見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

赤坂氷川祭2011・神武天皇の山車

2011-09-30 22:00:26 | なごみ写真帖
先週末は、連休の3日間つぶしてレポート書いていたし、今週末は出勤。
夏休みのツケで何かと慌ただしい9月だった。

UPしそびれていた写真をお蔵出し。9月16日(金)(宵宮)~9月18日(月)に行われた赤坂氷川神社の祭礼。

17日(土)のお昼頃、新調された神武天皇の山車が出番を待つ。ヨシズ掛けの小屋の中は、頼朝と頼義の山車だそうだ。なぜこの三者なのかは不明。不思議だ…。



やがて、あやしい人物が…と思ったが、神武天皇の東征を先導した猿田彦か。



さっきまで鳶のお兄さんが山車に乗って、荒っぽく神武天皇像を引き立てていたが、厳かに「魂入れ」の儀式が行われる。



これにて木偶は神様に変身。巡行に出立する。

追伸。第一種衛生管理者試験、受かりました。やったー。
10月から本格的に秋の展覧会シーズン。楽しむぞー。
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暴走する敵意/中華人民共和国誕生の社会史(笹川裕史)

2011-09-29 01:17:17 | 読んだもの(書籍)
○笹川裕史『中華人民共和国誕生の社会史』(講談社選書メチエ) 講談社 2011.9

 こんな中国史が書けるのか。しかも日本人に!という驚きの1冊である。中華人民共和国誕生(1949年10月)直前の中国基層社会の様相を、徹底して「普通の人々」の側から描き出す。よくある中国近代史に登場する、共産党や国民党の領袖の名前は、一度たりとも現れない。

 「定点カメラ」は、中国内陸部、四川省の民衆の間に据え付けられている。なぜ四川省か? ここには、日中戦争期に国民政府の戦時首都となった重慶があり、最も重い戦時負担を強いられた地域だった。続く国共内戦期にも、国民政府の最後の拠点となって、難民・兵士・政府官僚の食糧を支え続けた。最後は疲弊しつくしたとは言いながら、信じられない生産力である。孔明が目をつけただけのことはあるなあ、なんて、とんでもなく時代違いな感心をしてしまった。

 本書の叙述は、1945年8月10日(早い!)日本がポツダム宣言を受諾したニュースが、省都・成都に流れたときから始まる。しかし、帰郷のすべを与えられず、異郷に取り残される兵士たち(国土が広いからなあ)、帰郷した兵士を待っていた貧困、家庭崩壊などのつらい現実。そんな中で、1946年6月、内戦が始まり、徴兵と食糧の戦時徴発が始まる。急激なインフレ。人々の間で「富裕者に対する敵意」が高まっていく。

 著者の解説、「平時であればいくばくかの顰蹙を買う程度の利己的な悪徳であっても、社会全体が苛烈な戦時負担にあえぎ窮乏化に向かう状況のなかでは(略)断じて許し難いものとして目に映る」は、今の日本にそのまま当てはまるようにも思われた。

 国民政府地域において、富裕者への敵意は制御不能となり、公権力による社会秩序は崩壊へ向かう。農民は自ら武装し、生活手段を持たない難民があふれ、汚職の厳正な摘発は末端行政を空洞化させていく。そして、この事態は、新たな権力を樹立した共産党政府が直面した困難でもあった。共産党政府は、真っ白なキャンバスに絵を描き始めたわけではなく、その政策は、当時の社会状況に強く拘束されていたのである。…これって、すごく薄味には、日本で起きた自民党→民主党の政権交代との共通点を感じさせる。

 いや、本書自体は、むしろ「総力戦」の遂行が、国家との過剰な一体感をもった日本社会と、より自由でしたたかな中国社会とでは、どのように異なる影響をもたらしたか、という論点で書かれているのだが、なんとなく私の脳裏には、昨今の日本の姿がチラつくのである。

 そして、当時の基盤社会の様相は、その後も長きにわたって、共産党政府(中華人民共和国)の政治的手法を規定し続けた。「民意」に対する強い不信と警戒とか、中国の土地改革が、農業発展の論理よりも貧困層に対する社会政策の色彩を帯びたことなど(これに対し、日本の土地改革は農業経営強化策として有効に働いた、と本書は見ている)。共産党政権は、やっぱり根本のところで、今でも「民」を恐れているのか。

 本書は、地方新聞と档案(とうあん=公文書)を多数使って書かれている。公文書は、農家の寡婦や小作人から行政機関への請願・陳情書とか(もちろん代書であろう)、地方議会で議決された中央政府の政策への反対表明とか、いろいろ驚くべきものが残っている。それが公開されていて、日本人研究者でも閲覧できる、ということにも、私は驚いてしまった。それと、文中に引用されていた、福地いま著『私は中国の地主だった』(1984)を読んでみたい。岩波新書の青版かあ。
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創意と技巧/華麗なる京蒔絵(三井記念美術館)

2011-09-27 01:07:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『華麗なる〈京蒔絵〉-三井家と象彦漆器-』(2011年9月17日~11月13日)

 とりあえず、蒔絵だ~と思って見に行った。8月末に、大和文華館の『漆工展』を見にいって、蒔絵のほかにも螺鈿・平脱・沈金など、さまざまな類似の技法があることを見てきたので、ちょうどいいと思っていた。それから、繊細なイメージの蒔絵工芸にも、意外と「豪快」な作品があることも覚えて帰ってきたところだった。

 『嵐峡春秋蒔絵文台硯箱』は、かなり大胆にダイナミックな線を刻んでいる。触ったら表面がデコボコなのではないかと思う。しかし、近世初期の「豪快」さとはちょっと違う。入口で貰った出品目録を見直し、本展の出品作品が全て、明治~昭和時代前期の「近代」作品であることに、あらためて気づいた。近代の工芸品って、力を入れるにも抜くにも、どこか大真面目な感じがする。だが、その真面目さが、360度反転して、得も言われぬ味わいになっているものもある。

 以下、気に入った作品を挙げていくが、最初の展示室に多い「硯箱」は、必ず蓋裏を覗いてみることを忘れないでほしい。特に『几帳蒔絵硯箱』は秀逸。

 『宝相華文蒔絵二重手箱』は、正倉院宝物を目指したものだろう。ただし、直接のモデルは見つけることができなかった。あくまで正倉院宝物ふう、ということか。

 『両替年代記蒔絵硯箱』は、4冊の和装本を重ねた姿を写しており、型押し紙の表紙や小口(こぐち)の風合いがリアル。中を開けると、蓋裏にホンモノの小判や銀貨、銅銭が象嵌(ぞうがん)されている。三井高雅が『両替年代記』の校註を出版した際の記念というのが、オシャレ。

 『月宮殿蒔絵水晶台』の創意には目を見張った。荒海の中に聳え立つ岩山を表現するのに、色とりどりの孔雀石・水晶・方解石などの大きな塊が象嵌されている。いや~自由だなあ~。しかも、全て「三井鉱山で産出した鉱石」だというのに笑ってしまった。

 『柳橋蒔絵冠卓』は、屏風絵のモチーフとしておなじみの柳橋水車図を卓(しょく)に用いたもの。これが、なんともいい。上下2枚の板を重ねる構造になっているのが、水面を表すのに効果的である。ここまで、全て上記サイトに画像ありなのが嬉しい。

 画像が欲しかった!と思うのは『宇治川先陣料紙蒔絵硯箱』。大きな「料紙箱」には、名馬・磨墨(するすみ)に騎乗した梶原景季が馬の腹帯を調べ直している図、小ぶりの「硯箱」には、生食(いけずき)に騎乗した佐々木高綱が先陣を急ぐ図を描く。両者とも漆黒の背景が緊迫感を高める。高綱の馬はすでに波間に腹が没しかけていて、川の中ほどに達していることを示す。佐々木高綱(佐々木源氏)は三井家の先祖と考えられているそうだ。

 なお、象彦(ぞうひこ)のページを見にいったら、京都本店にショールームがオープンとか、日本橋東京店で展示会開催中(一緒に寄ればよかった!)とか、いろいろ情報あり。店主便り「ひこぞうのよもやま話」のアイコンもかわいい。ちなみに「象牙屋の彦兵衛」で「象彦」なんですね。

 会場には、三井家が象彦に与えたパトロネージを具体的に示す文書も参考資料として展示されている。歴代当主の中でも、特に象彦の蒔絵を愛好したのは、北三井家(総領家)の十代・三井高棟(たかみね)(1857-1948)で、皇室への献上品をしばしば象彦に注文し、三井社として購入(今なら許されない公私混同だが)、皇室の慶事に際して献上した。献上品は、今も宮内庁三の丸尚蔵館に所蔵されているものもあれば、別の誰かに「下賜」されて伝わったものもある。なるほど、美術品って、こういうルートで動いていたのか、と感心した。
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BS時代劇『テンペスト』のない日曜日

2011-09-25 22:53:25 | 見たもの(Webサイト・TV)
NHK BS時代劇『テンペスト』(2011年7月17日~9月18日、全10回)

 ドラマ『テンペスト』について書くのは3回目である。序盤の3回までを見たところで一度記事を書き、中盤の6回までで、もう一度書いた。残る4回を先週で見終わったが、終盤も面白かった。ただ、私は原作を読んでからの視聴だったので、省略の多い、アップテンポの展開でもついていけたが、全く予備知識のない視聴者から「ダイジェストすぎる!」という非難が湧いたのも、無理からぬ反応だったと思う。

 全体としては、原作の大勢の登場人物、盛りだくさんのエピソードを、時には潔く切り捨て、時には大胆な改変を加えて、よく整理していたと思う。私は第8回の「ペリーとの対決」で、真鶴が語る琉球の将来像をいちばん楽しみにしていたので、ここは、原作の意外に骨太なメッセージが、そのまま映像化されていて嬉しかった。最終回は、いろいろガッカリ、という声もあったが、私は、真鶴が無人の王宮で我が子の明に即位の儀礼を施すところ、およびラストシーンの真鶴と浅倉の再会、これは絶対、原作のとおりにやるだろうと思っていたので、ほぼ想定どおりの内容だった。

 ドラマの脚本は、真鶴に対する尚泰王の恋着とか、真鶴の兄ちゃんと父ちゃんの彼岸での和解とか、登場人物の人間像・人間関係の描き方には大胆な改変を加えていたが、根底のところでは、原作尊重の姿勢が感じられた。ちなみに朝薫が、琉球王朝の解体に殉じて自らの命を絶つシーンを、敢えて映像化しなかったことは、あれでよかったと思う。原作を曲げず、しかし原作とは異なる結末を想像する余地を、ほんの少し残してくれたことに感謝したい。

 それにしても最終回が失速気味だったことは否めず、「大森寿美男の脚本はいつも終盤がこれだ」という批判には苦笑させられた。確かに『風林火山』の最終回も…だった。だが、面白いのは、全く失速感なしに終わったドラマ『TAROの塔』は、終わり方が完璧すぎて、もはや何も語る気が起きないことだ。対して、不完全燃焼の最終回だった『テンペスト』については、まだまだ喋り続けたい気がする。私だけではなく、多くの視聴者がそう思うらしくて、ネットの掲示板は、相変わらず、ネタ話から真面目な沖縄論まで、さまざまな話題で賑わっている。もう1週間になるのに、名残りを惜しんで、終わらない宴のようだ。

 時代考証担当の上里隆史氏が、ブログ「目からウロコの琉球・沖縄史」に書かれた文章「『テンペスト』が終わって」(2011/9/20)も拝読した。「琉球では足袋をはくのか、どの身分からどの場面ではくのか」など「研究では詳しくわかってないことでも、映像にするために決めなくてはいけない事項が山のように送られてきました」という一文を読みながら、なるほど、映像ドラマを撮るというのは、責任の重いことなんだなあ、としみじみ思った。

 でも、このドラマのスタッフ&キャストの皆さんは、まさに「総力戦」をよく戦い抜いてくれたと思っている。おかげで、楽しい2カ月間(たった2ヶ月!)だった。ドラマの登場人物たちは、ひとりひとり十分な実在感をもって、私の記憶に刻まれている。
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二大絵巻光臨!ボストン美術館 日本美術の至宝(2012年・東博)を待つ

2011-09-24 09:17:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 公式サイト>『ボストン美術館 日本美術の至宝』

 東博の『空海と密教美術』展は明日で終わり。次は『法然と親鸞 ゆかりの名宝』展だが、すでに京博の『法然』を見てきたこともあって、私の期待は、来春の『ボストン美術館 日本美術の至宝』展(2012年3月20日~6月10日)に移っている。

 わりと最近(?)東博のサイト内に詳細情報ページが設けられ、展覧会ホームページも立ち上がった。ボストン美術館といえば、私が見たかったのは『平治物語絵巻(平治物語絵詞とも)・三条殿夜討巻』だ。折しも、来年はNHKの大河ドラマも『平清盛』だし。その関係で、ボストン美術館を呼んだんじゃないかと、うがった想像をしていたのだ。

 しかし、当初は、展覧会ホームページのリード文「日本初公開となる曾我蕭白の最高傑作『雲龍図』をはじめ、長谷川等伯、尾形光琳、伊藤若冲など…」のとおりで、絵巻情報はなく、うーん、ダメか。これだと個人的に見たいのは光琳の『松島図屏風』くらいかな、と思っていた。

 それが、今朝、ふと東博のページを見直して、ずるずる下にスクロールしてみたら、当初はなかった(?)「展覧会のみどころ」が加えられ、一番下にひっそりと「二大絵巻」が掲げられているではないか! 目を疑った。えええ~なんだよ、この扱い! まあ確かに、最近、江戸絵画は集客力があるから、蕭白や光琳を売りにするのは、マーケティングセンスとしては分かるのだが…。

 いま調べたら、前回『平治物語絵巻』が来日したのは、『平治物語絵巻展』(名古屋ボストン美術館、2000年4月11日~5月17日)のことらしい。私は、これを逃したら、生涯この絵巻を見られないかもしれないと思って、東京から日帰りで出かけた覚えがある。案の定というか、その後、渡米してボストン美術館を訪ねたときも見られなかった。名古屋は、期間が短かったけど、巻頭から巻末まで全公開で堪能した。今回は、どうなるのかなあ…。

 「二大絵巻」の一方は『吉備大臣入唐絵巻』である。これにもびっくり! 昨春、奈良博の『大遣唐使展』に来日したばかりではないか。奈良博では、27年ぶりに第1巻と第4巻の里帰りだったが、東博はどうなるんだろ。東博サイトの写真は、真備がこれから幽閉される高楼に案内されていく場面。第1巻だろうか。

 今後の詳細を俟ちたい。
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「昼」に潜む「夜」/江戸人の精神絵図(野口武彦)

2011-09-23 23:58:32 | 読んだもの(書籍)
○野口武彦『江戸人の精神絵図』(講談社学術文庫) 講談社 2011.9

 「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズをはじめとし、軽妙な語り口で、江戸・幕末史に関する史談エッセイを書き継いでいる野口武彦氏の新刊。と思ったら、新作ではなく、1984年、筑摩書房から刊行された『江戸人の昼と夜』が元本である。著者は、文庫版のためのはしがきで、「1984年は、日本がまさにバブル経済時代に突入しようとしている前夜だった」と振り返っているが、そんな時代背景よりも、1937年生まれの著者が、30代から40代のはじめにものしたエッセイ集で、行間に漂うデカダンな雰囲気が、なんというか、若い!

 論じられているのは、だいたい18世紀後半から19世紀前半の100年間。「プロローグ」に、松平定信を論じた一篇を置き、前半「武士的なるものの内景」には、荻生徂徠、佐藤一斎、松崎慊堂、遠山金四郎景晋、藤田東湖など、思想家・官僚が数多く登場する。後半「江戸文学の光と闇」は、上田秋成、銅脈先生(狂詩家)、平賀源内など、文学者・文化人を論じ、私は全く知らなかった、国学者で歌人の萩原広道の源氏物語論にも触れる。

 この構成には、ひとこと述べておきたい。私は、どちらかといえば、江戸の文学・文化に親しみが深いこともあって、前半は、かなり読み悩んだ。後半の秋成論あたりから、ようやくスラスラ頭に入るようになって、逆だったらよかったのに~と思ったが、歴史好きの読者は、違う感想を持つかもしれない。

 はしがきによれば、このエッセイ群の基本的なテーマは、「昼」的なものと「夜」的なものの対立の構図であるという。ただし、単純な対立の構図ではなく、「昼」の中に染み出した「夜」や、「夜」の暗さを際立たせる「昼」の明るさに注意を喚起するところが、本書の真骨頂と言えるだろう。

 難しかったけど面白かったのは、徂徠論。終生、徳川幕府の理論的擁護者の立場を貫きながら、その理論は、朱子学が絶対視する「先王ノ道」の作為性・虚構性をあばいており、つきつめていけば、幕府の正統性を覆すものだった、というのが面白い。ここに登場する徂徠の著書のいくつかを、私は鴎外文庫(森鴎外の旧蔵書)で見た記憶があって、明治政府の官吏であった鴎外は、徂徠をどのように読んでいたんだろう、ということが気になっている。

 福地桜痴は『幕府衰亡論』で、幕府滅亡の遠因は家康にあったと言っているそうだ。すなわち、家康の政略は名を捨て実を取るものであったにもかかわらず、家康は「名を以て宗とし、理を以て本と」する儒学、とりわけ朱子学を奨励した。その結果、徳川幕府は事実上「日本の主権者」であったにもかかわらず、ペリーの開国要求に際して、京都朝廷に奏問を行わざるを得ず、以後「攘夷」のポーズを取らざるを得なくなってしまう。

 なるほど。パラドックスみたいだが、この解釈は面白い。「幕府は独断専行で和親政策の決定をする権限があったし、またそうすべきであった」と著者は書いている。そうであったら、幕末史は、どんなに分かりやすかったかと思う。

 「エピローグ」に再び登場するのは、松崎慊堂。名前は知っていても、エキセントリックなエピソードの少ない、印象の薄い学者先生だと思っていた。しかし、温柔な人柄を慕われ、幅広い交友関係(鴎外の史伝三部作につながる人物たちが多い)を持ち、のちに運命を分ける鳥居耀蔵と渡辺崋山の両人を弟子に持っていたこと、さらに蛮社の獄が起きたとき、六十九歳の高齢を押して崋山擁護に奔走したことなど、初めて認識して、好きになった。人間の「出番」って、いつ回ってくるか分からないものである。
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大作・三十六歌仙図屏風/絵画コレクション展(センチュリーミュージアム)

2011-09-23 10:29:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
センチュリーミュージアム 『センチュリー文化財団 絵画コレクション展』(2011年8月15日~11月26日)

 二度目の訪問は絵画コレクション展。受付の方が、前回と同じく「4階と5階の展示室へは、エレベータでお上がりください」と説明したあと、わざわざ追いかけてきて「非常階段エリアの扉は、中から開きませんので!」と付け加えてくれた。閉じ込め(締め出され)たお客さんがいたのだろうか。

 4階展示室。朝早かったこともあって、お客は私ひとり。最初の展示ケースに、大きな『三十六歌仙図屏風』(桃山時代)が幅をきかせていて、驚く。六曲一双。画面の下半分には、三十六歌仙の姿が、上半分には、たぶん三十六首の和歌が、短冊貼り付けではなく、大きな字で自由に散し書きされているのが面白い。近衛信尹の筆。一方、歌仙たちは、後方に控えた女性たちを例外とし、男性歌人たちは、やたら謹直に列をなしている風情なのが、なんとなく可笑しい。縦列の間隔が狭すぎだろう。オッサン顔が多いが、業平、高光は、ちゃんと色白ぽっちゃりの美男に描き分けている。

 次の『三迹画像』は、中央に嵯峨天皇、その前に弘法大師(空海)と菅原道真を描くという、類例のない図像。題字の「筆峯三迹」は、貰った解説に「たくましい書を書く三人の名人」と説明されていた。珍しい取り合わせである。五鈷杵を手にする僧形の人物は空海、その上座にいるのは嵯峨天皇でいいとして、最後のひとりは、橘逸勢と混同されているのではないかと怪しむ。どちらも御霊神だし。

 仏画では『文殊菩薩像』(鎌倉時代)に目がとまる。繊細な截金で表わされた獅子の体毛が激しく渦を巻き、たてがみ、雲とともに、台風のようなエネルギーを感じさせる。背上の文殊菩薩が、少年相撲取みたいに、やや太りじしすぎるのが気になるが、目つきの傲岸さは、文殊らしくていい。蓮華座の花弁の截金も繊細。

 ほかに、水墨画、肖像画、絵巻断簡など、多様なジャンルの絵画があり、全23点。5階は、平台ケースの中が写経に入れ替わっていたが、仏像は常設であることを確認した。

 この美術館は、入館時に、詳しい作品解説パンフレット(計12頁)が無料でいただける。本来なら、有料の図録に掲載されてもおかしくない分量・格式を備えているので(事実の叙述に主眼を置き、抑制された文章がすごく好きだ。特に絵画解説)、これを片手に見てまわると、作品の見どころや歴史的背景がよく分かる。特筆しておきたいのは、白黒ながら全点、写真が掲載されていること。おかげで、日が経ってからも、会場での印象がよみがえってくる。考えてみると、無料パンフレットに全点写真付きというのは、ほかであまり体験したことのないサービスだと思う。画中の文字(画賛、和歌、絵巻断簡の本文まで!)が、一部を除き、きちんと活字に起こされていたのも、鑑賞時に、とても助けられた。

 余計なことかもしれないが、解説執筆者名が、パンフレットのどこにも記載されていないのは残念である。いや、これだけのご苦労をされた担当者の方のお名前を、感謝の気持ちで、心にとめたかっただけのことなのだが。
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板橋区立美術館・粉本と写生(榊原悟)

2011-09-20 23:10:57 | 行ったもの2(講演・公演)
板橋区立美術館 『実況中継EDO』記念講演会「楽しい江戸絵」(講師:榊原悟)(2011年9月19日、14:00~15:30)

 展覧会『実況中継EDO』にあわせた連続講演会の1回目。榊原先生の講演は、2008年にも一度、同じ板橋区立美術館で聴いて面白かったので、ぜひまた聴きたいと思い、出かけた。

 今回は、展覧会のテーマが「江戸期の写生」であるのに対し、むしろ「粉本」(模本、お手本)を大事にした狩野派の絵画学習の立場から、「写生」の功罪を考えてみようという趣旨。

 狩野派の絵画学習の実態は、橋本雅邦の懐古談「木挽町画所」(国華3号)に詳しい。その「臨写の階梯」は、以下のようにまとめられる。七八歳で入門し、(1)瓜、茄子など「簡単ノ形状」を描く→(2)養川院惟信が初学者用に編纂した花鳥山水人物3巻36枚→(3)常信の山水人物5巻60枚:画所には3セット備付→(4)常信の花鳥12枚→(5)一枚もの:常信の福禄寿、雪舟の一幅もの等、和漢大家の名画。最後は探幽の聖賢障子(原文ママ)→卒業:師匠の一字を拝領して、郷里に帰り、一家を成す。

 ※この項、榊原先生のレジュメを丸写しするようで申し訳ないと思ったが、Google booksで、榊原先生の『日本絵画の見方』(角川選書、2004)の中身を一部見ることができ、ちょうど該当箇所が公開されているので、再録させていただいた。ご容赦を。

 面白かったのは、(5)の段階に進むと、師匠の制作を手伝いながら、彩色を学ぶという話。「形態を描く」ことに関しては、これほどがっちりプログラムが組まれているのに、彩色はオン・ザ・ジョブ・トレーニングで、習うより慣れろなんだなあ。いまのマンガプロダクションの分業体制にも似ている。じゃあ、狩野派や土佐派の画家について、色が云々という批評は、あまり意味がないということか。

 狩野安信の著作『画道要訣』には「画に質あり学あり」という記述があるそうだ。「質画」とは天性の素質、一方、「学画」とは「習ひ学びて其道を勤めて其術を得たる」ことだという。なかなか含蓄が深い。それから、一字拝領に至った弟子の誓約書の中で、具体的に、絵本(粉本)をみだりに他人に貸したり見せたりしないことや、廃業の際は絵本を返却することが定められているのも面白いと思った。

 今日でも能狂言や歌舞伎などの舞台芸能では、「型」の伝承が基本であり、「型」を失わないために、いろいろと独特のルールが設けられている。そもそも(江戸時代の)絵画を、芸能と別物と考えるのがおかしい、と榊原先生。

 半世紀くらい前まで、美術史家には「絵師は写生する」という刷り込み(!)があった。そのため、実際は粉本に基づく学習成果であるものを、写生と見誤るケースも多かった。ということで、さまざまな実例をスライドで紹介。一見、身近な動植物の生態観察に基づくような博物画も、実は粉本の丸写しであることを示す。これは、70~80年代の荒俣宏さんの西洋博物画の研究でも言及されていたこと。考えてみれば、デジカメも複写機もない時代なのだから、「模写」による情報収集が担った役割は、重大なのだ。

 サントリー本で有名な『桐鳳凰図屏風』には、実に多くの類似品があり、「コピー商品をよしとする土壌があり、絵師はそれに従った」という説明があった。いや、現代の消費者だって、いつも「オンリーワン」の商品が欲しいわけではない。他人の持っているスカーフや食器やベッドカバーの柄がいいなと思えば、同じものを求めるのは、普通の消費行動である。工業複製品が大量に存在する時代に生きていると、オンリーワンが特別に感じるけど、近代以前はむしろ「コピー商品」を入手する喜びこそ、特別であったのではないかと思う。

 『高雄観楓図屏風』に見る「胸をはだけて乳を飲ませる女」や、「井戸端で足踏み洗濯する女」の類例を、古い絵画資料に遡って探してみる話も面白かった。かなり古い時代から、図像の模倣や継承が認められることも分かった。ああいう先例探しは、自分でもやってみたい。そのためには、より多数・多様な絵画資料が、誰でも簡単にアクセス可能になってくれるといいな、と思う。

 展覧会の感想は、稿をあらためて。
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国民雑誌キングの表紙/講談社の表紙絵・挿絵『原画』展(野間記念館)

2011-09-18 21:54:12 | 行ったもの(美術館・見仏)
講談社野間記念館 『講談社の表紙絵・挿絵「原画」展』(2011年9月3日~10月23日)

 初訪問。ご近所の永青文庫や関口芭蕉庵を訪ねるたびに、同館の案内板を見ていたが、ついでに寄ってみようという気持ちが、いつもあと一歩起きなかった。今回は、以前から興味のあった雑誌「キング」創刊号の表紙をあしらったポスターを見て、これは…行きたい!と思った。で、はじめて胸突坂を目白通りまでのぼり、同館を訪ねたのである。
 
 正門は、どう見ても「お屋敷」の構えで、本当に入っていいのか、少しビビる。よく手入れされた植え込み。ゆったりとカーブするアプローチに沿って進んで行くと、白壁の美しい近代的な建物が現れる。 玄関ホールの内側に警備員さんが立っていて(最近こういうところが多いのだろうか)ホールの左右に展示室がある。予想よりも規模が大きくて、展示点数も100点以上ある様子。

 冒頭は、昭和3~5年の「キング」を飾った絵画と、それを表紙に用いた号が、対になって展示されている。土田麦僊、川端龍子など、いずれも花鳥図である。表紙には「キング」「KING」「○月号」以外、一切の文字なし。へえ、華々しい宣伝で売った「キング」のイメージと少し違うなあ、と首をひねる。昭和3年(御即位の)大典記念号だけは、荒木十畝の描く鳳凰(明朝絵画or若冲ふうの)が表紙で、少し異色だ。

 続いて、伊東深水の描く美人画シリーズ。「講談倶楽部」の表紙である。キモノは和装だが、髪型は洋風で、長い睫毛を強調するメイクが、モダンだなあと思った。よく見たら、昭和27~28年代の表紙だったので、むしろ和装は保守的というか、懐古趣味的だったのかもしれない。

 再び「キング」が登場する。和田英作「のぼる朝日」は、水平線から登ってくる朝日を背景に、翼のある裸婦像をアップで描く。「キング」創刊号(大正14年1月)の表紙原画である。「キング」を論じる文献資料が必ず挿図に用いる1枚なので、私は「キング」といえば、毎号、女性像を表紙に用いたのかと思っていた。そうしたら、大正14年2月号の岡田三郎助「慈愛」は、白い髭のおじいちゃんと孫だし、同10月号の中沢弘光「やすみ日」は、ソフト帽に着物のお父さんと幼子の図である。かと思うと、和田英作の「水蓮」「佐保媛」みたいな神話的女性像も混じるし、当初、表紙のイメージは一定していなかったようだ。

 展覧会の趣旨とは全く関係ないのだが、伝説の雑誌「キング」の現物を、こんなにたくさん見たのも初めてで、興味深かった。初年度の「キング」は薄かったんだな(昭和に入ると厚くなる)とか。「見よ!日本一の大雑誌!」みたいな煽り宣伝で売った雑誌だと聞いていたのに、いまどきの雑誌に比べたら、表紙は簡素だったんだな、とか。「キング」の口絵に使われた原画も多数展示されていたが、歴史画が多かった。

 第2室では、伊藤彦造など耽美派挿絵画家たちの登場で、雰囲気がガラリと変わる。昭和初期の「少年倶楽部」「少女クラブ」の挿絵は、いまの韓流みたいなイケメン揃いである。

 第3室は「講談社の絵本」特集。絵本の出版は、創業者・野間清治にとって積年の夢だった。しかし、物語や画家の選定に時間がかかり、最晩年の事業となった。昭和11年2月に刊行を開始した「講談社の絵本」シリーズは、戦後、昭和34年までに7,000万部が販売された。昭和33年(1958)に「講談社の絵本 ゴールド版」として全面改定されたというから(以上、解説パネルによる)、1960年生まれの私が親しんだのは、この「ゴールド版」だと思う。でも、絵に関しては、基本的に戦前の原画のままだったと思うので、「鉢かつぎ」や「安寿と厨子王」を見ていると、ああ、絶対にこれを読んだ、という確信が戻ってくる。特に表紙の絵は、覚えているものだ。

 第4室は「キング」(だった筈)昭和6年新年号付録「明治大正昭和大絵巻」の原画を展示。明治元年~昭和5年までの主な出来事を絵で表現し、解説をつけた長大な折本冊子(大きさは新書ほど)で、50点の原画が展示されていたが、完成版(冊子)を見ると、場面数はもっと多そうである。

 参加した画家の中に、小村雪岱や五姓田芳柳(二世)など、意外(?)な名前を見つけるのも楽しいし、「主な出来事(政治から社会風俗まで)」の選択肢が、いまの常識と微妙に異なるのも面白い。明治5年、婦人の乗馬の流行とか、明治8年、読売(新聞)の販売人が婦女子に人気なんて風俗は、知らなかった。「松本訓導事件」に至っては、いま検索してしまった。この冊子、復刻してほしい。
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ニュース二題:『魚籃観音像』と神奈川仏教文化研究所

2011-09-17 23:48:28 | 見たもの(Webサイト・TV)
■日々の新聞:いわき Biweekly Review 第204号「『魚籃観音像』の不思議な運命」

 先だって、2009年夏に三鷹市美術ギャラリーで行われた『牧島如鳩展-神と仏の場所-』のレビュー記事にコメントをいただいて、ハッとした。返信にも書いたとおり、3月11日の東日本大震災のあと、私は如鳩の『魚籃観音像』の安否が気になってならなかった。

 2009年の展覧会当時、この絵は「今でも小名浜の漁業共同組合長室の壁に飾られ続けている」と説明されていた。震災後、私は、うろ覚えだった小名浜港(福島県いわき市)の位置を、Googleマップで確認した。原発事故の警戒区域からは、少し南に外れているようである。人的・物理的被害が皆無でなかったことは、だんだん分かってきた。しかし、この絵に関する情報は何も得られなかった。仕方ない。もう起きてしまったことなのだから、待っていれば、いずれ分かるだろうと決めて、夏を過ごしていた。

 そこに龍三郎さんのコメントをいただいたので、久しぶりにネットで情報収集してみた。そのとき、引っかかってきたのが、上記のニュース記事である。なんと、小名浜漁業協同組合は、経営不振のため、2010年3月に解散し、同年9月30日付で破産手続き開始決定を受けた。負債総額は3億円にのぼった。足利市立美術館が預かっていた『魚籃観音像』も競売にかけられそうになったが、今年2011年のはじめ、関係者の尽力により、足利市民文化財団に買い取られた。評価額は250万円だったという。そして、このたびの震災。

 あまりにも数奇な運命に呆然とする思いだった。ひとまず絵の無事が確認されてよかった。でもなあ、いつか、この絵は港に返してやりたい。漁のできる港に。そう切実に感じさせる絵なのである。

■「神奈川仏教文化研究所」の停止

 リンクを張っておいたが、上記のリンク先にはもうページがない。何年も前から「お気に入り」に登録し、情報収集に使わせていただいていたサイトだったが、今年の4月半ばから、パタリと更新が止まってしまった。おかしい、おかしい、と思っていたら、同サイトの「訪れ帖」(掲示板)に、どなたかが理由を書き込んでくれた。管理者がお亡くなりになったのだという。ショックだった。詳細は『春秋堂日録』というブログに記事があるので、ここにリンクを張っておく。

 ところが、つい先日、更新が止まった当のサイトが、まるごと消えてしまっていた。これは、もっとショックだった。更新が止まっても、過去情報にアクセスできれば、まだまだ有用だったのに。あの豊富な情報は、まさか全て烏有に帰してしまったのだろうか? ネットの上の情報の儚さを感じて、うそ寒い感じがしている。
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