見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

作品に語らせる/森鴎外(中島国彦)

2022-08-31 22:48:30 | 読んだもの(書籍)

〇中島国彦『森鴎外:学芸の散歩者』(岩波新書) 岩波書店 2022.7

 2022年に生誕160年と没後100年を迎えた森鴎外の、読みやすくて堅実な評伝である。偉大な文豪として遥かに仰ぎ見るのではなく、ジャーナリスティックな関心で悪事や欠点をほじくり返すのでもなく、ひとりの明治人の生涯を淡々と追っていく。

 私は、まあ普通程度には日本の近代文学に親しんで育った。夏目漱石は大好きで高校時代には小説作品をほぼ読み尽くしていた。樋口一葉、泉鏡花、永井荷風、志賀直哉、芥川龍之介など、少なくとも好きな作品のひとつやふたつはあったのだが、鴎外は全くダメだった。定番の「雁」「舞姫」「青年」などを読んでみたものの、どこがおもしろいのかサッパリ分からなかった。ところが、かなり大人になってから、仕事の延長で鴎外に親しまざるを得ないことになり、津和野の生家まで行ってみたり、千駄木の鴎外記念館をときどき訪ねたりしている。

 なので、鴎外の基本的な閲歴について特に新しい知識の追加はなかった。しかし本書がとても楽しかったのは、鴎外の文章(小説・随筆・日記等)の引用が多いことである。たとえば随筆「サフラン」には、本を読み耽った少年時代、蘭医の父親にオランダ語を習った思い出が、無駄のない文体で描かれている。「独逸日記」で原田直次郎と愛妾マリイについて触れた部分、小説「細木香以」で「わたくしの家」すなわち観潮楼について述べた記述もある。日露戦争中に妻の志げに送った有名な書簡も引用されている。

 慣れ親しんだ「舞姫」や「青年」の一節には、本書の著者の読み方をなぞって、ああ、なるほどこう読むのかと得心するところがあった。ほとんど記憶の残っていない「半日」「杯(さかずき)」などは、あらためて読んでみたくなった。晩年の歴史小説は、長めの引用が多くて、小説そのものを読むようにわくわくした。

 また、鴎外と交流のあった文学者たちについても、極力、その文章に語らせている。たびたび登場するのは永井荷風で、回想記「書かでもの記」に残された、たまたま劇場で鴎外に遭遇し、友人(小栗風葉)の紹介で初めて挨拶するシーンは、これ自体が小説か芝居のように鮮やかだ。荷風先生、初々しい。「日和下駄」では、観潮楼に荷風が訪ねた鴎外は、白いシャツに軍服ズボンで「日曜貸間の二階か何かでごろごろしてゐる兵隊さんのやうに見えた」という。日露戦争に従軍した田山花袋が戦地で見た鴎外は、蠅を逐う払子を持ちながら外国語の小説を読んでいたというし、威儀を正すことにこだわらない鴎外の姿が浮かぶ。あの髭なので、もっと厳格な性質かと思ったら。

 石川啄木が鴎外に送った長文の手紙、漱石による短い鴎外作品評も採録されている。鴎外が二葉亭四迷を追悼した文章は、真情が感じられて印象深かった。追悼文なのに「つひつひ少し小説を書いてしまった」という。あと、芥川龍之介にも「文芸的な、あまりに文芸的な」に鴎外への言及があるのだな。知らなかった。意識的な執筆方針なのかもしれないが、本書を読むと、明治大正のさまざまな文学・文学者が、鴎外とつながっていることが見えてくる。

 もうひとつ気になったのは、10歳で上京した鴎外は、その後一度も故郷に戻ったことがなく、津和野を正面から描いた文章もないのだという。その生涯の最後が「石見人森林太郎」の遺書であることに、想像がふくらんで感慨深いものがある。

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井口日吉神社の十一面観音坐像(東京長浜観音堂)を見る

2022-08-29 21:49:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『十一面観音坐像(長浜市高月町井口・日吉神社蔵)』(2022年8月2日~8月31日)

 8月のお出ましは、十一面観音坐像(鎌倉時代)。写真で見たとき、それなりに大きな像かと思ったら、像高30cmに満たない、小さな観音様だった。しかし彩色された小さな頭上面のひとつひとつの表情、宝冠・瓔珞など、実に精巧で美しい。

 高月町井口(いのくち)の日吉神社(ひよしじんじゃ)は坂本日吉大社から分社勧請されたもので、大山咋命を祀る。この観音像が伝わったのは已高山の円満寺(阿弥陀堂)で、「日吉山王二十一社」の本地仏と垂迹神を表わす木像群の1躯である。本来は21躯が揃っていたと思われるが、現在は19躯が伝わる。今回は、十一面観音坐像=伊弉冉尊に加えて、千手観音坐像=国狭槌尊、男神形立像=猿田彦大神、天女形立像=大山祇尊、童子形立像=神素戔嗚尊の計5躯がおいでになっている。

 手前の男神形立像は猿田彦大神で、よく見ると鼻が高い(長い)。

 会場では、19躯勢ぞろいの写真つき解説をいただいたが、それを見ると、大宮・二宮をさしおいて、客人宮の伊弉冉尊の本地である、十一面観音がいちばん大きいのが面白い(※日吉大社山王二十一社)。何らかの理由で集まってきた仏像・神像群に二十一社を割り当てようとしたら、そうなってしまったのかなと想像する。

 スタッフの方(女性二人のうち、おひとりは学芸員だとおっしゃっていた)に「こちらは、ふだん已高山の円満寺においでなんですか?」と聞いてみたら、「いいえ、もう10年以上前から、観音の里歴史民俗資料館でお預かりしています」とのことだった。それじゃあ、私は資料館で拝見させていただいたことがあるかもしれないな。

 なお、今年は3年ぶりに「観音の里ふるさとまつり」が開催されるとのこと。ただし事前予約のバスツアーのみ(すでに完売)で、周遊バスは出ないのだそうだ。うーん、残念。

第38回観音の里ふるさとまつりの開催について(長浜・米原を楽しむ観光情報サイト)

 なお、いつの間にか、ホームページのURLが変わっていたので、ここに掲載しておく。

東京長浜観音堂

 次回展示は11月!

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軍を率いた文官/曽国藩(岡本隆司)

2022-08-28 23:58:18 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司『曽国藩:「英雄」と中国史』(岩波新書) 岩波書店 2022.7

 曽国藩(1811-1872)の名前は、たぶん高校の世界史で習ったと思う。また、大学の一般教養で選択した「歴史学」の講義が、たまたま太平天国をテーマにしていたので、曽国藩の事蹟はかなり詳しく聴いたはずだ(あのときの女性講師はどなただったんだろう?講義は面白かったのに先生の名前を覚えていない)。

 私は、その後、小説やドラマを通して中国近代史に接するようになったが、弟子の李鴻章に比べると、師匠の曽国藩の登場作品は少なく、あまり形象化されていないように思う。それもそのはず、著者によれば、曽国藩は「位はほぼ人臣を極め」「とびっきりの秀才・傑物ではある」が、「容姿風采、物腰性格もごく地味」で「気後れしつつコツコツ・マジメに努め、たえず反省を怠らない」「およそ田舎者に共通するタイプ」だという。ひどい人物評(笑)。まあ、これでは小説やドラマで印象深い役柄にはならないだろう。

 はじめに著者は、18世紀の中国が繁栄と人口爆発の時代であったこと、しかし清朝の統治機構は時代の変化に対応する拡大・改編をしなかったこと、その結果、19世紀初めの中国は、治安悪化と武装化が進み、「匪賊の国」となっていたことを述べる。曽国藩が生まれた湖南省は、後進的で貧しい地域だったため、湖南人といえば不屈の「命がけ」が人口に膾炙していた。

 曽国藩は、30歳(数え)で科挙に合格し、以後、中央官僚として順調に出世を重ねていく。一方、南方では洪秀全率いる上帝会(のちの太平天国)が1851年に武装蜂起し、清朝政府と交戦状態に入る。1852年、42歳の曽国藩は郷試の主任試験官として江西省へ向かう途中、母の訃報を受け、湖南省の実家に直行する。本来なら三年の喪に服すべきところ、咸豊帝から、湖南の「団練」を編成指揮し、匪賊を捜査するよう勅命が下る。

 そこで曽国藩は、湖南全域の紳士(郷紳)に丁寧な呼びかけを行う。いちいち自著した書翰を送ったというのがポイント。岳飛の言葉を原典にした「不要銭、不怕死」のスローガンも巧い。そして湘軍を組織し、「粤匪」すなわち太平天国と激突することになる。しかし曽国藩は文官である。アジテーションの文才はあっても、実戦の経験や用兵の才は全くない。緒戦で大敗し、逃げ出す兵卒に激怒し、絶望のあまり湘江に飛び込んで自殺未遂事件を起こしてしまう。のちに天子に宛てて、自分の不甲斐なさを切々とつづり、謝罪する上奏文も残っているという。専門外の仕事に借り出された不幸とはいえ、こんなに情けないおじさんだったとは…。

 その後も敗戦が相次いだが、なぜか湘軍は瓦解しなかった。困苦欠乏に耐えうる湖南人の気質に加え、曽国藩が徹底して私的な縁故関係で組み上げた組織なので、上下の信頼感が強かったからだろうと著者は推測する。湘軍は、既成の官軍やほかの団練・郷勇よりも、信仰でまとまった太平天国軍に似ていたという指摘が興味深い。

 清軍と太平天国軍の戦闘は14年に及んだ。精鋭をうたわれた湘軍も、次第に人的資源の枯渇と弛緩・劣化が目立つようになり、曽国藩は幕僚の李鴻章(1823-1901)に命じて新たな軍隊「淮軍」を結成させる。李鴻章・左宗棠の活躍により孤立化した天京(南京)は、1864年、曽国藩の弟・曽国荃の軍の猛攻(略奪・殺戮を含む)によって陥落し、ついに太平天国は滅亡した。

 清朝政府は、戦災からの国土復興に加え、新たな反乱「捻軍」の鎮圧、列強との外交、「洋務」の導入、教会襲撃事件(教案)の処理など、数々の課題に取り組まなければならなかった。この過程で、曽国藩と李鴻章の立場が逆転していく。この二人は12歳差だが、ちょうど時代が大きく動く転換点のためか、または持って生まれた性質のためか、年齢差以上に曽国藩は旧時代の人、李鴻章は新時代の人、という感じがある。

 曽国藩の死後、李鴻章は師の顕彰に尽力した。もちろん亡き師への尊崇・追慕の念に発する行為と思われるが、曽国藩の正しい後継者として自らを位置づける政治的アピールだったとも解しうる、という著者の見方は、なかなか穿っている。蒋介石や梁啓超が曽国藩に傾倒したというのは、著者の説明を読むと腑に落ちる(蒋介石は李鴻章には批判的だった)。人の評価は、棺を蓋いて定まるというけれど、全然そうではなくて、時代とともに二転三転するのが、政治的人物の面白さである。

 岡本先生、これで「李鴻章」「袁世凱」「曽国藩」の三部作をものされたわけだが、ええと、康有為とかどうですかね。梁啓超はちょっと違うかなあ…。西太后も読みたいなあ。

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2022東大寺大仏殿夜間参拝・春日大社中元万燈籠

2022-08-24 22:34:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

 お盆旅行の行先を奈良にしたのは、この二つの行事を久しぶりに体験したかったからだ。

 東大寺では、8月13日と14日、大仏殿の夜間参拝(無料)が行われる。8月15日は万灯供養会(要拝観料)だが、今年は灯籠の設置は行われなかった。3日間とも大仏殿正面の観相窓から大仏様のお顔を拝顔することができる。私は、14日に参拝に行った。

 拝観券売り場を素通りして(手指の消毒はあり)多くの人々がうきうきと大仏殿に吸い込まれていくのは、なんとも気持ちがいい。大仏殿の、本来あるべき姿ではないかと思う。中国系の観光客は以前ほど多くなかったが、なぜかインド系(?)らしきグループが目についた。大仏様も開眼供養を思い出しておられたかもしれない。

 正面の八角灯籠、灯が入ると夢のように美しい。

 大仏殿の向かって右(東側)の出口を出ると、鏡池の周囲をまわって南大門方面に向かうよう誘導される。鏡池を挟んで、ライトアップされた大仏殿が浮かび上がる(池にも映る)のも見どころ。

 春日大社の中元万燈籠は、8月14日と15日に行われるが、この日は東大寺だけにして、春日大社は翌15日に参拝した。三条通りから一之鳥居をくぐって、まっすぐな表参道を歩く。最後のバス通りを渡って神域の森に入るところに「若宮正遷宮」の燈籠を掲げた門がしつらえてあった。いよいよ今年10月28日は本殿遷座祭なのだな。

 門を入ると、参道の右側(飛火野側)には、春日大社の由来を物語る、美しい燈籠が並んでいた。これは今年限りの特別なしつらえなのか、いつもあるものなのかはよく分からない。

 少し並んで春日大社本殿(回廊内)を拝観。万燈籠の拝観(有料)を申し込むと、回廊をぐるりとひとまわりして、吊るされた燈籠を楽しむことができる。

 本当の意味の「本殿」の正面(中門)では「正面からの撮影はできません」と注意される。この角度は、まあ許容の範囲。

 以前来たときは、直江兼続奉納の釣燈籠を発見できたのだが、今回は見逃した。自分のブログ(2010年)を読み直したら、そうか、本殿中央の左側だったかー。

 この日は、奈良大文字送り火も行われる予定だったので、飛火野で見物する。20時になると、暗い夜空に「大」の文字が赤く浮かび上がった。なお、今年は昨年に続き規模を縮小しており、高円山で点火する「大」の字の火床数は半数(54基)に減らして実施したとのこと。そのせいでもないのだろうが、私のスマホでは「大」のかたちが分かる写真が全く撮れなかった。

 帰りみち、猿沢池のあたりで振り返ってみたら、空の高い位置に小さく「大」の字が見えた。こちらのほうがまだマシに撮れたので写真を残しておく。

 楽しかった。京都の大文字も、しばらくぶりにまた見に行きたいなあ。

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2022年8月関西旅行:承天閣美術館、龍谷ミュージアム他

2022-08-23 22:26:33 | 行ったもの(美術館・見仏)

相国寺承天閣美術館 企画展『武家政権の軌跡-権力者と寺』(I期:2022年8月8日~10月6日)

 お盆旅行最終日(この日だけ年休)は京都へ。承天閣美術館では、相国寺とその塔頭に伝来する絵画、墨蹟、古文書等から、武家政権との交流の軌跡をたどる企画展を開催中。創建者である足利義満の肖像のほか、義嗣像(室町時代、林光院)、義政像(室町時代、慈照院)など、初公開の肖像画も複数出ていて興味深かった。義政の真蹟『萬松』は生真面目な楷書で、少し拙い感じがして可愛かった。

 道有印(義満の所蔵印)を持つ牧谿筆『瀟湘八景図巻・江天暮雪図』(南宋時代)が出ていて、ええ?と驚いた。承天閣美術館のホームページには「II期」とあるが、計画変更があったのか、いまI期から出ている。自分のブログで調べたら、いわゆる『瀟湘八景図巻』(京博、根津美術館などが所蔵している)とは違う作品であるらしい。

 第1展示室には、金閣寺の夕佳亭を模した茶室があるのだが、その床の間になんだか気になる軸が掛かっていた。中央の小さな四角形は『平治物語絵詞』残欠(断簡)(相国寺所蔵)である。子どもがクレヨンで描いたみたいに鮮やかな色彩。ぎゅうぎゅう詰めの騎馬武者の中央にいるのは平清盛だ。これ、どこかで(画像を?)見たことがあると思ったが、リストには初公開のマークがついていた。それにしてもせっかくの初公開なのに、観客からかなり距離のある床の間に掛けるなんてひどい。

【注:このときの事実誤認と訂正については、2022/9/27再訪の記事を参照のこと】

 朝鮮通信使関係の資料や明・永楽帝の勅書も展示されていた。徽宗皇帝筆『白鷹図』は、まあそう思って眺めるのも一興だろう。「金渡(かねわたし)の墨蹟」は平重盛が寧波の育王山(阿育王寺)に黄金を送って「我が後世を弔わせよ」と命じたことに由来する。育王山、私は行ったかなあ。行けなかったんだったかなあ。

京都市考古資料館 特別展示『考古資料とマンガで見る呪術-魔界都市京都-展』(2022年7月14日~11月20日)

 墨書人面土器・人面板・人形・土馬など、平安時代から江戸時代の呪術に関わる多様な出土遺物を展示。ミニ展示(無料)だが面白かった。なお、京都国際マンガミュージアムで関連展示が行われている。

龍谷ミュージアム 企画展『のぞいてみられぇ!"あの世"の美術-岡山・宗教美術の名宝III-』(2022年7月16日~ 8月21日)

 龍谷ミュージアムが、なぜそんなに岡山にこだわるのか分かっていなかったが、法然さんが岡山(美作国)生まれと知って、やっと謎が解けた。本展は、岡山県立博物館所蔵の『法然上人伝法絵』(鎌倉時代)のほか、岡山県下の浄土美術をクローズアップする。また、瀬戸内市の下笠加は、江戸時代には熊野比丘尼集団の拠点となっており、複数の『熊野観心十界曼荼羅』が伝わっている。描写が的確なものもあれば、ちょっと素朴絵ふうのもの(西大寺所蔵)もあって、見比べるのが面白かった。

補陀落山 六波羅蜜寺(京都市東山区)

 最後に六波羅蜜寺へ。今年5月に新しい宝物館がオープンしたはずなので見に来た。本堂左手の受付で拝観料を払うと「振り返ってまっすぐ進んで、左に曲がってください」と道順を案内される。言われたとおり、弁天堂の前を左に曲がると、奥まったところに「令和館」の看板が出ていた。

※参考:「空也上人立像など重文ずらり 京都・六波羅蜜寺、新収蔵庫を公開」(朝日新聞デジタル記事 2022/5/21)

 1階には、吉祥天立像、弘法大師坐像。奥に薬師如来坐像と四天王。2階に上がるとすぐ空也上人像、隣に平清盛坐像。奥に慶派の地蔵菩薩坐像、運慶坐像、湛慶坐像。そして閻魔大王・司録・司命・奪衣婆像、定朝様式の地蔵菩薩立像。実に指折りの名品ばかりだが、逆に「名品」でないものは片づけられて、むかしの「ゆるい」雰囲気はなくなった。井伊直政像も仕舞われていた。

 本堂にも上がって参拝。秘仏ご本像のお厨子の前には、大の字のかたちをした燈明台が置かれていた。六波羅蜜寺の萬燈会は8月8~10日とのこと。一度来てみたいものだ。それから、本堂外陣の右隅の暗がりに夜叉神がいらっしゃるのを確認した。東博の『空也上人と六波羅蜜寺』で拝見して、え?と驚いたものだ。何度も参拝している本堂なのに、初めて気づいた。

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2022年8月関西旅行:当麻寺、法隆寺

2022-08-22 20:34:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

當麻寺(当麻寺)(奈良県葛城市)

 お盆旅行3日は月曜日で、多くの美術館や博物館が休みのため、寺めぐりに当てることにした。前日に奈良博で『中将姫と當麻曼荼羅』を見たご縁で、久しぶりに当麻寺を訪ねた。境内には何組か拝観客の姿があった。本堂で當麻曼荼羅(文亀本、室町時代)を拝観。色鮮やかな貞享本に比べれば、全体に茶色くくすんだ色合いだが、何が描かれているかは分かる。

 金堂と講堂は無人で、案内の音声がエンドレスで流れていた(以前より管理が緩くなったかも)。金堂は、たいへん古い塑造の弥勒菩薩坐像を囲む四天王立像(3躯は飛鳥時代、多聞天のみ鎌倉時代)がやっぱりよい。飛鳥時代の仏像が、博物館のガラスケースの中でなく、自然な空気の中にいらっしゃるのがとても尊い。講堂は広々した空間で、定朝様式の阿弥陀如来坐像を中心に、僧形の妙幢菩薩立像など、平安・鎌倉の古仏が静かに並んでいらっしゃった。中之坊の庭園(香藕園、蘇州庭園みたいな名前だなあ)と霊宝館も拝観させてもらった。

 仁王門(東大門)の左右には、世界平和と疫病(コロナ)終息を祈願する巨大な草鞋が片方ずつ立てかけてあった。いつか、こんな年もあったと振り返ることができるようになればよいが。こちらはウクライナカラーの草鞋。

 門前のお茶屋さん「茶房ふたかみ」に入り、冷房の効いた店内で氷いちごミルクをいただき、身体を冷やす。前回、2004年7月に参拝したときも猛暑で、門前で氷宇治金時をいただいた記憶があるのだが、同じお店かなあ。

 参道の古い家の玄関には、ときどき変わったかたちの注連縄が飾られていた。右向きと左向きがあるのも面白い。調べたら、当麻寺の門前の天満宮(菅原神社)に由来する天神講の注連縄だそうだ(※葛城市のホームページ)。

 

聖徳宗総本山 法隆寺(奈良県生駒郡)

 続いて、2021年が聖徳太子の千四百年御聖忌記念で盛り上がったものの、なかなか行きにくい法隆寺へ。ネットで検索したら、当麻寺駅→橿原神宮前→近鉄郡山と近鉄線を乗り継ぎ、近鉄郡山駅前から1時間に1本のバスに乗れば、法隆寺前に行けることが分かった。

 法隆寺、ブログで探すと2008年5月に拝観したのが最後のようだ。ずいぶんご無沙汰していたのだなあ。まずは西院伽藍へ。五重塔・金堂・大講堂を順番に拝観する。五重塔の塔本塑像が、以前より見やすくなっている気がしたが、光線の加減かもしれない。

 西院伽藍の出口で「次は隣の聖霊院にお行きなさい」と声をかけられたので、素直に従う。お堂に上がると須弥壇の奥には、無表情な黒塗の扉の厨子が横一列に並んでいる。小さな参考写真を見て思い出した。この厨子の中には、華やかな蓮池の壁画を背景に、聖徳太子・山背大兄・殖栗王らの像が安置されているのだ。去年、奈良博と東博の『聖徳太子と法隆寺』展で見て、こんな像が法隆寺にあったっけ?と戸惑ったものだ。特別な法要のときを除いては、こんなふうに全く存在を消しているのだな。聖霊院でいただいたご朱印は、むかしと変わらない「以和為貴」の四文字で、お坊さんが「和を以て貴しと為すと読みます」と、ひとりひとりに申し添えていらした。

 続いて大宝蔵院へ。ここは前回も来た記憶がある。入ってすぐにいらっしゃる夢違観音菩薩像は、北海道立近代美術館で開催される『国宝・法隆寺展』に出陳のため、翌日8/16から拝観中止になるところだった。お会いできたご縁に感謝し、無事にお帰りくださいませ、とご挨拶申し上げる。あどけない子供のような六観音像、大御輪寺から移されたと伝えられる地蔵菩薩像など、最近の展覧会の記憶を思い出しながら参観した。そして、やっぱり百済観音像は大きくて美しい。

 東院伽藍(夢殿)まで足を延ばして感じたのは風景の変化。かつては修学旅行の団体客であふれていた道が閑散としており、露店も全く出ていなかった。個人的には、今の風景のほうが好きだが、お寺さんの経営面では大変だろう。あと、中高生くらいで強制的に古い寺を見に来る体験は、あったほうがいいのではないかなと思う。中宮寺は、本尊・菩薩半跏像(伝如意輪観音)が、すでに北海道に旅立たれているという案内を見たので、今回はパス。雲行きが怪しくなってきたので、あわててバス停に戻り、奈良市内のホテルに戻った。

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2022年8月関西旅行:大和文華館、奈良博

2022-08-21 23:34:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

 お盆旅行2日目、大阪から奈良へ移動。

大和文華館 『東アジアの動物-やきものと漆-』(2022年7月8日~ 8月14日)

 古代から近世にかけて、東アジアの陶磁器や漆器にあらわされた生動感あふれる動物の世界を楽しむ。展示品は、大小取り混ぜて98件。やっぱり、このくらいのボリューム感があると嬉しい。冒頭には、中国・明時代の『螺鈿水禽文輪花盆』、隋~唐時代の『白磁蟠龍博山炉』、どちらもゴージャス。そして朝鮮・高麗時代の『青磁九龍浄瓶』は蓋の頭頂と四方、さらに頸のつけねあたりの四方に龍の頭がついている。みんな、エサを待つ雛鳥みたいに口を開けているのが可愛い。少し位置のずれた一匹の頭が注ぎ口になっているらしかった。

 はじめに神話的な生きものである龍、亀、麒麟、鳳凰を特集。中国・明清の漆器や磁器が多いが、春秋~戦国時代の『龍文佩玉』や唐代の『金銅厭勝銭』(銭の形のおまじない)などの考古資料もあった。明・天啓年間の『五彩双鳳文皿』は子供の絵のような素朴な図柄で味わい深かった。

 次に吉祥の動物である魚、鹿、鳥を順に取り上げる。磁州窯の『白地黒花鯰文枕』は、水中にゆらゆら並んだ細身のナマズが可愛い。『五彩蓮池魚藻文壺』は、壺の側面を上下に行き交う魚が可愛い。朝鮮時代の『螺鈿魚文盆』は、使い勝手のよさそうなたらい型。欲しい。

 鹿は、1000年生きると青鹿になり、さらに500年生きると白鹿、さらに500年で黒鹿になると言われているそうだ(探したら、出典は『述異記』)。伝・光悦作の『沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒』に、よく見ると黒・白・青の鹿がいるのは、そういう伝説を踏まえているのだろうか。なぜか「鹿」の付け足しに、中国・南北朝時代の『灰陶加彩誕馬(ひきうま)』と『灰陶加彩駱駝』が並んでおり、ド迫力だった。馬は赤兎馬を思わせる、全身赤色に白いたてがみ。駱駝は魔除けの人面の荷袋を背に担っていた。なお漢代の中国に駱駝は見られず、南北朝時代から登場するそうだ。

 最後は鳥で、オシドリ、鶴、雀、鶉などさまざま。唐代の金工品の中には、セミをあしらった金具もあった。五角形の形状で、東博で見た『蝉文冠飾』に似ていた。金糸で繊細な文様を織り出した『竹屋町裂』は「中国・明時代」というキャプションがついていたが、解説によると、元和年間に堺を訪れた中国人から技法を学んだ日本人が、京都・竹屋町で生産を始めたものだという。いろいろ新しい知識を仕入れ、充実した時間を過ごすことができた。

 炎天下でも元気な、門前の百日紅。

奈良国立博物館 貞享本當麻曼荼羅修理完成記念・特別展『中将姫と當麻曼荼羅-祈りが紡ぐ物語-』+特別陳列・わくわくびじゅつギャラリー『はっけん!ほとけさまのかたち』(2022年7月16日~8月28日)

 階段を上がってすぐの東新館は、特別陳列の会場になっていた。仏像や仏画などに表されたほとけさまの「かたち」に注目し、「かたち」に込められた祈りや意味を、大人にも子供にもわかりやすく紹介する企画である。仏像は、いつもは本館(仏像館)でお見かけする、元興寺の薬師如来立像や、興福寺北円堂伝来といわれる多聞天立像などが、こちらに来ていた。裸形の阿弥陀如来立像は、原品のほか、レプリカが用意されていて、衣装を着せるワークショップが行われていた。仏像だけでなく、絵画や工芸(四大明王五鈷鈴・唐時代)も見ることができたのは得をした気分。公式キャラクターのざんまいずが今年も大活躍だった。

 続いて、西新館の『中将姫と當麻曼荼羅』展を参観。奈良・當麻寺(当麻寺)の本尊である綴織當麻曼荼羅(つづれおりたいままんだら)は、伝承の過程で多数の写しが作られてきた。なかでも最も精巧な名品が、貞享3年(1686)に完成した貞享本當麻曼荼羅である。本展は、修理を終えた貞享本を展示し、当時の當麻曼荼羅信仰や中将姫信仰について紹介する。

 『綴織当麻曼荼羅』(根本曼荼羅)を奈良博で見たのはいつだったろう?と思って検索したら、2013年の特別展『當麻寺(たいまでら)』のようだ。今回は、根本曼荼羅は来ておらず、彩色の貞享本がメインである。このほか、鎌倉・光明寺の『當麻曼荼羅縁起』とその異本が何種か出ていた。この物語、よく読んでみると、中将姫は化尼(阿弥陀如来の化身)に命じられて、蓮糸を紡いで染める準備作業にはかかわっているのだが、そこに化女(観音菩薩の化身)が現れて、たちまち曼荼羅を織り上げてしまう。うーん、中将姫はそれでよかったんだろうか?

 また、これには前段の物語があって、右大臣・藤原豊成の娘として生まれた中将姫は、実母の死後、継母に疎まれて殺害されかかる。助けられて山中で育ち、父に都に呼び戻されるが、中将姫は当麻寺で出家し、阿弥陀如来と観音菩薩の奇瑞に遇う。そして29歳で無事極楽へ往生するのである。えー継母も父親も報いを受けることはないのか。ちょっと釈然としない。

 展示の最後には「中将姫イメージの変遷』と題したコーナーもあり、文楽『鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてまつ)』の上演写真や、ツムラ(津村順天堂)の中将湯引札もあって面白かった。

 そして本館(仏像館)もひとまわりして、いったん夕食を食べにJR奈良駅方面に戻った。写真は、奈良博本館の前の池に浸かっていたシカの親子。

 夕食後、再び奈良公園(東大寺)に戻ってきたのだが、それは別稿にしておこう。

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2022年8月関西旅行:大阪市美、藤田美術館

2022-08-19 22:47:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立美術館 特別展『ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展』(2022年7月16日~9月25日)

 お盆旅行2日目は大阪から。修復後、所蔵館以外で初公開となるフェルメールの『窓辺で手紙を読む女』に加え、オランダ絵画黄金期を彩る珠玉の名品約70点を展示する。この展覧会も、1~4月の東京都美術館を見逃したので、大阪で見ることにした。お盆のせいか、あまり混んでいなくて快適だった。冒頭から、よく知らない画家の小品が続くのだが、「寓意」の解説がとても面白かった。鶏を手渡す行為は性愛を意味するとか、片方だけの靴は処女性の喪失の象徴とか…。猫は官能的誘惑の象徴、楽器を演奏する女性は男性を誘惑する娼婦など、まあ「分かる」ものもあれば、蔦に覆われた枯木は不道徳な男女関係を表わす、なんて、日本人にはちょっと想像できないものもあった。「すべてのオランダ絵画になんらかの寓意が込められているわけではないが」という断り書きもあって、苦笑してしまった。これらは、所蔵館の学芸員さんが原文を書いているのかな?

 また『冬の川景色』(ヤン・ファン・ホイエン、1643年)だったと思うが、1550年~1700年のヨーロッパ北西部は小氷河期だったという解説に膝を打った。17世紀オランダ絵画には、雪遊びやスケートを描いた作品が多い印象を持っていたので。

 最後の部屋に展示されていたのが『窓辺で手紙を読む女』。窓辺で手紙を読む女性の横顔を描いた作品だが、無機質な灰色の壁にキューピッドの画中画が描かれていたことが分かり、近年、上塗りを取り除いて、当初の姿に修復(復原)する作業が行われたという。会場には、修復前の縮小複製画も展示されており、両者を見比べることができる。修復作業によって、手前の机か寝台の上の毛織物の赤と青が鮮やかになり、窓の外も明るくなって、全体に華やかな印象になった感じがした。キューピッドは、愛の勝利の寓意だというが、主題が分かりやす過ぎて、消してみたくなる気持ちもわかる。

藤田美術館 『水』(2022年7月1日~9月30日)『花』(6月1日~8月31日)『獣』(8月1日~10月31日)

 大規模改修工事のため休館していた同館が、2022年4月にリニューアルオープンしていた。地下駅の大阪城北詰で下車して階段を上がると、いきなり、見たこともないモダンな施設が現れて、あっけにとられてしまった。

 ガラスに囲まれた、開放的なロビーに入ると、固定の受付デスクはなく、カフェエプロンのような制服の女性が「こんにちは~」と近づいてくる。新幹線の車内販売みたいなモバイル端末で入館チケットを購入するのだが、「できればキャッシュレスで」と言われたので、パスモで決済する。また、自分のスマホで館内Wifiに接続し、QRコードを読み込み、藤田美術館のサイトにアクセスするよう誘導される。館内に展示解説は用意していないので、必要があれば、サイトの情報を見るよう指導された。そして展示室へ。この入口は、以前の施設から移築したもので、懐かしかった。

 現在の展示は「水」「花」「獣」の3つのテーマで約30件。「水」には『玄奘三蔵絵』が出ている。第6巻はナーランダの寺院で、庭に多頭のマーライオンみたいな噴水あり。建物の中に水を張った泉殿が珍しいけど、中国ドラマには時々出てくる造りだ。第9巻は龍頭の船で川下り。「花」には寸松庵色紙(素性・こづたへば おのがはかぜに ちる花を たれにおほせて ここらなくらむ)と升色紙(清原深養父・山桜見て/はるがすみ なにかくすらん やまざくら ちるまをだにも みるべきものを)が出ていた。寸松庵色紙の字姿が好き。「獣」では、精巧なフィギュアみたいな神鹿を収めた『春日厨子』と、ちょっとこわもての『春日明神影向像』が印象に残った。

 なお、館内Wifiでアクセスしたときは、展示品一覧のページ(例:花)から個別作品の詳細解説を開けたのだが、自宅のネットでアクセスすると、詳細解説に飛べないようになっている。え?意図的?と思ったが、Googleで「藤田美術館△寸松庵色紙」を検索すると、ちゃんと詳細解説ページが出てくるのでいいことにする。

 しかし最近の美術館のリニューアルは、展示品の数を減らす傾向にあるのが残念である。私は欲張りなので、できれば1回の入館で、なるべくたくさんの展示品を見たいのだ。館内カフェ「あみじま茶屋」のお値段は、まあまあリーズナブルなので、いずれ機会があれば使ってみよう。

 次は、奈良に向かった。

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2022年8月関西旅行:京博、神戸市博

2022-08-18 22:16:04 | 行ったもの(美術館・見仏)

 お盆旅行は関西へ。だいぶ前からそう決めていたのだが、先月末から新型コロナの感染者数が急激に増大し、ちょっと悩んだ。しかし例によって、ひとりで展覧会・神社仏閣めぐりが主なので、気をつけていれば大丈夫だろうと思って出かけた。出発日の13日(土)は、東海地方の台風接近に伴う大雨で新幹線ダイヤが乱れていたが、大きな影響なく京都に到着。

京都国立博物館 特別展『河内長野の霊地 観心寺と金剛寺-真言密教と南朝の遺産-』(2022年7月30日~9月11日)

 平成28年度(2016)から令和元年度(2019)にかけて実施された、観心寺と金剛寺の文化財悉皆調査に基づき、従来知られた名品に加え、調査によってみいだされた中近世の文化財を紹介する。3階の2室のみが常設展で、2階と1階が特別展に当てられていた。まずは、両寺が真言密教の大寺院であったことを示す、弘法大師像や各種曼荼羅図、密教法具など。大好きな『日月四季山水図屏風』も来ていた。面白かったのは『清水寺仮名縁起絵』(鎌倉時代、金剛寺)。聖教の紙背に書写された、京都・清水寺の縁起の草稿で、漢文縁起を和文に改めようとしたものだという。文章のあとに、ざっくり山や舟や人物が墨でスケッチされており、マンガの「ネーム」を思わせた。

 1階の大展示室、階段下に囲いがされていたので、特別な仏像が来ているのかと思ったら、鉄製の燈籠(鎌倉時代、観心寺)だった。近年まで金堂の前に置かれていたが、現在は複製に置き換えられているとのこと。私が観心寺に行ったのは2005年なので、屋外で見ているかもしれない。仏像は、観心寺の地蔵菩薩立像が私の好きなタイプ。平安初期の仏像らしい、堂々としたボリューム感。観心寺宝物殿の大日如来坐像(平安~鎌倉時代)は、奈良で活躍した慶派仏師の系統の作だというが、慶派にしてはおとなしめで、貴族的な印象。

 あれ?と思ったのは、参考展示されていた、京都・善願寺の僧形坐像2躯(中国・唐時代)。同系統の作が、国内外の寺院・博物館に分蔵されている。観心寺の聖僧坐像は、これら僧形坐像と「一具であったとする見解も根強い」というが、素人目には、だいぶ顔立ちが違う。以下、観心寺の仏像を続ける。伝・仏眼仏母坐像(宝冠釈迦、南北朝時代)は、宋風の見事な宝冠。秘仏・如意輪観音坐像はさすがにおいでになっていなかったが、その模刻像(京博所蔵)が展示されていた。

 このほか、南北朝ゆかりの天皇の宸翰、古文書など。金剛寺所蔵の腹巻20領と膝鎧1双、観心寺所蔵の腹巻1領を並べた展示室は、なかなかの壮観だった。よく見比べると、少しずつ造りが異なっている。しかし、むかしの武士は小柄だったんだなあと思った。

 最後に3階に戻って、名品ギャラリーの『日本と東洋のやきもの』と特別公開『熊本・宮崎の古墳文化-石人と貝輪-』(2022年7月30日~9月11日)を見ていく。京博、施設の制約があるのは分かるのだが、もっと常設展に力を入れてほしい。

 そして新快速で神戸へ。

神戸市立博物館 特別展『スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち』(2022年7月16日~9月25日)

 約2年間の改修工事を終えた神戸市博がリニューアルオープンしたのは2019年11月のことだが、コロナ禍で全く訪問できていなかった。この展覧会は、今年4月から7月初めまで東京都美術館で開催されていたものだが、見逃してしまったので、関西で見るのも悪くないかと思った。16:30の入場を予約していたが、早めに着いてしまったので、常設展が見られるか聞いてみたら、先に特別展を見ることを勧められた。柔軟に対応してくれて、ありがたかった。

 本展は、古都エディンバラに位置するスコットランド国立美術館が所蔵する、ルネサンス期から19世紀後半までの西洋絵画史を彩る巨匠たちの作品から87件89点を展示。ラファエロ、エル・グレコ、ベラスケス、レンブラント、ルーベンスなど、名前を言えば「教科書どおり」の巨匠たちなのだが、収蔵作品にはどことなく共通の趣味が感じられて、個人コレクションを楽しむ趣きがあった。

 見ることができてよかった!と心から思ったのは、ベラスケスの『卵を料理する老婆』。画家が10代の頃の作品だという。アンドレア・デル・ヴェロッキオの『幼児キリストを礼拝する聖母』や、パリス・ボルドーネ『化粧をするヴェネツィア女性たち』など、女性を描いた作品も好き。岩山の上に聳えるエディンバラ城を描いた風景画も魅力的で、行ってみたくなった。

 続いて、常設展エリアも一回り。1階の神戸の歴史展示室は無料で、2階のコレクション展示室は特別展チケットで割引になる。コレクション展示室の環境がよくなったのは、資料保存の観点から嬉しいが、展示件数は減ってしまったような気がする。今後は特別展に力を入れていくのかな。とりあえず、秋の特別展『よみがえる川崎美術館』は必ず見に来ようと思っている。ミュージアムカフェは、以前より格段に高級そうで、敷居が高くなっていた。

 おまけ:昼食は「一天一麺」の蘭州ラーメン。2019年に食べにきたのと同じ名前のお店だが、場所は移動して、駅前のセンタープラザの地下1階にあった。以前より入りやすくなったと言えるかもしれない。麺は固め。スープは美味しかった。

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目指すふるさと/シネマ歌舞伎・風雲児たち

2022-08-17 23:02:39 | 見たもの(Webサイト・TV)

シネマ歌舞伎『三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち(みたにかぶき つきあかりめざすふるさと ふううんじたち)』(東劇)

 みなもと太郎の歴史漫画『風雲児たち』をもとに、三谷幸喜が脚本・演出を担当し、2019年6月に歌舞伎座で上演された作品である。『風雲児たち』は、むかし、なぜか家に1冊だけあって、好きで繰り返し読んだ覚えがあるが、全巻通しでは読んでいない。今回の舞台も、『風雲児たち』のどのあたりが原作なのか、あまり調べずに見に来てしまった。半分くらい進んだところで、ははあ、これは大黒屋光太夫の物語なのか、と得心した。

 冒頭、徳川家康が、一本帆柱以外の船の建造を禁止したことが、みなもと太郎さんの絵で、紙芝居ふうに語られる。ヨーロッパの外航船は三本マストで安定を取りやすかったが、日本の船は嵐や高波に弱かったのだ。これは初めて知った。

 さて、天明2年12月(1783年1月)商船神昌丸に乗って伊勢を出帆した大黒屋光太夫ほか17人は、江戸に向かう途中で嵐に遇い、8ヵ月近く海上を漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に流れ着く。厳しい気候と不慣れな生活に耐え切れず、命を落とす仲間たち。残った者たちは力を合わせ、カムチャツカ、オホーツク、ヤクーツク、イルクーツクと、次第にロシアの内地に進み、最後はサンクトペテルブルク(の郊外)で女帝エカテリーナ2世に謁見する。この間、涙あり笑いあり、恋もあり。着ぐるみのハスキー犬が勢ぞろいする犬橇の場面が好き。

 強い意志と行動力・判断力を持つ、バランスのとれたリーダー光太夫を松本幸四郎。異国嫌いでお調子者だが根は小心者の庄蔵を市川猿之助。喧嘩早いが仲間思いで、ロシア女性からも惚れられる色男の新蔵を片岡愛之助。ちょっと頭の足りない、のんびりやの小市を市川男女蔵。日本では特に取り柄のない若者だったが、ロシア漂着以来、語学とコミュニケーションの才能を発揮して変貌する磯吉を市川染五郎。最年長のじいさん九右衛門を演じたのは、今年『鎌倉殿の13人』の北条時政役で注目されている坂東彌十郎さんだった。私はほとんど歌舞伎を見ないので、昨年だったら、全く分からなかっただろうな。

 イルクーツクで光太夫らを歓待し、エカテリーナ2世への謁見を仲介してくれたのは、語学学者・博物学者のキリル・ラックスマン。のちに登場する息子のアダム・ラックスマンと二役で八嶋智人さんが演じている。歌舞伎役者でない出演者は彼だけだが、特に違和感はなかった。ロシア宮廷で光太夫を待ち受けるポチョムキンは松本白鸚で、さすがの貫禄。エカテリーナ2世は市川猿之助の二役だが、全然分からなかった。

 そしてエカテリーナ2世から帰国の許しを得るのだが、病により(凍傷または壊血病)片足を切断した庄蔵は、キリスト教に入信しており、帰国できないことが分かる。庄蔵を一人残すに忍びない新蔵も、同様に洗礼を受けていた。光太夫は、こうして生き別れ、死に分かれた仲間の魂とともに、約10年ぶりの日本を目指す。結局、帰国の途についたのは光太夫、磯吉、小市の3名だけで、小市は日本を目前にして船の上で絶命した(史実では根室上陸後に死亡)。

 もとになった事実が「小説より奇なり」で格別にドラマチックである上に、三谷脚本の味付けとひねりが加わり、とても面白かった。音楽(長唄、竹本)が洒落ていて、よかったことも付け加えておきたい。出演者では、やっぱり猿之助が好きだなあ。私は彼の発声が、歌舞伎らしくて好きなのだ。そしてこのひとは、テレビドラマではなく舞台で見るのがいいと思う。

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