〇中島国彦『森鴎外:学芸の散歩者』(岩波新書) 岩波書店 2022.7
2022年に生誕160年と没後100年を迎えた森鴎外の、読みやすくて堅実な評伝である。偉大な文豪として遥かに仰ぎ見るのではなく、ジャーナリスティックな関心で悪事や欠点をほじくり返すのでもなく、ひとりの明治人の生涯を淡々と追っていく。
私は、まあ普通程度には日本の近代文学に親しんで育った。夏目漱石は大好きで高校時代には小説作品をほぼ読み尽くしていた。樋口一葉、泉鏡花、永井荷風、志賀直哉、芥川龍之介など、少なくとも好きな作品のひとつやふたつはあったのだが、鴎外は全くダメだった。定番の「雁」「舞姫」「青年」などを読んでみたものの、どこがおもしろいのかサッパリ分からなかった。ところが、かなり大人になってから、仕事の延長で鴎外に親しまざるを得ないことになり、津和野の生家まで行ってみたり、千駄木の鴎外記念館をときどき訪ねたりしている。
なので、鴎外の基本的な閲歴について特に新しい知識の追加はなかった。しかし本書がとても楽しかったのは、鴎外の文章(小説・随筆・日記等)の引用が多いことである。たとえば随筆「サフラン」には、本を読み耽った少年時代、蘭医の父親にオランダ語を習った思い出が、無駄のない文体で描かれている。「独逸日記」で原田直次郎と愛妾マリイについて触れた部分、小説「細木香以」で「わたくしの家」すなわち観潮楼について述べた記述もある。日露戦争中に妻の志げに送った有名な書簡も引用されている。
慣れ親しんだ「舞姫」や「青年」の一節には、本書の著者の読み方をなぞって、ああ、なるほどこう読むのかと得心するところがあった。ほとんど記憶の残っていない「半日」「杯(さかずき)」などは、あらためて読んでみたくなった。晩年の歴史小説は、長めの引用が多くて、小説そのものを読むようにわくわくした。
また、鴎外と交流のあった文学者たちについても、極力、その文章に語らせている。たびたび登場するのは永井荷風で、回想記「書かでもの記」に残された、たまたま劇場で鴎外に遭遇し、友人(小栗風葉)の紹介で初めて挨拶するシーンは、これ自体が小説か芝居のように鮮やかだ。荷風先生、初々しい。「日和下駄」では、観潮楼に荷風が訪ねた鴎外は、白いシャツに軍服ズボンで「日曜貸間の二階か何かでごろごろしてゐる兵隊さんのやうに見えた」という。日露戦争に従軍した田山花袋が戦地で見た鴎外は、蠅を逐う払子を持ちながら外国語の小説を読んでいたというし、威儀を正すことにこだわらない鴎外の姿が浮かぶ。あの髭なので、もっと厳格な性質かと思ったら。
石川啄木が鴎外に送った長文の手紙、漱石による短い鴎外作品評も採録されている。鴎外が二葉亭四迷を追悼した文章は、真情が感じられて印象深かった。追悼文なのに「つひつひ少し小説を書いてしまった」という。あと、芥川龍之介にも「文芸的な、あまりに文芸的な」に鴎外への言及があるのだな。知らなかった。意識的な執筆方針なのかもしれないが、本書を読むと、明治大正のさまざまな文学・文学者が、鴎外とつながっていることが見えてくる。
もうひとつ気になったのは、10歳で上京した鴎外は、その後一度も故郷に戻ったことがなく、津和野を正面から描いた文章もないのだという。その生涯の最後が「石見人森林太郎」の遺書であることに、想像がふくらんで感慨深いものがある。