショナリズム」については、いろいろと議論かまびすしい。書店に並ぶ関連書籍を追いかけるだけでも一苦労だ。一方、「アナーキズム」という言葉は、もはや忘れかけられた骨董品というイメージが私にはある。

 ただ、本書を読んで、アナーキズムも捨てたものではない、と感じたのは、通常「アナーキスト」に分類されない人々の思想に、刷毛で刷いたようなアナーキズムの影が見い出せるという指摘だ。たとえば、「コスモポリタン」鶴見俊輔、「アナルコ・キャピタリスト」笠井潔など。

 なかでも「敵の敵は味方--コンサバティスト」の章段は面白かった。アナーキズムと保守主義が、実は、徹底した思索、欺瞞を排したリアリズム、「あらゆる権力は悪である」という認識において、双生児のように通じあっているという指摘は、非常に納得がいく。確かに、保守派の論客の著作を、毛嫌いせずに読んでみると、不逞で猛々しい、ほとんど”青春のアナーキスト”のような個我に出会うことがあるのだ。

 彼ら、アナーキストと保守主義者に共通するのは、多勢に屈しない強い自我である。「サンケイ文化人」勝田吉太郎と反スターリニズムの埴谷雄高、あるいは、吉本隆明と福田恆存なども、両者はその孤高において通じ合いつつ、互いに鏡像をなしていたのではないか、と著者は言う。

 それは同時に、アナーキズムという思想の限界を感じさせる。大多数の人間は、そんなしんどい生き方を選びはしない。ほどほどの「自由」とほどほどの「抑圧」、その結果得られる、ほどほどの「豊かさ」--それで十分でないか。

 特に、自我の主張を苦手とする日本人にとって、アナーキズムという思想が流行らないし、根付かないのは、やむを得ないことかも知れない。それにしても「日本は地震だけで間に合っています」というのは、なかなかの皮肉である。詳細は、地震と「世直し」思想を論じた「ミレニアニスト」の章段に譲る。

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