見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

中国の物語る人/透明な人参(莫言)

2013-05-28 23:58:10 | 読んだもの(書籍)
○莫言、藤井省三訳『透明な人参:莫言珠玉集』 朝日新聞社 2013.2

 2012年にノーベル文学賞を受賞した中国人作家の中短編集。ニュースを見て、ああ、映画『紅いコーリャン(紅高粱)』の原作者だな、と思ったが、それ以上のことは何も知らなかった。本書を書店で見かけたとき、オビの「中国で高校国語の教科書に選定された『透明な人参』ほか5作」という文句が目に入った。中国の国語の教科書って、どんな作品を載せているのだろう、と興味が湧いて、読んでみることにした。

 冒頭には「物語る人」と題した、ノーベル文学賞受賞講演が採録されている。1955年、山東省高密の貧しい農村に生まれた自身の生い立ちを語ったもので、正直、私は本書に収録されているどの作品よりも感動した。いくつかのエピソードによって、鮮やかに浮かび上がる著者の母の姿が、なんとも魅力的だ。年に二、三回しかないご馳走の餃子を物乞いの老人に分けてやり、客に一銭高く白菜を売りつけた息子を恥じた母。都会には、こすからい中国人もたくさんいるだろうけど、農民の道徳ってこういうものだよな。悪いことをすれば、必ずその報いがあることを信じているのだ。字が読めず、字の読める人を尊敬していた母。少年時代の著者は、聞いてきた講談を復誦して母親を楽しませることを覚え、母の好みにしたがって、脚色を加えるようになる。こんな…童話的な小説家の誕生が、今世紀にまだあるんだ、ということに驚く。

 しかし、小説「透明な人参」は象徴的で難しかった。村はずれの遊水ダム拡張のため、駆り出された人々。若い石工、火事場の親方と弟子、炊事場の少女。ぼろをまとい、誰とも口をきかない、痩せっぽちの少年「黒ん子」。「魔術的リアリズムの作家」とはよく言ったものだ。これを中国の高校の授業はどんなふうに扱うのだろう? 「透明な人参とは何を意味しているのでしょう」とか問われたら、私はお手上げである。

 婚約者のもとに帰るはずだった人民解放軍中尉の王四(ワンスー)につきまとう謎の女「花束を抱く女」、黒髪のお下げ自慢の妻の束縛に悩む男を描く「お下げ髪」は、男性が潜在的に感じている女性への恐怖がじわじわと身に迫ってくるが、どこかユーモアも感じられて、おもしろかった。湖畔の裸婦像に恋心を抱く兵士と、盲目の義母の面倒を見ながら夫の帰郷を待つ妻。ロマンチシズムとリアリズムが交錯する「金髪の赤ちゃん」。ほかに、寓話的な短編「良医」「鉄の子」。
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札幌書店めぐり

2013-05-26 12:41:48 | 街の本屋さん
4月から札幌に引っ越して、まもなく2か月。

これまで(東京以外で)住んだことのある神奈川県の逗子市や埼玉県の鶴ヶ島市に比べると、さすがに都会で、ちゃんと大きな書店もあって嬉しい、と最初は思った。ところが、夜遅くまで開いている書店が近隣にないことが分かって、少しガッカリしている。

三省堂(大丸札幌店)
ここが夜10時まで開いていると分かって行ってみたが、東京の大型書店のような品揃えではなかった。まあ一般書店だと思えば…ってくらいかなあ。

丸善&ジュンク堂書店(札幌店)
背の高いがっしりした木製の書架が林立していて、もとはジュンク堂の店舗かな、と思った。品揃えは全般的に満足できる。東京だと、このクラスの大型書店は、いつ行っても客が多くて落ち着かないのだが、ゆっくりできるのがいいと思った。愛用したいが、札幌駅からはちょっと遠い。夜9時まで。

紀伊国屋書店・札幌本店
書架の間が広くて、ひろびろした店舗。1階をさらっと見たときは、いまいちかな~と思ったが、2階に上がって、専門書も悪くないと思った。特に美術書・芸術関係は充実している。休日には、1階インナーガーデンというスペースでさまざまなイベントも行われている様子。facebookによる情報発信も面白い。2階にイノダコーヒ(コーヒーではない)の店舗があるのも嬉しい。鷲田清一センセイの『京都の平熱』にも登場する京都の地元カフェである。書店もカフェも夜9時まで。

↓休日の朝のブランチをここで食べるのも乙。窓の外を見ながら。




※先週、それぞれの店舗で買った本はこちら。いま読んでいる『おどろきの中国』は、三省堂書店の買い物です。

北海道書店ナビ(※音が出ます)
参考までリンクを貼っておくが、ぜんぜん使いやすくない。基本情報の一覧機能もないし。

東京でも丸善、紀伊国屋などは夜9時閉店だったんだけどね。新宿のブックファーストが夜11時まで利用できる環境にいたので、つらい。夜型の大型書店、進出してこないかな。
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成熟都市のふところに潜る/京都の平熱(鷲田清一)

2013-05-26 11:35:47 | 読んだもの(書籍)
○鷲田清一『京都の平熱:哲学者の京都案内』(講談社学術文庫) 講談社 2013.4

 この間、関西に行ったとき、京都だったか大阪だったかで買った本。著者は大阪大学の先生だと認識してので、京都生まれで京大出身であることは、本書を開くまで知らなかった。まえがきに「きょうと206番」とあり、「生まれてこのかた、ずっとこの路線沿いに住み、生きてきた」とある。京都市内を循環する市バス206号系統のことである。本書は、この206号を東回りでたどりながら、神社仏閣や大学や花街などの「表」(これらをまとめて「表」というのもどうかと思うが)の世界のきわで、つつましくまじめに生きてきた京都人の日常と、そこに口を空けているさまざまな孔について語ったものだ。

 市バス206号は、京都駅を出ると東へ進む。ラーメン、べた焼などのうまいもの談義。京都国立博物館の角を曲がって北へ。安井金毘羅宮の男断ち絵馬。高台寺塔頭の「奇人」住職(私、お見かけしたことがあるかも)。奇人のいる街は住みやすい。人生のリミットが示されているので、そのリミットの内なら何をしても大丈夫という保証が目に見えるから。そして、街が行き詰ったとき、異物としての奇人が、世直しのきっかけになるかもしれないから。私は特に後者の理由に共感する。だから、都市の暮らしが好きなのだ。

 「この本は、家元とお寺と『京料理』、それに大学についてはいっさいふれないというポリシーで書いている」というが、「ほんの一言」という断り書きで書かれている京都大学論は、とても印象的である。人文研の桑原武夫教授の最上級の褒め言葉は「頭がいい」でも「できる」でもなく、「おもろい」であった。ただし、誤解してはいけないのは、一過性の「受け」ねらいではなく、これまでの通説や基盤そのものをくつがえす可能性を看て取ったときに発せられる言葉だという。いまの大学が、産業界の要請を受けて血眼になっている「グローバル人材育成」は、こういう「おもろい」人材を育てられるんだろうか。むしろつぶす方向に作用するのではないかしら。

 バスは北大路(ずいぶん北まで行くんだ!)で西に折れる。西陣、着倒れについて。京都人のきわもの好き、新しもん好き。ファッションは自由と規則のたわむれである。ここでも奇人が重要な役割を果たす。人工的な変形と装飾の極みである舞妓さんと、貧相主義を体現する修行僧という、両極の「異形」。自由な校風で知られる鴨沂高校、紫野高校を紹介しながら、「十五の春は泣かせない」を掲げた蜷川虎三京都府知事、さらにさかのぼって、明治の初め、多額の金を持ち寄って、普請のよい小学校(自分たちの住居よりはるかに立派な)を造った京都市民に思いを馳せる。「京都人はことほどさように教育熱心である。ただし、受験勉強は勉強と認めない」という誇らかな発言に感心する。残念ながら、すぐそのあと「いや、認めなかった」と過去形に書き直されているけれど。

 千本北大路で南へ。再び、きもの文化と精密技術の風土について。かつての西陣京極の猥雑さを懐かしみ、著者が生まれ育った佐女牛井(さめがい)町に戻ってくる。あのへんか! 昨年、源氏六条館の史跡を探して、何度か歩いたところだ。天使突抜、楊梅通、醒ヶ井通、六条商店街など、どの地名を見ても風景が浮かぶ。観光客の姿の少ない、いかにも「平熱」の京都を感じられるスポットだ。

 大宮七条を曲がり、終着の京都駅に向かいながら、京都総論。タクシーで京都めぐりをする修学旅行への苦言。「京都らしさ」という言説に対する、京都人の距離の取り方。2000年に発表された「京都市基本構想」は、著者が取りまとめ役を仰せつかったものであるという。へえ、知らなかった。この制定の裏話というか、取りまとめ役である著者のコメントが、また京都人らしい。「よそのひとには嫌みに聞こえてもいいから」「京都にやってくるひとたちをこれまで以上にびびらせようというのである」「頭を垂れることの嫌いな、困ったひとたちなのである」って起草者がいうのだから、文字面だけしか読めない子供の批判なんて、はじめから相手にされないのだ。

 写真家・鈴木理策氏による京都風景も味わい深い。また、本文のところどころに「京都の平熱」にふさわしいグルメ情報も挟み込まれている。いちばん気になったのは力餅食堂。何度も関西に行っているのだから、私も一回くらい見かけているのだろうけど、全然気づいたことがなかった。こういう大衆食堂の「おうどん」が美味いという。次回、ぜひ。
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真っ当な男子/敗者(松山ケンイチ)

2013-05-25 23:35:07 | 読んだもの(書籍)
○松山ケンイチ『敗者』 新潮社 2013.2

 3月末に読んだまま、感想を書いていなかった本。芸能人エッセイというのは、ふだんあまり私の眼中に入らないジャンルだが、本書には特別な関心があった。2012年の大河ドラマ『平清盛』に主演した著者が、一年間を赤裸々に語った日記という宣伝文句にすっかり釣られたのだ。

 私の2012年が全く『平清盛』とともにあったことは、このブログの読書記録や旅行・探訪記録からも分かるとおり。そして、その余波は、3月17日に東大・福武ホールで開催された「清盛ファイナル・パーティー」(ちょっとだけ覗きに行った)、3月30日にtwitter上で行われた「清盛王争奪戦」に続き、3月末日(と言いながら4月初めだった)の公式サイト閉鎖を経ても、まだ愛され続けている。そのことを、ときどき「#平清盛」タグで確認させてもらっている。

 かくも不思議なほど愛されるドラマだったにもかかわらず、「王家」問題に端を発し、厳しい(というより単に口汚い)批判がマスコミの好餌となり、歴代大河ワーストとなるまで視聴率は低迷した。脚本が悪い、演出が悪い、いや主演の松山ケンイチが悪い、という責任者探しの議論もあった。そんな中で、本書の書名『敗者』を知ったときは、新潮社あざといなーと苦笑したものだ。

 私は、他の作品での著者をほとんど知らないが、『平清盛』に関しては非常に満足している。いや、正直、序盤は少し先行きを危ぶんだが、回を重ねるごとに役との一体感が高まっていった。いまは清盛と聞けば、人懐っこい、黒目の印象的な松山ケンイチの顔しか浮かばなくなっている。

 本書は、2011年3月11日の東日本大震災から幕を開ける。4月1日、入籍。そして、2011年8月中旬から、大河ドラマの撮影が始まる。女優でもある妻との生活。第一子の誕生。日記は、ときどき過去にさかのぼる。高校二年生の春、オーディションに合格し、東京と青森を往復してモデルの仕事をするようになり、二十歳を目前に上京するが、なかなか役者としてうまくいかない。ドラマの前半、若き清盛が迎える人生の節目節目に、自分の人生の回想が重ね合わされる。何をしてもうまくいかないとき。うまくいっていても、そのことの重要性に気付かなかった日々。

 なんというか、至極まっとうな男子の半生記だった。役者という仕事も、特別なカリスマとか天賦の才があってやっているというより、過去の関連作品を見て学んだり(影響されすぎるから見ないほうがよかったと反省する場面もある)、いろいろ考えてアイディアを生み出したり、分からないことは専門家に聞いたりする。要するに世間一般の仕事のやりかたとあまり変わらないように思った。そして、妻となる女性と出会い、子供を授かり、家族となる。芸能人がこんなに普通でいいのかなあと思うくらい、普通である。でもその「ふつう」を恥じない感性というのは、清々しかった。

 『平清盛』という作品は、全く無関係な外野席からいろいろな非難を浴びたが、そのことに対する関心はほとんど払われていなくて、著者がひたすら作品(脚本)と格闘していたことが、本書から感じられた。限界に突き当たり、疲労困憊して体調を崩したりしながら、最後は「清盛を通してわいの精神は今まで来たことのない場所まで来る事が出来た」と書いていることに感動した。よかった。「恥ずべきことは自分の持っている力を発揮できるところで発揮しない事だ。自分が本気になれない事を棚に上げ、本気になっている人をあざ笑う事だ」というのは、いま読み返しながら見つけた言葉。

 そして、打ち上げでスタッフを笑わせようとして失敗したことを理由に、「もう一度大河ドラマをやって、リベンジしてやると心に決めた」と書いているのも嬉しかった。待ってるからね、何年でも。
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盛世の寿ぎ/文楽・寿式三番叟、心中天網島

2013-05-24 00:43:44 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 5月文楽公演 第2部『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』(2013年5月22日)

 東京出張が急に決まった。所用は15時に終わる見込み。こそっとチェックした国立劇場のサイトでは、チケット「完売」になっていたけれど、ダメもとで電話をしてみたら「第2部(16時)1枚だけあります」と言われた。おおお、人生、どんな逆境でも諦めてはいけないのだな。しかも、どこでもいいと思っていた座席は、最前列で床を見上げる、なかなかの好位置。

 『寿式三番叟』の幕が開き、住大夫さんの姿を見たときは、こっちがものすごく緊張してしまった。昨年7月、脳梗塞で倒れ、壮絶なリハビリで舞台に帰ってきたというニュースを読んでいたので。語り出す前に、口を曲げたり、視線を床本に落としたりする小さな動作に固唾をのむ。しかし、曲が始まってしまえば、なんということはなかった。この曲は、大夫さん6名+三味線6名がずらりと床に勢ぞろいする。文字久大夫、相子大夫、芳穂大夫らの面々が、完全復調とはいえない88歳の住大夫翁を、しっかり支えているようにも感じた。人形遣いは、三番叟のイケメンのほう(かしら=検非違使)と三枚目のほう(かしら=又平)を遣っている二人が、それぞれキャラに合っていて可笑しかった。そして、詞章もめでたい。これだけの美声とにぎやかな音曲で「治まる御代こそめでたけれ」と唱え上げてくれると、本当に心配事が消えて、この世が平らかに治まるような気になってくる。

 『心中天網島』は何度も見ているつもりだったが、自分のブログに検索をかけたら記事がなかった。そうか~見たのはずっと昔だったか。紀の国屋小春を桐竹勘十郎、紙屋治兵衛を吉田玉女。勘十郎さんの小春は色っぽい。座席が上手の端だったので、治兵衛が小春を連れ出すところ、引戸の隙間から小春の手だけがそろそろと差し出されたとき、生々しさにどきりとした。文楽って、ああいう細かい所作に手抜きがないのがすごい。思わず、その白い手に顔をうずめる治兵衛とか。玉女さんは、未熟でだらしない治兵衛には、ちょっと合わない感じだが、最期の姿には神々しい悲劇性が感じられた。玉女と勘十郎のコンビは、これからたくさんの名演を生み出していくんだろうなあ(玉男と蓑助みたいに)としみじみする。おさん役の文雀さんは、達者なお姿を拝見して、これも嬉しかった。

 今公演では、通常分割される「天満紙屋内の段」と「大和屋の段」を、豊竹咲大夫さんが通しで語っている(天満屋紙屋内より大和屋の段)。この形式は、咲大夫の父・八世竹本綱大夫が1962年に上演して以来、51年ぶりの復活。68歳で約1時間の長尺を語り通すという。

 こうしてみると、文楽は、いろいろな外圧にもかかわらず、元気である。ベテランはさらなる高みに向けて挑戦を続けているし、若手・中堅はちゃんと育っているし、心強く思ってしまった。
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読んだもの、これから読むもの

2013-05-21 00:07:13 | 読んだもの(書籍)
四月以降、かなりの数の本を、読み終わったのに記事にできていない。移動が多いので、ブログを書く時間ができたとき、肝腎の手元に本がなかったりするのだ。いかんいかん、体制を立て直さなくては。

※記事執筆待ちの本

松山ケンイチ『敗者』新潮社
元木泰雄『治承・寿永の内乱と平氏』(敗者の日本史3)吉川弘文館
坂野潤治『西郷隆盛と明治維新』(講談社現代新書)
莫言『透明な人参:莫言珠玉集』朝日出版社
鷲田清一『京都の平熱:哲学者の都市案内』(講談社学術文庫)
内田樹、岡田斗司夫『評価と贈与の経済学』
カルチャーランド編『北海道歴史探訪ウォーキング』メイツ出版

※いま読んでいる本

橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司『おどろきの中国』(講談社現代新書)

※これから読む本(週末にごっそり仕入れてきた)

・丸善=ジュンク堂にて

泉鏡花『おばけずき:泉鏡花怪異小説集』(平凡社ライブラリー)
テッサ・モーリス-スズキ『北朝鮮で考えたこと』(集英社新書)
森浩一『京都の歴史を探る:北野・紫野・洛中の巻』学生社

・紀伊国屋書店にて

小松茂美『国宝平家納経:全三十三巻の美と謎』戎光祥出版
本田不二雄『へんな仏像』学研パブリッシング
神社本庁監修、伊豆野誠『第1回神社検定問題と解説:参級』扶桑社
松原始『カラスの教科書』雷鳥社

こうして並べると、いろいろツッコまれそうだが、時間ができたら順番に…。
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2013引っ越し完了

2013-05-20 00:05:53 | 日常生活
5月14日に引き払った東京の賃貸マンション。





間取りが単純で、窓が広くて、でも防音は比較的しっかりしていて、住みやすかった。

挨拶するだけだったけど、同じマンションの住人も気持ちのいい人が多かったな。

ともあれ、サヨナラ。
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住宅街のレストランで日曜ランチ

2013-05-19 23:43:29 | 日常生活
東京→北海道(札幌)の引っ越しに伴い、連休前半に荷物の運び出しをしたあと、先週末にいったん東京に戻って、旧居の賃貸マンションを掃除し、不動産屋さんに鍵を返してきた。

近所に住んでいた友人とお別れのランチ。







引っ越し先では、仕事が忙しいわ、生活が落ち着かないわ(電子レンジも冷蔵庫も1か月無かった)、貧しい食生活をしていたので、久々のご馳走。しみじみ、幸せ~。

また東京に来たら、寄るからね。お店はこちら
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「留守模様」屏風の眼福/源氏絵と伊勢絵(出光美術館)

2013-05-19 23:11:22 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 土佐光吉没後400年記念『源氏絵と伊勢絵-描かれた恋物語』(2013年4月6日~5月19日)

 生活拠点を北海道に移してひと月半。先週は東京出張だったので、所用と所用の間隙を縫って、この展覧会を見てきた。桃山時代に源氏絵をリードした絵師・土佐光吉(1539-1613)の没後400年を記念する展覧会だというが、実は「土佐光吉」と聞いても、あまりピンとこなかった。華麗で繊細な王朝美学を発展された「土佐派」の名称は知っていたけど。光吉→光則→(息子)光起→住吉如慶と続くんだな、とWikiで確認。

 展覧会の冒頭には、岩佐又兵衛の『源氏物語 野々宮図』と『在原業平図』が展示されていた。私は岩佐又兵衛大好きだが、この画家の描く人物は顔が長くてデカい。しかも棒立ちに立ってるし。なんというか、ヘンな源氏とヘンな業平で、これを始まりに掲げていいのか?と可笑しかった。

 反対側の列に『扇面流貼付屏風』六曲一双があった。18面の扇面のうち、7面が源氏絵である(あとは花鳥など)。屏風は桃山時代・海北友松筆とされているが、扇面は室町時代の土佐派のものと見られ、扇面形式の源氏絵として最も早い作例だという。人物が丸っこく、キャラっぽくて、かわいい。狩野派の『源氏物語 早蕨・手習図屏風』は「漢画系の絵師による」という注釈があったが、舞台(建物)が大和絵っぽくない。従者の髭にも違和感がある。また狩野探幽筆『源氏物語 賢木・澪標図屏風』は、格調高く、王朝らしさを漂わせた作品だと思うけれど、よく見ると、源氏が六条御息所に対して、御簾の下から榊を差し入れる場面、体ごと御簾のうちにすべりこませているし、船の上の明石の君は、露天に姿をさらしている。いや、昔からこうなんだから、昨今のテレビドラマが、多少、有職故実を曲げるくらいは大目に見てもいいんじゃないかと思うよ。

 伊勢絵の冒頭には、角倉素庵が本阿弥光悦らの協力を得て出版した「嵯峨本」の伊勢物語が出ていた。出版史や書誌学的には「古活字本」として有名なものだが、絵画史との関係を知らなかったので、なぜこの展覧会に出ているのか、不思議な感じがした。そうしたら、この出版の影響は圧倒的で、この後の伊勢絵は、ほとんどが『嵯峨本 伊勢物語』の挿絵を踏襲しているのだそうだ。ほんとだ~。しかし、少数だが「規格」に与しないユニークな作品も生み出されている。伝・宗達の『伊勢物語図屏風』は、古絵巻の図様を利用したもの。いいな~。土佐派の『源氏物語 澪標図屏風』(江戸時代)もかなりユニークだった。金色を背景に、小さな松の木、小さな人物が多数、踊るようにうごめいている。

 最後に、さまざまな源氏絵・伊勢絵の行き着く果てとして、それらしい登場人物がいなくても「源氏」「伊勢」の物語世界が喚起される「留守模様」を取り上げる。たとえば、源氏・宇治十帖のイメージを抜きには眺めることのできない『宇治橋柴舟図屏風』。おおお!これ、いくつかバリエーションの中で、私の最も好きな作品なのである。左右そろって展示されたのは、久しぶりではないかしら。酒井抱一の『八ッ橋図屏風』も、この季節にぴったりで嬉しかった。思わぬ眼福。
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祈りの歳月/仏像半島(千葉市美術館)

2013-05-17 00:15:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
千葉市美術館 『仏像半島-房総の美しき仏たち-』(2013年4月16日~6月16日)

 千葉県≒房総半島の仏像など約100件150体を展示。展示替えがあるので、一度に見られる数はもう少し少ないが、かなり大規模な展示会だ。4月の末に見てきて、ずいぶん経つのだが、記憶にしたがってレポート。

 会場に入って、「うわ、広い」というのが第一印象だった。このところ千葉市美術館といえば、若冲、蕭白、英泉など、近世絵画の展覧会で注目を集めていた。会場の作りは、当然、多くの作品を展示する壁を確保するため、迷路のようになる。ところが今回は、ぶち抜きワンフロアの大会場に、いくつかの展示ポイントが「島」のように点在している様子が、入口から見渡せる。テーマカラーは深い青。房総の海(外海)を表しているのかな、と思った。

 冒頭には、印旛郡・龍角寺の薬師如来像。結跏趺坐した坐像だが、たぷたぷした衣が、前方に長く垂れ下がっている。肉付きのよい、温和な顔立ちと合わせて、余裕あふれる豊かな印象を与える。白鳳仏はいいなー。これは銅造だが、あとはしばらく木造。千葉市・東光院の兜跋毘沙門天像は、足元を支える地天女が愛らしい。「下総には意外に都ぶりの仏像が多いのに対して、上総には古様で力強い造形が多い」という解説があった。ちなみに房総半島の南部=突端が上総、北部=根元が下総である(子供の頃、よく混乱した)。

 南房総市(最南端)・小松寺の秘仏・薬師如来立像には驚いた。前に立っているかぎり、どうということもないのだが、「側面は10数センチしかない」という解説を読んで、え?!と思いながら、回り込んでみると、次第に薄くなる体躯に驚嘆する。正面から見た時の量感を考えると、だまし絵みたいである。同じく南房総市・真野寺の千手観音菩薩立像は「覆面観音」と言われ、素顔の上に菩薩面の覆面をつけている。丑年と午年にご開帳が行われるが、そのときも素顔を拝むことができないという異形の仏像だ。

 長南町・東光寺の薬師如来坐像など、いくつか記憶にある仏像も見つけた。たぶん2008年に千葉県立中央博物館で開かれた『房総の仏像・仏画』展で見たのではないかと思う。

 後半には「七仏薬師と妙見菩薩」の特集があった。そういえば、千葉氏は妙見信仰と縁が深かったなと思い、妙見菩薩といえば、読売新聞社所蔵の童子形の立像があったな(2009~2010年の『道教の美術』展で見た)と思い出していたら、まさにその像が出ていて、懐かしかった。さらに、ほほう、仏画もあるのか、と思って見ていくと、何やら豪快な迫力のある『十六羅漢図』双幅があり、作者名を見たら狩野一信筆だった(前期4/16-5/19のみ)。成田山新勝寺蔵。これは不意打ちすぎて、言葉を失う。水墨なのに絢爛たる極彩色が見えるような気がした。

※参考:インターネット・ミュージアム『仏像半島-房総の美しき仏たち-』

 同展の会場の様子がムービーで紹介されている。「覆面観音」は、よーく見ないと、私が何を言っているか、分からないかもしれない。とってもありがたいサイトなんだけど、千葉市美術館ホームページの「Youtubeで展覧会の紹介ムービーがご覧いただけます」のバナーをクリックすると、以前の『浮世絵師 溪斎英泉』展のムービーが流れるのは、惜しい。惜しすぎる。

 なお、美術館の1階では『信仰遺跡写真展』を開催中。県内(市内?)で発掘された小さな神像、仏像や則天文字の記された土器、「佛佛」と墨書(字の練習?)された土器など、これも面白かった。

 東京に帰る途中、両国・回向院の『善光寺出開帳』(2013年4月27日~5月19日)に寄った。軽い気持ちだったが、「東日本大震災復興(幸)支援(縁)」を掲げるこのイベントには、震災で被災し、発見・修復された東北の仏像や、陸前高田の被災松材で新刻された仏像が来ていて、ああ「仏像半島」の仏像も、こうした被災・復興・祈りの歳月を重ねて、伝わってきたんだろうなあ、と思ったら、じんわり泣きそうになった。
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