見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

駆け足で奈良文化財めぐり(3)/奈良博・なら仏像館(2013/7月)

2013-07-30 23:57:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 なら仏像館(2013年7月11日~)

 開催中の『みほとけのかたち』展に、おなじみの仏像がかなり移動しているので、常設展示はこんな感じになっている(※出品リスト)。いくつか新顔あり。



(1) 広目天・興福寺・平安
(2) 多聞天・奈良博・平安
(3) 十一面観音・勝林寺・平安
(4) 地蔵菩薩・万福寺・奈良
(5) 天部形立像・兵庫県・平安
(6) 准胝観音・文化庁・平安
(7) 梵天・秋篠寺/伝救脱菩薩・秋篠寺
(8) 十一面観音・西光院・平安
(9) 地蔵・新薬師寺・平安
(10) 十一面観音・元興寺・平安
(11) 観音・文化庁(もと瑞景寺?安置)・平安
(12) 十一面観音・地福寺・平安
(13) 聖観音・勝林寺・平安
(14) 阿閦如来・西大寺・平安
(15) 弥勒菩薩・薬師寺・平安

(5)の天部形立像は、丈の高い宝冠をかぶり、どっしりした造形。わりと好き。

※印の奥の壁沿いのケースには、室生寺の辰神・未神および、長谷寺の法華説相図と薬師寺の文殊菩薩坐像(これも珍しい)が並ぶ。第2室は、阿弥陀如来・浄土寺・鎌倉は変わらず。でも浄土寺の現地に行ってきて初めて仰ぐ阿弥陀如来である。あとは「肖像」と「如来の種々相」。第3室、大阪・金剛寺の降三世明王坐像も相変わらずだった。
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駆け足で奈良文化財めぐり(2)/みほとけのかたち(奈良博)他

2013-07-30 22:27:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
奈良国立博物館 特別展『みほとけのかたち -仏像に会う-』(2013年7月20日~9月16日)

 絵画や彫刻であらわされた仏像の「かたち」に注目しながら、仏像のもつ意味や、魅力の源をたどっていく展覧会。だから、信仰とか歴史、由来などにあまりこだわらず、「服」「髪」「顔」「姿勢」など、目に見える特徴から仏像を分類し、語っていく。奈良博の所蔵品、もしくはふだんから奈良博で見られる寄託品(?)が多いが、ときどき、おや、と思うものもある。北僧坊の虚空蔵菩薩坐像は、私の好きな、威厳のある平安初期の仏像。北僧坊(矢田寺)にはまだ行ったことがない。林小路町自治会の弥勒菩薩立像は全身が金色を呈し、さらに細やかな截金をまとう。キリッとしたプロポーションが鎌倉時代らしくて好き。橋本院の涅槃像は、やや仰向き加減なところが、夏の昼寝みたいだった。

 彫刻ばかりかと思っていたら、仏画もたくさん出ていたのが嬉しかった。奈良博所蔵の十一面観音菩薩像(12世紀)は、運がいいと奈良博トップページの飾りバナーに足元だけ表示される。久しぶりに天寿国繍帳も見た。ただし、仏画は展示替えが多いので、いま図録を見ながら、うわー京都・知恩院の地蔵菩薩像、見たかったなー。個人蔵(!)の不空羂索観音菩薩像も。蓮台に両足を下ろして「腰かける」姿がめずらしい。兵庫・太山寺の十一面観音菩薩像も、等々、悔やんでいる。いずれもかなり宋の影響の強い鎌倉時代の仏画。意外と平安・院政期の仏画のほうが博物館等に寄託等されているのに対し、鎌倉期の仏画って、お寺に大事に仕舞われていることが多くて、見る機会が少ないかもしれない。後期(8/20-9/16)展示。9月にもう1回、来られるだろうか。

 平常展(なら仏像館)の名品展『珠玉の仏たち』がどうなっているかも、もちろんチェックしてきたのだが、これは時間があったら別稿に起こすことにする。

寧楽美術館 企画展『中国の書画と陶磁器など』(2013年4月1日~9月16日)

 いつも通り過ぎていた小さな美術館に初めて寄ってみる。古鏡、古印、碑帖、陶磁器などが、少しずつ並んでいた。

東大寺ミュージアム 修理完成記念特別展『国宝・東大寺金堂鎮壇具のすべて』(2013年3月1日~9月29日)

 東大寺の境内に入り、久しぶりに東大寺ミュージアムに入り、『西大門勅額』や『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』と久しぶりに再会する。奈良博の常設館にあったときは、年に1、2回は必ず見ていたのになあ。2011年秋にここを訪ねたときは、三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像がいらっしゃったが、今年5月、予告どおり、もとのお堂に戻られたようだ。けれども日光、月光菩薩は、ここに残ることになった。間に不空羂索観音の巨像を挟まず、日光、月光菩薩が並び立つ様子は、とても不思議な感じがした。ぽっかり空いた空間に物足りなさが残るようでもあり、距離も近くなって、二体が仲良く並んだ姿を見ていると、「これでよかったんだ」と思う気持ちも徐々に湧いてくる。

 表題の特別展には、「陽剣」「陰剣」の象嵌銘(肉眼ではほとんど見えない)を持つ『金銀荘大刀』2件が出ていた。これ、あれじゃないか。明治時代に大仏の基壇下から出土した鎮壇具で、『国家珍宝帳』にも記載がある宝物。およそ1250年間にわたり行方不明だったが、2010年、X線調査によって判明した(→ニュース記事2010/10/25)。そのあと、東博の『東大寺大仏-天平の至宝-』展で公開されたらしい(おぼろに記憶がある)のだが、私は関心が薄かったのか、何も記載がない。でも今の展示なら、繊細な金平脱唐草文様など、じっくり見られる。上記の大刀は装飾品の印象が強いが、むしろ印象的なのは、鉄製の小札を綴った挂甲残闕。武器の印象が生々しい。

■東大寺境内(三月堂~二月堂)

 5月18日から拝観を再開したはずの三月堂にも寄っていくことにする。前回の奈良訪問は、拝観再開の直前だった。石段を上がっていくと、白壁・黒い瓦屋根の静かな風景に和む。



 入ってみると、定位置に戻られた不空羂索観音立像。手前に金剛力士像1対。左右に帝釈天と梵天。四隅に四天王。いずれも本尊に引けを取らない大きな乾漆像だ。秘仏の執金剛神を除くと、檀上には計9体。全体にすっきりと見通しのいい空間になった。梵天・帝釈天の足元とか、いや本尊の足元も、以前はこんなふうに見えていなかったよなあと思う。いただいたカラーパンフレットも新しくなっていた。これから、このお堂を訪れる若者たちは、この配置を記憶していくんだろうなあ。まるでテイスト違いの日光、月光菩薩や、吉祥天やら弁財天やら地蔵菩薩や不動明王まで、この檀上に肩を寄せ合っていたなんて、想像もできないだろうなあ、としみじみ。

 そろそろ帰りの時間が近づいたので、奈良→再び神戸空港から札幌へ帰着。札幌で、関西から遊びに来ていた友人に迎えられ(話が逆w)駅前のバルで休日の最後を楽しんだ。
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駆け足で奈良文化財めぐり/大和文華館

2013-07-30 00:18:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
先週末の関西旅行の記事を、メモ程度でも取り急ぎ。7/21(日)は奈良へ。

大和文華館 特別企画展『海を越える美術-日本をとりまくアジアとヨーロッパ-』(2013年7月5日~8月18日)

 近世(17~19世紀)の東アジアの美術工芸を展示。神戸市立博物館からの特別出品がかなりあり。和(日本)と洋(ヨーロッパ)という二項対立ではなく、日本-中国-朝鮮-西洋の交流と影響関係に着目する多角的な視点が面白いと思った。伝・余(よしょう)筆『桐下遊兎図』は同館の新収品。紅白の鳳仙花に見え隠れする三匹のウサギの表情がかわいい。明るい色合い、描き込み過ぎないさっぱりした画面。伝・郎世寧筆『閻相師像』は何度見ても好き。『台湾征討図巻』は古いSFの挿絵を見るようだ。全12図のうち4図が開いていて、大砲による火攻めの図と、海から攻める図が特に好き。

 蘇州版画は、こういう「海を越える美術」の文脈で、どこに注目していいのか、よく分からなかったが、西洋由来の透視図法や陰影法などを、日本の浮世絵に影響を橋渡しする役割を果たしている。どちらも新奇なものを好む庶民の闊達な美意識に根差している点が共通する。

 明末の画家・張宏筆『越中真景図冊』は見たかったもの。今回、6面が開いていた。「極端にまでつけた遠近」で表された川下りの船とか長い橋の図が面白い。それから、『冠岳夕嵐図』の鄭敾(ていぜん、チョン・ソン、1676-1759)は朝鮮後期を代表する画家で、中国画の模倣から脱して朝鮮独自の山水画を描いたという。瀟湘八景にならって、漢江流域の名所を描いたものだが、穏やかで湿潤な空気が感じられる。

 後半は、ガラス工芸、紅型衣装、沖縄(琉球)人に関する書画などで、涼しくまとめていた。

以下、続く。
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眼の力/ファインバーグ・コレクション展(MIHOミュージアム)

2013-07-26 00:05:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
MIHOミュージアム 夏季特別展『ファインバーグ・コレクション展-江戸絵画の奇跡-』(2013年7月20日~8月18日)

 同展が春に東京で開催されていたときは、暇がなくて見損ねた。関西で、わざわざ見に行こうとは思っていなかったのだが、この日(7月20日、13:30~15:30)小林忠先生の講演会『アメリカ人の好きな日本美術』があると知って、欲が湧いてきた。しかし、佛大・広沢校前を11:02のバスで離れたときは、もう間に合わないに違いないと諦めたのに、乗り継ぎがうまく行って、何と石山駅発12:10のバスに間に合ってしまった。

 講演はたいへん面白くて、昼食抜きで駆けつけた甲斐があった。前半は、講師と親交のある4人のアメリカ人(あるいは4組のアメリカ人夫婦)の日本美術コレクターについて、その人となりとコレクションの特色を紹介する。

 最年長は、若冲コレクターとして知られるジョー・プライス&エツコ夫妻。日本にあまり好意を持っていなかった少年時代のプライスさんに、日本美術の魅力(自然との深いかかわり、写実的な生き物)を説いたのは、建築家のフランク・ロイド・ライト氏なのだという。へえ~知らなかった。昭和46年、サントリー美術館で解された若冲展、昭和47年の光琳展を企画した講師は、プライスさんから、ほとんどボランティアで大量のコレクションを借り受けたという。

 2011年3月11日、東日本大震災の当日、講師はここMIHOミュージアムで『蘆雪展』の開会式を迎えていたという。知らなかった! プライス夫妻は、現在、震災復興支援のために、所蔵コレクションによる『若冲が来てくれました』展を東北地方で巡回中であるが、震災直後、エツコさんが、海(太平洋)に向かって手を合わせながら、毎日泣いていたというエピソードには胸を打たれた。

 次に、ウィラード(ビル)・クラーク&エリザベス夫妻。クラークさんは、ユーモアと詩を愛するカウボーイだという。2002~2003年に千葉市美術館で『アメリカから来た日本』という展覧会を開催したそうだが、私は見ていないかなあ。

 カート・ギッター&アリス夫妻の『帰ってきた江戸絵画』展(2010年、千葉市美術館)は、まだ記憶に新しい。白隠、仙など、禅僧や文人の素朴な自己表現を愛し、眼科医らしく、目にやさしい明るい作品が多いという。アメリカン・ナイーブ・アートのコレクターでもあるそうだ。

 そして、ロバート(ボブ)・ファインバーグ&ベッツィー夫人。ファインバーグさんはハーバード大学で有機化学の博士号を取得されているが、研究者時代に、日本人に研究成果を盗まれたことがあるそうだ。これは、この日の講演の中で最も衝撃的だったエピソード。だが、ニューヨークのメトロポリタン美術館で南蛮屏風展のポスター(2ドル)を購入したのがきっかけで、日本美術の本格的な収集を開始する。

 4人のコレクターに共通しているのは、明治以前、日本人が日本人らしく、のびのび振る舞っていた時代の美を愛する点だ。明治以降の、西洋文明の影響が濃厚な芸術は面白くない。江戸時代の美術でも、御用絵師の教条的な造形より、町絵師の自由さを好む。そして、豊かな自然との親密さ。プライスさんの「日本人は、nature(自然)のNを大文字で書く民族」という表現に、なるほどと思った。西洋人が、GodのGを大文字で書くようなものだ。

 また、強い感銘を受けたのは、彼らが、日本の(だけではないだろうが)研究者に与え続けている支援の大きさである。貧乏学生や貧乏研究者に対し、貴重な作品を惜しげもなく公開するだけでなく、宿泊・食事・移動など、さまざまな便宜など図ってくれているそうだ。一個人が、こういう懐の深いホスピタリティを示すことができるのは、アメリカ文化の美点だと思う。でも、アメリカの若いコレクターは、中国美術好きが多くて、日本離れしているというから、少し危機感を持たないと。

 講演の後半は、スライドを見ながら『ファインバーグ・コレクション展』の見どころについて、解説があった。講師のおすすめのひとつは福田古道人という画家で、いつか展覧会をやりたいと思っているそうだ。ふむふむ、覚えておこう。というか、聞き覚えのある名前ではある。子供の絵のような、素朴な彩色画が好き。

 葛飾北斎の肉筆『源頼政の鵺退治図』。写真で見て、ぜひ見たいと思っていた作品だが、「八十八老人」のサインがあることには気づいていなかった。北斎は90歳で亡くなるまで、上達し続けた画家だという。すでに88歳で、腕の筋肉が弱くなり、震える線しか引けなくなっているが、それでも肉体の限界を超えて、北斎の技量は上がっていると講師はいう。すごい画家だ。画題が源氏の老武者・頼政であるところがまたよい。今回、会場に錦絵(版画)はなくて、肉筆浮世絵がたくさん来ていたが、どれも美しくて(絵が&描かれた女性たちが)見とれた。

 紀梅亭『蘭亭曲水図』、谷文晁『秋夜名月図』、筆者不詳の『南蛮屏風』(16-17世紀)などは、残念ながら展示替えのため見られなかった。3期に分けて展示替えなんだなあ。東京のほうが、一度に見られる作品が多かったかもしれないと、今更悔やんでも仕方ない。またいつか巡り合えるものと信じよう。

 講師いわく、彼らアメリカ人コレクターは、画賛や署名を読んだり、日本人に意見を求めたりしない。ひとつの作品を何時間でも飽きずに眺めた上で、自分の目を信じて、買うと決めたら買う。ううむ、そういうコレクターになりたい。
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観仏と観蓮会(法金剛院)

2013-07-25 00:34:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
関西旅行2日目は花園の法金剛院へ。この時期は、早朝7時に開門する「観蓮会」が行われている。そんなに早起きはできなかったが、朝から同寺に向かう。池には白蓮、庭に並んだ植木鉢には、ピンクや白や八重の変種など、さまざまなハスが咲き誇る。



花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。…てことで、こんなふうな未敷蓮華とか、すっかり花びらが落ちて剥き出しの芯にも目を向ける。



ぼろぼろの散りかけとか、



暑さにへばって、くたった花にも。(湯上りの楊貴妃みたいで色っぽい)



さらに琳派や、彼らがお手本にした中国絵画を思い出し、泥水の中に魚の影を探し、



水に落ちた枯れ葉に、諸行無常を感じる。



法金剛院は、平安初期の右大臣・清原夏野の山荘を寺としたものだが、私の中では、鳥羽天皇中宮・待賢門院璋子が晩年を過ごした寺としての印象が強い。系図的には、崇徳天皇、後白河天皇の母親である。近年は「花の寺」として名高いらしいが、見仏も十分に楽しめる。特に、坐高2.27メートルの巨大な阿弥陀如来坐像がいい。飛天や宝珠を配した華麗な光背を負う。宇治の平等院や日野の法界寺と同系統の定朝様の阿弥陀像である。

むかし、というのは、高校生~大学生の頃は、天平仏や鎌倉仏の力強さ、率直な造形に惹かれた。でも酸いも甘いも嚙み分けて、少し疲れた大人になってみると、定朝仏のぼんやり曖昧な表情に、不思議な安らぎを感じるようになってきた。「絶対救ってやる!」という決意の表情でないのが、却っていいのだ。こっちも曖昧な覚悟のまま向き合うことができて。さて、70歳、80歳になる頃には、どんな仏像を好きになっているのだろう。
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夏のコレクション展/遊び(京都国立博物館)

2013-07-24 22:54:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展観『遊び』(2013年7月13日~8月25日)

 あまりお客がいなかったのは、金曜の夜間開館が定着していないためだろうか。「午後8時まで」って、京都人にも旅人にも、かなりありがたいサービスだと思うのだが。本展は、美術品の中に見る「遊び」の姿を、9つのセクションに分けて提示する。テーマは「神々から人へ」「酒宴のたのしみ」「年中行事」「遊山」「遊興」「清遊」「動物のたわむれ」「室内の競技」「子供の遊び、雑技、曲芸」の9つ。

 基本的には同館のコレクションで構成されているようだが、初公開品や初見の作品があって、あなどれない。一番、おっ!と驚いたのは、長沢蘆雪の『群猿・唐子図屏風』の右隻(群猿図のほう)。油絵のような、こってりした色彩(赤と黒)の岩山と、水墨でさらりと描いた猿たちの対比が、まるで近代日本画のような小憎らしさ。所蔵者表記がないけど、個人蔵なのかな…。

 日本美術が中心だが、ときどき中国美術が紛れ込んでいる。私は清・曽衍東筆『賭場図』の密度の高い人間臭さをとても面白く見た。明代の『楊妃撃丸図』はポロの図。女性チーム×男性チームなのだろうか。嫋嫋とした美女の楊貴妃が、まさに柳眉を逆立て、髷を傾け、馬を駆ってボールを追う。髭の男たちがそれを取り囲み、追いつめる。どことなくエロい。そして、遊園地の乗り物みたいな斑馬がかわいい。

 小袖・振袖・法被などの装束類は、ふだん熱心に見ることが少ないので、面白かった。『七夕文様帷子』は涼やかで、細身の美女に羽織らせたい。『賀茂競馬文様小袖』は私が欲しい。あと『片身替蒔絵螺鈿双六盤』(京都・三時知恩寺蔵)には、やっぱり反応してしまうなあ。筒が伝わっていないのが残念。

 見終わって、まだ外が明るかったので、法住寺に寄っていく。御陵もお寺も閉門していたが、それとなく後白河院に挨拶していく自己満足。

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神戸史跡散歩・平氏ゆかりの地を歩く

2013-07-24 00:55:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
2泊3日で関西に行ってきた。札幌→神戸空港入りだったので、初日は福原京と平氏ゆかりの史跡めぐり。たまたま見つけた兵庫県のホームページに掲載されていた「福原京コース」と「大輪田泊コース」を、ほぼ忠実に歩いた。

■福原京コース

地下鉄「大倉山」駅から市バスですぐ「平野」下車。神戸に全く土地勘がないので、自分のいる位置がどのへんなのか、まだよく分からない。しかし、バスを降りるとすぐ、全身緑色の浄海入道清盛像を見つけたので、なんとなく幸先がよいと思うことにする。



こんなキャラクターの看板も。「宝地院」へはあとで戻ってくるが、まずコースマップに従い、北上する。



この一帯「平野」は、まさに平氏ゆかりの「福原」の中心地であったらしい。折しも「ひらの清盛祭り」の行灯が、商店街に下がっていた。



↓東福寺。清盛が居を構えた上伽寺(じょうがじ)を受け継ぐと言われる。



↓祇園神社。姫路の広峯神社の分霊を祀る。Wikipediaを読むと、京都の祇園社(八坂神社)との関係は、やや複雑。このあたりは、かなりの高台である。



↓川沿いに下って、湊山温泉という小さな温泉を通り過ぎ、住宅地の中を抜けていくと、清盛の別荘と言われる「雪見御所」の石碑が立つ。写真から想像していたより、ずっと巨大な碑で、表通りに面した湊山小学校の校門の並びにあった。なお「雪見御所跡」推定地の案内は、小学校の裏手の校庭のほうにある。



だらだら坂を上がって氷室神社(境内に氷室の旧跡があって、確かに吹き抜ける風が冷たい)→再び下って、熊野神社(迷って行きつけず)→荒田八幡神社(頼盛の山荘跡とも)→宝地院(安徳天皇の菩提を弔うために建立。幼児がたくさん遊んでいて微笑ましかった)→新開地の厳島神社→JR兵庫駅へ出る。

■大輪田泊コース

引き続き、海岸に近い「大輪田泊コース」を歩く。↓来迎寺。震災の影響かなあ、どのお寺も「お寺らしからぬ」新築の外観デザインなので、住宅地の中で見つけにくい。



同寺の境内には、経ヶ島築造の際に人柱となった松王丸の墓(石塔)と妓王・妓女の墓がある。



さらに経ヶ島築造にゆかりを持つ金光寺を経て、能福寺へ。日本三大大仏(ほんとか?)と呼ばれる兵庫大仏がある(露座)。大きさは板橋区赤塚の東京大仏(乗蓮寺)くらいか。平家一門の祈願寺に定められ、往時は大伽藍が建設されて大いに栄えたという所縁により、昭和55年(1980)、平清盛の八百年忌を記念して「平相国廟」が作られた。大河ドラマのポスターが色褪せながらもまだ張ってあったり、松山ケンイチ氏と井戸神戸市長が仲良く談笑する写真が飾ってあったりして、嬉しかった。



↓しばらく歩くと真光寺。広い境内に、清盛ゆかりの弁財天堂があるが、それよりも「一遍上人示寂之地」の碑に驚く。そうか、ここだったのか、あの『一遍上人絵伝(遊行上人伝絵巻)』の最後の感動シーンの舞台は。境内に大きな石塔あり。



↓大輪田橋のたもとに、清盛塚十三重塔、清盛像、さらに「琵琶塚」と彫られた巨石の石碑が並ぶ。



重盛の仮屋敷跡とも伝わる魚御堂礎石(池の中に安置)を経て、道を戻る。↓萱の御所(かやのごしょ)は、清盛が後白河法皇を幽閉した地。私は一本御書所跡も行ったし、鳥羽殿跡も訪ねたけど、あちこちで幽閉されまくりじゃないか、後白河法皇。つくづく数奇で大変な人生を送られた人だと思う。



最後に巨大な弁財天社、和田神社に寄って、散策終了。いわゆる「福原京」というのが、意外と高台にあるという印象を持った。鎌倉の八幡宮~由比ヶ浜の距離感(高低差)とはずいぶん違うんだな。当時からこんなに海岸線と離れた「山の上」にあったのだろうか。水害には強いだろうけど、土地の確保(開墾)には苦労したことだろうと感じた。

平安京探偵団「福原の夢」
毎度お世話になっているこちらのサイトで、じっくり復習。
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初訪問/魅惑の仏たち 大阪・孝恩寺の木彫群(佛教大学宗教文化ミュージアム)

2013-07-21 08:03:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
佛教大学宗教文化ミュージアム 夏期パネル展示『魅惑の仏たち-大阪・孝恩寺の木彫群-』(2013年7月20日~8月25日)

 大阪(貝塚市)の孝恩寺と聞いても、知っている人は少ないのではないかと思う。私は、鉄道と仏像好きの友人に連れられて、2005年に一度だけ拝観したことがある。そのときの記事はこちら。半年くらい前、アクセスログに「孝恩寺」という検索ワードが急に増えた時期があって、何かあるのかな?と不思議に思っていた。この展覧会があることを知って、直接の関係があるかどうかは分からないが、勝手に納得した。

 「パネル展示」というのだから、会場に仏像そのものは来ていないのだろう。でも写真パネルだけでも、あらためて見たいと思った。正直なところ「孝恩寺の木彫群」に、具体的にどんな仏像があったかというと、よく覚えてはいないのだが「とにかくすごかった」ことだけは、深く印象に刻み付けられていたので。

 そこで、20日(土)、朝は右京区花園の法金剛院に寄って(別稿予定)、花園駅前からタクシーで佛教大学(仏教大学)広沢キャンパスに向かった。これは正しい選択だったと思う。

 広沢池を見て、以前、五山送り火(いわゆる大文字)を見るために、ここに来たことを思い出した。そのとき「佛教大学ミュージアム」の案内板を見かけて、こんなところにあるのか、と思ったことも。道路を隔てて広沢池の南側にグラウンドがあり、その奥(南側)にミュージアムがある。

 ほとんど人の姿がなかったので、少し心細く感じながら、中に入った。思わず受付に寄ってしまったが、観覧は無料である。右側が展示室になっていて、入ってすぐのスペースを使って、上述の写真パネル展示が開かれている。仏像の数は20件くらい。1体を、全身、頭部や細部の拡大など、さまざまな角度から捉えているので、パネルは50~60枚くらいあったと思う。かなり大判のパネル全面が写真で、変に芸術的な演出を加えようとしていないのに、にじみでている表情が素晴らしくいい。撮影者名に「長谷川望」とあるのを覚えて帰ってきたが、図録(後述)によると、大谷大学博物館長でいらっしゃるそうだ。

 個人的には、地蔵菩薩立像とか難陀竜王立像の頭部UP写真がすごく気に入った。ほとんど木目が露出しているのだが、目と口には彩色(後補?)が残っている。その表情が丁寧で、生き生きと人間くさくて、とてもいい。いま、図録を見ていると、跋難陀竜王立像のUPもいい。鋭い彫り込み! それから、少し高慢な印象の、四角張った顔の十一面観音立像もいいなあ。

 パネル展示の隣りは、佛大の大学資料展示。奥にもう1部屋、常設展示室があり、仏像、考古資料、民俗芸能資料などが展示されている。中国の章懐太子墓壁画の複製3件がよく出来ていて、見入ってしまった。

 事務室から出てきたおじさんが、少し立ち話につきあってくれて、孝恩寺が佛大の副学長(田中典彦氏)のお寺であることを初めて知った。

 孝恩寺の仏像はいずれも貴重な文化財なので外に出すことが難しく、今回はパネル展示しかできなかったが、できれば来年か再来年に、このミュージアムで仏像の展覧会をやりたいと思っていること(いいかな、書いてしまって)、しかし、同館はまだ登録博物館の認定を受けていないこと、などのお話をうかがった。

 パネル展示には、個々の仏像について、あまり詳しい説明がついていなかったが、冒頭のあいさつパネルに「資料集の刊行を記念して」云々という記載があったので、それについても聞いてみた。そうしたら「ちょっと待って」と事務室に入り、床に積んであった紙袋をやぶいて、1冊抜き取って持ってきてくださった。本当は売り物になるはずの資料集ではないかと思うのだが「どうぞ」と1冊いただいてしまった。ありがとうございます。これには、孝恩寺木彫群のリストと解説2編が掲載されている。

 展示の案内をいただけるという登録書を書いて、さて、バスの時刻表を調べようとしたら、「今なら外に止まっているバスに乗れますよ!お急ぎにならないと」とおじさんが教えてくれた。慌てて外へ出て、指さされた方角に走っていくと、広沢池の向かいにバスが止まっていて、私が乗り込むと同時に発車した。この「広沢池・佛大広沢校前」には、確か「1時間に1本しかバスがない」とおっしゃっていたので、あぶないところだった…。※1つ先の「山越」バス停は、もう少し本数がある。

 突発的に決めた訪問だったわりには、いろいろラッキーで、仏縁を感じてしまった。本当にあの木彫群を並べての展覧会が開催されたらいいなあ。そうしたら私は必ず行く。今回の写真パネル展示も、ぜひ多くの人の目に触れますように。
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2013京都国立博物館・平常展示館造営中

2013-07-20 07:32:47 | なごみ写真帖
久しぶりに関西に来ている(2泊3日)。5月の連休以来なので、ほぼ3ヶ月ぶり。

普通の人には、そんなに長い間隔ではないと思うが、心は半分みやこびと(古代中世の)である私には、調子が狂うくらいのご無沙汰だった。

初日は神戸で、念願の福原京史跡めぐり。これはまた別稿とするとして、夕方、京都に移動して、金曜は20時まで開館の京都国立博物館に向かった。エントランスを抜けて、正面の光景に目を疑う。2014年春開館予定の平常展示館が、いよいよ姿をあらわしていた。



第一印象は、とにかくデカい! 横に広い!

あと、申し訳ないが、ものすごく既視感(どこかで見た建物に似ている)があった。↓向かって左翼。



↓右翼。こっち側のほうが好き。



年間パスポートのパンフレットに「谷口吉生氏設計」とあって、あ、やっぱりと思った。東博の法隆寺宝物館を設計した建築家である。すごく似ているのである。

国立博物館という性格上、あまり個性的な建物は許されないのかもしれないが、京博は「東京と違う」というスタンスを守ってほしかったな。ファンとして、やや残念。

展示を見終わって、私が京博を出る頃も、まだ作業が続いているらしく、右翼部分に灯りがついていて、きれいだった。
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渾身の名作/全訳・椿説弓張月(滝沢馬琴)

2013-07-15 23:51:53 | 読んだもの(書籍)
○滝沢馬琴作、丸屋おけ八訳『全訳 鎮西八郎為朝外傳 椿説弓張月』 言海書房 2012.1

 しばらく前から、原文でも現代語訳でもいいので、とにかく全文が読みたいと思って探していたら、本書を見つけた。訳者は、古典文学の専門家ではないらしいので、ちょっと不安を感じたが、悪い訳文ではなさそうなので、買うことに決めた。昨日の夜から読み始めたら、面白くて面白くて、三連休の三日目、ついに一歩も家の外に出ずに読み切ってしまった。

 原作は、ご存じ曲亭馬琴作の読本。馬琴の生涯をよく知らないのだが、寛政8年(1796)、30歳のころより本格的な創作活動を始めたとWikiにあるから、文化4年(1807)から同8年(1811)にかけて刊行された本作は、比較的初期の作と言えるだろう。長編『南総里見八犬伝』の刊行が始まるのが、文化11年(1814)である。私は『南総里見八犬伝』も全文読んだけど、面白かったのは前半だけで、後半(第9輯)は義務感だけで読み続けた。それに比べると本作は最後まで飽きない。馬琴の代表作として、もっと顕彰されてしかるべきだと思ったが、『南総里見八犬伝』ほど流布していないのは、どうしてなのかな。

 主人公は『保元物語』に登場する強弓の武将・鎮西八郎為朝である。前半は、保元の乱で崇徳上皇方に与し、敗戦後、伊豆大島に流された為朝が、島の代官を追い出し、周囲の島々を従えるまで。これは『保元物語』そのままの展開と聞いて(Wikiの記述)へえ~そうなんだ、とあらためて驚く。『保元物語』は、すいぶん前に読んだはずだが、すっかり忘れているな。後半は、為朝が琉球に渡り、琉球王国創建の英雄となるまでを描く。前半は、いちおう中世らしき雰囲気をまとっているが、後半は、歌舞伎(近世)の中にしつらえられた「中世」が舞台である。でも、そこがよい。

 前半の為朝(少年~青年時代)は、文武に秀でた優等生すぎて(馬琴だからね)もう少し悪童っぽいほうがいのに、と思わないでもない。でも相次ぐ艱難を、個性的な脇役たちに助けられて凌いでいく姿は魅力的だ。女性の登場も多く、好色家ではないが艶福家である(馬琴だからね)。そして、意図的に、あるいは偶発的に別れた旧知と「あわや」というところで再会する因縁の展開が、とってもスリリングで面白い。この「○○と見せて、実は△△」という歌舞伎・文楽的な趣向は後半にも続き、だんだん読者も先が読めてくるのだが、最後(第63~64回)の仕掛けは全く想像していなかったので、大いに唸った。

 前半の為朝は、まだ『保元物語』のとおり、強弓の武人だが、後半になると、あまり弓の逸話がないのは残念。戦闘シーンも、もっぱら剣で戦っている感じがする。物語世界では、文治3年(1187)まで、五十歳近い生涯を送ったことになる。史実の上では、保元の乱の一瞬の活躍をとどめたに過ぎないのに、これだけ豊かな伝承で肉付けされた人物も珍しいのではないかと思う。琉球王朝だけでなく、足利氏とも因縁つけられているのだね。

 今さらのようだが、さまざまな発見があった。むかしから大好きな歌川国芳の『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』は、実はどういう場面なのか、よく分かっていなかった。そもそも為朝がなぜ海上にいるのか、船上の為朝にまとわりつく天狗たち、並走する巨大な怪魚、その背中の人物も、誰が敵で誰が味方なのかを怪しんでいたくらいだ。本書でまさにこの場面に行きあったときは、おお!これか!と思った。それから、琉球編の仇敵・曚雲(もううん)の名前に聞き覚えがあると思い、しばらく考えて、歌川豊国(三代目)描く『奇術競 蒙雲国師』を思い出した。他所のサイトになるけど、見つけた画像にリンクを貼っておく。

 琉球編には、ところどころ池上永一の『テンペスト』の元ネタか?と思う箇所もあった。真鶴(まなつる)という辰の月、辰の日、辰の刻生まれの少女も登場するし。主人公の孫寧温には、男勝りの活躍を見せる寧王女(為朝の妻女・白縫の魂魄が憑依)も少し影響を与えているかもしれない。ドラマ『テンペスト』から派生した関心で、琉球の三山統一の歴史などを読んでいたことも、琉球編の理解に役に立った。

 破天荒な生涯をおくる為朝であるが、最後まで崇徳院への忠義を忘れず、崇徳院も為朝を守護し続けるのである。この物語の裏主人公は崇徳院であると言ってもよいほど。もちろん井浦新さんの上皇様で脳内補完している。最終章(第68回)、為朝昇天の後日談として、讃岐国の白峯御陵で目撃される為朝の姿には泣けた。これは馬琴の理想とする武士の姿なのか? むしろ、なんだか秋成みたいだと思った。

参考:橋本治『双調 平家物語』8~10(中公文庫)
『椿説弓張月』を読みたいと思い始めた発端。
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