見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

四月尽・引越し完了

2010-04-30 22:52:29 | 日常生活
3年間暮らした埼玉県のアパートを引き払った。正直、この間(かん)の職場には、あまりいい思い出を持っていないが、居住環境としては、そんなに悪くなかった。都内の賃貸だとあまりないんだけど、畳の部屋、好きなのである。



都合4回、歩道橋の上から眺めた駅前の桜も思い出。



また訪れることがあるかな…ないかな。

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「家」が守る歴史/中国共産党を作った13人(譚璐美)

2010-04-29 18:35:14 | 読んだもの(書籍)
○譚璐美『中国共産党を作った13人』(新潮選書) 新潮社 2010.4

 中国共産党には積極的な関心がある。なんていうと、今の日本では、白い眼で見られるのがオチだろう。いや、別に彼らの共産主義思想に共感するわけではない。

 私は、多くの人物が入り乱れ(主役から端役まで、稀有なほど多くの人物の記録が残っている)、複雑な起伏に富む中国の歴史が好きだ。もとは古代史好きだったが、中世も近世も近代も、それぞれに面白い。そして、あんまり中国の歴史を読みすぎたので、いまの「共産党中国」も、ひとつの王朝にしか思えなくなっている。

 本書が取り上げるのは「共産党中国」の、いわば「桃園結義」である。1921年7月23日、上海の高級住宅で「中国共産党第1回全国代表大会」が開かれた――という「歴史的事実」は、いちおう、日本人の私も聞いたことがある。だが、驚いたことに、第1回全国大会の「場所」と「時間」は特定されたものの、正式な「代表者」の「人数」はまだ諸説あり、確定していないのだそうだ。

 著者はこれを13人に特定し、彼らの思想形成の前史と、その後の苦難の人生をたどっていく。実は、中国共産党を作った13人の中には、日本留学経験者が4人いる(董必武、李達、周佛海、李漢俊)。彼らは、日本語の書物で社会主義を学び、それらを精力的に翻訳して、中国に紹介した。13人の中には入らないが、青年たちの指導的役割にあった陳独秀、李大も日本留学組である。けれども、共産党の創設に果たした日本の役割は(当然というべきか)今日の中国ではほとんど黙殺されており、本書は、この点を丹念に検証した労作である。中国共産党の創設メンバーに関する数少ない記録が、日本の高校や大学にきちんと残っているというのは、ちょっと感動的だった。

 13人のひとり、陳公博がのちにアメリカのコロンビア大学に提出した修士論文には、第1回代表大会の「中国共産党綱領」英文版が含まれている。中国では、戦乱の中で、中国語版の「綱領」が失われており、残っているのは、ロシア語版とこの英語版だけなのだそうだ。近代史の文献研究は、国境の内側だけではできないんだなあ、と思った。もうひとつ、うーんと唸ったのは、2009年春、陳独秀の自筆書簡11通が中国のオークションに出たが、国家文物局はこれを落札することができず、民間人の手に落ちたという。徹底した市場原理の結果だが…いいのか、それで。

 中国では、歴史を伝える役割を「記録」とともに「家」が担う。本書には13人の後半生をまとめた図表が掲載されているが、「獄死」「迫害死」「刑死」などの文字が並び、中国近代史の厳しさを身にしみて感じさせる。そんな中で、彼らの子孫や一族は、誹謗と迫害の日々を耐え、80年代になって、歴史研究が認められるようになると、名誉回復のために動き始めている。長い中国の歴史において、つねに過酷な統治原理として現れる「国家」から、人々を守ってきた「家」の役割は今も健在のようだ。
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老北京の味わい/乾隆帝の幻玉(劉一達)

2010-04-26 21:47:44 | 読んだもの(書籍)
○劉一達著、多田麻美訳『乾隆帝の幻玉:老北京骨董異聞』 中央公論社 2010.1

 舞台は民国初期の北京。玉座を下りた皇帝は禁裏の奥でひっそりと暮らしている。崩壊した宮廷から持ち出された宝物が街に流れ、これを西洋人がハゲタカのように狙っている。既に弁髪を切り、洋装して西洋人に交わる中国人もいるが、最下層の庶民の生活と心意気は、百年前とあまり変わっていない――というのは、全く私の思い描く「民国初期中国」のイメージである。日本でいうなら幕末天保期かな。適度な社会の変動と、変わらない人情が交錯して、時代劇の舞台には、うってつけの時代だと思う。

 さて、北京の東花市で玉器の又売りを営む宗の旦那は、ある宦官を通じて、一対の玉碗を手に入れる。乾隆帝遺愛の、新疆産の「痕玉」でできた逸品である。宗の旦那には、貰い子の家という息子がいた。脚が不自由だが、玉磨きの腕は確かだった。養父の宗以上に、家を実の子のように可愛がっていたのは、隣家の玉器職人の杜の旦那とその一家。あるとき、家は、宗が隠匿していた乾隆の玉碗を盗み見てしまい、精魂かたむけて、その模造品をつくってみる。

 これが、図らずも、一本気で実直な杜の旦那をトラブルに巻き込み、絶大な権勢をもつ骨董仲買人の金、くわせ者のアメリカ人神父チャーリー、義に厚い水汲み人夫の水三児など、いずれもはっきりした個性の登場人物が多数加わって、欲望と純情の人間模様がめまぐるしく描かれる。あ~典型的な、中国のドラマだ。以前、好きだった『人生幾度秋涼』(やはり民国初期の骨董商を主人公にした連続テレビドラマ)を思い出すなあ。

 骨董好きには、描写の端々に「汝窯の器」とか「八大山人の画」とかあるだけで、にまにまと口元が緩んでしまうし、玉器に関する薀蓄もためになる。中国武術マニアなら、杜の旦那が繰り出す八卦拳の描写にうっとりするだろう。もち米に白砂糖をかけるという、北京流の粽の食べ方とか、龍井茶にライチを浸したデザートなど、伝統の味覚や、今に伝わる老舗の店舗名も気になる。京味(北京にかかわるもの)好きには、隅々まで楽しめる小説だ。

 物語の起伏のわりに、ラストシーンが淡白なのは、これも中国のドラマ・小説によくあること。中国人って、あまり結末を気にしないんだろうな。
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おすすめゲームカード・幕末月旦札(便利堂)

2010-04-23 23:07:57 | 見たもの(Webサイト・TV)
○老舗モール:京都便利堂「幕末月旦札(ばくまつげったんふだ)」

 三井記念美術館のミュージアムショップで見つけた。結局、購入は控えたんだけど、あまりに面白かったので、ご紹介。上記サイトの解説によれば、

「日本最大の革命期ともいえる幕末の時代に、京都を始めとして全国で活躍した幕末の志士・坂本龍馬や土方歳三、高杉晋作ら53人をモチーフにしたカードセットです。トランプとして遊べるだけでなく、オリジナルゲームも出来ます。配られた5枚の手持ちカードで幕末に関連する出来事や事件に関係する人々を集め、役を目指してカードを集めていくといった内容になっており、歴史に詳しい方にも、これから学びたいと思われる方も一緒に楽しめる簡単なルールになっております。」

 関連する人物を5~2枚揃えると「役」がつく。トランプのポーカーみたいなものだ。最も得点の高い「大政奉還」(50点)は、徳川慶喜、坂本龍馬、後藤象二郎、山内容堂、明治天皇の5カード。「禁門の変」(20点)は、徳川慶喜、久坂玄瑞、松平容保、孝明天皇の4カード。「日米通商修好条約」(15点)は、堀田正睦、ハリス、井伊直弼の3カード等。複数の役に関連する人気カードは、当然、争奪戦になる。「役」一覧はこちら(PDFファイル)

 好評なのか、「続幕末月旦札」も発売されていて、こちらのほうが、明治維新後にも活躍した人物が多いように思う。「民撰議院設立建白書」(乾(板垣)退助、江藤慎平、副島種臣)とか「天狗党の乱」(藤田小四郎、武田耕雲斎)とか、「役」の選び方も渋い。

 カードには、人物のシルエット(その人物の有名な写真や銅像に基づく)と人物にちなむマーク(岩崎弥太郎→重ね三菱紋、榎本武揚→〒マーク)が描かれていて、これを解読するだけでも楽しそう。ものすごく欲しかったんだけど、周りに遊んでくれるひとが見つかりそうにないので、断念。でも、やっぱり欲しくて、身もだえている。
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夢を追い求めず/教育の職業的意義(本田由紀)

2010-04-21 23:48:59 | 読んだもの(書籍)
○本田由紀『教育の職業的意義:若者、学校、社会をつなぐ』(ちくま新書) 筑摩書房 2009.12

 今日の厳しい就労環境を生き抜く若者を育てるには、「教育の職業的意義」の再構築が必要だ。これは、基本的には『多元化する「能力」と日本社会』(2005)『軋む社会』(2008)などで、著者が主張してきたことの繰り返しである。

 本書の新しさとしては、教育の職業的意義(≒実業教育)をめぐる歴史的な沿革が、詳しく述べられていて興味深い。明治期から第二次世界大戦終了まで、為政者側は「実業教育」の拡充にきわめて積極的だったが、人々の間には「普通教育」への志向が強くあった。また、戦前期の「実業教育」は、体制に奉仕する「臣道実践・職域奉公」的な発想(産業報国運動)と少なからず結びついていた。終戦直後にはこの反動が起きるが、50年代から60年代前半にかけて、経済発展のための政策的要請から、再び「教育の職業的意義」が重視され始める。

 けれども、高校進学率の急上昇、急激な経済成長による労働力重要の持続は、幸か不幸か「日本的雇用」(終身雇用、年功序列)を可能にし、その結果、「職務給」(※年功や一般的能力を重視する「職能給」とは異なる)原理が希薄化し、「教育の職業的意義」が見失われるに至った。同時に、60~70年代には、教育学の内部においても、人間の「全面発達」や普遍的教養の重要性を掲げる議論が主流となった(ソビエト教育学からの影響があるという。へえ~意外)。このように、70~80年代の日本では、歴史的に特異なほど「教育の職業的意義」を軽視した教育が行われた。そうだったのか。私は、まさにこの特異な教育を受けた世代である。

 90年代初頭以降、「日本的雇用」は過去のものとなり、正社員は「ジョブなきメンバーシップ」(=職務の量や範囲に際限がない)、非正社員は「メンバーシップなきジョブ」(=身分保障がない)という状態に苦しんでいる。社会に出ていく若者に必要なことは、「適応」と「抵抗」の両面のスキルを身につけることだ。これが著者の考える「教育の職業的意義」の獲得目標である。

 著者は、流行りものの「キャリア教育」を、「教育の職業的意義」とは「似て非なるもの」として退ける。望ましい「勤労観・職業観」や「汎用的・基礎的能力」の方向性は掲げながらも、それを実現する手段を具体的に提供することなく、結局「自分で決めよ」と突き放すことは、若者の不安を煽るに過ぎない。私はこれについて、著者に全面同意する。さりげなく本文に落とし込まれた「『キャリア教育』には、若者に対する為政者の願望が詰め込まれている」という一文は、かなり痛烈な皮肉だと思った。

 必要なことは、いかなる領域にも通用する汎用的スキルを身につけることではなくて、特定の専門分野に習熟することを通じて、より広い分野に応用・発展してゆく可能性をも獲得することだ、という著者の主張は、私の場合、自分の体験に照らしてみても、理解しやすい。ところが、世間の反応は、どうもそうではないらしく、著者の主張する「柔軟な専門性(flexpeciality)」は、汎用的な基礎能力を意味する「キー・コンピテンシー(主要能力)」ほどには、相変わらず広まらない。やっぱり、「個別」や「具体」より、「綜合」や「理念」のほうがカッコいいと感じる人が多いのだろうか。困ったものだ。
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社会学の立場から/思想地図 Vol.5:特集・社会の批評

2010-04-20 23:51:30 | 読んだもの(書籍)
○東浩紀、北田暁大編『思想地図』Vol.5:特集・社会の批評(NHKブックス別巻) 日本放送出版協会 2010.3

 冒頭には、野中広務、姜尚中、森達也、北田暁大氏(司会)による「共同討議・闘いとしての政治/信念としての政治」が2段組み・約40ページにわたって再録されている。昨年12月14日、東大で行われたイベントだ。当日は、野中さんが喋りまくりだったので(面白かったけど)、どうまとめるんだろう?と思っていたが、当日の司会だった北田さんが、大幅な解説を加筆して、なんとか形をつけている(笑)。興味のある方は、当日の様子と、読み比べてほしい。

 本書には、もうひとつ、私の注目する討議が収録されている。橋本健二、原武史、北田暁大氏による「東京の政治学/社会学」だ。橋本さんと原さんは初対面なのかあ。中央線系知識人(丸山真男、竹内好)と西武線系知識人(和田春樹とか)の違い、中央線の勉強会文化(公民館を舞台に若いミセスが集まる)と西武線の団地文化(団地の自治会・集会所を舞台に専業主婦が政治に目覚める)など、面白い指摘がいっぱい。

 ふたつの共同討議が具体的な問題に根ざしているのに対して、今号のほかの論考は、全般に概念的・理論的なものが多い。今号のテーマ「社会の批評」は、私なりに敷衍すると「学問としての社会学は、現実社会を批評(分析)できるのか?」ということだと思う。社会は物理的対象でもなく、「作品」でもない。他の社会科学(法学、経済学)では、ある程度対象領域を限定することができるのに対し、社会学では、それがなかなか難しいのだという。

 あと、個別素材、たとえばジャニーズをある学生が分析しようとするとき、同じゼミに、その人よりもジャニーズについて詳しい人がいることはめったにない、というのは、苦笑してしまった。確かにそうだろう。指導する教師も大変である。ふだん、ジャーナリスティックな社会批評を消費しているだけの門外漢には、分かりにくいところもあるが、責任編集の北田暁大氏が、今号の見取り図として書いた「社会の批評」は、社会学者のジレンマに真正面から取り組んだ論考である。堅実でボリュームのあるブックガイドつき。

 佐藤俊樹氏の「サブカルチャー/社会学の非対称性と批評のゆくえ」では、「共同体の解体」とか「大きな物語の失効」とか、私のような素人が飛びつきがちな説明原理が、実は「百年ぐらい前からいわれてきた」ものだという指摘に、唖然としてしまった。どんな世界でも、売れる(受ける)作品≒説明原理にはそれなりの価値がある。しかし、人気作品『ONE PIECE』や『NANA』で現代マンガを語ることができないように、「解体論」の図式で現代社会が描かれることに、多くの社会学者は違和感を持っているという。この、世間と学問世界のディスコミュニケーションは大きいなあ。

 個別題材を論じたものでは、東園子の「やおい」論(腐女子は妄想の共有によって女同士の絆を楽しんでいる)、瓜生吉則の本宮ひろ志論、それから、政治学界の若手研究者のポスト問題を赤裸々に論じた菅原琢が面白かった。
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天下人の質素と洗練/徳川家康の遺愛品(三井記念美術館)

2010-04-19 23:48:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『江戸を開いた天下人 徳川家康の遺愛品』(2010年4月10日~6月20日)

 三井家が300年以上拠点とした江戸城のお膝元である日本橋にちなみ、江戸を開いた天下人徳川家康を紹介する展覧会(取ってつけたような理由だが)。展示品の大半は、久能山、日光東照宮、徳川美術館などからの借りものである。

 解説によれば、家康の遺品のうち、「駿府御分物(すんぷおわけもの)」として尾張・紀州・水戸の御三家に譲られたものには、名物茶道具などの名品が多いが、家康が日常的に使っていた実用品(手沢品)は、久能山東照宮に御神宝として伝わった。両者の違いを鮮やかに見せてくれるのが、冒頭の茶道具である。徳川美術館所蔵の『唐物茶壺 銘・松花』や『曜変天目(油滴天目)』が、洗練と雅味を存分に感じさせるのに対して、手沢品である黒い『天目茶碗』の素っ気なさ。家康は、名物茶道具にも、政治的・経済的な見地から割り切った態度で接していたようだ。性格なのか、それとも茶の湯に淫した秀吉の失敗を、戒めとしていたのかもしれないなあ。

 そのかわり、家康の手沢品には、コンパスとか鉛筆とか、乳鉢に硝子(びいどろ)の薬壺とか、ヘンなものがたくさんあって、楽しい(2007年の『大徳川展』でも見た)。美術より実用に熱くなる、理系オタクの風貌が彷彿とする。加えて、時計好きのメカニックマニアでもあったようだ。

 素晴らしいのは武具。「実用」にかける情熱が、質実な中に男性的な色気を醸し出している。黒一色の甲冑に金無地の陣羽織(金唐革陣羽織)ってダンディだなあ。たまたまだが、脇差、鞍のしつらえも黒と金だった。「日本之衣裳結構になり候事、家康公よりはじまり申候」という同時代人の評があるそうだ。信長や秀吉の、お金をかけた個性派ファッションと違って、誰でも真似ができて、それなりにサマになる、スタンダードな着こなしを作り上げたということになろうか。

 久しぶりに見る巨大な『金扇馬印』は久能山所蔵。解説によれば「金扇馬印は複数あったとされ、久能山東照宮に伝わるものはその一つ」だそうだが、今日まで複数が伝わっているのかな? 野口武彦さんが『鳥羽伏見の戦い』に書いていたように、慶喜が大坂城に見捨てていった金扇馬印はこれなのかな?

 絵画では、大阪歴史博物館所蔵の『関ヶ原合戦図』が見もの。前期(~5/16)は左隻、後期は右隻の展示で、片方ずつしか見られないのはちょっと残念。様式化された緑の山に金色の雲がたなびき、遠目には、天上界を描いたようなきわめて美しい屏風だが、よく見ると、手足を切り落とされた武士の姿もある。家康の養女満天姫(まてひめ)が津軽藩主に嫁ぐ際、家康に懇願してこの屏風を貰い受け、同藩に伝来したため、「津軽屏風」とも呼ばれるそうだ。彼女は、小さい頃からこの屏風を見て育ったのだろうか。女の子が、この美しさに愛着した気持ちはよく分かる。

 狩野探幽筆の家康像も数幅あり。祖父を崇拝していた家光は、家康の夢を見るたびに、探幽に家康像を描かせたのだそうだ。お抱え絵師も大変だなあ、と苦笑してしまった。

※参考:情報・デザインミュージアム:関ヶ原合戦400年記念「戦国博」
→コンテンツに「関ヶ原大合戦」展→「絵画に描かれた関ヶ原合戦」など。

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なごみの白磁/朝鮮陶磁(日本民芸館)

2010-04-18 23:21:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民芸館 『朝鮮陶磁-柳宗悦没後50年記念展』(2010年4月1日~6月27日)

 私ごとだが、転勤に伴う引っ越し先を決めた。結局、3年前まで住んでいたところの近くに戻ることにした。代々木上原が徒歩圏内で、もう少し、てくてく歩いて行くと、日本民芸館に出る。戸栗美術館やBunkamuraにも、歩いていけないこともない。根津美術館へのアクセスもよくて、私の休日には最適のロケーションなのである。

 その日本民芸館では、朝鮮の美術を愛した柳宗悦の没後50年を記念して、同館所蔵の朝鮮陶磁、約270点が展示されている。水滴、化粧皿などの小品も多いので、数には驚かなくていいが、さすがに質は高い。チケット売り場で「2階に上がって左奥の展示室からご覧ください」と案内されたが、まあ、そう焦らずに。私は、企画ごとに一変する、玄関ホールの雰囲気が大好きなのだ。今回は、大階段の左右の展示ケースには、白磁(文様なし)の小品が並んでおり、壁には独特の朝鮮絵画(民画、文字画)、2階へ向かう階段の踊り場には、すらりと形のいい細身の箪笥が立っている。

 目が釘付けになったのは、左手の展示ケースの最下段に飾られていた『孤山戯墨 尹善道筆』という書帖(法帖)。生気とスピード感にあふれ、のびのびした草書は、完全に私好みである。調べてみたら、尹善道(ユンソンド、1587-1671、孤山は号)は、朝鮮時代の三大詩人の一人。時運に恵まれず、19年間を僻地を転々しながら過ごしたって、杜甫みたいだなあ。このひとの名前、覚えておこう。

 さて、案内に従って、2階奥の、いちばん大きい展示室に入ろうとして、はっとした。壁に沿って、点々と設置された展示ケースは、全て木製で、展示ケースというより、使い込まれた家具の趣き。展示ケースの間には、実際に朝鮮家具の箪笥や絵画も飾られていて、個人宅の広間に通されたようだ。ライティングは自然の明るさに近い。というか、見上げると、細い天窓から自然光が差し込んでいる。最近の美術館は、暗くて無機質で、作品ばかりにスポットライトを当てて鑑賞する空間が主流だけど、あれは度を過ぎると疲れる。こういう、普通の暮らしの延長にあるような展示室も、心なごんでいいものだと思う。中央の椅子とテーブルでもくつろげるし。この大展示室に飾られていたのは全て白磁(文様あり)。私は、赤錆色の辰砂で絵付けをしたものが好きだ(葡萄文とか虎鵲文とか)。黒い鉄砂の絵付けもいいけど、これは色が薄いほうが味があると思う。

 大展示室の外には、黒釉、鉄釉、飴釉などの陶磁が飾られていた。また、別の展示室には「高麗時代・朝鮮時代前半」の陶磁が特集されており、李朝(朝鮮)白磁に対して、前時代の高麗は青磁(ただし、珠光青磁みたいな灰緑色)が主だったことを学んだ。絵付けにしても掻き落としにしても、余白をとらず文様で全体を埋めつくすタイプが多い。今日、韓国土産の定番となっている青磁象嵌(私もティーカップをひとつ持っている)も、高麗時代に発達した古い技法なんだな。見ていて楽しいのは、形態がバラエティに富む水注と水滴。私のお気に入りは、元気よく体を反らせた鯉の水注(浅川巧蒐集)。目の下に施された辰砂釉が、頬を染めているようだ。あと、ポンポコ饅頭みたいな狸の水注。平たい尻尾はビーバーにも見える。

 陶磁器以外にも、いろいろ見どころあり。『絹本狗子図 李厳静仲筆』(桜の枝の下に、黒、白、灰色っぽい3匹の仔犬)は、栃木県立美術館の『朝鮮王朝の絵画と日本』展に『花下遊狗図』として出品されたものかな? 民画の『瀟湘八景図』(「洞庭秋月」と「平沙落雁」の2幅)は、すごい破壊力だった。なぜ大津絵並みの画力で、この格式ある画題を描こうと思ったのか、謎である。掲示板ふうには「wwwww」としかコメントしようがない。いや、愛情表現としてね。同じ意味で『山中閑談図』も好きだ。よく見ると小さい字で「飛流直下三千尺 疑是銀河落九天(疑うらくは是れ 銀河の九天より落つるかと)」(お、李白だ)という書き入れがあるが、画中のどれが滝なんだか、不明。

 なお、本展は、めずらしく展示図録がつくられて売られている。しかし、写真はいいんだけど、解説が物足りなかったのと、陶磁器以外にも興味があったので、『日本民芸館所蔵 李朝の工芸』(そごう美術館発行、2002年)のほうを買ってしまった。引っ越し荷造りの最中なのに…。
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オルタナティブを探す旅/天皇とアメリカ(吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ)

2010-04-16 23:59:41 | 読んだもの(書籍)
○吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』(集英社新書) 集英社 2010.2

 「天皇こそ近代であり、アメリカこそ宗教である」という逆説を掲げ、日本のみならず、東アジアの近現代史に深い影を落とす「天皇=日本的なもの」と「帝国・アメリカ」を語る。こう要約すると、抽象的で分かりにくそうだが、議論は、つねに歴史的事実を参照しながら、具体的に進む。

 冒頭「近代」では、明治に始まる近代天皇制が、過去の伝統とは別の、「近代産業システムに向けての合理化戦略」「国民国家と初期産業システムの駆動軸」として構築されたことを示す。そのような近代化装置は、ヨーロッパやアメリカがそうだったように日本でも、儀礼や宗教性を上手に取り込んで成立した。

 続く「現代」では、敗戦・占領期における、アメリカと日本(天皇)の関係を考える。アメリカの支配は、被統治国のナショナリズムを積極的に育てることを通じて、支配体制を世界化するという屈折をずっと持っている。アメリカの政策が日本で成功した理由は「天皇がいたから」だ。アジアの他の国々では、独裁政権をつくらなければならず(李承晩、朴正煕、蒋介石、マルコス、スハルトなど)、日本ほどには成功しなかった。独裁者たちが(天皇と違って)「政治的実体」である以上、ある期間を経ると、アメリカとの関係悪化を招いてしまうためである。

 テッサさんによれば、ライシャワーのメモランダムには、天皇はアメリカの占領政策にとって「ベスト・ポッシブル」傀儡になる、と書かれている由。すごいなあ、この身もフタもなさ。以後、日本は、「帝国・アメリカ」に寄り添うナショナリズム=天皇に象徴されるもの=自民党的なものの支配の下で、戦後の高度成長社会を築いてきた。

 そして「現在」。アメリカは、オバマの登場によって、新しい方向を模索している。著者たちは、アメリカの人々が「あるべきアメリカ」に寄せる期待の「宗教的なエンパワーメントの仕組み」の両義性を慎重に指摘しつつ、日本が、そうしたポジティブな信仰を持ちにくい歴史的構造にあることを憂う。それでは「もうひとつの日本」の可能性はどこにあるのか。たとえば、ローカルな地域で活動する、草の根の実践家にその可能性はあるか。宗教の力は。もしも共和制を導入(天皇制の廃止)したら…。

 著者たちは、無責任に大風呂敷な言辞を弄することなく、真摯に答えを探し続ける。その結果は、下記のように、全く地味な結論に帰着する。

テッサ:大切なのは、その「少し」を積み重ねていくことなのです。
吉見:まったくですね。

 吉見氏は、アメリカへの依存に対するオルタナティブは「東アジアの連帯」にあると考えている(ように見える)。しかし、日本、中国、韓国、台湾といった全く実情の異なる国々が、同一の価値を志向し、政治や社会体制の面で協働することはなかなか難しい。そうであれば、「この社会の世俗的で日常的なもの自体のなかから」消費文化、メディア、教育、スポーツ、アートなど、共有できる具体的な価値を拡大していくことが、最も現実的な実践なのではないか、と提言する。つまり、消費文化の欲望に基づく、韓流ドラマへの熱狂や、華流タレントへの注目も、実は、次のオルタナティブの土壌をつくっている(かもしれない)のだ。この結論は、少し楽天的かもしれないけど、私は同意する。

 最後の「エピローグ」には、吉見俊哉氏と朝鮮半島の個人的な縁故が語られている。同氏の母は、終戦時、京城(ソウル)に暮らしており、1945年の夏、わずか15歳で、2歳上の兄とふたりで日本に引き揚げたという(釜山の波止場で数日間野宿しながら)。吉見氏の著作を比較的よく読んできた私にも、初めて聞く話で、感慨深かった。自分では意識していなくても、一世代かニ世代さかのぼったら、「東アジア」地域と広汎なかかわりを持つ日本人は、今でもずいぶん多いだろうと思った。

 また、テッサさんの「プロローグ」によれば、この対談は5年にわたり、あるときはオーストラリアで、あるときは吹雪の北イングランドで、また集英社の会議室や下北沢のイベント会場の片隅で、続けられたという。「大学」の壁を飛び出したところで、学問の実践を続けるおふたりらしくて、印象的だった。
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夏の思い出/和ガラス(サントリー美術館)

2010-04-15 22:45:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『和ガラス-粋なうつわ、遊びのかたち-』展(2010年3月27日~5月23日)

 江戸から明治にかけてつくられた「和ガラス」の展覧会。冒頭に展示されていたのは「藍色ちろり」(江戸中期、18世紀)。急須型の、冷酒を注ぐ容器である。サントリー美術館の優品として人気が高く、ポスターやグッズで、すっかり「イメージ」が焼き付いているが、私は、実際に見た記憶があまりない(初見かと思ったくらい。実は2004年に『ありがとう赤坂見附 サントリー美術館名品展』で見ている)。あらためて現物に向き合うと、イメージよりも大ぶりで、意外とがっしりしていることに驚いた(外国映画の女優さんを語っているみたいだなあ)。和ガラスとして、比較的、初期(18世紀)の作品で、まだ薄さや軽さを追求する技術は、十分でなかったように思われる。

 だが、私は、色彩も造型も単純な、初期の作品のほうが、手に届かない美しいものをつくろうとする一途な憧れがにじみ出ているようで好きだ。カット(切り子)の技法が定着する以前。手仕事の懐かしさを感じさせる、まだ不均等で肉厚のガラス。色は紫・緑・黄色が多くて(おや、古九谷の配色と同じだ)、青(藍)は、例が少ないように思った。発色が難しいのだろうか。

 この展覧会、「和ガラス」の美を愛でるだけのものかと思ったら、途中に、ものすごくデカい眼鏡(つるなし)が展示されていて、びっくりした。1751年から眼鏡の取り扱いを始めた京都の玉与の看板(江戸~明治前期)だそうだ。文献資料も取り揃えてあって、『和漢三才図会』(1712年刊)の「硝子(びいどろ)」の項には、その化学的な製法も記述されている。日本橋通油町の硝子問屋加賀屋(Wiki「江戸切子」参照)の引き札(広告)も5枚展示されていて、古いものは飲食器が多いが、時代が下るにつれて、理化学系の容器が増えていく、と解説されていた。なるほど、文久~慶応年間の引き札には、試験管・滴加器・漏斗などが見えて、昨年のドラマ『JIN-仁-』を思い出してしまった。

 1796年の『摂津名所図会』には大坂伏見町の唐物屋「蝙蝠堂」の絵が載っている。「異国新渡奇品珍物類」の看板をかけ、店の奥には「エレキテル」の箱も見える。また、驚いたのは、きれいなエメラルドグリーンをした色眼鏡(18~19世紀)。西洋人または清国人の真似をしたのかしら。江戸後期の遠眼鏡は、外筒に施された装飾が美麗だが、拡大性能は低く、もっぱら遊戯用だったという。19世紀になると、かんざし・根付・手拭い掛け(なるほど。濡れたものを掛けるには便利)など、ざまざまな用途・形態のガラス作品がつくられるようになる。金魚玉(展示品は1820年作)もそのひとつ。ビーズの紐つきで可愛かった。

 第1会場と第2会場の間のスペースには、100個?200個?近いガラス製の風鈴が吊るされていて感激。東京下町育ちの私には、風鈴といえば江戸風鈴=ガラス製なのである。私がお行儀よくたたずんでいたら、あとから来た若い女の子たちが、はしゃぎながら、持っていたパンフレットで風を起こして、朗らかに風鈴を鳴らしてくれた。子どもの頃の、夏の縁日の思い出がよみがるようで、懐かしかった。
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