見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

怪獣と超人の記憶/特集・特撮と東京 1960年代(雑誌・東京人)

2016-07-31 21:20:02 | 読んだもの(書籍)
○『東京人』2016年8月号「特集・特撮と東京 1960年代」 都市出版 2016.8

 この週末に公開された新作ゴジラ映画『シン・ゴジラ』の話題がSNSで盛り上がっている。今月号は、たぶんそれに合わせた特集なのだろうが、私はむしろパラパラとページをめくって、1960年代の特撮ドラマの写真やデータの豊富さに惹かれて、買ってしまった。冒頭で、1963年生まれの竹内正浩さんが「1960年代は怪獣が跋扈した時代だった」と振り返り、「怪獣や特撮ヒーローのとりこになった子どもたちは数知れず、彼らに心をわしづかみにされたまま大人になった人も少なくない」と書いているのは、まさに私もそのひとり、1960年代の子どもである。

 竹内さんは、テレビに怪獣が登場する前は、年に一、二度の映画の封切でしか怪獣に会えなかったと書いているけど、私にはこの記憶はない。我が家は(怪獣に限らず)映画を見に行く習慣があまりなかった。ただ、気がついたら、テレビを通じて、毎週、新しい怪獣に出会う生活になっていた。1970年代になっても、夏休みに「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の再放送があると、繰り返し見ていたなあ。

 本書は、雑誌『東京人』らしく、特撮の舞台となった東京の街を考える。撮影には、ロケとミニチュアが合成で使われた。東京タワーや後楽園遊園地など、実在のランドマークをそのまま取り入れたものもあれば、川崎市の長沢浄水場本館(山田守設計)のように、モダンな外観を活かして、架空の「科学センター」として撮影されたものもある。ジャミラを悼む場面は代々木体育館なのか、なるほど。

 竹内正浩さん作成の「ウルトラマン怪獣『出現』地図&図鑑」によると、怪獣の出現地はずいぶん山の手に偏っている。私は東京の下町育ちだが、隅田川の東は、夢の島に出現したスカイドンしかいない。一方、京浜地帯の海岸線の出現率がすごく高くて、横浜港にはゲスラ、葉山にはラゴン、城ケ島にはガマクジラ、熱海にはギャンゴ…。水辺の戦いが特撮的に「絵」になるからか、それとも異人(怪獣)は海の彼方から現れる、という民俗的な記憶に基づくのだろうか。

 「ぼくらは特撮で大きくなった。」と題した鼎談(泉麻人、矢部俊男、樋口真嗣)では、これまでの怪獣映画とともに新作『シン・ゴジラ』の裏話も少し語られている。昔は「百尺規制」といって、百尺(31メートル)までのビルしか建てられなかったので、身長50メートルのゴジラの首が、ビルより少し上に抜けて歩く姿が絵になった。80年代以降は、ゴジラの設定を100メートルにした。それでも新宿の高層ビル街では、ゴジラが「冷蔵庫売り場で迷子になった子どもみたいに見えちゃう」という発言に笑った。なるほど~。『シン・ゴジラ』では蒲田が舞台になるらしい。あと品川神社が出てくる(実際の撮影場所は市谷亀岡八幡宮)とか、相模原から鎌倉に入っていくシーンも、鎌倉在住の庵野秀明総監督の鎌倉愛があふれているそうで、これは見たい。

 ほかに初代「ウルトラマン」のスーツアクターだった古谷敏さん、ハヤタ隊員役の黒部進さんらのインタビューも。切通理作さんのエッセイによれば、「帰ってきたウルトラマン」総監督の真船禎は、怪獣が暴れてウルトラマンが来てやっつけるだけ、という認識で参加したのだが、円谷一(英二の長男)から「怪獣をやっつけて万々歳というドラマをつくるつもりはない」と言われたそうだ。私は「帰ってきたウルトラマン」が好きだったので、この話は嬉しい。同シリーズに参加した脚本家・上原正三氏のインタビューもあり、差別や集団心理の怖さ、沖縄人のヤマトに対する恨みなどを描いた回もあったそうだ。

 それから、大槻ケンジ氏が語る「愛の戦士 レインボーマン」の記憶。肝心のドラマはほとんど覚えていなくても、「死ね死ね団の歌」「行けレインボーマン(インドの山奥で、修行して…)」は昭和の子どもの耳に焼きついているのである。
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大妖怪展とともに/ゆるかわ妖怪絵(安村敏信)

2016-07-29 00:26:54 | 読んだもの(書籍)
○安村敏信『ゆるかわ妖怪絵』(ART BOX) 講談社 2016.6

 まだレポートを書いていないのだが、江戸東京博物館の『大妖怪展』(2016年7月5日~8月28日)を見て来た。めちゃくちゃ楽しかった!!! 行く前にチラシやホームページを見たときは、ほう『百鬼夜行絵巻』真珠庵本が出るのか(8/2-28)、国宝・辟邪絵の『神虫』ね(7/5-31)など、いわば定評のある妖怪資料に関心が向いていた。ところが、行ってみたら、見たことも聞いたこともない、面白い資料が続出で、すっかり心を奪われてしまった。いやー展示企画者(学芸員?)の方は、よくこんな面白い資料を見つけたなあ。そして、見つけるだけでなくて、これは絶対みんなが面白がる、と確信をもって「展示」するところがすごい。

 いちばん気に入ったのは『姫国山海録』という18世紀の写本(東北大学附属図書館)。諸国に出没した幻獣や妖虫25種の姿を淡彩で描きとめ、漢文でその特徴などが記録されている。信じられないほどゆるい。もちろん展覧会の図録も買ったんだけど、写真が小さくて文章が読みにくかったので、関連グッズ売り場で売っていた本書を買ってしまった。しかし、図録も本書も14種の図版しか載っていないので、クリアファイル(図版25種全部あり!)と一筆箋まで買ってしまいましたよ。

 本書は文庫本サイズを横に引き伸ばしたくらいの小型サイズなのだが、収録作品のチョイスが卓抜で、どのページを開いても、可笑しさがこみあげてくる。特に、浮世絵など大判の作品から「ここが可笑しい」という部分を切り取るセンスは抜群である。月岡芳年『源頼光土蜘蛛ヲ切ル図』の、シーツをたたむメイドさんみたいな土蜘蛛、アップにするとあざらしに似ている…。国芳『道外化もの百物がたり』も、画面の端のほうで固まっている化け物の変なポーズが可笑しい。

 私がいちばん好きなのは、本書の分類でいうと、『百妖図』(19世紀、大屋書房)などの「ふしぎ系」と、『姫国山海録』を含む「むし系」妖怪である。「むし系」には『針聞書(はりききがき)』(16世紀、九州国立博物館)も含まれる。この資料は、以前から九博が「推し」なのは知っていたけど、いまいち面白さが伝わっていなかった。九博の売り方は、かわいくデフォルメしすぎだと思う。その点、本書は「推し」すぎないで、けっこう冷淡なのが、かえってじわじわくるのである。

 「ゆるかわ」を通り過ぎて完全に「キモかわ」なのが、「いきもの系」妖怪を描いた『大石兵六物語絵巻』(18世紀、歴史民俗博物館)。「頬紅太郎」とか「てれめんちっぺい」とか「このつきとっこう」とか、水木しげるも描かなかった妖怪だ(たぶん)。

 しかし、何度でもいうが、天下の奇本『姫国山海録』をよく発掘したなあと思ったら、著者の安村敏信先生は東北大学のご出身なのである。もしかしたら、学生時代から、この資料の存在を御存知だったのだろうか。そして、やっぱり狩野文庫(狩野亨吉旧蔵書)なのね。
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神とともに生きる人々/となりのイスラム(内藤正典)

2016-07-28 23:12:56 | 読んだもの(書籍)
○内藤正典『となりのイスラム:世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』 ミシマ社 2016.7

 いまや世界の人口の四分の一がイスラム教徒で、近い将来、三人に一人がイスラム教徒になるのだそうだ。けれども、この数年、イスラム過激派によるテロのニュースに頻繁に接することで、イスラムは怖い、かかわりたくない、と考える人が急速に増えているらしい。「らしい」というのは、私自身にあまりその自覚がないからだ。昨年から、外国人の多いつくば市に住むようになって、スカーフをつけた女性をよく見るようになったが、特に悪い印象はない。ほかに私が知っているイスラム教徒といえば、マレーシアや中国の西域など、アジア旅行で出会った人々ばかりだが、楽しく懐かしい思い出しかないのだ。

 しかし実際に「イスラムは怖い」「かかわりたくない」と考える日本人は増えているのだろう。著者は、イスラム地域研究の経験をもとに、イスラムの社会とイスラム教徒の人間像について語り、私たちが「となりのイスラム教徒」と仲良くしていく方法を探っている。

 イスラムの価値観について、いいなと思ったのは、彼らが「線を引かない」人々であり、分け合うこと、弱者を助けることを当然と考えている、という説明。映画『アラビアのロレンス』には、ロレンスと旅の案内人の男がある井戸で水を飲んだあと、井戸の持ち主の部族長がやってきて、案内人を撃ち殺す描写があるという。しかし「俺の所有物である貴重な水を飲んだヤツは殺してもいい」というのは西洋人の誤解であり、本来のイスラム教徒は「貴重な水だからこそ、分け合わないと、みんなが生きていけない」と考えるという。

 また、人は「善行」を積むことで天国に近づくことができるという考え方もある。もし困っている人に出会ったら、神から善行を積むチャンスを与えてもらったと考える。逆に施しを受けた物乞いも、相手を天国に近づけてやったくらいに思っているから「ありがとう」なんて言わない。何だか、お互いサッパリしていていいなあ。私はこういう考え方が好きだ。著者によれば、和辻哲郎が『風土』に描いた、砂漠と岩山の厳しい環境がイスラムを生んだという説も誤解だという。イスラムは砂漠の宗教でも遊牧民の宗教でもなく、「都市で生まれた商売人の宗教」なのだという。この一点を学んだだけでも、本書を読んだ価値はあると思った。

 著者は非常に注意深く、日本人が理解しにくい(であろう)イスラム教徒の本質について解説している。近代以降の西欧社会は、神から離れることで人間は自由を得ると考えて来た。しかし、イスラムは神とともにあることで自由を得ると考える。神の領分を犯してはならない。起きたことは「定め」として受け入れる。…でも、こうした考え方は、そんなに奇妙だろうか。私は、仏教もキリスト教も、だいたい同じような生き方を示してきたと思うのだが。

 ちなみに2015年のパリで起きた「シャルリー・エブド」襲撃事件について、イスラムの偉い学者を諷刺しようと、アラブの王様を攻撃しようとイスラム教徒は怒らない、しかし予言者ムハマンドを侮辱されることは、イスラム教徒にとって、自分の父母を侮辱されることを同じなのだ、という説明には、とても納得が行った。フランス人は、千四百年以上も前の歴史上の人物をからかって何が悪い、と思ったのだろうけど、そこは残念ながら、世俗に生きる人々と信仰に生きる人々の考え方の違いなんだなあ。

 ではなぜ、「ほんとはやさしいイスラム教徒」から「イスラム国」のような凶悪なテロ組織が出てきたか。それを考えるには、面倒だけど、少なくとも百年にわたる中東の歴史をきちんと知らなくてはならない。そうか、今年2016年は、1916年のサイクス=ピコ協定(オスマン帝国領の分割を約した秘密協定)から、ちょうど百年目に当たるのか。この百年、中東のイスラム教徒たちは、安全・安心な生活から遠ざけられ、次第に過激な組織に期待するようになっている。そして、難民が殺到したヨーロッパでは、リベラルな人たちが「イスラム教徒とつきあわない自由」を主張する傾向が表れ始めているという。困った。世界はどこに行くんだろう。

 なお本書の冒頭には「(シリア内戦を止めて)世界を救える国はどこか?」という設問があって、著者は「可能性はトルコ」と答えている。「周囲の国とくらべると民主化も進んでいる」「エルドアン大統領の政権については言論弾圧や汚職など、いろいろ問題がありますが、それを差し引いても、イスラムの両派に物申すことができる国、仲介に入ることができる国はトルコしか残っていないのです」とあるが、まさに7月15日のクーデター失敗とその後の混乱のニュースを聞きながら、この箇所を読んでいた。特に前半部分(民主化も進んでいる云々)、今も著者は同じように書くだろうか、と考えてしまった。
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おかずか、つまみか/餃子バンザイ!(今柊二)

2016-07-26 20:36:25 | 読んだもの(書籍)
○今柊二『餃子バンザイ!』 本の雑誌社 2016.6

 もとから餃子は好きだったが、最近、特に餃子好きが高じている。本書は、たまたま神田の大きな本屋さんで見かけて、しばらく立ち読みして、いやこんなもの買ってどうするんだ、と棚に戻したのだが、1週間後に同じ本屋でやっぱり買ってしまった。著者の今柊二さんは、定食評論家を称して、このほかにも定食や立ちそばの本を書いているエッセイスト。本書には、著者の生活圏である東京・首都圏のお店を中心に、北海道から京都・大阪、ソウルの2店を含めて、60店あまりが紹介されている。

 口絵に少しカラー写真があるが、本文の写真は白黒。たぶん著者本人が撮っているらしく、微笑ましくも素人っぽい。お店の方に来歴やこだわりを聞くような食ルポではないので、とりあえず目のついたお店に入り、餃子単品か定食か、またはラーメンに餃子など、その日の気分で注文し、ばくばく食べる。スープが美味かったり、つけだれに工夫があったり、皮はパリッと薄めだったりもちもちだったり、そのくらいのバリエーションはあるが、基本、どのお店に行っても特に変わったことは起きない。いいのだ、美味い餃子の幸せって、たぶんそういうものなのだ。

 著者の育った家では、餃子は単体で食べるもので、ご飯のおかずにしなかったという。へええ中国人みたいだ。そのため、餃子をおかずにご飯が食べられるようになったのは40代になってからだそうだ。私は逆に餃子をおかずとして食べて育ったので、最近ようやくご飯抜きで、餃子をつまみにビールを飲むことを覚えた。食習慣というのは面白い。

 あと我が家では、餃子は母がおかずとして買ってくるものだったので、「外のお店に餃子を食べに行く」という行動には、なんとなくためらいがある。今の生活でも、いちばん気に入っているのは、近所のデパートの食品売り場に常備されている「大阪王将」の箱入り冷凍餃子で、自分で調理して食べている。本書の学芸大学・大阪王将店のルポを読みながら、そうそう薄めの皮が美味しいよね、と共感していた。しかし本書を読んでいると、世の中には美味しい餃子を食べさせてくれるお店がたくさんあるんだなあ。いろいろ行ってみたくなった。
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中国のアンダーグラウンド/「暗黒・中国」からの脱出(顔伯鈞、安田峰俊)

2016-07-25 21:03:33 | 読んだもの(書籍)
○顔伯鈞;安田峰俊編訳『「暗黒・中国」からの脱出:逃亡・逮捕・拷問・脱獄』(文春新書) 文藝春秋 2016.6

 中国の民主化運動にかかわったある男性の逃亡手記。ルポライターの安田峰俊氏は、バンコクで取材した亡命中国人から「俺の友達」を紹介される。これが顔伯鈞氏。当局の追及を避けて、2年間にわたり中国各地で逃亡・潜伏を続け、9日前にバンコクにたどりついたところだった。顔氏は発表のあてもないまま、30万字に及ぶ手記を書き溜めていた。この手記の一部を日本の読者向けに編訳したものが本書である。

 顔氏は、もともと中国共産党の中央党校で学んだ体制内エリートの卵だったが、行政の現場に失望し、大学教員に転出。人権活動家の許志永が主催する「公盟」に加わり、新公民運動(弱者救済をめざす穏健な社会化改革運動)に参加してきた。しかし、2013年3月に発足した習近平政権は、公盟に対する弾圧を開始し、主力メンバーは次々に拘束されていく。2013年4月、顔氏は妻と息子を北京に残し、しばらく身を潜めることを決意する。バスで天津に到着した後、自宅の妻に連絡すると、以前から顔氏を監視していた楊という国保局(国内安全保衛局)の役人が十数人で乗り込んできたことを知らされる。

 盗聴されている恐れのある携帯電話を捨て、ネットカフェやサウナを利用し、公盟の支援者をたよりながら、長い逃亡生活が始まる。天津から済南、太原、邯鄲、覇州。済南では郊外の村で回族(ムスリム)の馬おじにかくまわれ、太原ではインテリアデザイナーの蕭ちゃんのもとに身を寄せて仕事を手伝う。6月に一度、北京に戻るが、国保局に監視されている自宅に近づくことはできなかった。再び北京を離れ、ひたすら南下。鄭州、武漢を経て、湖南省ミャオ族自治州の吉首では蟲術の儀式に遭遇する。峻険な山岳地帯をバスで抜けて雲南省へ。曲靖では、期待していた支援者がただのオポチュニストで(リアルだなあ)失望を味わい、シーサンパンナ・タイ族自治州の景洪へ向かうことにする。ここまでの地名には、けっこう私が行ったことのある都市も多くて、ちょっと旅情を感じながら読んだ。

 シーサンパンナはラオス、ミャンマーと国境を接する中国南部の辺境である。顔氏は、ミャンマー領内にシャン州第四特区という紅衛兵の残党の地方政権(!)があり、景洪で志願兵のリクルートを手伝っている人物の連絡先を控えていたことを思い出す。連絡してみると(初対面にもかかわらず)事情を察して、力を貸してくれることになった。武侠ドラマなら大侠客、江湖の好漢というところだろう。顔氏は、彼の紹介で国境を越え、軍閥の老将軍に引き合わせてもらったりする。しかし、ミャンマー東北部に、こんな不思議な地域があるとは、初めて知った。

 2013年7月、顔氏は景洪から昆明を経て深圳(セン)へ。夜間に小さな漁船で香港に潜入するが、期待した支援は得られず、広州へ逃れる。10月、昆明、大理を経てチベット自治区に向かう。崖っぷちの隘路をバスで進み、最後は徒歩。しかし、インド入国はあきらめ、2014年1月末、チベット族とともに冬山を下り、雲南省に戻った。北京に戻り、息子と再会したところを、ついに逮捕される。拷問すれすれの尋問の末、拘置所に拘留され、囚人に対する非人間的な扱いと、囚人との人間的な交流を体験する。このとき、日本でもよく知られた人権派の弁護士・浦志強氏が隣りの房にいたらしく、時折、看守が名前を呼ぶ声を耳にしたという。

 2014年7月、釈放。しかし、香港の雨傘運動への支持を理由に仲間が拘束されると、危険を感じた顔氏は、昆明から飛行機でタイに出国を試みる。空港で逮捕。故郷の長沙に護送されてホテルに軟禁される。見張りの隙をついて窓から脱出し、昔の同級生のもとに転がり込み、岳陽、武漢、太原を経て北京に戻る。しかし妻子に会うことはかなわず、再びタイ亡命の意思を固める。いわく「すべては黄粱一炊の夢」か。中国には、どんな時代にもぴったりの故事成語があるものだ。

 2015年1月、雲南省の景洪から陸路で、仲間たちとともにミャンマーへ密入国。ラオスを経て、メコン河を渡り、タイに入国する。どこかで命を落としていてもおかしくないような、危機の連続。中国の民主化がどうとか、体制の民衆弾圧がこうとか言う前に、ハードボイルド・スパイ小説を読むような面白さがある。

 本書の編著者は顔伯鈞の物語を「『水滸伝』や『三国史演義』を想起させるほどの」と形容している。確かに、習近平の絶大な権力は専制帝国の皇帝のようだし、組織化された官吏の獰猛で苛烈なことも、過去のいくつかの王朝を思わせる。一方で、顔伯鈞氏のタフネスと、それを助ける「江湖」の互助組織がきちんと存在していることも、中国だなあと思う。それから、経験した苦難を「記録」しておこうという執念も。というわけで、民主化は進めるべきとして、これだけ酷い話を読んでも、やっぱり私は中国嫌いにはならない。
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神道的国民意識への回帰/日本会議 戦前回帰への情念(山崎雅弘)

2016-07-25 00:22:48 | 読んだもの(書籍)
○山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書) 集英社 2016.7

 菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書)が出たあと、テレビや新聞でも日本会議への言及が増えたような気がする。そして、(売れると分かったとたん?)同じテーマの出版が相次ぐのはなんだかなあ、と思いながら、もう一冊くらい読んでみることにした。著者の山崎雅弘さんは戦史・紛争史研究家で、著作を読むのは初めてだが、ときどきSNS上で発言を拝聴している。

 よく知られているとおり、安倍政権の閣僚の多くは「日本会議国会議員懇談会」のメンバーである。もうひとつ「神道政治連盟国会議員懇談会」(会長は安倍首相)のメンバーも多く、両者は重なりあっている。両団体は「仲の良い兄弟」のようなものである、と著者は説く。確かに両団体がホームページに公開している目標はよく似ている。

 そこで、慰安婦問題、南京大虐殺問題、憲法改正などについて、安倍政権と日本会議の主張・価値観・その目指すものがきわめて類似していることを確認し、日本会議の人脈と組織の系譜を検証する。著者が重視するのは「神道・宗教勢力」である。日本会議の淵源のひとつ「日本を守る会」は1974年成立。著者によれば、当時の日本社会には共産主義に共鳴する市民が少なからず存在し、宗教家や保守的な政治家は懸念を強めていた。臨済宗円覚寺派管長が伊勢神宮で「世界に目を向ける前に、まず自分たちの足元を見直せ」という神託を受けたことが、同会設立のきっかけとなる。僧侶なのに伊勢神宮で神託を受けるって、日本の伝統に忠実だなあ、とへんなところに感心した。

 なお、創価学会は公明党を通じて国政への影響力を有し、「国立戒壇(仏教の国教化!)」を目指していたため、当時、他の宗教団体からは(共産党と同じくらいの)「脅威」とみなされており、「日本を守る会」には参加しなかった、というのも興味深い。宗教に動かされる政治って、過去のものではないんだなあ。

 宗教勢力の中でも、特に著者が注目するのは「神社本庁」である(菅野氏の著書が重視した「生長の家」の人脈は、それほど掘り下げられていない)。いや、実は私、神社本庁が単なる民間の宗教法人のひとつだということを認識できていなかった。よく考えれば、当たり前なのだけど。伊勢神宮を頂点とし、全国の神社が神社本庁の下に入るかどうかは、その神社の判断に任されたが、ほとんどの神社が加入した。神社本庁は、GHQによって変質させられた「神道的国民意識」を取り戻すべく、さまざまな活動を展開していく。それは安倍政権が目指すものとほぼ一致すると言ってよい。天皇中心の国体、愛国的歴史教育、家長中心の家族主義、など。

 そして、戦後日本の悪いところは全部「日本国憲法のせい」と考えて、敵意と憎悪を隠さない。最後に自民党の憲法改正草案(2012年4月)が示され、短い紙数ではあるが、さまざまな問題点が指摘されている。しかし、もっと驚いたのは、2013年4月に産経新聞が紙面に発表した「国民の憲法」と題した改正案。自民党案が霞んでしまうくらい酷い。でも、これ覚えていないなあ…まだ改憲に現実味がなかったからだろうか。彼らが取り戻そうとしている「神道的国民意識」なんて、せいぜい幕末このかた百年も持たなかった流行に過ぎないので、もっと大きい歴史の流れに任せて、変わるものは変わるままにしておけばいいと思うんだけどね、私は。
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人生相談と未来予測/内田樹の生存戦略(内田樹)

2016-07-24 20:02:27 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『内田樹の生存戦略』 自由国民社 2016.6

 男性向けの月刊誌『GQ』に連載されていた人生相談。『GQ』といえば、一流企業で颯爽と働く金持ち男性が読む雑誌のイメージで、著者の読者層と合わないなあ、とはじめに思った。本書には、2012年5月から2016年5月までの相談が雑誌掲載順に収録されている。長いものもあれば、短いものもある。「はじめに」で著者が「僕の人生相談の回答はわりと『冷淡』です」と述べているが、読んでみたらそのとおりだった。「どうぞそのままで」とか「自分で納得されていれば、それでよろしいのではないですか」とか「悩んでも時間の無駄です」とか、これ大丈夫なのか?と慌てるくらい冷淡な回答もあって、だんだん笑えてきた。

 教育や政治についての回答は、だいたい著者がこれまでの著作で述べてきたのと同じことが書いてあった。「あとがき」に、途中から政治的な質問が増えてきて、いささか単調になってしまった、とあるが、確かにそんな感じがする。前半(古い時期)のほうが、思わぬトピックについて、内田先生の考えを聞けて面白い。

 古い回答に含まれる未来予測は、当たっているものもあり、当たっていないものもある。2012年9月には、憲法9条が日本人の海外ボランティアの安全を担保していると述べ、日本が憲法を改正して紛争に軍事介入できるようになれば、「日本人ボランティアや観光客が、思いがけないところでテロの標的になるということはかなり高い確率で起きるでしょう」と述べている。これは当たってしまったとみなすべきか。

 2014年1月の「護憲の最終ラインはアメリカ政府と天皇陛下」という発言には、まさに直近のニュースを思い合せて、ちょっと唸った。もし国民投票になったら、最後に日本国民は「で、陛下のご意向は?」ということを必ず気にかける。そのとき「陛下は改憲を望んでおられない」ということがリークされたら、国民投票の趨勢に大きな影響を及ぼす。うーん、でも後半は楽観的にすぎるような気がする。

 2014年10月の、集団自衛権が使えるようになりました、といっても、これはアメリカの許諾がないと使えないものなので、何もしないで終わる可能性があります、という予測はどうか当たってほしい。でも、2014年11月の沖縄知事選挙と2015年4月の統一地方選で、有権者が現政権への批判票を投ずれば、自民党がボロ負けして、責任を押し付けられた安倍さんが辞めさせられる可能性がある、というのは、全然当たらなかったなあ…。

 個人的に印象に残った解答のひとつは「どうやったら人生に名を残せますか?」という相談に対しての「名前を残したかっら贈与ですよ」という答え。たとえば自分の名前を冠にした奨学金制度。1,000万円あれば、ひとり100万円で10年続けられる。もっとお金があれば、体育館とか美術館とか橋でもいい。なるほど。子供のいない私としては(老後の生活にいくらかかるか分からないが、もし余裕があるなら)これは覚えておこうと思った。
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東アジアの希望/日本×香港×台湾 若者はあきらめない(SEALDs)

2016-07-23 08:03:43 | 読んだもの(書籍)
○SEALDs編;磯部涼構成『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』 太田出版 2016.7

 7月10日の参議院選挙の前、選挙や政治関連の書籍を集中的に読んでレビューを書いていた中で、最後に(選挙直前に)読んで、非常に面白かった本。SEALDsメンバー(奥田愛基、牛田悦正、溝井萌子)と台湾および香港で学生として政治運動に携わった若者の対話5篇を収める。2015年12月から2016年3月にかけておこなわれたもの。

 冒頭で牛田くんが、「自分が『東アジア』という地域に住んでいることを想像したことがあるだろうか。僕はあまりなかった」と率直な告白をしている。だいたい今の標準的な日本人の感覚はこんなものだと思う。私は「東アジア」という地域に強い愛着があるので、台湾のひまわり学生運動(2014年3月18日~4月10日)にも、香港の雨傘運動(2014年9月26日~12月15日)にも関心を払ってきた。特に前者は、ちょうど台湾滞在中だった教育学者の佐藤学先生が、Twitterで刻々と現地の様子を伝えていたのが印象的だった。逆に、日本のテレビがほとんど何も伝えていないことに絶望していた。

 香港の雨傘運動については、座り込みの始まった当初の印象はあまりないが、だんだんTwitterなどで情報が伝わってくるようになり、ついに解散(強制排除)に至ったときは感慨深かった。当時の私は、どうして日本では、こういう若者の政治運動が起きないんだろう、と少し苛立っていたのだが、SEALDsの前身のSASPLが初めてサウンドデモをしたのが2014年2月1日だというから、私が気づいていなかっただけかもしれない。

 対話1は、香港の雨傘運動の中心となった学生組織「学民思潮」のスポークスマンをつとめた周庭(アグネス・チョウ)さん、対話2~4は「学民思潮」招集人だった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)くんがゲスト。香港の抱える政治的課題について、日本の有識者の解説ではなく、香港人の話が聞ける機会は少ないので、非常に興味深かった。多くの日本人は、親中国か反中国かで問題を単純化しがちだが、そういうものではないということも分かった。中国人でもイギリス人でもない「香港人」というアイデンティティが、返還から20年経って、生まれつつあるのだ。雨傘運動の学生たちは1997年の香港返還以降に生まれたので、香港の前途を決めなければいけない世代だという自覚がある。黄くんが日本のアニメ『デジモン』を引用して、自分たちを「時代に選ばれし子どもたち」と呼んでいるのが面白かった。

 対話5は、台湾のひまわり学生運動のリーダーの一人だった陳為廷くんがゲスト。彼の考える「台湾ナショナリズム」とは、「その土地に住んでいる人たちが、自分の土地やその土地の将来について、責任をもって考える」社会をつくることである。だから、中国の介入には反対するけれど、むやみに中国人を排斥し、差別すること(台湾にはそういう勢力もいるのだ)には否定的である。非常に理性的で、気持ちがいい。また、立法院侵入の経路など、臨場感のある裏話もあって面白かった。

 香港の学生も台湾の学生も、最終的にはかっちりした組織をつくった。SEALDsの、指導者のいないふわふわした組織も魅力ではあるけれど、香港の黄くんに「組織化は重要です!」と諭されて、奥田くんと牛田くんが「勉強になるね」と神妙に反応しているのが面白い。そして、香港も台湾も学生運動をベースに新しい政党が生まれているので、SEALDsが解散することをとても惜しんでいる様子だった。

 また、どの国の学生運動も共通して、反民主勢力との闘争以上に(?)共闘勢力の大人たちとの感覚や認識の違いに苦労しているらしい。香港の学民思潮がカンパで100万香港ドル(1千450万円以上)を集めたとき「草の根運動じゃない」と言われたとか、台湾の時代力量(ひまわり学生運動から生まれた政党)が旧来の左翼から「お前らは左派じゃない」と批判されたとかの話に、SEALDsメンバーは「超共感」していた。

 非常に面白かったのは、香港・台湾の学生たちが共通して聞きたがった「日本人は共産党が嫌いなんですか?」という質問。香港の周さんが「日本人は共産主義というものをちゃんと知っているんですか?」とも聞いていたけど、中国共産党と実際に対峙している彼らのほうがずっと冷静で理性的である。関連して、奥田くんが志位さん(日本共産党委員長)に冗談で「名前を民主党にしましょう」と言って「そりゃ無理だよ」と返されたという話には笑ってしまった。

 若者らしい軽い口調で、冗談もはさみながら、それぞれの国(社会)を思う対話の内容は真剣である。個人的には、日本国内でSEALDsへの関心が高まったおかげで、本書のような出版が企画され、香港や台湾で新しい政治運動を牽引する若者の声を聞くことができたことが、何より嬉しかった。
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2016年7月@京都、名古屋(若冲生誕300年と家康没後400年など)

2016-07-20 22:00:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
三連休関西旅行で行ったもの拾遺。

京都国立博物館 常設展(名品ギャラリー)

 初日の京博。特別展をやっていない期間だと、人の数が少なくて幸せ。3階の「古窯の美」で、信楽や丹波の壺をじっくり眺める。2階「絵巻」の『伊勢物語絵巻』『西行物語絵巻』はどちらも江戸時代・17世紀の作。『伊勢』は煙立つ浅間山、雪をかぶった富士山の表現が面白い。海や川が濃紺で描かれており、白い波との対比が美しい。『西行』にも神々しい富士山の姿。『源氏物語歌合絵巻』は室町時代・15世紀の作で、幅の狭い小さめの料紙に白描だった。中世絵画「描かれた動物たち」は、さすが渋い。単庵智伝『龍虎図屏風』の虎は、入れ歯のおじいちゃんみたいに顎が細い。龍は腕白坊主の顔をしているが、尻尾の先が蛸の足みたい。中国絵画には久しぶりの(かな?)王雲筆『楼閣山水図屏風』。台の上に載っていることもあって、屏風の下半分が目の高さになる。まあ細部がよく見えていいけれど。

 1階の特集陳列・徳川家康没後四百年記念『徳川将軍家と京都の寺社-知恩院を中心に-』(2016年6月14日~7月18日)も鑑賞。家康は京都の寺社を保護したというけれど「家康の京都」って、あまり意識したことがない。展示ケースの端々に、ピンク色の葵の造花がさりげなく飾られていた。最後に、京博のゆるキャラ・トラりんにも会えた。金・土・日・祝日は1日5回登場って、がんばってるなあ。

泉屋博古館 生誕140年記念『上島鳳山と近代大阪の画家』(2016年5月28日~7月24日)

 2日目の午後に訪問。同館としては、ちょっと珍しい企画なので気になっていた。上島鳳山って、私は全く知らない名前である。ホームページの解説によると、上島鳳山(うえしまほうざん、1875-1920)は「独特の濃厚な雰囲気を漂わせた人物像を多く描き」「大規模な公募展にはあまり関わらず、住友家主催の園遊会などで席上揮毫を行ったり、後援者の求めに応じて描いていました」とのこと。「こうした後援者との密接な関係は、鳳山だけでなく大阪の他の画家たちにも見られます。彼らは作品が公になりにくく、経歴も辿れない事が多いため、今ではあまり知られていないのが現状です」というのが、ある時代・ある地域のの「画家」の姿をうかがわせて興味深い。鳳山の代表作『十二月美人図』(泉屋博古館分館所蔵)を公開(前後期6幅ずつ)ということもあって、「大阪の美人画は濃い!」というキャッチフレーズが用いられているが、私は『虎渓三笑之図』『雲中寿老図』など、あやしいおじさんを描いた「非美人画」のほうが印象に残った。ほかにも初めて知る画家がいろいろあって、長崎系の写生画を描いた山田秋坪(1876-1960)が印象に残った。大正年間には古くさい花鳥画だと思われただろうが、今見ると、一周まわって新しく感じる。

細見美術館 生誕300年記念『伊藤若冲-京に生きた画家-』(2016年6月25日~9月4日)

 到着は15時過ぎくらいだったと思うが、周囲の歩道に長い列が見える。げ!「最後尾」の看板を持ったお姉さんに聞いたら「(待ち時間は)30分ほどです」とのこと。細見美術館、こういっては悪いけど、そんなに見逃せない名品が出ているわけではないのに、宣伝の力か。中に入ると、狭い室内は人でいっぱい。第1室は「若冲の鶏 さまざま」がテーマだが、『鶏図押絵貼屏風』はあまりいい作品だと思わない。さまざまなモチーフを貼り交ぜた『花鳥図押絵貼屏風』は好き。ひょうきんな叭々鳥、とびかかるようなカワセミ、リーゼントみたいな頭のオシドリ、ニワトリもいい。最後の梅もいい。

 『踏歌図』『萬歳図』など、若冲にはめずらしい人物画が見られたのはよかった。若冲の弟子、もしくは若冲ふうの画家の作品もあり。若冲の名前の記載がある『京都錦小路青物市場記録』(京都大学文学部所蔵)や、若冲の名前が内側に刻まれた狂言面「僧」(壬生寺所蔵、寄贈者銘か)など「京に生きた画家」を実感させる展示品は貴重なものだった。展覧会限定菓子「綵菜」(PDFファイル)にはちょっと心が動いたけど、やめておいた。錦小路を歩いたら「若冲漬け」(京漬物・桝悟)なるものも売り出されていて、京都ではすっかり商売のネタにされている様子。

徳川美術館蓬左文庫 夏季特別展『信長・秀吉・家康-それぞれの天下取り-』(2016年7月14日~9月11日)

 2日目は名古屋に移動して1泊。最後に徳川美術館に寄った。第1展示室には『朱塗啄木糸威具足』(徳川義直着用)と『軍配団扇馬標』(関ヶ原合戦時使用)。周囲は「戦国名刀物語」と題した展示で、若い男女がキラキラした視線を注いでいた。私は、第2展示室の茶道具のほうに惹かれる。油滴天目(星建盞)はダンディな名品。家康が臨模した小倉色紙「こひすてふ」に和む。室礼、武家の式楽(能)を経て、第5展示室から「天下取り」の展示が始まる。まずは具足、辻ヶ花の小袖、徳川家康着用の浴衣など。たたんだ状態の母衣も面白かった。『茶屋交易図』(模本)はホイアンの日本町を描いた図だそうだが、8~9軒の長屋のような家が並ぶばかり。「日本橋」らしい姿は描かれていない。

 蓬左文庫の展示室に進むと、引き続き「天下取り」に関する各種資料が並ぶ。時代順に「信長」「秀吉」「家康」の三区画に分け、「信長」のエリアには、北条早雲の書状や武田信玄の書状も。『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)は残念ながら複製展示だった(8/2-8/31は原本展示)。「秀吉」のエリアでは、太閤秀吉が関白秀次に宛てた書状(個人蔵)を見た。まだ二人の仲が和やかだった時期のもので、正月祝いの礼を述べている。前日、大河ドラマ『真田丸』で秀次の自害シーンを見た直後だったので、感慨深かった。追書の追書に「たかのつめ一つ進(以下欠)」とあるのは、唐辛子のこと? 家康が北条氏政・氏直に上洛を促した書状とか、秀吉が水野忠重に宛てた真田昌幸征伐の督励状とか、けっこう『真田丸』を思い出させる資料が多い。加藤清正が朝鮮から持ち帰ったという、虎の頭蓋骨(歯を残し、全体が黒く塗られている)は珍品。そのあと「家康」のエリアには、田安徳川家伝来の『関ヶ原合戦絵巻』が出ていたが、真田父子の「犬伏の別れ」の場面を開けているのは、絶対、大河ドラマファンをねらっていると思う。

 ここで予定外に時間を食ってしまい、まだ徳川美術館の企画展示室がある、と思って急いだら、企画展示室(第7~9展示室)は閉室していた(耐震補強工事のため)。拍子抜け。今回の特別展のメインは蓬左文庫エリアなので、時間配分をお間違いないよう。
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〈複製〉動植綵絵30幅を堪能/伊藤若冲展(承天閣美術館)

2016-07-19 23:00:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
承天閣美術館 生誕300年記念『伊藤若冲展』(2016年7月1日~12月4日)

 関西旅行2日目は近江八幡のホテルで目覚めた。朝から祇園祭の山鉾巡行を観に行くつもりが、うっかり寝過ごしてしまったので、最初に美術館に行くことにする。承天閣美術館でも若冲展をやっているというのは、京都に来て初めて知った。観光案内所で入手したチラシに、地味に「相国寺観音懺法を荘厳する 動植綵絵30幅(コロタイプ印刷による複製品)を一堂に展示」という説明があって、え、どういうこと?と思って訪ねたら、そのまんまだった。第1展示室(2007年に釈迦三尊像+本物の動植綵絵30幅が展示された部屋)に入ると、あのときの展示が再現されていた。ただし室の中央に茶室「夕佳亭」の模型があるので、一目で全貌は見渡せない。

 コロタイプというのは美術品の複製に適した印刷技術である(※詳しくは、便利堂のホームページで)。若冲描くニワトリの複雑華麗な羽根の色と質感も見事に再現されていた。複製であることは、ほぼ意識にのぼらない。そして、東京都美術館の『若冲展』と違って、作品の正面に飽きるまでたたずんでいても誰にも怒られないから、「蓮池遊魚図」の蓮のピンク色がきれいだなあとか、「桃花小禽図」の白い鳩(?)の足の踏ん張り方が鶴亭に似ているとか、「雪中錦鶏図」の落款は「錦街若冲製」(錦小路のことか)であるなど、いろいろなことに気づく。「群魚図」を見ていたおじさんが「あれメバルや。あれはサヨリや」と迷いなく言い当てているのも面白かった。

 第2展示室では、鹿苑寺大書院旧障壁画がなんと全部(たぶん)見られる。常設の「葡萄小禽図床貼付」「月夜芭蕉図貼付」のほか、「竹図」「芭蕉叭々鳥図」「葡萄小禽図(襖絵)」「松鶴図」「菊鶏図」「秋海棠図」「双鶏図」。展示ケースの中ではあるけれど、襖を嵌め込む柱や欄間をしつらえて、部屋の一部らしく見せる展示方法が心憎い。ほかにも中国絵画の『鳳凰図』(明・林良筆)とそれを写した若冲の『鳳凰図』、力強い『玉熨斗図』、ちょっと鶴亭を思わせる『芭蕉小禽図』など。

 面白かったのは久保田米僊(1852-1906)の描いた『伊藤若冲像』。明治18年(1885)相国寺で若冲の八十五回忌法要と作品の展観が行われた際、古老の追憶話をもとに生前の若冲の風貌を推定して描かれたものと伝えられている。若草色の衣、ほぼ禿頭、鼻の下と顎に黒い髭あり。けっこう目付きが鋭い。まあ八十五回忌では、生前の若冲を記憶している人が本当にいたかどうかねえ。なお第1展示室に出ていた『参暇寮日記』(相国寺の寺務日記)によれば、釈迦三尊像+動植綵絵は相国寺の公的な法要だけでなく、若冲自身の年忌法要にも掛けられたようだ(文政7年、二十五回忌)。なんだか、うらやましい。

 明治になって窮乏した相国寺は、動植綵絵30幅を皇室に献上し、金1万円を下賜されることで、寺域を保ったというのは(若冲ファンには)有名な話だが、今回の展示に「宮内大臣子爵土方久元」と大書した封筒と、宮内庁の罫紙に記された文書が出ており、伊藤若冲筆「花鳥画幅」が「今般御用相成候」(偉そう!)「依テ寺門保存費トシテ金壱萬圓下賜候事」とある(明治22年3月15日 宮内省)。

 そのあとに30幅の目録があったので、参考までにメモしておいた。蘆雁図/雪中錦鶏図/鵞図/牡丹図/松白鸚鵡図/月梅図/群鶏図/松白鶏図/紫陽花鶏図/南天鶏図/芙蓉鶏図/棕櫚鶏図/大鶏雌雄図/梅花図/紅楓図/大菊図/薔薇図/雪柳鴛鴦図/鶴図/芍薬蝶図/蓮図/桃花図/禾雀図/諸魚図/諸虫図/貝甲図/群魚図/白鳳図/松孔雀図/鶏日車図。…現在の標準的な名称と若干異なるが、どの作品を差すかはだいたい推定できる。しかし「諸魚図」と「群魚図」はどっちがどっちか、分からないなあ。

 なお、今回の展示での30幅の掛け方は以下のとおり。東京都美樹館の『若冲展』と比較できるように『釈迦三尊像』の隣から遠ざかる方向へ記録してある。

右(上手)/左(下手)
1 老松孔雀図/老松白鳳図
2 芍薬群蝶図/牡丹小禽図
3 梅花皓月図/梅花小禽図
4 南天雄鶏図/向日葵群鶏図
5 蓮池遊魚図/秋塘群雀図
6 老松白鶏図/棕櫚雄鶏図
7 雪中鴛鴦図/雪中錦鶏図
8 紫陽花双鶏図/芙蓉双鶏図
9 老松鸚鵡図/梅花群鶴図
10 芦鵞図/芦雁図
11 薔薇小禽図/桃花小禽図
12 群鶏図/大鶏雌雄図
13 池辺群虫図/貝甲図
14 菊花流水図/紅葉小禽図
15 群魚図(蛸)/群魚図(鯛)

 部屋を一周しながら歩いていると気が付きにくいのだが、実は左右の対比に気をつかっていることが分かる。このコロタイプ複製展示、12月までやっているのかしら。春の東京都美術館の大行列&大混雑にうんざりした若冲ファンはぜひ行くべき。
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