見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ヴェルディ歌劇の愉悦/METライブ・ナブッコ

2024-02-27 22:48:43 | 行ったもの2(講演・公演)

METライブビューイング2023-24『ナブッコ』(新宿ピカデリー)

 先日、東劇にシネマ歌舞伎を見に行ったら、MET(ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)ライブビューイングのチラシが置かれていて、そういえば、オペラは(実演も映像も)久しく見ていないなあ、と思った。私の好きなヴェルディ作品、今シーズンは『ナブッコ』がエントリーされていた。写真を見ると演出もよさそうなので、思い切って、見て来た。

 作品のあらすじは大体知っていたけれど、全編通しで視聴するのは、たぶん初めてだったと思う。しかし全く問題はなくて、第1幕から(いや、序曲から)雄弁で美しい旋律をシャワーのような浴びせられ、幸福感に浸った。

 舞台は紀元前6世紀のエルサレム。神殿に集まったヘブライ人たちは、バビロニア国王ナブッコの来襲に怯えている。ヘブライ人たちに人質として囚われているのはナブッコの娘・フェネーナ。エルサレム王の甥・イズマエーレは彼女を庇う。やがてフェネーナの姉・アビガイッレが現れ、イズマエーレに「自分の愛を受け入れれば民衆を助けよう」と取引を提案するが、イズマエーレは拒絶。 エルサレムはナブッコ王のバビロニア軍に制圧される。気性の激しい姉と優しい妹。国の興亡を左右する恋のさやあて。古装ファンタジーの世界みたいだ~と嬉しくなってしまった。

 第2幕。王女アビガイッレは、自分が奴隷女の出自であること、父ナブッコが妹のフェネーナに王位を譲るつもりであることを知り、王位を奪う決意を固める。腹を立てたナブッコは「自分は神だ」と宣言したことで、神の怒りを招き、雷に撃たれる。

 第3幕。力も権威も失ったナブッコは、アビガイッレに命じられるまま、異教徒たちとともにフェネーナも死刑とする文書に押印してしまう。ナブッコの嘆きと後悔。追いつめられたヘブライ人たちが、絶望の底から絞り出し、湧き上がるように歌うのが「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」。いや、これは泣くわ。作品中ではヘブライ人の歌だけれど、今、世界中でふるさとを失った、あるいは失おうとしている全ての人々に届く歌声だと思う。

 第4幕。復活したナブッコは、エホバの神を讃え、ヘブライ人たちを釈放する。アビガイッレは服毒し自殺する。きれいな「勧善懲悪」のハッピーエンドで終わるのは、比較的若書きの作品であるためだろうか。ヴェルディ作品というと、もっと不条理で悲劇的な作劇の印象が強いのだが。

 出演者で印象的だったのは、イズマエーレ役のテノール、ソクジョン・ベク。名前のとおり韓国出身で、これがMETデビューだという。田舎のお兄ちゃんみたいな顔立ちは、役柄によってはマイナスかも、と思ったが、声が素晴らしくよい。タイトル・ロールのナブッコは、ヴェルディらしい陰影に富んだバリトンの役柄で、ジョージ・ギャグニッザは、戦士王の威厳にも満ちていた。しかし、なんといっても素晴らしかったのは、リュドミラ・モナスティルスカのアビガイッレ! 強い意志を感じさせる、華やかさと力強さに痺れた。第2幕と3幕の間に、舞台裏でのインタビュー映像が流れたけど、彼女はウクライナの出身なのね。ちなみにギャグニッザはジョージア(グルジア)出身で、この作品では独裁者が力を失い、悔い改める、現実にもそのような変化が起きるといいですね、みたいなことを淡々と述べていた。ちなみにフェネーナ役のマリア・バラコーワはロシア出身である。

 オケや舞台上のメンバーを見ていると、アジア系やアフリカ系の顔立ちもけっこう混じっていたが、特に違和感はなかった。そんなことはどうでもいいくらい、(音楽)作品の普遍性が強いのだと思う。あと、指揮者のダニエレ・カッレガーリさん、表情豊かでお茶目なのと、途中のインタビューで、楽譜に書かれていることを大切にするとおっしゃっていたのが、気に入ってしまった。また聴きに行きたい。ウェブサイトも見つけた!

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古くて若い大国/インド(近藤正規)

2024-02-26 22:32:12 | 読んだもの(書籍)

〇近藤正規『インド:グローバル・サウスの超大国』(中公新書) 中央公論新社 2023.9

 最近、政治や経済でも、エンタメでも名前を聞くことの多いインド。しかし私がこの国について思い浮かぶことといえば、堀田善衞の名著『インドで考えたこと』(1957年刊、高校の国語の教科書に載っていた)くらいである。さすがに少し認識をアップデートしようと思い、本書を読んでみた。本書は政治、経済、外交、社会などの切り口で、現在のインドの姿を分かりやすく解説している。知らないことが多すぎて、ファンタジー小説に登場する架空の国家の設定書を読むような面白さがあった。

 はじめに社会の多様性。インド人は「出身地、言語、宗教、カースト」という4つのアイデンティティで規定される。インドは世界最大の民主主義国家で、IT大国らしく、総選挙では9億人の有権者が電子投票を行うという。すごい。現在の首相はインド人民党(BJP)のモディ首相。欧米メディアでは批判も多いが、国内では圧倒的な人気を誇る。最大の要因は高い経済成長率の持続である。そうか、もはや名目GDPは世界第5位、購買力平価は日本より上なんだ…。ただし、巨大な中間層という強みを持つ一方、内需主導なので、中国やASEAN諸国のような輸出主導型のダイナミックな経済成長を遂げることは難しいという。また、製造業が弱くサービス業が主体であるとか、インフラ整備の遅れ、電力供給不足、近代的な工業部門で働くスキルのない未熟練労働者が多いなど、IT大国の意外な一面も知った。

 もちろん、インドのIT産業は順調に成長を続けている。成功の要因はいくつかあるが、米国のバックエンドオフィス業務委託の分野では、英語を話せる優秀な人材を安価で大量に供給できたことが大きい。また、いたずらにハイテク技術を追うのではなく、安い労賃を活かしてローエンドの顧客向けソフト開発を行うという戦略も正しかったという。

 インドは「人口ボーナス期」の真っ只中にあり、優秀な理系人材を豊富に有する点が大きな強みである。しかし、国内の需要に対して満足のいく水準の理工系学生が不足気味であること、世界の大学ランキングではインドの大学が低評価であること、インドの地場産業は最先端の研究開発に前向きでなく産学協同が不足しているなどの課題も指摘されている。このへんは、日本や韓国、中国の状況を想像したり、比較したりしながら読んだ。女性の社会進出の遅れ、深刻な男女間格差はとても気になる。私がインドにいまひとつ魅力を感じない最大の理由はこれかもしれない。

 インドの外交戦略を論じた章は、本書の中でいちばん面白かった。1947年の独立以来、非同盟中立を掲げてきたインドだが、政権の交代と国際情勢の変遷ともに「強調するところ」は微妙に変化している。目下の最大の問題は対中関係の悪化で、初代首相ネルーに始まる代々の親中政権のツケを払っている状態ともいえる。2020年6月には国境地帯で中国と軍事衝突が起きたが、非同盟中立国のインドには、こういうときに助けてくれる国がいない。なるほどねえ、「非同盟中立」というのは大変なんだ。このとき、日本と米国はインドをサポートするコメントを出して大いに感謝された。

 しかしインドはロシアを「特別で特権的な戦略パートナー」と位置付けている。1971年の第3次印パ戦争の折、米英はパキスタンを重視したが、戦艦を派遣してインドを守ったのはソ連だった。ロシアは1998年のインド核実験も黙認するなど、さまざまな場でインドをサポートしており、インドは「ロシアへの恩」を忘れていない。それが、ロシアのウクライナ侵攻に対する国連の非難決議への棄権という態度につながっている。逆に米国への信頼は高くなく、プライドの高いインドは、米国の「格下パートナー」にはなりたくないという考えが根深いという。ちょっと日本を省みてしまう。2023年、モディ首相の訪米など、米印の接近を感じさせるイベントはあったものの、インドが米国陣営に加わる可能性は低く、米国から取れるものを取ろうという算段だろうと本書は解説する。

 米国や日本など西側諸国は「グローバル・サウス」の盟主が中国になることは避けたいので、インドを重視せざるを得ない。しかし一方、「グローバル・サウス」(新興国や途上国)の国々が、インドを「自分たちのリーダー」と見ているかというと、その意識は薄い、という指摘には苦笑してしまった。大義名分はさておき、どの国も本心では自分の利益しか考えていないようだ。しかし世話になった恩義は忘れがたい。国際関係って、意外と人間くさいものだなと感じた。

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水道橋でワインと和食ディナー再び

2024-02-24 21:31:49 | 食べたもの(銘菓・名産)

めずらしく友人との会食が続いた。半年ぶりに水道橋駅前の「ワイン処Oasi(オアジ)」で和食ディナー。旬の食材を使った上品なお料理を少しずつ。

この日は赤出汁に筍の炊き込みご飯。前回はとうもろこしご飯だったことを思い出した。

日本酒と自家製サングリアも美味で大満足~。

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秋葉原で雲南料理

2024-02-23 11:49:24 | 食べたもの(銘菓・名産)

中華料理好きの友人と会食することになって、雲南伝統料理の「過橋米線 秋葉原店」に出かけた。私も友人も、一度だけ雲南省に旅行したことはあるのだが、東京で雲南料理を食べるのは初めてである。9品の「元気促進コース」に飲み放題をつけてもらった。

三七入り気鍋鶏。三七は三七人参かな? 気鍋というのは、たっぷり時間をかけて水蒸気で作るらしい。アツアツでなかなか冷めないので、寒い日にはありがたかった。一気に身体が暖まった。

スズキ魚の雲南風付け。実は中国ツアーの食事では、コースの終わり頃にこういう淡泊な魚料理がよく出た記憶がある。いつもお腹がいっぱいで食べ切れなかったのだが、この日は裏表とも、しっかりいただく。美味。

千張肉。豚肉スライスの下には、角切りの豚肉と高菜みたいな漬物が詰まっている。これも蒸し料理。

薬膳健美菜。このほかの料理も、全体に野菜が多くて油分が少なく、お腹にやさしいコースだった。

伝統雲南風過橋米線。わりと太めの米線(ライスヌードル)だった。雲南省ツアーでは、1回だけ昼食に米線が出たのだが、ツアーのスケジュールが押していて、ものすごく急いで食べたので、味わう余裕がなかった記憶がある。やっとリベンジできた。

この日は紹興酒だけでなく、白酒にも手を出してみた。ミニボトルを二人で。ラベルの「老龍口」を調べたら、瀋陽の銘酒らしい。

店内は中国語が飛び交っていたけど、落ち着いた雰囲気だった。また食べに来たい!

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2024金沢散歩:兼六園、泉鏡花記念館、近江市場

2024-02-22 17:40:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

金沢半日観光の続き。

兼六園成巽閣白鳥路

 石川県立博物館から兼六園へ。随身坂口から入ると梅園が見ごろで楽しかった。幕末に13代藩主前田斉泰が母君・真龍院のために建てた隠居所・成巽閣も見ていく。1階では前田家ゆかりの雛人形・雛道具を展示中。2階の「群青の間」は、ウルトラマリンブルーの青とベンガラの赤、さらに襖の白(灰色)が、計算された空間美を作り出している。

 名物の雪吊りは、全然役に立っていなかったが、青空にそびえ立つ縄の三角錐は、どこか南方ふうな感じもして楽しかった。ほぼ初夏の日差しだったので、池・渓流・滝・噴水など、変化に富んだ水辺の風景が気持ちよかった。さすが大名庭園、贅沢でよいなあ。

 兼六園を出て、金沢城公園の脇の細道(白鳥路)を抜けていく。深い緑を背景に、さまざまな彫像が並んでいた。その中のひとつ「金沢ゆかりの三文豪」の像で、左から、室生犀星、泉鏡花、徳田秋声である。鏡花先生はウサギを抱いていらっしゃる。

泉鏡花記念館(金沢市下新町)~ひがし茶屋町

 そして泉鏡花記念館へ。鏡花の生家跡に建つ邸宅を増築・改修した記念館である。元旦の能登半島地震の影響で休館中(2/22から再開館)であることは分かっていたが、訪ねてみたかった。館内には灯りがついていて、再開に向けた準備をされていたのではないかと思う。またいつか来ます!

 少し先の浅野川を渡ると、ひがし茶屋街。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているということだが、カフェやお土産ショップが多く、インバウンド観光客が闊歩していた。初日はこれで終了。

近江市場

 翌日は仕事。翌々日、朝一番にホテルでオンライン会議を済ませたあと、少し時間があったので、近江市場で早めのランチを食べて、また仕事に向かうことにした。

 焼き魚(鰤)とミニ海鮮丼の定食。リーズナブルで美味、満足。

 国内外を問わず、旅先で市場を覗くのは楽しい。生鮮食料品だけでなく、干物や練物などの加工品、食堂、スイーツ、花屋や衣料品のお店もあって、金沢に暮らす人たちの生活を総合的に支えている市場なんだなあ、と感じた。うらやましい。

おまけ:宿泊したホテルのフロント付近をうろうろしていたロボット。思わず、こちらも笑顔を向けてしまう。LOVOT(らぼっと)ちゃんというらしい。

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2024金沢散歩:石川県立美術館、石川県立歴史博物館

2024-02-21 21:42:29 | 行ったもの(美術館・見仏)

 出張で金沢に行ってきた。昨年も同時期に出張があったのだが、全く自由時間がなく、今年も月火が仕事でいっぱいだったので、自腹で前泊をつけて半日だけ観光してきた。

 日曜のお昼頃、金沢駅に到着。昨年は駅前にも雪が残っていたが、今年は雪国の面影なし。特にこの日は初夏のような陽気。コートを丸めてバッグに突っ込んで、観光に出かける。金沢市内を観光するのは、30年ぶりくらいではないかと思う。

石川県立美術館

 コレクション展のみの期間だったが初訪問。第1展示室は「雉香炉の部屋」で、仁清の国宝『色絵雉香炉』が常設されている。写真撮影もOK。展示はオス・メス並んでいるのだが『色絵雉香炉』は華麗な色彩のオスを指し、茶色系の地味なメスは『色絵雌雉香炉』と呼び分けていた。第2展示室は「前田育徳会尊経閣文庫分館」で『天神画像と文房具』(2024年2月17日~3月20日、以下同)を開催中。前田家が菅原道真を家祖と崇めているというのは知らなかった(真偽は不明らしい)。前田家ゆかりの文房具は、唐物趣味が濃厚だった。

 第3展示室は『金沢城の絵師たち』の特集と同時に古九谷も展示。この解説が独特で(全てではないが)古九谷の図様はキリスト教思想の観点から読み解けるという。布袋→正体は弥勒→キリスト、鷺→薬師如来の化身→救い主、鳳凰→ヨハネ、緑のヒナギクと青のサクラ→聖母子など、連想ゲームみたいな説明でまごついた。私は初めて聞いたが、長年そういう主張をされている学芸員の方がいるらしい。『金沢城の絵師たち』では、京都から来た岸派の絵師=岸駒、岸岱と、地元の絵師=佐々木泉景の作品を展示。岸駒は一説には金沢生まれなんだな。ほか、現代絵画・彫刻・工芸も参観。

石川県立歴史博物館

 歩いて歴史博物館へ。貸館展示『サンリオ展』は遠慮して、常設展示+別棟の加賀本多博物館を参観する。時代別展示では、冒頭に復元された「縄文犬」がいた。東北歴史博物館の縄文犬より、やや細面かな。

 能登・加賀には、古代から大陸や朝鮮半島と人や物の往来があった痕跡が数多く残っている。七尾湾内の能登島にある須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)は、模型やビデオで紹介されていたが、方形の低いピラミッドみたいな形状で、完全に朝鮮半島式(正確には高句麗式)である。これはいつか、見に行きたい。

 百万石と言われた近世の繁栄から近代の暗転も、残酷だが興味深かった。紀尾井町事件で大久保利通を襲撃した実行犯6人のうち5人は石川県士族(加賀藩士)だったんだな。実行犯らの依頼を受けて陸義猶(陸九皐)が起草した『斬姦状写』が展示されていたが、漢字カナ混じり文で、やたら読みやすい書跡だった。その後、生活のために屯田兵となった人々も多く、北海道の地図に「金沢市からの主な移住地と石川県人の多い屯田兵村」がマークされていた。札幌も「主な移住地」に挙がっており、ネットで調べると、いろいろ資料が見つかる。そもそも加賀と北海道には、北前船の縁もあったのだな。

前田の基礎をつくった大農場(札幌市手稲区役所ホームページ)

加賀藩(石川県)の北海道開拓/舟本秀男(ZAIKAI SAPPORO ONLINE)

 さらに面白かったのは「民俗」の展示。「あえのこと」と呼ばれる神人共食の、各種のしつらえが再現されていた。これは中能登のおけら祭りの神饌。

これは輪島市の如月祭の祭壇。よく見るとバナナ(!)が備えられているのが微笑ましかった。

 また「祭礼体感シアター」では、各種祭礼をマルチスクリーンの映像と音と振動で体感することができる。ちょうど私が入ったときは、能登町宇出津の「あばれ祭」が上映されていた。火柱のような大松明、鳴り響く爆竹、男たちは神輿を川に投げ入れ、のしかかって潰し、あるいは火の中に倒して焼き尽くす。日本にもこんな祭りがあったのか!と強いカルチャーショックを受けた。加賀の大名文化とは全く異質の世界だった。

 元旦の地震から、これまで一度も行ったことのない能登半島のことを考える機会が増えた。もともと何もないところだとか、復興する意味がないとか、辛辣な意見もチラホラ見聞きしたけれど、私は県立歴史博物館を1時間ほど参観しただけで、能登の魅力に開眼してしまった。

 加賀本多博物館は、本多正信の次男・政重を初代とする加賀本多家ゆかりの資料を展示。甲冑・刀剣・武具などのほか、文書類が豊富に残っているらしいことが興味深かった。

 長くなってきたので続きは別稿で。

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ブロマンス古装劇?/シネマ歌舞伎・アテルイ

2024-02-17 23:30:15 | 行ったもの2(講演・公演)

〇シネマ歌舞伎『歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉』(東劇)

 2015年7月に新橋演舞場で上演された作品で、シネマ歌舞伎(映像作品)としての公開は2016年6月だという。ただし、いま調べて思い出したのだが、もとは2002年に劇団☆新感線が上演した舞台劇である。私は題材に興味があって、舞台劇のときも歌舞伎になったときも、見たいと思いながら果たせなかった。シネマ歌舞伎になってからも、上映予定ないかな~と、時々チェックしていたのだが、先日サイトを見たら、久々の上映が2/15(木)で終わっていた。え!?と慌てたが、幸い、東劇では上映延長になっていたので、さっそく見てきた。面白かった!!! 10年越し、いや20年越しの大願成就だが、実は、具体的にどんなストーリーなのかは全く調べていなかったので、新鮮な気持ちで見ることができた。

 京のみやこでは、蝦夷(えみし)を名乗る立烏帽子党が盗賊行為を働き、人々を苦しめていた。そこに現れたのは、本物の立烏帽子党の女首領・鈴鹿。彼らが偽者であることを見破り、問い詰める。彼らは、帝の側近である無碍随鏡の手下だった。彼らチンピラの処分を請け合ったのは、「みやこの虎」を名乗る若きサムライ・坂上田村麻呂。そこに居合わせたのは「北の狼」流れ者の蝦夷のアテルイ。アテルイは、かつて蝦夷の娘・鈴鹿と恋に落ち、山に迷い込んで、アラハバキの神の怒りに触れたため、名前も記憶も失って、みやこに流れついたのだった。しかし鈴鹿と巡り合い、名前と誇りを取り戻したアテルイは、故郷へ戻る決意を固める。

 一方、田村麻呂は征夷大将軍に任ぜられ、叔父の藤原稀継とともに東北へ赴く。温和な人格者に見えた稀継は、ひそかに田村麻呂を殺害し、その弔い合戦と称して全軍の士気を高めようと画策していた。稀継役は『鎌倉殿の13人』で覚えた坂東彌十郎さん。真っ黒い本性を現わしてからがすごくよかった。曹操とか似合いそうだな~。

 田村麻呂は舞台の奥に向かって崖落ち。この作品、まず衣装が全体的に中華ファンタジーふう(冒頭で出て来た立烏帽子党も錦衣衛みたい)である上に、田村麻呂とアテルイの関係が、どう見ても「ブロマンス」なのである。そこに「崖落ち」が来たので、にやにやしてしまった。これは生きているだろうと思ったら、案の定、田村麻呂は、鈴鹿という娘に助けられる。鈴鹿はかつてアラハバキの神の怒りに触れ、アテルイという青年から引き離されて、隠れ里でひっそり暮らしていた。ではあの立烏帽子は? そこに稀継の兵が踏み込み、鈴鹿は殺害される。

 田村麻呂は、蝦夷と帝軍の戦場に戻り、全軍の兵士に稀継の陰謀を暴露し、アテルイに和睦を勧める。正体を現した立烏帽子は、東北の大地の化身であるアラハバキの神で、アテルイに戦いの継続を迫るが、アテルイは和睦を選ぶ。しかし京に戻った稀継と、田村麻呂の姉・御霊御前は、田村麻呂の嘆願を聞き入れず、アテルイを死刑に処する。いったんは処刑場を逃れたアテルイだが、田村麻呂と剣を交え、その刃の下に倒れる。

 アテルイ(染五郎→幸四郎→現・松本白鸚)と田村麻呂(中村勘九郎)が、ともに青年の純粋さを体現していて、とにかくいいのだ。スピーディで切れ味のよい殺陣には惚れ惚れした。先だって、中国の春節晩会をネットで見ていて、こういう総合舞台芸術って、日本では見る機会がないなあと思っていたのだが、いやいや歌舞伎があったのを忘れていた。あと、パンクな髪型で蝦夷と帝軍を右往左往し、軽蔑と笑いを誘いながら、最後は見事な最期を遂げる蛮甲(バンコー、片岡亀蔵)も面白かった。妻のクマ子(クマの着ぐるみ)を演じていたのは誰w

 物語的にスゴイと思ったのは、アテルイが必死に会うことを望んだ帝の玉座がもぬけの空だったこと。御霊御前は平然と、見える人には見えるのです、とうそぶく。ドラマとしての面白さをとことん追求しながら、同時にかなり強烈な政治的メッセージも感じられる。2000年代の初頭だから作れた作品かなあ、とも思ったが、最近の演劇を知らないので間違っているかもしれない。

 あらためて、アテルイ、田村麻呂の伝説を調べていたら、鈴鹿山の女神である鈴鹿御前は、悪路王アテルイの妻とも、坂上田村麻呂の妻とも言われているのだな。鈴鹿山の立烏帽子という盗賊の話は『宝物集』にあり、『保元物語』にも登場する。アラハバキは、記紀神話には登場しない謎の神だという。本作では、大和朝廷と蝦夷を単純な善悪の構図とせず、蝦夷の神・アラハバキも、人間に理不尽を強いる存在として描かれているのもよかった。そういう深みもあるのだが、誰か日本発のブロマンス古装劇としてリメイクしてくれないかな…。

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北斎サムライ画伝(すみだ北斎美)+鳥文斎栄之展(千葉市美)

2024-02-16 23:30:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

すみだ北斎美術館 特別展『北斎サムライ画伝』(2023年12月14日〜 2024年2月25日)

 北斎(1760-1849)や門人たちがサムライを描いた作品を集めた展覧会。私は浮世絵に対して、そんなに関心が高いわけではないのだが、描かれたサムライという着眼点に、歴史・伝奇好きの性癖をくすぐられて見に行った。はじめは、北斎が実際に見ていた「江戸のサムライ」の姿。同時代の世態風俗を描いた浮世絵には、刀を差していることでそれと分かるサムライたちが描き込まれている。ぶらぶら物見遊山をしたり、酔っ払ったり、旅をしたり、登城するサムライたち。まあ今のビジネスマンか公務員程度には、ふつうに身の回りにいたわけである。

 一方、理想化された「名うてのサムライ」も描かれた。時代順に、坂上田村麻呂、俵藤太秀郷に始まり、頼光、義家、為朝、悪源太義平など、私の好きな武将が並ぶ。北斎の『絵本武蔵鐙』の「八幡太郎源の義家」は本展のメインビジュアルにもなったもの。カッコいいのだが、大鎧の裾の「草摺」が(中世の絵巻ものに描かれた姿に比べて)長すぎるんじゃないか?と思ったら、「草摺」のさらに下に「佩楯(佩立)」という防具をつけるらしい。ちょっと中国の甲冑みたいだと思った。

 平家はやっぱり清盛と知盛か。蹄斎北馬の『平家物語図会』「相国入道西光法師が頭を足下に踏蹂図」は、西光の丸い禿げ頭に清盛がピタリと足を載せていて笑ってしまった。葛飾北為『摂州大物浦平家怨霊顕る図』は、動物の骨のような白い筋を見せる大波と夜空をランダムに横切る稲光がダイナミックな大判三枚続きの錦絵。初見だろうか。私は歌川派ばかり見ていて、葛飾派をよく知らなかったことに気づいた。

 それから北条義時、泰時、戦国時代の武将たちへと続く。また「戦いの場面」では源平の一の谷、屋島、信玄と謙信、忠臣蔵などを取り上げ、「サムライの得物」は刀剣とのコラボ展示になっていた。

千葉市美術館 企画展『サムライ、浮世絵師になる! 鳥文斎栄之展』(2024年1月6日~3月3日)

 久しぶりに行ったら、入口が変わっていて、ちょっと戸惑った。本展は、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、鳥文斎栄之(1756−1829)の画業を総覧しその魅力を紹介する、世界初開催の栄之展である。といわれても何がすごいのか、あまりよく分かっていなかった。鳥文斎栄之の名前は聞いたことがある。作品を見ると、スラリとした長身で(10等身くらいある)、面長に小さい目鼻の美人画にも見覚えがあった。

 それほど好きだと思ったことはなかったのだが、まとめて見ていると、だんだん気に入ってきた。描かれた女性たちは、良家の婦人も遊女も町娘も、みんな品があって、きれいなのである。あと、男性の姿が少なく、女性ばかりが集って楽しそうなのもよい。しばしば描かれた隅田川の船遊びも隅から隅まで女性ばかり。栄之の描く女性は、立っていても座っていても背筋が伸びていて姿勢がよいのだが、ちょっと座り方を崩した際の、膝の丸みが色っぽいと思った。

 栄之が旗本出身で、第10代将軍・家治の御小納戸役として「絵具方」という役目を務めたとか、御用絵師・狩野栄川院典信に絵を学んだことなどは初めて知った。家治の死去、田沼意次の老中辞職という時代の変わり目の頃から、本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れたという。

 上流階級や知識人などから愛され、重要な浮世絵師の一人であったが、明治時代に多くの作品が海外に流出したため、今日、国内で栄之の全貌を知ることは難しくなっているのだそうだ。今回、貴重な機会をつくってもらって感謝している。新しい「推し」を発見したかもしれない。

■千葉市美術館 企画展『武士と絵画-宮本武蔵から渡辺崋山、浦上玉堂まで-』(2024年1月6日~3月3日)他

 『鳥文斎栄之展』に続く併設展は、江戸時代の武士と絵画の関係をテーマに、千葉市美術館収蔵作品で構成した小特集。サムライで絵師といえば、まあ宮本武蔵だし、海北友松だよな、と冒頭の作品を眺めながら、ここに家光の作品はないのな?と思って後ろを振り向いたら、伝・ 徳川家光『墨絵 子供遊図』があって、図られたようで苦笑してしまった。「え?家光?」「将軍の?」みたいな会話が聞こえたのも嬉しかった。渡辺崋山『佐藤一斎像画稿』は大迫力。ほかに、浦上玉堂、田能村竹田、酒井抱一、楊洲周延など。

 常設展は『千葉市美術館コレクション選』(2024年2月6日〜3月3日)で「特集 生誕140年 石井林響とその周辺」など。戸張孤雁(とばり こがん)という画家/彫刻家が気になったが、昨年秋に新宿中村屋サロン美術館で回顧展をやっていたのか。見逃してしまった。

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2024向島百花園の梅

2024-02-13 21:12:22 | なごみ写真帖

 そろそろ梅の季節なので、「梅まつり」(2024年2月10日~3月3日)を開催中の向島百花園を見てきた。私は両親ともに東京の下町生まれなので、向島(むこうじま)という地名にはなじみがある。子供の頃、百花園に連れてきてもらって、萩のトンネルを喜んだ記憶もある。大人になってから、一度だけ来てみたのだが、なんだか手狭な庭園で、子供のときの感動が得られなくて、それきり何十年もご無沙汰していた。

 確かに広くはない庭園だが、梅の木はかなり多い。マスクを外して香を楽しむ。萼や花芯まで純白の印象が強い「白加賀」という品種が目立っていた。

白梅は一輪を楽しむのもよし、

遠目に見る樹の姿も、なつかしい人に出会うような気持ち。人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)である。

紅梅はまた、華やかでよいけど。

 向島百花園は、骨董商だった佐原鞠塢(さはら きくう)が、交流のあった文人墨客の協力を得て開園したもの。当初は梅が主体で「新梅屋敷」(亀戸の梅屋敷に対して)と呼ばれたという。鞠塢の辞世が「隅田川梅のもとにてわれ死なば 春吹く風のこやしともなれ」というものだと知って笑ってしまった。江戸人らしい諧謔味が好き。

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茶碗と書跡と謡本/本阿弥光悦の大宇宙(東京国立博物館)

2024-02-12 22:02:00 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展『本阿弥光悦の大宇宙』( 2024年1月16日~3月10日)

 「始めようか、天才観測。」という(東博にしては)しゃれたキャッチコピーが一部で話題になった特別展。本阿弥光悦(1558-1637)が確固とした美意識によって作り上げた諸芸の優品の数々を紹介し、大宇宙(マクロコスモス)のごとき光悦の世界の全体像に迫る。

 会場に入ると、いきなり本展のメインビジュアルになっている『舟橋蒔絵硯箱』が単立ケースで展示されていた。玉子寿司とか磯辺焼きとか言われているもの。インパクトのある造型であることは確かだ。舟橋の表現に鉛板を用いたのは、光悦が家職として刀剣の鑑定にかかわり、金属の特質・見せ方を知悉していたからだという研究があること(Wikiに記載あり)をぼんやり思い出した。

 その関連か、はじめに文書資料等で、刀剣の研磨や鑑定などを家職とした本阿弥家を紹介する。『享保名物集』所載の名物刀剣のほか、光悦の指料として知られる短刀『銘:兼氏 金象嵌 花形見』とその拵え『刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀』も出ていた。「刻鞘(きざみざや)」という名前のとおり、糸で括ったボンレスハムみたいに段々になった鞘で、赤字に金蒔絵で細かい草葉(忍草)が一面に散らしてある。あれ、光悦は武士だったのか?と思ったけど、近世初期は町人が帯刀しても問題なかったようだ。

 また、光悦が書写した『立正安国論』や法華宗の寺院に揮毫した扁額などが並び、光悦が法華信徒であったことを思い出す。これは彼の個人的な信仰というより、商工業者を中核とする、いわゆる町衆の多くは日蓮法華宗に帰依していた。信仰による紐帯が家職(専門的技能)の継承と大きなかかわりを持っていたという点は、展示の現場ではあまり読み取れなかったが、あとで図録の解説を読んで興味深く感じた。

 続いて蒔絵と謡本の紹介。私が夢中になったのは謡本の数々。こんなに大量で多様な光悦謡本をまとめて見たのは初めてだった。平安時代の「唐紙」を思わせる雲母摺りで、動植物(鶴、鹿、竹、葵、紅葉など)をうんとクローズアップして表現する。このクローズアップの視点、若冲の『玄圃瑤華』に受け継がれる感じがする。「法政大学鴻山文庫」という所蔵者注記が多かったが、調べたら、元総長・野上豊一郎に由来する「野上記念法政大学能楽研究所」という組織があるのか。素晴らしい。

 書跡では、光悦筆・宗達下絵の『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』(京博)が最大の見もの。いや何度も見ているし、と思っていたのだが、今回、数歩離れると風景が変わるというネット情報が気になっていた。実際、展示ケースから三歩下がってみてびっくり。金銀泥で描かれたと言っても全然光らないと思っていた画面が、突如光り輝き始めるのだ。料紙の角度と照明を計算した展示法なのか。特に効果的に思われたのは、飛び立つ鶴がわらわらと集団になっているところで、シルエットのままの鶴、金色に光る鶴、銀色に光る鶴が、実は混在しており、奥行きのある表現になっているのである。驚いてケースに近づくと、ただの灰色の集団になってしまうのは、魔法にかけられたようだった。あと確か『花卉鳥下絵新古今集和歌巻』も見る位置によっては、小さな花がキラキラ光って見えた。楽しい。

 光悦は「寛永の三筆」に数えられる能筆だが、年齢によって少しずつ書風を変えていく。50代後半に患った中風に苦しみながら、晩年にはのびやかな印象を取り戻しており、巧さだけでない味わいをしみじみ感じた。

 最後に茶碗! 広い(そして暗い)展示室に光悦の楽茶碗が、全てどの角度からも鑑賞できるように単立ケースに入って点在していた。これにはテンション爆上がり。見ることができた茶碗は、黒『時雨』『雨雲』『村雨』、赤『乙御前』『弁財天』『加賀』、飴釉『紙屋』、白『冠雪』の8件、そして『赤楽兎文香合』。赤楽茶碗『毘沙門堂』と白楽茶碗『白狐』は展示替えで見られず。これだけの数を一気に見たのは、2018年の楽美術館『光悦考』以来かな。黒楽茶碗の『雨雲』『村雨』は、釉薬をかけ外した口縁が白っぽいのだが、『時雨』は全身真っ黒なんだな。図録の解説には「手にとると、見た目の印象よりはるかに大きく」とか「手にとると、すっとなじむ」とあって羨ましいが、なんとか文章からその感覚を追体験しようと目を閉じて頑張ってみる。

 本展の図録は、刀剣、蒔絵、書跡、陶芸など、各分野の専門家が寄稿しており、たいへん読み応えがある。迷ったが、購入してよかった。

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