見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

吉野蔵王堂(2)蔵王権現の帰還

2005-01-31 18:04:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
1月29日(土) 吉野・金峯山寺蔵王堂。

10:30頃。秘仏の拝観を終えて外に出てみると、巨大な木製コンテナの上蓋が外されたところだった。蔵王堂の正面階段に組まれた足場の上で見守る人々。ええ、これってもしや?もしや!?



続いて側面が外されると、仏像の腕と思しきものが出現する。まわりで囁き交わす人々の話を総合すると、巡回美術展『祈りの道―吉野・熊野・高野の名宝』に出品されていた仏像が帰って来たのだという。あの世田谷美術館の大ホールで、周囲を睥睨していた蔵王権現立像に間違いない。



※美術展『祈りの道』と、この像を搬入するにあたっての世田谷美術館の苦労話(毎日新聞)は2004年1月4日のブログ参照。

四方の板が外されると、クレーンが進み出て、内箱に収まった仏像を吊り上げた。このまま、堂内に運び上げるのかと思いきや、底板を外したところで小休止。



「上げるのは2時頃だな」「早いけど食事行こか」などと言って、作業員たちが散っていく。このとき、時計は11:00過ぎ。今日は奥千本の西行庵まで行くぞ!と思っていたのだが...とりあえず私も蔵王堂を離れて、近くの名所旧跡をぶらぶら見てまわる。しかし、西行庵にはまた行くこともできるが、これほどのイベントにめぐり合うことは二度とないだろうと思い、昼食を済ませ、再び蔵王堂に戻る。

1:00過ぎ。仏像はまだ地面に横たわっていた。木枠の不要な部分を切り落とし、新たな補強部材を追加するなど、吊り上げ準備に余念がない。



茶色の法被姿のスタッフ(文化財修復の専門家集団)が、慎重に仏像を固定したベルトを確認し、何度も木枠のボルトを締め直す。クレーンによる搬入を担当するのは日本通運さん。堂内でそれを受け取るのは、また別の業者さんらしい。金峯山寺のお坊さんたちも集まってくるが、「なかなか上がらへんなあ」の声が漏れる。

2:00過ぎ。いよいよ本格的にクレーンが出動。



まず、仏像を横向きに起こし、すばやくベルトをかけ直す。足場の上では、あわただしく金属製の「コロ」が並べられる。



あっという間に仏像は吊り上げられ、ぐんぐんお堂に近づく。



台上の作業員が慎重に受け取る。同じ目線まで上がってくると、あらためて仏像の巨大さが感じられる。



青い作業着の日本通運さんの仕事はここまで。お堂の中で待っていた別の会社の作業員さんたちが、コロを使って、仏像を堂内に押し入れる。



ここからがまた一苦労。いったん横倒しにした仏像を、滑車で吊り上げ、狭い堂内で再び90度回転させる。滑車を回転させる鎖のシャーシャーという摩擦音が、善男善女のまわす、百万遍念仏の数珠のようだ。



ふだん堂内は「撮影禁止」なのだが、このときばかりはお坊さんたちも、自前のカメラや携帯で熱心に撮影中だったので、私も見逃していただいた。本日の作業はここまで。時間は既に3:00をまわった。

内陣に運び入れ、立たせる作業は明日になるというので、名残を惜しみながら、蔵王堂を後にした。次に来たときは、内陣に佇立する蔵王権現像を見ることができるだろう。

(おしまい)
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吉野蔵王堂(1)日本最大秘仏

2005-01-30 23:04:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
○金峯山寺 日本最大秘仏・金剛蔵王権現特別ご開帳

http://www.kinpusen.or.jp/index.htm

 吉野の金峯山寺には以前にも来たことがある。10年以上も前のことだ。桜の盛りで賑わっていた。大きなお堂の印象は残っているが、扉の向こうにどんなご本尊がいらっしゃるかは、当時、考えもしなかった。

 さて、『紀伊山地の霊場と参詣道』の世界遺産登録を記念して、四百年来、4年に1度の伝法灌頂会以外は公開されたことがいないという三体の巨大な蔵王権現像が、2004年夏から1年の長きに渡って、特別ご開帳中である。土曜日、ようやく機会を得て拝観に出かけた。

 三体の権現像は、既にさまざまな観光用ポスターやホームページにそのお姿を露出しているので、「あ、これか」というような既視感があるのではないかと思っていた。ところが、どうだろう。意外なことに既視感はなかった。

 広いお座敷に入って、三体の権現像と向かい合う。すごい。手前の権現像の前でへたり込んでしまうが、やっぱり、中央のご本尊がひときわ巨大である。7.3メートル。世田谷美術館の『祈りの道~吉野・熊野・高野の名宝展』の呼び物だった蔵王権現像が4.5メートルだから、さらに迫力倍増くらいにデカい。

 日本の巨大仏といえば、九州・観世音寺の馬頭観音、唐招提寺金堂の薬師如来(奈良博で展示中)、岩手・成島毘沙門堂の本尊などが思い浮かぶが、いずれも比較的スタティックで、定式的な儀容である。

 それに比べると、この三体は、左手を腰に当て、右手右足を振り上げ、お厨子の幅いっぱいに身を躍らせている。膝を曲げているせいかもしれないが、四頭身くらいに見えるほど頭部が大きい。この大きすぎる頭部は、写真で見ると少し滑稽な感じがするが、実際に座敷に座って、低い位置から見上げると違和感がない。この蔵王権現像は憤怒というより、きかん気の童子の顔をしている(特に中尊)。

 紺青の肌、胸を飾る金色の瓔珞、錦の袴、腰を覆う毛皮、そして逆立つ髪、紅蓮の炎に燃え立つ光背。ただし、実際の色彩は写真ほど鮮やかではない。薄明に照らし出された姿は、四百年来、積もったホコリで白っぽく見える。しかし、むしろ、その不充足感が、見る者を絢爛たる想像に誘い込む。

 三体は、それぞれ巨大な厨子に収まっているそうだが、この窮屈な感じが、像の巨大さと迫力に一層の表現を与えている。厨子と像とが一体となってひとつの空間芸術を作っていると言ってもいい。あたかも世界(コスモス)に充ちわたる生命力と緊張感、宇宙の初源のビッグ・バンを表現しているようだ。

 さて、此様に信仰と芸術の深淵に想いをめぐらせていたのだが、なぜか、この日は、座敷の横に高い足場が組まれ、朝からカンカンと作業の音がうるさい。お堂の外にも大きなコンテナとクレーンが止まっていて、ヘルメット姿の作業員がせわしく行き交っている。特別ご開帳中なのに、お堂の改修をやっているわけ?と不審に思っていたところ...

 以下、謎解きは明日に続く。乞う、ご期待。
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根津美のおまけ/有田にて(2)

2005-01-27 08:53:58 | なごみ写真帖
有田のまちには、有名な陶磁器会社の本店がある。
どこも私設のギャラリーを持っていて、立ち寄ると楽しい。

上:「深川製磁」は雲の上に頭を出した富士山のマークが目印。



中:「香蘭社」。入口は目立たないが、中に入るとびっくり。



下:「香蘭社」のギャラリー。展示品もさることながら、内装と展示ケース自体に美術品の趣きがあって、あまりにも見事だったので、黙って写真を撮ってしまった...すいません、もしクレーム貰ったら、すぐ下げます。



ところで、私は今日から出張。今夜は奈良泊。
週末は関西で見仏と美術館めぐりに励んできます!
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根津美のおまけ/有田にて(1)

2005-01-26 09:06:03 | なごみ写真帖
新春は陶磁器の展覧会が多い。それとも今年に限ってかしら?
とりあえず、根津美術館だけ行ってきたけど、戸栗美術館、松岡美術館も気になっている。

写真は、去年のクリスマスイブに歩いていた佐賀県の有田のまちで。
陶磁器専門の色絵具店のショーウィンドー。思わず見とれてしまった。





有田のまちのお蔵出し写真、もしかしたら明日に続く。
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東博のおまけ/親と子のギャラリー

2005-01-25 00:07:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 親と子のギャラリー『仏像のひみつ』

http://www.tnm.jp/

 先に唐招提寺展を見てきた友人から「平成館のギャラリーに、本館の仏像が来てるから見逃さないように」と忠告されていたので、のぞいてみた。

 そしたら、あ~ら、びっくり! いつもは本館の彫刻室で孤独なスポットライトを浴びている仏像たちが、小学生や中学生にも分かるよう、平易な言葉で語りかけている。「ボクはこどもの姿の仏像。親と子のギャラリーはボクが案内するよ!」(文殊菩薩)「さとりをひらいた如来の姿をみてください」(阿弥陀如来)なんてふうに。

 この展示、小さい子供を連れた親子が楽しめるように企画された「親と子のギャラリー」というシリーズだが、見渡したところ、あまり子供はいなくて、おじさん・おばさんや若いカップルが熱心に見入っていた。

 着眼点がなかなかいい。「仏像にもやわらかいのとカタイのがいる!」は、塑像や乾漆像のように柔らかい素材を重ねて造るグループと、木彫や石仏のように硬い素材を掘り込んで造るグループを比較したもの。「仏像もやせたり太ったりする!」は、仏像彫刻の体型の好みが時代によって変化することを示したもの。体の厚みが分かりやすいように、観客にわき腹を向けて、斜めに並んだ仏像がおもしろかった。

 「平安初期の仏像です。でっぷり太っています」なんて、親しみ深く仏像に語らせているが、その実、こんなふうに仏像を徹底して「モノ」として扱ってしまうのは、純真な子供の視点を隠れ蓑にしているからできることで、大人向けの展示では、ちょっとできない冒険だと思う。この企画、学芸員さんたちもかなり楽しんだに違いない、と私はにらんでいる。

 このほか、盧舎那仏の模型を作った芸大生のギャラリートークあり、仏像のきものを着て「仏像になってみよう!」というワークショップもあるようだ。うーん。子持ちの友人を誘い出して、行ってみたいような、怖いような...
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鈴木庫三という軍人/言論統制

2005-01-24 00:30:26 | 読んだもの(書籍)
○佐藤卓己『言論統制:情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)中央公論社 2004.8

 昨年の夏、上梓されたばかりのこの本を見つけて「あ、佐藤卓己さんの新刊だ」といったんは手に取った。しかし、テーマが重いし、本も厚いし、引用文も漢字カタカナ混じりの文語体が多くて読みにくそうだし、気が引けて、また戻してしまった。以来、書店で見かけるたびに気になりながら、読み始める決心がつかなかった。

 土曜日、ふと手に取ってオビの裏を読んでみた。いわく。言論界で「小ヒムラー」と怖れられた軍人がいた。情報局情報官・鈴木庫三少佐である。この「日本思想界の独裁者(清沢洌)」が行った厳しい言論統制は、戦時下の伝説として語りつがれてきた。だが、鈴木少佐とはいったい何者なのか。(後略)

 そうか。これは人物評伝なんだ、と思ったとき、ようやく読み始める決心がついた。そして、最初の10ページを読んだところで、私は本書のとりことなっていた。

 私は鈴木庫三という名前を知らなかったが、メディア史研究では、言論弾圧の代名詞のように扱われているらしい。だが、著者の検証によれば、そもそも鈴木庫三だけを標的とした著作はほとんどなかった。ところが、1949年、軍部の言論弾圧に抗するインテリ群像を描いた石川達三の新聞小説『風にそよぐ葦』が大好評を博す。この小説で、言論弾圧のシンボル的な役割を与えられているのが、鈴木庫三をモデルとする「佐々木少佐」である。若く、無学・無教養で、軍部の権威をかさに着て「サーベルと日本精神を振りまわしながら」(美作太郎)蛮勇と恫喝を繰り返し、良識ある知識人を屈服させる悪の権化として描かれている。

 この小説は映画化され、「世間一般の戦時言論統制イメージ」の大衆化に寄与するとともに、学術出版界においても、これ以降、鈴木庫三に批判の狙いを定めた回想録が、籍を切ったように公刊され始める。まず、こうしたシニカルな見取り図を受け止めたうえで、我々は、著者ともに、鈴木庫三とは何者か?という探究に踏み出すことになる。

 彼は茨城県の貧農の家に生まれ、刻苦勉励で身を興した。「五年の間は養父の為に年月を差し上げ、其代り僕は五ヶ年遅れて生れた者と同じ歩調で歩む」と決め、養家の農業を手伝いつつ、同輩より遅れて士官学校に入学するが、年齢制限の壁によって、陸軍大学受験を諦める。陸軍内務班では、横行する盗みやリンチ、上等兵の横暴、事なかれ主義の老人などに憤激し、「摩擦係数の高い生き方」を続ける。

 有閑階級の堕落と個人主義を嫌い、農民と労働者の幸福を心にかけ続けた彼の思想は、共産主義にかなり近い。軍務のかたわら、生活費と時間を極限まで切り詰めて、日本大学・同大学院で倫理学を学び、さらに東京帝国大学で教育学を学ぶ。要約してしまえば絵に描いたような「立志伝」であるが、この息の詰まるような真剣な人生の記録を前に、私は鈴木庫三という人物の魅力にのめり込んでしまった。

 著者は問う。強い軍部が弱い知識人をいじめたというのが常識のようになっているが、はたして編集者や文化人は弱者だったのか? 軍人と知識人は、いずれの地位が高かったのか? その設問のクライマックスは、鈴木庫三と和辻哲郎の「対決」である。この対決を直接目撃したという勝部真長氏の証言には、なまじな論評を受け付けない迫力がある。

 「物質は僕には不用だ。幾千代の後迄も残るものは名誉である」と名誉を希求した鈴木庫三は、「国防国家」の提唱者、情報部のスペシャリストとして脚光を浴び、著作に講演に引っ張りまわされながら、戦後は悪罵を浴びて、忘れられた。

 著者は不思議な直感に導かれて、この人物の研究に手を染め、紆余曲折の末、ついに遺族を捜しあて、鈴木庫三が遺した膨大な一次資料(日記、蔵書、手帳、大学院時代の演習ノート)に接する。この経緯は「あとがき」に詳しく述べられているが、歴史研究に携わる者の幸福を追体験できて感動的である。そして、本書の上梓を、遺族の方々はどのように受けとめられたであろう。

 「何かを言い残そうとしながらも沈黙した、その人の声を聞きたい。」と著者は記す。私たちが研究者(歴史家)に望むのは、そういう人々の声を掘り起こしてくれることである。そして、彼らの瑞々しい肉声に接すること、それは読者の喜びである。この本、私にとっては今年のベスト1になってしまうかも知れない。そのくらい、感動の1冊であった。私の文章に目を留めてくれた方には、声を大にしておすすめしたい。

 最後に著者の佐藤卓己さんのホームページを。書評リンクあり。

 http://www12.plala.or.jp/stakumi/
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鑑真和上に会いに/東京国立博物館

2005-01-23 10:09:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館『唐招提寺展-国宝 鑑真和上像と盧舎那仏』

http://www.tnm.jp/

 また唐招提寺展か、と思わないでもなかった。『鑑真和上展』が上野の東京都美術館で開催されたのは、唐招提寺金堂の平成大修理が始まったばかりの2001年1月~3月のことである。4年ぶりねえ、短くはないけれど、10年や20年に1回とかいう秘仏のご開帳に比べたら、長いとも言いがたい。

 とはいえ、見に行った。そして、けっこう満足した。以前の『鑑真和上展』は、舞台に展示された諸仏を観客が正面から眺める形式だったと思う。今回は、広い会場に金堂の諸仏(盧舎那仏、四天王、梵天、帝釈天)が点々と配置され、観客は、その間を好きなように歩き回って、好きな角度から眺めることができた。この形式はいい。会場はものすごい混雑だったが、人の流れをあまり気にしなくて済む。私は4体の四天王の間を気が済むまで行きつ戻りつしたあと、梵天、帝釈天に進み、最後に盧舎那仏のまわりをひとめぐりした。

 唐招提寺金堂の四天王は、着ているものに獣面や鬼面が付いていないし、邪鬼も踏んでいない。シンプルである。手前の2体(持国天と増長天)に比較的よく彩色が残っている。特に裾や鎧の影になる部分によく残っているので、なんだかスカートの中を覗くみたいで恥ずかしかったが、一生懸命、足元を覗き込んだ。増長天は、両足の間に垂れた裾の先端に赤い花が一輪残っていて、色っぽかった(背面の裾にも白い花紋の残像あり)。それから、増長天の背面は、彩色が融けて流れた名残なのだろうか、佐伯祐三の油彩のような美しい背中をしている。

 持国天と広目天は、ともに、耳の横で両端が巻き上った兜をかぶっている。見慣れた形だと思っていたが、背面から見て、この巻き上がりが、ぐるりと頭部を囲んでいるということに初めて気づいた。なるほど。これでこそ頭部を防御できるわけだ。しかし、不思議なのは、この巻き上がり方が、持国天と広目天で、ぜんぜん違うのである。広目天のほうが巻き上がりの幅が広く、その結果、後ろから見ると、大きなお釜をかぶったようで、噴き出してしまう。どうしてこんなに形が違うのか? どっちが本物(中国古代の甲冑)に近いのか、誰か教えてくれないかしら。

 盧舎那仏は光背がないので、ずいぶん印象が違う。近寄ると、親しみやすくて、丸々した膝に触ってみたくなる。お父さんの膝に這いのぼる幼児みたいに。

 次のコーナーでは、唐招提寺金堂の解体修理のプロセスが写真で展示されていた。これが面白い。瓦を取り外すところで、数人の作業員が縦一列に並んでいたけれど、どうも瓦を投げ渡してリレーしているようだった。ひゃー。プロの仕事とは言いながら、怖いことをするなあ。

 屋根の垂木を支える隅鬼は一見の価値あり。ずんぐりして小柄だが、筋骨隆々と逞しい。興福寺の天燈鬼、龍燈鬼にも通じる。古代の日本って、あんな立派な肉体の持ち主がたくさんいたのかしら。もっと貧相な人間ばかりをイメージしてしまうのだけど。それとも、あれは理想形なのかなあ。

 後半は、御影堂の襖絵(東山魁夷画)と鑑真和上像。小さいガラスケースに入れられていて、少し窮屈そうだった。そう、和上像はふだんも小さなお厨子に入っているのだが、せっかく、まわりの襖には、ふるさと揚州の風景が描かれているのだから、薄墨の柳を渡る風を感じられるよう、広いお座敷に出して差し上げればいいのに、と思う。和上、和上、わたしは昨年、揚州に行ってきましたよ。なんて語りかけたくなった。

 中国の歴史を読むと、揚州という都市は、繁栄も極めたけれど、また何度も戦乱に焼かれ、修羅の巷にもなっている(まあ、中国の主な都市はみんなそうなんだけど)。そんな歴史を、和上はどうお思いだろうか、なんてことを考えてしまうくらい、この像は生きた人間を感じさせる。
 
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華やかなうつわたち /根津美術館

2005-01-22 20:57:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
○根津美術館『華やかなうつわたち -伊万里・柿右衛門・鍋島-』

http://www.nezu-muse.or.jp/

 「陶磁器を愛でる」というのは、育ちがよくて、高級品に囲まれてセレブな毎日を過ごしてしている人の趣味、という先入観があって、ずっと敬遠してきたが、ようやく最近、高いと思っていた敷居をまたいでみた。いくつかの素晴らしい展示会に出会ったことと、それから中国のTVドラマで”古玩(骨董趣味)”を味付けにした作品にハマったことが相乗効果を成している。

 ひとくちに陶磁器と言ってもさまざまだが、自分の趣味にぴたりと合うのは、この「伊万里・柿右衛門・鍋島」に他ならないということも分かってきた。

 私は、この「IMARI」と呼ばれた肥前磁器の華やかさに、「近世」という時代性を強く感じる。日本の近世だけではない。17世紀初頭、伊万里焼は中国の焼き物と張り合い、ヨーロッパでも絶大な人気を獲得した。当時は、地球上の諸地域で、程度の差はあれ、豊かな富を蓄積した市民層が形成されてきた時代であると思う。そして、伊万里焼の、現世的で明快、かつ冒険的で斬新な美しさは、地域を超えて新興階級の趣味に合っていたのだと思う。

 もちろん現実の近世には、明と暗があるのだけど。伊万里焼が象徴するのは、見晴らしのいい、カラリと晴れた空のような、近世の「明」の部分である。

 展示品では「さすが」と思って感じ入った2作品がホームページに掲載されている。1つは「色絵唐花文変形皿」。黒地に白と青の花を浮き上がらせた変形皿である。濃緑の葉っぱと黄色いドット模様の帯も効いている。この、和風でも中国風でもない(あえて言えば西洋風か?)色彩感覚に脱帽。会場では、この隣に並んでいた同名の作品もよかった。ドーナツ型に緑の地釉を配して、隅に白いくちなしのような花が描かれている(画像なし)。

 「青磁染付雪輪文皿」は鍋島の名品である。私は、西陣織のように華やかな伊万里の「染織手」も好きだが、浴衣のような淡白な風合いの鍋島はもっと好きだ。淡い青と緑だけ、またはごく少量の赤を加えた文様もいい。精緻に計算しつくされた図様に、計算外(なのかなぁ)の滲みやぼかしが加えられた姿は、本当に息を呑むばかりである。

 なお、別室では「近世諸派-賀頌の絵画-」を展示中。めでたくて、おおらかな気分になれる。

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陶磁器図案データベース

2005-01-21 17:40:05 | 見たもの(Webサイト・TV)
○産業技術総合研究所『陶磁器における図案データベース』

http://unit.aist.go.jp/chubu/DB/

 忙しかった一週間もやっと終わり。週末の楽しみはいろいろあるが、とりあえず根津美術館の『華やかなうつわたち -伊万里・柿右衛門・鍋島-』を見にいこうと思っている。私は、つい最近、目覚めたばかりの「にわか焼き物ファン」である。

 たまたま、上記のデータベースを教えてもらった。

 説明によれば、「陶磁器試験所時代に作成された陶磁器意匠の図案の内から約560点を選び、色絵(染錦、金襴手、上絵)、染付(呉須絵、鉄絵)、室内用品(置物、文房具等)、その他(色釉、彫り等)に分類し、データベースとして公開」したものだそうだ。制作者の個人名が掲載されているものは稀だが、その中に神坂雪佳の名前もある。

 なかなかいい。陶磁器になる前の図案を見る機会はあまりないし、図案と試作品を見比べられるのもおもしろい。シンプルな作りと軽い画像で、必要十分条件を満たしている。古典作品についてもこういうデータベースが作られるといいな。そして誰が所有しているかにかかわらず、一括閲覧できるようになると面白いのだが、なかなか、版権の問題で、そうはいかないんだろうなあ。
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女のネットワーク/義経の登場

2005-01-20 22:50:47 | 読んだもの(書籍)
○保立道久『義経の登場:王権論の視座から』(NHKブックス)日本放送出版協会 2004.12

 カバー裏の要約にいわく。母常盤(ときわ)、父義朝(よしとも)、義父一条長成(いちじょう ながなり)の生きた貴族社会の血縁・姻族関係を掘り起こし、兄頼朝(よりとも)と再会する以前の義経の人生環境を解き明かすことを目指す。九条院呈子(しめこ)、平泉姫宮(ひらいずみ ひめみや)、資隆(すけたか)入道の母をはじめとする武家貴族の世界における「女のネットワーク」を解きほぐし、内乱以前の平泉権力の動向と重ね合わせながら、青年貴族義経の政治的立場を問う。「頼朝中心史観」「鎌倉幕府中心史観」「武士発達中心史観」を打破する、まったく新しい義経論!

 まあ、最後の一文はちょっと筆が走り過ぎだが、かなり、本書の内容を言い得ていると思ったので、全文を引いてみた。

 やはり、いちばんインパクトがあると思われるのは、「女のネットワーク」の再評価である。平安王朝=女の時代から、源平の争乱=武士の時代=男の時代の始まりという図式が、なんとなく我々の頭には出来上がっていると思うのだが、当時の男たちが、厚い「女のネットワーク」に囲繞されており、それを利用して情報を得たり、栄達を図ったりしていたことが語られている。

 特に、些細に見えて重要なのは、義経の母・常盤(ときわ)の実体解明である。源氏の御大将に愛された「卑しい身分の雑仕女」であり、夫の敵・清盛の妾となって子供の命を救った「偉大な母」という類の、ステレオタイプな理解を退けるとともに、常盤の再婚相手・一条長成が、義経の青年期に与えた影響を重視するところがおもしろいと思った。

 そのほかにも、貴族化した平家の戦闘能力が源氏に比して著しく劣っていたとか、以仁王の反乱は突発的で拙いものだったとか、いくつかの通説的理解が覆されていて興味深い。ただし、複雑な系図をたどる、著者の周到な考察を追うには、かなり忍耐が必要であることを注記しておく。それから、著者は歴史家としては例外的なくらい、文学資料(特に和歌)をよく読み込んでいて嬉しい。あと、こう言ってはなんだが、保立先生って、フェミニストではないかもしれないけど、かなり「マッチョ嫌い」だと思うなー。

 それから、「平泉姫宮」「伯耆王子」というのは、当時の史料に見られる後白河法皇の落胤伝説である。初めて聞く話だった。こんな地方にまでご落胤伝説が生まれていたというのは、当時の地方社会における京文化の浸透が感じられて興味深い。

 でも、なんと言っても後白河の個性って強烈だよなあ。本書を読むと、貞女・常盤とか、純粋無垢な青年武将・義経のイメージは微妙に修正されるのだが、政治と性愛を(しかも対象は女も男もありだし)一緒くたにした、たぶん最後の”古代的帝王”後白河のイメージはあまり変わらない。私は、歴代天皇の中で、いちばん好きなのがこのひとなんだけどね。
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