見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

病気観光に出かけよう/健康半分(赤瀬川原平)

2014-11-30 20:41:01 | 読んだもの(書籍)
○赤瀬川原平『健康半分』(からころブックス) デコ 2011.7

 著者の赤瀬川さんは、2014年10月26日に亡くなられた。なんだかショックで、楽しみにしていた千葉市美術館の展覧会『赤瀬川原平の芸術原論』(2014年10月28日~12月23日)にも、足を向けられないままになっている。

 私が赤瀬川さんの存在を認識したのは、たぶん80年代、路上観察学会や超芸術トマソンの頃からである。一方で、尾辻克彦名義の小説作品も読んでいた。その後も『新解さんの謎』や『老人力』を読み、実は、藤森照信先生設計の「ニラハウス」が見たくて、町田市まで探しに行き、公道からしげしげ鑑賞させていただいたこともある。山下裕二先生、南伸坊氏との『日本美術応援団』活動については、本を読むだけでなく、たびたびトークセッションも聴きに行ったので、赤瀬川さんの声と話し口調がなつかしい。

 そんな赤瀬川さんが、ふらっとどこかに旅立たれるようにいなくなってしまった。見えなくなった姿を追い求めるような気持ちで本書を読んだ。私が最後に赤瀬川さんの姿をナマで見たのは、2012年8月の東京国立博物館での講演会『日本美術応援団、東京国立博物館を応援する』で、このとき、赤瀬川さんは車椅子で檀上にあらわれた。ああ、体調があまりよろしくないんだなあ、と思ったが、本書に収められた20数編の短いエッセイは、ほとんどが病気に関するものである。それもそのはず、もとは病院の待合室に置く小冊子「からころ」に連載されたものだそうだ。へえ、そんなメディアもあるのだなあ。

 特別な大病というわけではなくて、人間、年を取ると、誰しもいろいろなところに不調が出てくるわけだが、赤瀬川さんは、そうした病気、言葉をかえれば、老いていく自分の身体を嘆かずに、上手につきあおうとする。経験の幅の広い人の話には厚みがある。エッセイでも貧乏と金持を行き来した人の話は面白い(たとえば内田百間)。だから病気の世界を通り抜けるのは、見聞を広げる観光のチャンスだと思おう。

 あるいは、若い頃は自分の身体に対して野党の気分でいられた。それが気がつくと、いつの間にか自分が政権担当者になっている。与党となると、一つの問題(酒が飲みたい)だけを見て、それに直進するわけにはいかない。常に全体を見ながら、できるだけうまく自分の国体ならぬ身体を運営していくことが課題となってくる。うまいな~、この比喩。それから、最近は町でトイレを見かけたら、必ずそこで用を足すことにしている、という話のあとで、そんな自分を鳥みたいだ、と評している。そうか、年を取って、排泄孔のパッキンが緩むというのは、鳥に近づくことだったのか、と思うと、なんだか晴れやかな気分になる。

 私も50代になって、急に体力や抵抗力の衰えを自覚するようになった。若い頃があまりに病気知らずだったので、身体の不調とどうつきあえばいいのか、戸惑うことが多かったのだが、本書を読んで、老いや病気とも仲良くつきあっていけそうな気がしてきた。赤瀬川さん、ありがとう。
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未来の「本」と「読者」のために/「本が売れない」というけれど(永江朗)

2014-11-30 00:17:51 | 読んだもの(書籍)
○永江朗『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書) ポプラ社 2014.11

 本と書店の今とこれからを考える1冊。まず、マクラに語られるのは、「街の本屋」がどんどん消えているという現実。著者は講演で訪れた土佐市で、中学生が歩いて行ける距離に本屋がないことを知る。その分、市立図書館はよく利用されているという。ううむ、これって、いいことなのか嘆かわしいことなのか悩む。

 今や全国的に見て、日本人にとっての最大の読書インフラは、新刊書店でなく図書館である。その背景には、図書館の(よい意味での)変化や、手っ取り早い倹約の実践もあるけれど、本を「所有するもの」から「体験/消費するもの」と考える意識の変化も大きいのではないかと分析されている。

 また、街の零細書店が消えていく原因のひとつに大型書店の出店があげられる。しかし著者は、多くの読者(消費者)が大型書店の出店を歓迎している事実を冷静に受け止めている。読者は、探している本がない確率の高い街の本屋よりも、ある確率の高いメガ書店に吸い寄せられる。自分のことを考えても、そのとおりだと思う。

 それからアマゾンの成功。著者は2000年にアマゾンが日本でサービスを始めたとき、きっと失敗するだろうと思っていたと告白する。なぜアマゾンは成功したのか。「他人と触れ合わずにすむことがアマゾンの魅力である」という分析は興味深い。いま、書店員や図書館員が顔を見せて、本をオススメするという企画を行っているところは多いが、自分がこれから読もうとする本について、立ち入られることを好まない読者(消費者)は多いと思う。

 しばらく街のミドルクラス書店の悲惨な状況が語られた後、新宿の紀伊国屋書店の話が出てくる。紀伊国屋書店は書店界ではとびきり古いというわけではない。昭和2年(1927)創業の新興書店だった。1950年代、松原治が紀伊国屋書店に入り、「普通にやっていたのでは儲からない商売である」ことを直感的につかむと、洋書の輸入と大学(図書館及び教員)への外商に力を入れた。「洋書は利益が大きい。なにしろ定価がない」という箇所を読んで笑ってしまった。そうだよなー。本に「定価」があると思っているのは、再販制に慣れた日本人の感覚なのだ。しかし「いくらでも好きな値段がつけられた」と断言しているのが可笑しい。

 大学教授から売掛金を回収するのは難事業で、代金を払わない某教授には本を渡さないよう「御触書」がカウンター内に貼られていたとか、「本屋が代金を取りに来るんですよ」と怒る高名な歴史学者がいたとか、今では考えられない(たちまち犯罪扱いだよ~)、牧歌的なエピソードも語られている。また、紀伊国屋書店が、洋書(専門書)の外商を担える人材の育成に、積極的に取り組んできたことは注目に値する。あと創業者の田辺家が新宿に土地を持っていた幸運は大きいという。2012年に新宿のジュンク堂が撤退してしまったのは、営業不振が理由ではなく、ビルの家主の意向だったという。そうだったのか~新宿のジュンク堂、大好きだったのに。

 そして、いま活気のあるいくつかの書店を紹介しながら、多くの書店の停滞を招いている、「話題の新刊」やベストセラーだけを追いかけて、「取次」におんぶにだっこの商売スタイルに批判を向ける。課題は複雑系だから、万能薬的な解決方法がないというのはそのとおりだ。まず、書店が(売る本を主体的に選択し)「仕入れて売る」という基本能力を向上させ、アイディア豊かなスタッフを育成して、斬新なイベントを打ち続けることも重要だ。一方で、流通システムそのものを改善し、書店の利益率を大幅に引き上げることも、同じくらい重要である。

 電子書籍を含めて「本」の姿は変わってきているし、今後も変わっていくだろう。しかし、「本」が生き延び、未来の「読者」に出会うことのできる環境を考えていかなければいけない、と著者は提言する。私は古いタイプの人間なので、正直なところ「いま活気のある書店」は、あまり好きではない。余計な雑貨なんか売らなくていいし、カフェもなくていい(あれば使うけど)。イベントもそんなに次々に開かなくていい。ただ、本とともに半世紀を生きて来たひとりの読者として、未来に「本」を生き延びさせたいという著者の思いには共感する。
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2014年11月@西日本:空海の足音 四国へんろ展(徳島県立博物館)

2014-11-29 18:56:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
徳島県立博物館 『空海の足音 四国へんろ展』《徳島編》(2014年10月25日~11月30日)

 四国4県の4つの美術館・博物館の連携企画『空海の足音 四国へんろ展』。最後の訪問となった徳島県立博物館が、交通アクセス的には、いちばんの難所だった。路線バスが2時間に1本程度しかないのだ。仕方ないので、駅からタクシー。

 会場の入口に、なんだかたくさん係員の方がいて、入場者は館内案内図を渡され、「第1会場、第2会場、第3会場(写真展)とまわってください」とやや声高に言い渡される。会場内では、ちょうど展示解説が始まっていて、騒然と落ち着かない雰囲気。私は展示解説ツアーの大集団を離れて、適当な順番で展示品を見ながら、耳だけ解説の音声に注意を傾けることにする。

 寿永四年正月の銘を持つ弥勒菩薩像(砂岩の板碑に彫られたもの)の拓本を感慨深く眺める。「源義経が平家討伐のために阿波に上陸する」前の月という解説がついていたが、おそらく滅亡の予感に怯えながら讃岐の屋島に逼塞していた平家の人々に思いは飛ぶ。四国にも弥勒信仰があったということを少し意外に思ったが、展示解説の先生が、弘法大師空海が今も高野山奥の院で生き続けているという大師信仰と、56億7千万年後の未来に出現する弥勒菩薩信仰の合体が起きている、という説明をされていたのは面白かった。

 彫像に見慣れた姿があると思ったら、兵庫・浄土寺の重源上人坐像がおいでだった。それから、口から阿弥陀名号を吐き出す空也上人立像。鹿角の杖を突き、はだけた胸に鉦鼓を提げる。六波羅密寺の有名な像によく似ているが、異界にいってしまったような目つきが少し怖い(己れの口から洩れる六体の阿弥陀仏にも注意を払っている様子が全くない)。この空也像は愛媛の浄土寺に祀られている。寺院の外に出るのは初めてで、住職はもう出さないとおっしゃっているから見納めでしょう、とのこと。空也は、阿波・土佐両国の間の海上にある湯島(未確定)で修行したと伝わっており、重源は17歳で四国を遍路し、後年、東大寺再建にあたっては、阿波民部重能(成良)の浄土堂を東大寺に移した縁もある。

 このように四国は古い時代から山林修行・遊行の場であった。耳だけで聴いていた展示解説によれば、四国は「辺地(へぢ)」と呼ばれ、「辺路」とも書かれたことから「遍路」という言葉が成立する。これは大師信仰とは別もので、12世紀には、西国巡礼や熊野信仰の影響を受けつつ、四国霊場が成立する。いろんなものがカオス的に融合している一方で、霊性のある土地の「必然」みたいなものが感じられ、興味深いと思う。

 徳島・井戸寺の日光・月光菩薩立像(平安時代)、香川・善通寺の地蔵菩薩立像(平安時代)など、古色を感じる仏像もよかった。あと、香川県立ミュージアムで気になった金剛峯寺の『比丘尼法薬(ほうやく)埋納経塚遺物』から、銅製の経筒などが来ていた。

 第二会場は札所の文化財など。第三会場は「写真展」だと聞いていたので、あまり期待していなかった。それが、会場に一歩入って、息をのんでしまった。写真家・三好和義さんのブログに公開されている会場風景はこちら。四国八十八ヶ所の霊場のさまざまな写真(三門の仁王さんだったり、桜咲く参道だったり、お遍路さんだったり)が4つの島(テーブル)に並んでおり、それぞれの中心には、4枚ずつ仏像の巨大な写真パネルが展示されている。これとは別に「秘仏」を写して、和紙にプリントした特別なパネルも。その迫力と美しさに呆然と見とれてしまった。

 あとでミュージアムショップで展示図録を買うとき、「写真展の図録はないんですか?」と聞いたら、『巡る楽園:四国八十八ヶ所から高野山へ:三好和義写真集』(小学館、2004)という本があることを教えられたので、一緒に買ってしまった。眺めていると、霊場からの招き声が聞こえてきて、むずむずするような写真集。詳しくは後日、紹介したい。なお、現場では気づかなかったが、展示図録の冒頭にも三好和義さん撮影の「遍路の旅」の写真10数点(秘仏の写真を含む)が付録としてついている。これはかなり嬉しい特典!

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2014年11月@西日本:空海の足音 四国へんろ展(香川県立ミュージアム)

2014-11-27 22:51:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
香川県立ミュージアム 『空海の足音 四国へんろ展』《香川編》(2014年10月18日~11月24日)

 9月の《高知編》《愛媛編》に続いて、4県コンプリートを目指して、今月は《香川編》と《徳島編》を見るためにやってきた。まず、11/23(日)朝9:00から開いている同館に到着。玄関の表示が「閉館しました」のままになっていたので、時間を間違えたか?と動揺したが、館内にお客さんの姿が見えたので、中に入ってみる。時間節約のため、入場券と一緒に展示図録も先に買っておこうと思ったら「完売しました」の表示。「えっ。売り切れなんですか!?」と無意味に念押ししてみたが「そうです」という答えだった。

 気を取り直して、会場内へ。入口の左右に、香川・善通寺三門の金剛力士像(南北朝時代)がにらみを利かせている。筋肉隆々とした裸形。右側、阿形像は独鈷のようなものを振り上げる。門前(?)の左奥には香川・松尾寺の大師坐像(鎌倉時代)。全体に黒ずんだ木彫像で、親しみやすい生々しさが感じられる。きりっと唇を結び、優しい視線をやや下に向ける。仁王像の右側には、香川・與田寺の稚児大師像(画軸)。ううむ、これまで訪ねた2館よりも、みやこぶりの優品が多い感じがする。

 《高知編》にも出ていた、善通寺所蔵の錫杖頭(唐時代)に再会。和歌山・普門院から出品の、小さな仏龕に収まった釈迦如及諸尊像(枕本尊)も唐時代の工芸の粋。和歌山・金剛峯寺の水神像も、室町時代とあったけれど中国風な感じがした(と書きながら、具体的な姿の記憶が曖昧である。図録、欲しかったな…。

 金剛峯寺の『比丘尼法薬(ほうやく)埋納経塚遺物』は、びっくりするような品物だった。昭和39年、御廟基壇から東に10メートルほどの場所で発見されたそうで、「埋納経の中では奇跡的に保存状態がよい」。永久二年(1114)の記載を持つ経巻は、草木染めのような緑色で、波型の縞模様を摺り出した料紙を用いており、施主として「天皇家もしくは藤原家に近い高貴な女性」を想像させると解説にあった。どなただろう? 永久といえば、鳥羽天皇の御代である。同じく高野山の近衛家歴代墓付近から出土した飛鳥仏とか、大谷大学博物館の『三教指帰注集』(平安時代、最古の注釈、粘葉装?)とか、他県からの借り物も全体的に質が高い感じ。京都・安楽寿院所蔵の絵巻『高祖大師秘密縁起』は《高知編》でも見たのだったな。背景や料紙に比べて、人物が大きめに描かれているのが、子どもの絵本みたいで面白い。

 ご当地ものでは、香川・志度寺の十一面観音像(画、鎌倉時代)は完全に宋風だった。『白峯山古図』など、寺院の全体図を一望できるように描いた古図(江戸もの)がいくつか出ていて面白かった。地図とも絵解き図とも違う効用があったんだろうな。徳島・長楽寺の『弘法大師行状曼荼羅』(刺繍)は、各館で展示されていたが、ここでは細部の写真を小さなデジタルサイネージでスライドショー式に見せていた。白峯寺から、小さな銅造の不動明王坐像(平安時代)が出品されていた。頭上に蓮華を戴き、片側に流した長髪をまとめた優美な姿。「伝来は不明であるが、その優美さや威厳に満ちた憤怒の表情から、崇徳上皇の存在を想起せずにいられない」と解説にいう。

 常設展示も急ぎ足で参観。東寺「後七日御修法」の空間再現展示があったり、金剛峯寺の『善女龍王図』の複製があったり、さすが弘法大師推しだな、と改めて感じた。
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2014年11月@西日本:九州仏(福岡市博)、台北 國立故宮博物院展(九博)

2014-11-26 22:09:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
福岡市博物館 特別展『九州仏~1300年の祈りとかたち~』(2014年10月12日~11月30日)

 「九州の仏像が一堂に集う約半世紀ぶりの展覧会(へえー半世紀前にもあったのか)」「秘仏・新発見(初公開)の仏像を多数展示」と聞いては、北海道からでも出かけないわけにはいかない。リストによると70点の仏像は、九州全域から出品されている。…と書いて、リストを見直したら「宮崎県」だけがない? 宮崎は仏教文化不毛の地なのだろうか。

 会場の入口には、多様な様式の仏像15体ほどの写真が、大きな1つのパネルにまとめられていた。京都や奈良の仏像と違って、どこのお寺のどなたさま、と認識できないのがもどかしくて、かえって期待が高まる。入ってすぐ、大きなマッチ棒のような異様な物体。これは見たことがある、と思ったら、観世音寺に伝わる塑像の心木(奈良時代)だった。隣りの小さな銅造仏は、大分・柞原神宮の如来像(飛鳥時代)。隣りの相方に軽くツッコミを入れるような右手の曲げ方。優雅なストールをまとった貴婦人のようで素敵。大分・天福寺奥院の三体(奈良~平安前期)は、私の好きな、下半身にどっしりした量感の感じられる木造仏。もうこのへんで、九州仏の魅力に、すっかり魅了されてしまった。

 久しぶりにお会いできてうれしかったのは、観世音寺の兜跋毘沙門天。ちょっと胴長だが、スリムでカッコいい。足元の地天女と二匹の邪鬼の表情が、何度見ても、見れば見るほどいい。福岡・長谷寺の十一面観音菩薩立像は、少し反り返り気味なほど、背筋を伸ばして立つ。板光背は室生寺の十一面観音を思い出させた。福岡・小田観音堂の千手菩薩観音立像は、しもぶくれの個性的な顔立ちが微笑ましかった。大分・大山寺の普賢延命菩薩坐像には、二段になった象の集団(かわいい)が戴く蓮華座に座る。いずれも個性的で、京都や奈良の仏像を基準に覚えて来た時代様式とか印相が、あまり役に立たない。特に古いものはそうだ。鎌倉・南北朝時代の作になると、ああ「みやこぶり」だなあ、と感じるものが多くなる。たぶん文化圏が統合されていくんだろうな。

 対馬の法清寺観音堂の如来立像(平安前期)は「スキー帽をかぶったような」(この比喩、上手い)相貌で「蒙古仏」と呼ばれたこともあるそうだ。「蒙古仏」って、どこかで聞いたことがあると思ったら、三の丸尚蔵館の『珍品ものがたり』だった。「蒙古」は、無骨で「異様なもの」を表す指標だったのだろう。鹿児島の隼人塚の石仏、福岡・恵光院の石造の十一面観音(どう見ても媽祖像)、九博所蔵(もとは対馬伝来)の被帽地蔵菩薩坐像(高麗時代)など、興味深いものをたくさん見せていただいた。

九州国立博物館 特別展『台北 國立故宮博物院-神品至宝-』(2014年10月7日~11月30日)

 大宰府へ移動。「東京では公開されない逸品」だけを見たくてやってきた。肉形石の展示は前期で終わっていたが、それはどうでもいい。かわって、後期の会場の冒頭を飾るのは『人と熊』だが、これも簡単に見てスルー。すると『散氏盤』など、わずかな考古遺物の展示をはさんで、書画のセクション(中国の士大夫の精神)がすぐに始まる。中華文明の神髄がどこにあるか、分かりやすくて、とってもいい。東博の展示は、いろいろ盛り過ぎで、印象散漫だった感じがする。

 書画約20件は、東京展とは完全な「入れ替わり」なので、初めて見るものばかり。王羲之の『定武蘭亭序巻』(墨拓)がある。蔡襄があり、蘇軾があり、米芾(べいふつ)があり、黄庭堅がある。手堅いセレクションで、すごく安心して見ていられる。伝・韓幹筆『牧馬図頁』(唐時代)は、熊のような胴の太い黒馬の上に髭面の男がまたがる。…と思って会場では見ていたが、図録を見直したら、そうではなくて、隣りに並んだ白馬にまたがり、黒馬を操っていたのか。「韓幹真跡」という徽宗の書入れが華を添える。

 伝・燕文貴筆『渓山楼観図軸』は思ったより小さかった。絵画は本物を見ないと大きさが分からないなあ。馬遠筆『華燈侍宴図軸』は面白かった。たぶん日本にはほとんど伝わっていないタイプの中国絵画なので。倪瓚筆『容膝齋図』の静謐な清々しさ。ああ、見にきてよかった。遼代の絵画『秋林群鹿図軸』は展示期間が終わって、写真パネルしか見られなかった。仕方ないね。でも『草原の王朝 契丹』展を開催した九博に、遼時代(と推定される)絵画がやってきたことを、陰ながら喜んでおこう。

 あとは駆け足で流し見。これは東京で見ていないぞ、と思って目を止めた『刺繍千手観音菩薩軸』『刺繍普賢菩薩像軸』は、図録で確かめたら、やっぱり九博限定出品だった。『緙絲米芾書七言詩軸』は、ふつうに米芾(べいふつ)の書だと思って近寄ったら刺繍だった。中国人のつくるものは面白い。『爾雅』(乾隆石経の底本)が「九州」の項を開いていたのは、ご愛嬌。それと、水をこぼした痕のある『朱批奏摺』(No.204)の解説に「朕=康煕帝」と書いてあったような気がする(見間違いでなければ)。雍正年間なのに。図録の解説は、ちゃんと雍正帝になっていた。もしかして、雍正帝のイメージは「臣下への思いやり」と結びつかなかったのかしら。
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2014年11月@西日本:竹林寺(高知)ご開帳

2014-11-25 22:37:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
○四国霊場第三十一番札所 五台山竹林寺(高知県高知市)

 見て来た順序が前後するが、昨日(11/24)行ってきた竹林寺の「平成のご開帳」の報告をまず。竹林寺は神亀年間、行基菩薩の開創と伝えるが、実際の創建年代は不詳。本尊は50年に一度のご開帳と定められた秘仏・文殊菩薩像で、文殊の聖地・五台山を山号とする。今年はその「50年に一度」にあたり、春期(4/25~5/25)と秋期(10/25~11/25)のご開帳が行われた。

 先週、竹林寺を拝観した友人から、朝早い時間に行くことを勧められていたので、高知駅前を朝8:00に出る周遊観光バス「MY遊バス」の始発に乗車。8:30頃、竹林寺に到着した。石段の上の三門には「五台山」の額。



 本堂(文殊堂)の手前左寄りに拝観券売り場ができている。拝観券を購入すると、後ろのテントの中に50~60人分のパイプ椅子が並べられていて、ここでお坊さんの解説を聞いたのち、本堂に進めるシステムになっている。拝観は8:30からと聞いていたが、マイカーなどで訪れた人たちで既に満席。しばらく待って、第一陣が堂内に去ってから、着席した。



 私よりだいぶ若いと思われるお坊さんのお話では、前回のご開帳は1964年、東京オリンピックの年。ご自身も本尊の文殊菩薩を拝観するのは、今年が初めてだという。竹林寺の文殊菩薩には、2体の獅子像が付属している。春期のご開帳でお乗りになっていたのは、巻き毛もりりしい、獅子らしい獅子(※画像)。三百年ほど前の江戸時代に作られたもので、前回(1964年)のご開帳も、この獅子に騎乗した姿で行われた。

 同寺には、もう1体、ご本尊造顕当時の古い獅子像も伝わっており、秋期のご開帳では、なんと三百年ぶりに、当初の獅子にご本尊が騎乗されている(※画像)。この獅子が、あまりにも脱力的で無邪気で「わんこ」っぽくて、かわいい。「獅子に…見えないですよね」と言いながら、お坊さんもうれしそう。

 靴を脱いで堂内に入ると、一列になって、お厨子の前に進む。内陣の左側には、三百年ぶりにご本尊を下ろした巻き毛の獅子が、くつろいだ表情で休んでいた。さて、いくぶん手狭なお厨子の中には、細い四本脚をぴんとつっぱり、大きく口を開けて、満面の笑みの「わんこ」(にしか見えない)。背中の文殊菩薩は、右手に剣、左手には蓮華、その上に巻物が載っている。文武両道をあらわすのだろうが、尊大さが微塵もなくて、優しいお姿だ。まわりを取り囲む四人の従者は、唐時代の文官俑を思わせる簡素な服装。これも珍しい。誰も急かさないので、ついゆっくり見てしまったが、後に並んでいる人たちのことを思い出し、慌てて、先に進む。内陣の右側で、さきほどのお坊さんから「宝印加持」をいただいたあと、しばらくお厨子の正面に座って、お姿を拝見させていただいた。あまり「見仏」にこだわるタイプのお客さんはいなくて、みなさん結縁を済ますと、満足そうにお堂の外へ捌けていく。



 本堂を出たところに、4人の従者を描いた「ご参拝ありがとうございました」の立て看板があり、善財童子が無邪気に「また会おうね!」と言ってくれるのは嬉しいが、50年後のご開帳に立ち会うのはムリだろうなあ、と苦笑してしまった。しかし、このあと、宝物館を参観したら、4人の従者と獅子の台座が残っているではないか。案内の方にお聞きしたら、4人の従者と古いほうの獅子像は、ふだんこの宝物館に展示されており、お願いすれば開けてもらえるのだそうだ。それなら、ご本尊はムリでも、彼らとは「また会う」ことができるかもしれない。

 最後に客殿で、庭園と襖絵を鑑賞。堂本印象の抽象的な襖絵「太平洋」「瀬戸内海」「風神」「雷神」はかなり面白かった。庭園は中国の廬山と鄱陽湖(はようこ)を模していたのか。よく分からなかったけど。最後に、石段を下りて来た正面のお茶屋さんで、恥ずかしそうに扉の影に半分隠れていたわんこ。騎乗するご主人を待っているかのように。



※みうらじゅん×いとうせいこう 見仏ライブ!@竹林寺(11月11日)
http://www.youtube.com/watch?v=goJWA8oN1fo
https://www.youtube.com/watch?v=2dGsjdTwrMQ
参拝のとき、お見かけした竹林寺の方々が映っていて、懐かしい。
まだ第2部の途中までのようですが、早く続きが見たい。
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2014年11月@西日本:行ったものメモ

2014-11-24 23:00:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
年内最後の三連休。東京や近畿の展覧会にも未練を残しながら、広域旅行をしてきた。

11/21(金)夜に札幌発→羽田着。トランジットなので、いつもの蒲田でなく、羽田空港に近い、大鳥居駅周辺のビジネスホテル泊。
11/22(土)朝の羽田空港が混んでいてびっくりした。第一便で福岡へ。 福岡市博の『九州仏』を見て、大宰府に移動し、九博の『台北故宮』をざっと見る→博多から新幹線で岡山、さらにマリンライナーで高松へ。高松泊。
11/23(日)香川県立ミュージアムの『四国へんろ展』を見て、高松→徳島へ高速バス移動(1,100円。安い!)。徳島駅からタクシー片道1,600円で徳島県立博物館へ(路線バスの便がない)。これで『四国へんろ展』4県コンプリート。徳島駅から再び高速バスで高知へ。高知泊。
11/24(月)五台山竹林寺で秘仏本尊・文殊菩薩に参拝。少し時間があったので、高知城下の山内神社と山内家宝物資料館を訪ねてみる。JRで高知から岡山経由→新神戸へ。さらに三ノ宮→神戸空港→札幌に帰着。

バスや鉄道ではちゃんと座れたので読書に勤しんだ。眠くなると寝て、目が覚めるとまた続きを読む。家にいるときより、読書も進んで、有効な時間の使い方ができた。

このあとは年末の帰省まで旅行プランなし。おとなしく冬支度していよう…。

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音楽は国民とともに/日本の軍歌(辻田真佐憲)

2014-11-20 23:04:56 | 読んだもの(書籍)
○辻田真佐憲『日本の軍歌:国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書) 幻冬舎 2014.7

 著者は「軍歌」の社会的役割を、こんなふうに説明する。戦前の日本では、軍歌は単なる「軍隊の歌」や「右翼の歌」ではなく、ポップスであり、演歌であり、洋楽であり、映画主題歌であり、アイドルソングであり、人々の生活と密接に結びついた娯楽であった。すなわち、軍歌は民衆の歓迎するエンターテインメントであった。私は音楽のことはよく知らないが、たとえば錦絵新聞とか歌舞伎や演劇などのメディアが、「軍」と「戦争」をどう扱ってきたかを思い出すと、じゅうぶん共感できる説明だった。

 「軍歌」とは何かという問題について、実は、本書はあまり明確な定義を下していない。いま、あらためて読み返してみたら「はじめに」の末尾にひっそりと「『戦争に役立つ歌』という程度に敢えて曖昧に使おうと考えている」と記されている。でも、歌が「戦争に役立つ」というのは、どういう意味なのか?

 近代日本の軍歌の嚆矢『抜刀隊』は、フランスの『ラ・マルセイエーズ』やドイツの『ラインの護り』に範をとり、兵士たちの愛国心を鼓舞し、「日本人として」戦うことを教えるためにつくられた。明治初期の軍歌の制作に携わったのは、当時のエリート層だったが、近代日本最初の戦争、日清戦争の勃発とともに、軍歌が民衆のものとなる時代がやってきた。

 本書には多数の軍歌(の歌詞)が掲載されている。太平洋戦争時代の軍歌には、戦後生まれの私でも聞き覚えのある楽曲が見られるが、日清・日露戦争時代の軍歌は、歌詞も初めて見るものばかりで、メロディが浮かぶものも皆無に近かった。古語や雅語の使い方が、さすが明治人と思われるものもあるが、勇壮を通り越して、放送禁止歌まがいにむちゃくちゃな歌詞もある。日清戦争の木口小平、日露戦争の広瀬武夫などを叙事詩的に描いた「英雄キャラクター軍歌」が人気だったというのも面白い。古代から中世(近世?)までの日本の歌謡(和歌)史に、叙事詩的なものが乏しいことを思い合わせると、いっそう興味深い。

 日露戦争以後、軍歌ブームは急速に下火となるが、1931/昭和6年の満州事変勃発とともに、第二次軍歌ブームが訪れる。レコード、ラジオ、大衆雑誌、映画などのメディアがその後押しをした。昭和の軍歌は、口語と文語・古語の奇妙な(伝統を無視した)混ざり具合が、ある人々には気持ちいい(カッコいい)と感じられるのだろうが、私はあまり好きになれない。

 旧制一高の寮歌『アムール川の流血や』(1901/明治34年制作)のメロディが、メーデー歌『聞け万国の労働者』や軍歌『歩兵の本領』としても歌われたというのは、わりと知られた話だが(今日の自衛隊でも『普通科の本領』という替え歌で継承されている由)、中には国境を越え、中国(中華民国)の革命歌として歌われた明治の軍歌や、金日成の抗日パルチザンに伝わり、今日の北朝鮮に伝わっている日本の軍歌もあるという。

 本書を読んでみようと思った契機は、実はツイッターで見かけた情報だった。昭和の日本軍歌を代表する『同期の桜』の原典は、雑誌「少女倶楽部」に掲載された『二輪の桜』という西條八十の詩で、初出時(1938/昭和13年)のページには、和装と洋装の麗しい少女二人が、見つめ合い、手を取り合う、あやしいイラストが描かれている。音楽って、作者の意図とは無関係に、変容しつつ、生きのびていくんだなあ。一方で、誰もが思い出したくない、闇に葬り去られた試みも多数。太平洋戦争末期の「興亜讃美歌」にはびっくりだった。

 最後に、今後、「国民の軍歌」は再びよみがえるか?という疑問に、私はあまり可能性を感じない。軍国主義の復活を信じないわけではないが、そもそも「国民的エンターテインメント」と呼べる音楽が、私たちの生活から消えて久しい、と思うもので。
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震災「以後」の鉄路/思索の源泉としての鉄道(原武史)

2014-11-18 22:26:40 | 読んだもの(書籍)
○原武史『思索の源泉としての鉄道』(講談社現代新書) 講談社 2014.10

 講談社のPR誌『本』に連載している「鉄道ひとつばなし」の2011年3月号から2014年7月号掲載分をまとめたもの。刊行済みの『鉄道ひとつばなし』(1~3)を引き継ぐ著作だが、タイトルが一新されている。

 「鉄道ひとつばなし」の連載開始は1996年1月だという。私は2003年に刊行された1冊目の単行書から、ずっと読んできた。私は著者と同世代で同じ東京育ちなので、過ぎし日の鉄道思い出話が自分にも懐かしいこと、著者の専門である近現代政治思想史とクロスオーバーする鉄道雑学の面白さなどが愛読の理由である。

 本書収録分の起点が「2011年3月号」と聞いては、むろん2011年3月11日に発生した東日本大震災を思い浮かべないわけにはいかない。本書の構成は、おそらく雑誌掲載時の順序にこだわらず、「東日本大震災と鉄道」「天皇・皇居と鉄道」「海外の鉄道で考える」など、テーマ別に再編成されているので、どれが震災後、最も早く書かれたエッセイかは、窺い知ることができない。しかし、著者が本書からタイトルを改めた理由のひとつには、やはり東日本大震災「以前」と「以後」という、「転機」の認識があったのではないかな、と憶測する。

 東日本大震災「以後」、明らかになった問題を論じた章段は、かなり重い。東北新幹線という「権力」の存在、JR東日本に見捨てられる赤字ローカル線、孤軍奮闘する三陸鉄道の現場、テレビドラマ「あまちゃん」に貫かれた一つの思想。輸送手段としてなら、代替バスでもよい。しかし、みんなが同じ方向を向いて座るバスや新幹線と違って、ローカル鉄道には、乗客に程よいかかわりを促す公共圏の機能がある。

 少し息抜きになる章段も紹介しよう。東急沿線では『東急電鉄のひみつ』という図書が売れているという。この背景には、東急沿線(とりわけ田園都市線)住民の「愛線心」があるとの指摘には、くすっと笑ってしまった。まあ確かに、京王線や小田急線沿線住民は、もっと淡々としているな。西武や東武だと、逆に沿線住民であることを自虐ネタにしていそうなイメージである。それから、西日本には神功皇后伝説にちなんだ地名が多く、駅名にも多い、ということは初めて知った。武庫川、御影、三木(兵庫県)なんていうのもそうなのか。これに匹敵するのは東日本のヤマトタケル伝説だが、神功皇后ゆかりの地名のほうが多いという。へえ~、関東人としてはびっくり。

 海外編では、ロンドン~パリ間のユーロスターに乗車した経験をもとに、いつの日か、対馬、宗谷、間宮の三海峡がトンネルでつながり、日本海を取り巻く壮大な循環線が開通することを夢見る。ベトナムではフエからダナンまでベトナム鉄道南北線に乗り、車窓風景の息を呑むような美しさに驚嘆するとともに、せっかくの観光資源が十分活かされていないことを惜しむ。ハイヴァン峠、私はツアーバスで越えたっけなあ。懐かしい。

 最後は近未来SFふうに、東海道本線に復活した特急「つばめ」「はと」に乗っての、東京~大阪1泊2日の旅を妄想する。私が内田百間先生の「特別阿房列車」を初めて読んだのは20代の頃で、たちまち軽妙洒脱な文章の大ファンになってしまったが、自分が50の年齢に達してみると「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来よう」というのは、独創でも意気がったポーズでもなく、ただ心の欲するところに従っただけ、ということがなんとなく分かる。
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そうだ、京博へ行こう/京都で日本美術をみる(橋本麻里)ほか

2014-11-16 20:51:59 | 読んだもの(書籍)
 この秋、注目の京都国立博物館に関する雑誌・書籍をまとめて紹介。

■雑誌『日経おとなのOFF』2014年10月号「ずらり国宝 絶対見逃せないBEST25」 日経BP社 2014.9

 「秋の6大国宝展覧会完璧ガイド」と名打って、京博の「京へのいざない」、根津美術館の「名画を切り、名器を継ぐ」、三井記念美術館の「東山御物の美」、京博の「国宝 鳥獣戯画と高山寺」、サントリーの「高野山の名宝」、東博の「日本国宝展」(開始順)で展示される約200件の国宝から、美術関係者の投票によって「絶対見逃せない国宝ランキングBEST25」を紹介する。第1位は『鳥獣人物戯画』。さまざまな分野の関係者の声を総合しているので、ランキング自体は、あまり面白くない。ただ、それぞれの作品に対するコメントは、曲者ぞろいで面白い。

 山下裕二先生が語る「これも国宝にするべきでしょう!」は、いちいちうなずきながら読んだ。応挙の国宝指定は1点のみで、それに比べると琳派の絵画の指定数は多い。「これは国宝指定に携わる文化審議会で、琳派の研究者の影響力が大きいことも無関係ではないでしょう」って、やっぱりそういうことってあるんだな。後半のミニ特集「今一番行きたい!1泊2日の京都旅」では、ちょい贅沢なランチやディナーに使えるレストラン、「町家一棟貸し」プランも紹介されている。これはもう少し閑散期の京都でゆっくりするときに見直そう。

■雑誌『芸術新潮』2014年11月号「大特集・大人の修学旅行は、京都国立博物館で」 新潮社 2014.10

 「5年にわたる建て替え工事を経て、ついにリニューアルオープンした京都国立博物館の平常展示館『平成知新館』」(本文記事)を直球で特集。山下裕二先生と千宗屋氏が、着物姿でツアーコンダクターをつとめる。イラストは山口晃画伯という豪華布陣。

 山下先生が「でも特別展はともかく、平常展示館って、一般の人はなかなか行かないよね。(略)リニューアル前はなんだか暗いさびしい空間という感じだったし」と振り返っている。確かに私も、80~90年代までは、わざわざ平常展示を覗こうとは思わなかった。でも90年代の末頃から、博物館がホームページを立ち上げると、特別展のほかにも平常展示館の特集展示の情報が、東京からでもチェックできるようになって、あ、これ見たいな、と思って、立ち寄るようになった。

 千宗屋さん(1975年生)は仏像少年だったそうで、1983年の『弘法大師と密教美術』、1986年の『比叡山と天台の美術』などを印象深い展覧会として挙げていらっしゃるが、私の記憶に鮮烈なのは、1998年の『王朝の仏画と儀礼』。山下先生も「泉武夫さんが担当した集大成的な展覧会で、素晴らしかった」と絶賛している。京博の展覧会は、一人の学芸員が全責任を負うのだそうだ。「これは東博や奈良博にはないことで、京博のいい面として今後もぜひ継承してもらいたい」とエールを送っている。そうか、京博の展覧会が「行ってみて損なし」と感じるヒミツはこのへんにあるのかもしれない。

 そのあと「京博で見るべき厳選70点!」が紹介されているが、必ずしも現在展示中の作品にこだわらず、若冲や蕭白も入れてくれているのが嬉しい。あと山下先生いわく「京博は中国絵画のコレクションが充実しているから、日本の絵画と比較しながら見ると面白いんです」というコメントに納得した。リニューアル前もそうだったけど、リニューアル後も、日本絵画の展示室のすぐ横に中国絵画があるプランでよかった。東博は、中国絵画の展示室を「東洋館」に分離しちゃったことで、日本美術の流れを理解しにくくしているんじゃないかなあ。

■橋本麻里『京都で日本美術を見る:京都国立博物館』 集英社クリエイティブ 2014.10

 平成知新館のリニューアルオープンに合わせて作成された京博コレクションガイドブック。コンセプトは「平成知新館でみることのできる所蔵・寄託作品の中から約115点をピックアップ」とある。リニューアル記念の「京へのいざない」展に出ている名品は、だいたい網羅されているのではないかと思う。京博で売っている名品図録(新版)が「寄託品等は載っていない」残念なものであることを思うと、こっちのほうが絶対にお得。仁和寺の『孔雀明王像』(北宋時代)も神護寺の『伝頼朝像』もちゃんと載っている。

 逆に「京へのいざない」展に出ていない、若冲や蕭白、宗達の『風神雷神図屏風』(建仁寺)や狩野山楽・山雪『梅花遊禽図襖』(妙心寺・天球院)まで掲載されているのはありがたい。カラー写真が多いし、日本美術の流れが時代順に整理されているので、外国人旅行者の方が、京博の参観記念に買っていくのにも手頃だと思う。

 コレクション紹介にとどまらない「コラム」で、非常に感心したのは、京博の「社寺調査」の活動について書かれた箇所。毎年、ここと決めた京都およびその近隣の社寺へ全学芸員が揃って出向き、1週間~2週間かけて所蔵品すべてを調査するという研究活動を行っているそうだ。仏像だけでなく、絵画の専門家、書の専門家、染織の専門家などが一団となり、連係プレーで調査にあたる。こういう活動から、社寺との信頼関係が生まれ、文化財の新発見や、学術研究の進展が生まれ、学芸員の力量も育まれるのだと思う。博物館の活動を「展覧会の観客動員数」だけで考えている偉い人たちに、ぜひ読んでもらいたい。

 気になったのは、所載の「平成知新館フロアマップ」が現状と異なっており、1階の彫刻展示室の隣りが「特別展示室」になっていること。開催中の「京へのいざない」展では、2階の「絵巻」展示室と入れ替わっている。今後、京博はどうするつもりなんだろう? 開館記念展が終わったら、最初のフロアプランに戻すのだろうか。

※おまけ※
■雑誌『目の眼』2014年12月号「特集・東京国宝博物館『日本国宝展』を歩く:国宝の力-祈り、信じる」 目の眼 2014.11

 東博『日本国宝展』の参考資料としては、本誌がおすすめ。会場のフロアプラン、展示風景写真も豊富。
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