見もの・読みもの日記

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東西交流の十字路/黄金のアフガニスタン(東京国立博物館)

2016-04-21 00:25:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・表慶館 特別展『黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-』(2016年4月12日~6月19日)

 久しぶりの表慶館での展覧会。古くから『文明の十字路』として栄え、シルクロードの拠点として発展したアフガニスタン北部(=古代バクトリア)の発掘文化財を中心に展示し、「テペ・フローラル」「アイ・ハヌム」「ティリヤ・テペ」「ぺグラム」の4つの遺跡を紹介する。

 「テペ・フローラル」では1966年に金器・銀器が出土した。展示品は、素朴な幾何学文や獣文をもつ金杯の断片が3件。紀元前2100~2000年というから、気が遠くなるくらい古い。あまりに古すぎて、歴史の一部としてうまくイメージできない。一方、1964年に調査が開始された「アイ・ハヌム」は前3~2世紀頃の遺跡で、小さな金塊もあったが、ギリシア文明の影響を感じさせるコリントス式柱頭やヘラクレスらしき青銅像など、親しみやすい。ギリシア文字の銘のある石碑の台座や日時計もあった。銀盤に鍍金を施した『キュベーレ女神円盤』は、ギリシアの女神ニケや西アジアふうの神官たち、アナトリア(現トルコ)起源の地母神キュベーレなど、各種の文明が混淆した図様に注意が促されていたが、日本の宗教文化財を見ていても、だいたい文明って混淆するものだと思う。

 2階に進むと、1969年から断続的に発掘されてきた遺跡「ティリヤ・テペ」の紹介。これが本展の中心だろう。前2000年紀の中葉には拝火教神殿が建てられ、この神殿が大火で廃墟と化してから、400~500年後の前1世紀半ば、遊牧民の王たちがやってきて墓をつくった。1~6号墓のうち、4号墓の被葬者は男性、他は女性と見られており、いずれも大量の美麗な黄金で彩られている。女性には髪飾り・首飾り・耳飾り・指輪、男性には腰帯・短剣など。服に縫い付けたと思われる大量の小さな飾板も見られる。埋葬のための副葬品というより、生前からこれら黄金の装飾品を身にまとっていたのだろう。真珠や琥珀、ガーネットなどを嵌め込んだ細工は精巧である。トルコ石を用いたものは特に多く、黄金と明るい緑の対比が美しい。現代の宝飾デザイナーの作品と並べても全く遜色なさそうだ。

 興味深かったのは、6号墓で発見された、繊細な薄板で装飾された王冠と、藤ノ木古墳出土の黄金製冠が比較されていたこと(橿原考古学研究所附属博物館所蔵の復元品の写真と比較)。確かによく似ていて、ユーラシア大陸の西から東の果てまで駆けめぐった遊牧民族の文明が、海を越えて、日本まで渡って来たことを思わせる。この6号墓には「中国・前漢時代の鏡」が収められていたという解説も気になった(展示品はなし)。

 あと4号墓出土のものすごく小さい『インド・メダイヨン』(前1世紀第4四半期)の片面には、体の前で法輪を転がす人物像が彫刻されていて、最古の釈迦像ではないか、という注釈があった。ミュージアムショップにこれを拡大したコイン型チョコレートが売られていて苦笑しながら買ってしまった(※と思ったら、プレスタオルだったというオチあり)

 次に1936-46年に発掘された「ぺグラム」はクシャーン朝時代(1世紀)の王城の遺跡。大きな乳房とくびれた腰を持つ女性像などインド風の遺品が目立つ。その一方、色ガラスの魚形フラスコや彩絵ガラス、アラバスター(石材)の皿、ギリシア風の石膏のメダイヨンや青銅像などもあった。また原品はなかったが、中国・漢代の漆器が発見されているという解説が目に留まった。私の大好きな漢の武帝が張騫を西方に派遣してから、あまり時を隔てない時期の東西交流の物証である。

 再び1階に下りると、最後に日本が保管してきた「アフガニスタン流出文化財」の一部が展示されていた。このことについては、東京芸術大学大学美術館・陳列館の展示(無料)を併せて見ていただくことをおすすめしたい。会場冒頭のパネルに説明が掲げられているとおり、この展覧会は、「ティリヤ・テペの遺宝」を含むアフガニスタン国立博物館のコレクションが、2004年に大統領府で再発見されたことを記念する国際巡回展である。1979年のソ連の軍事介入から続く内戦と混乱の中で、博物館の職員たちは、とりわけ貴重な文化財を運び出し、大統領府地下の金庫に封印した。2004年、アフガニスタン・イスラム共和国が成立すると、金庫がひらかれ、文化財の無事が確認されたという。映画のようにドラマチックだ。

 アフガニスタンの政情・社会状況については、まだいろいろ問題があるように聞いているが、人類共通の宝である文化財が、ひとまず保護されたことはよかったと思う。博物館職員って、こういう緊急事態に冷静沈着に行動し、しかも秘密を守れる資質がないといけないんだな。再開を期してアフガニスタン国立博物館の入口に掲げられたという言葉「自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる」には胸を打たれた。逆にいえば、文化を失ったら、国のかたちなんて何もないと同様なのだ。

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