見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

宮内庁楽部・舞楽公演『蘇合香』『狛桙』(国立劇場)

2011-02-28 00:05:12 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 舞楽公演『蘇合香(そこう)』『狛桙(こまぼこ)』(2011年2月26日)

 久々に宮内庁式部職楽部による舞楽公演を見てきた。前売開始日を忘れていて、出遅れたのだが、運よくチケットを取ることができた。3階席だったが、全体が見通せるので、こうした演目には悪くないと思った。

 大曲『蘇合香』は、唐楽、盤渉調、六人舞。昭和50年(1975)に一部省略して演奏されて以来の復興だという。全曲を通し上演すると2時間かかるので、今回は2年かけて全曲を上演することになった。今年は序一ノ帖から五ノ帖まで。ただし、ニノ帖はない。延暦年間に遣唐舞生・和邇部嶋継(わにべのしまつぐ)によって伝えられたが、嶋継は序一帖の後半と序ニ帖を忘れてしまったという(教訓抄)。しかし、源博雅撰『新撰楽譜』にはこれらも含まれており、楽譜は全曲日本に伝えられたようであるが、大曲の特殊性ゆえか、日本で舞を補作することは行われなかったらしいとのこと(パンフレットによる)。

 う~む、「遣唐舞生」なんて人々がいたのかあ。文字資料や実物資料と違って、パフォーマンスを輸入するって、大変だったんだろうなあ、と苦労をしのぶ。

 舞人の衣装は、白を基調とする下襲に赤系の半臂を付け、オレンジ色の袍を両袖脱ぎにして垂らす。背中の金帯(金具を並べた石帯)が華やかさを添える。『北庭楽』や『万歳楽』の衣裳が近いかな(→写真:大阪楽所)。それにしても愛らしい色彩、花鳥をモチーフとした優美な文様。おじさんにこんな萌え衣裳を着せるなんて、どんな文化なんだ、と思う。甲(かぶと)は、菖蒲甲と呼ばれる独特のもの。横向きになると、あ、草だと分かるが、正面(しかも上方)から見ると、噛み合わせの口みたいで可笑しい。

 舞台に上がってきたとき、六人舞って、あまり見たことがなかったので、ちょっと驚いた。さすが大曲。しかし、曲の初めから終りまで、六人はずっと同じ振付で舞い続ける。左右列が対照のポーズを取るとか、ひとりずつ順番に何かをするという演出はない。なので、少し退屈する。解説パンフによれば、足の使い方が普通の舞と逆になるなど、特殊な舞振りがあるそうだが、なかなかそこまでは分からないので。

 続いて『狛鉾』。高麗楽、壱越調、四人舞。日本で新しく作られた舞楽だが、作者や年代は不明とのこと。巻纓+老懸の冠が武官の凛々しさを表す。右舞なので、装束は緑色が基調。袍に散らした丸文は、双眼鏡を覗いて、蛮絵?と思っていたら、栗鼠の丸紋なのだ。かわいい~。袍の上に、袖のない裲襠(りょうとう)を着る。縁(へり)は金襴。近衛の役人の乗馬の際の装束であったという。葵祭でも乗尻(のりじり)がこれを着ていた。そして、五色に彩色した2.5メートルほどの棹を操って舞う。『蘇合香』と異なり、右列左列がペアになったり、入れ替わったり、変化に富んでいて、飽きない。

 楽曲の編成もだいぶ異なる。唐楽(蘇合香)は笙が入るが、高麗楽(狛鉾)には入らず、「篳篥と高麗笛が対位法的に進行する」という説明をネットで見つけた。音楽に詳しくない私にはよく分からないが、「メロディーで舞う左舞(唐楽)、リズムで舞う右舞(高麗楽)」というのは、感覚的に納得できる。その晩、蒲団に入ってからも、ずっと夢の中で鳴っていたのは、高麗笛の音だった。鉦と太鼓のリズムが、日本の祭のお囃子に似ているようにも思った。

 来年、『蘇合香』の完結編も見に行けますように。
コメント

お寺にとっての文化財を考える/宝物特別公開(薬師寺東京別院)

2011-02-27 21:13:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
薬師寺東京別院 宝物特別公開『薬師寺の文化財保護展』(2011年2月26日~3月6日)

 薬師寺東京別院を訪ねるのは4回目。ようやく迷わずにたどりつけるようになった。今回の目的は、昨年9月に発見された奈良時代の大般若波羅密多経(永恩経)である。昭和57年(1982)12月までは、毎月8日の大般若転読法要で使用されていたという。大般若転読では、折本仕立ての経巻をパラパラパラと流して畳み、最後にポンと叩いて全文読んだことにするのがお作法。お坊さんが、「奈良時代のお経ですから、90過ぎのおばあさんをゴロゴロ転がして、背中をポンと叩いてたようなもんですな」とかおっしゃっていたのが可笑しかった。

 発見されたのは47帖だそうだが、展示ケースには、積み上げられたものが5帖(だと思った)。さらに2帖(巻100と巻490)が、朱筆の奥書銘の部分を開いて展示されていた。巻100には「貞永元年」、巻490には「天福元年」の年号が見える。ん?どっちも13世紀の年号じゃない、どういうこと?と思って、解説パンフを読んだら、これらは奈良時代に書写された大般若経を、鎌倉中期の興福寺僧・永恩が句切点を施し、再整理をした混合経の残巻なのだという。解説パンフによれば、それぞれの奥書に「句切了永恩生年六十七」「句切了/永恩生年六十七」という箇所がある…らしい。読みにくいなあ、この署名。で、既に確認されている永恩経約40巻のうち2件に「天平ニ年」(730)銘があることから、今回見つかった47帖も、奈良時代のものと推定されているそうだ。納得。展示されている2帖は、筆跡が異なり、巻490のほうが鋭角的な感じがする。私は、巻100の大らかな手のほうが好みだ。

 ほかに平安後期の『法華経玄賛要集』、鎌倉中期の『応理大乗伝通要要録』、鎌倉後期の『大般若経音義』を全国初公開。薬師寺では、平成19年1月に宝物管理研究所が立ちあげられ、聖教調査に着手して4年目になるが、総数170函のうち、まだ6割(105函)しか終わっていないそうだ。

 この日、法話を聞かせていただいたのは、薬師寺の「文化財担当」だという大谷執事。文化庁とお寺さんの「文化財」に対する考え方の違いが興味深かった。文化庁の保存修復の原則は「現状維持」である。「たとえば仏像が手足を欠失している場合でも、現状のままで保存に耐えうる程度の修理しか行なわないというもの」(美術院国宝修理所)だ。一方、大谷執事によれば、寺院では「仏様が仏様として生きる修理」を最善とする。顔のない仏様、手足のとれたぼろぼろの姿では、信者に向き合うことができない、という。

 室内には数体の仏様が迎えられていたが、たとえば、木造の吉祥天立像(昨年秋に大宝蔵の特別展でもお会いしたと思う)は、頭部が全く欠損していたが、調査によって平安時代後期の制作ということを特定し、その時代らしいお顔を復原したものという。同様に、平安時代の聖観音菩薩像も、これまで「江戸時代の十一面観音像」と考えられていたが、修復の過程で、平安時代の一木彫であることが分かり、さらに頭部を横に鋸引き(ひえ~)して十一面観音に改変した痕が認められたことから、平安時代の一木彫の類例を求め、多くの試作を重ねた上、大きめの宝冠を補足することになったのだそうだ。

 このあたりの話は非常に面白かった。顔のない仏様と聞いて、すぐに浮かんだのは、いわゆる「唐招提寺のトルソー」である。あの如来立像は、芸術愛好家にとっては今のままで(今のままのほうが?)魅力的だが、「仏」としてあのままでいいのか、というのは難しい問題だ。

 なお、薬師寺は東塔解体修理のため、特別写経の勧進を始めている。今後10年間の修理事業に必要な経費は、文化庁の試算で25億円。この3割が薬師寺の負担になるそうだ。写経、やってみようかしら。日々の生活が依存するデジタルメディアの耐久性のなさは嫌というほど自覚しているので、こんなブログ記事なんて雲散霧消したあとにも、紙本墨書は、運がよければ、千年先まで残るかもしれない…と思わせる、今回の展示である。
コメント

生活を遊ぶ/京都アート+クラフト紀行(アリカ)

2011-02-26 23:19:54 | 読んだもの(書籍)
○アリカ編著『京都アート+クラフト紀行』(おんなのたび) 東京地図出版 2009.3

 先々週の京都旅行の直前に、ふと思い立って買ってみた本。アートな感覚にあふれたお寺や美術館のほか、雑貨屋さん、カフェなどが紹介されている。河井寛次郎記念館は、本書の写真を見て、行ってみようと思い立ったのだ。

 本書を面白い(有益!)と思ったのは、伝統工芸品から現代作家、あるいは輸入品まで、さまざまなジャンルの雑貨(食器、衣料品、家具、等々)を扱うクラフトショップ情報。初心者でも気軽に入れそうな生活骨董のお店も紹介されていて、よしよし、次はここ、ぜひ行ってみようと思って、チェックしている。

 それから、京都には、雑貨屋さんと融合した、個性的な本屋さんがとても多いらしい。恵文社一条店、行ってみたいなー。余談だが、同店のサイトに掲載されている「京都の本」リストも面白かった。また、カフェと本屋さんが融合したブックカフェ、カフェとギャラリーが融合したギャラリーカフェもたくさん紹介されている。ただ、当たり前だが、こういうお店は「観光エリア」とは別の「京都人の日常生活エリア」に点在しているので、いつも観光目的で京都に行く自分には、なかなかアクセスする機会がなくて、残念。

 古民家に泊って、朝はパンとコーヒーの朝食を出してくれる「和の宿」もいいな。観光のハイシーズンに突入すると、とてもこんなゆったりした旅はしていられないだろうが、またオフシーズンをねらって、京都の日常生活に触れてみたいと思う。

 なお、本書は2009年3月刊で、そんなに古い情報ではないと思うのだが、ネットで最新情報をチェックすると、中にはもう閉店してしまったお店もあるようなので、注意が必要。新しいお店は、だいたいホームページを持っているが、そんな情報発信には全く関心のなさそうなレトロな喫茶店も健在で、その混淆ぶりが京都らしくていいと思う。

コメント

経済学者のヘンな研究/競争と公平感(大竹文雄)

2011-02-25 23:58:11 | 読んだもの(書籍)
○大竹文雄『競争と公平感:市場経済の本当のメリット』(中公新書) 中央公論新社 2010.3

 経済学者の書いた本だから難しいかな、と思っていたら、面白かった。最近の学者は(いい意味で)ヘンな研究ばかりやっているんだなあ…と感心した。以下は、本書に掲げられた、実証的な研究成果の一部である。

・18-25歳の頃に不況を経験した人は「人生の成功は努力よりも運による」と思い、「政府による再分配を支持する」が「公的な機関に対する信頼を持たない」傾向がある(p.18)
・女性よりも男性のほうが自信過剰で競争好きの傾向があるが、女子校の女生徒は、共学の女生徒よりも競争的報酬体系を選ぶ傾向がある(p.38)
・4、5歳の子どもにマシュマロを1個見せて、実験者が帰ってくるまで食べるのを我慢したらもう1つあげる、というテストを行い、10年後に追跡調査をしたところ、我慢できてマシュマロを2個もらえた子どものほうが、そうでない子どもよりも成績がよく、リーダーシップもあり、社会性を備えていた(p.96)
・天国や地獄といった死後の世界の存在を信じる人の比率が高い国ほど経済成長率が高い(p.118)
・日本人管理職について、子どもの頃、夏休みの宿題を最後のほうにしていた人ほど、大人になって、週60時間以上の長時間労働をしている。しかし、そうした人ほど、地位が高かったり、所得が高かったりする傾向はない(p.184)

 解説を読むまでもなく、相関関係が納得できるものもあれば、なんだこの、風が吹けば桶屋が儲かるモデルは…と苦笑を感じるものもある。もともと経済学は、論理的に行動する「後悔しない人間」をモデルに築かれてきたが、最近は、心理学や脳科学と交流することによって、より人間的な学問に変貌しつつあるのだそうだ。

 そのほかにも、本書を読んではじめて、そうだったのか、と感じたことがいくつかある。たとえば、日本の貧困率は、それを計算するために使った統計によって異なるという話。厚生労働省の『国民生活基礎調査』は福祉事務所が調べているため、総務省の『全国消費実態調査』に比べて、低所得者の比率が高めに出る。実際の数値は、両者の中間にあるという。また、日本の有給休暇の消化率は、欧米に比べて低いといわれるが、ヨーロッパでは、有給休暇の取得時期の決定権は企業にあるのだそうだ。さらにいうと、日本は各国に比べて祝日が多い。

 本書を読んで、考えを改めかけたものの、十分に納得できなかったのは最低賃金に関する考え方。貧困対策として最低賃金を引き上げるのは、結構なことじゃないか、と思っていたのだが、著者によれば、この政策は、新規学卒者、子育てを終えて労働市場に戻ろうとする既婚女性、低学歴層といった「生産性が低い人々」にとって、何らメリットにならず、むしろ彼らの就業機会を奪う方向に作用するという。う~、ここの説明は、よく分からない。今さらではあるが、若者にも高齢者にも、数学的リテラシーって大切なのだ、としみじみ感じた。

 市場経済(競争社会)のメリットを考えるとき、重要なのは「公平」「不公平」という基準が、万人にとって自明ではないことだ。「あとがきにかえて」で、著者は、本書の刊行直前に行われたバンクーバーオリンピックに触れている。思わぬところで思わぬ名前を見てびっくりしたが、著者は、フィギュアスケートを例に出し、「ルールを最大限に利用して、得点を最大化しようとする選手もいれば(※ライサチェクとキム・ヨナです)、自分の得意な技を最大限に利用する選手もいる」と述べる。弱い選手の有利に働くルール改正は、強い選手のファンの立場からは、不公平感が残る。しかし、競技団体は、突出した選手の一人勝ちを抑制すべく、ルールや採点基準を改正していく。より多くの選手が、バランスよく、多様な戦略で戦える状況をつくることが、競技の活性化につながるからだ。現実社会の政府の役割も、これに似ているのではないか。この比喩は、とても分かりやすいが、でも武道に「体重別」や「身長別」を設けるのが嫌いで、不利と分かっていても頑固に信条を曲げないことを「美学」とする日本人は、やっぱり納得しないかも、と思った。
コメント

カタストロフの幕末/慶喜の捨て身:幕末バトル・ロワイヤル(野口武彦)

2011-02-24 22:49:58 | 読んだもの(書籍)
○野口武彦『慶喜の捨て身:幕末バトル・ロワイヤル』(新潮選書) 新潮社 2011.2

 やったー野口武彦さんの「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズ最新作だー!という具合で、書店で見つけるなり、即購入、一気に読み通してしまった。ご存知、「週刊新潮」連載の幕末史談エッセイ。本書は、元治元年(1864)暮れ、高杉晋作の功山寺挙兵に始まり、長州戦争、大政奉還を経て、慶応3年(1867)暮れの江戸薩摩藩邸の焼討事件までを扱う。雑誌に発表されたのは、2008年5月から2009年3月の間だというから、もう少し早く本になってもよさそうなものだが、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』とのバッティングを意識的に避けたんじゃないかな、と思った。便乗企画みたいに思われるのが嫌で。

 内容的には『龍馬伝』の時代とちょうど重なる。まだドラマの印象が新しいので、高杉晋作と聞けば伊勢谷友介が浮かび、徳川慶喜と聞けば田中哲司に返還されてしまう。困ったものだ。しかし、勝海舟→武田鉄矢は絶対に違うと思っていたので、既に記憶から消去されている。一方、チョイ役だった小栗上野介忠順は斎藤洋介の印象で定着しているなど、読みながら、自分の無意識の選択が分かっておもしろかった。

 本書は龍馬暗殺のエピソードに1章を設けているが、著者は坂本龍馬には関心が薄いように思える。善人すぎて、どこか物足りないのだろう。むしろ著者は、これまで「慶喜ぎらい」だと思っていたが、見かけ倒し、意志薄弱、権力志向など、非難の止まらない慶喜のことが、ホントは好きなんじゃないか、という感じがした。本書では、「大政奉還」という大勝負に全財産を張った慶喜の決断を、意外と冷静に評価している。

 私は、幕末史では、見え隠れする西洋人外交官の存在がとても気になる。ロッシュ、パークスなど。のちの新政府が招き入れたお雇い外国人と違って、基本は自国の利益しか考えていない悪党連中だと思うのだが、悪役や欠点の多い登場人物がいてくれないと、歴史は面白くない。それにしても、フランス公使ロッシュが慶喜に「ナポレオン三世のようにおなりなさい」と吹き込む場面にはたまげた。

 最高権力の帰趨だけでなく、喧嘩・殺人・茶番・打毀しなど、市井の人々の喜怒哀楽を同時並行で描いているのは、本書の魅力のひとつ。米価高騰による「貧窮組騒動」とか「ええじゃないか」もすごいなあ。平成の日本も、そろそろカタストロフが近づいているような気がするが、これら幕末の状況を読むと、いや、まだまだかなあという気持ちになる。

※前作:野口武彦『天誅と新選組:幕末バトル・ロワイヤル』(新潮選書) 新潮社 2009.1
コメント

遅れてきた世代/琳派芸術・第2部 転生する美の世界(出光美術館)

2011-02-22 23:04:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 酒井抱一生誕250年『琳派芸術-光悦・宗達から江戸琳派-』第2部「転生する美の世界」(2011年2月11日~3月21日)

 琳派第2部は、酒井抱一、鈴木其一ら江戸琳派の作品が中心。光悦、宗達、光琳という超ビッグネームを有する第1部に比べると、少し客が減るかな、と思っていたら、とんでもない熱気だった。

 冒頭には、伝・宗達筆の『源氏物語図屏風残闕』が3点(桐壷、少女、葵)。おお、これは嬉しい。「桐壷」は高麗の相人の図である。「少女」は夕霧が五節の舞姫(惟光の娘)を垣間見るところだろうか。雛人形みたいに素朴でたよりない造形が愛らしい。「葵」は、もう少し華やかで丁寧に描き込まれた作品だが(上記2点とは別の屏風だった)、碁盤の上に立たされた紫の君の髪削ぎという場面のチョイスが面白い。「なぜそこ?」とツッコミたくなる。

 さらに伝・宗達筆『伊勢物語』色紙が2点(武蔵野、若草)。現在59面が確認されており、中でも益田鈍翁旧蔵の36面は優品として知られるのだそうだ。やっぱり一押しは大和文華館の「芥川」だろうが、出光の「武蔵野」もけっこう好き。

 酒井抱一は名品揃いだった。まず『八ッ橋図屏風』。光琳の「原本」に学びながら、燕子花の花群を整理し、すっきりした構図にまとめているという。確かにパネルで両作品を比べると、その違いが分かる。風神雷神図もそうだが、宗達、光悦みたいな、絶対に超えられない大天才の後に生まれても、その不幸に打ちひしがれず、自分なりの創意工夫を示そうとした態度は立派だと思う。芸術家の執念を感じさせる。抱一の『八ッ橋図』は、見る位置によって、いろいろな表情があって面白いが、私はフロアの左隅から眺めた構図が好きだ。右隻の燕子花&橋板が、流れ下るように揃って見える。

 次室の『紅白梅屏風』もいい。左隻の「白梅図」は、本展のポスターにも使われているもので、清楚な人妻が垣間見せた乱れ姿、みたいな色っぽさが感じられ、見ているこちらの動悸も早くなってしまう。鈴木其一は、まだその魅力がよく分からない。確かに面白いのだけど、どう形容しよう、と迷ってしまう。『四季花木図屏風』は、少し「盛りすぎ」の感じもするのである。

 絵画以外に、地味に面白いのが陶芸と工芸。あまり目を留めている人がいなかったけど、尾形乾山の皿がむやみによかった。後半の色絵より、前半の銹絵(さびえ)が私の好みである。さらりと描いた草花や山水画の横に、短い漢詩句や和歌、あるいは裏面に能の詞章が添えられている。画と文があいまって、展示ケースの中に、小さな別天地が生まれているようだった。原羊遊斎の蒔絵は、印籠などの小物ばかり見てきたが、大ぶりな『草花蒔絵四方盆』は、大胆なデザインの魅力が引き立つ優品。何のかの言っても、やっぱり琳派はすごい、楽しい、を実感してしまった。

 なお、写真パネルで、天明七年(1787)刊『絵本 詞の花』という絵双紙が展示されていて、後ろ姿の酒井抱一が描かれているという(羽織の紋が、酒井家のカタバミ紋)。抱一って、狂歌師としてのペンネームは「尻焼猿人(しりやけのさるんど) 」なのか。この名前も、江戸の本でときどき見るのだが…。覚えておこう(→画像/東北大学附属図書館狩野文庫。これは無断掲載じゃないのかな。大丈夫かな?)。

東海東京証券プレミア美術展『京都 美の継承~文化財デジタルアーカイブ展』(2011年2月9日~25日)
しまった。メトロポリタン美術館所蔵の光琳筆『八橋図屏風』(の高精細複製品)も出ていたのか。それも金曜日までじゃないか…見られない。
コメント   トラックバック (1)

暴走せよ!/妄想力(茂木健一郎、関根勤)

2011-02-21 23:39:29 | 読んだもの(書籍)
○茂木健一郎、関根勤『妄想力』(宝島社新書) 宝島社 2009.9

 関根勤さんは、私の好きな芸人である。子供の頃は、テレビで見ていても、気持ち悪くて、つまらなくて嫌いだった。それが深夜ラジオを聞くようになったら、すっかりハマってしまった。あれは私が大人になったためか、それともテレビとラジオというメディアの差だったのか。たぶん本棚を探せば、ラジオ番組の企画本『ら゛』が、どこかに転がっているはずである。

 …というのも1980年代の話で、最近のテレビで見る関根さんは、「理想の父親」と持ち上げられたり、若手芸人の中にまじって、面白くもない平板なコメントを述べていたりする。でも本書を読むと、ところどころ、妄想芸健在を思わせる箇所があって面白かった。馬鹿だな~「関根勤がセロテープだったら」とか。そして、一度妄想を始めたら、とことん暴走させずにはおかないサディスティックな煽り役、盟友・小堺一機の存在の大きさを感じた。妄想の千本ノックとはよく言ったもの。ちょっと「ガキの使い」のコンビネーションにも似ているかしら。

 茂木さんの話で面白かったのは、林望から聞いたというケンブリッジ大学の入試で、「寒い湖に浮かんでいるアヒルの足は、なぜ冷たくないのか?」という類の問題(面接)に、3時間も付き合わなければいけないのだそうだ。これは関根勤クラスの妄想力。イギリスの大学は、シェイクスピアについての知識を習うところではなく、シェイクスピアについて、2時間でも3時間でも議論する(ロジカルに妄想する)力を養うところである、という表現に、なるほど、と思った。

 創造力、癒し、他者を理解する基など、妄想の効用を語るのが本書の第一の主題とすれば、もうひとつの主題は、萩本欽一の師匠ぶりである。これもいろいろと興味深い。特に、TV番組『欽どこ』時代、小堺一機と関根勤には一切アドバイスをしなかったそうで、のちにその理由を聞いたら「小堺と関根は注意するとヘコむだろ」と言われたという。分かる、分かる。理屈ではなく、注意されたらヘコむ人間はヘコむので、そういう場合、師匠は何も言わないのが一番なのだ。こういう臨機応変な師弟関係って、まだどこかに残っているのだろうか。
コメント

良源から清盛へ/僧兵=祈りと暴力の力(衣川仁)

2011-02-21 00:41:01 | 読んだもの(書籍)
○衣川仁『僧兵=祈りと暴力の力』(講談社選書メチエ) 講談社 2010.11

 僧兵とは武装した僧侶のことであるが、かなり読み進んでから、「僧兵」という言葉が中世史料にはなく、江戸時代にようやく登場する造語であり、武士階級による武力の独占を達成した江戸幕府が、非武士による武力の保有を非難・蔑視する価値観が反映している、という説が紹介されている(黒田俊雄、1980年)。へえー知らなかった。さらに、近年のミカエル・アドルフソンの研究は、江戸期の”僧兵”イメージには、朝鮮出兵時に遭遇した朝鮮寺院武力の記憶が影響していることを論じているそうだ。これも面白い。韓国で俗離山(ソンニサン)法住寺を訪ねたとき、同寺が壬辰倭乱(文禄の役)の際、豊臣軍に対する抵抗の拠点となった歴史を聞いたことを思い出した。こうしてみると、私が小・中学校で習った日本史から、たかだか30~40年のうちに、ずいぶん常識が変わっているんだなあ、と感じた。

 というわけで、「僧兵」という言葉には留保が必要だとしても、中世寺院が、ある種の武力集団を内に抱え、寺院どうしの内部抗争を繰り広げたり、世俗権力への示威行動に使用したりしていたことは明らかである。本書は、中世の出発点を10世紀におく。この時期、「護法」の論理のもとで、寺院武力を正当化したのが、慈恵大師・良源だった。智証門徒と対立する慈覚門徒のさらに「傍流」から、延暦寺のトップに登りつめる良源の「豪腕」ぶりは興味深い。中世の史料によれば、延暦寺には「医方」「土巧」「算術」と並び、「兵法」が教えられていたという記述もあるそうだから本格的である。諸学の研究・伝承基地であったヨーロッパの修道院みたいだ。

 武力と同時に、呪術的な力(冥顕の力)を駆使し、宗教勢力の拡大に利用したのも良源である。私は、この人物、むかしから好きだったんだけど(角大師のお守り札、各種あつめている)、本書を読んで、いよいよ好きになった。

 武力+呪力を具備し、世俗権力に対して強訴をおこなう集団(=大衆、だいしゅ)の姿を、11世紀の史料は「六百人が大般若経、二百人が仁王経を携え、そのほか約二百人が甲冑・弓箭を着用していた」と描いている。経巻は武器(威圧の具)だったんだなあ。あと、異様な高声(大声)によって、人々を畏怖させたというのも面白い。大衆はしばしば神輿を担ぎ出したが、これも神威(冥顕の力)を視覚化する手段であった。そして、基本的には貴族社会も、冥顕の力に対する畏怖を共有していたのである。ところが、貴族ほどには冥顕の力を恐れない(と貴族には思われていた)のが、新興の武士階級であった。この点は、あまり詳しく論じられていないけれど、中世の新たな展開=武士の時代に向けて、興味深い視点を提起していると思う。

 ここで、当然、私の脳裡に浮かんだのは、『新・平家物語』の冒頭、日吉大社の神輿に矢を射る若き平清盛の図である。これは、どうやら史料では確認できない『新・平家』の創作らしい(だから本書にも取り上げられてはいない)。でも的確な創作と言っていいのではないか。ちなみに、覚一本『平家物語』には、清盛は良源の化身であるという伝説が収載されているとのこと(これは本書にあり)。因縁めいている。

※参考:大津市歴史博物館『元三大師良源-比叡山中興の祖-』
コメント

エンジニアの教え/工学部ヒラノ教授(今野浩)

2011-02-20 01:56:39 | 読んだもの(書籍)
○今野浩『工学部ヒラノ教授』 新潮社 2011.1

 東大工学部応用物理学科を卒業後、筑波大、東工大、中央大で教鞭をとった著者が、40年間の体験をもとに綴った「工学部実録秘話」。タイトルは、1990年代はじめ、文学部教授の生態を白日の下にさらしてベストセラーとなった、筒井康隆の『文学部唯野教授』に捧げられている。

 私の仕事は大学の一事務職員であるが、就職してはじめて配属された先が工学部だった。私自身は文系出身だったので、ギャップに戸惑うことも多かったが、少し慣れると、「工学部カルチャー」はとても居心地がよかった。そうそう!と大きく膝を打ったのは「工学部の教え7ヶ条」。あまりにも素敵なので、ここに再録しておく。

 第1条 決められた時間に遅れないこと(納期を守ること)
 第2条 一流の専門家になって、仲間たちの信頼を勝ち取るべく努力すること
 第3条 専門外のことには、軽々に口出ししないこと
 第4条 仲間から頼まれたことは、(特別な理由がない限り)断らないこと
 第5条 他人の話は最後まで聞くこと
 第6条 学生や仲間をけなさないこと
 第7条 拙速を旨とすべきこと

 一見、つまらないことばかりだが、この7ヶ条こそが「エンジニア集団を被覆する大原則」であると著者はいう。いや、エンジニアだけではなくて、これだけ守れたら、大概の機能集団の一員として立派にやっていけると私は思う。

 東大生時代、2年間の教養課程を終えて工学部に進学した著者が体験した武藤清工学部長の訓辞もいい。のちに文化勲章を受章する大エンジニアは「これから訓辞を述べるから、良く聞くように。エンジニアは時間に遅れないこと、以上」と言ったきり、椅子に腰を下ろしてしまった。そして、2年後の卒業式、学科主任の森口繁一教授は「諸君にはなむけの言葉を贈ろう。納期を守ること。これさえ守っていれば、エンジニアは何とかなるものだ」と述べた。若きヒラノ青年は、その「格調の低さ」にショックを受けたという。

 笑えた。だが、昨今流行りの「人間力」とか「生きる力」とか、空疎な言辞を弄して、若者を翻弄する大学教授たちに比べたら、「時間に遅れないこと」という訓辞のほうが、ずっと真率だし、生涯を通じて役に立つと思う。チームで仕事をすることの多いエンジニアは、時間に遅れると、仲間の貴重な時間を奪うことになり、これを繰り返すと、仲間の信用を失ってしまう。このように、上記の7ヶ条がなぜ大事かについては、本書の詳しい解説を読むと、さらに深く納得できる。

 「後世恐るべし」は、東工大の凄い学生たちの思い出話。著者は「若くて優秀な学生とともに過ごせること」を工学部平(ヒラ)教授の役得の一に挙げている。もちろん、そうした優秀な学生の協力を得て、共著論文を執筆できるという実利的な役得もあるが、「バケモノ」に近い天才を身近に見て過ごすというのは、無条件で楽しいことではないかと思う。

 優秀な研究者の集まりである東工大にも、何らかの事情で「怠け蟻」が発生することがある。しかし彼らは仲間の激励によって、いつかまた立ち上がる。この終章はちょっと感動的だ。著者によれば、アメリカでは、若い時から勝って勝って、勝ちまくる強者でなければ、理系研究者として生き残れない。一方、日本では、大器晩成や敗者復活が可能だった。前述の7ヶ条の一「学生や仲間をけなさないこと」も、二流でも(頑張れば)やっていける、日本の工学部カルチャーと関連している。だが、研究者に短期的な成果を求める風潮が加速すれば、日本はアメリカの亜流になり下がっていくだろうと著者は憂慮する。本書を読むと、専門教育の重点は、卓越した強者を生み出すことよりも、「二流でもやっていける」カルチャーに置かれるべきではないかと感じる。それでも強者はちゃんと育っていくのだから。
コメント

写真と証言/パリ、娼婦の館(鹿島茂)

2011-02-19 23:52:42 | 読んだもの(書籍)
○鹿島茂『パリ、娼婦の館』 角川学芸出版 2010.3

 19世紀(いわゆる長い19世紀)、パリの娼家風俗を紹介する。立ち読みで手に取って驚いたのは、意外なほどの資料写真の多さだった。いかにも、のエロチックな娼婦の姿態だけでなく(これは通勤電車の中で広げるのを憚られる写真もあり)、堅実そうな質素なドレスに身を包んだ娼家の女将(おかみ)、紳士然とした娼婦のスカウトマン、典型的なヒモ(どこで見つけてきたんだw)まで、写真で紹介されている。

 読んでいくと、著者が参考にした文献のひとつは、公衆衛生学者のアレクサンドル・パラン=デュシャトレ博士の研究であると分かる(邦訳あり)。19世紀初め、博士は、インタビューを交えて娼婦の実態を観察調査し、婚外性交を行政の管理下に容認・認可する、近代的な管理売春制度の基礎をつくった。そこから、19世紀後半、メゾン・クローズ(閉じられた家=囲い込まれた家)と呼ばれる娼家風俗が生まれてくる。

 さらに20世紀に入ると、女中としてメゾン・クローズに潜入取材を行った女性ジャーナリストのレポートが残っていたり(邦訳あり)、日本人による日本人向けのレポートも相当数残っている。フランス文学の大御所、河盛好蔵先生は、海路はるばるフランスに到着したその日、娼家で女が客と戯れている現場を外から覗くという「のぞき部屋」を体験したことをエッセイに残しているという。仏文学者ってこれだから…(侮れない)。悪魔学の権威、猟奇作家として活躍した酒井潔も、著者いわく「傑出」したパリの売春街案内を遺している。本家では、バルザックやゾラの小説を抜きに、同時代のパリ娼家風俗を語ることはできない。

 これら豊富な写真と文献から、著者は、メゾン・クローズの経営、設備、サービスなどを具体的に描き出す。最も興味深かったのは、変態系のサービスを詳しく語った一段。上流階級の紳士を相手にする超高級店ほど、バラエティに富んだ変態プレイを標準装備していなければならなかった。ああ、人間の(文明の)業だなあ、と思ってしまった。鞭打ち、幼児プレイくらいまでは、心の底に共感がないでもないのだが…。

 著者はときどき、当時のパリと、現代日本の性風俗を対比させた説明を試みている。のぞき、デリヘル、人妻売春、援助交際など、だいたい今の日本にある風俗は、当時のパリにも認められる。大きな違いは、酒と会話による社交サービス(一次過程)と、客を射精に導く直接的な性サービス(二次過程)がセットになっている点で、ニ部門が切り離されて成立している(=疑似恋愛を核としたキャバクラ、高級クラブが単独で成立している)のは、世界広しといえども日本独特ではないかという。本当なんだろうか。おもしろい。

 また、婚外性交は、行政の管理下におくことで容認されていたが、娼婦の間に発生しがちな同性愛(レスビアン)に対しては、社会の秩序を乱すものとして、非常に厳しい目が向けられていたことを興味深く思った。それから、いま、その箇所を見つけられないのだが、当時から「私生児」が非常に多かったという記述があったと思う。近年、フランスは、結婚制度にとらわれない少子化対策に成功したことで、日本のお手本みたいに言われているけれど、真面目な社会学者ほど、その裏面にある、高度な洗練をきわめた性風俗産業の存在を無視して議論しているのではないか、と気になった。
コメント