見もの・読みもの日記

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職人の絵心/染付誕生400年+興福寺の梵天・帝釈天(根津美術館)

2017-01-11 23:22:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『染付誕生400年』(2017年1月7日~2月19日)・特別展示『再会-興福寺の梵天・帝釈天』(2017年1月7日~3月31日)

 まだ松の内のゆったりした空気の残る美術館に、いそいそと出かけたのは、染付磁器が大好きなのもさることながら、特別展示の梵天と帝釈天が見たかったためだ。展示室3に直行すると、左に帝釈天立像、右に梵天立像が並ぶ。この展示室は、狭いけれど、高い天井から足元までが全面ガラス張りで、しかも透明度が高く反射の少ないガラスを使っているので、何の障壁もなく仏像に向き合っている気持ちになる。ガラスの存在を忘れて、まっすぐ歩み寄ってしまいそうだ。

 二つの像は、どちらも奈良の興福寺に由来する。治承4年(1180)平重衡の焼き討ちの後、仏師定慶によって作られたもので、銘文から、帝釈天立像は建仁元年(1201)、梵天立像は建仁2年(1202)の作と分かっている。帝釈天立像は、明治年間に益田鈍翁に渡り、のち根津美術館の所蔵するところとなった。後ろの壁には、根津嘉一郎(初代)と帝釈天のツーショット写真も展示されていた。梵天立像は、現在も興福寺の所蔵である。実は、あまり記憶がなかったが、ふだんは国宝館で展示されているらしい。2009年に国宝館を見たときに「気になった」という印象をメモしている。

 このたび、興福寺の国宝館が耐震改修工事のため、平成29年1月1日から12月31日まで休館することを機縁に、梵天立像に東京においでいただき、112年ぶりに梵天と帝釈天が再会する特別展示が実現することとなった。どちらも鎌倉風(宋風)の清新で溌剌とした仏像だが、並べてみると印象はかなり異なる。像高はほぼ同じだが、帝釈天のほうが頭部が大きく、眼も鼻も大きくて、顔立ちがはっきりしている。胸の前にあげた右手は変わった印を結び、左手には蓮華を持つ。高く結った髪は台形に近いスマートなかたちである。

 帝釈天がソース顔なら梵天はしょうゆ顔か。卵形の温和な顔立ち。ぽってりした唇は少しへの字に結ぶ。右手は胸の前、左手はお腹の横あたりで軽く握っている。結髪は円筒形。よく見ると、髪の生え際から上が不自然にへこんでいて、本来は宝冠を取り付けるかたちになっていたものと思われる。心なしか梵天のほうが、宋風彫刻との近さを強く感じさせる。そして、どちらも華やかな彩色の名残を微かにうかがうことができる。

 あらためて、コレクション展の会場へ。本展は、平成10年(1998)に山本正之氏から寄贈された作品を中心に、17世紀から19世紀までの肥前磁器を概観する。開催趣旨によれば、世界中が憧れたやきものである磁器は、日本では今からおよそ400年前の元和2年(1616)、朝鮮半島より渡来した陶工・李参平が、肥前でその焼成に成功したのが始まりとされている。これは知らなかった。1610年代から磁器の焼成が始まったというのは、だいたい認識していたけれど、「元和2年(1616)」というのが何の記録によるのかは確かめていない。しかし、有田は2016年に「日本磁器誕生・有田焼創業400年」という記念事業をやっていたのだな。全然知らなかった。

 展示は、おおよそ時代順に、初々しい小さな染付磁器に始まり、次第に大皿やバラエティに富んだ意匠が誕生し、色絵や金襴手も登場する。展示室2は、洗練をきわめた鍋島の特集だが、私は、展示室1に戻って、民窯らしい「抜けた」図柄が好き。職人が描いた山水図や人物画は、自由で無防備で、専門絵師の作品にはない、幸せな味わいがある。種類は分からないが、顔が長くて背びれの大きいサカナ、大きく口を開けて無心に歌っているトリの姿にも惹かれる。

 なお、東大構内(看護師宿舎、中央診療棟などの病院エリア)で出土した施釉磁器の破片も展示されていた。このエリアは大聖寺藩上屋敷跡に当たるらしい。多くは小さな断片だったが、直径20センチほどの完形に近い染付皿も発見されていた。

 展示室5は、この季節にふさわしい『百椿図』。展示室6は「点て初め-新年を祝う-」と題したしつらえで、1階が染付磁器の特集であるため、わざとそれ以外の茶器を選んで展示しているように思った。大井戸茶碗とか絵唐津とか、中国磁器の『呉州赤絵玉取獅子文鉢』や『祥瑞山水文徳利』も大好き。青の染付もいいが、赤絵もいいのである。
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